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フラワーデモが紡いだ「#WithYou」の輪。被害者は立ち上がった、司法は応えられるか

2020年03月13日 | 社会・経済

ハフポスト 2020年03月10日 

3月8日の国際女性デー。性暴力に抗議するフラワーデモが、全国各地で開かれました。

Aya Ikuta / HuffPost Japan参加者は、ミモザの花や「#MeToo」「#WithYou」などと書かれたプラカードを手に持った。

「みなさんが上げた声が、沈黙の闇を切り裂き、社会を変えています。私たちの言葉こそ灯火であり、暗闇を切り裂く松明なのです」
「しかし光が当たっていない部分はあまりにも多く、多くの被害者が暗闇の中で苦しんでいます」

Aya Ikuta / HuffPost Japan東京駅周辺に集まった参加者たち

3月8日の国際女性デーに、思い思いの花を手に集まり、性暴力に抗議するフラワーデモが全国各地で開かれた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、東京都内ではオンライン開催となり、東京駅舎を背景に作家の北原みのりさんらがスピーチを行い、約6000人の視聴者がこれを見守った。
冒頭のスピーチを行なったのは、性暴力被害の当事者団体「Spring(スプリング)」代表理事の山本潤さん。同意のない性行為を罪に問えるよう、刑法の改正を訴えて活動を続けてきた。 

Aya Ikuta / HuffPost Japan山本潤さん(右から2番目)
 
「なぜこんなに難しいのか」
スピーチはこう続く。
「私たちはいつまで加害者を裁判に向かわせずその責任を問うことすらできない社会で暮らさないといけないのでしょうか」
「私たちは、どこにいても、誰といても、性的な安全と自由が侵されることなく安心して生きる権利を持っているのではないでしょうか。でも、残念ながらこの日本で、それは保障されていません」
「同意のない性行を性犯罪にするというのが、なぜにこんなに難しいのか」

Kasane Nakamura / HuffPost Japan

相次いだ無罪判決「何かせずにはいられない」
フラワーデモは、Twitterのこんな投稿から始まった。
『#WithYou の気持ちを込め花を持って集まりましょう!好きな花でも、花柄の何かでも。声をあげなくてもOKです。現状を変えるため、集まって抗議の気持ちを示すことから始めませんか』
きっかけは、2019年3月に相次いだ4件の性暴力事件の無罪判決。
中でも、中学生の頃から実の父親からの同意のない性行為を強いられていたと認めながら、「抗拒不能」な状態だったと認定するには「合理的な疑いが残る」とした名古屋地裁岡崎支部の無罪判決(2019年3月26日)は社会を驚かせ、大きな議論を呼んでいた。
4月11日、花冷えのする東京で開かれた初めてのフラワーデモは、呼びかけ人でフェミニズム専門の出版社「エトセトラブックス」の松尾亜紀子さんのこんな言葉から始まった。
「何かせずにはいられないので、今日ここから始めていきたい」

Aya Ikuta / HuffPost Japan
 
「被害者は語れない、とされてきたけれど…」
以来、毎月11日に日本各地の街頭に広がっていった静かな優しい連帯の場。12回目の節目を迎える3月は、8日の国際女性デーに合わせ、初めて47都道府県すべてでフラワーデモが行われる予定だった。
新型コロナウイルスの感染拡大で実現はかなわなくなったが、街頭で、オンラインで、Twitterで……さまざまなかたちで1年をかけて紡いできた「#WithYou」の輪が広がった。

 
Aya Ikuta / HuffPost Japan

呼びかけ人の1人、作家の北原みのりさんは、スピーチの中で1年前のデモをこう振り返った。
「その晩、500人以上の方々が花を持って集まって、その輪がどんどんどんどん膨らんでいきました。まだフラワーデモという名前も付けていなかった。そこで始まったのは、みなさんが自らの痛みの過去を語り出したことだったんですね」
「私は本当に驚きました。これまで、被害者は語れない、とされてきたけれど、『WithYou』という気持ちがあれば、あなたの声を信じますという声があれば、語れるのかもしれない。私たちに足りなかったのは、安心できる空気だったのではないかと気付かされました」

Aya Ikuta / HuffPost Japan北原みのりさん(左から2番目)
 
2020年、刑法の見直しは実現するか?
フラワーデモがつないできた性暴力の被害者たちの声。「性暴力や性差別を許さない」という意思に、司法はこたえられるだろうか。
2020年2月には、1年前に下された4件の無罪判決の1件、福岡の準強姦事件が福岡高裁で逆転有罪となった。
3月12日には、名古屋高裁で実の娘への性暴力について無罪となった岡崎支部の控訴審判決公判が開かれる。

Kasane Nakamura / HuffPost Japan

2017年6月に行われた刑法改正では、110年ぶりに性犯罪が厳罰化され、被害対象が男性も含まれるようになったり、親告罪が廃止されたりした。
だが、「被害者の反抗を著しく困難にする程度の暴行や脅迫」がなければ罪に問えないという「暴行・脅迫」要件は依然残ったまま。性暴力の被害者支援団体などが改正案のたたき台も作っている。
一方、附則には、「性犯罪の被害の実情や改正後の状況を見ながら、必要があれば見直しを検討する」と記されている。その見直し始まる目処とされているのが、2020年の今年だ。
 北原みのりさんのスピーチは、こう締めくくられた。
「性暴力との戦いは、長い歴史があります。その歴史の中にフラワーデモがあり、この1年間かけて47の都道府県全ての土地で女性たちが横につながり、各地で様々な世代を超えて女性たちがつながってきた」
「今日は、区切りだけど、終わりではないです。今度は、社会が変わっていく番だ。だからこそこれで終わりではなく、新しいきっかけになるような、そういうことをみんなでしていきたいと思います」

Kasane Nakamura / HuffPost Japan

⁂  ⁂  ⁂

父親は逆転有罪 被害実態に沿う判断だ

  東京新聞社説2020年3月13日
 
 当時十九歳の実の娘への準強制性交罪に問われた父親に名古屋高裁は実刑を言い渡した。無罪の一審判決は抗議デモを呼んだ。被害実態に沿う判断を機に、性犯罪への司法のあり方を深く考えたい。
 怒りをおぼえる事件である。一審・名古屋地裁支部判決は娘が中学生当時から父親は性的虐待を繰り返していたが「性交の強要を拒めた時期もあった」として「抵抗が極めて困難な『抗拒(こうきょ)不能』(同罪の構成要件)に当たるとまではいえない」と無罪とした。
 これを含めて性暴力への無罪判決が昨年三月だけで全国の地裁で四件連続。抗議の「フラワーデモ」が同年四月に東京で始まった。今では名古屋など全国で、毎月、デモ行進が行われている。参加者は「不当な判決で被害者が泣かなくて済むように」と訴える。
 二審・名古屋高裁は娘が「抗拒不能」だったかが争点。一審判決後に娘を鑑定した精神科医が検察側証人として「長年の性的虐待で娘は抵抗意欲を失っていた」と証言した。娘は医師に「ペットのように扱われた」と話したという。
 判決で名古屋高裁は「抗拒不能」を認めた。一審判決を「抵抗が著しく困難だったことへの合理的疑いを検討していない」「事件は実子への性的虐待だという実態を十分に評価していない」と批判して無罪を破棄。求刑通り懲役十年の実刑を言い渡した。
 刑法の性犯罪規定は二〇一七年に大幅な改正があったものの、裁判官の心証で認定が左右されやすい「抗拒不能」は、準強制性交罪成立の要件として残った。専門家によると、恐怖を植え付けられた被害者は、加害者に迎合するような態度を取り、抵抗していないように見える場合がある。受け入れられない現実に接し、感情や感覚を体から切り離す「解離」の状態になる場合もあるという。
 性犯罪の審理では、裁判官ら法律家が、被害者と加害者の心理的な関係性などを十分に理解していないケースがあると指摘される。それゆえ、一七年の刑法改正では、裁判官らに性犯罪被害者の心理についての研修を行う、と国会で付帯決議されたが、実施率は低い。
 刑法自体も、そうした実態を反映していないとの批判があり、同年の改正では「三年後(今年)をめどに、実態に即した対処を行うための施策の在り方について検討を加える」と付則で述べ、見直しも示唆している。ぜひとも、迅速な議論を期待したい。


仁藤夢乃“ここがおかしい”第36回新型ウイルス感染症の影響で広まる不安、混乱はどこからくるのか?

2020年03月13日 | 社会・経済

  Imidas 連載コラム2020/03/11

    この1カ月半ほど、新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で社会が大混乱している。安倍晋三首相は「先手先手な対策が必要」「必要な対策を躊躇なくしてきた」といったようなことを口では言うけれど、実際には後手後手の対応が続いている。
 2020年2月29日にやっと首相会見を開いたが、初動の遅れにより新型ウイルスが広まるのを抑え切れなかったこと、横浜港大黒埠頭に停泊していた大型客船ダイヤモンドプリンセス号での感染拡大を防げなかったことなど、これまでの水際対策について反省の姿勢は見られなかった。それどころか、記者とのやりとりも事前に通告された質問に対して、事務方が用意した回答原稿を読み上げる形でしか行われなかった。
 記者会見というよりも、私には下手な「劇」を見せられているかのようだった。

広がる排除と差別ムード
 新型ウイルス感染症への不安が大きくなるにつれ、人々の間では差別や排除の雰囲気も高まっている。
 例えば、日本人を含むアジア系住民に対する人種差別は、世界各地で広がっている。ヨーロッパで最初に新型コロナウイルスの感染が確認されたフランスでは、ツイッターに「#私はウイルスじゃない」というハッシュタグも作られた。イギリスではアジアにルーツのある男性が、「ウイルスを持ち込むな」と路上で殴られる事件が起きた。
 同じようなことが各地で起こっているが、いかなる理由でも差別が正当化されることはあってはならない。しかし、こうした差別に明確に反対する首相やリーダーは多くない。
 日本でも、SNS上だけでなく、日常生活の中で中国の人々に対する差別的な言葉を聞くことが増えた。町の飲食店が「中国人の入店お断り」という貼り紙をしたり、そのような行為に同調する声が上がったりもしている。そんな中、先日訪れた東京・新大久保では、中華料理店の店先に「武漢加油(がんばれ)! 中国加油!」と大書されていて、日本にいる中国の人々は今、どんな気持ちで過ごしているのだろうと考えた。
 電車内でせき込んだ人やマスクをしていなかった人が、周囲の乗客から攻撃される事件も増えている。最近では、「ぜんそくがあります」「花粉症です」「このせきはうつりません」と書かれたバッジが売れているそうだ。が、プライベートなことまで明かして「私は違う」「私のせきは大丈夫」と表明しなければならない状況、そして、それを表明しない人たちへのさらなる攻撃や影響についても考えざるを得ない。
 差別や混乱を生まない、広めないためには、私たち市民一人ひとりが正しい情報に基づいて判断し、「差別はいけない」と表明したり、正しい情報を拡散したりすることが必要だ。しかし健康への不安が広がる中で、何が本当の情報なのか、どう判断したらいいのか分からなくなっている人は少なくない感じがする。

突然の休校要請による影響
 そんな中、2月27日に安倍首相が突然、全国の小中高校に「休校要請」を出したことから社会は更に混乱した。「来週から、子どもをどこに預けたらいいのか」「仕事に行けなくなるかもしれない」と多くの親たち、学校、自治体も慌てた。共働き家庭や一人親家庭では子どもの預け先が見つからず、仕事に行けずに収入が減る世帯が数多く出るだろうし、現に北海道の病院では子どものいる看護師約170名が出勤できなくなり、運営に影響する事態となっている。
 さらに今回の休校要請は、子どもがいない人の生活にも影響を及ぼしている。人手不足になった職場で、過剰労働を強いられることになった人も少なくない。私の知人の10代女性は、勤め先のアパレル店が人手不足で営業時間を短縮せざるを得なくなり、シフトを減らされて生活が成り立たなくなると困っている。
 今回の突然の休校要請を安倍首相は周囲にもほとんど相談せず、自民党内から反対や懸念の声が出たにもかかわらず決めてしまったという(東京新聞「〈新型コロナ〉首相、異論押し切り独断 一斉休校要請、決定の裏側 」)。その後の対応からも、休校要請を発表した時点では、家庭や子どもたち、社会への影響を考えていなかったと思わざるを得ない。
 政府は休業補償について検討すると言っているが、その内容は「子どもがいる正規、非正規社員が有給休暇を使って休みを取得した場合に、企業に支払われる」というのもで、フリーランスの人や、子どもがいないけれど臨時休校の影響によって仕事がなくなった人たちにどう対応するのかは明らかにされていない 。また売り上げが急減した中小企業には、「補償」ではなく借入金を100%「保証」するとした 。

弱者にしわ寄せがいく対策
 私は、1日の食事を学校給食に頼って生活している困窮家庭の子どもたちもたくさん知っているので、学校がない間のそうした子どもたちのことも心配せずにいられない。学校施設を開放し、給食も提供すると決めた自治体もあるがごく一部だ。
大阪府内の学校に勤めるスクールソーシャルワーカーからの情報によると、臨時休校中は学校を全面的に閉鎖すると決めたある自治体では、その間にスクールソーシャルワーカーが子どもや保護者と面談したり、家庭訪問したりすることもできなくなったそうだ。彼らは子どもたちが抱える悩みやさまざまな問題に関わる専門職で、こういう時こそ彼らの力が必要だ。しかし自治体によっては、虐待、生活困窮、いじめ、不登校などの困難を抱える子どもや、行き場に困った子どもの見守りすらできなくなっている。
 このように市民の暮らし、生活への影響にどう対応するのかが示されず、弱い立場にある人にしわ寄せがいく政府の対応にますます不安がますます広がっている。
 私が代表を務めるColabo(コラボ)でも、夜の渋谷と新宿で定期的に開催している10代無料のバスカフェの開催を一時見合わせた。しかし、こういう非常時こそ支援が必要であると考えて再開を決め、開催時間を延ばしたり開催日を増やす方向で行政と調整中だ。
 災害などの非常時には、子どもや女性への性犯罪が増えることが知られているが、特に今回は大人の見守りが手薄になった子どもたちが大勢いるので心配だ。学校が一斉に臨時休校に突入するや、街中には中高生たちが溢れ始めた。突然やることがなくなり、ふらふらしている。大人が作った状況がそうさせている。小学生も朝から広場や公園、スーパーの店先などで所在なさげにしている様子が見られる。
 そうした子どもたちには「外に出るな!」と言うのではなく、安全に過ごせる場所を確保するべきだ。地域での見守りも強化してほしい。

デマや混乱が広がっていく
 非常時にはデマも横行しやすい。
 2月27日頃からはSNSを中心に「新型コロナウイルスの影響で中国の生産工場が止まり、トイレットペーパーが輸入されなくなる」「原材料がマスクの製造に回されるためトイレットペーパーが不足する」などのデマが流れた。実際には、トイレットペーパーなど紙製品の多くは日本製で、在庫は十分にあるのだが、デマを信じた人や、そういう人たちの買い占めによって在庫がなくなることを危惧した人の買い込みで、トイレットペーパーや生理用品などの紙製品が日本中の店から消えた。
 Colaboが運営しているシェルターでも、トイレットペーパーがなくなった部屋の子が何軒も店を探し回った挙句、買えなくて途方に暮れたり、胃腸炎になった子がトイレを我慢したり、身近なところに影響が出た。
必要な時に必要な量だけをそれぞれが買えば、みんなに行き渡るのに、焦った一部の人たちの行動が更なる混乱を呼んでしまった。
 今も続いているマスクやアルコール消毒液の不足や、学校給食の中止を受けてスーパーの食品が一時品薄になったのも、膨らんだ不安が影響して起きたのではないか。私が関わる10代の子たちも、自分や周りの人が体調が悪いと分かると、すぐに「コロナではないか? 命に関わるのでは?」と慌ててしまうことがある。
 私たち一人ひとりが、デマに躍らされないよう普段から情報源を確認することは大事だが、今回は政府が十分なリーダーシップをとれないでいることや、場当たり的な自粛や休校の要請等に振り回され、いつまでこの生活が続くのか分からないことへの不安の影響も否定できない。

政府への不信感が不安を増長
 私は、今回の社会的混乱は新型ウイルスによるものではなく、為政者による「人災」であるとも感じている。政府は「責任をとる」と言っているが、どのように市民の生活を保障するのか、具体的な対策、責任のとり方を示してもらえないと安心できないし、信用できない。その不信感から、ますます不安が大きくなって、私たちの生活に影響をもたらしている。
 休校要請によって高校最後の時間を奪われてしまった一人で、Colaboのシェアハウスで暮らす子が、卒業式前最後の登校日となった日の学校の友だちや先生、クラスの様子を話してくれた。先生も涙目になりながら、突然の終わりを生徒たちに告げていたこと、午後の授業が急きょ変更になり、卒業式や壮行会で歌う予定だった歌を先生たちの前でだけ発表したこと、高校生活が終わったと言われてもまだ実感が湧かないという。
 彼女は、「休校するにしても、もっと早く言ってほしかった。金曜日、今日で最後と言われた時のことは一生忘れられないと思う。まだ、現実のものとして受け止め切れない」と、早めにもらうことになった卒業文集を見せてくれた。
 今は、春からの新生活や就職に向けても大切な時期であるし、まだ就職や進路が決まっていない生徒への支援も必要だが、生徒たちのケアをしたくてもできない状況の学校もある。
 新型ウイルスへの対策は大切だが、私は感染の恐怖以上に、市民生活への影響を想像し切れていない政権の対応に危機感を持っている。私たちの生活についてあまりにも知らない、想像できない人たちが政治を担い、私たちの生活を左右する権限を持っている。この混乱を生み続けている政府の責任は大きい。

落ち着いて冷静な判断を!
 そして、この混乱に乗じて「憲法を改正し、緊急事態条項が必要だ」と、言い始める議員もいる。政府が緊急事態を宣言すれば、国会での審議を行わずに法律を作ったり、国民の権利を制限したりすることができるという大きな権力を政府に与えるというものだ。
 しかし、そうした政治家たちを選挙で選んだのは私たちだ。今回の休校要請で、政治を自分ごとだと気づいた人たちも少なくないだろう。次の選挙では、私たちの暮らし、生活の実態を踏まえた判断をし、誠実で、隠ぺいや改ざんはせずに責任をとる、開かれた政治のできる人たちが多く選ばれてほしい。
 また今回、見えない不安によって私たち人間はこれだけ混乱してしまうのだということも突き付けられた。こういう時だからこそ、冷静に、落ち着いて情報を判断することが大切だ。不安になっている子どもたちや、弱い立場に置かれた人が周りにいたら、声を掛け、正しい情報を分かるように伝えてほしい。もし学校が休みになった影響で、食べるものや居場所に困っている子どもがいたら、児童相談所や支援団体、地域の民生・児童委員の方などに積極的に連絡して状況を伝えてほしい。
 決して弱い立場の人にしわ寄せがいかないように。「この危機を乗り越えましょう」などと呼び掛ける人もいるが、もともと苦しい生活を強いられ、耐えている人たちに、更に負担がいくことになってはいけない。こういう時だからこそ、使える支援や制度は積極的に活用していくことが大切だ。もしも新型コロナの影響で生活に困ったら、積極的に生活保護を利用してほしい。ためらわず行政に相談してほしい。
 今の日本のリーダーは、何が必要か分かっていない。だからこそ、私たち一人ひとりが「困っている」「こんな支援が必要だ」と我慢をせずに声を上げなければならない。この危機的な状況を耐え忍ぶことよりも、皆が自分ごととして声を上げ、政治を変え、市民の手に取り戻していくことが必要だ。

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個別性なき政策対応を断罪すべし

  浜矩子(同志社大学大学院ビジネス研究科教授)
 Imidas連載コラム 経済万華鏡 2020/03/11

 政策というものには個別性が肝心だ。新型コロナウイルスへの日本政府の対応を見ていて、つくづくそう思います。
 小中高校への全国一斉休校要請。全国的非常事態宣言への道を開くための新型インフルエンザ等対策特別措置法改正提案。バッサリ、バッサリ。ズンズン、ドンドン。個別事情への配慮がおよそ皆無のまま、丸ごと主義の政策方針が打ち出されていきます。
「やってる感」をアピールすることばかりに神経が集中している。今、どこで何が求められているのか。何が最もやるべきことで、何をしてはいけないのか。これらのことをきめ細かく仕分けして、個別対応していこうとする構えが全く見受けられません。

 こうした政策姿勢は、今回のコロナ問題に限ったことではありません。安倍政権のやり方は、いつでも、何についても、この調子です。消費税増税分の使い道として、突然、打ち出された教育無償化についてもそうでした。
 今、教育に求められているのは、本当にバッサリした無償化政策なのか。幼稚園や保育園の現場が必要としているのは、人手不足の解消であり、職員の待遇改善ではないのか。地域別に見れば、それぞれ異なる事情や要請があるはずです。十把ひとからげに料金をただにすればいいというものではないでしょう。
 派手で目立ちさえすればいい。得点稼ぎにつながりさえすればいい。支持率アップをもたらしてくれさえすればいい。何もしてないじゃないかと言われるのが一番怖い。減点されるのは嫌だ。加点につながりそうなことなら何でもやる。地味に地道に丹念に、個別事情を調べ上げて的確に対応するなどというのは、面倒臭くて性に合わない。大胆に大英断を下している感じを出したい。彼らは、こんなことしか考えていないようです。

 大型さばかりが指向されて、個別性がどんどん切り捨てられていく。今の政策環境はもっぱらこの感じです。これはとてもまずいことです。政策が個別性への敏感さを失って、「一斉」とか「一括」とか「全国」ばかりを追い求めるようになると、一斉に一括して全国的にとんでもなく間違った方向に追いやられてしまう危険があります。コロナ対策で、大型クルーズ船の乗客乗員を、長期に渡って全員船内に足止めしたのが、この問題の典型事例だったと言えるでしょう。
 どうしてこういうことになるのでしょうか。それは、政策責任者たちが世のため人のために政策に取り組んでいないからです。今の彼らは、自分たちのために政策を行っている。自分たちがどう評価されるかということしか、考えていない。だから、減点を恐れ、加点にこだわり、目立つことばかりに飛びついていく。
 人命と人権が危機にさらされている今、こんな集団が政策責任を担っているというのは、実に恐ろしいことです。彼らの言動を厳しく注視していかなければなりません。