里の家ファーム

すべて無農薬・無化学肥料、不耕起栽培の甘いミニトマトがメインです。完熟したミニトマトから作る無添加ジュースは逸品です。

年の終わりに考える じわじわじわじわ

2018年12月31日 | 社会・経済

東京新聞「社説」 2018年12月31日

 クリスマスまで一週間、ジングルベルに街が浮足立ったころでした。新たな防衛力整備の指針、いわゆる「防衛大綱」が閣議決定されたのは。いろいろ重いニュースも多かった一年も最終盤になって、またまた嘆息を禁じ得なかったのは、その中身です。

 ヘリ搭載型護衛艦の事実上の空母化、敵基地攻撃能力とみなされかねない長距離巡航ミサイルの配備などが盛り込まれました。改修した護衛艦には最新鋭ステルス機の搭載が想定されています。

◆戦争に近づく

 政府は、艦船には「戦闘機は常時搭載しない」から空母ではないといい、長距離巡航ミサイルもあくまで防衛のためだといいます。しかし、いずれも使い方によっては簡単に「攻撃型」に転じ得る。長く守ってきたわが国の原則、「専守防衛」が骨抜きにされていく印象が否めません。

 安倍政権は「専守防衛は逸脱しない。心配ない」と言いつつ、この国をまた少し、じわっと戦争に近づけたのではないか、と感じました。そして、思い起こせば、第二次安倍政権になってから、この「じわっ」が続いています。

 きなくさい情報が隠されてしまう面がある特定秘密保護法で、じわっ。過去の政権が「保持しているが行使できない」としてきた「集団的自衛権」を、閣議決定で「行使容認」し、じわっ。同盟国の戦争に加われるようにした安保関連法で、じわっ。反戦運動など市民の自由な行動を縛りかねない「共謀罪」法で、じわっ。そして、空母化や長距離巡航ミサイルで、また…。

 そのつど、「平和主義は堅持する。心配ない」と政権は言いながら、その実、原則を次々に変質させ、日本はじわじわじわじわと戦争へ近づいている-。そんな気がしてなりません。だから、「漸」の字が思い浮かんだのです。

 安倍晋三首相が念願とする九条に自衛隊を明記する改憲は、そのとりあえずの仕上げでしょうか。

 もし、政権が「平和主義も専守防衛の看板も下ろし、憲法九条を変え、戦争用の法整備もし、敵基地攻撃可能な軍備を強化して、いつでも戦争をできる国にします」と言ったら、どうでしょう。個々のことは「政権が『心配ない』と言うのだから」と許容した人も、考えを変えるかもしれません。

 いっぺんに大胆にことを進めるのではなく、漸進。まるで、歩哨の目を恐れる兵士の匍匐(ほふく)前進みたいに、じわじわ少しずつ…。

◆温暖化も人口減も

 この「じわじわ」というのは、本当に曲者(くせもの)です。

 話が桂馬筋に進むようですが、例えば地球温暖化。今月、温暖化防止の国際ルール・パリ協定の締約国会議で協定実施の指針が決まりましたが、世界が一枚岩で切迫感をもってこの問題に取り組む体制になったとは、言い難い。

 もし、いっぺんに五度も十度も平均気温が上がれば、さすがに「温暖化はでっち上げ」などという妄言も消えうせましょう。しかし、温暖化もじわじわ少しずつ進む。無論、まだそれで助かっているわけですが、ゆえに、真の脅威と実感しにくい面があるのは確かでしょう。

 わが国の人口減にも同じことが言える気がします。今から五十年足らず後、二〇六五年には現在より四千万人も減って八千万人台になると、ほかならぬ国が推計しているのに、まだ、政治は成長主義一辺倒。成長の限界の先、今より小ぶりな国として、それでも堂々、豊かに生き抜いていける道を模索する気概をほとんど感じません。人口も漸減、一挙にではなく、じわじわ少しずつ減っていくからでしょう。

 そういえば、私たちには、最悪のことはわが身には起こらないと考え、好ましくない兆候を過小評価する心の傾き、いわゆる「正常性バイアス」があるそうです。また、問題の当事者が多いほど、自分でなくても誰かがやるだろうと高をくくって行動しない、いわゆる「傍観者効果」も働くと、心理学は言います。

 どちらも「じわじわ」の眩惑(げんわく)力を助長しかねず、心しておきたいところです。

◆ゆで上げられないよう

 よく言われるたとえで恐縮ですが、カエルの話を思い出します。

 熱い湯にカエルを入れたら、すぐに飛び出すが、水に入れてじわじわ温度を上げていくと、そのままゆで上がってしまう-。

 来る年には、うれしい出来事も多く待っておりましょう。ただ、よくない方にじわじわ進むこともあるはず。“温度変化”に敏感でいたいものです。


 無事終えて、先ほど帰ってきました。
いろいろと考えることがありますが、今日は大晦日。
新たな年を迎える準備をしましょう。

kokiaの「infinity」を贈ります。

 KOKIA INFINITY

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沖縄県民投票 全有権者参加の道探れ

2018年12月29日 | 社会・経済

   東京新聞社説 2018年12月29日

 辺野古新基地の是非を問う沖縄県民投票を巡り、一部の市が意義を疑問視し実施を拒否・保留する事態となっている。県、市は協議を重ね全有権者参加の道を探ってほしい。分断と対立は無意味だ。

 県民投票は県民有志が約九万三千筆の有効署名を集め県に請求。県議会が条例案を可決し来年二月二十四日に行う。辺野古埋め立てを賛成、反対の二者択一で問う。

 県が経費を負担し四十一市町村に投開票を委ねる。ただ十二月議会で、米軍普天間飛行場を抱える宜野湾市など七市町が実施経費を含む予算案を否決した。

 予算は義務的経費であり、議会が否決しても市町村長が執行できる。だが、宜野湾、宮古島両市の市長は議会判断を尊重し投開票を行わない意向を示した。与那国町長は否決された予算を執行する考え。残り四市は流動的だ。

 六市には県内の約35%に当たる有権者がいる。これらの市で投票が行われないとしたら県民投票の意義は大きく損なわれる。

 新基地の是非だけでは、返還対象の普天間飛行場の扱いについて県民の意見が反映されないとの宜野湾市などの反対理由も分かる。

 しかし、知事選や国政選挙で繰り返し示された新基地反対の民意を無視し政府は今月から、埋め立ての土砂投入を強行している。

 十月の就任後、玉城デニー知事は工事を中止した上で普天間の危険性除去を含む沖縄の基地の在り方について政府に話し合いを申し入れてきた。県民の意思を確認するため、あらためて民意を問う意義は大きい。

 県民投票条例は投開票を市町村の義務としている。県は必要に応じ反対派の市長に勧告、是正要求をするが、同時に投票の狙いを粘り強く説明する必要がある。市長側も、直接民主主義の意義などを考慮し慎重に最終判断すべきだ。

 二〇一九年度の沖縄関係予算編成で、政府は使途に県の裁量権が大きい一括交付金を大幅に減額する一方、市町村に直接交付できる費用を新設した。基地建設に従順な市町村を、県を飛び越え「一本釣り」するつもりなのかと疑う。県民投票を巡る対立まで沖縄分断策に利用されるとしたら、残念極まりない。

 辺野古埋め立てについては、県民投票の実施まで中止を求める米大統領あて嘆願サイトへの署名がきのう現在十七万筆に迫るなど世界が注目する。基地負担軽減に沖縄が一丸となって対応することに、私たちも支援を惜しむまい。

12/28/18 金子勝

 


  昨夜従兄弟がなくなったとの訃報が飛び込んだ。年内、何とか持ちこたえることができるかと思っていたが残念。両親より先に逝くことになるかもしれないと気にしていた。明日、旭川での通夜のため更新できません。

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2018年を振り返る

2018年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

   大雪に見舞われたこの年、お正月気分も抜けてきた6日、愛犬のラブラドールが死んだ。昔ウサギを飼っていた小屋と家との間に撒いた殺鼠剤だろうと思う。もう5年以上も前のことで、すっかり忘れていた。埋葬するために2mの雪を掘った。この日も雪が猛烈に降っていた。さらに土を70㎝ほど掘った。大きなずうたいに見合った穴を掘るのは大変だった。もっと深くしたかったが限界だった。さらにここまで抱えてくるのが大変だった。深雪でソリなんか役に立たない。何度も抱えたまま雪の中へ倒れこんだ。

 

 体力的にはまだかなり不安が残っていた。腰痛はかなり良くなり、ほぼ日常の生活には支障がない。しかし、このころからひざに痛みを感じるようになった。さらには原因がわからない38度を超える高熱が時たま出るようになった。

 雪解けを前に始まる農作業。ハウスパイプを新たに建てるのに思わぬ時間がかかってしまった。自分で立てた苗も老化気味になってしまい、捨てた苗もかなりの数になった。まだ土づくりができていない状況で病害虫も出て、味も満足できるようなものではなかった。

二人の息子が共同で内輪だけの結婚報告会。子育て卒業。

 

夏の初めころ、ホルモン療法も必要がなくなり、体調は徐々に回復傾向。ひざの痛みもなくなった。気持ちもかなり前向きに明るくなってきたと感じる。

 

大地震による被害と二次被害。そして次々にやってくる台風。

 わたしのところは地震の被害もなかったし、ブラックアウトの影響はその日のうちに解消されたので被害はなかった。ただ台風による強風と洪水で作物の半分近くが被害を被った。

 

「みなさまのNHK」受信契約解除

ジデジ対応のため建てられたアンテナ支柱。11mの高さのところのアンテナが設置されています。ここは豪雪地帯、「数年で壊れてしまうよ」と申し上げたのだが聞く耳持たず。設置時の確認事項に「メンテナンスはお客様が行うこと」との一筆がある。1回くらい雪を落としてやればそれだけで済みそうなものだが、登ってゆく手段がない。電信柱についているような足場もないのだ。これでどうメンテナンスせよと?いちいち高所作業車をチャーターしなければならない。そんな出費はできない。

 

秋・冬

10月、私より3つ年上の方が来て、「お手伝いするからここに居させてください」と願ってもないこと。話を聞けば、大家さんとは従兄弟の間柄で、子供の頃よく来て遊んだ場所だったようです。広大な「庭」の整備をしてくれてとても助かっています。それよりも、わたし一人で黙々と仕事をしているよりも、おしゃべりしながらの仕事がとても楽しいのです。おかげで順調に進み、雪解けが楽しみになっています。

 そして先日、若い夫婦が訪ねてきました。親はサラリーマンでしたが祖父が農家だったということで、農地はあるそうです。滝川で有機農業をやりたいというので、支援しつつ、関係を強めていけたらと考えています。

  少しづつ、暗い闇が除かれ、明るい日差しが差し込んできたような感じがします。新しい年に期待するところ大です。

  今年も切り貼りだらけの記事を読んでいただきありがとうございました。この間PCの調子が悪く、あまり皆さんのところへ行けませんでした。お詫びいたします。昨日新しいルーターが届いたのですが設定がうまくいかず、また元のに戻して使っています。何とか今は繋がっています。

 あと3日あります。では!

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「世界で一番新しい国」の母子(南スーダン)

2018年12月27日 | 社会・経済

国境なき医師団」看護師が出会った人々~Messages sans Frontieres ことばは国境を越えて

  Imidas連載コラム 2018/12/27

白川優子  (看護師)「国境なき医師団」

 「世界で一番新しい国」

 その言葉から、どんな国を想像するだろうか。その国は希望や平和に満ち溢れているだろうか。若々しく、大きな期待を持たれている国だろうか。テクノロジーが発展した近未来的な国だろうか?

   この地球上で一番新しい国、それは2011年にスーダン共和国から独立した「南スーダン共和国」だ。私は2014年に、この南スーダンに「国境なき医師団」(MSF)の看護師として2カ月ほど派遣された。2010年からMSFに参加し、数々の派遣地で活動してきた私は、この国に足を踏み入れた時に感じたことがある。それは、南スーダンほど国内の惨状が世界に伝わっていない国は稀なのではないだろうかということだ。私が見た「世界で一番新しい国」の実態は、残念ながら、どこよりも「暴力にまみれ、命がたくさん消える国」だった。

 争いが絶えない国

 スーダンは、19世紀から20世紀にかけ、エジプトやイギリスによって占領されていた。スーダンには、もともと南北で文化的、宗教的な地域差があった。アラブ系住民やイスラム教を信仰するアフリカ系住民が多い北部(現・スーダン)と、伝統的な宗教などを信仰するアフリカ系住民が多い南部(現・南スーダン)である。20世紀に入り、イギリスの単独統治が始まると、南北間の交流を禁止する植民地政策がとられ、本格的に分断されるようになった。南部と北部は、1956年にまとめてスーダン共和国として独立することになるのだが、その前年から対立が始まり、内戦へと発展した。これが「アフリカ最長の内戦」と呼ばれ、半世紀以上にわたって多大な犠牲を出し続けたスーダン南北間の戦争だ。この戦争は南部が独立をするという形で2011年にようやく終結し、南スーダン共和国が誕生した。

 南スーダン共和国には、そもそも平和な状態を知っている国民が少なかった。やっとのことで独立したというのに、戦争に疲弊していた国民は、今度は新国家として誕生した南スーダン国内で新たに始まった内戦に再び巻き込まれていく。建国後まもない2013年12月、首都ジュバで起こった政治的な対立による武力衝突を発端に、瞬く間に民族間の殺戮へと発展して全国に広がり、そして際限のない報復のサイクル、暴力の悪循環が始まった。それが現在も続いている。

 南スーダン北部の都市、マラカルへ

 スーダンにおけるMSFの活動歴は1983年から、と長い。活動規模の点でも、南スーダンはMSFが医療支援を展開している約70カ国の中で常時、上位3位以内にランクインしている。

 私が派遣された2014年も、ずっと以前から活動を続けていたチームに続き、いくつかの緊急チームが南スーダンの各地域に送り込まれ、外傷患者や避難民たちへの支援を始めていた。

 派遣地は、上ナイル地方のマラカルという街だった。南スーダンの北東に位置する、人口15万人規模という国内第2の都市である。13年末に首都で始まった戦闘はここマラカルにも飛び火し、先に到着したMSFのメンバーたちが市内にある政府運営の病院で被害者への対応に当たっていた。私が到着した2014年の2月という時期は実はすでに戦闘が一段落していて、私は病院支援とは別に、ボートを使ってナイル川沿いの村落の避難民を支援することになった。

 当時のマラカルの様子はというと、ついこの間まで戦闘があったという割に、破壊された跡がそこまで目立ってはいなかった。それほど激しい戦闘ではなかったのかと思ったが、実際には多くの死者を出したという。素朴な街で人々が淡々と生活している姿が印象的だった。決して賑やかと言えるほどの盛況ではなかったが、ワゴンで野菜や雑貨を売っている青空マーケットもあり、そこで売り買いする人々の日常もあった。静かで地味ではあったが、平穏でもあった。

 戦争がやってきた

 到着後まもないある日のことだった。スーダン人民解放軍(SPLA)と呼ばれる政府軍の武装車両が、突然マラカルに入り込んできた。チームリーダーのカルロスによれば、戦闘が始まる、という。マラカルの市民たちも避難を始めていた。続々とやってくる戦車や武装勢力を横目に、私たちもあわてて街の外へと脱出し、6キロほど離れた広大な国連の敷地内へと避難した。

 翌朝になってみると、大多数の市民が国連施設へと押し寄せてきていた。敷地内には立ち入れず、フェンスに沿って人々がひしめく光景は壮絶であった。

 「戦闘が始まったら、空港が封鎖されてしまうかもしれない」

   この日、カルロスが言った。彼の考えには、チームの撤退も含まれていた。ただ、ここで医療チームが全員撤退してしまったら、戦闘で犠牲になる人々はどうなってしまうのだろう……。彼はそれを踏まえた決断をした。撤退するメンバーと残るメンバーに分ける、チームの縮小だった。

   カルロスは、一人ひとりに計画を説明し、メンバーそれぞれの意志を確認した。私の番がきた。

 「今日の飛行機を逃したら、空港が閉鎖されてもう撤退できなくなってしまうかもしれない」と切り出しながら、それでも私の手術室看護師のスキルが役に立つかもしれないので、残ってくれるかと聞いてきた。私はそれに対し、何の迷いもなく残れると答えた。市民を置いて逃げるわけにはいかないという、看護師としての思いが揺らがなかったのは間違いないが、今後、空港が本当に閉鎖されてしまった後の混乱の想像がつかず、割と楽観視していたのかもしれない。

 飛行機を見送った翌日、大衝突が始まってしまった。マラカルの玄関口である空港は反政府勢力に占拠され、全てのフライトの離着陸が不可能になった。当時の南スーダンでは、全国の舗装道路を合計してもたったの60キロ程度だ。移動手段は、ナイル川沿いであればボート、他にはチャーター機しかない。空港が閉鎖されたことで、私たちは首都へと脱出できずに閉じ込められてしまった。

 この日から国連施設には、大きな爆撃音や銃撃音をバックに、血を流し傷ついた人々がどんどんやってきた。戦争というものが、日常の中に突然侵入し、人々の平穏を簡単に奪い去ってしまうものなのだと思い知らされた。

 私たちも緊急で避難してきたため、医療物資をほとんど持ち合わせていなかったが、まずは国連敷地内の空き地を使って怪我人の手当てを開始した。消毒薬とガーゼ程度しかなく、手術が必要なほどの大怪我に苦しむ多くの患者さんたちには何もしてあげることができなかった。気温50度を超える猛暑の中、血を流す市民たちのうめき声が段々と小さくなる。世界の誰も注目しない戦争の、報道されることもない暴力によって人々は亡くなっていった。私たちには彼らの身元を確認する術もない。せめてもの思いで、遺体を入れたバッグに日付と性別、推定年齢を書いた。

終わらない戦闘の中、危機が迫る

  国連施設に残ったのは、チームリーダーと医師1人、助産師1人、看護師2人に、ロジスティシャンと呼ばれる非医療系技術職のスタッフを加えた、全部で6人のチームだった。露天ではなく、せめて屋根のある場所で手当てができるよう、ロジスティシャンが他のNGOから借りてきたテントとシートを繋ぎ合わせて、“それらしい”場所を作ってくれた。薬剤も物資もなく、「診療所」と呼ぶには程遠いものだったが、それでも医療を求める患者さんに手を差し延べるための場所を作らなくては、という思いがあった。

 洗濯もできず汚れたままのMSFのTシャツを着ながら、負傷者の対応に当たった。水を与えることしかできない時もあった。治療中でも、自分たちに危険が及びそうな場合は「バンカー」と呼ばれる防空壕のような場所に逃げ込む。それが1日に何回もあった。

 命の危機が迫っていたのは、負傷者だけではなかった。あっという間に始まった戦争から逃れた市民らは、国連の敷地内の空き地に、棒切れと布切れのみで作った緊急的な住居で避難生活を始めるしかなかった。

 市民らは何とか生き延びようと、炎天下の中、倒れそうになりながらも、ひたすら重たい水を運び続ける。何かを訴えることも文句を言うこともなく、惨事を静かに受け入れているようだった。

 私はこれまで、ほかの国々で紛争地活動をする中で、被害に遭う人々の泣き叫ぶ姿や、人々が恐怖に耐えきれずに騒いで混乱する場面を幾度となく目の当たりにしてきた。それに比べると、南スーダンの人々は、不測の事態や劣悪な環境への適応力が優れている冷静な人々、と言っても良いと思う。

 しかし、栄養失調の子どもに配った食料を、やはり空腹で苦しむ親が食べてしまったり、更なる食料確保のために売ってしまったりという現実もあった。

 常に戦争に翻弄されてきた南スーダンの人々。平和を知らないというのは一体どういう気持ちなのだろうか。戦争を知らない私には理解の域を超える疑問である。

 そんな中、1週間もしないうちに、まず老人と小さな子どもたちに命の危機が襲ってきた。赤ちゃんはお母さんのおっぱいを吸う力さえなくなり、小さな命が弱っていく。私たちはとにかく薬と医療物資が欲しかった。全ては6キロ先のマラカルの病院に置いてきてしまった。

 状況はどんどん悪化し、自分たちの飲み水も底をついてしまった。戦闘が始まる前は週に一度、首都からチャーター便で送られていた食料や物資の供給は断たれ、激しい戦闘の音が続く街には戻ることもできない。この時はナイル川の水を塩素消毒して凌いだが、その川には遺体も浮いていた。長引く戦闘で増える一方の遺体は、ナイル川に流すことが、戦時下にあっては唯一の対処方法だったのかもしれない。50℃の猛暑は地面に積まれた遺体をどんどん腐らせていたのだ。そしてその猛暑を生き延びるためには、私たちもナイル川の水を飲むしかなかった。

 マラカルに戻る!

 1週間後、それまで激しく続いていた戦闘音が止んだ。そこでチームリーダーが決断を下した。マラカルの病院の様子を見にいこうと言うのだ。戦闘の音は止んだが、本当に戦争が終わったという確証などない。ただ、その日は確かに空港が解放され、国連の飛行機が飛んできていた。多くのNGOは首都に避難していったが、私たちはここでも現場に残る道を選んだ。怪我人や、暑さで弱っていく老人、栄養失調で死にゆく赤ちゃんを救うには誰かが残るしかない。そしてそれには薬剤と物資が必要だった。

 ロジスティシャン1人を国連敷地内の拠点に残し、5人で2台のランドクルーザーに分乗して出発した。MSFの活動現場において、通常は安全上の理由から、スタッフが自ら運転することは決してない。ただこの時は現地で雇用していたドライバーたちの、行方も生死も知る術がなかった。チームリーダーと、ドイツから来ていたベテランの女性看護師が運転した。

 このドライブで目の当たりにした、戦闘直後のマラカルの街の光景を、私は一生忘れない。人間の死体の山、それに群がる動物たち、破壊された建物、略奪の跡。たどりついた病院は、まるでここが戦闘の中心になっていたのではないか、と思われるほどに破壊が激しかった。小児科病棟は特にひどかった。建物が燃やされ、子どもの遺体と、ウロウロしている野良犬の姿がそこにあった。

 しかし、一番驚いたのは、その病院に生きている市民がいたことだった。私たちはこの日、重傷者を数人、国連施設まで連れ帰り、翌日からは国連にバスを借りて、何日かかけて数十人の生存者を国連の敷地に運び込んだ。

 また、意外にも、病院の物資を保管していたプレハブが無事だった。とにかく何とか物資を持ち帰った私たちは、さっそくできる処置から始めた。弱っている赤ちゃんたちの鼻からチューブを入れ、胃に直接ミルクを注入し栄養を与えた。重症の赤ちゃんはお母さんともども入院させた。母乳が出なくなっているお母さんへの栄養補給も大事な治療の一環だ。

 旗を立てる

 空港が解放されたことで、MSFの応援人員や物資も次々に到着した。一番の助け舟は、MSFの“大工”が到着したことだった。彼と、協力を申し出てくれた南スーダンの青年たちによって、首都ジュバから続々と届き始めた物資を使った大きなテント病院の建設が始まった。テント病院は、これからやってくる雨期に備えて高床式の造りとなっていた。

基本的な設備が整った時点で、空き地の仮テントから患者さんをどんどん移す。

 そして私たちはテント病院の前にMSFの大きな旗を高く掲げた。どこにこんなものがあったのかと思うような、今まで見たこともないほど大きな旗が、空に翻る。「ここで医療活動をしています」というメッセージを近隣全域に告知し、命を救う希望の場所としての活動を本格的に開始した。ここまでこぎつけるのに、戦闘開始から1カ月が経っていた。同僚の男性医師はベルトの穴を新たにあけなければいけないほどに痩せ、私は8キロも体重が減っていた。

 同時に、新たに到着した医師と看護師、ロジスティシャンたちがボートを使ってナイル川沿いのあちこちに散らばった避難民コミュニティを訪問し、その場でできる医療と併行して、重傷者・重症者をMSFのテント病院に運びいれた。その多くがやはり栄養失調の赤ちゃんだった。病院は瞬く間に栄養治療中の赤ちゃんと、そのお母さんたちでいっぱいになった。MSFではこの病院を24時間体制で運営するため、避難民の中から看護師を探し出し、チームを編成することにした。

 迷子の赤ちゃんを探して……

 ある日、小さな小さな赤ちゃんが迷子として連れてこられた。その子は脱水が顕著なしわしわの状態で、よく生きていたと思われるほどだった。戦闘からの脱出の混乱の中でお母さんとはぐれてしまったのだろうか。何万人もの市民が一気に避難するという状況では、大人同士であってもはぐれてしまうであろう。私たちは、名前も身元も分からないこの子の栄養治療に取り組んだ。

 数日後、なんとテント病院にお母さんが現れた。夜のうちに到着したようで、私が朝病院を訪れた時には、彼女は赤ちゃんを抱いてベッドでおっぱいをあげていた。赤ちゃんとはぐれ、ずっと探していた時に、人々の口伝てによってMSF病院のことを知ったのだという。

 「あの大きな旗を目指して行ってごらん」

 そこに行けば病院がある。はぐれた子どもに会えるかもしれないと聞かされ、ナイル川を渡ってきたのだった。“命を救う希望の場所があると伝えたい”。私たちが旗にこめたメッセージを、人々は確かに受け取ってくれていた。

 今まで哺乳瓶のミルクを吸う力もなかった赤ちゃんは、お母さんの腕に抱かれながら、一生懸命おっぱいを吸っていた。入院していた他の患者さんたちもその母子を囲み、微笑んでいた。

 子供の回復力は強い。特に栄養失調は、適切な治療や対処によってみるみる回復していくものだ。救えない命ももちろんあるが、この病院で栄養改善の治療をしている大半の赤ちゃんたちは、すぐに元気になって退院できる。その後成長していく中で、この子たちはどんな南スーダンを目にすることになるのだろうか。

   「世界で一番新しい国」、南スーダンの大事な将来を背負っていく、大切な未来の市民として、今はお母さんの愛情をたくさん受けて育っていってほしい。私はそう願った。


「戦争」というものをよく考えてほしい。

 クリスマスも終わり、いよいよ「年末」。江部乙での仕事も今日で打ち上げた。今年を振り返る時期が来た。まずは今年を表すわたしの漢字(感じ)を考えてみた。

「差」

「差別」、「格差」の「差」である。
「異」と「差」は何が違う?「多様性」の認識であろう。

「差別」

「ハラスメント」さらに被害者に対する2次的ハラスメントが絶望的に大きくなった。

「ヘイト」に対しては国民の機敏な反応によって、ある程度の成果を上げている。

「差別」問題は複数の閣僚、官僚たちが加わっているという深刻な事態である。「民族差別」「性差別」・・・様々な「差別」。

「あんな人たち」と「おともだち」
国家の「長」としての総理。
等しく国民の「命と財産を守」らなければならない立場の人だ。
「沖縄」への差別は最たるものだ。

「格差」はますます開きつつある。

「正規」と「非正規」の「格差」は決定的だ。
「派遣法」成立から弱まる労働者保護の精神。「働かせ方改革」によって、さらに拡大している。
「消費税増税」も格差のさらなる拡大である。「幼児教育無償化」もまた格差拡大につながる。
実質賃金の低下と内部留保・役員報酬の巨大化。

これ以上の格差拡大を食い止めたいものだ。

 

 

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雨宮処凛がゆく 第469回:2018年を振り返る

2018年12月26日 | 社会・経済

   マガジン9  https://maga9.jp/181226-2/ より

2018年12月26日

 

 2018年もあとほんの少しで終わりだ。

 前回の原稿では「#MeToo」関連のことを振り返ったわけだが、今回は2018年全体を振り返りたい。

 まず思い出すのは、オウム真理教の一連の事件によって死刑が確定していた13人への刑の執行だ。地下鉄サリン事件から実に20年以上。さまざまな謎が残されたまま、「オウムとはなんだったのか」解明されないままに、強制的に幕が引かれたような後味の悪さ。こうして事件は忘れられていくことに、なんとも言えない違和感が募る。

 そんな2018年は、「私に戦争体験を語ってくれた」人が亡くなった年でもあった。

 2月に金子兜太さんが98歳で亡くなり、11月には赤木春恵さんが94歳で亡くなった。お二人に、私は『14歳からの戦争のリアル』という本でインタビューしている。金子兜太さんへのインタビューについては、連載の439回で「金子兜太さんの訃報 24歳が体験した戦争」という原稿を書いている。

 赤木春恵さんには、「女優が見た戦争」というタイトルで、本の最終章に登場してもらっている。10代後半から20代前半という、女性がもっとも「女の子」を謳歌する季節、赤木さんは女優だったものの時代は戦争の真っ只中。取材に答えて、彼女は言った。

「楽しいことなんてひとつもなかったですね。軍事教練から神社の清掃、陸軍病院への慰問、何をとっても青春時代で楽しかったことはひとつもないんです。青春そのものがなった。楽しいこと、何があっただろうと考えても、一言もお答えすることができないんです」

 戦時中は「明日出撃する特攻隊」への慰問公演などをしていたという。しかし、空襲が激しくなり、終戦を迎える半年前に満州へ疎開。そこでも軍隊慰問の劇団に所属して女優を続けたが、満州で終戦を迎える。日本に引き揚げるまでの一年以上、赤木さんはソ連兵に怯えながら暮らし、襲われないよう、お婆さんに変装したことを語ってくれた。また、日本への引き揚げの道のりもあまりに過酷なものだった。

 赤木さんのご自宅での取材は、2時間ほどに及んだと思う。取材の最後、赤木さんは言った。

「本当は、戦争の話は苦手なんですね。だから、家族にもあまり話したくないんです。なかなか思い出しても、言えることと言えないこと、言いたくもないこと、いっぱいありますのでね。

 こうして取材して頂くと、夜になっていろいろ思い出して眠れなくなるんです。『ああ、こういうことがあった』『いや、こんなこともあった』って。でも、戦争体験者がもう少ないんですよね。特に8月になると、いろんなところから取材が来る。戦争の話は嫌だと言っても、そういう仕事がくるとまた引き受けてしまうんです」

 淡々と語る赤木さんからは、「話しておかなければ」という覚悟のようなものをひしひしと感じた。取材の日から、約3年。あの戦争を経験した人がまた一人、この世からいなくなってしまった。94歳。戦争が終わって、73年も経ったのだ。

 そんな18年で嬉しかったのは、シリアで拘束されていた安田純平さんが帰国したこと。一報を聞き、命が無事だとわかった時は飛び上りたくなるほど嬉しかった。

 そうして今年、じわじわと嬉しかったのは、韓国の大統領である文在寅氏が、私の『生きさせろ!』を読んでいると知ったこと。しかも「文在寅の書斎」という本で紹介してくれているのだ。なんと、12冊紹介しているうちの1冊目に。

 文在寅氏の自伝『運命』の解説には、そのことについて、以下のように書かれている。

「ホームレスにもならず、過労死や自死に追い込まれることもない社会を求め、『ただ生きさせろ!』という若者の叫びは、『人が先だ』という彼の哲学および新自由主義批判と重なったのだろう」

  私の本はこれまで韓国や台湾で翻訳出版されてきたのだが、もっとも多く翻訳されているのが、韓国。が、翻訳され出版されたと言っても、それが本当に韓国で読まれているのか、こっちとしてはまったくの未知数で、なんだかいつも実感がなかった。韓国から、翻訳されたハングル版の実物が届いても、「本当にこれが韓国の書店に並んでいるのか?」といつも半信半疑だったのだ。

 もちろん、「あなたの本を読んだ」という韓国の人に会ったこともある。が、「この人はわざわざ日本にやって来て私のイベントに来るくらいだからものすごく特殊なのだろう」とどこかで思っていた。そういう人が研究者だったりすることもあったので、「一般の人には届いていないのでは」という疑念があった。しかし、文在寅大統領が紹介してくれたことによって、「届いているのだ」と、やっと思えたのだ。自分の本が、言葉が、他の国の人たちに読まれ、届いているということ。国が違っても、共感できる部分は多くあるということ。そのことが、なんだかしみじみと嬉しかったのだ。

 そう思うと、自分の本が海外で出版されているなんて、本当に奇跡のようなことだと思う。なんて有難いことなんだろう、と思う。

 なぜなら、心のどこかに、自分はいまだにフリーターのままでもおかしくないという思いがあるからだ。それが、様々な偶然や、機会を与えてくれる人たちとの出会いによって文筆業を名乗れるようになり、何十冊も本を出せるという幸運に恵まれた。その幸運を、私は自分の「才能」や「努力」によるものだとはまったく思っていない。チャンスさえあれば、機会さえ与えられれば、そして誰かに信じてもらえれば、人はなんだってできると思うからだ。少なくとも、私のしていることくらいは誰だってできると思う。

 そんなふうに思うのは、チャンスも機会もまったくつかめずに何もできないまま歯噛みした時期が長かったからである。その時の私が努力していなかったわけではまったくないけれど、社会は私を使い捨て労働力としてしか必要としなかった。これがずっとずっと続いたら自分はどうなってしまうんだろう。常にそんな恐怖があった。

 そうして私は25歳で「脱フリーター」し、物書きとなったものの、周りを見渡せば、ずーっとフリーターなどの非正規のまま、機会もなく力を発揮するチャンスもなくアラフォーとなった同世代のロスジェネが少なくない。様々な才能や能力があり、特定の分野にものすごく詳しかったりトンデモない発想力の持ち主だったりするのに、それを生かす機会に恵まれない人々。そのことを思うたびに、暗澹たる気持ちに包まれる。

 そんな18年の終わりには、改正入管法が成立、外国人労働者受け入れ拡大に舵が切られた。この法改正には「拙速」という批判がある一方で、「雇用の調整弁として非正規で使い捨てられたロスジェネと同じような目に外国人があわされるのでは」という声もある。そう、外国人労働者の前に、国は自国民であるロスジェネの一部を見捨てるような仕打ちをしてきたのだ。そして今も、その層へ支援の手は差し伸べられていない。みんな存在を、そして苦境を知っているのに、「仕方なかったよね」「犠牲になったってわかってるけどどうにもならないよね」というような言葉で忘れられていくロスジェネ。そして今年も、「中年となってしまったロスジェネをなんとかしよう」という機運などはやはり、起こらなかった。だからこそ、私はこの問題にこだわっていきたい。

 さて、今年一年を振り返ったが、10年前の年末は、「年越し派遣村」が開催されていた。08年9月にリーマンショックが起き、派遣切りの嵐が吹き荒れ、全国に失業者が溢れた08年末。年の瀬に寮を追い出される人々も続出し、日比谷公園で開催された「年越し派遣村」には500人以上が集まった。連日メディアはその様子を伝え、政治家が多く派遣村を訪れ、そうして全国から莫大な寄付金が集まった年末年始。多くの人が失業からそのまま路上に行ってしまう人々の姿に心を痛め、何か自分にできることはないかと派遣村を訪れる人も多くいた。

 あれから、10年。この国は、そんな悲劇にすっかり慣れてしまったように感じる。

 10年前のように失業者が一斉にホームレス化、という現象こそないものの、今も多くの人が失業などで住む場所を失い、途方に暮れている。しかし、この社会はいつからか、一部の人がホームレス化することを「仕方ないこと」と許容してしまっている。誰かを困窮に追い込むことに加担もしないけれど助けもしない。胸は痛むけれど、「そういう時代だ」と多くの人が思っている時、社会は弱者を見捨てることを正当化する。

 そんな現実を見ていて思うのは、この10年で、この国の人々は以前よりも冷酷になったということだ。思考停止もうまくなった。どうにもならない事態を目の当たりにした時、人は思考停止するのだと、私はこの10年以上、貧困の現場から社会を見てきて痛感した。思考停止した上で、自分に都合のいいストーリーに置き換える。多くの人にとってもっとも都合がいいのはやはり「自己責任」という言葉だ。そうしてしまえば胸が痛むこともないし、自分が何かしてあげる必要もない。深く考えずに切り捨てられるので、より効率よく「心の安定」が得られるし何もしない自分も正当化される。そんな自己責任の「圧」はより強まった。

 そしてこの10年で出てきたものとしてもっとも嫌なのは「貧困叩き」だ。メディアなどに登場する困窮した人々に対して、「お前は本当に正真正銘の貧困者なのか証明してみろ、それができないなら今すぐ黙れ」というようなバッシング。同時に社会から寛容さは消え、誰かを罰する資格など誰にもないはずなのに、常に誰かが誰かを断罪している。

 10年前の派遣村の時、33歳だった私は43歳になった。同世代のロスジェネは「若者」という枠ではくくられなくなって久しい。

 文在寅氏が読んだ『生きさせろ!』のサブタイトルは「難民化する若者たち」。しかし、当初は「外国人労働者化する若者たち」という案も自分の中にあった。が、今は、外国人が「ロスジェネ化」を懸念されている。

 そんな18年の年の瀬、辺野古に土砂が投入されたニュースを前に、ただただ凍りついている。

 2019年は、人々の声が無視され踏みにじられるようなことが決して起きない年になりますように。今はただ、祈ることしかできない。

 

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今年のブラック企業大賞

2018年12月25日 | 社会・経済

財務省が「ブラック企業大賞」市民投票賞を受賞! セクハラだけじゃない、元職員が公文書改ざんを生んだブラック体質を告発

  リテラ 2018.12.24

 

   昨日、「ブラック企業大賞2018」の授賞式がおこなわれ、三菱電機が大賞に選ばれた。

 三菱電機といえば、2017年度の売上高が4兆4311億円、営業利益は3186億円と過去最高を更新する一方、長時間労働が原因で5人の男性社員が精神障害や脳疾患を発症し、うち2人が過労自殺。5人は2014〜17年に労災認定されている。まさに大賞にふさわしい「ブラック」ぶりだ。

 今年のブラック企業大賞はほかにも、「裁量労働制」が違法適用されていた野村不動産や、第三者委員会の調査により凄絶なパワハラ実態が明るみに出たスルガ銀行、「事業場外みなし労働時間制度」の違法適用や長時間残業のほか、支店長が出す「有給チャンスクイズ」に正解しないと有給がもらえないなどのパワハラが発覚したジャパンビバレッジ東京など、9社がノミネート。

しかし、なかでも注目を集めていたのは、ノミネートのなかに、あの「財務省」が入っていたこと。そして今回、一般投票で決まる「市民投票賞」に、財務省は見事(?)選ばれたのだ

 財務省が今回、ブラック企業大賞にノミネートされた理由は、今年4月に発覚した、財務省の福田淳一事務次官(当時)によるテレビ朝日女性記者へのセクハラ問題だ。

 ブラック企業大賞HPに掲載されているノミネート理由によれば、問題が「週刊新潮」(新潮社)に報じられた際、財務省トップの麻生太郎財務相が〈被害女性に名乗りでるよう促す一方で、事務次官がはめられた可能性などにも言及〉したこと、さらに〈日本には「セクハラ罪という罪はない」と発言し、セクハラを軽視する態度を崩さなかった〉〈セクハラ行為を防止することが第一であるはずなのに、「男を番記者にすればいい」などと女性記者を排除するような発言もあった〉ことを指摘。こうまとめている。

〈こうした麻生大臣の言動は、セクハラが深刻な社会問題であることの認識を欠いていると指摘せざるを得ない〉

 〈「女性活躍」を標榜する政府の中枢機関で起きたセクハラ事件に対して、その対応があまりにお粗末であったと言わざるを得ない。その悪影響は計り知れないほど大きい。そこで、民間企業ではないが特別にノミネートした〉

福田事務次官のセクハラの中身も酷いものだったが、それだけではなく、問題に厳しく対処すべき大臣が自ら“ハニートラップ”説を唱え、「男に替えればいい」と公言する…。これは「お粗末」などというレベルではなく、副総理でもある麻生財務相による「セクハラくらいでガタガタ言うな」という、全女性に対する侮蔑としか言いようがない事件だ。

 今回、市民の投票によって、この事件が「ブラック」認定を受けたことは当然であるし、あらためて注目が集まったことの意味は大きいだろう。

 だが、財務省の「ブラック」問題は、セクハラ問題にかぎらない。なかでも忘れてはならないのは、財務省による森友問題の決裁文書の改ざんをめぐって、今年3月、近畿財務局の担当職員を自殺に追い込んだ一件だ。

 自殺した近畿財務局職員が遺したメモには、「決裁文書の調書の部分が詳しすぎると言われ上司に書き直させられた」「勝手にやったのではなく財務省からの指示があった」「このままでは自分1人の責任にされてしまう」「冷たい」などという言葉が綴られていたというが、一方、職員の自殺が報じられるや否や、麻生財務相は佐川宣寿・国税庁長官を辞任させただけ。その後の内部調査結果でも佐川氏にすべての責任を押し付けながら、「3カ月の停職処分相当」として退職金から相当分を差し引くという大甘な処分に終わった。

直接、文書を改ざんするという“汚れ役”を命じられ、自らの意志に反した違法な作業を強要され、精神的にも肉体的にも追い詰められ、さらに改ざんが発覚すると財務省は近畿財務局に責任を押し付けようとした。こうして人ひとりの命を奪っておきながら、麻生財務相は何食わぬ顔で、いまだに大臣として居座りつづけているのである。

近畿財務局元職員が「何も変わっていない」「職場は真っ暗になってしまう

 しかも、だ。改ざん前の決裁文書には、籠池泰典前理事長が安倍昭恵氏と撮った写真を見せていたことが書き込まれていた。今月19日付の朝日新聞では、実名による証言をおこなった近畿財務局で国有財産の管理に携わった元職員4人は、これが不当な値引きにいたる端緒ではないかと見ている。

 「公表された記録を読むと、財務局は当初、学園側からの要求もきちっと断っているのに、このころを境に押し込まれるようになったように見える。主客が逆転し、籠池さんの方が主人公というか、強くなってしまったようだ」(喜多徹信氏)

 「この写真が出てくる事態になった時点で、本省と財務局は綿密に連絡を取り合って、学園の要求を蹴ってしまうのか、それとも最後までやり通すのかを決断したのではないか」(伊藤邦夫氏)

 “総理夫人案件”として国有地が約8億円も値引きされ、疑惑が報じられると公文書を改ざんして問題を隠蔽する。その結果、ひとりの職員が死に追い込まれた──つまり、近畿財務局職員の自殺は、財務省だけの問題ではけっしてないのだ。

 森友問題にかんして実名で証言をおこなっている理由について、元職員はこう話している。

「公務員は馬鹿正直に文書を大切にする。それなのに国会で財務省は「(学園との交渉記録が)ない」などと言い切って驚いた。大きな犠牲も出ているのに、だれもまともに責任を取っていない。このままではいけないと思った」(田中朋芳氏)

 「公文書の改ざんが発覚しても、上の人は知らん顔を決め込んで何も変わっていないように見える。この問題をないことにしてしまったら職場が真っ暗になってしまうんじゃないかと思った」(安田滋氏)

 “ブラック”な組織を変え、健全な職場や労働環境をつくっていくには、実態の告発や外部からの指摘が重要になってくる。不名誉にも一般市民の投票で「ブラック企業大賞」に選ばれた財務省の問題は、まだ膿が出きった状態ではない。このままフェードアウトさせるわけにはいかない問題だ。

(編集部)


 今朝一番で新しいルーターを注文した。27日着ということですが、果たしてルーターの交換でよくなるのかどうかわかりません。なんとか接続されるものの、頻繁に「表示できません」、「応答がありません」の表示が現れる。スピードも極めて遅い。you tubeの2分の動画を見るのに7分もかかる。
  NTTに電話した時、「ひかり」にしませんか?と言われたので「ぜひお願いします」と言ったのだが、案の定先ほど「お断り」の電話が入った。
調べると光回線は隣の空き家まで伸びていた。あと200mなのに。こんな電波事情の悪い場所こそ「光」が必要なのだ。

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「保育園無償化」より「みんな入園」-どこに視点を置こう・・・?

2018年12月24日 | 社会・経済

12/21/18 大竹まこと

 

昨年の記事ですが。

「保育園無償化」より「みんな入園」 署名の保護者要望

   東京新聞 2017年12月25日 朝刊

  保護者らでつくるグループ「希望するみんなが保育園に入れる社会をめざす会」(東京都)が十一月に集めた三万人余の署名のうち、自由記入欄に二千百五十二人が意見を書き込んだことが、自民党のまとめで分かった。保育所の増加など量と質の優先を求める声が多かった。待機児童解消や保育士の確保など具体的な要望内容の記入も目立ち、関心の高さを示した。 (坂田奈央)

 主な意見は「まずは待機児童の解消を」「無償化に充てる費用を保育所の建設費にして」「働いてくれる保育士の確保が必要」など。「無償化するなら、すべて無償化しないと意味がない」との意見もあった。

 十一月二十七日に署名を受け取った自民党の片山さつき参院政審会長代理が、民間のシンクタンクに自由記入欄の分析を委託して結果をまとめた。

 自由記入のうち「量・質の拡充」を求めたのは全体の39・9%に当たる八百五十九人。「全員無償化」を求める声は7・1%の百五十四人。

 複数の意見を寄せた人もいた。「量・質の拡充」の内訳は待機児童解消が四百六十七人で最多。「優先すべきはみんなが入れること」などの意見が並んだ。次いで多かったのは「保育士の確保が必要」など、保育士の確保・待遇改善の三百八十六人で、施設の充実二百九十三人、質の向上百八十九人と続いた。

 グループの天野妙代表は「より具体的な状況を知ってもらうためにも、政府の有識者会議に当事者を呼んでほしい」と話している。

 グループは三~五歳児の保育・幼児教育の無償化を巡り、政府が認可外保育施設を対象外とする検討を始めたことを批判。ツイッターなどで賛同が広がり、政府は方針転換を余儀なくされた。その後は、待機児童問題の解消を優先するよう政府などに働き掛けている。


 上のビデオ8分くらいから「無償化」について話していますが、その前も面白いのでぜひ最初から見てみてください。

  PCの調子がまたよくない。朝一でNTTに電話したが今日は祝日だった。
足跡を残していただいた方のところには何とかたどり着けましたが、ごめんなさい。

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日本がどの程度主権を持っているのか・・・?

2018年12月23日 | 社会・経済

安倍政権の急所突く プーチン「辺野古問題」に言及の衝撃

  日刊ゲンダイ 2018/12/22

 「日本は本当に主権国家なのか」――。

 ロシアのプーチン大統領から仰天発言が飛び出した。20日に開いた年末恒例の大規模記者会見で、北方領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、「日本が決められるのか、日本がどの程度主権を持っているのか分からない」と指摘したのだ。

驚いたのはその先で、基地問題で主権を行使できていない実例として、ナント、米軍普天間飛行場の辺野古移設についてこう言及した。

   「知事が基地拡大に反対しているが、(日本政府は)何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みんなが反対しているのに計画が進んでいる」

 ■北方領土交渉に暗雲

 ウクライナ南部のクリミアを併合したロシアに言われたくない気もするが、確かにプーチンの指摘は的を射ている。

「北方領土交渉を有利に進めたいプーチンの牽制ですが、日本は痛いところを突かれた。まさか辺野古を持ち出されるとは思っていなかったでしょうから、官邸も外務省も腰を抜かさんばかりの衝撃を受けたはずです。安倍首相は北方領土に米軍施設を置かないと言っていますが、プーチンは日本には決定権がないと切り込んだ。米国の言いなりで主権を行使できない日本とは、北方領土問題を含む平和条約の締結は難しいと突きつけたのです」(元外交官の天木直人氏)

 21日の会見でプーチン発言について聞かれた菅官房長官は「コメントは控える」と逃げた。情けないことに、日本政府は反論もできず、ダンマリを決め込んでいる。

 「1月に日ロ首脳会談を控え、下手に反論してロシア側を刺激したくないのでしょう。北方領土問題を抱える一方で日米同盟は崩せず、立ち往生している。しかし、本当にトランプ大統領と世界一仲がいいのなら、『武器をたくさん買うのだから、辺野古基地建設はやめよう』と言えば済む話です。それで、北方領土には米軍基地を置かないと明言してもらえば、ロシアとの交渉も進められます。ロシア疑惑で急所を握られているトランプ大統領は乗ってくる可能性がある。それができないのなら、首相が誇る米ロ首脳との信頼関係はマヤカシということです」(天木直人氏)

 米国に何も言えず、ロシアにも足元を見られている現状では、“外交の安倍”が聞いて呆れる。年明け早々の訪ロが恥の上塗りにならなければいいが……。

 

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実際に関わらなくても他人に対する配慮や想像力を持つこと・・・

2018年12月22日 | 社会・経済

戦争と平和のリアル  第29回 米川正子「声をあげる」

 

  Imidas 連載コラム 2018/12/21

 

残虐を極めるコンゴの性暴力被害

米川正子 (立教大学特定課題研究員)

   (構成・文/朴順梨)

   2018年の「新語・流行語大賞」こそ逃したものの、#MeToo(私も)ムーブメントは今年、世界中で大きなうねりとなった。

 セクハラや性暴力被害を「#Me Too」と言えるようになったことは、行為の非道さを可視化するだけではなく、同じ辛さを抱える女性たちを、孤独から解放するきっかけにもなった。

   その空気も後押ししたのか、18年のノーベル平和賞は性暴力サバイバーでヤジディ教徒のナディア・ムラドさんと、コンゴ民主共和国(以下コンゴ)で性暴力被害者の治療にあたってきた、婦人科医師のデニ・ムクウェゲさんが受賞した。

ムクウェゲ医師が日本で広く知られるきっかけになったのは、16年に立教大学特定課題研究員の米川正子さんがムクウェゲ医師のドキュメンタリー映画の『女を修理する男』を日本で上映するために、任意団体「コンゴの性暴力と紛争を考える会」を立ち上げ、日本語字幕を付けたからである。同年6月、立教大学で日本初公開し、その後、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が主催する『難民映画祭』でも公開された。同年10月、「コンゴの性暴力と紛争を考える会」がムクウェゲ医師の初来日を実現した。米川さんに、ムクウェゲ医師の活動を伝える意義とコンゴという国についてうかがった。

女性と少女にとって世界最悪の場所・コンゴ

 コンゴと言えば最近、「サプール」が大いに話題になった。サプールとはカラフルなスーツを身にまとって街に繰り出す男たちのことだが、彼らが闊歩しているのは首都のキンシャサや、隣のコンゴ共和国の都市部だ。一方、ムクウェゲ医師はコンゴ東部を活動の拠点にしている。

  「コンゴでは、紛争や性暴力殺戮は96年から続いていますが、それは全土ではなくてルワンダと接しているコンゴ東部に限った話です。もちろん他の地域でも性暴力や略奪は起きていますが、コンゴ人の中でも『東部には出張でも行きたくない』と言う人がいます」

 コンゴの国土の広さは日本の約6.2倍で、アフリカ大陸の中でアルジェリアに次ぐ2位となっている。それだけ広い国だから、地域によって情勢が異なるのは理解できる。しかしコンゴ東部では96年以降累計で約600万人もの死者を出し、「女性と少女にとって世界最悪の場所」と言われるほど性暴力が蔓延している。何が背景にあるのだろうか?

   「コンゴには鉱物資源が豊富にあるということに尽きます。なかでもコンゴ東部で採掘されるコルタンというレアメタルは、パソコンやスマホ、ゲーム機やカメラなどに欠かせない素材です。1996年以降は、こうした天然資源の不法採掘が続いています。またコンゴ東部は土壌が肥沃で、農業や牧畜に適しています。たとえば北キブ州は『コンゴのパンかご』と呼ばれるほど作物がおいしく、1年に4毛作までできる地域もあります。この天然資源や土地を目当てにコンゴ国内だけでなく、ルワンダやウガンダなど近隣諸国の政府軍と武装勢力がやってきて、殺戮や性暴力を繰り返しているのです」

 コンゴにおいて政府軍と武装勢力が性暴力を行うのは、決して性的な欲望を満たすためだけではない。その証拠にレイプで終わらず、性器に木の枝や棒、びんといった異物を押し込んだり、膣を銃で撃ち抜くこともある。女性であれば赤ちゃんから老人まで見境なく襲い、時には男性が被害に遭うこともある。それはひとえに、人間を資源としか見ていないからだ。誰が支配者なのかを徹底的に見せつけるために残虐を尽くし、性器を傷つけて子供を産めなくすれば、「資源」である人もいつしか絶えていく。そうすることでコンゴ東部住民から抵抗する気力を奪い、土地ごと自分たちのものにするのが目的なのだ。
 現在63歳のムクウェゲ医師はコンゴ東部のブカヴで生まれている。彼がブカヴに性暴力被害者を治療するパンジ病院を設立したのは99年だが、米川さんによれば94年に隣国ルワンダで虐殺が起きた際、ムクウェゲ医師はすでに難民への医療支援にあたっていた。

「ムクウェゲさんというと性暴力被害者を助けるイメージがありますが、90年代にコンゴ東部で起きた、「虐殺」や殺戮など多くの重大な人権侵害を直接的に、また間接的に見ていらっしゃいます。私が彼と出会ったのは2016年に来日したときが初めてですが、著名な方だったので私がコンゴにいた07年には、名前を耳にしていました。でも私は医療分野に関わっていなかったので、当時は接点がありませんでした」

   コンゴ民主共和国はアフリカの中心に位置し、コンゴ共和国を含む9カ国に囲まれている

ルワンダでの虐殺が、性暴力の蔓延を生んだ

 米川さん自身は大学で学んだあと、国連ボランティアを経てUNHCRの職員となった。11年間在籍したが、07年から1年半にわたり、コンゴ東部のゴマにあるUNHCRの所長を務めている。
 米川さんはルワンダに住んでいた1995年からコンゴに関心を持ち始めた。98年5月にコンゴ東部のウヴィラという市に出向いた際、そこで現地人の同僚と知り合った。彼からコンゴの戦争について学ぶなど交流を深めていったものの、2カ月後に第二次コンゴ戦争が始まり、米川さんは国外脱出をせざるを得なくなって同僚とは連絡が途絶えてしまった。4年後にキンシャサで電話で「再会」を喜びを分かち合ったものの、3日後に彼は何者かに殺されてしまった。コンゴでは米川さんのすぐ身近にも、殺人による死が存在していたのだ。

「コンゴとルワンダでは、90年代に3回も紛争が起きています。まずは94年のルワンダでの虐殺、次が96年から97年の第一次コンゴ戦争、そして98年から2003年までの第二次コンゴ戦争です」

 1994年4月、ルワンダで当時のハビャリマナ大統領が乗っていた飛行機が撃墜され、それを機に多数派民族フツの過激派が少数派民族ツチと穏健派フツ族を虐殺し始めたと言われる。その数は100日間で50万~100万人とも言われている。軽やかなメロディにのせてツチを「お前たちゴキブリはルワンダ人ではない」と罵る『千の丘自由ラジオ』によるヘイトスピーチも、虐殺の扇動に一役買ったと言われている。米川さんによればこのルワンダ虐殺はコンゴにとって「隣国で起きた出来事」ではなく、国を大きく変えるきっかけになったそうだ。

「ルワンダは日本の四国の1.4倍ぐらいの小さな国で人口密度が高かったこともあり、18世紀頃から宗主国のベルギーは、鉱業と農業での労働に従事させるためにコンゴ東部にルワンダ人を移住させました。その後も1959年にルワンダで革命が、72年にブルンジで虐殺が起きたことから、両国から難民が大量にコンゴへ押し寄せました。コンゴは65年から32年間、モブツ大統領による独裁政権が続いていましたが、彼はルワンダ住民を優遇してコンゴの国籍も与えました(81年にはく奪)。そして94年にルワンダで虐殺が起きた際、虐殺を行ったフツは難民(主にフツ)と一緒にコンゴに逃げ込みました。つまり、ルワンダ紛争がコンゴに飛び火したのです」

 ルワンダ系住民と地元民との折り合いが悪かったところに、120万人ものの難民と虐殺首謀者たちが押し寄せてきた。第一次コンゴ紛争は、コンゴ東部の難民キャンプが虐殺首謀者によって軍事化されたため、ルワンダ政府軍が「国家の安全保障が脅かされる」という名目でコンゴ東部に侵攻、難民キャンプを破壊したことで起こった。97年にモブツ政権を倒したルワンダ政府軍とコンゴの「反政府勢力」(AFDL)などは、天然資源がある地域を支配することに躍起になった。そうした中で女性への性暴力が蔓延するようになった。

「国連人口基金の調査によると、98年以降推定20万人の女性が性暴力被害に遭ったことがわかっています。被害者の65%が少女で、75%が北キブ州で起きています。しかし加害者は野放しになっているか、逮捕されてもすぐに釈放されてしまいます。

ムクウェゲ医師はこの状況が20年以上も改善されないことについての怒りは、相当強いと思います」

コンゴの大臣から脅迫を受け、講演が中止に

 現在のルワンダはツチのポール・カガメが大統領を務め、首都のキガリはアフリカでも有数の、洗練された都市に成長した。あたかも不幸な過去から立ち直ったかのように見えるが、「残虐なフツにより虐殺された哀れなツチが、不屈の精神で立ち上がった」という単純な話ではないと米川さんは言う。

  「94年9月に『グソーニー報告書』というルワンダ難民の帰還の意向についての国連報告書が発表されたのですが、そこには被害者のはずのツチが、少なくとも2万~4万人のフツ系住民を殺戮したと書かれていました。しかしこの報告書は握りつぶされ、ルワンダの現政権関係者はこれまで「フツ虐殺」の事実を知る注目度が高いルワンダ人を、少なくとも9名も暗殺しています。そして国連のガリ元事務総長が『ルワンダの虐殺は100%アメリカの責任だ!』と言っていましたが、ルワンダとアメリカやイスラエルは強力な同盟関係にあります。またコンゴのカビラ現政権はルワンダのカガメの傀儡政権と言われていて、希少鉱物であるコルタンはアメリカをはじめとする、多くのグローバル企業が必要としています」

 つまりコンゴ現政権は意図的に、一部の国民を見殺しにしているのだ。それを裏付けるかのようにムクウェゲ医師は映画『女を修理する男』の中で、2008年に国連に招かれてコンゴの性暴力について講演した際、コンゴ代表の席には誰も座っていなかったこと、2012年に再度招かれたときは当時のコンゴ保健大臣から「スピーチを中止しろ。発言すれば身に危険が起きる」と脅迫を受け、講演を中止したことを語っている。

   さらにコンゴでは「ムクウェゲは性暴力被害者を助けるどころか加害者だ」などのデマが流されたり、自宅前で銃を持った男に襲われ、運転手が犠牲になったりしている。そのためムクウェゲ医師と家族は一時期、ヨーロッパに避難していたほどだ。

「性暴力を受けた女性たちと比較すると、被害は深刻ではないかもしれません。しかしムクウェゲさんも、現政権の被害者です。実際にお会いした彼は弱者のための英雄という感じで、行動も考えることもスケールが大きい印象を持ちました。だからどうしても『女を修理する男』を上映して、ムクウェゲ医師の活動を通してコンゴ紛争から性暴力、グローバル経済について学ぶ機会を日本でも作りたかったんです」

 映画に登場するある少女は、レイプによる身体の痛みを訴えながら「(犯人は)苦しんで死ねばいい」と怒りをあらわにし、また別の女性はレイプされたことで家から追い出され、毎日泣いて過ごしたことを明かしている。ムクウェゲ医師はそんな彼女たちの傍らに立ち、身体だけではなく心も「修理」してきた。被害者の多くが「彼が私の人生を救ってくれた」と告白しているのは、決して社交辞令ではないだろう。

 とはいえ、性暴力は最初から起きないに越したことはない。いくら「修理する男」がいたとしても、女性は本来壊れる必要などないからだ。そこでコンゴの性暴力を防ぐために日本にいてできることは、何かあるのだろうか。

「さすがに『コンゴ産のコルタンを使っている可能性があるから、スマホを持ってはいけない』とは言いません。しかし生産過程や採掘する人の労働環境などは、国際的に監視していく必要はあると思います。またこれはコンゴに限らず、日本における外国人労働者にも繋がる問題です。だから立場や境遇が違う相手であっても、自分と同じ人間だという視点を持つことが大事なのではないでしょうか。

  遠いアフリカのコンゴで起きていることに目を向けるのは、難しいかもしれません。でも日本でも今、外国人労働者が搾取されていたり、雇い主からセクハラを受けているかもしれないことは想像できますよね。程度の差はありますが、似た問題が日本でも起きる可能性があるのを無視しないことです。私もコンゴに関わりムクウェゲさんと出会わなければ、知らないままだったことはたくさんあると思います。でも実際に関わらなくても他人に対する配慮や想像力を持つことで、良い方向に変えていけることはあると思います」


  暖かい一日となりました。天気は曇り空、あまりいい天気とは言えないが暖かい。国道の雪もすっかり消えてしまった。

コメント

本末転倒ー再生可能エネルギー

2018年12月21日 | 社会・経済

再生可能エネルギー「前のめり」への疑問

 

原発事故後、再生エネへの期待は大きいが、太陽光パネルなどの設置をめぐって各地でトラブルが頻発している。

 

森林文化協会ブログ    

2018年12月21日

 各地で再生可能エネルギーの設置をめぐり、トラブルが頻発している。2011年3月の原発事故の後、再生エネへの期待は大きいが、現場をみれば、首をかしげたくなることが少なくない。政府はアセス短縮化などで普及を後押しするというが、住民合意なき設置は禍根を残す。

 市の中止勧告を無視してメガソーラー設置

 名古屋市を拠点に取材する私にとって、2016年2月に報じた愛知県瀬戸市の愛知万博会場隣接地の太陽光パネル設置問題は、衝撃的だった。

 現場は、「海上(かい・しょ)の森」といい、名古屋市中心部から西へ10数キロ。都心に近いのに、深い森が残り、シデコブシなど希少植物があり、オオタカが営巣する。砂防池には枯死した木があり、上高地に似た風景から「大正池」と呼ばれる。知る人ぞ知る都市住民の散策路があった。愛知県はここで2005年に万博を開き、跡地を住宅団地にする計画を立てたが、地元ばかりか、海外からも批判されて土壇場で計画を大幅変更。別の場所にメイン会場を移したいわくつきの場所だ。

 「森で変なことが起きている」。そんな情報で2016年2月、現場を見に行って驚いた。

 そこは、うっそうとした森の一番奥。林がすっかり切り開かれ、2・3ヘクタールの更地が突然出現し、5千枚近い太陽光発電パネルが敷き詰められていた。出力1174キロワットのメガソーラーだった。

海上の森に隣接する林を伐採し設置されていた太陽光発電施設=2016年2月、愛知県瀬戸市海上町

 あたりに人影はない。だが、周囲に金網のフェンスが張られ、「監視カメラ稼働中」の看板まで取り付けてあって、あまりのギャップに言葉を失った。

 現場は県の森に隣接する民有林。建設業者が取得し、手っ取り早くもうけようとしたらしい。後でわかったことだが、瀬戸市はさすがに水面下で業者を止めようとしていた。

市土地利用調整条例に基づき、開発申請に対し、「環境万博の理念に合わない」「下流への影響が懸念される」などとして中止勧告していたのだ。

 だが、業者は取得した土地を遊ばせておけない。「もともと一部あった資材置き場を広げただけだ」などとして、強引に造成地を広げて設置。県の砂防法や森林法の許可もとっていなかった。朝日新聞で報じると、「明らかな法令違反だ」(大村秀章知事)などと県や市のトップも強い言葉で批判した。遺跡まで壊していたこともわかった。万博計画当時に活動した自然保護愛好家たちが県や市に「完全撤去させろ」と申し入れた。

 だが、結局、土地の所有者の意向が強かった。県や市は事後的に調整池などを設置させ、道路も復活させ、施設の3割を撤去させたが、そこまでだった。いまも業者は操業を続けている。それでも現場にいけば、感じることだが、深い森の散策路からのぞく、無機質な太陽光発電装置群は、あまりにそぐわない。

 環境省がようやく2018年度、環境影響評価に大規模太陽光発電を含めるべく、検討に乗り出したが、最低限、早く実現してもらいたい。アセスは万全ではないが、瀬戸市でのトラブルも計画段階で、情報が住民に公開されていれば、専門家とともに無秩序な開発を監視、抑制。森も守れたかもしれない。残念だ。

 住民を監視する再生エネ会社

 2014年7月に報じたのは、岐阜県大垣市で風力発電施設建設をめぐり、中部電力の子会社「シーテック」(名古屋市)が、反対住民らの動向を監視するため、岐阜県警と情報交換していたことも報じた。

 計画では同市と隣の関ケ原町の山の尾根に16基、合計最大出力4万8千キロワットの施設を建設するもの。風力発電は大型の羽根を尾根に取り付けるため、山道を大きく広げる。山並みの景観破壊や道路拡張による山崩れの心配、電磁波による健康被害など一部の住民は不安を募らせ、勉強会を企画していた。それをめぐる情報交換だ。

 同社は「議事録」と称し、同署とのやりとりを一問一答の内部記録で残しており、朝日新聞が入手した議事録によると、2013、14年に少なくとも4回、大垣署で両者は面談し、勉強会を計画するなどしている自治会幹部や住職らの動向について協議。「平穏な大垣市を維持したい」として県警側から、反対運動を起こしそうな(この時点では風力発電とは無関係な)大垣市内の住民について、学歴や活動歴、病歴、動向をリークしていた。

警察がなぜ私企業に加担するのか。報じた後、住民は怒った。

 住民運動を敵視して情報収集したり、私企業に漏らしたりした県警などの責任を問い、県や国を相手に国家賠償や情報抹消を求める訴訟を起こし、いま、岐阜地裁で弁論が続く。

 ただ、警察のあり方とは別に、シーテック社の住民対応も批判されて当然だろう。議事録によれば、表向き、「ご理解願いたい」と低姿勢で地域住民に近づきながら、裏では特定の住民について「何でも反対する」と酷評し、「新しい情報が入り次第、連絡する」と警察と連携していた。地元自治会がこの後、さすがに反対を決議し、事業はストップ。シーテック社は大垣事務所撤退を余儀なくされている。

風力発電用の巨大風車が林立する三重県津市の青山高原=2006年9月撮影

 現場近くの三重県の青山高原では、日本有数の風力発電施設が集中立地する。山道のカーブを切るごとに出現する巨大な風車は、近未来社会の光景なのかとかつては思ったが、住民監視のうえで築かれる「持続可能な社会」は、グロテスクだ。

 アセス強化を

 大手電力会社が再生エネを高値で買い取る「固定価格買い取り制度(FIT)」が2012年に導入されてから、再生エネは急速に普及する。国は2030年度には電源のうち2割前後ずつ原発と再生エネでまかなう「長期エネルギー見通し」(2015年)を発表している。ただ、開発は十分な調査と住民同意抜きにすすめられていいことではない。

 朝日新聞と一橋大学などが2017年、全国47都道府県と1741市区町村を対象に再生エネの導入状況をアンケートしたら、「景観」「騒音」などを理由にしたトラブルが、解決済みを含めて31道府県(66%)、350市区町村(25%)もあった。今後増加を心配している自治体も多かった。トラブル経験の市区町村は3年前の調査より倍増している。

 最近は設置した後、転売していく再生エネ業者も多い。私が愛知県の知多半島で会った太陽光発電のオーナーは、遠隔地から自分の投資物件を見に来た一家だった。草むしりにきた、といい、「アパート経営より堅い」と顔をほころばせて話した。ところが、現場にきたら、すぐ南側の隣接地で小型風力発電施設の工事が始まっていて、びっくり。「日陰になっちゃう」。慌てて仲介業者に電話していた。その太陽光発電施設自体、田んぼや砂浜近くの景観をこわし、近所の住民は顔をしかめていたのだが、今度は自分が被害者になりかけたのだ。

 やはり無秩序に立地していい施設ではない。本来なら下水処理場や工場など住民に直接影響しない場所でこそ展開してもらいたい施設だが、現実には休耕田や林地など収益性の低い土地が、ばらばらに開発されている。トラブルを防止するには、先にあげたアセスの拡大強化が望まれる。

 ただ、その推進役になるはずの環境省が、この問題では、風力発電のアセス手続きをこれまでの3、4年から半減させるべく、旗をふっているのは解せない。国と自治体が同時に審査したり、調査期間を短縮したりさせ、施設普及に弾みをつけたい、という。だが、例えば希少生物、とりわけ風力発電でよく問題になる猛禽類営巣への影響は、1年で判断できるものではないだろう。大垣市の風力発電トラブルも、2010年にアセス手続きの方法書を県に提出していた。予定地周辺ではクマタカ生息が確認され、知事意見で「猛禽類調査は少なくとも2年」などと要求されているさなかだった。これに「アセス迅速化」が適用され、水面下で警察とともに監視された住民が押し切られていたら、いまごろ尾根に風車が林立していたかもしれない。


PCの調子がまたおかしい。
先日「直った」と思ったが、それから少しづつ接続できない時間が増えてきている。やはりルーターを変えてみるか・・・?

 

 

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原発輸出政策、各国から拒否

2018年12月20日 | 社会・経済

安倍政権の原発輸出政策がイギリスはじめ各国から拒否され破綻!

  無責任政策ゴリ押しで世界に恥さらす

 

  リテラ 2018.12.18

 

   「難しい状況。もう限界だと思う」──。昨日17日、日立製作所がイギリス・アングルシー島で進めてきた原発建設計画について、同社の中西宏明会長がこう述べた。事業に出資する企業集めが難航しており、計画そのものを凍結する可能性も出てきたというのだ。

   原発輸出をめぐっては、政府と三菱重工業が共同で進めてきたトルコへの輸出も断念する方向で調整に入ったと伝えられたばかり。安倍政権は原発輸出をアベノミクスの成長戦略の柱とし、国内での成長が期待できなくなった原発利権の舞台を海外に移そうと原発建設を必死にセールスしてきたが、日立の計画が頓挫すれば、ベトナム、台湾、リトアニア、アメリカ、トルコ、イギリスと、これまでのすべての原発輸出計画が事実上、御破算となることになる。

 あれほどの重大事故を国内で引き起こし、いまだ事故の収束もできていないにもかかわらず「原発立国」の看板を掲げて輸出事業に躍起になってきたこと自体が異常な話だったわけだが、その上、すべてがふいになるとなれば、これまで原発輸出に金と労力を注ぎ込んできた安倍首相の責任は非常に重い。

 だが、安倍政権はいまだにその現実を直視しようとしない。なかでも呆れたのが昨日の菅義偉官房長官の会見だ。日立の英原発計画問題の質問を受けると、菅官房長官は「コメントは差し控えたい」としつつ、安倍政権の原発輸出政策について、こう述べたのだ。

「日本の原子力技術に対する期待の声は、各国から寄せられている」

 この期に及んで「日本は各国から期待が寄せられている」って……。そもそも、福島第一原発の事故以降、安全規制の強化から世界的に建設コストは高騰しており、原発はリスクが高い上に採算に合わないものという認識が広がってきた。

 そうしたなかで、安倍首相が直接、トルコ政府に売り込んだ原発新設計画では、事業費が当初の2兆円から4兆円以上にまで膨らんだことで計画は暗礁に乗り上げた。さらに、アメリカで原発計画を進めていた東芝は原発子会社の経営破綻などで約1.4兆円の巨額損失を出し、経営危機に陥った末に撤退を決めた。

   にもかかわらず、安倍首相は原発輸出の旗を降ろすことなく、流れに完全に逆行。日立の英原発新設計画にかんしても、昨年末に日本政府は資金面で支援することで英政府と大筋合意し、今年に入ると政府系の日本政策投資銀行などが出資、三菱東京UFJ、三井住友、みずほ銀行の3大メガバンクなども総額1.5兆円規模の融資をおこない、そのメガバンクの融資全額を政府が債務保証するという報道がなされた。

   つまり、東芝が国策として進めていたアメリカの原発事業で巨額の損失を出したことが日本経済を揺るがす大問題に発展したというのに、安倍政権は「儲からない」原発輸出に国民の血税を投入してバックアップする方針をまったく変えなかったのだ。そして、結局はそれも骨折り損に終わろうとしているのである。

 こうした日本政府の動きに危機感を募らせていたのは、イギリスの住民たちだ。イギリスの現地住民団体などは、今年、日本政府に公的資金を使わないことを求める署名を経産省などに提出。署名の呼びかけ団体側は「放射性廃棄物問題の解決策がないなか、進めるのは無責任。福島事故を経験した日本人にも声をあげてほしい」と訴えていた(朝日新聞5月29日付)。

今井尚哉首相秘書官のいいなりで無責任な原発売りつけ政策を続行する安倍首相

 無責任。安倍政権による原発輸出の問題はこの一言に尽きるだろう。菅官房長官は「日本の原子力技術に対する期待の声は、各国から寄せられている」などと言い放ったが、前述したように、福島第一原発では内部調査さえなかなか進展せず、溶け落ちた燃料の取り出し開始予定も2021年からで、汚染水は増えつづけている状態。世界を震撼させる重大事故を起こし、原発エネルギーへの依存からの転換を迫るきっかけを生んだこの国が、「脱原発」に舵を切るのではなく、他国に無責任に原発を売りつける。その行為は蛮行と呼ぶべきものだ。

 しかも、原発輸出の旗振り役である今井尚哉首相秘書官の存在を考えれば、安倍首相がこの散々たる結果に反省もせず、原発輸出に固執しつづけることも十分考えられる。これ以上、世界に恥を晒さないためにも、安倍政権の原発輸出政策に「いいかげんにしろ」と国民が突きつけるべきだろう。(編集部)


 

わりと穏やかな一日でした。 

先日の雨でまゆ玉も溶けてしまいました。
下は昨日の様子です。

 

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米トランプに「辺野古工事中止を」 嘆願署名が10万筆超え

2018年12月19日 | 社会・経済

辺野古埋め立て 米大統領に直接「工事停止」請願の動き

  日刊ゲンダイ 2018/12/15

 

   安倍政権は14日、沖縄の民意を無視し辺野古埋め立て土砂の投入を強行したが、トランプ大統領に直接「埋め立て停止」の請願をする動きが出ている。

 来年1月7日までに10万筆以上の署名が集まれば、米政府は請願を受け付けるという。署名は請願サイト「We The People」で集めているが、昨夜の時点で2万筆を超えた。署名者の居住地や国籍は問わない。

  署名を始めたハワイ在住のロブ・カジワラさんは「作業を許せば沖縄県民の反米感情は高まり、米国と沖縄の関係は永久に損なわれるだろう」としている。

 安倍政権が聞く耳を持たない中、トランプに直接、沖縄の声を届ける意義は大きい。

 

 

米トランプに「辺野古工事中止を」 嘆願署名が10万筆超え

 日刊ゲンダイ 2018/12/19

   沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設をめぐり、建設の是非を問う来年2月の県民投票まで工事を中止するようトランプ米大統領に求める嘆願書への電子署名が18日、規定の10万筆を超えた。嘆願署名はホワイトハウスが市民の声を聞くために開設した「WE the PEOPLE」に寄せられたもの。「規定数を超えた請願には、最善を尽くして対応する」とされており、米政府は60日以内に公式に回答することになる。

  請願活動はハワイの日系4世の作曲家ロブ・カジワラさん(32)が今月8日に始めた。カジワラさんの「沖縄県民は決してあきらめないことを世界に示す必要がある」との呼びかけに、タレントや著名人もSNSなどで応じた。

 タレントのローラは18日、自身のインスタグラムで「美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれない」「ホワイトハウスにこの声を届けよう」とつづった。沖縄出身のタレントりゅうちぇるや芥川賞作家の平野啓一郎氏らも加わった。

 

  署名活動は来年1月7日まで続けられる。

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男女平等、日本は110位

2018年12月18日 | 社会・経済

男女平等、日本は110位 18年、賃金格差縮小でやや上昇

 報告書では、日本は女性の議員や閣僚の少なさから政治分野が低評価で、経済分野も幹部社員の少なさなどから前年より順位を三つ下げた。「依然として男女平等が進んでいない国の一つだ」と指摘されている。

 2018年版男女格差報告

 2018年版男女格差報告
 

賃金格差縮小?
女性の賃金が上がったわけではなさそう?全体の賃金が下がっているからねぇ。 
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少年法

2018年12月17日 | 社会・経済

東京新聞 12/17付け 社説

少年法を18歳未満に? 教育での立ち直りこそ

 民法の成人年齢は十八歳に引き下げられる。少年法の適用年齢も同様でいいか。ことは単純ではない。刑罰よりも教育で立ち直る精神を重んじたい。

 国会での参考人の言葉に耳を傾けてほしい。

 <今の少年法は非常にうまく機能している。世界的に見ても、日本の少年犯罪率は非常に低い。うまくいっている少年法の適用年齢を引き下げる必要はない>

 これは広井多鶴子実践女子大教授の衆議院での意見である。

◆凶悪化のデータはない

 <少年法と民法の年齢引き下げは、全く問題の性質が異なる。少年法は社会からドロップアウトしてしまった若者をどうやって社会が受け入れるかだ。民法とは別に議論すべきだ>

 こちらは山下純司学習院大学教授の考えだ。宮本みち子千葉大学名誉教授は次の意見である。

 <少年法の教育的な効果は優れている。十八歳に引き下げではなく、現在と同じでいい>

 いずれも今年五月の国会での意見の要旨だが、興味深いのは三人とも「成人年齢は十八歳」に賛成なのに、少年法は「現行のまま」のスタンスなのだ。

 そもそも少年法の年齢を引き下げる動機は何か。少年事件の増加や凶悪化が語られたりするが、全く根拠がない。むしろ警察白書などの統計では、少年事件は大幅に減少している。

 例えば二〇一六年に少年の一般刑法犯の数字は約三万二千人だが、この数字は十三年間で実に約74%も減った。殺人や傷害致死事件の数も右肩下がり。少子化が原因かといえば、人口で比べた割合も減少なので、やはり凶悪化の事実はない。

 つまり成人年齢を十八歳としたので、少年法もそれに合わせたい、動機はそれに尽きる。「国法上の統一」論である。

◆統一論は名ばかりだ

 確かに民法も少年法も十八歳とした方がわかりやすいという意見はあろう。だが、飲酒や喫煙、ギャンブルはいずれも現行のまま。猟銃所持は不可だ。国民年金の支払い義務もない。要するに「国法上の統一」とは名ばかりで、各法の実情を考慮している。

 それを踏まえれば、うまく機能している少年法を改変し、十八歳に引き下げることには賛成できない。何よりも法制審議会の部会も現行制度の有効性は理解し、共通認識になっている。

 不思議なのは部会の多くの委員が「引き下げありき」の方向なのだ。十八歳にした上で、更生のための「新たな処分」を検討している状況である。

 だが、十八歳に引き下げれば、奇妙な問題が生ずる。その制度では十八歳、十九歳に対する調査や教育の対象外となり、「手抜き」状態となるからだ。本来、少年院に入るはずの少年にも、教育の手を差し伸べられなくなる。

 現行制度では、すべての少年事件は家庭裁判所が扱う。家裁の調査官によって、成育歴や家庭環境などの科学的調査が行われる。少年鑑別所でも心理学の専門家らが科学的調査をする。

 それを踏まえ、裁判官が検察官送致したり、少年院に送致したり、保護観察などの処分を決める。少年院や保護観察では、生活観察で個別的な指導や教育の処遇をする。刑罰より教育という考えに立つ。

 だが、少年法を十八歳に引き下げると、再犯防止の教育機会は失われやすい。教育よりも、刑罰が基本の思想に変わるからだ。

 検察が全事件を扱い、起訴・不起訴の判断権限を持つことになる。検察が起訴猶予にした者に対しても、裁判所で執行猶予の判決を受けた者に対しても「新たな処分」を考案できると、法制審部会の一部では考えているようだ。

 だが、いったん不起訴、執行猶予となった者に過剰な個人への介入はできるのだろうか。特定の者を国の監督下に置くのと同然で、人権を不当に制限するのではないか。現行制度の維持の方がずっと安定的である。

◆心の傷を受け止めて

 犯罪や非行に走る少年は自己肯定感が低いという。不幸な生い立ちを背負う者が多い。「自分など生きていても仕方がない」と考えがちなのだ。だから非行防止には、まず少年の心の傷を受けとめることである。教育的、福祉的な援助をすることである。

 それで、やっと被害者の痛みや心情に向き合うことができる。謝罪の気持ちも償いの心も生まれる。自ら立ち直ることもできる。

 教育力で再犯防止に挑む現行制度は、有効性が数字で裏付けられている。その仕組みをわざわざ壊す愚行がどこにあるか。法制審には人と社会を見る原点に返ってもらいたい。


 暖気で道路がザクザク状態で、ハンドルを取られ、極めて危険な状況です。

 今日もNTTから来てくれて、外線、引き込み線を新たに設置してくれました。これでしばらく様子を見ることになります。
年末年始、インターネットがなければ寂しいことになってしまいます。

 恩師より自著「パワハラ不当解雇」12月1日旬報社より発売。(1300円+税)が送られてきた。人間としての尊厳を回復する闘いだ。

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雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」76 嫁が「奴隷」だった時代

2018年12月16日 | 社会・経済

imidas連載コラム https://imidas.jp/

   2018.12.5

 

   女子校生活を送っている私は、女性としての生きづらさを感じたことはありません。この問題に対して、何を考え、どう行動していけばいいかと考えてもなかなかわかりません。何かアドバイスはありますか?」

 11月17日、聖心女子大学(東京都渋谷区)で開催された「世界子どもの日ユース・フェスティバル」にて、高校1年生の女の子からこのような質問を受けた。「生きづらい世の中、私たちも#MeTooしたい!」と題されたトークイベントでの一幕だ。

 女だから、ということで発生する生きづらさを特に感じていない。それは一言で言えば「女だからこうしろ」「女のくせに」などの理不尽さに晒されていないということで、それ自体は非常にいいことである。21世紀になって、ちょっとはいろいろ前進しているのだ、と寿ぎたくなる出来事だ。もちろん、「女子校だから」という前提があることを見落としてはいけないが、女子校だからこそ「女の呪い」をかけられる場合も多々あるわけで、「生きづらくない」という高校1年生の姿がなんだか眩しかった。

 翻って自分が高校生の頃を思い出してみると、平成になるとほぼ同時に女子高生になった私は、昭和から続く呪いの言葉に日々晒されていた。

「女の子なんだから家事をできるようにならないと」「でも勉強も頑張っていい大学に行かないと」「でも成功しすぎると男の人に嫌われるからほどほどに」という“スタンダード呪い”から始まって、社会人として自立することを目標に掲げられつつ、同時に「より条件のいい男をつかまえる」ことも暗に求められるようになる。母親はそのための服装やメイクなんかにも細かく口を出し、なんだかそれは「そのままのお前ではなんの価値もないのだ」と存在を頭ごなしに否定されているようで、そしてそんな価値のない自分を無理やり「商品」に仕立てて売り飛ばそうとしているようにも見えて、いつも反発を感じていた。

 だけど、高校生の頃の自分を振り返ると、自分がされたこと、かけられた言葉について「女だからこその生きづらさだ」と思ったことはない。未成年だから言われることと女だから言われること、未成年の女だから言われることが全部ごっちゃになっていて、どれもが等しく「うざい大人の小言」でしかなかったからだ。

 それよりも「女」という問題に対して違和感があったのは、母親や親戚のおばさんや祖母といった「年上の女性たち」が男社会から受けていた扱いである。

 例えばそれは、葬式とか法事とか正月とかお盆なんかの行事の際に顕著に現れる。

 かいがいしく台所で立ち働き、料理を作って運び、お酌する女性たちと、ただ座り込んで出されたものを飲み食いし、酒が足りなくなると「おーい、ビールないぞー」などと叫ぶだけの男たち。女は働き、男は座っているもの。女が料理をしたり食材の買い出しに行ったりしている間、男はパチンコに行くもの。小さな頃の私は、そんなふうに思っていた。そして子どもの頃は、そんなオッサンたちに混じって自分もただ座って飲んだり食べたりしていた。

 しかし、高校生くらいになると、私は強制的に「子ども枠」からはじき出された。親戚のオッサンたちが、私を「かいがいしく働き、自分たちの世話をする女」の一人としてカウントし始めたからだ。ある時から突然、「おーい、ビール持ってこい」などと女中のように扱い始めたのだ。

 え? この前まで「子ども」枠だったからよくわかんないんだけど……。戸惑っていると、「そんな気がきかないようじゃいいお嫁さんになれないぞ」とか言われて、酔っ払いたちが一斉に笑う。子ども枠にいた頃の私にとって、親戚の集まりは結構楽しいものだった。夜更かししても怒られない「非日常」だったから。しかし、「子ども枠」から「女中枠」へと移動してからは、ただただ気が重いものとなっていた。一方、かいがいしく働く女たちは女たちで、台所で夫の愚痴などを言い合うという「台所女子会」みたいな感じで楽しそうだったのだが、そっちの女子会に入るには、私はまだ幼すぎた。

 冒頭の講演会で高校1年生の女の子には、そんなことを話し、「自分自身は女ならではの生きづらさを感じなくても、家族や親戚など上の世代の女性を見ていれば気づくことがあるのでは」なんて話をした。

 が、今、「これも言えばよかった」と後悔していることがある。それは「普段は問題がないように見えても、何かあった時に差別が剥き出しになる」ケースについてだ。

 例えば、東日本大震災の時の有名なエピソードとして、避難所でみんなの食事を作る女性たちは無給だったのに、避難所から瓦礫撤去の仕事に行く男性には日当が出た、という話がある。女性たちは、出かける男性たちに弁当まで持たせていたのに。

 差別とは、まさにこういうことだと私は思う。このシステムを決めたのは、間違いなく男性だろう。なぜ、女たちには日当が出ないのか。それは一部男性の中に「女が食事を作るのは当たり前」「賃金が発生するようなことではない」という昭和の忘れ物みたいな思い込みがあるからである。一方で、瓦礫撤去という力仕事をする男性には賃金が発生する。しかし、どちらもともに被災し、家族を亡くしたり家を流されたりし、今後の生活に等しく不安を抱えているのだ。現金収入が必要なのは、男も女も変わらない。なのに、こんなことがまかり通るのだ。

「男たちは危険な瓦礫撤去をしているのだ。避難所で飯炊きをしている女たちとは違う」と言うのなら、一週間、男女で役割を交代してみればいい。圧倒的に食材が不足し、水もガスも排水事情なども十分でない中、数十人、数百人分の食事を1日3回、毎日作ってみればいい。その上弁当まで作るのだ。それがどれほど大変なことであるか、わかるはずだ。

 私が怖いのは、この国で決定権を握り、政策立案などに関わる多くが「女は無給、男は有給」というようなことをナチュラルに思っているっぽい男性、という事実である。まずはこういう人に変わってもらうか、変わらないならいなくなってもらうしかないわけだが、なかなか席を譲ろうとはしない。

 しかし、こんなことはまだまだ序の口なのだという本を最近、読んだ。

 それは姉歯暁(あねは・あき)著『農家女性の戦後史――日本農業新聞「女の階段」の五十年』(こぶし書房、2018年)。本書はサブタイトルにある通り、日本農業新聞の女性投稿欄「女の階段」に寄せられた投稿、その50年分を振り返りながら、日本の農家、そして農業政策の変化にも迫るものだ。

 そんなこの本に多く登場するのが、現在80代から90代、もしくはそれ以上の女性たち。「明治生まれの姑につかえ、戦後生まれの嫁との間に挟まれる“サンドイッチ世代”」(『農家女性の戦後史』)である。

 投稿には、戦後間もない日本の農村で、ボロ雑巾のように扱われる「嫁」の恨み、苦しみの言葉が叩きつけられている。

 農作業だけでなく、家事、育児、介護一切を押し付けられ、休む間もない日々。職住一体なので、24時間光る夫と姑、舅の監視の目。妊娠しても出産ギリギリまで働かされ、出産後もすぐに農作業に出されてしまう。少しでも休むと「怠けている」と罵倒される。 「体を壊せば、実家から医療費を出させるよう義父母から命じられ」たり、「実家に戻される」こともある。「欠陥品を売りつけた側に責任がある」となじられた嫁もいる。「姑の命令で堕胎を余儀なくされ、病院から自転車で帰宅した直後に畑に出ろと言われた嫁もいる」。そんな生活から抜け出したくても抜け出せない。なぜなら、「無償労働で貯え」などない女性たちは、そこがどんなに過酷な状況でも「『家』にすがりつく以外に生きる術がないから」(以上、同書)だ。逃れようとすれば、住む場所も仕事もそして子どもも、生活基盤のすべてを失う。著者はこのことに対し、「ここにいる嫁の姿は単にタダ働きの労働者というより、全人格が支配される奴隷制社会における奴隷の姿に近い」(同書)と書いている。

 そんな状況の中、嫁たちの中には「ある犯罪」に手を染める者も出てくる。万引きだ。

 子どもの学用品や下着を「買ってほしい」と、どうしても夫や姑、舅に言い出せない。よって運動会、学芸会などの時期になると、小さな万引きが農村で増加する。1960年の正月、ある商店街で万引きをした女性53人のうち、ほとんどが近在の「農家の嫁」だったという。金額は10円から800円。盗んだものは、自分のものではなく多くが子どものもの。

 また、本書には「ミルク泥棒」をしていた過去を告白する女性も登場する。

 舅が一家の財布を握っており、「ミルク代をください」と言ってもなかなかもらえなかったのだという。嫁いだ時に持参したお金は、すでに長女のミルク代に消えていた。そうして長男が生まれるものの、毎日怒られながら重労働をしていたため、母乳はすぐに出なくなってしまう。

「毎日、わずかのミルクを薄めて飲ませるのです。

赤ちゃんは、すぐに腹を空かせて昼も夜もギャアギャア泣きわめきます。私は、せっかく産ませてもらった小さな我が子を殺すことも出来ず、ミルク泥棒を始めたのです。とにかく、この子が何かを食べれるようになるまで、一年間悪い事をしました」(同書)

 確かに泥棒は悪いことだが、そもそもなんで舅、大切な孫のミルク代くれないの? 夫もなんで、妻と子を守ってくれないの? 理解できないことばかりだが、全編にわたって「家父長制のもとの不条理」がまかり通る。

 「昔はミルクなんてなかった」「今の嫁は楽をしている」。そんな言い分で泣くのはいつも、女と子どもだ。ちなみに多くの嫁が自らの財布さえ持っていなかったそうだが、万引きする女性の家は多くが「豊作に恵まれた中流農家」(同書)だったという。ただ、「嫁」だけが1円も自由にならない身なのだ。

 こんな現実が、たった数十年前まで、日本各地の農村に存在したのである。もちろん、出てくるのはひどい話ばかりではないが、全体的には女が人間扱いされていない時代であることがよくわかる。

 ちなみに最近、この話をある米どころの県でしたところ、50代の女性が「子どもの頃、豪農だった友人の家には、妻と妾が同居していた」とさらりと言った。妻と妾が同居とか、もっともっと昔の話だと思ってたんだけど……。

 女が人間扱いされない場所では、子どもの命も軽くなる。「男」で「年長」という理由だけでオッサンをのさばらせていると、呪いは再生産され続け、そしてそれは実害を発生させ続ける。

  生きづらさを感じていない、という高校生との対話から、戦後73年間のこの国の女性たちに、今、改めて思いを馳せている。


 12月も半ばというのに、雨になった。
今日は町内会の年末総会。
終わって、今帰ってきたところです。

ところで、PCのことなのですが、金曜日に回線の調子を見てもらって部品を取り換え、そのあとは順調につながっていたのですが、次の日の土曜日はまたつながりにくい状況になってしまいました。そして今日、日曜日、ほとんど支障なくつながっています。
何が何だかわかりません。
また突然途切れることがあるかもしれません。
どうかご容赦ください。

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