昨日は、Hさんお通夜に行って来ました。
不自由な体を生き抜いたHさんなのに、これほど安らかに
旅立たれた人を、私は他に知っているだろうかと、思わせるほど
静かな、穏やかなお顔でした。
斎場にはHさんの写真が何枚も飾られていました。
私は彼があまりに重い障害だったので、生まれた時からかと思って
いましたが、子供のHさんが走っている写真があり、「両足で立ち
歩いたり走ったりしていた時があったんだ」と思ったら嬉しく
なりました。
Hさんを思い出す時、いつも彼の笑顔が心を和ませてくれます。
言葉は持ってなかったけれど、誰の心の中にも優しい存在として
しっかり繋がっていました。
そして、今日は初女先生が関口教会で講演される日でした。
私はHさんへの思いもあり、教会の御ミサに行きたいと
思いました。
随分長い間、教会に行ってないし、カトリック教会のミサは
初めてだし、心細くてドキドキしながらお御堂に入りました。
お隣のシスターに丁寧に教えて頂き、礼拝することが出来ました。
息子が亡くなった後、辛い胸の内を書いて牧師先生に送った
ところ、先生は一生懸命に聖書を引用しながら、神は一人子
イエスを…と書いて来て下さったのですが、私は神がイエスを
差し出したことと、自分の息子が亡くなったことが結びつかず
それから、教会に行けなくなりました。
礼拝の後、初女先生のところへ行き、「先生、やっと教会に
来れた」と言った時、涙が溢れてしまい先生の手を握りながら
泣いてしまいました。
Hさんを思い、創を思い先生の心に支えられた今日と言う日に
感謝が溢れました。
不自由な体を生き抜いたHさんなのに、これほど安らかに
旅立たれた人を、私は他に知っているだろうかと、思わせるほど
静かな、穏やかなお顔でした。
斎場にはHさんの写真が何枚も飾られていました。
私は彼があまりに重い障害だったので、生まれた時からかと思って
いましたが、子供のHさんが走っている写真があり、「両足で立ち
歩いたり走ったりしていた時があったんだ」と思ったら嬉しく
なりました。
Hさんを思い出す時、いつも彼の笑顔が心を和ませてくれます。
言葉は持ってなかったけれど、誰の心の中にも優しい存在として
しっかり繋がっていました。
そして、今日は初女先生が関口教会で講演される日でした。
私はHさんへの思いもあり、教会の御ミサに行きたいと
思いました。
随分長い間、教会に行ってないし、カトリック教会のミサは
初めてだし、心細くてドキドキしながらお御堂に入りました。
お隣のシスターに丁寧に教えて頂き、礼拝することが出来ました。
息子が亡くなった後、辛い胸の内を書いて牧師先生に送った
ところ、先生は一生懸命に聖書を引用しながら、神は一人子
イエスを…と書いて来て下さったのですが、私は神がイエスを
差し出したことと、自分の息子が亡くなったことが結びつかず
それから、教会に行けなくなりました。
礼拝の後、初女先生のところへ行き、「先生、やっと教会に
来れた」と言った時、涙が溢れてしまい先生の手を握りながら
泣いてしまいました。
Hさんを思い、創を思い先生の心に支えられた今日と言う日に
感謝が溢れました。
いつか必ず私たちも旅立つ日がくるんですよね~穏やかな笑顔で帰れるように精一杯生きたいです。今日も心に響くブログをありがとうございます。
Hさんを想う時、みんなが優しい心になれるんです。これってすごいですよね!
私も、こんなふうに旅立ちたいです。