子どもの頃、祖母が夕方になると念仏を唱えて
いたので、人は歳を取れば誰でも信仰心が出て来る
ものだと思っていましたが、母には全くないのです。
お仏壇に毎日ご飯などは供え、お線香を立てても
目に見えるものしか信じて来なかった母は、
人は死んだら骨になり、何もなくなると思って
死への恐怖が、半端ないのです。
そんな母を見ていると、少し寂しくなるのですが
そのように生きて来た母の人生だったので
仕方ありません。
生命科学者の柳澤桂子さんは、人はなぜ信仰を
求めるのか、いつか科学が証明するだろうと
言われていたので、その日を楽しみにしているの
ですが…
ここにきてベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンの
本を続けて読んだり、今は田口ランディさんの
対談集「仏教のコスモロジーを探して」を
読み始めています。
仏教が知りたいというのではなく、「内なる神」
とは何だろうという思いが、強くなってきたので…
初女さんもひとり一人の中に神様が宿っていると
言われていました。
だから自分を信じて!と言われていたのだろうと
思います。
内なる神を希求する時、そこには祈りが生まれて
来るように思うのです。
若松英輔さんが『いま、私たちに必要なのは
討論の時間ではなく静寂のときなのかも
しれません。見えないものにふれる時空を生み出し
語り得ない存在をめぐって自己との対話を深める。
そのとき人は祈りと呼ばれるものの源泉にふれる
ように思います。
祈るとは人間を超えたものに何かを頼むことでは
ありません。
彼方からの声を聞くことです。
沈黙の中に無音の声を感じとることだとも
言えるように思います』と、言われています。
初女さんには、きっとこの無音の声が聞こえて
いたのですね。
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