想像ラジオの本を読んでから、私の中で低周波数の何かが鳴って
いるようです。
感動というのではなく、心の引っかかりが私に問いかけているよう
です。
息子が亡くなった後、何も考えてないのに、大根を切った瞬間に
涙があふれ出し止まらなくなったりということが、よくありました。
感情というものは、脳を通って出てくるものだと思っていましたが
この、突然の涙はなぜなのだろうと、自分でも分かりませんでした。
私の友人の子供を亡くした方も、突然涙が出て来ると言って
いました。
私は、この涙は自分の悲しみの深さだと思っていましたが、
想像ラジオを読んで、あれは息子の悲しみでもあったのでは
ないかと思えたのです。
息子の1周忌の時に、同級生の女の子が、山ちゃんが夢に
出て来て、「お母さんにいくら電話かけてもでないから、
有難うって言っておいて」と言ったのと教えてくれましたが
あの時、きっとあの子の想像ラジオは鳴り響いていたのに
悲しみで一杯だった私の心には、息子の声が届いて
来なかったんじゃないかと、今頃になって思うんです。
不意をつかれたような、突然の涙はイスキアを訪れた時から
なくなりました。
私の悲しみが変わり、息子の悲しみが軽くなったのかも
しれません。
私たちの目は、大き過ぎても小さ過ぎても見えません。
目に見える世界より、見えない世界の方がずっと大きいのかも
しれません。
見えないから居ない、ということにはならないのかもしれない…
耳を澄まし、心を澄ましてみれば聴こえてくるかもしれない
大切な人からの想像ラジオが…
声なき声のその思いが…
いるようです。
感動というのではなく、心の引っかかりが私に問いかけているよう
です。
息子が亡くなった後、何も考えてないのに、大根を切った瞬間に
涙があふれ出し止まらなくなったりということが、よくありました。
感情というものは、脳を通って出てくるものだと思っていましたが
この、突然の涙はなぜなのだろうと、自分でも分かりませんでした。
私の友人の子供を亡くした方も、突然涙が出て来ると言って
いました。
私は、この涙は自分の悲しみの深さだと思っていましたが、
想像ラジオを読んで、あれは息子の悲しみでもあったのでは
ないかと思えたのです。
息子の1周忌の時に、同級生の女の子が、山ちゃんが夢に
出て来て、「お母さんにいくら電話かけてもでないから、
有難うって言っておいて」と言ったのと教えてくれましたが
あの時、きっとあの子の想像ラジオは鳴り響いていたのに
悲しみで一杯だった私の心には、息子の声が届いて
来なかったんじゃないかと、今頃になって思うんです。
不意をつかれたような、突然の涙はイスキアを訪れた時から
なくなりました。
私の悲しみが変わり、息子の悲しみが軽くなったのかも
しれません。
私たちの目は、大き過ぎても小さ過ぎても見えません。
目に見える世界より、見えない世界の方がずっと大きいのかも
しれません。
見えないから居ない、ということにはならないのかもしれない…
耳を澄まし、心を澄ましてみれば聴こえてくるかもしれない
大切な人からの想像ラジオが…
声なき声のその思いが…
だけど これには やはり 体験と想像力と理解力がなければ 人の悲しみや苦しみに寄り添うのは大変難しいことです
武田双雲さんも なんとなくわかったつもりでも よく考えるて難しいと書いてました。
だけど、ある人の『そういう立場の人のことをわかろうとする気持ちが大事』だという言葉を聞いてスッキリしたそうです。
実際、体験してない人に 重い話をしても わかろうともしないし 想像もしないし スルーされるだけ…
やはり 苦難を乗り越えた人にしかわからない 伝わらないモノが ありますね。
あまりにも恵まれすぎた人たちには 何も伝わらず、その人たちはとにかく 自分の事を聞いてほしい わかってほしい だけですよね。
一人でも わかってくれたら どんなに安らぐか…
一人でもわかってくれたら 本当にありがたいことですね。
今日もありがとうございます。
その時、どんなに近しくても他者のことは分からないものなのだ、だから思いを寄せなくちゃいけないんだと、思いました。