初女さんが『母性とは言葉を替えれば、
受け入れること』と言われています。
そして、『人は「受け止められた」と思った
瞬間から、本当の強さを発揮することが
できます。』と記しています。
私も、初女さんに受けとめられて本当に
立ち上がることが出来ました。
だから、「受け止める」とか「受け入れる」って
他者に対してすることだって、今の今まで
ずっと思ってました。
でも、やっと気がついたのです。
先ず、自分のことを、自分の感情をこの私が
受けとめてあげなくちゃって…
子供を亡くした後、立ち直ることばかり考えて
悲しんだり苦しんだりしている自分を、
まだ立ち直ってないと、受けいれてなかったので
苦しみが、どんどん増して行ったのです。
この苦しみを誰かに分かってほしい、
誰かに受けとめてほしいと、探し求めていて
自分を忘れていたのです。
「さみしい時はさみしい自分
つらい時はつらがっている自分。
そんな自分をつらがっていいんだよ。
さみしがっていいんだよ。といたわりながら
目に前のやることを、一つ。又一つ。と
やっていきましょう。
それで、きっと大丈夫の世界なんだと思う。」
というKさんからの手紙を読み、あの時
自分を受けいれてなかったということに、
初めて気がついたのです。
和田重正先生はお父さんのことを
「悩みは悩み、悲しみは悲しみとして
そのまま受け取って、決してジタバタしません
でした。」と書かれています。
初女さんも「感情を抑えると、必ずひずみが
出てしまうから、感じることはそのまま
感じたほうがいいです。」と言われています。
これは、自分を受けとめる、受け入れると
いうことなんでしょね…
苦しむ自分を受けいれないで、他者にそういう
自分を受けとめて欲しいと、私は
求め続けていたのかもしれません。
そして、誰にも助けてもらえない苦しみだと
分かった時に、この苦しみと向き合おうと
腹をくくったのです。
お嬢さんを亡くしたKさんと、
息子を亡くした私…
Kさんは「一人が、どうにもならない苦しさを
耐えてきてくれた、ということが一人の苦しみに
留まらないで、その人が特別なことを
何もしなくても、その存在そのものが、
縁ある者を図らずも癒している。
そう感じました。」と書いてくれました。
大切なことは、みんな亡くなった息子が
運んで来てくれるような気がします。
有難いです。
生きていくのは、しんどいな~と思う時も
ありますが、視点を変えれば私たちの前には
「大丈夫!」という世界が展開しているのかも
しれません。
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