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生きづらい女子たちへ 格差社会の父親たち 〜目黒区虐待死事件から考える

2020年03月04日 | 社会・経済

imidasオピニオン
   連載コラム2020/03/04

雨宮処凛(作家、活動家)


    もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもうおなじことしません ゆるして〉
 わずか5歳の女の子は、そんな反省文を残してこの世を去った。2018年、東京都目黒区で起きた虐待死事件で犠牲となった船戸結愛(ゆあ)ちゃんだ。死の約ひと月前、香川県から東京に来たばかりの結愛ちゃんの体重は、その約1カ月で4キロも落ちていた。全身には170カ所以上の傷やアザ。死因は敗血症。養父・船戸雄大によって日常的に虐待を受け、食事も制限されていたという。
 実の母親である優里は、なぜ虐待を止められなかったのか。なぜ、弱った娘を病院に連れて行かなかったのか――。
 事件直後にはそんな批判も起きたが、その後、優里は雄大からDVを受けており、精神的に支配されていたことが明らかになった。優里は雄大逮捕の3カ月後に逮捕。雄大には19年10月、懲役13年の刑が確定し、優里は懲役8年を下されて控訴中。そんな優里が手記を出したと知ってすぐに読んだ。

    船戸優里『結愛へ 目黒虐待死事件 母の獄中手記』(小学館、2020年)には、多くの人が身に覚えのある「女の生きづらさ」があらゆるページに刻まれていた。
「出会う男によって人生が恐ろしいほど左右されてしまう」という、私たちがよく知るストーリー。そして随所から滲み出る優里の自信のなさ。自己肯定感の低さ。自分のことを「バカだから」と優里は何度も書く。自分がバカだから。「それで怒られ、呆れられ、バカにされてきたから」と。
 そんな優里が結愛ちゃんを産んだのは19歳の頃。夫となった人も19歳の若い夫婦だった。結愛ちゃんが生まれた頃の描写は、キラキラした毎日が目に浮かぶようだ。しかし、夫は家事も育児も一切せず、家計にも無頓着で服やアクセサリーを買い漁る。また「私を抱こうとしなくな」り、誘ってみると「気持ち悪い」と返す。それだけでない。「お前はバカだ」「なんでそんなことができないの?」などと日常的に言われていたようだ。離婚届にサインした日、夫は「お前はマグロだからな」と言って笑ったという。
 この「マグロ」という言葉は、優里に深い傷となって残ったようだ。

 元夫は離婚後も彼女にお金をせびりに来るのだが(もちろん養育費は払わない)、キャバクラで働き始めた優里は「私がたくさんお金を稼いで、性行為を上手にすることができたら、彼は私のところに戻ってくるかしら」と思ったことを書いている。また、「マグロと言われた女性はどうしたらいいの。愛のない相手なら教えてくれるかもしれない」と思い、愛のないセックスをしたことも綴っている。
「自分は誰かに必要とされている」「私の体が求められれば求められるほど、私の存在価値が高くなっていると感じていた」という告白は、多くの女性が若かりし日、あるいは自信を喪失した時に一度は思ったことではないだろうか。
 そんな頃に優里が出会ったのが、のちに結愛ちゃんを死に至らしめる雄大だ。彼女が働くキャバクラのボーイ。「東京の大学を出ていて、なぜこんな香川の田舎にいるのか不思議な 」8歳年上の男性。物知りで、家事や育児もしてくれて、政治の話や外国の話を聞かせてくれる頼りになる男。結愛ちゃんの将来のことを真剣に考えてくれて、元夫とは大違い。
 16年2月、雄大との間の子の妊娠が発覚し、4月に結婚。これを機に結愛ちゃんは雄大の養子となる。しかし、それから2年も経たないうちに、結愛ちゃんはその短い生涯を終えることになる。

 なぜ、結愛ちゃんの命は奪われたのか。本書を読んでいくと、雄大が結愛ちゃんの人生に過剰な期待をかけていたことがわかる。
 顔が可愛いからモデルにすると言い出し、痩せるように食事制限する。結愛ちゃんは朝は4時に自らセットした目覚ましで起きて、九九やひらがなの練習をしていたという。約束事を破ると、食事を抜くといったペナルティが科せられた。
 雄大はチャートを書いて説教していたという。
〈痩せるのは〇、太るのは×、すごろくの上がりは、モデルになってイケメンの旦那さんに出会える 〉
 そして、雄大はよく言っていたそうだ。
〈俺は結愛に幸せになってほしい。俺と同じ辛い思いをさせたくないから俺のすべてを教える〉
 この事件を知ってからずっと不思議だったのは、なぜ雄大が、実子でもない結愛ちゃんの「しつけ」「教育」(と本人は思っていただろうがそれは虐待だった)にここまで執拗に、熱心に関わるのかということだった。子どもへの支配や過干渉、過剰な期待を押し付けるという問題は、私にとっては長らく「母親」の問題だったからだ。

 しかし、本書の巻末にあるルポライター・杉山春氏の解説によって、その謎の一端が解けた。以下、引用だ。
〈「おれのようになってほしくない」という雄大の言葉から読み取れるのが、彼の自己肯定感の低さだ。雄大の公判では、雄大の両親が不仲であったこと、中学時代の部活でいじめに近いような体験をしていること。雄大自身が大学を卒業した後、就職した会社に不適応を起こしつつ、8年間勤務したことが明かされた。
 最後の2年間は、札幌に異動し、毎朝嘔吐をしながら通勤していた。退職後、札幌の繁華街、すすきのに勤務をし、さらに香川県高松市のキャバクラに転職した。この時、「絶望していた」と雄大は語っている。
 かつて、男性たちは、就職し、家庭を持って一人前だった。だが、就労状況が流動化するなかで、正規雇用を得られない人たちが増えていく。格差社会が広がる。
 雄大は、一旦は大手企業への就職を果たしながら、その地位を剥奪された。「剥奪された男たち」の一人だ。「お前には価値がない」というスティグマ(烙印)を抱えていたのではないか〉
 そんな雄大の前に、彼を「物知り」と尊敬のまなざしで見つめる優里が現れる。小さな女の子を連れて。

 杉山氏の書く通り、「『笑顔のあふれた幸せな家庭』を作ることが彼のアイデンティティを支えることとなった」のだろう。そうして彼は、「自分が失敗した経験と辛さを結愛に味わってほしくない」と、結愛ちゃんの「しつけ」に邁進する。歯磨きや生活習慣から始まって、字の練習や掛け算。
先に書いたように、団塊ジュニアの私が子どもの頃、自分の満たされない人生にリベンジするかのように子どもの教育に熱を上げたのは母親だった。結婚、出産し、専業主婦になり、仕事をするにしてもパート程度という選択肢くらいしかなかった団塊世代の母親たちは、娘や息子に過大な期待を押し付け、時に苦しめた。父親はいついかなる時も仕事人間で、家庭には常に「不在」だった。
 しかし、格差社会が定着した今、「企業戦士」として戦う地位を与えられない一部男性たちの視線は「理想の家庭」に向いているのかもしれない。そこで子ども相手に「完璧」を求める。それが自身の自己実現や承認欲求に直結しているからこそ、思い通りにならないことがあると許せないのではないか。


 雄大のDVや虐待がより酷くなるのは、香川県から上京し、職探しをしていた最中だ。東京に行けば友人知人もたくさんいる、もっといい仕事も見つかる、新しい土地でやり直せば何もかもうまくいく――。雄大と優里は、そんなふうに信じていた節がある。香川で結愛ちゃんが二度も行政に一時保護されていたこともあり、逃げ出したい気持ちもあったのかもしれない。しかし、東京に来たものの仕事はなかなか見つからない。そして上京から1カ月と少しで結愛ちゃんは亡くなっている。
 ちなみに16年、名古屋で中学受験を目指していた12歳の少年が刺殺されるという事件が起きているのだが、実の息子を刺し殺したのは父親だった。父親は中学受験の指導に熱を入れるあまり刃物を持ち出すようになり、息子を刺し殺したのである。いわゆる教育虐待だ。
 裁判では、その父親自身も、実の父親から刃物で脅されるという教育虐待を受けていたことが明らかになった。この家庭では父親も祖父も超進学校に進んでいるのだが、父親自身は大学に進学せず、親が熱烈に望んでいた薬剤師にもなれず、親からは「負け組」と言われていたという。そんな父親が唯一「勝ち組」になれるのが、息子が中学受験に勝ち抜くことだったのだろう(参考=おおたとしまさ「名古屋教育虐待殺人事件『中学受験で父親が息子を刺すに至るまで』〜『被告人もその父親から刃物を向けられていた』裁判傍聴記」、文春オンライン)


「理想の家族」という目標を手に入れた雄大は、異様なほどの情熱で結愛ちゃんの「教育」にのめり込んでいく。
 日常のあれこれについて細かく指導するだけでなく、香川にいる頃は、仕事から帰ると毎晩のように結愛ちゃんの将来についての話し合いが始まったという。 そのうちに結愛ちゃんへの暴力が始まる。怒る理由は、結愛ちゃんが隠れてお菓子を食べたとかそんな他愛ないことだ。それなのに、大の男が怒りで体を震わせる。剥奪感の中にいた男がやっと見つけた、「自分の思い通りにできる相手」。その相手が言うことを聞かないのが耐えられなかったのだろう。
 この頃になると、優里の頭の中は「どうやって雄大を怒らせないか」でいっぱいになる。長期的な展望をもって解決策を考える、などは到底できない。常に大型肉食獣が目の前にいて、いつ自分を襲うのかといつも息を潜めている状態だ。とにかく、刺激しないように薄氷を踏むような日々が続く。何しろ雄大を怒らせてしまったら、結愛ちゃんの身に危険が及ぶのだ。雄大は優里の両親や友人をバカにしているので相談などできない。優里が自殺を考えるようになるまで時間はかからなかった。
たまりかねて離婚をお願いすると、小さな息子に「可哀想に、母親に捨てられるんだ」と雄大は言う。恐怖だけでなく、罪悪感にもがんじがらめにされて身動きがとれない。もし、自分だったら。優里と同じことをしなかった保証など誰にもないのではないか。小さな子どもが二人、人質にとられているのだ。

結局、優里は結愛ちゃんを守ることができなかった。が、手記を読み進めていくと、行政がなんとかできる瞬間は幾度かあったということがわかる。しかし、「様子を見ましょう」という言葉で時間ばかりが過ぎていく。
結愛ちゃんの事件が起きた後、千葉県野田市で小学4年生の女の子が父親の虐待を受けた末に死亡した。父親はやはりDVで妻を支配するという、結愛ちゃんのケースと非常によく似た構図だった。そうして「しつけ」と称し、女の子には凄絶な暴力が振るわれていた。20年2月21日、傷害致死に問われた父親の裁判が千葉地裁で始まり、3月19日には判決が出る予定だ。
 イクメンという言葉を持ち出すまでもなく、父親が家庭や子どもに関心を持ち、しつけや教育に熱心になることは「いいこと」「理想的」とされてきた。しかし、そこに父親の剥奪感や人生へのリベンジが持ち込まれた時、子どもの命は簡単に危険に晒される。
 不在だった昭和の父とは対照的な、格差社会の父親のいびつな姿がそこにある。