消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.145 ミスター・マーケット

2007-08-13 00:21:01 | 金融の倫理(福井日記)

 投資家は、投資理論なり投資への姿勢を、誰それから学んだというのが口癖である。たとえば、ウォーレン・バフェット(Warren Edward Buffett、1930年~)は、書店でたまたま見つけた『賢明なる投資家』(Graham, B. & J. Zweig[1949]という本を見つけて感銘を受ける。

 この時のことを後にバフェットは、「文字通り、天から光が射してきたような気がした」と述懐した。この著者が、投資理論の先駆者であり、著名な証券アナリストでもあったベンジャミン・グレアム(Benjamin Graham, 1894~1976年)である。

 グレアムが、コロンビア大学で教授の職についていると知ったことから、一九五一年にバフェットは同大学に入学し、グレアムに学ぶこととなる。またコロンビア大学にはデービッド・ドッド(David LeFevre Dodd, 1895 ~1988年)という著名なアナリストもいた(ウィキペディアより)。グレアムとドッドの共著も一世を風靡している(Graham, B. & D. L. Dodd[1934])。

 グレアムは、「バリュー投資の父」(Father of Value Investing)、「ウォール・ストリートの最長老」(Dean of the Wall Street)と呼ばれて尊敬されている

 伝説的巨大投資家のバフェットの師として有名である。私は、このことを、投資家はカリスマでなければならず、自らをそのカリスマたらんとするために、師なるものを神格化するものだと理解している。神格化に成功すればするほど、神様の理論に従っていると公言すれば、市場参加者の動きに影響を与えることができるからである。

 学問上の継承関係などはほとんどないのに、投資家たちは、見事なほど師なるものを賛美する。

 とはいえ、グレアムから父の次に大きな影響を受けたと告白するウォーレン・バフェットは、息子に彼の名を付けている

 ホワード・グレアム・バフェット(Howard Graham Buffett)である。アービン・カーン(Irving Kahn、1905年)も、息子の名をトーマス・グレナム・カーン(Thomas Graham Kahn)としていることからも、グレアムが人格的に弟子たちに大きな影響を与えていたことは確かであろう(Wikipediaより)。

 グレアムは改名である。彼の生家は、ロンドンのユダヤ人家庭でグロスバウム(Grossbaum)というファミリー・ネームであった。改名したのは、彼の父である。その姓の響きがドイツ風であったために、第一次世界大戦の敵国ドイツ人に疑われたくなかったからであるといわれている。一歳のとき、つまり、一八九五年に米国に移住する。一九一四年コロンビア大学卒。コロンビア大学からの講師としての採用を断り、ウォール街に就職。一九二八年に、ジェロール・ニューマン(Jeroll Newman)と投資会社、グレアム・ニューマン社(Graham Newman Corp.)を設立、しかし、翌、一九二九年、株価大暴落に見舞われる。

 その経験からドッドとの共著、『証券分析』を出版。これは、一九四九年の『賢明なる投資家』と並んで、バフェットから名著と賞賛されたものである。一九五六年グレアム・ニューマン社解散。以降、カリフォルニア大学教授、ニューヨーク金融協会理事を歴任。



 彼は、「バリュー投資理論」の創始者である。株は長期間保有されることによって、正しい価格を実現する。市場は、短期的には気まぐれである。したがって、財務内容をきちんと評価して、株の本来の価値を見定め、本来の価値以下で株を購入することが投資の鉄則であると説く。

 本来の価値よりも大きく値下がりした株を買い、短期的な市場の動きは無視するというのが、「バリュー投資理論」である。つまり、市場は往々にして正しくはないというのである。市場の誤りを早期に察知して、株を購入すれば、投資は安全圏に入るという。

 彼は、市場の気紛れをミスター・マーケットの訪問というたとえ話で説明する。ミスター・マーケットが毎日異なる価格で株を売ってくれとか買ってくれと株主の家を訪れるが、こんな奴にいちいち応対するな。自己の判断を信じて、ミスター・マーケットなど無視しろというのである。

 この市場観は、当然のことながら、市場は本来的に正しく、いかなる個人であれ市場を出し抜く(outwit)ことなどできないとした米国流の「ポートフォリオ理論」の猛攻撃にさらされる(Bernstein, W.[2000])。しかし、現代の投資家の出発点が、市場の反応の鈍さに視点を置こうとしていたことは興味深い。

 グレアムは、株主主権の唱道者でもあった。企業は、利益を株主に還元すべきであって、企業の内部留保に隠匿すべきではないとしたのである。一九七六年、八二歳で没。

 安いときに買えば必ず儲かるといった単純なことをいっただけの投資家が尊敬されていたということも面白いことである。グレアムの理論が大学で取り上げられるようなことはほとんどなかった。

 
インタビューに応じて、ビジネス・スクールでは、もっと複雑な理論にしなければならないので、グレアムなどのような単純にして明快な考え方は大学では採用されなかったのであるとバフェットは説明した。しかし、この単純明快なこと、それを実行する精神力が重要であることを急いで付け足している(Lowe, J.[1997])。

 いつ売り、いつ買うかなどの自分の行動を冷静に客観的に判断できるものなのだろうかとの疑念を私は払拭できないが、グレアムの特徴は、自己の判断をぶれさせる可能性のある要素を排除した点にある。たとえば、彼は、株価形成に重要な影響を与えるはずの企業の成長性を、株の本来の価値認識の要素に加えなかった。成長性が株価にプラスに働かないといっているのではない。成長性の判断が非常にあいまいであるといっているのである。

 しかし、証券市場を牽引するスター企業、新しい技術分野を担う企業が目まぐるしく変わる現在、成長性を考えれば判断が鈍るとしたグレアムの理論は、一番弟子ですら、「誤っている」といわざるを得なかった。バフェットは、グレアムが通用したのは、せいぜい一九七四年までであって、以後は、成長性に株価は傾斜したといっているのである (http://rich-navi.com/graham.html)。

 グレアムは、投資と投機とを区分した。投資とは分析に裏付けがあって、元本を保全した上で満足のいくリターンをもたらすものであって、投機とはそうした分析に裏づけのないものであると。株式の保有者は、株価に一喜一憂するのではなく、当該企業の所有者としての意識をもつべきであるとした。分析力関する大変な自信である。

 彼のそうしたモラルが、彼の生涯リターンを控えめなものにしたことは否めない。残した財産は、三〇〇万ドル程度でしかなかった。