消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.142 資金量が競争力

2007-08-08 01:36:14 | 金融の倫理(福井日記)


 コネティカット州グレニッチの本拠を置いていた非上場の投資パートナーシップ制で、債券を扱うLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネージメント)があった。

 一九九八年八月、ルーブル危機によって破綻した投資ファンドである。その破綻は、世界的な金融恐慌を起こしかねないものであった。一九九四年に設立されたこの組織では、金融論学者が単なる顧問ではなく、実践的ディーラーとして主導権を発揮していた。

 この組織に参加する金融論学者たちは、金融論を金儲けの理論に仕立て上げ、巨額のカネ儲けを実現することによって、自らの理論の正しさを立証しようとしてきた金融組織であった。

 社員は二〇〇名足らず、参加する投資家も一〇〇人そこそこの、人員面では、まことに小さな金融組織であり、かつてソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)で、敏腕の債券ディーラーとして名を馳せたジョン・メリウェザー(John Meriwether、1947年~)をトップにすえていたが、その心臓部分は、アービトレージ(裁定取引)に関する博士号をもつ元大学教授によって握られていた。うち、二人はノーベル経済学賞受賞者であった。この頭脳手段こそ、金融工学の粋を凝らした結晶体であった。元教授たちは、ウォール街の判断力の鈍さを露骨に軽蔑していたという(Lowenstein, R.[2001]、邦訳、一五ページ)。

 トップのメリウェザーは、一九八八年には、ソロモンの取締役副会長になった。しかし、一九九一年に財務省の長期債券競売における不正入札が発覚し、メリウェザーは五万ドルの民事制裁金を支払い、引責退社した。

 LTCMは、設立から破綻するまでの四年間、年率四〇%を超えるリターン(収益)を稼ぎだした。

 LTCMは、一〇〇名そこそこの小さな規模でありながら、一〇〇〇億ドルを超える資金を集めていた。出資者はニューヨークの主要な銀行であった。LTCMの商品にリンクしたデリバティブ総額は、総額が一兆ドルを超えていた。一兆ドルという巨額の金融資産が、エクスポージャー(exposure)といって、リスクにさらされている資産になっていたのである。

  「エクスポージャー」というのは、投資家のもつポートフォリオ(portfolio)のうち、差し迫ったリスクにさらされている資産の割合のことである。また、「ポートフォリオ」とは、もともと、「紙ばさみ」「個人の作品集」を指していたが、転じて、金融の「資産構成」「有価証券明細表」を意味するようになった。

 その中核にあるLTCMが破綻して、これらエクスポージャーが回収不能になってしまえば、世界的な金融恐慌が発生しかねなかった。LTCMには、当初、四七億ドルの自己資金があったが、危機時には、自己資本はもはやないのも同然であった。

 LTCMのメリウェザーは、まず、ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffett、1930年~)に、そして、ジョージ・ソロス(George Soros、1930年~)に援助を求めたがすげなく断られた。

 ウォーレン・バフェットは、米国の著名な株式投資家である。世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイ(Berkshire Hathaway)の最高経営責任者(CEO)である。フォーブス誌の世界長者番付でビル・ゲイツ(William Henry Gates III, 1955年~)と一位を争っている。富は主にバークシャー・ハサウェイを通じてのもの。二〇〇六年度の所得は、世界第二位、約四六〇億ドル(五兆四〇〇〇億円)という天文学的な数値であった。

 ジョージ・ソロスは、ハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人の投機家で、本来の姓名はシュヴァルツ・ジェルジ(Schwartz György)である。

 
現在ソロス・ファンド・マネージメント(Solos Fund Management)、オープン・ソサイアティ研究所(Open Society Institute) の会長を務めるほか、外交問題評議会に身を置いていた時期もある。二〇〇六年の会社からのボーナスは約八億四〇〇〇万ドル(日本円にして約九四九億円)だった(ウィキペディアより)

 元連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board=FRB)議長ポール・A・ボルカー(Paul Adolf Volcker、1927年~)は、ソロスの著書(Solos, G,[1994])に序文を寄せている。

 「ジョージ・ソロスは、非常に成功した投機家として、あるいは、まだゲームが有利なうちに手を引く賢明さを具えていることで、その名を知られている。現在、彼の得た大金の大半は、途上国と新興国の社会が「開かれた社会」になるために使われている。ここで言う『開かれた社会』とは、『商業の自由』のことだけを意味しているわけではない。もっと重要なこと、すなわち(人々が)新しい考え方や、自分とは異なった考え方や行動に対して、寛容の心を持っていることを意味している」。

 LTCMの話に戻ろう。
 それぞれの銀行が、LTCMとの取引で大きな損失を出し、早期に手仕舞いをして損失を最小限に抑えたがっていた。しかし、各銀行が個別に債権の回収に走ってしまえば、LTCMが一気に破綻し、世界的な金融恐慌がくることは明白であった。ここに、米国連邦準備制度の下で、とくに、ニューヨーク連邦準備銀行の下で、取引銀行がシンジケートを組んで、眼前の危機を乗り切るために救済融資を行う必要があった。

 一九九八年九月二三日(水)、ニューヨークの九つの大銀行のトップがニューヨーク連銀(The Federal Reserve Bank of New York)に招集された。この銀行は、他国の中央銀行に相当する米国の一二ある連邦準備銀行(Federal Reserve Banks)の一つではあるが、連邦準備理事会の副議長を出す、事実上の最高の中央銀行である。

 ニューヨーク連銀によって招請された九つの銀行とは、バンカーズ・トラスト(Bankers Trust)、ベア・スターンズ(Bear Stearns Companies)、チェースマンハッタン(Chase Manhattan Bank)、ゴールドマン・サックス(Goldman Sacks)、JPモルガン(J. P. Morgan)、リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)、メリルリンチ(Merill Linch)、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター(Morgan Stanley Dean Witter & Co.)、トラベラーズ・ソロモン・スミス・バーニー(Travelers' Salomon Smith Barney)という、当時としてはそうそうたる投資銀行であった。

 しかし、各銀行の腰は引けていた。とくに、トラベラーズ・ソロモン・スミス・バーニーは、サンフォード・I・ワイル(Sanford I. Weill、1933年~)会長の主導下で、シティ・コープ(Citi Corp)との合併を模索していたが、LTCMとの取引によって被った巨額の損失によって、世紀の大型合併が破綻するのではないかと心配していた。

  そもそも、LTCMとの取引の総帥、メリウェザーは、ソロモン出身であったことからも、トラベラーズのパートナーたちは、LTCMへの救済融資には強く抵抗していた。トラベラーズだけでなく、出席したどのトップたちも救済融資には反対であった。LTCMの取引決済機関であったベア・スターンは、一セントたりとも融資しないと言明した。

 LTCMだけでなく、投資ファンドの多くは、裁定取引に収益源をもつ。この取引の主たるものは、米国債先物取引である。国債の先物は、普通、現物よりも低い価格で取引される。いずれ、現物と先物の価格は一致するように、双方が動く。国債の現物価格が下がると予想すれば、証券会社は、現物を空売り(からうり)する。つまり、国債を借りてそれを売る。

 空売りとは、現物を所有していないのに、対象物を売る行為のことである。商品先物や、為替証拠金取引で用いられる用語である。投資家が、証券会社から株券を借りて売る場合もあり、大口投資家同士が株券の貸借を行う場合もあるが、いずれにせよ、借りた株券を売却し、後で現物を返却するのが決まりである。株価が下落していく局面でも株取り引きで利益を得られる手法のひとつであり、「信用売り」、「ハタ売り」も同義語である。

 手法は次のようになる。
 投資家が証券会社から株を借り、それを市場で100円で売る。投資家は株を売った代金100円を得る。

 後日、当該株価が下がり、市場で同じ数量の株を代金で90円で買い株式を手に入れる。この90円で買った株式を証券会社に返却する。差額の10円が投資家の手元に残り、これが投資家の利益になる。

 実際には、投資家は売買に関する手数料のほか、株を借りたことによる貸株料を証券会社に支払う。証券会社ははじめの売却代金である100円を預かるので、その金利(日歩)を投資家に支払う。

 空売りでは、投資家が証券会社から株を借りるので、投資家と証券会社との間に信用関係があることが条件になる。空売りのような行為は信用取引と呼ぶ。 もしも、空売りした株の値段が予想に反して上昇した場合でも、投資家は証券会社に株を返却しなくてはならないので、空売りした時よりも高い値段で株を買い戻さなくてはならない。この場合には投資家は損をすることになる。

 つまり、空売りによる利益は、倒産等による株式の無価値化の場合に最大となり、その金額は空売りを行った金額そのもの(上記例では100円、実際には株価は0円にはならないのでそれ以下)に限定される。一方で株価が予想に反して上昇した場合には、その損害が天井知らずという危険性をもっている(ウィキペディアより)。

 国債についても同様である。

 国債現物の引き渡しは、期日になって価格が予想通り下がっておれば、市場から国債の現物を買い、それを借りた相手に返却する。そうすれば、国債を高く売り、安く買うという形で売買益が生まれる。たとえば、三か月先に現物が二%下がれば、それだけで、二%もの利益を得ることができる。

 通常、現物の空売りには、先物の買いを合わせる。これが、損失を小さくするというヘッジである。

 現物が三か月後に二%安であるという条件をそのままにして、先物価格の変動によって、利益がどうなるのかを見てみよう。

 三か月先物を現時点で二%安で買っていたら、三か月先の現物は二%安であるから、この取引では、先物で二%の損失を出してしまう。現物の空売りでの二%の利益と合わせると利益ゼロになってしまう。

 もし、三か月先物を現時点で一%安で買った場合、三か月後には、現物は二%安になっているのに、先物契約の約束で一%安でしか買えない。つまり、一%の損失を出す。しかし、現物の空売りと合わせた利益は二%マイナス一%で、一%の利益となる。

 三か月先物を三%安で買った場合には、三か月後には、先物取引で、三%マイナス二%と一%と一%の損失を出してしまう。

 つまり、先物が現物価格の低下率よりも安くない価格で買うことができれば、先物はヘッジ効果をもつことになる。

 ヘッジ効果を例証するものとして、現物が三か月後に値下がりするどころか一%値上がりしてしまうことを想定してみよう。証券会社は、三か月後の現物が二%値下がりすると予想して、空売りをしかけた。この取引は、空売り取引で一%の損失を出してしまう。しかし、同じく国債の値下がりを予想して、三か月物先物を一%安で現時点で購入できておれば、三か月後には一%安の価格で現物を入手できるので、空売りの一%の損失を先物取引がヘッジしてくれて損失がなくなる。

 つまり、現物価格の将来時点での変動率と先物価格の現物に較べた割引率との関係で、さや取引の利益が確定されるのである。先物価格の変動率が現物価格の変動率よりも小さい場合、利益を得ることができるが、この二つの値動きが先物の方で大きくなると、この取引は損失を出してしまうのである。

 しかし、通常の姿は、時間がかかっても現物と先物との価格差は小さくなってくるはずである。問題は、収斂する(価格差がなくなる)時間の長さがどの程度なのか、時間が長くなった場合、いずれ収斂するであろうと信じて、現物の空売り・先物買いを継続することができるかという点にある。つまり、収斂するまでもちこたえるだけの資金力があるかということが死命を制する。収斂する時間の把握と、資金量、これが証券会社の競争力を決定する。

 一九七九年六月、メリウェザーは、資金不足で窮地に陥っていたエクスタイン(J. F. Eckstein)という証券会社の国債先物取引の将来性を見抜いた。この取引を引き継いで巨額の利益をソロモンにもたらせたメリイウェザーは、翌一九八〇年にパートナーに昇進し、「国内債券アービトラージ」部門を総括することになった。

 一九七〇年までの金融の世界は、非常に安定したものであった。債券を買う人は、債券の固定されていた利息に惹かれ、近所の銀行の信託部門から債券を買っていた。節約をし、固定金利を細々と蓄積していた。質素に健気に生活することが普通の人々の生活スタイルであった。他人を出し抜いて人よりも大きな収益を金融商品から得ようとする大それた野望を人はもたなかった。

 ソロモンに勤務していたシドニー・ホーマーHomer, S.[1963])の世界そのままであった。

 為替相場は固定っされていた。金利は安定していた。金価格も安定していた。要するに金融は管理されていた。一九七一年、ドルの対金交換の停止によって、管理通貨体制は一挙に崩れた。

 原油価格高騰とともに、インフレーションが世界を覆った。金利はみるみる上昇した。米国では国債価格が金利上昇のために暴落した。優良債券であった鉄道会社が破綻した米国では、マネーこそがもっとも魅力的な投資商品になってしまった。

 メリウェザーは、一九九九年にはLTCMの負債を返済し、新たにヘッジファンド・JWMパートナーズ(JWM Partners)を立ち上げた。そのJWMパートナーズが、二〇〇七年二月の中国発の世界同時株安にさいして、円と米国債を大量に買って売り抜けをして大もうけしている(「世界的株安で『勝ち組』も、破綻ファンド創設者、円高売り抜け」(『産経新聞』平成一九年三月三日付)。