今日の朝刊の投稿欄に、
ご主人を亡くされた
72歳の方の
文章が載っていました。
その中に引用されている
その中に引用されている
詩を読んで、ちょっと
びっくりしました。
訳は多少違いますが、
訳は多少違いますが、
私が昨日ブログに
載せたのと同じ詩だったです。
どんな人でも、
どんな人でも、
大切な人を亡くしています。
悲しみ苦しみの深さの
悲しみ苦しみの深さの
違いはあっても…
姿かたちが見えない
姿かたちが見えない
ということは、
どこか果てしなく遠くに
行って
しまう気がしますが、
しまう気がしますが、
そうではなく
「となりの部屋にそっと
移っただけ」と…
移っただけ」と…
見えない事に悲しむ心の
向きを、ちょっと変えて
感じる心を
ふわっと広げてみれば、
ふわっと広げてみれば、
静かにメッセージが
降りてくるかも
しれません。
昨日、私はおむすび講習会の
しれません。
昨日、私はおむすび講習会の
お味噌汁のことで、
初女先生といつも同行
されているYさんのお宅に
伺いました。
Yさんのマンションの
Yさんのマンションの
下に来た時、目の前の
葉っぱに黄色い蝶々が
とまっていたのです。
黄色い蝶々は、
黄色い蝶々は、
私は息子だと思っています。
その黄色い蝶々が
その黄色い蝶々が
私の周りをひらひらと飛んで、追いかけて来たのです。
本当に久し振りに見る
本当に久し振りに見る
黄色い蝶々
何だか息子が
何だか息子が
「母さん、僕が付いているから大丈夫だって」と
言っているような気が
言っているような気が
しました。
27日は息子の命日なのに、
27日は息子の命日なのに、
講演会のことで一杯
だった私を
責めることなく、大丈夫!
責めることなく、大丈夫!
と安心させに来て
くれたみたいでした。
訪ねたYさんに、
訪ねたYさんに、
「これだけ準備して
いれば大丈夫。
きっと良いように流れて
きっと良いように流れて
いくわよ」と言われ、
ほっとしました。
帰りは、土砂降りの雨が
帰りは、土砂降りの雨が
降っていました。
あの小さな黄色い蝶々は、
あの小さな黄色い蝶々は、
雨に打たれてないだろうか…
「わたしはしばし
「わたしはしばし
あなたを 待っています。
どこかとてもちかい
どこかとてもちかい
ところで。
あの角を曲がった
あの角を曲がった
ところで。
すべてよしです。」
「さよならのあとで」
の詩の一節が浮かびます…
心が豊かになるように思います。大切な蜜柑の葉っぱを食べる青虫を見守っていたmariさん。あなたの優しさでアゲハ蝶は飛び立っていったのですね。
蜜柑も育てたけれど、蝶々も育てたのね。
心を柔らかくしていると、神さまからの贈り物に気づくことが多くなるかも…
私たちって、こういうささやかな喜びによって幸せを感じていくのだと思います。
素敵な思い出を分かち合ってくれて、ありがとう!
いま集合住宅の3階に住んでいて、数年前にベランダの鉢に蜜柑の種を植えたものから、芽が出て、高さ30cm位になったものが数本あるのですが、今年の梅雨前にアゲハが卵を産み付けたらしく、幼虫から青虫になって、蛹、そして孵化して飛び立ってゆく様を、たぶん生まれて初めて観察しました。
いまも時々、あの蝶たちはその後どうしたかな?と思うことがあります。
ほとんど人も訪れてこない今の暮しで、ちょっと大袈裟だけど、それは神様からの贈り物のような出来事のように思えました。
今日のブログを読ませていただいて、そんなことを思い出しました。