森男の活動報告綴

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森男のそれがどないしてんニュース 2023年3月号

2023年03月26日 | 日記
今回はそれがどないしてんニュースです。要するに日々のコネタ集です。

●近所にいたゾウ

先日、洗濯物を乾かしに隣町のコインランドリーに行きました。嫁の森子(仮名)は何度か利用してるのですが私は初めてのお店。乾燥機に服を放り込んで、車を回すために横の路地にはいったら道沿いに小さな公園が。そこにある、このすべり台をみてフリーズしてしまいました。正直腰が抜けるかと思ったです。
ただのゾウのすべり台です。カワイイでしょう。で、何でフリーズしたかといいますと、、、。

数年前に作ったジオラマのすべり台のモデルだったからです。
もちろん、さっきのすべり台は初めて見ました。なんのこっちゃわけわからんでしょう。

これがジオラマのモデル。同じところの写真じゃないでしょ。
場所は自宅から車で1時間くらいのところ。ジオラマの構想を練ってるときに出会ったのですね。見掛けたのはほんとたまたまで、構想にぴったりだったので喜んで撮りました。

要するに、これと同じものがずっと近所にあって、私は全く気付いてなかったということなんですね。多分、遊具メーカーが同じものを同時期に作って、それぞれに設置したのでしょう。牙の位置など細部が異なりますが、同じメーカーのはず。うーん、凄い偶然だ、、。

ジオラマではこういう感じで配置しました。街中によくある小さな児童公園って感じです。すべり台はコンクリート用エポパテで作りました。作ってて楽しかったです。

シリアスなジオラマなので、こういう緊張を和らげるアイテムって大事なんですよね。全部シリアスだと緊張感がピンピンになって、作るほうも見るほうも疲れてしまうよな、と思うので出来るだけそういうの入れるようにしてます。ちょっとしたガス抜き、といいますか。

このジオラマは月刊アーマーモデリング2021年8月号に掲載されています。
1985年ごろ、ソ連がもし日本に侵攻していたら、、というIF設定のジオラマです。結構なページを割いて(7P)紹介してくれてますので興味のある方は誌面をぜひご覧下さい。

で、最初に出会ったすべり台は、てっちゃんの後輩が遊びに来て、廃線跡を見たいというのでわざわざ連れてったときに見掛けたんですね。今回は、嫁の森子(仮名)に頼まれてコインランドリーに行って発見しました。普段使ってるランドリーには私もよく行くのですが、たまたま時間の都合でそこに初めて行ったのです。

コインランドリーの前の道は、いつもよく通るのですが、脇の路地にはもちろん用事がないので入ったことはありません。まさかそんなとこにあのすべり台の兄弟がいるなんて思いませんわね。なんといいますか「情けは人のためならず」ですねえ。いや、ちょっと違うか、、。でもまあちょっとそういうことなんかな、、。

●ジャケットを直しました

長年着ているジャケットの各所の破れやほつれが大概になってきたのでちょこちょこと直しました。
米軍のM65というタイプの軍用ジャケットです。もう丸30年着てます。ハリウッド映画で良く出てくるので有名ですね。「タクシードライバー」のデ・ニーロや「ランボー」のスタローンが代表的かと。さっき調べたら「クレイマークレイマー」ではダスティン・ホフマンが着てました。そうだったっけか、、。っていうくらいアメリカでは一般的だったようです。

で、ふと思ったのが、一般的だったというよりも、当時はM65を着たベトナム帰還兵が実際あちこちにいたのかなあ、と。なので映画で「ベトナム帰り」を演出するのにちょうどいいアイテムだったのかもしれません。「タクシードライバー」「ランボー」はそのまんま、ですね。

「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」ではミッキー・ロークが着てます。彼はベトナムを引きずってる元兵士(階級は不明)の警察署長という役回り。「トゥルー・ロマンス」でクリスチャン・スレーターが着てるのは、逆にそういう映画に傾倒してる映画オタという設定なのかも。かつ親父(デニス・ホッパー)がベトナム帰りというのを意識してるというのもあるんでしょう(多分)。ダスティン・ホフマンは役の仕事とか性格から考えると帰還兵とは思えないんですけど、どうだったでしょうか(細かいとこ覚えてないのです)。

で、これらの映画はどれも好きです。ほんとええですよねえ、、。

おっと余談でした。で、このジャケットはほんと丈夫で暖かく、着心地もよくて気に入ってます。しかし30年も着てると、さすがにあちこちがボロボロに。
これはポケットの裾なのです。破れてほつれてるのですね。

直す、といってももうどうしょうもないのです。なので、対症療法としてほつれ部をそれなりに縫い合わせて、これ以上ほつれないようにしました。
まあ、小手先の技なんですけどね。なにもしなかったら近いうちにもう着れないくらいにぼろぼろになりそうでしたから、さすがになにか対策しないとな、と。

こういう服って、ある程度はボロボロでもそれっぽいのでOKな感じなのですが、それでもあるラインを越えると「ちっと変な奴」みたいになっちゃいます。で、修理もアップリケ的なものを追加してきちんとしすぎると「お金がないんだな、この人、、」と思われてしまいます(まあ、実際ないんすけど)。つまりさりげない修理が肝要なのですがそれがなかなか難しい。

袖口もこんな感じ。表の布が擦り切れて、内張りが露出してます。擦り切れたラインに沿って、内張りに縫い付けました。
全体的に各所でこういう感じだったので、ちょこちょこやってたら1週間くらいかかってしまいました。でもまあ、当分はこの崩壊レベルでとまってくれるのではないかと思います。

で、このジャケットは18歳のころ買いました。高校を卒業して大阪の進学先の学校に行く直前です。入学手続きも下宿の手配も何もかも済んで、あとは待つだけとなり、ボーっとしてたころです。1ヶ月くらいそういう期間があったような。同じ経験をした方はお分かりでしょうけど、こういう時ってほんと不思議な感じなのですね。人生の中でも珍しい、実に穏やかでしかし退屈な待機期間といいますか。休みでもないし、仕事(学業)もない。腰が据わってないので趣味とかもやる気が出ない、という。

そんなころ、中学時代の友人中本君(仮名)が電話してきました。小中時代は仲がよかったんですけど(彼は私のようなマニア・オタではないけど、プラモとかトイガンとかも好きで趣味が合ってた)高校で分かれて疎遠になってました。

久しぶりに会って、色々話をしました。彼は関東の機械関係の学校に進学が決まっていました。要するに彼も同様な境遇でヒマだったわけです。で、彼がこのM65を着てたのです。色は確かベージュかサンドでした。

当時MA-1などミリタリーファッションが盛り上がってたころで、M65も流行ってたのですね。私はミリタリー方面は大好きでしたけど実際に着るつもりはなくて(そもそも似合わないと思ってた)、中本君(仮名)のを見ても「ふーん」という感じでした。

彼は押しの強い奴で「この服ええんよ。お前もこれ買え」と迫ってきました。「えー」と思いましたけど、そういえば進学先で着る服が少なくてどうしようかと考えてたころだったので、まあちょうどいいかな、、。と。2人でコンバットマガジンの広告を見て通販で買いました(確かお店は東京ファントムだった)。色は同じだとアレなので、ベーシックなOD色にしました。

こういう実に消極的な理由で購入したのですが、着てみるととてもイイ感じでめちゃ気に入ってしまいました。先に書いたように、着心地がいいし温かい。ポケットが大きいのもよかった。腰のポケット、週刊誌が入るんですよこれ。ビールの缶だと350が2本入ります。軍用なので丈夫なのもよかった。

というわけで学生時代以降基本ずっとこれで、今に至る、というわけです。私を昔から知る人は、軍用だからとかタクシードライバー野郎だから(私はこの映画が好きだと公言していた)これ着てるんじゃないかと思ってる人がいるかもですが、実は全然そういうんじゃなかったという(笑)

で、ずっと着てて「もうボロボロになってきたなあ、新品を買いなおそうかな」と何度も思ったこともありますが「いや、まだ着れる」「でもさすがに、、」を繰り返して気が付くと30年経ってました。とはいえ、この状態でずっと持つかというとそれは難しいでしょうね。でもまあ、着れるとこまでいってみようと思ってます。

中本君(仮名)は恐らくもうこれ着てないでしょうし(今は10年に一度同窓会で会うだけ)、私に勧めたことも覚えてないでしょうね。そう考えると不思議ですね。

などなど修理をしていて、こうやってあれこれと思い出したり考えたりしたのでした。まあ、30年も着てるとそういうのは積み重なりますわね。バイクでこけて破れたとこもありますし。そういえば、中本君(仮名)は原付に乗ることも無理やり薦めてきて、半ば強制的に免許を取りにいかされて、原付も買った(っていうか親に買ってもらった)のでした。

彼は原付を買って乗りはじめた頃で、要は一緒に走る仲間が欲しかったのでした(彼は親切心で人に何か勧めるというタイプではない。M65も私に何かを買わせて、購買欲を満足させたかったからなのです。私は知ってるのです)。私はこれまた特に原付に乗る気も、そもそもそういう発想自体なかったのですが、まあいいか、という感じで話に乗ったわけです。

でも、いざ乗ってみるとこれがえらい楽しい。彼と県内のあちこちに遠出しました。当然進学先にも持っていったのですが、そこは大阪なのに予想以上に田舎で(駅から学校への公共交通機関はバスしかない。とても歩いてはいけない距離。大阪なのに)、原付があるとないとでは大違いというところでした。これはほんと有難かった。そして、原付の楽しさが高じてその後中型免許を取ってバイクに乗り出したのですね。で、M65を着てるときにこけた、というわけです(笑)

今はバイクには乗ってませんけど、M65の袖の破れを見るとそういうあれこれを思い出すわけです。そんな思い出がいろいろ蓄積してるのです、、って、話がループしてますね(笑)すいません。それにしても、ほんまに「それがどないしてん」ですねえ。

●マルシンさんに賞をもらいました

今年はじめ、トイガンメーカーのマルシン工業さんが自社製品の写真コンテスト「オールマルシンフォトコンテスト」をツイッター上で開催しました。

自社のトイガンを、ユーザーが思い思いに写真に撮って投稿し、イイ感じのに賞をくれる、というもの。

で、私も応募しまして見事「奨励賞」を頂きました。それがこれ。
ガスガンの十四年式ですね。以前撮ったものを投稿しようとしたのですが、他社製品が写ってたので、今回用に改めて撮りました。そういう殊勝な態度が実を結んだのでありましょう、、。

こんな感じで紹介してくれました。
普段、賞からは縁遠い人生を歩んでおりますので、これはほんと嬉しかったですねえ、、。マルシンさんありがとう!!

●これまた30年ぶり

そういうことがあったからというわけではないのですが、手持ちのマルシン製モデルガンのブローニングM1910の欠損パーツが手に入りました。喜々として組み込んだのはいうまでもありません。
欠損してたのはバレルなどです。もう30年くらい壊れたままだったのです。もちろん、パーツを30年探し続けてたというわけではないのですが。本気で入手しようとしたら、ジャンクの本体は出てますんでいつでも手に入るんですけどね。で、比較的安価なのがでてたので買いました。

せっかく組み込むので、各部をすり合わせて調整しました。モデルガンの調整は久しぶりにしましたが、ほんと楽しいですね。
それにしても、ほんと良くできているモデルガンです。完全品になってニコニコしてます。これはまた調整についてなど含め、改めて紹介したいと思います。

というわけで今回はお終いです。M65を着て、ポケットに十四年式とブローニングを忍ばせて、ゾウのすべり台の公園に行って、そこから滑り降りれば綺麗に丸く収まるような内容でしたね。ほんとにやっちゃろうかな。すぐできるしな(やめなさい)。

というわけでまた。

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