先日、「亡くなったお子さん、今生きてれば何歳ですか」と聞かれ、
「24歳かな…25歳かな…」と、はっきり答えられない自分が
いました。
何年たっても、息子は私の中で13歳のままなのです。
息子のお友達が来ると、あーこんなに大きくなっているんだと
思うのですが亡くなった子供に、歳を重ねることは
最初の2~3年はしてたと思うのですが、いつの頃からか
しなくなっていました。
13歳の創は、20歳に弟にとって今でも兄として心の支えに
なっているのです。
実年齢の時間は止まっても、創の魂の年齢は高くなっているような
気がするのです。
私と同じ様に突然息子さんを亡くされたkさんと話していた時に
「子供が亡くなって、ものすごく悲しかったけれど、
でも、不幸じゃなかったよね」と、二人で同じことを言ったの
です。
周囲から、貴方ほど不幸な人はいないという目で見られ、
母は、「お前より不幸な人は沢山いる」と、新聞の切り抜きを
持ってきたりしました。
毎日、泣いても泣いても涙が枯れることはなく、人間の体は
60%が水分であるということを納得したけれど…
でも、不幸とは思わなかったのです。
Kさんと、これは体験した人でなければ解らない
ことだろうねと、意見が一致しました。
悲しみイコール不幸ではない、これが人間の複雑な
ところであり、深いところなのかもしれません。
ただ、どんな状況の中でも何処かに光が射していて
それに気がつけるかどうかで、人は希望や幸せを
見出せるのかなーと、思います。
あの悲しみの中で「悲しいけれど不幸ではない」と
思えたのは、支えられている心からの愛を感じて
いたからだと思います。
本当に「ありがとう」無しには、生きていけないなぁ…
「24歳かな…25歳かな…」と、はっきり答えられない自分が
いました。
何年たっても、息子は私の中で13歳のままなのです。
息子のお友達が来ると、あーこんなに大きくなっているんだと
思うのですが亡くなった子供に、歳を重ねることは
最初の2~3年はしてたと思うのですが、いつの頃からか
しなくなっていました。
13歳の創は、20歳に弟にとって今でも兄として心の支えに
なっているのです。
実年齢の時間は止まっても、創の魂の年齢は高くなっているような
気がするのです。
私と同じ様に突然息子さんを亡くされたkさんと話していた時に
「子供が亡くなって、ものすごく悲しかったけれど、
でも、不幸じゃなかったよね」と、二人で同じことを言ったの
です。
周囲から、貴方ほど不幸な人はいないという目で見られ、
母は、「お前より不幸な人は沢山いる」と、新聞の切り抜きを
持ってきたりしました。
毎日、泣いても泣いても涙が枯れることはなく、人間の体は
60%が水分であるということを納得したけれど…
でも、不幸とは思わなかったのです。
Kさんと、これは体験した人でなければ解らない
ことだろうねと、意見が一致しました。
悲しみイコール不幸ではない、これが人間の複雑な
ところであり、深いところなのかもしれません。
ただ、どんな状況の中でも何処かに光が射していて
それに気がつけるかどうかで、人は希望や幸せを
見出せるのかなーと、思います。
あの悲しみの中で「悲しいけれど不幸ではない」と
思えたのは、支えられている心からの愛を感じて
いたからだと思います。
本当に「ありがとう」無しには、生きていけないなぁ…