初女先生が亡くなってから、初女先生のことを
思わない日が、殆んどありません。
それは、懐かしむとかいう感情ではなく、初女先生の
言われていたこと、なさっていたことを私は
ぼんやりとしか分かっていなかったと痛感したからです。
生きていらっしゃる時は、いつでも聞けるという甘えが
あったからでしょう。
でも、お会いすると嬉しくて、ちゃんと聞いてなかったことが
亡くなってみると、ハッキリとわかってきました。
今、先生のお言葉を思い出し、先生の行動を
思い浮かべ、先生の本を読みなおしています。
いつだったか、「犠牲を伴わない奉仕はない…」という
言葉の犠牲が、自己犠牲だと思ってとても無理をして
居る人がいますと、お話しした時、「そうなのよね~」と
困った顔をされていました。
傍から見ていると先生のされていることは、大変な
自己犠牲に見えるのですが、先生は少しもそんなことは
思っていないのです。
本を読み返してみたら、「私の生き方は、人には
「犠牲」と映るかもしれません。
でも、犠牲というのは自分を苦しめることではなく
相手のために、だれでもできる一線を超えて
行動することだと思います。
自分の限界を超えた行動だからこそ、相手の魂に
響くのです。
それに、限界を一つ乗り越えるごとに、自分もまた
成長するのではないかと思っているのです。」と
書かれていました。
あ~私だったら、誰でもできる一線を乗り越えたら
自己犠牲感が、ムクムクと出てきそうです。
初女先生の行動がとてもさわやかだったのは、
自己犠牲が微塵もないからなんですね。
そして、自分がの「我」がないから、相手の心に
響くんですね。
すごいな~
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