伊波普猷『古琉球の政治』(郷土研究社、1922(大正11)年)は、じつに面白い。柳田国男の主宰する櫨辺叢書に1つとして刊行されたものである。『伊波普猷全集・第1巻』(平凡社,1974年)に編入されている。
この中で、「チノーハラハラ ヌチューナガナガ」という琉球のことわざが紹介されている。伊波は、これを「デモクラシーの神髄をいいあらわしたものと見て差し支えない」(全集・第1巻、485ページ)と断言している。
自信はないが、「チノー」とは、「着物」に呼びかけた「お前」のことであろう。「ハラハラ」とは、「はらはらと綻びよ」、「ヌチュー」とは子供に呼びかけた「お前」、「ナガナガ」とは「背丈が伸びよ」という意味であろう。伊波普猷自身は次のように翻訳している。
「新しい着物よ、用がすんだら、自然に綻びろ。幼児よ、着物なぞに頓着せずにずんずん生長しろ」(同)。
琉球では、小さな子供に新調した着物を着せるとき、その着物の襟を柱に押し当ててこの呪文を唱えるという。柱に身長の伸びを記録したのか、柱に神の力が宿るという意識があったのだろう。「ハラハラ」と「ナガナガ」、「チノー」と「ヌチュー」との対句がじつに素晴らしい。
体を締め付けず、子供の生長に合わせて、ハラハラと綻ぶ、子供はナガナガと背を伸ばす。着物への呼びかけがチノー、子供への呼びかけがヌチュー。着物に呼びかけて、「子供の生長を邪魔しないで、子供が窮屈になったら、着物よ、綻びてね」、子供に呼びかけて「お前は、大きく、大きく生長するのだよ」。
人は環境の産物である。環境がよければ人は成長する。環境が悪ければ人の成長は阻害される。人が順調に成長できるように環境は整備されなければならない。そうしたことを、琉球人は知っていたのである。
伊波は言う。
「着物は身体の為にできたもので、身体は着物のために出来たものではない。これほどわかりきったことはないが、長らく着せて置く間に、子供はクリクリと太って、着物は窮屈になっても、マア当分これで間に合わせるようにしようという風になる。こうなると、もう子供は着物に縛りつけられて、その発達が妨げられる」(同)。
ここから、伊波の唯物史観が展開される。
「人間社会に制度があり、機関があるのは、身体に着物があるのと同様である。その内容なるヒトが生長すると、最早従来の制度や機関では間に合わなくなることがある。この時に制度や機関」は改造されるか、全廃されるべきである(同)。
「内容が発達しすぎて、それを包むところの形式が古くなったのも気がつかずにいると、形式はいつの間にか牢獄と化し去ることを知らなければならぬ」(同)。
「歴史を照らしてくれるものが要するに唯物史観という哲学・社会観」であると、湧川清栄は、1928年にハワイにきた伊波から聞かされたという(外間守善(ほかま・しゅぜん)『増補新版・伊波普猷論』平凡社、1993年、326ページ)。
ハワイの土地が少数の資本家に握られている。
「然らばハワイ十億の富をつくるに与って力のあった労働者達は今如何なる結果にあるか。いうまでも無くその存在は資本家達の搾取機関としてのみ許されている。・・・彼らは十年一日の如く『口から手へ』の生活を繰り返しているのみで、従って人間としての自尊心などはもっていない」(『布哇産業史の裏面』、1931年、『伊波普猷全集・第11巻』平凡社、1976年、368ページ)。
にもかかわらず、ハワイは「太平洋の楽園」と喧伝されていると伊波は憤慨した。
「こうした土地柄に於いて、無産者を親に持つ日系市民の前途は実に哀れなものと言わなければならぬ。彼等が如何に政治的に目覚めたとしても、現代の政治が経済的の集中表現である限り、彼等は到底被抑圧階級の運命から免れることは出来まい」(同、370ページ)。
わずか、2、3か月の滞在で、ハワイの本質を抉り出した。人は見たいものしか見ない。米国の権力がハワイを解放したと自負していた同じ局面に、伊波は経済の暴虐を見た。しかも、経済学者ではなかった伊波が。
伊波がハワイに行く(1928年9月末)直前の4月18日、河上肇は京都大学から追放された。
「米国人は実に神経過敏の民族である。世界大戦当時、布哇の一方の大資本家であった独逸系の大商会ハツクフヒルド商会が、米国の敵国民財産没収命令によって、一切合切没収される運命に遭遇したことは、邦人の記憶にもまだ遺っていることであろう。もし不幸にして日米戦争でも勃発しようものなら、貧弱とはいえ、半世紀もかかって漸く築き上げた日本人の事業が、どういう運命に遭遇するかは、智者を俟たずして知るべきである」(同、370ページ)。
伊波に先立たれた冬子夫人の歌、抜粋。
「私がほしいのは 警戒のないこころ 説明のいらない了解・・・それはみんなあなたといっしょに消へてしまった 生き残る哀しみを知らず 静かに眠っているあなたの幸福 私の孤独をあなたはしらない」(比嘉美津子『素顔の伊波普猷』ニライ社、1997年、160ページより)。