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都心上空を通過する羽田新ルート 80代に蘇る空襲のトラウマ

2020年03月02日 | 社会・経済

BLOGOS  2020年03月02日 
  毒蝮三太夫
共同通信社

   2月の頭から、東京の上空をやたら飛行機が飛んでるよな。ついさっき通過したと思ったらまた次のが飛んできてさ、新宿とか渋谷あたりの空を山手線ぐらいの間隔で次々に通過していくんだ。おれさ、目黒にあるスポーツクラブに毎週通ってるんだけど、そこで会う顔見知りも目黒の上空をしょっちゅう飛行機が飛んでいくって気にしてたよ。東京の空が何か変な感じだって。

経済効果は年間6500億円 訪日客増やす戦略

    あれ、羽田空港の発着便を増やそうって話なんだろ。詳しいことどうなってんだ編集部? なになに、羽田の国際線の発着便をこれまでの湾岸ルートだけでなく、都心上空を通過するルートも取り入れることで、フライト数を現在の年間6万回から9万9千回に増やす計画だと。現在その試験飛行をしていて、新ルートの運用は3月29日からだと。海外からの旅行客を増やして経済効果を高めようと。ちなみに経済効果は年間約6500億円を見込んでる・・・。
    なるほど、要するに外国人観光客からもっと「金」を引っ張ろうって目論見か。で、航空ルートのルールを変更して金に結び付けようって話だな。そこで目を付けたのが「東京の空」だった。東京の空って閑散としてて、カラス「カァー」でハト「ポッポー」ってさ、のどかだったよ。そこに旅客機がバンバンと飛び交うようになるってことだ。
    これによって東京都民は何が変わるかって、やはり騒音だよな。「ゴー」って飛行機の通過音が響くことになるよ。詳しくはどうなってる? なになに、港区、品川区、川崎市あたりがけっこうな騒音に見舞われて、羽田空港に近い大井町付近での騒音が76~80デシベル・・・掃除機の音ぐらいになるって話か。
    その町に昔から住んでたら、こうしてルールの変更が起きて、急に飛行機が通るようになってその度に掃除機ぐらいの音がするようになっちゃう・・・決していいもんじゃないよな。小さなお子さん抱えて寝かしつけたい母親だったり、病気でふせっている人には、この騒音がストレスにもなるだろうよ。

騒音に反発する人々に一言「沖縄はもっと…」

    新ルートにあたる地域では前々から反対運動も起きてたんだよな。地元の署名活動は今も続いてるんだろ。普通に考えたらほとんどみんな反対するイメージだけど、おれね、80代の人が反対の署名を断ったって話を聞いたよ。その理由がさ、「今まで飛行機に乗って空を飛んでる時には下に住んでる人達のことなんか考えてこなかった。だから、いざ自分の住む町の上空を飛行機が飛ぶことになってそれを反対するのはおかしいし身勝手だ」って話なんだ。なるほどこれ、一理あるなと思ったよ。
    まあ、思ったけれども、それは普段から飛行機をよく利用してる人の発想とも言えるよ。住民誰もが飛行機を利用しているわけではないだろうし、めったに飛行機に乗らない人もいるよ。めったに乗らないのにしょっちゅう上空を通るって、モヤモヤするよな。
    まあ、そういう住民問題を何とかしていく為に、司法や行政がこれまで積み重ねてきた基準があって、日常における騒音の許容基準ってのがあるわけだ。まず、その範囲に収まるようにするのはもちろん、騒音が急増する地域には防音サッシを提供するとか、何かしらのケアをすることが現実的な対処なのかな。
    単純な比較は出来ないけどさ、東京上空に新たに起きつつある騒音問題を思うと、沖縄の嘉手納基地とか、掃除機の音どころじゃない、もっと大きな爆音が日常化している地域のことが頭をよぎって、いたたまれない気持ちになるな。

低空飛行で80代以上は空襲のトラウマ

    しかしさ、この東京上空の飛行機、やたら低く飛んでるように見えるんだ。これって何かデータある? なになに、渋谷上空で高度750メートル、大井町で300メートルか。おれみたいに80代以上の人間はさ、飛行機の低空飛行にトラウマがあるんだ。戦時中の空襲を思い出すの。嫌なもんだよ。
    みんな映像でしか見たことないだろ。おれはこの目で、品川の空に米軍のB29が飛び交うのを見てるからさ。1945年5月の城南空襲。嫌だぞ。焼夷弾落とされるのってホント恐いぞ。空からの圧迫感みたいのがすさまじいんだよ。
    B29は爆弾を狙った所に確実に落とそうってことで、高度をグンと下げて低空飛行になるんだ。こっちからは飛行機の腹がまざまざと見えてさ、角度によっては飛行機乗りの米兵の顔が見えたんだよ。だから低空飛行する飛行機ってのはいまだに見て気持ちのいいもんじゃないんだ。
    あとね、甲子園で試合開始の時に鳴るサイレン、あれを聞くのも嫌。聞く度に空襲警報を思い出すよ。あれどうにかしてくんねえかな。大阪だって大きな空襲があったからね。甲子園でサイレンが鳴って近くを飛行機が飛んでたら、あの時代の空襲を思い出す関西の年寄りも多いんじゃないの?
    これは冗談だけど、市街地の上を低空飛行する旅客機は機体の下腹にでっかい字で「平和が一番」とか「何も落としません」とか書いといたらどうかな。見上げたときにちょっとホッとなるよ。上を向いて歩こう~、だな。永六輔さんもきっと喜んでくれるよ(笑)。

発着便増えるとCO2排出量が1.5倍以上に

    しかしそうか、羽田発着が6万回から9万9千回に増えるのか・・・。すごいな、1.5倍以上だな。あのね、いまって地球温暖化問題が切実だろ。温暖化の原因は二酸化炭素、CO2だ。石油とか石炭とか化石燃料を消費する火力発電はCO2の排出が大きいから問題視されている。ガソリンを使う車も電気で動くエコカーへの世代交代に転換し始めてる。
    そんな中で、飛行機を飛ばすためのジェット燃料って、これまたものすごく二酸化炭素を出すんだよな。羽田発着便が6万から約10万に増えるってことは、CO2排出量が1.5倍以上増えるって話だろ。
    経済効果というプラス面を訴えるのはわかるけど、これって、飛行機が増えると、ジェット燃料の消費が増えて、CO2排出量が増えて、地球温暖化が進んで、海面水温が上がって、大型台風が増えて、日本に次々に上陸して、その度に飛行機が飛ばなくなる・・・って、そういうマイナスが増加しそうだと思わないか?
    そうそう、温暖化対策を訴えるスウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんがニューヨークの国連に行くのに飛行機を使わず、大西洋をヨットで移動したのが話題になったよね。彼女はCO2を大量に排出する飛行機を使いたくないってことでヨットを使ったんだよな。
    なになに、なんだ編集部、それについては「飛び恥」って言葉がある? なんだそれ。・・・昨年頃からスウェーデンでは飛行機を使うのは地球環境に大きなダメージを与える恥ずかしいことだから、長距離移動には地球に優しい鉄道を使おうって風潮が起きて、それが欧州各国に広がってると。だからグレタさんは飛行機を使わなかったと。なるほど、飛行機を使うことは環境に対して恥ずかしい行為か。それを「飛び恥」=「フライング・シェイム」って呼んでると。ええ、なになに、何かデータがあるの?
< 乗客1人が1km移動する際の二酸化炭素排出量 >
鉄道  14g
道路 158g
航空 285g
    うーん、確かに飛行機はCO2が断トツだな。これに対して航空業界は何か対策をしてるの? え、バイオ燃料の普及拡大に取り組んでる? なになに、バイオ燃料ってのは使用済みの食用植物油から作られて、元が植物で二酸化炭素を吸収して育つから、それで出来た燃料から出る二酸化炭素は、自然界と行って来い、プラマイゼロ、地球にやさしい・・・のだと。あのさ、そのバイオ燃料って天ぷら油みたいなやつだよな。そうか、それを飛行機の燃料にしようとしてるのか。それはぜひ進めてほしいな。いずれ世界の空が天ぷらの匂いに包まれるよ。天ぷらも揚がりゃあ、飛行機も上がるって話だ、アハハハハ。

グレタさんに見せられない東京の空

AP

    おれね、飛行機に太陽光発電を活かせたらいいのにって思うんだ。地上の天気が雨でも曇りでも、フライトである程度の高さまで行って雲の上に出ちゃえば、太陽の直射日光を浴びるだろ。飛行機の羽にソーラーパネルをつけて、太陽光を電気にしながら飛べたらいいよね。電気自動車がスタンダードに向かう世の中なんだから、これだって有り得なくはないだろ。
    なになに、ソーラーではないけど動力が電気の電気飛行機は10年程前から試作されてて、昨年のパリ国際航空ショーではイスラエルの企業が9人乗りのエアバスを披露したと。これが一回の充電で1000キロの航行が可能で、世界初のフル電動旅客機だと。ほお~う、いっぺん乗ってみたいね~。CO2排出量も電気飛行機なら低く抑えられるわけだ。これなら「飛び恥」とは言われなさそうだな。
    しかし、日本が東京の上空で今やってることは「飛び恥」を増やそうってことなんだよな。ああ~、とてもじゃないけどグレタさんに今の東京の空は見せられないね。激怒されちゃうよ。もし彼女が東京に来たらさ、ずっと地下鉄に乗っててもらうしかないな(苦笑)。
(取材構成:松田健次)


 いまだ、地球を犠牲にした「経済」優先だ。それだけではない、住民をも犠牲にして、「だれのため?」。「金」に目がくらんでしまった「大人」たちよ!

 大気中の炭素は生物たちの間で循環し、また石炭や石油などとして固定され、大気中の炭素量は、ある水準を保って安定していた。しかし、産業革命以来固定されていた炭素を大量に大気中に遊離させている。したがって「化石燃料」の使用を抑えなければならない。
【有機物の燃焼(炭素を含む物質の酸化反応を含む)による排出。石炭や石油製品、天然ガス等の化石燃料の燃焼で放出される炭素は、何百万年もかけて地圏に貯蓄されたものであるが、この燃焼が、現在の大気中の二酸化炭素レベルの増加を招いている、大きな理由とされている。】(Wikipedia)


Monthly日刊ゲンダイ【2020年2月号】ゲスト・古賀茂明氏(元経産官僚)/新型コロナウイルス/最新/感染/安倍首相/東京高検検事長/定年延長/黒川

2020年03月02日 | 社会・経済

Monthly日刊ゲンダイ【2020年2月号】ゲスト・古賀茂明氏(元経産官僚)/新型コロナウイルス/最新/感染/安倍首相/東京高検検事長/定年延長/黒川 (34分)


週のはじめに考える 権力は「無罪」なのか

  東京新聞社説 2020年3月1日
 
 「権力はみずからの嘘(うそ)に囚(とら)われており、そのため、すべてを偽造しなければならない」
 はっとします。東欧・チェコの大統領だったハベルの言葉です。「ビロード革命」と呼ばれる、社会主義体制から民主化への転換で中心となった人物です。チェコ文学者の阿部賢一東京大准教授がNHK番組「100分de名著『力なき者たちの力』」で紹介しました。文章はこう続きます。
 <過去を偽造し、未来を偽造する。統計資料を偽造する。(中略)人権を尊重していると偽る。誰も迫害していないと偽る。何も恐れていないと偽る。何も偽っていないと偽る。(中略)それゆえ、嘘の中で生きる羽目になる>
◆嘘の中で生きる羽目に
 一党独裁体制を続けていた当時の権力の姿です。経済は停滞し、言論抑圧の中で国民には無気力、無関心が蔓延(まんえん)したそうです。ハベル自身、弾圧を受け、投獄された経験もあります。
 「権力はアプリオリ(先天的)に無罪である」という言葉もハベルにあります。一九八四年執筆の「政治と良心」に出ています。権力は何をしても罪に問われない-旧東欧の悲劇的な状態を指すのと同時に権力の一般論でもあるでしょう。不条理劇の劇作家でもあったハベルは鋭く権力の核心を言い当てていました。
 「嘘の中で生きる羽目になる」とは、日本の政治状況とそっくりです。東京高検検事長の定年延長問題は典型例です。検察官の定年は検察庁法が適用されるのに、国家公務員法の勤務延長の規定を用いる無理筋です。
 人事院が八一年に「検察官には国家公務員法の定年規定は適用されない」と答弁していたことが判明すると首相は唐突に「解釈を変更することにした」と。人事院は「八一年解釈は続いている」と答弁していたため、「言い間違え」と苦し紛れの状態になりました。
◆学者は「違法」と指摘
 法相も解釈変更の証明に追われます。日付などがない文書を国会に提出したり、揚げ句の果てに「口頭決裁だった」とは。国民には政権が嘘を重ねているように映っています。
 それでも「解釈変更だ」路線で突っ切るつもりでしょう。首相が「権力は先天的に無罪である」ように振る舞っているためです。
 ハベルの言葉はベルリンの壁崩壊前です。全体主義的な体制下では、権力がすべてを抑えて、自らの不届きをただす存在を許しません。嘘をつこうが罪に問われません。権力は永久にその不正をとがめられることはないのです。
 しかし、三権分立が確立した社会では、行政府の長といえど司法のチェックは受けます。検事長人事の問題は司法分野に関係します。検察は公訴を提起できる準司法機関だからです。権力が都合のいい人事でいずれ検事総長にしたら…。政治から独立した検察組織が崩れ、巨悪は立件されないでしょう。闇から闇です。
 新憲法と同じ四七年に施行された検察庁法が厳格に定年を定めたのは理由があります。「検事の権限が強大になり過ぎないか」と懸念し、検察官の身分保障を弱める意図がありました。当時の臨時法制調査会の記録にあります。
 憲法学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」では、法学的な問題点を突きました。
 (1)一般法と特別法の間に齟齬(そご)・抵触があるときは特別法が優越する。つまり国家公務員法は一般法で検察庁法は特別法だから、定年延長はできない。
 (2)検察官の人事ルールは国政上の最重要事項の一つで、国会の審議・決定を経ずに単なる閣議決定で決められない。
 (3)定年延長には「十分な理由」が必要なうえ、人事院規則は認められる場合を限定列挙している。今回の検事長のケースはどれにも当てはまらない。
 結論は「ときの政権の都合で法解釈を自由に変更しては、『法の支配』が根底から揺るがされる」「今回の閣議決定は人事院規則、国家公務員法に違反している疑いが濃い」-学者らの指摘を政権は重く受け止めるべきです。
◆多数派は万能でない
 確かに民主主義は最終的には多数派の意見がものごとを決める仕組みです。その一方で、立憲主義とは多数派でも覆せない原理を憲法に書き込み、権力を縛っています。例えば基本的人権や国民主権を多数派が奪おうとしても、奪うことができないように…。
 つまり民主的な手続きで選ばれた権力であっても、何でもできるわけではありません。万能でありえません。かつ法は何ができて何ができないか、自明でなければ意味をなしません。
 「できないこと」を一内閣の一存で「できる」に転換はできません。それを許せば「権力は無罪」どころか「有罪」になります。