~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

谷川俊太郎の「生きる」.私の「生きる」

2013-05-17 21:59:13 | 日記
私は、障害者の人達が通ってる作業所で働いているのですが、

今そこで、ちょっとした試みをしようと思っています。

自分で自由に動くことが出来ない人達なので、

作業所とデイサービスで、1週間が殆んど埋まっています。

「何の不満もない」と言う所員さん(障害者)の言葉を聞くと、

変化のない生活の中で、感動することが少なくなって

来ているような気がしてなりません。

私は、そんな生活の中でも生きてるって感じる瞬間を言葉に

して欲しくて…

「あなたのいのちの響きを聴かせてほしい」と、谷川俊太郎の

「生きる」という詩を、2週間かけて障害者の人に足の指で

キーボードを打ってもらいプリントしました。

あなたの「生きる」を言葉にしてと…

そうしたら、所員さんに「山崎さんはどうなのよ」と言われ

私の「生きる」を短い言葉にしてみました。


  生きてるということ  いま生きてるということ

  それは空が青いということ

  それは涙が止まらないということ

  それは それでも笑えるということ


たった4行の私の「生きる」

いのちの響きを感じ、私の「生きる」を言葉にしていきたいなと

思いました。

        「生きる」    谷川俊太郎

 生きてるということ いま生きてるということ

    それはのどがかわくということ

    木漏れ日がまぶしいということ
 
    ふっと或るメロディを思い出すということ

    くしゃみをすること

 生きてるということ いま生きてるということ

    それはミニスカート それはプラネタリウム

    それはヨハン.シュトラウス

    それはピカソ それはアルプス

    すべての美しいものに出会うということ

    そして
    かくされた悪を注意深くこばむこと

 生きてるということ いま生きてるということ

    泣けるということ 笑えるということ

    怒れるということ 自由ということ

 生きてるということ いま生きてるということ

    いま遠くで犬が吠えるということ

    いま地球が廻っているということ

    いまどこかで産声があがるということ

    いまどこかで兵士が傷つくということ

    いまぶらんこがゆれているということ

       いまいまがすぎてゆくこと

 生きてるということ いま生きてるということ
   
    鳥がはばたくということ 

    海がとどろくということ

    かたつむりは はうということ
   
    人は愛するということ

    あなたの手のぬくみ

    いのちということ   


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初女さんならどうする?人と人

2013-05-16 19:51:05 | 日記
初女先生の講演会のわかち合いの時に、必ずと言っていいほど

出て来る質問は、人との関係についてのものです。

職場の人間関係が上手くいかないが、どうしたらよいか…

ひどいことをされた相手を許すことが出来ませんとか…

そんな時、初女先生は「今は辛い関係だとしても、常に心を

通わせていると、いずれ新たに出会い直すチャンスが巡って

きます。私は時を待つことにしています。」と言われるのです。

私達は、人との関係が上手くいかなくなった時、その関係を

修復しようとあがいたり、自分や相手を責めたりと、心の葛藤が

続きます。

でも、初女先生は「自然に任せましょう」と、心を通わせながら

時を待つのです。

もしかすると、この待つということは、いのちが自然に働いて

いるってことかもしれません。

今、私は「どうしたらいいのかしら?」と思う人がいます。

その人に対し、私が一杯一杯になってしまい、心が切れて

しまった時があるからです。

初女先生は、自分からは切らないと言われているので、

これはいけない!と反省し、心を繋げようとしたのですが、

一度途切れたものは、簡単には行きません。

でも、この初女先生のお言葉に、いつか出会い直すチャンスが

くるかもしれないと思えたのです。

心を通わせ、自然に任せながら待つことにします。

どうしたらよいか分からなくなった時、「初女さんなら

どうする?」と問いかけ、初女先生の生きる姿を思うと

その答えが、静かに降りて来るような気がします。

    「初女さんならどうする」です…



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鎌田實先生と初女先生

2013-05-15 22:28:03 | 日記
今日、片付けをしていて、2006年の雑誌のコピーを見つけました。

鎌田實先生が、初女先生を書いた文章です。

『「自殺を思いとどまったり、不登校をやめて学校へ行ったり、

数日で生き方が変わることがあるのは、自分の考えが元々あった

それに本人が気がついただけ。私は何もしていません。

数日で私が何かしてあげられることなんてないのです。

みんな自分で答えを持ってきています。私自身が丁寧に生きる。

私が、一人ひとりを丁寧に迎い入れ、丁寧に食事のもてなしをする。

それを見て頂くだけなのです」

そうだよなあ。僕らは途中で相手の言葉を遮って、せわしく

こう思うと諭してしまう。そこでじっと待てないんだなあ

同じ言葉にしても、指導された言葉より、自分の力で

たどり着いた言葉の方が、その人の人生を変える上で、大きな

力の差があるように思う。

おばあちゃんの名前は、佐藤初女さん84歳』とありました。

初女先生は、人は自らの中に答えを持っているということを

確信しておられます。

先生がひたすら聴いて下さると、自分では気が付いていなかった

自分の中の答えを見つけることができるのです。

初女先生は高齢の為、耳がかなり聴こえづらくなっています。

それでも、一心に聴こうとされる先生の姿勢が魂に響いて

来るのかもしれません。

先生は、いいと思う事は行動に移していきたい。

どの部分に神が働き、心に、ひいては魂に響くか、私達には

わかりませんので、始終心を込めて生きたいと思います。

と、言われています。

鎌田先生が言われるように、私も途中で相手の言葉を遮って

自分の意見を言いたくなるし、始終心を込めるなんて

何だか、考えただけで無理と思ってしまいます。

でも、この広い世界で初女先生とのご縁を頂けたという

奇跡を思うと、無理で終わらせてはいけないなと思いました。

鎌田先生は初女さんの言葉を聞いていると、青森出身の

岩次郎(養父)を思い出す。縄文の空気を

そのまま持ち続けているような、素敵なおばあちゃんと

出会った。と書いていました。

そうか、初女先生と過すあのゆったりとした時間は

縄文の時が流れているのかも…
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いのちのスイッチ

2013-05-13 22:08:16 | 日記
先日、「仏教になにができるか」という番組で、薬師寺のお坊さんが

被災地に通い、被災した人達に写経を勧めているのですが、

妻を子供を孫を失い、家を流された人を目の前にして、何も失って

ない自分が何が言えるだろうかと、苦脳し続けていました。

でも、そのお坊さんは「覚悟しました」と言い、言いにくいことも

言わなければならない、「いのちのスイッチが入ることが大事

だから」と、言われたのです。

私は、この言葉を聞いてハッとしました。

私は毎日当たり前のこととして生きている、でも果たして

私のこの日常はいのちのスイッチが入っているだろうかと

思ったからです。

何となく生きているのだったら、生きたくても生きれなかった

人達に顔向けできません。

初女先生の講演会に関る時、確かにいのちのスイッチはオンに

なっているのに…

いのちのスイッチが入る生き方

それは、初女先生の「今を生きる」に繋がっていると

思いました。

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遅咲き

2013-05-11 20:18:26 | 日記
雨の中、足早に歩いていると、不意に「山ちゃんママ」と、声を

かけられました。

大学生になった息子がいる私に、山ちゃんママと呼んでくれるのは

小学校の時同じクラスだったKちゃんママだけ

振り向くと、美しいKちゃんママが微笑んでいました。

Kちゃんは、知的障害があって中学は養護学校に行きました。

Kちゃんはいつまでたっても小さくて、時々息子に「Kちゃんは

どうして大きくならないの?」と聞かれ、答えに困ったものです。

Kちゃんママは、子どもの眼にも美人に見えたようで、息子に

「Kちゃんママくらいきれいでないと、授業参観に来ちゃダメ」

と、言われたことがあります。

その美人のKちゃんママの隣に、大きな青年がいるのです。

よく見ると、Kちゃんでした。

私は、びっくりして思わず「えー、あの小さかったKちゃん?」

と、叫んでしまいました。

Kちゃんママは「そうなの、この子遅咲きなの」と、にっこり

笑って言うのです。

背の高いママを遙かに追い越した、大きくなったKちゃんは

小学生の時と同じに手をパチパチ叩いていました。

Kちゃんには、雨が降ったら傘をさすなんてことは不要な

ようで、ママが手を目一杯伸ばして、大きなKちゃんに

傘をさしてあげてました。

Kちゃん親子と別れた後、「遅咲きなの」というママの

言葉が私の心にこだまし、とても清々しい気持ちに

なりました。

我が子の成長を、遅咲きと言えるKちゃんママって

すごいなーって思いました。

Kちゃんママは顔だけじゃない、心も美しいよと

息子に伝えなくちゃ…





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明日の言葉

2013-05-10 23:03:36 | 日記
晴佐久神父さまの日めくりカレンダーの、明日の言葉

「わたしが変われば 世界がかわる」

短かいけれど、見事なまでの真実の言葉

初女先生は、昨日と今日が同じというのは嫌なの。

気づきがなければと、言われていますが、気づきも何もなく

昨日も今日も同じに過ぎていくと思える時があります。

自分の外側に変化を求めている時は、気づきがあまりないの

かもしれません。

でも、自分の中を見詰めた時に、まだ気がついていない自分に

出会えるのかもしれません。

 わたしが変われば 世界が変わる

両手を一杯にひろげて、明るい太陽のもとでこの言葉を

言ってみたら、それだけで世界が違ってくるのかも…

これを、明日をひらく魔法の言葉!

  わたしが変われば 世界がかわる
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海へ

2013-05-09 18:41:11 | 日記
5月の連休が終わりました。

子供が小さい時は、連休にどこかに連れて行くのが親の役目と

思っていましたが、大学生にもなるとすっかりそんな役目も

なくなって、何だか気が抜けたような連休を過ごしていました。

ところが、連休最後の日に息子が釣りに行きたいと言い出し

主人は待ってましたとばかりに張り切って準備を始め、風邪気味で

絶不調だった私の意見など耳も傾けてくれず、行くのが当然という

流れになって、親子3人で初心者マークを3枚も貼り付けた

息子の運転で、三浦半島の海へ向かいました。

30分足らずで着いたのですが、息子の運転に緊張しそれだけで

疲れてしまいました。

海に着くと主人は、釣り場を探したり餌の付け方を教えたり

大忙しですが、じつに嬉しそうでした。

あまりの風の強さに、私は車の中から二人の様子をみていました。

そしたら何だか、親と子が逆転して息子が父親を遊ばせてあげて

いるようなのです。

主人が子どものようで…

子どもの日、何処にも行かなかったし、菖蒲のお風呂も

忘れてしまったけれど、二十歳になった息子が

親を楽しませてくれました。

来年はこんなこともないだろうなと思いつつ、大きくなった

息子に感謝して、帰りの車では初心者マークを2枚にしても

いいぞ!と思い乗ってました。
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嬉しいメール

2013-05-07 21:35:50 | 日記
昨日、嬉しいメールが届きました。

創の中学の担任だったk先生からです。

「今まで、山ちゃんのことは山ちゃんを知ってる人しか話題に

してきませんでした。軽い気持ちで受けとめられる可能性が

少しでも許せないという気持ちが、そうさせていました。

でも、どうしても話したい伝えたい場面に直面しています」という

書きだしで始まっているメールには、今の生徒達に「命の大切さ」

をどうしても伝えたいというK先生の思いが溢れていました。

全校生徒580名を前に、山ちゃんのことを話すお許しを頂きたい

というメールでした。

私は、きっと創が一番喜んでいます。

「K先生の役に立つなら、超嬉しい!」と言っていますよと

御返事しました。

創は先生が好きで、3年もK先生でいいやと言ってましたが

それは叶わぬ夢となってしまいました。

でも、卒業アルバムのK先生のクラス写真に、体操服の創が

ちょこんと入っているのです。

何といっても学校が好きな子で、私と口げんかしたら、

ママチャリに寝袋を積んで学校へ行き、自分の教室がある

外階段の踊り場で寝ていたのです。

先生が、長い教師生活で学校の嫌いな子は沢山いたけれど

学校に家出してきた子は、山ちゃんが初めてと言っていました。

K先生の今の学校は、いのちの大切さを伝えたいと切実に

思うことが、きっといくつもあったのだと思います。

いのち一杯生きた創のことが、その生徒さん達の心に届くと

いいなー

先生が、山ちゃんの学年ってどっか違うんだよねと、

よく言ってました。

みんなが心のどこかに、創の分も生きようと思っていて

くれたからかもしれません。

創、あなたの生をあなたの死を先生が中学生達に話して

くれますよ。

それは、あなたのいのちが生かされるってことです。

嬉しいね、母さんもK先生のお話を聴きたいけれど

きっと、涙が止まらなくなりそうだから、創あなたが

先生を応援してあげて!

今、この時をいのち一杯生きることを伝えていきたい

創と共に…
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魔法瓶と自転車

2013-05-05 14:48:51 | 日記
今日は、5月5日子供の日

子供の日を迎えると、一年に一度だけ心に浮かんでくる思い出が

あります。

あれは、小学校1~2年の時だったと思います。

その頃は、子供の日だからと言って家族で出かける家は滅多になく

子ども会が子供たちを遠足に連れて行ってくれるのが、唯一の

楽しみでした。

前日からわくわくしていた私に、母が「明日はこれを持って行きな」

と、赤いチェックの模様のついた魔法瓶の水筒を渡してくれたの

です。

きっと少し前に買ってあったのを、私を驚かすために遠足の前日に

出してくれたのでしょう。

その当時、魔法瓶の水筒は高価なものでした。

私の嬉しさは頂点に達し、翌日は朝早くから魔法瓶の水筒を持って

うきうきしていました。

ところが、集合場所である神社で、こともあろうに私は

その水筒を落っことしてしまい、中のガラスが粉々に

割れてしまったのです。

私は小さいながらも、それが高価な物であり母が無理して

買ったのを分かっていたので、その場で泣きだし、涙が

止まらなくなり、子ども会の遠足には行かないと帰って来て

しまいました。

壊したことに対して、親に叱られた記憶は残ってないので

母も父も何もいわなかったのかもしれません。

子供の日に、つまんなそうに家でポツンとしている私を見て

父が「自転車を教えてやる」と言って、あの集合場所だった

神社に私を引っ張って行ったのです。

今でこそ、子ども達は子どもの自転車で補助輪をつけて乗り

スムーズに乗れるようになると、初めて補助輪を取るという

段階を踏んで自転車に乗れるようになりますが、当時は

子どもの自転車なんて乗っている子はいなかったし、子ども達は

行き成り24か26インチの大人の自転車に、座ることも出来ずに

三角乗りでした。

私は運動神経が鈍く、怖がりの子供だったので、その時は

恐怖しかありませんでした。

父が荷台を抑え、私がよろよろとペタルを踏む

どれだけ倒れたか分かりませんが、後ろにはいつも父がいる

その安心感だけで、必死に練習したように覚えています。

本当に突然、すーと走れた気がした時、ちらっと振り向いたら

父がいなくて、私は自転車と一緒に倒れてしまいましたが

その時、父が満面の笑顔で「乗れたよ、乗れた!」と走ってきて

くれたのです。

あの魔法瓶の悲しみは、すっかりどこかに飛んで無くなって

父の嬉しそうな顔と、自転車に乗れたと言う喜びで一杯に

なりました…


 あの時笑ってくれた父はもういませんが

一年に一度、子どもの日になると思い出す、私の大切な思い出です。

あの魔法瓶は、もしかしたら魔法の瓶だったのかもしれません。



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食べごしらえ おままごと

2013-05-04 15:36:41 | 日記
「食べごしらえ おままごと」これは昨日から読み始めた

石牟礼道子の本の題名です。

石牟礼道子といえば、水俣病の「苦海浄土」でしょ。と言われ

そうですが、恥ずかしながらこの本が初めての石牟礼道子なのです。

私は、食べることが好きだから食べ物の本にも目が行くのですが、

まさか、石牟礼さんの世界に食べ物から入っていくとは自分でも

思っていませんでした。

1ページ読んだところで、文章の上手さに唸ってしまいました。

久々に日本語の豊かさを堪能させてくれる、作家に出会ったという

気がしました。

向田邦子も食べ物のことをよく書き、私も好きなのですが

石牟礼さんの食べ物には、畑の泥や海の匂いや魚の血合まで

感じられ、それを獲ったり作ったりしている人の生活が

文書の端々から自然に感じられるのです。

食べ物を通しての人との繋がりや暮らしは、かつての日本の

いたるところにあった庶民の生活が掛け外のないもので

あったことを、真っ直ぐに心に伝えてくれます。

この本を読んでいたら、急におはぎを作って御近所に

配りたくなってしまいました。

大して上手でもないのに…

子供の頃、お彼岸になると恒例の様に母がぼた餅を

作ったものです。

大きな大きなぼた餅で、とても「おはぎ」なんて上品な

言い方が似合わないものでしたが、母がぼた餅を作る時は

心が弾み、あんこがもち米を包んで行くようすを

飽きもせずにじっと見ていました。

その記憶が私の中に残っていて、その時手伝った訳でも

ないのに、母の様に手が動いてくれるのです。

不思議なものです…

久し振りに作ったおはぎは、イスキアで頂いた初女先生の

おはぎには遠く及びませんでしたが、恥ずかしながら御近所に

お配りしましたら、持って行った私が恐縮してしまうほど遠慮され、

お裾分けという、そういう習慣が薄らいできていることを

感じないではいられませんでした。

甘いものをそんなに食べない主人が、一つ食べて親しくしている

ご近所さんに持って行くと言ってくれたことが、ちょっと

嬉しかったです。

三浦の海にデートに行った息子に、帰りに彼女におはぎを

持って行ってもらってと、メールをすると「一緒にご飯食べない?」

と、思わぬ返事が返ってきました。

本当に食べ物は、人と人を繋ぐものなんですね。

石牟礼道子さん、有難うございます。

貴方の本のお陰で、息子の彼女と初めての御対面となります!

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