里の家ファーム

すべて無農薬・無化学肥料、不耕起栽培の甘いミニトマトがメインです。完熟したミニトマトから作る無添加ジュースは逸品です。

“国民に痛み”ラッシュ

2018年05月20日 | 社会・経済

炎上の陰で次々と…財務省“国民に痛み”ラッシュの悪辣

日刊ゲンダイ 2018年5月20日

   史上初の政権交代を実現し、92歳で国のトップに返り咲いたマレーシアのマハティール首相。公約通り、6月1日から6%の消費税を撤廃するというから、何ともうらやましい限り。日本では来年10月から消費税が10%に引き上げられる上、財務省は次から次へと、負担増や給付削減を打ち出している。

 腹立たしいのは、改ざんやセクハラなどの不祥事続発や、“1日1言”ペースの麻生財務相の「暴言癖」があまりにひどいため、負担増のニュースが、すっかりかすんでしまっていることだ。社会保障に詳しい立正大客員教授の浦野広明氏が言う。

「財務官僚や麻生大臣に批判が集まり、影を潜めていますが、同時に血も涙もない政策にも注視しなくてはいけません」

 実際、ここ1カ月強の炎上中に、財務省がもくろむ「負担増」や「給付削減」が次々と明らかになっている。

▼風邪など軽い症状での受診は、窓口で支払う自己負担を引き上げる(4月11日の財務相の諮問機関「財政制度等審議会」分科会)――。軽症での受診が、重病に発展せずに済んでいる側面もあるのに、財務省には医療費増大の元凶と映るらしい。

▼厚生年金の支給開始年齢はすでに、2025年にかけて65歳に引き上げられるが、68歳まで一段と引き上げる(同前)――。分科会の資料には<支給開始年齢の引き上げは高齢就労を促進する>とある。つまり「年金支給を渋れば、その間は働くだろう」という考え。高齢者への“経済制裁”だ。

 ▼現行1割の75歳以上の医療費自己負担を2割にする(4月25日の財政制度等審議会)。

 ▼寿命の伸びや人口減などによる医療費増を自動的に患者に付け替える「マクロ経済スライド」を導入(同前)。

 ▼高齢化に伴う社会保障費の自然増を19~21年度までの3年間で1兆円に抑えるという(今週の報道)――。16~18年度の1.5兆円よりさらにカットする腹積もり。「経済財政諮問会議」の試算では、社会保障の自然増は3年間で最低2.1兆円程度だから、半分以下に抑えられる

  「膨張する防衛費や、富裕層などにはメスを入れず、国民生活に犠牲を強いるのは本末転倒ですよ。負担増と給付削減は、国が国民との約束を破るということ。国民の人生プランも崩れ、不安も増大する。それを財務省は、ジワジワと淡々と進め、国民に申し訳ないという姿勢は全く見えません。政策遂行も、国民をナメ切った不祥事の対応と通じる部分があります」(浦野広明氏)

 マレーシアのように政権交代で「喝」を食らわすしかないか。

 


  久々のいい天気です。でも、また体調が良くない。風邪をぶり返したようです。情けない。
 アスパラがたくさん採れたので、熱々の鍋にして食べます。

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必死に自由(銃)を守る・・・

2018年05月19日 | 社会・経済

テキサスの高校で銃乱射事件、8人以上が死亡 容疑者は同校生徒

(朝日新聞デジタル 2018年05月19日

 テキサスの高校で銃撃、8人以上死亡 容疑者は同校生徒

  米テキサス州サンタフェのサンタフェ高校で18日午前8時(日本時間同午後10時)前、銃の乱射事件があり、複数の死者が出た。近郊の大都市ヒューストンを含むハリス郡のゴンザレス保安官は記者会見し、「8人から10人の犠牲者が出ている」と述べた。地元警察などによると、校内や周辺から爆発物も見つかった。

 AP通信によると、犠牲者の大半は生徒とみられる。ほかに警察官1人が撃たれたが、容体はわかっていないという。

 同保安官によると、「容疑者の男1人を逮捕し、関係が疑われる別の1人に話を聞いている」と述べた。2人とも同校の生徒という。複数犯の可能性もある。複数の爆発物が見つかったことから、警察は地域住民に対し、不審物に注意するよう呼びかけている。

 事件の詳細は不明だが、生徒の1人はCNNテレビの取材に、「銃を持った犯人が教室に入ってきた。散弾銃のように見えた」などと語った。地元メディアが生徒の話として、火災報知機が鳴り、避難しているところで銃声が聞こえたと伝えた。保安官によると、始業時間の直前に事件が起きたという。

 トランプ米大統領は18日の演説のなかで、「米連邦と地元の当局が事態に対応しているところだ。胸が張り裂けそうで、本当に恐ろしい」などと述べた。

 CNNのまとめでは、米国の学校では、今年に入ってからすでに22件の発砲事件が起きているという。2月にはフロリダ州パークランドの高校で17人が犠牲になる銃乱射事件が起きた。

 フロリダ州の事件後には、この学校の高校生たちが銃規制強化を求める声を上げ始め、3月には高校生らの呼びかけで首都ワシントンで80万人が集まる集会を開いた。

 こうした動きを受け、フロリダ州で銃を購入できる年齢を18歳から21歳に引き上げる法律ができるなど、一部で規制強化が進んだ。一方、強い政治力を持つ「全米ライフル協会」(NRA)は規制強化に反対。学校での銃撃事件に対処するため、教職員らに銃を持たせるべきだなどとの主張もある。(ニューヨーク=鵜飼啓)

 

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マスコミ2題ーフェイク産経・“安倍様のNHK”

2018年05月18日 | 社会・経済

昨日の記事で、「産経新聞」の立ち位置がはっきりとした。
それと同時にもう一つの根本姿勢が問われる問題が明らかになっていた。
それは、

ネットのブログより軽い産経ニュース 誤報記事を黙って訂正、発がん性めぐる健康情報で

Mynewsjapan .植田武智 05/16 2018

 コーヒー豆に含まれる発がん物質『アクリルアミド』について、産経新聞は4月19日に「抽出によって90%以上は除去されるので、飲むときの量は微量」という記事を掲載した。しかしそれは全くの誤報で、焙煎豆に含まれるアクリルアミドはほぼ100%コーヒー液に溶け出している。産経が間違った理由は、全日本コーヒー協会の専務理事が、コーヒーの安全性を強調したいばかりに、分析データを誤解して出した、事実ではないコメントを鵜呑みしたことによる。5月10日に筆者の平沢裕子記者に間違いを指摘したところ、14日に「ウェブ上の記事を訂正しました」との連絡があった。しかし訂正された記事を見ると、記事を訂正した件が報告されていない。同じ記事は新聞紙面にも掲載されており、そちらはそのままだ。産経新聞の読者は、こうして気付かぬうちにフェイクニュースを信じこまされている。

 

【Digest】

◇「コーヒー液にはアクリルアミドがほぼ溶け出さない」は間違い

◇全日本コーヒー協会のトンデモ解釈

◇産経はなぜ訂正した事実を読者に伝えないのか

◇「記事はアップデートしました」(平沢記者)

◇ネット情報より信頼できない産経記事

 

◇「コーヒー液にはアクリルアミドがほぼ溶け出さない」は間違い

 コーヒーに含まれる発がん物質アクリルアミドについての続報である。

 表紙に掲載した4月19日付の産経新聞の記事を見てもらいたい。問題だと思われる箇所に赤線を引いた。まずタイトルの「アクリルアミド コーヒーでがんになるの? 飲むときの摂取は微量」。また記事の中の小見出しには「豆の10分の1以下」とある。

 そして記事本文の中で、「別の調査では、レギュラーコーヒーの抽出液のアクリルアミド濃度は(中略)豆の10分の1程度だった。全日本コーヒー協会の西野豊秀専務理事は『抽出によってアクリルアミドの多くが除去される。コーヒーとして飲むときの数値は低い』と話す」と書かれている。

 つまり産経の記事は、アクリルアミドはコーヒー豆を焙煎する過程で作られるものの、我々が飲むコーヒー抽出液に溶けだしている量は焙煎豆に含まれる量の10分の1以下と微量なので問題はない、と主張している。

 しかし事実は、焙煎豆に含まれるアクリルアミドはほぼ100%コーヒー抽出液に溶け出す。そのことは、4月18日のmynewsjapanでの筆者記事に紹介した研究論文でも検証されている。またEUの事業者団体が食品中のアクリルアミドの低減方法をまとめた「アクリルアミド ツールボックス2013」 の中にも、「通常のコーヒーの抽出法では、アクリルアミドはほとんど完全に(almost completely)飲み物に移る」と書いてある。

 産経新聞および全日本コーヒー協会の方が間違っているのは明らかだ。なぜ全日本コーヒー協会は間違ってしまったのか?

 ◇全日本コーヒー協会のトンデモ解釈

  その理由がわかる資料が、コーヒー協会のホームページに掲載されていた。

  全日本コーヒー協会によるコーヒー焙煎豆(A)と抽出液(B)のアクリルアミド濃度の分析結果。単純にAとBを比較したことが間違い。

 2018年4月3日に公表されたQ&Aで、「コーヒーに含まれるアクリルアミドは発がん性の恐れがあると報道されていますが、飲んでも大丈夫ですか。」という質問に対して、9項目にわたり解説した文書である。

 その中でコーヒー協会がレギュラーコーヒーの焙煎豆と抽出液に含まれるアクリルアミドの分析を専門機関に依頼した結果をもとに「レギュラーコーヒーの抽出液のアクリルアミド値は、(中略)コーヒー(粉)の10分の1 以下となっています。(参考1)」として左図の分析表が示されている。

 なぜか、豆の濃度(A)と抽出液の濃度(B)を直接比較して、抽出液の濃度が10分の1以下なので、抽出液に溶け出した量も10分の1以下だと主張しているのだ。

 全日本コーヒー協会の間違いをわかりやすく説明した図(筆者作成)

 (略)

  もっともらしく思えるが、何かがおかしい。豆の量は20gに対して、抽出液の量は300g(300ml)なので、15倍も増えている。抽出液にした段階で、アクリルアミドは15倍に薄まるので、濃度で比較してはいけないのだ。

 間違いを正そうと、5月1日に全日本コーヒー協会に電話をして尋ねた。

  ――「4月3日の文書で、コーヒー豆と抽出液のアクリルアミド分析結果の一覧表が示されていますが、そこのA/Bというのは何を示しているのでしょうか?」

 協会担当者「表の一番上の例でいうと焙煎豆(粉)に含まれるアクリルアミドの濃度が0.19ppmであるのに対して、抽出液に含まれる濃度は0.016ppmとなっていて、それを単純に割って、焙煎豆に含まれるアクリルアミドの内、91.6%は焙煎豆(粉)に残って、抽出液にはごくわずかしか出てきませんよということです」

  ――「ちょっと違うと思うのですが、これは20gのコーヒー豆(粉)を300mlのお湯で抽出しているわけですよね。ということは、豆の濃度が0.19ppmということは豆1gあたり0.19マイクログラム含まれていることなので、20gの豆には3.8マイクログラム含まれている。一方抽出液の濃度が0.016ppmということは、抽出液1ml(1g)あたり0.016マイクログラム含まれているということなので、抽出液300mlに含まれる量は、4.8マイクログラムになりますよね」

  「この部分は食品分析センターに任せていますので…」

  ――「このA/Bという分析も、食品分析センターから示されたのですか?」

  「A/Bの所は私どもで計算したものです」

  ――「食品分析センターの数値は正しいのだけれども、コーヒー協会が独自にA/Bという分析をした部分が間違いということでしょう」

  「そうでしょうか」

  ――「だって私の計算では、もともと豆20gの中には3.8マイクログラム入っていて、抽出液の中には4.8マイクログラムでている。逆に増えているのは誤差の範囲としても、これは、ほぼすべてのアクリルアミドが抽出液に出ていることを示していて、90%以上が豆に残っているというのは間違いです」

  「はいはい、おっしゃることはわかりました。私どもこの点については勇み足かもしれませんが、このA/Bの所は食品分析センターさんの方にも見てもらったんですけどね」

  ――「本当ですか?もう一度食品分析センターに確認した方がよくないですか?」

  「おっしゃることも理解できますので、もう一度確認するようにします。ただ我々としては、コーヒーに含まれるアクリルアミドはそんなに過度に恐れるものではないということを言いたかったわけです」

  ――「コーヒー協会が安全だと主張したい気持ちはわかりますが、その根拠として示されているデータが間違いだとすると、説得力がぐっと落ちますよね」

 「おっしゃっていることはよくわかります」

  ――「もし、間違いだと確認されたら、訂正をされた方が良いと思いますよ」

  「はい、こちらでも再度チェックしてみますので、よろしくお願いいたします」

  すると翌日5月2日に、コーヒー協会の文書は訂正され、問題の個所はきれいに削除されていた。

  しかし、訂正したということが示されていないのは問題だ。4月3日付の文書は消され、5月2日付の文書に置き換えられただけなので、初めて見る人は、日本コーヒー協会は文書を訂正したとは、分からないだろう。

  コーヒー協会が当初「アクリルアミドはコーヒー抽出液にはほとんど溶け出さないので問題ない」と主張していた事実が隠されてしまったのだ。

 ◇産経はなぜ訂正した事実を読者に伝えないのか

 しかし、産経新聞の記事は間違いのまま残っている。特に産経新聞は記事を全文ウェブ上で無料公開しているので、今後も閲覧される頻度は高い。

 間違いは訂正する必要があると思い、問題の記事を書いた平沢裕子記者の個人メールあてと、産経新聞社のお問い合わせ窓口に、記事の訂正を勧めるメールを5月10日に送ったが、産経の対応は、読者に対しても社会に対しても、極めて不誠実なものだった。

 業界団体が業界利益のために嘘をつくのはよくあることだが、それに新聞まで乗せられたら、フェイクニュースで世の中が汚染されてしまう。

  5月14日に平沢裕子記者から返信があった。

.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。

   ****************

友問題スクープ記者を“左遷” NHK「官邸忖度人事」の衝撃

日刊ゲンダイ 2018年5月17日

 「皆様のNHK」どころか、これでは“安倍様のNHK”だ。森友学園問題に関するスクープを連発していたNHK大阪放送局の記者が突如“左遷”されるというのだ。安倍政権の急所である森友問題を報道させないための“忖度人事”ではと、NHK内部に衝撃が走っている。

 森友問題を最初に指摘した木村真豊中市議が15日、フェイスブックに〈大阪NHKの担当記者さんが、近く記者職から外されるということです!〉〈NHKが「忖度」したということなのか〉と投稿し、物議を醸している。

 これを受け、日刊ゲンダイが調べたところ、木村氏が言及したA記者は現在、大阪放送局の報道部の副部長だが、来月8日付で記者職を離れ、番組チェックなどを行う「考査室」へ異動する内々示が出されたという。

 「考査室は、定年間際の社員が行くような部署で、悪くいえば“窓際”。A記者は昨年、森友問題が発覚した後、いち早く籠池前理事長のインタビューを行い『籠池に最も近い記者』とメディア関係者の間で一目置かれていました。今年4月4日の『財務省が森友学園側に口裏合わせ求めた疑い』をスクープしたのもA記者。文書改ざん問題など、検察の捜査が進んでいて、真相究明はまさにこれからというタイミングだけに、A記者も上層部に記者職を継続したいと伝えていた。なのに“考査室”ですからね」(NHK関係者)

 スクープ記者がいなくなれば、安倍首相を追い詰めるような森友問題の報道はNHKからガタ減りするだろう。やはり“忖度人事”なのか。

 A記者に話を聞こうとしたが、「私の立場ではお答えすることはできません」と口をつぐんだ。NHKに問い合わせると、「職員の人事に関して、原則、お答えすることはありません」(広報局)と返答した。

  前出の木村市議はこう言う。

 「スクープ記者を外すようではNHKは終わりです。視聴者を見て番組を作っているとはいえず、今後、受信料を払いたくないという国民も出てくるのではないでしょうか」

 NHKの森友報道をめぐっては、先日、共産党議員の国会事務所に〈森友報道をトップニュースで伝えるな〉と、上層部が部下に指示したとのNHK内部からとみられるタレコミもあった。いったい誰のための公共放送なのか。

 

 

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『南京事件II』、「歴史修正を調査せよ」

2018年05月17日 | 社会・経済

日本テレビが南京検証番組の第2弾! 虐殺否定派の「自衛発砲説」に緻密な取材で徹底反論

  リテラ 2018.05.17.

 2015年10月5日に初回放送されるやいなや、大きな反響を呼んだドキュメンタリー『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言』(日本テレビ系)。その続編が、5月14日(13日深夜)に放送された。

 チーフディレクターは引き続き日本テレビ報道局の清水潔氏。桶川ストーカー事件や北関東連続幼女誘拐殺人事件など、警察発表に頼らない独自の調査報道によって真相を追及してきた事件記者だ。

  1937年、日本軍による南京攻略戦の際に繰り広げられた、捕虜・民間人に対する大量殺戮や略奪、強姦、放火。その総称が、南京事件ないしは南京大虐殺と呼ばれる戦争犯罪である。前作『南京事件 兵士たちの遺言』は、元日本軍兵士の肉声や当時の日記などを中心に、取材班が現地取材も含め、矛盾点がないか徹底的な裏取りを試みる内容だった。

 イデオロギー論争の絶えない南京事件を扱いながら、丹念な調査報道で“事実”を浮かび上がらせた同作は、放送後、日本テレビにも大きな反響が寄せられた。その約9割が賛意を示すものだったという。また、専門家のあいだでも高い評価を集め、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞など数々の賞を受賞。ギャラクシー賞受賞式での清水氏の「忖度の“そ”の字もない番組をつくりたかった」という言葉も話題になった。

 しかし一方で、案の定というべきか、「南京虐殺はなかった」と主張するネット右翼や歴史修正界隈からは、格好の攻撃の的にされてしまった。たとえば産経新聞は放送から約1年後、例の「歴史戦」なる歴史修正シリーズにおいて番組を名指しで批判。「南京事件で虐殺はゼロかごく少数」と主張して大多数の歴史学者から白い目で見られている「まぼろし派」(虐殺否定派)の学者らの言葉を借りながら、「中国の謀略宣伝のやり方と酷似」などと難癖をつけまくり、“偏向番組”のレッテルを貼ろうとしたのだ。

 そうしたネガティブキャンペーンの効果もあってか、放送から2年以上が経った今も、相変わらずネット上では「南京虐殺は中国の創作」「虐殺はなかった」なるデマが絶えない。いや、ネトウヨだけではない。中国による南京虐殺の世界記憶遺産への登録に猛反発してきた日本政府・安倍政権を中心に、南京事件を否定しようとする政治的な動きもますます強くなっている。

 そんななかで公開された続編。タイトルは『南京事件II 歴史修正を調査せよ』だ。そう、番組は、一次資料や裏付け取材に基づいて、リビジョニズムに対し真正面から回答するとともに、その“根源”がいかなるものであるか、現在の社会全体へ突きつけたのである。

南京虐殺否定派、ネトウヨたちが主張する「自衛発砲説」を徹底検証!

 たとえば放送では、あえてネット上で〈(『南京事件 兵士たちの遺言』は)プロパガンダでしょう〉〈虐殺ではなく、自衛行為に相当します〉なるカキコミが目立つと紹介。さらに「事件に対して異論を唱える人たちのなかには現職の国会議員までもふくまれています」というナレーションとともに、昨年12月開催の「外務省 目覚めよ!南京事件はなかった」と題された集会のパンフレットを映した。

 この集会には稲田朋美元防衛相も登壇し、「日本の名誉を守るとは、いわれなき非難や事実と違うことに断固として反論することだ」などと語ったという。こうした外務省の見解とも相反する否定論に、政権の有力政治家が積極的に参与していることを示したうえで、番組では後半、否定派の論拠を徹底検証。なかでも、捕虜の大量殺戮を正当化しようする「自衛発砲説」への検証取材は、極めて力の入ったものだった。

 「自衛発砲説」とは、簡単に言うと、1937年12月17日、陸軍第十三師団山田支隊(歩兵第103旅団)の基幹だった歩兵第65連隊による揚子江沿岸での数千〜数万人の捕虜銃殺・刺殺を、「捕虜を解放するため沿岸に連れていったが、暴動を起こしたためやむなく制圧した」と読み換えるもの。「捕虜が計画的に収容所へ放火し混乱を引き起こした」「対岸の中国兵が発砲、捕虜が勘違いをして暴れだした」「国際条約上、逃亡中の兵士の処刑は正当である」(東中野修道・亜細亜大学教授など)との主張とセットで語られることが多い。ようするに、捕虜の殺害は偶発かつ正当であり、「虐殺」には当たらないというストーリーである。

 なお、前述した産経新聞による『南京事件 兵士たちの遺言』に対するバッシング記事も、この「自衛発砲説」に番組は踏み込んでいないとして批判材料に使っていた(実際には番組中で紹介及び説明をしていたので、明らかな言いがかりだが)。

 ところが、この「自衛発砲説」は軍の公式記録として残っているわけでもなんでもない。それがなぜ、否定論者やネトウヨの間で“定説”であるかのように流布しているのか。番組はその根拠を検証するため、説のルーツを辿っていく。

 番組によれば、ネットを中心に広がる「自衛発砲説」のほとんどが、近年発行された書籍からの引用だったという。具体的には「まぼろし派」である前述の東中野教授らの著書だ。そこからさらに情報を遡ると、最終的に、1964年に出された『郷土部隊戦記』という本にいき着く。捕虜殺害を実行した歩兵65連隊の出身地である福島県の地元紙・福島民友新聞社が発行したもので、このなかに「南京虐殺事件の真相」と題された章がある。

 番組取材班は、会津若松に向かった。同書が出る二年前には、福島民友新聞でその元となった記事が書かれていた。番組によれば、これが「自衛発砲説」を世に初めて伝えたものだという。

「自衛発砲説」は部隊の責任者の主張にもとづいたもの、その信憑性は…

 本サイトも『郷土部隊戦記』を確認したが、要約するとこうなる。歩兵65連隊は12月15日に幕府山砲台付近で大量の捕虜を得て〈非戦闘員をただちに釈放〉したが、残りの〈約八千人の捕虜の処置に困った〉山田栴二旅団長が南京の軍司令部に部下を派遣して指示を仰いだところ、〈軍司令部の考えは「みな殺せ」という驚くべき意向だった〉。そして15日夜の9時すぎ、捕虜が夕食の炊事中に〈計画的放火〉を起こし、その混乱に乗じて約半数が逃亡したという。

 16日にも山田旅団長は部下を軍司令部に派遣して〈捕虜を殺すことはできぬ〉などと掛け合ったが〈「捕虜は全員すみやかに処置すべし」という軍命令〉が出された。そして問題の17日、〈軍命令を蹴って連隊長の独断専行〉で、部下の大隊長に〈今夜暗闇に乗じて揚子江対岸に解放しろ〉と指示があったという。以下、核心部分がこのように続く。

 〈しかし思わぬ事態が発生した。夜十二時ころ、十数隻の小舟にのって1回目に渡河した二、三百人が中流までいったところ、対岸の中国軍が日本軍の渡河と見誤ってにわかに発砲してきたのだ。この銃声にこちらの岸に集結していた捕虜は「日本軍がわれわれを江上にひき出して銃殺する」と誤解してしまった。たちまち大混乱が起こった。彼らは猛然と警戒のわが兵たちを襲い出した。約四千人近い大集団が死に物ぐるいで一度に、いきり立ったのだからたまらない。いくら制止しても聞かず、恐怖を感じた兵は発砲するほかはない。部隊でも将校一人、兵六人が捕虜の群にひきずり込まれて死亡した。

  翌朝、江岸には不幸な捕虜の死体が残った。しかしその数は千人を上回った程度で、ほとんどは身のたけはゆうにある江岸のアシを利用し、あるいは江上にとび込んで死亡したのである。これが事実のすべてである。全員解放というわが方の意図は突発事故のために結局実らないでしまい、遂にわが方も人的損害を出してしまった。国際法によれば、逃亡する捕虜は射撃して差し支えないことになっているが、両角部隊の場合は、当然これに該当するものと思われる。もしこれが戦犯部隊であるとするならば連隊長らはとうに処断されているはずだ。〉

 まさに虐殺否定派が唱える「自衛発砲説」である。だが実は、この記述は、主に両角連隊長への取材に基づいていた。つまり、部隊の責任者の主張がまとめられたものだったのだ。

 それだけでも保身のための証言ではないかとの疑念が浮かんできて当然だが、しかし、番組は即断しない。この記述の信憑性を別の複数の資料や証言と重ねることで慎重に検証するのだ。

両角連隊長メモの矛盾、現場の兵士たちの日記や証言と食い違いが多数

 たとえば、両角連隊長が残したというメモ。15日から18日にかけては、ごく簡潔にこう書かれていた。

 〈十五日 俘虜整理及附近掃蕩

  十六日 同上、南京入城準備

  十七日 南京入城参加、Iハ俘虜ノ開放準備、同夜開放

  十八日 俘虜逸脱ノ現場視察、竝ニ遺体埋葬〉

 これに従えば、両角連隊長は17日に捕虜の解放を準備したことになる。一方、16日には捕虜に全く触れられていない。なぜか。

 実は、番組が明らかにしたように、16日にも揚子江沿岸での捕虜虐殺が行われていた。ある上等兵の日記にはその模様が克明に記されている。

 〈12月16日、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す〉

 〈その後、銃剣にて思う存分に突刺す〉

 〈自分もこのときばかりと支那兵を三十人も突き刺したことであろう〉

 〈山となっている死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひがん勇気が出て力いっぱいに突刺したり〉

 〈うーんうーんとうめく支那兵の声。一人残らず殺す。刀を借りて首をも切ってみた〉

 この証言は前回の『南京事件 兵士たちの遺言』でも取り上げられたものだ。1994年に、在野の研究者・小野賢二さんがこの上等兵にインタビューしたときの映像も放送されており、はっきりとした口調でこう語っていた。

 「機関銃を持ってきてバババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。捕虜はみんな死んだけれども、『なかに弾に当たんねえみたいなのがいるかもしれないから着剣して死骸の上を突いて歩け』と。ザッカザッカ突いて歩いた。おそらく30人くらい突いたと思うが。何万という捕虜を殺したのは間違いねえ」

 まだ終わらない。取材班は、上等兵の証言とさらに複数の別の元日本兵による日記とを重ね合わる。すると〈一万七千二十五名の三分の一を引き出し射殺す〉(歩兵第65聯隊第八中隊少尉の日記)、〈揚子江畔にて銃殺〉(山砲兵第19聯隊第八中隊伍長の日記)など、小野さんが所有する日誌やコピー合わせて31冊の多くが捕虜の銃殺に触れており、なかには、不自然にも12月16日の記述だけが消されていた日記もあったというのだ。つまり、現場の兵士たちによれば、16日にはすでに数千人規模の銃殺が行われていたことになる。

両角メモの真相とは?65年前両角連隊長に直接取材した元新聞記者が証言

 しかし、繰り返すが、なぜか両角連隊長はそのことに全く触れていない。それどころか、不可解にも翌17日になって「俘虜開放準備」をしたというのである。明らかな矛盾だ。しかもメモによれば、両角連隊長は17日に南京入城式に参加しており、番組が紹介した第65連隊の第四中隊少尉の映像ではこんな証言がなされている。

 「現地には誰もこないですね」

 「そういう職業軍人はいないですよ」

 両角連隊長は自分で銃殺現場を見ておらず、現場にいた責任者は別の大隊長だった。そして、大隊長の護衛として現場にいた上等兵の日記には、12月16日に〈二千五百名 殺す〉とあり、加えて、両角連隊長が自衛のための発砲を主張する17日には〈今日は南京入城なり〉〈俺等は今日も捕虜の始末だ〉〈一万五千〉と記されていた。さらに、別の少尉はその大隊長から「箝口令がありました」と証言し、このようにも語っていた。

 「(捕虜を)解放しようなんてね、船もなしに。よくそんな偉い人はぬくぬく言うなあと思いました。戦後記事になったでしょう。捕虜を解放しろなんて言ったなんてね。とんでもない詭弁ですよ」

 はっきりと浮かび上がる食い違い。そして番組は、決定的な証言を得る。65年前、両角連隊長に取材し記事を書いた福島民友新聞の元記者を探しだして、清水ディレクターが直接、インタビューをしたのだ。

 元記者の阿部輝郎さんは、85歳になっていた。取材当時、両角連隊長の自宅に2回訪問し、2日にわたって長い話を聞いたという。阿部さんもまた清水氏の質問に対し、両角連隊長は現場におらず、捕虜殺害を見ていなかったと答えた。そして、両角連隊長によるメモは「戦後になって、昭和30年代になって書いたものである」と証言したのである。

 現場の兵士たちの証言等と多く点で矛盾した、両角連隊長の「自衛発砲説」は、もはや完全に崩れたのだ。番組では、こうした裏付け取材を経て、否定派の唱える「自衛発砲説」の根拠は「軍の責任者たちが戦後に言い出した弁明だった」と結論づけたが、実際、そういうことだったとしか考えられない。

歴史学的に見ても、戦後に書かれた両角メモの信憑性は極めて低い

 言っておくが、番組の結論は歴史学的手法としても正当なものだ。たとえば、南京事件をめぐる論争では「中間派」を自称する保守派の近代史家・秦郁彦氏は、『南京事件 増補版』(中央公論新社)のなかで、各種資料の評価基準をAからEの順で解説している。

 それによれば、最も確度が高いのは、事件に関わった日本軍の司令部や実働部隊の作戦命令、陣中日誌などの公的記録等、すなわち「A 公文書記録」。続いて「B 指揮官クラスの業務日誌・メモ類」、その下に「C 一般従軍者の私的日記・メモ類」として、これらを「第1次資料」と分類する。一方、そうした第1次資料よりも信頼性が劣る「第2次資料」として「D 戦後の研究所・論文」、その下に「E 従軍者の戦後における回想記・回想談」と並べている。

 番組が取り上げた資料・証言に照らし合わせると、複数の現場の兵士が従軍中に記した日記等はC=第1次資料に分類されるだろう。一方、「自衛発砲説」を主張した両角連隊長のメモ、あるいはその回想をまとめた記事は戦後になってつくられたものなのでE=第2次資料となる。なお秦氏は、Eは〈玉石混交〉だが〈第一次資料と照合しつつ裏付けの聞きとりをすれば有益な場合がある〉としている。番組では、両角連隊長のメモや回想録を第1次資料を含む複数証拠と付き合わせることで、その信頼性のなさを明らかにした。お見事としか言いようがない。

 なお、両角連隊長のメモは、陸軍の元幹部らによる組織である偕行社がまとめた『南京戦史資料集II』にも、前述の阿部元記者が筆写したものとして所収されている。通称「両角日記」で、番組はこの“幻”とも言える原本を示したわけだ。また、同資料集には「両角業作手記」と題した文書も収録されており、本稿でも引用した『郷土部隊戦記』の内容と似たものとなっている。

 偕行社の『南京戦史資料集』は南京事件研究の基礎文献と位置付けられており、虐殺否定派もしばしば引用してきた。だが、同資料集冒頭の解説には「両角日記」及び「両角手記」の性質についてこう断言されていることに、なぜか否定派はあまり言及しようとしない。

 〈『両角業作大佐の日記』は、メモと言った方がよいかも知れぬ簡単なもので、問題の幕府山で収容した捕虜の処置については、その全体像を明らかにすることはできない。〉

 〈『手記』は明らかに戦後書かれたもので(原本は阿部氏所蔵)、幕府山事件を意識しており、他の第一次資料に裏付けされないと、参考資料としての価値しかない。〉

戦争犯罪を記録した「公文書」の多くは焼却……番組が突きつけた「公文書」の意義

   どうだろう。もっとも、清水ディレクターを始め番組取材班もこの資料集を熟読していないはずがないが、そこからさらに裏取り取材を徹底したことは、率直に言って感服する。いま、ネット上ではまたぞろネトウヨが〈産経に色々指摘され悔しくて反論番組作ってみたつもりなんだろう〉〈本当か?日本のイメージダウン作戦?〉などとほざいているが、もはや話にならないだろう。

   ちなみに、前作『南京事件 兵士たちの遺言』に対する産経の攻撃については、本サイトで当時いかにインチキであるかを詳報したので、ぜひ、そちらもご一読いただきたい(http://lite-ra.com/2016/11/post-2680.html)。

 いずれにしても、丹念な調査報道によって、またもや南京における虐殺の客観的事実を突き止めた『南京事件II』だが、もうひとつ、特筆すべきことがある。それは、番組を通じて「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した点だ。

 戦中の軍による戦争犯罪・残虐行為を記録した日本側の公文書は、敗戦の1945年8月15日の前後に、その多くが焼却されている。証拠隠滅のためだ。南京攻略戦に関する軍の資料も、やはり敗戦前後に、市ヶ谷の陸軍省で燃やされていた。番組では冒頭、焼却され、埋められた公文書の一部が、焦げた紙の束として防衛省の敷地内から出てきたことの紹介から始まる。その現物は、ところどころ焼け跡があり、記録の全体を読むことは、もはや不可能となっている。

 南京事件の全貌がかくも見えづらく、もっぱらイデオロギーに利用される原因のひとつは、こうした公文書つまり一級の第1次資料が、意図的に処分されてしまったことにあるのは言うまでもなかろう。

 翻って現在、安倍政権下の日本では、公文書のあり方が問われている。政府が、存在するものを「ない」と平気で嘘をつく。役人が国民の知らぬところで文書を改ざんする。あるいは「特定秘密」と言って、人々の目の届かないところに葬り去ろうとする。こうした政府による公文書の隠蔽や改ざんは、現代社会の根底を揺るがすと同時に、のちの“事実の検証”を著しく困難にさせるものだ。

 『南京事件II』の副題は、「歴史修正を調査せよ」だった。これは、南京事件だけの話ではない。私たちは、いま、安倍政権によって、現在進行形で“歴史の修正”がなされているという事実を、もっと深刻に受け止めるべきではないか。 (編集部)

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特殊清掃業

2018年05月16日 | 社会・経済

特殊清掃業 
 5年間で15倍増 家族関係の希薄化背景に

  毎日新聞2018年5月13日

 

民間資格の特殊清掃士が在籍する業者数と高齢者の独居世帯数の推移

 孤独死した人の自宅を清掃・消毒して原状回復する「特殊清掃業者」が急増している。業界団体によると、全国で5000社以上が参入しており、団体が民間資格の認定制度を始めた5年前から業者数は15倍超に膨らむ。高まる需要の背景に、家族・親族関係の希薄化が浮かび上がる。

 特殊清掃業者は故人の住宅の管理人や親族らから依頼を受け、清掃や消毒のほか、遺品整理を請け負うこともある。孤独死の場合、遺体発見まで時間が経過すれば、室内の臭いや汚れがひどくなる。業者は特殊薬品や殺虫剤、電動のこぎりなどを使って室内を原状回復し、感染症予防のため防護服を着て作業することも多い。

 業界関係者によると、特殊清掃は一部のリサイクル業者や引っ越し業者が始めたが、近年は葬儀や廃棄物処理など幅広い分野の業者の参入も目立つ。

 だが、悪質な業者による高額料金の請求や雑な作業を巡るトラブルも少なくない。こうした業界の健全化を目指し、2013年に一般社団法人「事件現場特殊清掃センター」(本部・北海道)が設立された。

 センターは民間資格「特殊清掃士」の認定制度を創設。遺族対応や質の高い清掃方法などをテーマにした約2カ月間の通信講座を受け、試験に合格すると特殊清掃士に認定される。13年は資格取得者が在籍する業者は326社だったが、昨年末現在で5269社まで急増している。

 厚生労働省の国民生活基礎調査などによると、16年の1人暮らしの高齢者数は約655万人(推計)で、10年前の約1・6倍に上る。核家族化も影響して孤独死は全国で相次いでおり、特殊清掃業の需要が高まっている。センターの小根英人事務局長(41)は「需要は今後も増える。遺族らに寄り添える業者を育てたい」と話す。【千脇康平】

孤独死の男性宅に張り紙 

「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」

 近畿地方を中心に特殊清掃を請け負う「メモリーズ」(堺市)の横尾将臣代表(49)には忘れられない現場がある。

 大阪市内の一軒家で8年前、住人の60代男性が風呂場で孤独死した。疎遠だった親族からの依頼だった。

  「メモリーズ」が特殊清掃を請け負った大阪市内の一軒家には、孤独死した住人男性が記したとみられる張り紙が冷蔵庫の扉に残されていた(同社提供)

 台所や居間には食べかけのコンビニ弁当が散らかっていた。近所付き合いも避けていたという男性。冷蔵庫の扉には、自分に言い聞かせるように黒色のペンで書かれた張り紙があった。「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」

 横尾さんは「生きようとしていた形跡を目にすると、こんな最期しかなかったのかと切なくなる」と嘆く。

 同社には毎月150件近い依頼があり、その数は約10年前の15倍に上る。

 「クリーンメイト」(大阪市生野区)の西村訓典社長(35)も半年前、高齢女性が孤独死した大阪府内の自宅を特殊清掃した。依頼主は関東地方の息子だった。ギャンブル好きの父親と仲たがいし、20年前に家を飛び出して家族と疎遠だった。

 電話台の棚から、先に亡くなった父親の言葉を妻の女性が書き留めたノートが見つかった。「(息子に)悪いことをした。もう一度会いたかった」。だが、息子は「家族とは縁を切った」と告げ、室内に残されていた百十数万円の現金だけを受け取った。

 西村さんは「どんなに疎遠でも、故人は家族のことを思って生活していたはず。思いがこもった遺品を届けるのも仕事だが、親族から拒まれることも少なくない」と話した。【近藤大介】


やっぱり、この環境ではスマホの選択肢はないそうで、「多機能携帯」に落ち着きました。写真も今までよりはずっといい感じです。

傾いたなしの木。花もたくさんつけています。助かったようです。

勿忘草。

菜の花が咲き始めています。江部乙地区は車も多くなっています。月末が見どころでしょう。

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小児生活習慣病対策を

2018年05月15日 | 健康・病気

 毎日新聞2018年4月20日

  ニッポンの食卓 第2部 育ちの現場から

 ●やせ、肥満両極化

 東京都内の中学3年生の女子は毎日欠かさず、食後に便秘薬の酸化マグネシウムを飲んでいる。ネットではスタイルの良い女性タレントの写真を付けて「ダイエット中の方へ」とのキャッチフレーズで販売されている製品だ。彼女は太ってもいないのにダイエットのために飲む。お菓子を食べ過ぎ、偏食も目立つが、親も本人もそれほど気にしていないようにみえる。

 文部科学省がまとめた「学校保健統計調査」(2017年度)を分析した杉浦令子・和洋女子大学准教授(小児保健)は「小中学生の肥満は1980年代から増えていたが、00年あたりからやや下がってきている。それ以後は、やせ(痩身)が増加傾向にある」と説明する。しかし、肥満の割合は、80年代よりも高く、両極化が進んでいるといえる。

 地域によって差があり、肥満は地方で多く、東北や九州の多くで10%を超える。やせは千葉、大阪、愛知など都市部で高く、12歳女子では5%前後に上る=表。杉浦さんは「やせた児童は朝食をほぼ食べない割合が高く、自己流ダイエットで朝食や夕食を抜くこともある」と指摘する。

 杉浦さんも関わった日本学校保健会のサーベイランス事業報告書(16年度)によると、女子は小学生の約3割、中学生の約7割、高校生の約8割が「やせたい」と思っていた。杉浦さんは「ダイエット志向の大人の社会的な風潮が子供たちの心理や行動にも影響を及ぼしているのでは」と見る。

 ●将来に影響

 子供時代のやせは、次世代の生活習慣病を増やす要因になる。やせたまま成人となって子供を産むと、2500グラム未満の低出生体重児が生まれやすくなる。その低出生体重児が大人になると糖尿病や高血圧、脂質異常など生活習慣病になりやすいことが内外の研究で分かっている。また、肥満も小児生活習慣病にかかる危険がある。

 富山県高岡市は小児生活習慣病予防健診に熱心だ。94年から、小学4年と中学1年全員を対象に血中の脂質や血糖値などを測る健診を続けている。健診の前には子供や親に生活習慣病の学習をさせる。結果を踏まえて、野菜をよく食べて脂っこいものは食べ過ぎない▽ジュースを飲み過ぎない▽一口で20回かんで食べる--といった家庭への食事指導もする。

 ●健診と学習で効果

 健診業務に長く携わってきたJCHO高岡ふしき病院小児科の宮崎あゆみ医師は今年2月、06年度と14年度の健診データを比較、分析した。中1女子のやせの割合は約8~9%と両年とも高く、やせの低年齢化が進んでいる。肥満は減少傾向とはいえ、小4男子で約11%、女子で約8%と依然として高いことが分かった。ただ悪玉コレステロールの高い子供は明らかに減少していた。宮崎さんは「健診を実施すると子供、学校、家族が健康に気を使うようになる。その成果があったのでは」と見ている。

 長年、小児生活習慣病対策に取り組んできた青木内科循環器科小児科クリニック(福岡市)の青木真智子医師は「動脈硬化の兆しは小児期から始まる。小中学生で小児生活習慣病を発症するケースがあるが、周囲が気づいていない」と訴える。

 福岡市が小4児童1万791人を健診した結果、治療を必要とする小児肥満症が約3%、脂質異常や高血糖、高血圧など動脈硬化のリスクが高いメタボリック症候群の子供は約0・5%いた。

 青木さんによると、肥満児童は「ジュースを水のように飲む」「お菓子をごはん代わりに食べる」「よくかまないでのみ込む」などの特徴がある。やせ形の児童は「自分で作った食事しか食べない」「自分の体形にこだわる」などの傾向がみられるという。親が子供の体重に関心が低く、やせていることに気づいていないケースもある。

 ●家庭での食育も

   学校保健安全法では、学校の健診で、心臓検診や運動器検診などの項目はあるものの、高血糖など小児生活習慣病の項目は対象になっていない。福岡市や高岡市のような健診を実施している自治体や学校がどれくらいあるかの調査はないが「実施しているところは少ない」(文科省学校健康教育課)のが現状だ。

 福岡市医師会は医師用と家庭用で別々に肥満編とやせ編の「今日からできる小児生活習慣病の対策マニュアル」をつくり、市内の約150人の医師が活用している。青木さんは「小児生活習慣病は子供のうちに見つけて、食事や運動で改善していけば、治りは早い」と子供でも大人のような保健指導が必要だと指摘する。また、バランスの良い食事を家庭で出さなかったり、子供の好きなままにさせたりすることが不健康につながる。家庭での食育も同時に必要だといえる。【小島正美】=おわり

 ◆都道府県別のやせの割合

 上位10道府県

 長野  5.94
 
千葉  5.71
 
栃木  5.42
 
京都  5.36
 
愛知  5.24
 
滋賀  5.19
 
北海道 5.12
 
埼玉  5.08
 
群馬  5.03
 
大阪  4.98

 下位10県

 青森 2.64
 
沖縄 2.72
 
茨城 2.74
 
佐賀 2.75
 
香川 2.82
 
長崎 2.86
 
熊本 2.95
 
広島 3.03
 
山梨 3.12
 
宮崎 3.17

 (12歳女子)=学校保健統計調査(2017年度)から。数字は%。

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カッコー鳴くー異常に早い・・・

2018年05月14日 | 自然

 携帯を購入して2年目か、バッテリーが送られてきたはずだ。その時交換したバッテリーはまだ使えるのではないか?ということで探して交換したところ、うまく充電できています。写真も撮れました。今度はスマホかな。ここに住んでいると携帯の電波さえ届かないので、スマホなんて考えてもいませんでした。
 体調も良くなりましたが、ひんやりとした風がやや強く、外での仕事、躊躇しましたが久しぶりに体を動かしてきました。
 ところで、今朝半月も早くカッコーが鳴きました。カッコーが鳴くと霜の心配もなく、何を植えてもいいですよという目安なのです。まだ全然準備ができていないのに・・・・・。異常です。
 江部乙に行ってきました。

もう、ほとんど桜は散っていました。
そして、新たに山菜が出てきました。

ワラビです。

ウドも顔を出しました。
フキも大きくなりました。

ジュンサイも見えるようになってきました。

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セクハラも漢字読めぬも罪じゃない(東京都 林明倫)

2018年05月14日 | 社会・経済

2018年5月8日 朝日川柳 西木空人選

     *****

情報・知識&オピニオン imidas  連載コラム2018/05/13

 教育は生産性向上術にあらず

 浜矩子  (同志社大学大学院ビジネス研究科教授)

  とっても気になる新聞記事が目に留まりました。日本経済新聞が掲げた連載企画「生産性考」シリーズの第4回目(2018年5月4日付朝刊)が教育現場の状況を取り上げていました。

 内容的には、日本の学校が生徒たちに押し付けるしゃくし定規なルールや、画一性を問題視しています。そこにまったく異論はありません。若者が、伸び伸びと生き生きと、そして目一杯、創造性を花開かせる。それが教育に与えられた使命ですよね。元々、奇麗な茶髪に生まれた生徒さんに、「黒染めか、退学か」などと迫る。そんな話にならない校則を糾弾する。上記の記事のこの姿勢には、喝采を送りたいと思います。

   ですが、このテーマが、「生産性考」という枠の中で取り上げられていいものでしょうか。この点が、どうしても奇異に感じられるのです。この記事の中には「学力が高い国が生産性が高いとは限らない」と題する図が示されていました。こんな問題が提起されることに、何とも強い違和感を覚えます。

 我々は、自分たちの生産性を高めるために教育を受けるのでしょうか。生産性を高めることに寄与しない教育は、子どもたちにいくら高い学力を提供することが出来ても、意味ある教育ではないのでしょうか。生産性の向上を生み出さない教育は、教育ではないということですか?

  筆者には、自分の生産性を高めるために学校通いをしていたという認識はありません。今日の先生方は、学生さんや生徒さんたちの生産性を高めることを目標に、教育に携わられているのでしょうか。そんなことはないはずです。皆さん、若者たちのみずみずしい知性を開花させることに注力されているに違いありません。ところが、ひょっとすると、今の先生方は、若者たちの生産性向上に寄与することが出来なければ、教員として高い評価を得られないのでしょうか。

 人の髪の毛の色を、偽りの画一色に変えさせる。そんな教育は、最低よりもさらに愚劣さ極まる教育だとしか、言いようがありません。そんな教育は、変えなければいけません。これは、言うまでもないことです。ですが、そのような変革が必要なのは、生産性の向上に資するためではありません。ここが混同されてはいけません。そもそも、こんな混同と履き違えの過ちを犯さないためにこそ、教育があるわけでしょう。

   皆さんは、フランスの文豪、アレクサンドル・デュマの大作、「モンテ・クリスト伯」をご存じでしょうか。この物語の主人公、モンテ・クリスト伯爵は、かつて無垢な若者、エドモン・ダンテスでした。彼は、仲間にだまされて投獄されてしまう。その時、仲間の裏切りを彼のために解明してれたのが、隣の牢獄にいたファリア神父でした。ダンテス青年は、神父様の謎解き力に感服します。そして、その謎解き力の源となった知性と教養に強い憧憬(しょうけい)を抱きます。

 知性と教養は、このような時のためにあるのです。生産性を上げるためにあるわけではありません。

 

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面白料理

2018年05月13日 | 食・レシピ

「クマさんオムライス」2013年07月17日 | 食・レシピ
が、またアクセスされていますので、画像も増やして再度掲載してみました。

 

 これじゃあ食べられません。Fbで見つけた面白い写真です。

 さらに見つけた面白料理。作者は不明ですが、画像にらしきものが記載されているのもあります。


これ、どこからスプーン入れますかね?

 今朝はようやく熱も36℃台まで下がりました。まだ完全ではありませんが、だいぶ楽になりました。
 もうそろそろ雨が降ってくる予報です。今日も無理せず、寝ています。
2日も更新しなかったのに多くの方が訪問くださいました。ありがとうございます。

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「#私は黙らない」!! 雨宮処凛がゆく!第445回:

2018年05月10日 | 社会・経済

雨宮処凛がゆく!第445回:

 止まらない「#Me Too」ムーブメント。「#私は黙らない」!! の巻(雨宮処凛)

 

  2018年5月9日 マガジン9

 少し前、近所の安い焼肉屋で友人と食事をしていた時のこと。

 近くの席には大学生くらいの男子とその祖父らしき人がいて、楽しそうに食事していた。漏れ聞こえてくる会話から孫の方は大学に入ったばかりのようで、おじいちゃんとのお祝いの食事っぽかった。彼女はいるのかとか将来は何なりたいのかとか、おじいちゃんは孫を心配するように聞いていて、孫ははにかむように笑っては「うーん」などと答えあぐねていて、その光景は微笑ましいものだった。

 そんな食事の最中、おじいちゃんは店員を呼び止め、写真撮影をお願いした。自分と孫の写真を撮ってほしいという。快く応じる、大学生くらいの女子店員。撮影が終わると、おじいちゃんは店員に、次は自分と一緒に写ってほしいとお願いし、孫にカメラを渡した。やはり快く応じて、椅子に座ったおじいちゃんの隣で腰をかがめる女子店員。するとおじいちゃんは突然、野獣に変身。店員の腰に手を回して自分の方に引き寄せ、顔をうんと近づけると、「いいか、女はこうやって誘うんだよ! 女にはこうすればいいんだよ!」とカメラを構える孫に叫んだのだった。

 慌てて手を振り払うように身体を離す女子店員。店内を漂う、「爺さんやっちまった…」という空気。近くにいた男性客が、女子店員をフォローしようとしたのか「いやー、大人気ですね…」と声をかけると、彼女は爺さんには見えないように思い切り顔をしかめ、「最悪」と呟いた。顔を真っ赤にして俯く孫。しかし、爺さんだけは場の空気の変化にちっとも気づかず、「女を誘う時は、ああいうふうに強引にしてやるもんだ」などと言って悦に入っている。こんなふうに孫に大恥をかかせた上に、「貧しいことこの上ない女性とのコミュニケーション方法の伝授という名のハラスメント」を撒き散らす「昭和の忘れ物」を久々に目撃し、「まだ絶滅していなかったのか…」とため息をついた。

 それまで、なんとなく微笑ましい光景としてみていた二人の姿だっただけに、ただただ「おじいちゃんの変貌ぶり」が怖かった。これが道端で、その辺を歩いてる女性に対してだったら爺さんだって絶対にやらないだろう。普通に通報案件だ。が、自分は客で相手は店員という立場だからやるのだ。客だから、多少のことは許されると思っているのだ。

 かように、セクハラ男はいついかなる時も自分が1ミリでも上に立てる「段差」(客という立場とか、仕事上の上下関係とか)を探している。おそらく爺さんには「セクハラ」という意識などかけらもなく、ただ「孫にいいところを見せたかった」のだろう。理想としては、「キャ、何するんですかやめてくださいよー(嫌なんだけど仕方なく笑顔)」「ハッハッハッ、ほーら見ろ、女はこういうことしたら喜ぶだろ?」という光景を出現させたかったのだろう。今までの「成功体験」もあるのだろう。が、爺さんの手は振り払われ、孫と同世代の女性店員は去っていった。その後、二人の食事の席が以前の盛り上がりを取り戻すことはなかった。孫が明らかに不機嫌になっていたからだ。祈るのは、その後、爺さんが「せっかくの食事の席なのに女性店員の態度が悪くて盛り下がった」などとクレームを入れたりしていないことだ。セクハラの加害者が「客」だった場合、この手の「復讐」は少なくない。

 冒頭から不快なエピソードを書いてしまったが、私は不快さを剥き出しにして爺さんの手を振り払った店員女性の姿に、心の中で拍手を送っていた。その瞬発力。愛想笑いで誤魔化したりしない毅然とした態度。自分が彼女くらいの歳の頃には、決してできなかったことだ。バイト中だし、お客さんだし、あとで店長とかに怒られるかもしれないし、自意識過剰って言われるかもしれないし…。バイト中にセクハラに遭遇しようとも、一度だって毅然とした態度を取れずに「えー、ハハ…」と曖昧に笑っていただけの過去の自分。しかし、時代はやっぱり少しずつ変わっているのだとしみじみ思った出来事だった。

 \ そうして最近、本当に、心の底から「変わりつつある」ことを感じた。

 それは4月28日、東京・新宿アルタ前で開催された「#私は黙らない0428」。財務省のセクハラ問題をきっかけに開催された街宣だ。

 集まった人々が手にするプラカードには、「#Me Too」「どんな仕事にも『人権』がある」「STOP GENDERING ME」「年齢はただの数字です」「セクハラ許さん」などなど。ゴールデンウィーク初日のこの日、多くの人が行き交うアルタ前で、世代や性別、背景や職業など多様な人々がそれぞれの思いをスピーチした。

 最初にスピーチした大学院生のカリンさんは、ある映画監督のインタビュー記事を読んだ時の違和感について、語った。プロデューサーから映画監督が言われたという「バカな女子高生、バカな女子大生、バカなOLでもわかる映画を作らなきゃダメなんだよ」という言葉。

 「なぜ、バカな大学生じゃなくバカな女子大生なんですか。なぜ、バカなサラリーマンじゃなくバカなOLなんですか。なぜ、女性はバカが標準設定とされているんでしょうか」

 そして自身がこれまで投げかけられてきた言葉について、語る。

  「高校生の時、『そんなんじゃ良いお嫁さんになれないよ』『元気な赤ちゃんを産みたいなら、そんな短いスカートはいちゃだめ』と言われ、驚愕しました。なぜ私の将来はお嫁さんなのか、私の身体なのに赤ちゃんを産む身体だと決めつけられなければならないのか。大学院に進学した時も、『勉強ばっかしてると結婚できなくなるよ、幸せになれないよ』と言われました。ものすごく余計なお世話だし、うるせえとしか思えません」

 ゲイの男性も登壇し、中学生の時、部活の顧問に一年間にわたって受けた性暴力についてスピーチする。高校生になってから、自分は男性が好きかもしれないと気づき、その時に思い出したのは性暴力の記憶。自分もあの顧問のようになってしまうのか、そのような経験があるから男性を意識するようになったのかと悩んだ日々。現在は自らのセクシャリティはオープンにしているものの、性暴力被害を話していいものか悩んでいた時期に起きたMe Too運動。

 「Me Too運動について、自分はそんなことしてないから大丈夫、女性たち、告発頑張って、と思っている男性が多数いると思います。しかし、Me Too運動が告発しているのは単純に個人ではなく、そのような人物、行いを見過ごし、隠蔽し、さらには促進さえするような文化と行動であり、そこからは誰一人、たとえ女性であっても自由ではありません。明らかにこれはだめだという行為と、習慣になってしまって意識にさえ上らないような性差別を助長する行為は繋がっています」

   京都から駆けつけてくれたという元セックスワーカーの女性・げいまきまきさんもスピーチした。彼女は普段、セックスワーカーの安全や健康を目指すグループ「SWASH」で活動しているという。彼女は自らがセックスワークをしている時によく言われた「そんな」という言葉を引き合いにして、言った。

 「『そんなん仕事じゃない』『そんな仕事をしてるからそんなひどい目に遭う』『そんな仕事してる人かわいそう』『その仕事辞めれないの』。『そんな仕事をしてるんやったらもう来ないでくれ』って病院から言われたこともあります。でもね、こういうことを言う人みんなが悪人か、悪意で言っているのかと言ったら、そうじゃないんですよ。みんなね、そんなことから助けてあげたい一心なんです。善意です。『そんなこと』ってなんやと思います。大体はね、『そんなこと』っていう人たちは、セックスワークのお仕事のことを、モノになるお仕事とか、自分の心身を他人に好き勝手にさせることがお仕事だと思っているんですよ。そういう人が多いです。でもさっきも言ったようにね、性的なコミュニケーションのサービスを商品にしているんです。自分で、いろんなことを仕事をしているうちに考えて。セックスワーカーは、私はモノではありません」

 「だからこれからは、『そんな』を『どんな』に変えて、どんなことが変わったら、このお仕事は安全になるんやろう。どんなとき、このお仕事でも楽しいと思える?私もみんなに聞きたい。どう?」

 彼女はずっと満面の笑顔でスピーチしながら、最後にみんなでコールした。

「どんな仕事にも人権がある」「セックスワークはお仕事です」

 女子高生や主婦、男性も次々とスピーチし、最後に登壇したフェミニストの和香子さんは、自身のレイプ被害について、触れた。

 「自分の叫びも身体の痛みも、身体の震えも全部しっかり覚えてる。壊れてしまったお気に入りだった金の時計も、すぐそこにあるホテルの部屋のドアが遥か遠くにあるかのように見えていたことも、全部全部覚えてる。被害に遭った直後に言われたこと。『あんたがそんな格好しているからそういうことが起こるんだよ』って。その言葉は私を殺した。私はしばらく死んでいた。そして私はこの国を離れる決意をした。その時私が必要としていた言葉を、私はついに聞くことはできなかった」

 涙を拭いながら、彼女は絞り出すように続けた。

 「私はおそらくそしてこれからもずっと、社会の求めるいい女になんかなれない。だから私は今日、ここに立つことを決めた。

 自分が聞くことのできなかった言葉を、どこかで必要としているであろう女たちに届けるために。

  私の痛みは、あなたの消費のためにあるわけではない。

  私の選ぶ洋服は、あなたへの招待状でもなければ許可証でもない。

  私は棚に陳列された商品ではなく、笑顔を貼り付けられた人形でもなく、自分を定義するということを覚えた私は、お前の、お前みたいなやつの一時的な欲求とシステムにコントロールされた物言いに負けることはない!」

  集まった聴衆から、地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こった。

 気がつけば周りの女性たちはみんな目頭を拭っていて、私の目からも涙が溢れていた。

 「必ず覚えておいてほしい。立ち上がること、言葉にすること、怒りを恐れないこと。自分とその未来の持つ可能性に目を背けないこと。そして、そこにいない人について、いつも考え続けること。あなたが自分の可能性に向き合うことを、それを諦めなければ、あなたはきっと呪いに打ち勝つことができる」

   大拍手の中、「#私は黙らない」は終わった。みんな、泣きながら笑っていた。あちこちで女たちが抱き合っていた。「#Me Too」の動きは、もう止められないことを確信した。

 あの日、語られたすべての言葉を、私はずっと忘れないと思う。街宣では、伊藤詩織さんからのメッセージが読み上げられた。

 「敬意と愛があれば、暴力は生まれない。想像してください、これがあなたの愛する人に起きたら。もし、あなたの娘だったら。もちろん、あなたも彼女たちが傷つくところは見たくないと思います。私たちはこれを止められる。今、この瞬間から」

 そう、今この瞬間から、変えられる。だから、私も声を上げていくのだ。改めて、誓った。


 昨夜から悪寒を感じていたのだが、きょう昼からさらにひどくなった。今日は皆さんのところへは行けそうもありません。夕ご飯を食べて横になります。悪しからず。
 ここ数日寒い日が続いていたので、皆さんもお気を付け下さい。

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雨宮処凛-土俵問題と「女は華」

2018年05月09日 | 社会・経済

Imidas  連載コラム 2018/05/09

 土俵問題と「女は華」問題

   雨宮処凛  (作家、活動家)

 「女性の方は土俵から降りてください」

 2018年4月4日、京都府舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業会場に、耳を疑うアナウンスが流れた。多々見(たたみ)良三舞鶴市市長が土俵上で挨拶の途中に突然倒れ、救命処置に駆けつけた女性たちに浴びせられた言葉である。

   人命よりも伝統やしきたりを優先する姿勢に非難が殺到し、日本相撲協会は謝罪。心臓マッサージをした女性たちへ感謝の言葉を述べたものの、その後、土俵に大量の塩がまかれたという報道も問題となった。これについては「病人が出たから」という説もあり、相撲協会の広報担当は「女性が上がったからまいたのではないと思う」と弁明しているが、女性=不浄というのは「女人禁制」にはつきもののイメージである。

 その2日後、兵庫県宝塚市の中川智子市長が土俵上での挨拶を申し入れ、断られたことも大きく報じられた。

 「女性ということで土俵の上で挨拶できないのは、悔しいです、つらいです」

 中川市長がそう述べると、観客からは大きな拍手が起きた。

 そのまた2日後には、静岡市で開催された大相撲春巡業の「ちびっこ相撲」で、小学生女児が土俵に上がることを「遠慮してほしい」と言われ、女児が上がれないという事態が発生。日本相撲協会は「安全面を考慮した」などと述べているが、昨年までは女児も土俵に上がれていたという。

 人命救助のために尽力すれば「降りて」と言われて塩をまかれ、市長という立場でもそこに立ち入ることを許されず、子どもであっても上がることを拒否される――。たった数日の間に、「土俵のしきたり」という「女は決して越えられない壁」の破壊力を散々見せつけられ、もやもやした気分は大きくなるばかりだ。

 しかも相撲の世界は、土俵は女人禁制だが、相撲部屋で献身的に働き、力士の世話をするのは女性である「おかみさん」だということは誰もが知っている。そして、それがどれほど大変な仕事かということも、多くの人が知っている。

 下働きの多くは女に押し付ける一方で、神聖な土俵には女など入れないというしきたり。なんだかこれって、この国の「男社会」をそのまんま体現しているようではないか。

 一方で、現代社会では多くの場で、ジェンダーバランスをとることが「いいこと」「進歩的なこと」「現代的なこと」とされている。女性議員の少なさについては、以前から一定数を女性と定めるクオータ制導入の必要性が叫ばれ(叫ばれてるだけでちっとも実現していないが)、企業なんかでも女性役員などを積極的にアピールすることがいいこと、という空気がある。

 が、そのような「私たち、ちゃんとジェンダーバランスに配慮してますよ」という場においても、もやもやすることは起きる。

 例えば私は作家・活動家という肩書きゆえ、イベントやシンポジウム、さまざまな種類の集会などに呼ばれるのだが、結構な頻度でもやもやに遭遇する。

 それは大抵、複数が登壇するイベントなどで起きる。ゲストとして何人かの男性のあとに紹介され、なぜ、私をゲストとして呼んだのかを主催者や司会者が話す時。結構な確率で、「女だから呼んだ」という内容のことを言われるのだ。

 そこにまったく悪気はない。貶めているわけでもまったくない。ただ、どんなに意識高い系のテーマのイベント・集会だとしても、この世はやはり男社会。パネリストやゲストにはどうしたって男性が多くなる。5人くらい登壇者がいる中で女は私一人、というケースも多々ある。

 そんな中、主催側はおそらく「男性ばかりではなく、女性ゲストも呼ぼうと配慮した結果、この人を呼んだんですよ」「私たちはちゃんとジェンダーバランスについても考えているんですよ」ということを強調したいからこそ、女性である私を呼んだことをアピールするのだろう。

 だけどそれって、「“女”という属性だけで呼んだ」ということである。別にこの人の活動や意見を評価しているわけでなく、「女の頭数」が必要だったので呼んだだけですよ――深読みしすぎかもしれないが、そんなふうに聞こえることもあって、ものすごく、もやもやしてしまう。

 しかも場合によっては、そこに「華」という言葉が加わることもある。「おじさんばかりじゃ華がないから」という言い分だ。

   が、そんなことを言われるたびに、思う。賑やかし要員のために呼ばれるほど暇じゃないんだけど、と。なぜなら「華」という言葉で私がまず連想するのは、テレビ番組なんかでゲストの後ろにずらりと並ぶ若い女性たちなどの光景だからだ。

 画面に映りはするものの、一切発言の機会を与えられず、拍手と笑顔だけを求められるという謎の存在。そんな光景を見るたびにやっぱりもやもやするのだが、私が「華」とか「女だから呼んだ」的なことを言われるのは、ステージに上がった瞬間。出端をくじかれつつ、みんなの前でバカにされているような気分もこみ上げる。

 これって考えすぎ? 被害妄想? と思っていたのだが、ある時「あんな言い方失礼すぎる! 雨宮さん、怒ったほうがいいよ! 私も客席から怒ろうかと思ったもん!」と言ってくれる知人の女性がいた。

 あ、このもやもやって、私だけじゃなかったんだ。違和感を持っていいことだったんだ。そう思うと、心の底から安堵して、思わず泣きそうになった。

 「え、そんなことで?」と思う人もいるかもしれない。だけどあなたが男性の場合、想像してみてほしい。イベントなんかにゲストとして呼ばれて登壇した瞬間、「女ばかりだとよくないと思って男だから呼んだ」と紹介されたら?

 もちろん、「男だから」という理由だけで呼ばれたわけじゃないことはわかってる。でも、決していい気はしないだろう。そして多くの女性は、もうずーっとそのせりふを言われ続けているのである。私自身は、デビュー以来18年間、言われ続けている。最近は言われなくなったが、30代前半くらいまでは「若い女だから呼んだ」というバージョンもあった。

 なんだかさらに露骨である。だけど、「華」や「若い女」などと言う人には本気で悪気がなさそうで、「喜ばなくてはいけないのでは?」なんて思っていたのだが、やっぱりその言葉はちっとも嬉しくなんかないのだった。

 さて、そんなイベントが終わった後、だめ押しのようにさらにもやもやすることがごくたまに起きる。例えば、私はいじめや生きづらさについての自らの経験を書いていることからそのようなテーマのイベントに呼ばれることも多いのだが、終了後、来ていた人に「励まされる」ことが時々あるのだ。私が子どもの頃いじめられ、それからリストカットを繰り返したなどの話を聞いたからなのだろう。

「そういうことを乗り越えてきたから今があるんだね、頑張って」などだったら非常にありがたい。しかし、数年前のある日、話を聞いていたオジサンは私に言った。

 「大丈夫! いろいろあったけど、雨宮さんのような人こそいいお母さんになれるから、大丈夫!」

 は? 思わず露骨に顔に出すと、「だから絶対、いいお母さんになれるから!」と私の背中をバンバンと叩き、満足そうな顔で立ち去った。

  ……なぜ、この人は、私が「お母さんになる」ことを勝手に前提にしているのだろう?

 そんなことは、プライベートのお酒の席なんかでもある。少し前も、大人数での会食の場で、よく知らないオッサンに結婚してるのかとか彼氏はいるのかとか、プライベートに土足で踏み込むような質問を連発され、答える必要など微塵もないので答えずにいたら、「大丈夫! いつかいい人現れるから! ちゃんといいお母さんになれるから大丈夫!」とまたしても謎の励ましにあった。

 なぜ、一部のオジサンは、女が全員「結婚して子どもを産むこと」を望んでいると思い込んでいるのだろう? そしてなぜ、女の最終形態が「母」だと強固に信じているのだろう?

 しかし、この手のことをやってくるのは男性だけではない。少し前も、知り合いに連れていかれた飲み会(全員初対面)で、たまたま近くにいた女性は、私が単身・子なしだと知るやいなや「子どもだけは産んどいたほうがいい」ということを力説し始めた。

 は? 初対面の女つかまえて何言ってんのこの人、と思ったものの、その女性はいかに出産や子育てが素晴らしいものかを語り続け、「だから絶対、結婚なんかしなくても子どもだけは産んでおいたほうがいい」と繰り返したのだった。げんなりしたものの、この手の「女からの悪気なきセクハラ」はよくある話でもある。

 私自身、別に積極的に「絶対一人で生きていく」と決めているわけでもないし、「子どもはいらない」と思っていたわけでもなんでもない。ただ、気がついたら独り身の子なし40代だっただけである。

高卒後、浪人生活を経てフリーターとなり、25歳で物書きとしてデビューし、出版不況が深刻化する中、とにかく仕事を切らさないよう、働いてきた。毎年1冊は本を出すことを自分に課し、18年間、なんとかそれを続けてきた。もちろん、それは多くの人の助けがあってこそのことなのだが、「いいお母さんになれるよ」とか「子どもだけは産んだほうがいい」とかの言葉たちは、そんな私の紆余曲折をあっさりとなかったことにするような、暴力的なほどの無神経さに満ちているのだ。

 一方で、私の周りには様々な理由から「子どもはつくらない」と決めている人もいるし、経済的な理由から諦めたという人もいる。不妊治療を続けている人もいるし、パートナーの不在という問題を抱えている人もいる。

 こうしてちょっと書き出しただけでも、この問題の周りは見渡す限り地雷原なのだ。他人が軽い気持ちで口を出していい問題ではない。

  それにしても、ハマチがメジロになり、ブリになるという「出世魚」的な自然現象のように「母」になることを決めつけられ、時に「華」とか言われながらも同時に「不浄」な存在であり、それでいながら男社会の底辺で下働きを求められる、女という存在。一方で「土俵」には上げないのに、「男の品定め」のためのリングにはいつも勝手に上げられている。

 それがこの国のごく当たり前の光景だと思うと、生きづらくて当たり前だよな、という気持ちが込み上げてくるのだった。

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なぜこれほどお粗末なのか?

2018年05月08日 | 社会・経済

Imidas  連載コラム 2018/05/08

元財務事務次官セクハラ問題への対応はなぜこれほどお粗末なのか?

   香山リカ  (精神科医・立教大学現代心理学部教授)

   財務省の福田淳一事務次官(当時)による、テレビ局の女性記者へのセクハラ発言問題は、思わぬ方向に進んでいる。ここで「思わぬ」と記したのは、この問題が明るみに出たとき、私自身は「これはどう考えても許されない問題。事務次官の懲戒免職、場合によっては財務大臣の責任問題にも発展するだろう」と考えたからだ。なぜなら、国家公務員の人事管理に携わる人事院の規則には、セクハラ防止や対策、処分などについて細かく定めたものがあり、その中で各官庁の長、つまり中央官庁の場合は大臣の責務についても述べられているのである。ところが、事務次官には懲戒などの処分は下されず、本人からの辞任の申し出が承認される形での退職となった。その後、財務省への信頼を落としたなどの理由で減給処分が下され、退職金から差し引かれることにはなったようだが、一定の金額は支払われるのだろう。

   さらに、麻生太郎財務大臣は、問題が発覚した当初こそ「事実であればアウト」と語っていたが、その後、被害を訴える女性が出てこないことには確認できないとして、事務次官の辞任を承認したあとでさえ、「福田の人権はないのか」「はめられたとの意見もある」と一貫してセクハラを認めない、あるいは問題にしようとしない姿勢を見せている。

   また、事務次官が辞任したあとに代行を務める矢野康治官房長は、被害女性が財務省にではなく「弁護士に名乗り出て名前を伏せておっしゃるということが、そんなに苦痛なことなのか」と発言したが、ここで言う弁護士とは財務省サイドが指名した顧問弁護士のことである。財務省はあくまで、顧問弁護士によるヒアリングを要求しているようだ。

   私は勤務する大学で人権・ハラスメント対策センターの委員として活動しているが、セクハラなどのハラスメントでは、まず申立人の安全や保護が最優先される。当然、申し立ての内容が事実かどうかの確認は重要なのだが、その場合も加害者とされる人に申立人の個人情報を知らせるようなことは絶対にしない。ヒアリングは中立的立場の対策センターが被害側、加害側それぞれに対して行うものであって、加害者が弁護士を雇うなどして「申立人の話を聴かせてほしい」と言ってくることなどありえないし、言ってきたところでもちろん応じられない。

 申立人はハラスメントを受けた被害者でありながら、「こちらにも落ち度があったのでは」と自分を責めていることが多い。また、申し立てにより相手から恨まれたり、さまざまな被害を受けたことが公になって悪い評判が立ったりすることをおそれ、周囲からの推測以上に神経が過敏になっているのだ。被害によって傷ついたことが、この過敏さの誘因になっているのだろう。それもあって、ハラスメント対策センターではあらゆる方向から、「とにかく被害者保護を徹底させる」というのが原則になっているのだ。

 今回の場合、財務省は先に事務次官へのヒアリングを行い、「セクハラはしていない」「記事を載せた雑誌の出版社を名誉棄損で提訴する」という言い分を公表した上で、女性記者に対して名乗り出るように求めた。しかも、そのヒアリングは事務次官の部下に当たる矢野官房長が行ったという。官庁のようないわゆるピラミッド型の組織で、身内、しかも職位が下の人間が調査に当たるというのも不適切だ。

 もし、省内では十分なヒアリングなどができないとしたら、そこですべきなのは「セクハラがあったとしたら由々しき事態なので、完全な第三者による調査委員会を立ち上げる」といったことであって、「やってません」という当事者の言い分をそのまま公表するなどということは、ハラスメント対応としておよそ考えられない。

 このような動きを見ると、官庁ではこれまでもハラスメント事案が発生したときに、こういった非常識な対応をしてきたのか、と疑いたくなる。少なくとも管理職に就く人たちはハラスメントに関する研修なども受けているはずであるし、省内や人事院には苦情や相談の窓口が設けられているはずだが、もしかするとそれはまったく機能していなかったのではないだろうか。それとも、事務次官という最高幹部が当事者だったので、特例として通常とは異なる対応をしたのだろうか。もちろん、後者だったとしたら問題はさらに深刻だ。

 繰り返しになるが、私も大学という組織のハラスメント対策委員として、これまで啓発のために学生の前で講演をしたり、ときには具体的な事案に対応したりしてきた。そして、「ハラスメントはいけない」ということや、「万が一、ハラスメントが発生した場合は、あくまで被害者保護を念頭に置きながら、きちんと事実を確認して処分を含む適正な対応を行うのが再発防止につながる」ということが、学内にも社会にもかなり浸透してきたと思っていたところだった。ところが、このたびのわが国の中枢部ともいえる財務省でのあまりにもお粗末な対応を見せられ、個人的にも大きな衝撃を受けた。

 政治家も官僚も、ハラスメントに関して一から学びなおしてほしい。

 


 

  しかし、麻生太郎財務相にとってはナチから学ぶ点はあっても、これは問題外なのだろう。
それでもさらに
「セクハラ罪という罪はない」とか「どの組織でも改ざんありうる」などとその精神構造を疑ってしまう。

 今日も寒い一日だった。晴れてはいるのだが寒い。今夜の日付が変わるころの予報気温は1℃。おそらくこの山のなかでは氷点下になるのではないだろうか。もう2.3日このような寒さが続くようだ。

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“こどもの本”総選挙

2018年05月07日 | 本と雑誌

「ざんねんないきもの事典」好き こどもの本総選挙トップ

  東京新聞 2018年5月6日

   いま子どもたちが一番好きな本は? 全国の小学生の投票による「小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙」の結果発表会が五日、東京都内で開かれ、昨年ベストセラーとなった児童書「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)が一位に輝いた。全都道府県の小学生約十三万人が投票したという。

 子どもたちに本を身近に感じてもらおうと、出版社のポプラ社(東京都)が企画。昨年十一月~今年二月、小学校や書店を通じ「一番好きな本」への投票を呼び掛け、計約十二万八千人が参加した。

 動物の進化をユーモラスに紹介した「ざんねんないきもの事典」は、四位に入った続編と合わせ、累計発行部数は約百八十三万部に達している。

 監修した動物学者の今泉忠明さんは「残念な面があっても何とかやっている生き物がいることに、共感が集まったのでは」と語った。

 発表会では、投票した子どもの代表が、トップ10に入った作品の著者らに賞状を授与。ヨシタケシンスケさんの絵本「りゆうがあります」を選んだ神奈川県の小学三年、西城風花さんは「『自分もそうだ』と思うことが、たくさん書いてある。絵が面白い」と話した。

 発表会に参加した芥川賞作家でお笑いタレントの又吉直樹さんは「総選挙をきっかけに、自分が選んだ作品以外の本も読んでみようと思ってほしい」と呼び掛けた。


 GW明け、良い天気に恵まれ、江部乙の桜も満開となった。写真を数枚撮ったところで画面が真っ暗になってうんともすんとも動かない。てなわけで、満開の桜のお披露目は無し。しばらくは写真無しです。
 それにしても寒い。最高気温が12℃だそうで、しばらくこんな寒い日が続きそうです。

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食料品、値上げの春

2018年05月06日 | 食・レシピ

 昨日の記事「食べものを捨てる」で、私の認識が誤っていたことがわかった。個人の日常の食においては、ほぼないだろうとの認識だったがどうやら間違いだ。

 さて、ゴールデンウイークの締めも雨。農作業の一番忙しい時なのだが雨のため動けず。それでも今日は午前中はいいということで、江部乙へ行ってハウスの妻面作り。これがなかなか面倒。

 お昼は、外でお湯を沸かしコーヒーを入れて菓子パンを食べながらのお花見。


家ではクジャクサボテンが咲きだしました。


 

食品の値上げにどう対処 必要な量買う意識大切 冷蔵庫や冷凍庫 配置に工夫を

   道新 04/27

 納豆やワイン、業務用ビール…。今年も値上げの春がきた。懐はなかなか温まらず、節約しよう、と思ってもどこから手をつければよいのか。買い物と冷蔵庫整理で「無駄をなくせばエコにもなる」と目標を立てて取り組めば、楽しく家計防衛できるかもしれない。 近年、人手不足を背景にした人件費増や原油など原材料高による値上げが続く。昨秋はサラダ油やかつお節などが値上げされ、6月は業務用小麦粉の値上げも控えている。こうした中、消費者の対応について札幌のファイナンシャルプランナー星洋子さんは「安く買おうとする自衛意識は根付いていますが、生鮮品のほか調味料など日持ちするものまで買いすぎる人が多い」とかえって無駄な買い物が多い点を指摘する。

 星さんが講演などでテーマにするのが《1》簡単な家計簿作り《2》取捨選択《3》予算立て。レシートを貼り付けたノートを家計簿にし1~2カ月分を比較すると、無駄を洗い出しやすいという。取捨選択では、「○」(必要)、「×」(不要)、「?」(なぜ買った?)と3分別し、「○」を買うようにするという。

 最後には家族に必要な分量を把握し、予算を立てること。星さんは「まとめ買いで得したと思ったら、賞味期限切れで捨てることになった、という家庭はシニア層によくみられます。『使うかも』よりも、必要な量を買う意識づけが大切です」と話す。

 買い物で無駄を減らしたら、次は買ったあと。冷蔵・冷凍庫や保管スペースに使いかけたり忘れたりした食材はないだろうか。結局は捨てられてしまう。農林水産省の2014年の推計によると、家庭からの年間食品廃棄量約820万トンのうち、本来食べられたものが約280万トン。国民1人につき1日に茶わん1杯分のごはん約130グラムが捨てられており、食料廃棄率世界一ともいわれている。

 札幌市はごみ減量キャンペーンの一環として、15年度から「さっぽろゴミュニケーション」と題し、毎週日曜に冷蔵庫を片付け、食材を使い切ることで食品廃棄防止を狙う「スリムサンデー」事業を進めている。

  17年度の札幌市民モニター調査では、生ごみの原因の1位は自分で作った料理、2位が手つかずの野菜。4人家族の場合、年間で40キロ、2万3千円分が廃棄されているという。ごみ減量推進課では「食品ロス削減で、家計のロスを減らすことにもなる」と強調する。

  「さっぽろゴミュニケーション」事業で、冷蔵庫の片付け法を監修した札幌の収納コーディネーター広沢かつみさんは、冷蔵庫の片付けポイントとして《1》仲間をまとめて使い忘れ防止《2》中身を把握し食べ忘れ防止《3》食材の指定席を作り二重買い防止―を挙げる。

 「冷蔵庫や冷凍庫を過信し、長期保存するうちに賞味期限切れや冷凍焼けで食材が傷んでしまう家庭が非常に多い」と広沢さん。また、各家庭で実際に冷蔵庫の片付けをアドバイスすると、詰め込みすぎをよく目にするという。冷蔵庫の収納として、目線に近い棚には賞味期限の近いものや普段使うものを、高い棚には缶や保存のきくものを置くのを勧める。冷凍庫は、積み上げると下の方に古いものが隠れるため、立てて収納すると上から見渡せて取り出しやすいという。

  冷蔵庫を片付けると生活全般の整理整頓にも通じるという広沢さん、「食材費だけでなく電気料金の節約にもなり、気持ちもすっきり。冷蔵庫は週1回、冷凍庫は月1回は片付けましょう」と呼び掛けている。(末角仁)

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「食べ物を捨てる」

2018年05月05日 | 食・レシピ

BLOG

竹下友里絵  神戸大学農学部4年 

 2018年05月02日

「食べ物を捨てる」という行為はなぜ社会問題なのか。フードロスを語る上で最も大事にしているたった1つの質問。

 「フードロス」、それは「まだ食べられるはずだったのに捨てられた食べ物」。

   先日発表された農林水産省の平成27年度における日本のフードロスの量は、約646万トンだと推計されています。これが世界における食糧援助の倍の量というのは、よく耳にするような事実ですね。

  2017年から日本でもパブリック・ビジネス・ソーシャルセクター問わず(まま、意味わからんーわたし))に声をあげる組織が増えてきたと思います。一部では2017年がフードロス元年と言われていたりしました。

  そういう私自身も、フードロスはすごく大事にしているトピックです。きっかけは高校2年生のときに行ったカナダ留学でした。ある日の晩ごはんを終えた後、ホストシスターがたくさんの食べ残しがのったお皿を持ってキッチンの方に行くと、なんの躊躇もなくゴミ箱に捨てました。母親に「もったいない精神」を教えこまれていた私にはすごく衝撃的で、今でもその光景を鮮明に思い出すことができます。

国際協力にもともと興味のあった私がそこで思ったのは、

「なぜ一方では捨てられるほどの食べ物があるのに、世界のもう一方では食べ物を得られずに死んでいく人がいるんだろう。世界全体で食の分配を実現できたらみんなハッピーじゃないか。」

というなんとも安直な(笑)想いでした。

  特に大学に入ってから「フードロスを解決するんだ!」と言い続けていると、「ゆりえの前ではご飯残されへん(笑)」って言われ始めたりしました。また、「フードロスを解決したい」という同じ想いを持った人がSNSなどを通して連絡してくれるように。

 「フードロスってどうやったら解決できると思いますか?」

 よく聞かれる質問です。実は私はフードロスは1つ1つ原因を紐解いていくと、減らさなければならない量は多いけれども解決は難しくないと思っています(食の安全とのバランスと国際貿易の歪みが難しいポイントだと思っていますがまた別の機会に執筆させていただきます)。

 なので私は解決方法よりも、「あなたはなぜフードロスを問題だ/解決したい思っているのか」という質問のほうが興味があります。

 「食べ物がもったいない」から?

 「ゴミがでるということは環境によくない」から?

 「捨てられた農産物が売れていれば農家さんの収益に繋がる」から?
  (ちょっと意味不明ーわたし)

  フードロスに限った話ではないですが、メディアの発達によって「みんなが問題だと言っているから解決したほうがいい」と思ってしまうのは当たり前で、でもそんな中でも「なぜ自分が問題だと感じているのか」という問いと向き合うことは大事だと思います。

  私がフードロスを解決したい思っている理由は、「世界の食のアンバランスを解消したら世の中の飢餓問題の解消に貢献し、世界がおいしさで満たされるのではないか」という仮説が私の信条だからです。

みなさんは、なぜ「食べ物を捨てる」という行為が社会の問題だと思いますか?

 


 

  2015年の国連世界食糧計画(WFP)の食糧援助量は約320万トン。日本人はその2倍近くの食料を廃棄していることになる。日本国民が1人あたり毎日茶碗1杯のご飯を廃棄していることに相当するという。世界の栄養不足人口は減少傾向にあるものの8億人と推定され、依然として高水準だ。特に成長期の子どもにとっては未来へとつながる重大な問題だ。
 一般家庭の日常においてはそんなに問題にはならないと思うが、日常ではない食事が問題になる。気心の知れた友人なら分けて持ち帰っていただく。

 問題は食ビジネスなのだが、その根本には貧富の格差があり、「食」をビジネスにしてしまう「社会構造」がある。先般の「恵方巻騒動」を見ればわかるはずだ。

 今日も寒い一日。最高気温が8℃とやら。
今日の江部乙

寒いおかげで長い間桜が楽しめそう。

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