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入管法改正案 人権への配慮を欠く

2021年02月28日 | 社会・経済

「東京新聞」社説  2021年2月23日 

 退去処分を拒む外国人の長期収容解消に向け、入管難民法改正案が閣議決定された。難民申請の回数を制限するなど、人権への配慮を欠いた法案だ。野党の対案も考慮した国会審議を望みたい。

 不法滞在が発覚した外国人の大半は自ら出国している。だが、退去処分を受けながらも送還を拒んでいる人びとが約三千人いる。一部は長期に収容されている。

 拒否者の多くは祖国で迫害される恐れがあったり、日本で家族と暮らす人びとだ。約三分の二は政府に難民認定を求めている。現行法では難民認定の申請をしている間は送還が停止される。

 改正案の最大の問題は、三回以上の申請に対しては原則として送還停止を認めないとした点だ。現状では却下後も繰り返し申請する人が多く、政府はこれを長期収容の原因と見なしているためだ。

 政府は申請回数に制限のある国は少なくないと説明するが、待ってほしい。日本の難民認定率は0・4%。制限があるドイツは25・9%、フランスは18・5%だ。日本の「難民鎖国」の現状が申請の繰り返しを招いてはいないか。

 認定率の低さについて、政府は欧米とは申請者の出身国が違うとも指摘する。そうだろうか。例えば、トルコ出身のクルド人は米国やカナダでは八割以上が認定されているが、日本は認めていない。このまま法改正されれば、他国の人権侵害に加担しかねない。

 改正案には退去強制の拒否に刑罰を設けたが、これも収容施設と刑務所の往復となりかねない。

 かねて国連が批判してきた司法判断抜きの収容や上限のない収容期間について、今回の改正案で触れられていないことも問題だ。

 一方、対象者に逃亡の恐れがない場合、支援者らが監理人として見守る監理措置制度が盛り込まれた。社会生活ができるというが、退去処分後は就労できず、健康保険や生活保護の資格もない。就労や逃亡には刑罰が設けられた。これでは社会生活は営めない。

 閣議決定に先立ち、野党は参院に対案を提出した。難民認定を担う独立機関の新設や収容に裁判官の許可状を必要とする点などが柱だ。改正案の国会審議では、対案も踏まえて議論すべきだ。

 不法滞在問題には歴史的な経緯がある。コロナ禍での技能実習生の困窮とも重なるが、外国人を安価な労働力と見なしてきた政策のツケだ。人権を優先し、透明性がある改正こそ必要ではないか。

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福島みずほ氏、法務省に痛撃!難民いじめの入管法「改正」案に立法事実なし、入管の杜撰さを追及

志葉玲 | フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)
YAHOOニュース(個人) 2/26(金) 

 法律をつくる上で、その必要性の根拠となる「事実」について言及しておきながら、実際には、その事実について、ろくに調査もしていなかった―法務省・入管庁にまたスキャンダルだ。今国会で審議される予定である入管法の「改正」案に関連して、福島瑞穂参議院議員が法務省・入管庁に質問し、その回答から発覚した。入管法「改正案」は、ただでさえ、庇護を求める難民達を拒絶し、不当に収容施設に長期にわたって収容しているとして、内外の批判を浴びている入管行政を、より一層、非人道的なものにするのではないかと懸念されている。今回、入管法「改正案」の立法事実についての入管庁の杜撰さが明らかとなったことで、改めて、その是非が問われることになりそうだ。

福島議員の問い合わせで発覚

 今回、福島議員が指摘したのは、入管庁が作成した資料「送還忌避者の実態について(令和元年12月末現在)」で言及されていた事案。同資料では、「令和元年12月末現在の送還忌避被収容者649人のうち,272人(42%)が有罪判決(入管法違反によるものを除く。以下同じ。)を受けており,66人(10%)が仮放免中の犯罪により有罪判決を受けている」として、祖国で迫害の恐れがある或いは家族が日本にいる等、帰国できない事情を抱える在日外国人、入管庁の言うところの「送還忌避者」のうち、入管の収容施設に収容されている人々が、日本の治安に悪影響を及ぼす存在であることを印象づけている。ところが、福島議員が

ア 過去に受けた有罪判決が、交通事犯のみの人数。

イ 過去に受けた有罪判決が、罰金刑のみの人数。

ウ 過去に受けた有罪判決が、執行猶予が付されたもののみの人数。

エ 過去に執行猶予が付されていない有罪判決を受け、それが、1年以内の懲役な  いし禁固刑を含むが1年を超える刑を含まない者の人数。

オ 過去に執行猶予が付されていない有罪判決を受け、それが、1年以内の懲役ないし禁固刑を含む者の人数

カ 令和2年6月末現在に仮放免許可を受けていた人数

といった情報について、入管庁に問い合わせたところ、その回答は「ア、イ、ウ、エ、オ及びカ お尋ねのような統計は取っておらず、お答えすることは困難である」というものであった。これについて、福島議員は自身のツイッターに「実際に問題になった事案を問い合わせたところ、統計を取っていないという。調べてもいないのであれば立法事実がないということではないか」と投稿。立法事実とは、法律を国会等でつくる際に、その法律が存在する合理性の根拠となる社会的な事実であり、法律をつくる上で必要とされるものだ。つまり、福島議員は、入管法「改正」案の正当性を疑問視しているのである。

「長期収容」の根拠にも波及

 入管庁が、いわゆる「送還忌避者」を"日本の治安に悪影響を及ぼす者"としてレッテル貼りしておきながら、実際にはその具体的な事実関係について、ろくに調べてもいなかったということは、連鎖的に入管法「改正」案の正当性を脅かしていく。法務省・入管庁があげる入管法「改正」案の必要性では、「送還忌避者の長期収容化」がある。一昨年6月に、長期収容者であったナイジェリア人男性がハンガーストライキ中に餓死したことを受け、内外から批判を浴びた法務省・入管庁は「長期収容の解消」を目指し、送還を拒否する者に対し刑事罰を加えることや、難民申請中であっても送還できる例外規定などを含む入管法改正案をまとめ、今月に菅政権は閣議決定した。

 だが、「収容・送還問題を考える弁護士の会」などが指摘するように、ここ数年、長期収容が増えている背景には、法務省・入管庁が在留特別許可(個別事情を鑑みて法務大臣の裁量で与えられる在留資格)や仮放免(一定の条件の下、収容施設の外での生活を認めること)の件数を大幅に減らした結果である(関連情報)。逆に言えば、「仮放免や在留特別許可を、以前のレベルに戻せば『収容の長期化の防止』は解決することです」(「収容・送還問題を考える弁護士の会」・高橋済弁護士)ということなのだ。

では、何故、法務省・入管庁が在留特別許可や仮放免の件数を減少させてきたかというと、「東京オリンピックのための治安対策」がある。警察庁・法務省・厚生労働省の三省庁による合意文書『不法就労等外国人対策の推進(改訂)』(2018年)には「不法滞在の取締強化」「難民認定審査の厳格化」等が明記されているのだ。

入管法「改正」案の根拠がドミノ倒し

 そもそも、犯罪をまだ実行していないのに、その身体的自由を奪うことは「予防拘禁」であり、戦前・戦中の治安維持法で重大な人権侵害につながったとして、強く批判されるものであるが(関連情報)、今回、福島議員の問い合わせによって明らかになったように、法務省・入管庁は「送還忌避者」を"日本の治安に悪影響を及ぼす者"としてレッテル貼りしておきながら、その具体的な事実関係について調べてすらいなかった。つまり、「東京オリンピックのための治安対策」も、在留特別許可や仮放の減少も、「長期収容の増加」も、入管法「改正」案の合理性すらも、全て土台から崩れるということなのだ。今回の入管法「改正案」案、とりわけ送還拒否に対し刑事罰を加えることや、難民申請中であっても送還できる例外規定の新設については、重大な人権侵害につながるとして、全国の弁護士会から次々と反対声明が発表されており、人権団体やNGOからも懸念の声が上がっている。そのようなリスクのある「改正案」を、立法事実もないまま国会審議させること自体、政府与党や法務省・入管は、法も基本的人権も軽視していると言えるだろう。

野党の対案に目を向けよ

 そもそも、その不透明さや国際基準からの逸脱が問題視される日本の難民認定審査を、より適切なものとし、真に救うべき難民を難民として認定するようになれば、自ずと「送還忌避者」「長期収容」は減少する。法務省・入管が前述の資料で公表しているように、「送還忌避被収容者のうち難民認定手続中の者は60%」だからだ。また、仮放免者は就労が禁じられており、生活困窮するケースが多いが、日本人の配偶者がいる、日本で生まれた或いは幼少時に両親等に連れられ来日し、日本で育ち教育を受けた等のケースに対しては、速やかに在留特別許可を与え、合法的に日本に滞在できるようにすれば、やはり「送還忌避者」「長期収容」は減少する。

 野党は、難民認定や在留特別許可等の審査の適正化を含む入管法改正の対案を公表しているが、政府与党側もより人道的かつ合理的な解決方法を模索するべきなのである。


【金子勝 】【児玉龍彦】恐らく私は消されます。。。真実を知られては困る勢力でも居るんでしょうか。一番恐ろしいのはコロナじゃなくて政府。【大竹まこと ゴールデンラジオ】


新型コロナ 無症候性感染者の特徴は?占める割合や周囲への広げやすさについて

2021年02月27日 | 健康・病気

忽那賢志 | 感染症専門医
YAHOOニュース(個人) 2/27(土) 

新型コロナウイルスに感染しても全く症状が出ない人(無症候性感染者)が一定の割合でいらっしゃいます。

新型コロナの感染者のうち、無症候性感染者の占める割合や、無症候性感染者から感染しやすいのか、などについてまとめました。

無症候性感染者とは?

無症候性感染者とは、感染をしても症状が出ない人を指します。

新型コロナでは、重症化して人工呼吸器などを使用するような患者さんもいる一方で、感染をしても全く症状が出ない人が一定の割合でいることが分かっています。

なお、全く症状がない人の中には「症状はないけど、レントゲンやCTを撮影すると肺炎の所見がある」という人も含まれており、無症候性感染者にCTを撮ると半分の人に肺炎像があったという報告もあります。

無症候性感染者が占める割合は?

新型コロナ感染者の中で、無症候性感染者が占める割合についてはまだ定まった見解はありませんが、メタ解析という多数の報告をまとめた解析法による無症候性感染者の割合についての検討では、33%の人が無症候性感染者ではないかとされています。

しかし、感染した場合に無症候性感染者へのなりやすさは年齢によって異なると考えられています。

無症候性感染者の占める割合(DOI: 10.1056/NEJMoa2019375を元に作成)

例えばアメリカの原子力空母セオドア・ルーズベルトで起こったクラスターでは、乗組員4,779人のうち、1271人(平均年齢27歳)が新型コロナに感染しました。

この1271人のPCR検査陽性者のうち、45%は無症状、32%が検査時には無症状でのちに症状を発症、そして23%が検査時に症状がありました。

このように、おそらく年齢が若い人ほど無症候性感染者になりやすいのではないかと考えられます。

無症候性感染者からも感染する?

ヒューストンでの第1波と第2波におけるスーパースプレッダー(周囲に感染を広げやすい人)の特徴を解析した研究では、

・女性

・外来患者(入院するほどではない軽症)

・症状のある人

・新型コロナウイルスの量が多い人

が周囲に広げやすいという特徴があったということです。

基本的には症状がある人の方が、無症候性感染者よりも感染を広げやすいと言えます。

では症状のない無症候性感染者から新型コロナは広がることはあるのでしょうか。

結論から言うと、あります。

飛沫を介して人から人に感染するパターンとしては3通りあります。

無症候性感染者(一貫して症状がない人)からの感染

発症する前の感染者からの感染

発症した後の感染者からの感染

このうち、①と②は症状がない状態での伝播ですが、咳などの症状がなくても歌ったり大声を出すと飛沫が周囲に飛び、感染が広がることがあります。

感染した日からの日数と、無症候性感染者、発症前の感染者、発症後の感染者から起こる感染の頻度との関係(JAMA Netw Open. 2021;4(1):e2035057.)

感染者のうち無症候性感染者が占める割合を3割と仮定した場合、新型コロナ感染者のうち、

無症候性感染者(一貫して症状がない人)からの感染:24%

発症する前の感染者からの感染:35%

発症した後の感染者からの感染:41%

試算されています。

症状がない人からの感染、という意味では①と②を合わせると59%を占めています。

無症候性感染者や発症前の感染者からの感染を広げないためには?

様々な状況により発生する飛沫の粒子径と数(DOI: 10.1080/02786826.2020.1812502より)

図は「激しく歌う」「普通に歌う」「大声で話す」「マスクを着けて大声で歌う」「普通に話す」「呼吸する」など様々な状況で発生する飛沫の量と粒子径の違いをみたものです。

この図からも分かるように、咳やくしゃみをしなくても歌ったり喋るだけで飛沫が飛んでいることが分かります。

実際に、これまでにクラスターが発生している場所の特徴として、ライブハウス、カラオケや合唱団などのように、大声を出す、歌うなどの場所に多いこともこの証左と言えるでしょう。

そして図の「黄色の○」を見ていただくとお分かりの通り、マスクを着けることで、大声で歌った場合も飛沫の量が大きく減っています。

新型コロナの感染対策では、症状がある人だけでなく、症状がない人も含めて、換気が不十分となりやすい屋内や混雑した交通機関内ではマスクを着用することが重要です。

また、ご自身の感染予防のためにはマスク着用だけでなく、手洗いをこまめに行うことが重要です。

 

忽那賢志感染症専門医

感染症専門医。2004年に山口大学医学部を卒業し、2012年より国立国際医療研究センター 国際感染症センターに勤務。感染症全般を専門とするが、特に新興再興感染症、輸入感染症の診療に従事し、水際対策の最前線で診療にあたっている。『専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話』3月3日発売ッ! ※記事は個人としての発信であり、組織の意見を代表するものではありません。本ブログに関する問い合わせ先:skutsuna@hosp.ncgm.go.jp


 今日は日差しを期待したのですが、ほんの一時でした。気温も上がらず真冬日。朝は厳しい冷え込みでした。

 明日は気温も上がり、昼過ぎだけですがプラス気温になるようです。日差しも今日よりは多いようです。

 先日ミニトマトの種をまきました。計算通り、今日発芽です。

江部乙での散歩道。


厚労官僚による「物価偽装」を違法と判決 調査報道は背景を深掘りせよ

2021年02月26日 | 社会・経済

水島宏明 | 上智大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター

YAHOOニュース(個人) 2/25(木) 

 

無理筋”の政策を法律違反と断じた画期的な判決

「パソコンやテレビ、ビデオレコーダーの値段が下がっている。だから、生活保護費も下げる」。

 簡単に言えば、そうした口実で厚生労働省は「最後のセーフティーネット」とされる生活保護の基準額を2013年から15年にかけて次々に引き下げた。

 口実とされた「物価」の算定は、パソコンやテレビ、ビデオレコーダーなど、生活保護を受けている人たちにとって影響が少ない物品の値段が使われる独特な計算方法。生活保護費を引き下げるためにわざわざこれらを選んだとしか思えないような恣意的ともいえる物品の選択。さらに極端に物価水準が上がった特異な年を起点として物価下落を算定し、消費者物価指数を大きく下回る下落があったとして数字を算出。結果として生活保護費のうち、光熱費や食費など生きていくために必要な費目を支える「生活扶助費」は最大で10%も引き下げられた。戦後最大とされる大幅な減額だった。

 憲法25条の「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文に裏打ちされた生存権が厚生労働官僚による「数字の操作」でないがしろにされていた。

 2021年2月22日、生活保護の受給者が国や自治体を訴えた訴訟で大阪地方裁判所は判決で生活保護の基準額の引き下げを違法とする判断を示し、違法な数字の算定があったと認めた。

 1950年に施行された現在の生活保護法。今回の判決は71年におよぶ生活保護の歴史の中でも画期的と言えるものだった。

 生活保護の基準額をめぐる裁判では、憲法25条違反を理由として生活保護の基準額が低すぎるとして国を訴えた朝日訴訟の1審で原告勝訴となった東京地裁判決(1960年)が今も語り草になるほど有名な判決だ。2審の東京高裁判決(1963年)で原告が敗訴したものの生活保護の権利性をめぐって最高裁や憲法学者らが大きな議論を巻き起こした。

 2021年の大阪地裁判決は生活保護の基準額についてその算定のあり方に裁判所が正面から向き合った本格的な判決だった。

統計を調べて「物価偽装」と断じた新聞記者がいた

 今回の裁判で争点になった生活保護の基準額の引き下げにあたって厚生労働省の官僚たちが「口実」にしたのが、「物価水準の下落」だった。一般的に物価水準が下がって様々な物品が安く買えるようになったのだから生活保護費も下げていいという理屈だ。

 ところがこの下落幅を算定するにあたって、厚生労働省は実際には生活保護を受けるような低所得者層の生活に直結する食料などの必需品や光熱費よりもそれらの人たちがあまり購入しないパソコンやビデオレコーダーなどの電化製品の影響を大きく計算していた。

 その事実を紙面で暴いたのが、中日新聞の生活担当の編集委員だった白井康彦さん。白井さんは「生活保護削減のための物価偽装を糾す!―ここまでするのか! 厚労省」(あけび書房)という著書で2014年に世に問うている。この著書の紹介文では以下のような厚労省の“罪状”を並べている。

生活保護をさらに受けづらく、額も削減しようとする厚労省。不正受給は厚労省統計でも0.5%にすぎないにもかかわらず、いかにも膨大であるかの報道、バッシングの嵐。そしてついに、生活保護基準額引き下げのために物価統計の偽造にまで及んだ厚労省

生活保護バッシングをあおり、物価指数を偽装してまで生活保護を大幅削減する厚労省。

 白井さんは中日新聞を定年退職した後でフリージャーナリストとして取材活動を続けながら、生活保護基準の減額を違法だとして29都道府県で受給者が起こしている訴訟で原告を支援する立場で証人として法廷にも立っている。

 厚労省の「無理筋」な生活保護の減額に対しては、専門家も疑義を唱えている。かつて厚労省の社会保障審議会の生活保護制度の在り方に関する専門委員会の委員長や生活保護基準部会で部会長代理などを務めていた社会保障制度の専門家の岩田正美さん(日本女子大名誉教授)も名古屋地裁で行われた裁判では原告側の証人として証言した。朝日新聞は2019年10月15日の記事でその様子を伝えている。

「財政削減のために、私たちは利用されたのかも知れない」

 岩田正美・日本女子大名誉教授は、そんな胸の思いを法廷で語った。岩田さんは貧困研究の第一人者として知られ、厚生労働省の社会保障審議会・生活保護基準部会で部会長代理を5年以上務めた経歴を持つ。その岩田さんが原告側の証人になることは注目され、10日は96席の傍聴席がほぼ埋まった。

生活保護基準の引き下げは第2次安倍政権での「無理筋」の政策変更の一つ

 第2次安倍政権で強行された「無理筋」の政策変更は数多い。

 憲法の条文を変えることなく国の安全保障対策を180度転換させた集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更はその典型だ。それまでの政権が憲法上「行使できない」とされていた集団的自衛権を第2次安倍政権は(内閣法制局長官の)人事などを通じて官僚たちを従わせて強引に解釈を変更させて「行使できる」と押し通して、安全保障法制を立法化した。有力な憲法学者たちが反対の論陣を張ったにもかかわらず。

 森友学園の問題では、財務官僚が上司の命令で文書の改ざんを行い、担当していた官僚の一人が自殺に追い込まれるという悲劇まで起きていた。

 メディアの報道であまり大きな論点にはならなかったが、そうした「無理筋」政策の一つに生活保護の基準額の引き下げもあった。政治が力で官僚たちをねじふせ、従わせ、法律違反と言えるような強引な「物価偽装」に手を染めさせていたのだ。

 その末の生活保護費の削減に対して、法律の番人である裁判所が「NO!」を突きつけたのが今回の大阪地裁の判決だ。

 朝日新聞の清川卓史編集委員は2月23日の朝刊記事に以下のように書いている。

 生活保護基準の減額決定をめぐる22日の大阪地裁判決は、憲法が保障する「最低限度の生活」の範囲を決める国の判断を違法と指摘するものだった。制度を利用しない人にも影響が及ぶ生活保護の基準。判決は、引き下げを続ける行政の政策に影響を与えるのか――。

 生活保護基準額は、国の公式な「貧困ライン」であり、就学援助や最低賃金、個人住民税の非課税限度額など生活保護の受給者以外の貧困層が関係する多くの制度に影響がある。このため、「物価偽装」で算出された基準額で揺らいだ生活保護制度への信頼をとり戻すために、と清川編集委員は次のように結論づけている。

誰もが納得するデータを用い、利用者や専門家の声に真摯に耳を傾けて、保護基準の再検討に踏み出すほかはない。

 上記の朝日新聞の記事は紙面では1面と3面、さらに33面(社会面)にも掲載されて、大阪地裁の判決を伝えるニュースの中では歴史的な流れや判決の意義などの解説、さらにその影響や原告の思いにまで踏み込んだ多角的な報道だった。一方でその他のマスコミは心もとない。

 特にテレビはNHKが「ニュース7」や「ニュースウォッチ9」などで扱ったものの解説はなく、民放キー局にいたっては、まったく報じないか、報じても1分程度の扱いだった。

「たこつぼ型」で視野狭窄の“オールド・メディア”

 一般的に裁判所の判決文のニュースはその裁判所を管轄する地域の司法担当が取材して報道する。今回でいえば大阪地裁担当の司法記者。事件、事故をはじめとして数多くの裁判を担当する。だが、今回の大阪地裁判決のニュースは大阪の司法担当だけでは深い記事を書くことができない種類のものだ。もっと生活保護制度についての知識が必要だ。

 たとえば民放は今もなお大阪局の司法担当の記者がニュース原稿を書くから、生活保護行政全体のことを理解していないと原稿を書くことはできない。

 新聞やテレビなどの「オールド・メディア」は、分業があまりにも進みすぎている。それゆえ、裁判の記事は司法記者、厚労省担当は厚労省…、と「たこつぼ」のように狭い世界で四苦八苦してしまうのが現状だ。

 たまたま朝日新聞の場合は、「これは生活保護行政全般に影響を与えかねない画期的な判決だ」と声を上げる記者がいたから、1面での扱いになったのだろう。

 だが、それさえもやはり「オールド・メディア」の狭い世界に閉ざされているように筆者の目には映る。

 なぜなら、少し視野を広げてみれば、この「物価偽装」はいろいろなニュースにつながっている根の深い問題だからだ。

 それは「政治主導」という名の下に霞ヶ関の官僚たちが国民のための奉仕者という意識やプライドをなくし、権力者のいいなりになり、あるいは忖度して筋を曲げ、公務員として何よりも大事にすべきはずのデータや文書記録などをないがしろにしてしまう姿と重なっていく。

「桜を見る会」をめぐるデータの紛失

財務官僚たちの文書改ざん

総務官僚たちと首相の息子の会社との会食

 奇しくもデータや文書管理を大切にしてきたそれまでの日本の官僚たちの習慣を空洞化させてしまったのは第2次安倍政権とそれに続く菅政権である。

 中央官僚たちも本来は無能ではないはずだ。政治主導で、官僚の人事や評価への政権主導が強まっていく中で「忖度」して、この「データ偽装」「改ざん」「紛失」などが行われたのではないだろうか。報道機関はこの点をきちんと検証してほしい。

 残念なことに強大な政権が続く中で本来の仕事ができなくなってしまっているのは中央官僚だけではない。報道機関も同じだ。新聞やテレビなどが発端になって、国会で議論になったようなスクープがどれだけあっただろうか? まったくなかったとまでは言わないが、記憶に残るような鮮烈なスクープは新聞やテレビ発ではなく、ほとんどが「文春砲」が発端だった。

 総務官僚と首相の息子、検事長の賭け麻雀、緊急事態宣言中の与党議員の会食…。最近思い起こせるものだけでも「文春砲」の威力が分かる。

 週刊文春は総務省の幹部たちと衛星放送事業社の役員をしている菅首相の長男との飲み屋での会話を録音していた。新聞やテレビなど主要な「オールド・メディア」が避けてきたゲスな取材方法である。しかし、その取材方法が政治や社会を動かし、報道機関の大きな役割である権力監視を果たしていることも間違いのない事実だ。

今こそ「政治分野の調査報道」の出番だ

 そうした中で「オールド・メディア」には、もっと官僚たちの責任を追及していくような調査報道を望みたい。今回の物価偽装に伴う生活保護基準の引き下げによって、生活保護の受給者だけでなく、就学援助の対象者など様々な低所得の人たちが理不尽な形で支給額を削られてしまい、より苦しい生活を強いられたのだとしたら、それは許されない行為ではないだろうか。匿名の官僚たちによる机上の問題として見過ごすわけにはいかない重大な問題だと考える。

 そんな政策を推し進めた責任者は誰なのか。

 当時の生活保護行政の責任者、社会・援護局長や保護課長らがどのように関与したのかを取材して伝えていくことは報道機関の大事な役割だろう。

 縦割りの省庁にならって「たこつぼ型」で考えるのでなく、政治の意思を官僚たちがどう政策に移していったのか。果たして「無理筋」だという自覚はあったのだろうか。

 広い視野でのそうした検証報道をこれから進めてほしい。

 コロナショックとも言えるかつてない不況が日本中を襲っているなかで、いざという時に低所得の人たちを支える大切な生活保護の基準額は、公正に客観的に信頼できる算定方式で定めていくべきだと強く思う。

 

水島宏明

上智大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター

1957年生まれ。東大卒。札幌テレビで生活保護の矛盾を突くドキュメンタリー『母さんが死んだ』や准看護婦制度の問題点を問う『天使の矛盾』を制作。ロンドン、ベルリン特派員を歴任。日本テレビで「NNNドキュメント」ディレクターと「ズームイン!」解説キャスターを兼務。『ネットカフェ難民』の名づけ親として貧困問題や環境・原子力のドキュメンタリーを制作。芸術選奨・文部科学大臣賞受賞。2012年から法政大学社会学部教授。2016年から上智大学文学部新聞学科教授(報道論)。放送批評誌「GALAC」編集長。近著に「内側から見たテレビーやらせ・捏造・情報操作の構造ー」(朝日新書)、「想像力欠如社会」(弘文堂)

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①矛盾だらけの山田広報官 ②世界一費用がかかった東京五輪 ③丸川珠代大臣と夫婦別姓制度 ④生活保護 ⑤松元ヒロさん


雨宮処凛がゆく! 第549回:なぜ、57歳母と24歳の息子は死んだのか〜「八尾市母子餓死事件」の調査のため、八尾市に

2021年02月25日 | 生活

「マガジン9」2021年2月24日

  https://maga9.jp/210224-1/

新型コロナウイルスがこの国でも広がり始めた2020年2月22日、大阪府八尾市のアパートで、親子2人の遺体が発見された。

 亡くなっていたのは、57歳の母親と、24歳の長男。

 死後1ヶ月以上経過していた母親の死因は急性薬物中毒で、自殺とみられている。死後10日ほどだった長男の死因は低体温症。母親の遺体の近くで1ヶ月近く生きていたようだが、誰にも助けを求めることなく亡くなった。部屋のガスと水道は止まり、冷蔵庫はほぼ空だった。

 「八尾市母子餓死事件」。通常であれば大きく報じられただろうが、コロナ禍で、この事件はそれほど注目されなかった。しかし、多くの人が事件のことを忘れていく中、生活保護問題の専門家らによって「八尾市母子餓死事件調査団」が結成され、これまで公開質問状を出すなど事実解明に力を入れてきた。そうして事件発覚から約一年後の2月16日、調査団メンバーと八尾市との話し合いが行われるとのことで急遽八尾市に行き、話し合いの席に同席した。

 ここで調査団の資料や報道などから事件までの経緯を振り返ろう。

 親子が生活保護の利用を始めたのは07年。当時は父親が生きており、親子3人での利用だった。が、18年、父親が死亡。ここから母と長男、2人での生活が始まったようである。

 しかし、事情は少々複雑だった。まず、この時点で生活保護を利用していたのは母親のみ。長男は生前、職を転々としていたようで、いずれも長続きしなかったようである。

 ここで基本的な説明をしておくと、生活保護を利用すると、働ける人には「就労指導」がなされる。若い長男にも当然指導があったのだろう。寿司店、電気工事、金属塗装、医療事務、パチンコ店、木工所、コンビニなどで働いていたことがわかっている。が、職については辞める、というのを繰り返していたらしい。

 そうなると、役所にとっては少々面倒なことになる。

 例えば月の稼ぎが最低生活費を上回れば生活保護は廃止となるが、上回らない場合は廃止とはならない。働いた分は収入認定され、最低生活費に足りない分は引き続き保護費が出る(それでもまったく働かないより働いた方が得られる額は多くなる)。そうして仕事を辞めて貯金もなければ、再び保護費が全額出る。

 働き始めては少し経つと辞め、また働き、ということを繰り返していれば、そのような手続きは役所にとって煩雑なものだっただろう。同時に、役所にとって仕事が続かない長男は、「面倒で厄介な存在」になっていたかもしれない。だからなのだろうか、ある時期から、不思議なことが起こり始める。それは実態とは違うとしか思えない住民票の移動だ。

 例えば18年11月、長男は木工所で働き始める。この際、彼は祖母宅に転出したとされて「世帯員削除」され、その後は母親が一人で生活保護を利用している。

 「働き始めると長男の住民票が祖母宅に移る」ことは、それ以前も行われていたようだが、肝心の祖母は「孫と暮らしたことは一度もない」と述べている。それだけではない。祖母は「住民票だけ移すよう市から言われたと聞いた」とも言っている。

 このことから、長男は母親と2人で暮らしていたと考えるのが自然だ。実際、母の友人や長男の友人も「母と長男は常に一緒に行動していた。長男が祖母宅に行ったとは考えられない」と述べている。親子は仲が良く、足の悪い母親にいつも長男が肩を貸し、また長男がゴミ出しをし、毎朝のように親子がともに出かけていく姿を近所の人に目撃されている。ちなみに母親は変形性膝関節症の手術を受け、介護度は「要支援2」。働ける状態ではなかった。

 そんな親子の生活がいよいよ逼迫していくのは19年からだ。

 1月、長男は勤務先を休みがちとなり、月末には辞めてしまう。3月、料金滞納によって部屋の水道が止められてしまう。翌日、停水は解除されたが、5月にも再び水道が止まり、また同月、家賃滞納で家主から部屋を追い出されてしまう。

 その後、親子は公園で寝泊まりするようになるのだが、この頃、親子は友人に助けを求め、泊めてもらうなどもしている。その時、母親は「駅前ホテルで飛び降り自殺を試みた」ことを友人に語っている。

 なぜ、水道が止まり、家賃滞納で追い出されるまでに困窮していたのか。それは2人が「母親一人分の生活保護費」で暮らしていたことが原因と思われる。ここまで困窮していても、長男は生活保護を利用できていなかったのだ。

 6月には、汚れた洋服の親子が、突然八尾市役所を訪ねてきた。なんとか助けてほしいとの思いで役所を頼ったのだろう。しかし、そこで役所から親子に突きつけられたのは「一括で20万円を返せ」という要求だった。前年暮れ、母親には役所から転居費20万円が支給されていた。父親が亡くなったことで転居指導され(世帯人数が変わると家賃の上限額が変わるため引越しを指導されることがある)、その費用として支給されたお金だ。が、それを使い込んでしまったのだ。

 もちろん、保護費の使い込みは責められるべきことだ。が、路上生活をしていた親子が一括で20万円など返せるわけがない。母親は分割払いを求め、月2万円ずつ返還していくことが決まった。

 そうして7月5日、親子は遺体発見現場となるアパートに移り住む。やっと路上生活を脱したわけだが、この時、長男の生活保護は再開されず、母親の生活保護だけが再開される。またしても「一人分の生活保護費で2人が暮らす日々」が始まったわけである。

 さて、ここで長男の友人の話に触れておこう。生前、長男は友人に、役所の人から以下のように言われたと語っていたという。

 「就職したら住民票を祖母宅に移し転出したことにすれば、保護費を減らされることなく給料を全額使える」(生活保護を利用していて収入があると収入認定されるので、給料額が少なくなる)。

 また、長男が仕事を辞めた際、友人は「お金を貸してほしい」と言われている。それに対して「生活保護に戻ったらいいやん」と言ったところ、役所から「これ以上かばいきれない。何度も見逃すことはできない。生活保護から外れたままでいてほしい」と言われたと話したそうだ。ただ、その後、困窮が極まった長男は再び保護を利用しているのだが、仕事を始めると世帯員削除され保護から外されている。

 このような経緯を経て、再び始まった「一人分の保護費で2人が暮らす」生活。その上、そこから毎月2万円が返済に消えるのだ。八尾市の基準額では、一人分の生活扶助費は7万6310円(家賃は別)。ここから2万円引かれると残りは5万6310円。光熱費や携帯代、2人分の食費、生活費をまかなうには到底無理な額である。

 19年7月には、長男のLINEアカウントが消滅。スマホを維持できなくなったからだろうか。母と長男は友人宅に食事やお風呂の提供を求めてたびたび宿泊していたそうだが、秋頃を最後に連絡も途絶えてしまう。11月にはまたしても水道が止まる。そうして12月末、1月分の保護費が支給される日、毎月、役所の窓口に生活保護費を受け取りに来る親子は姿を見せなかった。この日、窓口で保護費を受け取る147人のうち、来なかったのは26人。しかし、最後まで連絡が取れなかったのは、この親子だけだった。

 年明けの20年1月8日、役所の職員が部屋を訪れるが応答はなし。1月15日、料金滞納でまた水道が止まる。おそらくこの頃、母親は処方されていた薬を大量服薬して死亡。

 2月はじめ、生活保護の支給日に親子はまた現れず、役所の職員が自宅訪問をするが応答なし。2月18日には「失踪」したものとして生活保護の廃止が決定される。

 親子の遺体が発見されたのは、その4日後、2月22日だった。母親は布団で、長男は隣の介護用ベッドであおむけに倒れていた。解剖の結果、母親は死後1ヶ月以上、長男は死後10日ほど。長男の死因は低体温症で、母親は急性薬物中毒。部屋には薬の空袋が大量に残されていたという。

 母親の遺体を前に、食べ物もなくガスも水道も止まった部屋で、長男はどんなことを考えていたのだろうか。誰かに助けを求める気力さえ、失っていたのだろうか。

 21年2月16日午後3時、八尾市役所の会議室で、八尾市母子餓死事件調査団と八尾市との話し合いが始まった。

 調査団メンバーを迎えるのは、八尾市の生活福祉課長と、課長補佐。

 そんな2人と向かい合って座るのは、生活保護問題対策全国会議代表幹事で弁護士の尾藤廣喜氏、同じく全国会議事務局長で弁護士の小久保哲郎氏、花園大学教授で生活保護のケースワーカー経験もある吉永純氏、八尾社会保障推進協議会会長の矢部あづさ氏。多くが07年の北九州餓死事件や12年の札幌姉妹餓死事件の際も調査団を作って役所に乗り込んできたという、エキスパート中のエキスパート。

八尾市母子餓死事件調査団が、生活福祉課長に要望書を提出

 最初に小久保さんが概要を説明し、問題点に切り込んでいく。

 ひとつめは、「長男がいるのに母親の保護費しか支給していなかったこと」。

 こういう状況だったことは認めるか、との問いにしばらく沈黙した課長は、「細かいことは申し上げられませんけど、報道されてる通り単身世帯ということで保護を適用しておりました」と回答。では、「住民票だけ祖母宅に移すように市から言われていた」件はどうなのか。これを問い詰めると、「こういう事実関係があったか確認とれてないんですけど」と回答。事件から1年も経っているのに、当時の担当者に確認さえしていないことを自ら暴露する自爆芸を披露したのだった。

 これには全員が驚き、慌てたのだろう課長補佐が課長にこそこそと耳打ちする。その姿を見て、私は久々に「船場吉兆のささやき女将」を思いだした。

 さて、「ささやき補佐」の耳打ちを受けると、課長は当時の担当者に「確認した」と、突然主張を180度変えたので、またしても驚いた。

 ではいつ確認したかと問うと、その答えは鮮やかに二転三転。その度に課長は、「都合が悪くなると黙りこむ」という、近年あまり見ないタイプのわかりやすい狼狽をする。秒数にして、17秒、18秒と沈黙が続く。ラジオだったら放送事故になるレベルだ。しかも、課長と課長補佐の言い分が全然違うこともあり、そのたびに調査団から失笑が漏れる。「墓穴コンビ」と名付けたいくらい、墓穴を掘ることに関してのみ、息が合っている。

 呆れながらも、同時に衝撃を受けていた。

 2人が餓死するという大事件である。しかも、これまで私たちが調査をしてきた「生活保護を受けられずに餓死」「生活保護をむりやり辞退させられての餓死」ではなく、生活保護を利用していたにもかかわらず、起きた餓死事件である。それなのに、事の重大さを認識しているとはとても思えないのだ。しかも、この件は昨年末、朝日新聞で5回にわたる連載で大々的に報道されていて、世間の注目度は改めて上がっている。

 そして今日、先鋭揃いの調査団が乗り込んでくることがわかっているにもかかわらず、課長も課長補佐も、まったく「対策」さえしていないのだ。その証拠に、当時の担当者への確認もしていない上(のちに「確認した」と言い始めたが)、2人はなんの口裏も合わせていない。口裏を合わせることがいいとは言えないが、少なくとも「こういう質問にはこう答えよう」という話し合いさえなかったことがよくわかる。とてもじゃないが、2人の死を真摯に受け取め、再発防止に取り組もうという姿勢には思えないのだ。

 次に調査団が切り込んだのは、「月2万円もの保護費を返還させていたこと」。

 前述したように、そうなると2人の生活費はわずか5万6000円ほど。

 しかもこの「2万円」という返還額には大きな問題がある。生活保護法では、返済額が「最低限度の生活を維持できる範囲」でなければならないと定められているからだ。厚労省はその目安額について、単身の場合で月5000円としている(平成30年10月1日課長通知)。しかし、今回はその4倍の額を返済することになっていたのだ。しかも、実際には2人で暮らしていたのに。生活が破綻することは容易に想像できただろう。

 この問題について問うと、課長は突然「個人情報」を持ち出してきた末に、34秒の沈黙。この日の最長記録だ。

 次に問うたのは、「2ヶ月にわたり保護費を取りに来なかったのに安否確認を怠ったこと」。

 生活保護を利用する人が保護費を取りにこないことは一大事である。お金に余裕がある人がコロナ禍での給付金を受け取らないなどとは話が違い、唯一の命綱を手放すようなことである。「何かあったのでは」と身構えるのが普通だろう。しかし、職員は2度自宅を訪問しているが、連絡票を投函しただけで、鍵のかかっていない部屋には立ち入らず帰っている(二度目は室内をのぞいているが異変には気づかず)。

 この「部屋の鍵が開いていた」事実に、私は胸を突かれた。もしかしたら親子は、「誰かが来てくれるかもしれない」という一縷の望みを抱いていたのではないだろうか。だからこそ、不用心でもあえて部屋の鍵を開けていたのではないだろうか。1月の訪問で職員が部屋に立ち入っていたら、2人はおそらくまだ生きていたのだ。少なくとも、長男は確実に生きていた。

 この件に関して、八尾市では「安否確認マニュアル」を作成中だそうで、そろそろ完成するところだという。このマニュアルに関して、法律家や学識者など外部の専門家の意見も取り入れて作ったかと調査団が聞くと、「あくまでも内部が中心になって」作ったとのこと。先進的な自治体のものも特に参考にはしていないという。自分たちのやり方にそれほど自信があるのか、あるいは自浄作用がないということなのか、これは現物を見てみるまではわからない。

 次に調査団が指摘したのは、八尾市では生活保護を廃止する人の中に「辞退」での廃止が異常に多いこと。

 07年、北九州市で生活保護を「辞退」させられた男性が「おにぎり食べたい」とメモを残して餓死する凄惨な事件が起きたが、この事件を受け、厚労省は「辞退」廃止は慎重にするようにという旨の通知を出している。本当に本人の真摯な意思があるか、保護を廃止して生活ができるかどうかをしっかり確認しなくてはならないというものだ。

 このことを問うと、課長は他の市と比較して辞退が多いことは認めたものの、今後は「辞退廃止」ではなく「他の理由での廃止」としていきたい、というようなことを発言。一同「おいおいおいおい」と心で突っ込みつつ身を乗り出したのだった。辞退廃止が問題なら、他の理由での廃止にするって、それ、なんの解決にもなってない。廃止させるべきじゃない人の保護を廃止しなければいいだけの話である。適正に、法に則ってやればいいだけの話だ。そうすれば、餓死事件なんて起こりようがないのだ。

 さて、そろそろ時間だ。話し合いの最後、「第三者による検証委員会の設置」を求めると、課長は妙に堂々と言った。

 「それは考えてないです。内部で検証していきますんで」

 そうして、一時間にわたる話し合いは終わった。

 これまで、調査団は多くの自治体に申し入れなどをしてきた。

 私自身も、北海道札幌市の餓死事件をはじめとして、ジャンパー事件があった神奈川県小田原市や、利根川一家心中事件が起きた埼玉県深谷市などに申し入れをしてきた。

 そんな中、小田原市は申し入れなどを受けて大きく変わった自治体だ。市長の判断で検討会が設置され、小田原市の生活保護行政は大きく改善されたと聞く。

 調査団メンバーが乗り込んだ北九州市も、餓死事件を受けて検討委員会が開かれ、さまざまな提案がなされて改善の方向に向かったという。また、三重県桑名市で餓死事件が起きた際、職員は真摯に反省し、調査団の意見を受け入れて研修をするなど変わっていったという。

 そんなふうに、悲しい事件を受け止めて変わっていく自治体がある一方で、まったく変わらない自治体もある。それどころか、「勝手に死んだ」と他人事感たっぷりの自治体もあったし、自分たちが被害者面をするようなところもある。

 菅総理は、国会にて「最終的には生活保護がある」と述べた。しかし、その最後のセーフティネットが、利用していても餓死してしまうようなものであれば、それは公助が機能しているとはとても言えない。

 最後に。

 今回の調査で胸が痛むのは、長男の24歳という若さだ。

 これまで調査団や申し入れで関わった事件の中で、もっとも若い死者である。

 可能性は無限にあった。足の悪い母親をいつも助けていた優しい長男なら、彼に合った支援が得られていたら、いくらだってなんだってできただろう。少なくとも、困窮の果てに母親の遺体の側で若くして命を落とすような最期は迎えずに済んだだろう。

 八尾市からの回答は、1ヶ月後くらいには来る予定だ。引き続き、この事件を追っていきたい。

調査団メンバーと。左から吉永純さん、小久保哲郎弁護士、私、矢部あづささん、尾藤廣喜弁護士。調査の翌週の2月22日、大阪地裁では生活保護引き下げ違憲訴訟(いのちのとりで裁判)で原告が勝訴! 小久保弁護士はこの裁判の弁護団副団長、尾藤弁護士と私は「いのちのとりで裁判全国アクション」の共同代表。嬉しい判決に胸がいっぱいになりました。


この「嬉しい判決」に、国は控訴しないでと・・・

さて、その裁判について、明日でも記事をアップしたいと思っています。


高校生 3割うつ症状 コロナ禍 心のケア必要

2021年02月24日 | 教育・学校

「しんぶん赤旗」2021年2月23日

国立機関が調査

 コロナ禍のもとで高校生の3割に中等度以上のうつ症状がみられるなど、子どもの心のケアが大切になってきていることが国立研究開発法人国立成育医療研究センターの「コロナ×こどもアンケート」第4回調査で分かりました。(第4回調査報告書「コロナ×こどもアンケート」 | 国立成育医療研究センター (ncchd.go.jp))

 今回の調査は昨年11月~12月にインターネットで実施。子ども924人、保護者3705人が回答しました。とくに心の健康・悩みについて詳しく尋ねました。

 子どもに心の状態を尋ねた結果では小学4~6年の15%、中学生の24%、高校生の30%に中等度以上のうつ症状がみられました。子ども全体の17%が「実際に自分の体を傷つけた」、24%が「体を傷つけたい、死にたいと思った」と答えるなど、自傷行為も深刻でした。

 アンケート結果をまとめた同センターコロナ×こども本部の半谷(はんがい)まゆみさんは、コロナ禍での子どものうつの原因について直接明らかにすることはできていないとしながら、「コロナへの感染への不安や、生活の変化などのストレスが関与している可能性はある」と指摘。コロナに不安を持っている子どもに対して「親や教師は気持ちを自由に表現できるように工夫してあげることが大切。話してくれたらどんな気持ちも否定せず、しっかり聞いて受け止めてほしい」といいます。

  「この1カ月で悩んだこと」の問いには「勉強」と回答した子どもが50%と高い割合でした。半谷さんは「休校に伴うカリキュラムの変更により『授業の進行が早い』、『宿題が多い』、『休みが少なくて疲れる』などの意見が寄せられています。コロナの影響で勉強に悩みを抱えているのでは」と述べています。

 今回調査を行った国立成育医療研究センターは、コロナ禍で多くの悩みを抱えている子どもたちのための「こころ×子どもメール相談」を行っています。メールアドレスはkodomo-liaison@ncchd.go.jpです。


 ワクチン、児童・生徒優先にしてあげたいけど、副作用の心配もあります。第二のロスジェネ世代にしないためにも、きめ細かな対策が必要です。

 もらってきたワンコ、まだ鳴き声を聞いたことがない。ギャーオ、とかウオーとか声を発するようになってきたのですがまだ「ワンワン」という普通の鳴き方が出てこない。スキンシップが必要と思います。


生活保護減額は違法 大阪地裁 歴史的な原告勝訴判決

2021年02月23日 | 生活

「しんぶん赤旗」2021年2月23日

 国が2013年8月から開始した生活保護費引き下げは生存権を保障した憲法25条に違反するとして、その取り消しなどを求めて、大阪府内の生活保護利用者42人が国と府内12市を相手取った「生活保護基準引き下げ違憲訴訟」(いのちのとりで裁判)の判決が22日、大阪地裁でありました。森鍵一(もりかぎ・はじめ)裁判長は、生活保護費の減額処分は違法であるとして、処分を取り消す判決を出しました。

 「やった」「勝った」「万歳」。「勝訴」の旗が掲げられた瞬間、地裁前は歓声と涙に包まれました。原告の女性は「(裁判開始から)6年間ずっと苦しかった。本当にうれしい。社会を変えるたたかいはこれからも続く」と語りました。

 判決は、引き下げの名目とされた「デフレ調整」について、特異な物価上昇が起こった2008年を起点にして物価の下落を考慮した点、独自の指数に着目し、消費者物価指数の下落率よりも著しく大きい下落率を基に改定率を設定した点において、客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を欠き、生活保護法3条、8条2項の規定に違反し、違法であるとしました。

 弁護団は「国が行った生活保護基準引き下げを問題とし、裁量逸脱を認めた。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障する歴史的な勝訴判決」と述べました。

 国が2013年から3回にわたり、平均6・5%、最大10%もの引き下げを強行したことから全国29都道府県で1000人近くの原告が訴えている集団訴訟です。大阪は14年に51人が提訴(後に2人が追加提訴、原告の死亡等で現在42人)。国に慰謝料を求めた訴えについては退けましたが、原告の請求がすべて棄却された昨年6月の名古屋地裁での不当判決を克服した、初の勝利判決です。


今日は⛄、風も強く吹雪模様です。

シバを茶の間に入れてみました。なんと、植木鉢のところへ行き、ブーゲンビリヤの葉を食べ始めました。いろいろと匂いをかんでいましたが、この葉が一番氣に入ったようです。


成果乏しい日本の主権者教育。抜本的拡充の転機になるか、文科省・主権者教育推進会議の最終報告案が提出

2021年02月22日 | 教育・学校

YAHOOニュース(個人) 2/20(土)

 室橋祐貴 | 日本若者協議会代表理事

 

がんじがらめの現状の主権者教育

2015年の18歳選挙権の実現以降、主権者教育が広く行われるようになった一方(※)、2019年参院選における10代の投票率は約33%へと落ち込み、現状の主権者教育の成果は乏しいものとなっている。

※文部科学省が令和元年度に高等学校等を対象に行った「主権者教育(政治的教養の教育)実施状況調査」では、調査実施年度に第3学年に在籍する生徒に対して主権者教育を実施したと回答した割合が全体の95.6%を占めた。

日本学術会議が2020年8月に公表した報告書(「主権者教育の理論と実践」)では、「主権者教育は投票参加に直接影響を及ぼしてはいなかった」とした上で、「政治的有効性感覚や新聞接触が有意に影響していることから、主権者教育が、政治的有効性感覚の向上や政治的情報の手段としての新聞接触に結びつくような形で実践されれば、適切な政治参加・投票参加に結びつくことが示唆される」と指摘している。

そして、そのためには、「政治や選挙に関する単なる知識を超え、具体的な政治的事象を踏まえながら、自ら考え判断できる教育を提供することが求められる」とし、「政治的中立性について過敏になりすぎず、学校において実践的な内容の主権者教育を行うべき」と、結論づけている。

現状はやる気のある先生でも、政治的中立性を気にして具体的な政治的事象を扱いにくい状況になっている。

2021年1月19日に経済同友会が主催した未来選択会議 第1回オープン・フォーラム「未来選択につながる民主主義〜若者の政治・社会への関心を高めるために」で一緒に登壇した、玉川学園高等部・中等部教諭の硤合宗隆先生は、「学校でできることには制約も多い」とした上で、政治的中立性に関する考え方を見直す、「ドイツの『ボイテルスバッハ・コンセンサス』の日本版が必要ではないか」と指摘していた。

出典:NHK「ドイツの政治教育と中立性」(視点・論点)

「中間報告」からは大幅に改善した最終報告案

そうした中、文部科学省では2018年8月に「主権者教育推進会議」を設置し、さらなる主権者教育拡充に向けた議論が行われてきたが、2021年2月19日の第18回で最終報告案が提出された。

11月に公表された中間報告は、以前別の記事で書いたように、現状分析が甘く、物足りないものとなっていた。

関連記事:文科省・主権者教育推進会議の「中間報告」に欠けている視点(室橋祐貴)

ただ今回発表された最終報告案は、一歩踏み込んだ内容となっており、1月28日に文科省に日本若者協議会で提言した「主権者教育の手法に『学校運営への生徒参加』を含める」点も盛り込まれているのは、評価できる点である。

特に重要な部分をいくつか抜粋したい。

このような(政治的教養に関する教育の充実)取組を重視する動きは、本主権者教育推進会議にて訪問調査した英国におけるシティズンシップ教育をめぐる取組や、ドイツにおける中立原則(ボイテルスバッハ・コンセンサス)の下での政治教育の取組や、ヒアリングにおけるOECDのLearning Framework 2030におけるStudent Agency(「変革を起こすために目標を設定し、振り返りながら責任ある行動をとる能力」とされている)の育成を重視する方向性とも軌を一にするものである。

例えば、ドイツでは、上述の中立性の原則の下、「連邦政治教育センター」において政治教育の副教材の開発や、開発した教材について超党派の議員で構成される委員会等による監督を受けることなどの取組を通して政治的中立性を担保する取組を行っている。我が国においても、これまでの取組も踏まえつつ、こうした諸外国の取組を参考に主権者教育の充実につなげることも重要である。

同様に、主権者教育で扱う社会的な課題や政治的な課題に唯一絶対の正解があるわ

けではない。したがって、主権者教育を推進する上では、正解が一つに定まらない論争的な課題に対して、児童生徒が自分の意見を持ちつつ、異なる意見や対立する意見を整理して議論を交わしたり、他者の意見と折り合いを付けたりする中で、納得解を見いだしながら合意形成を図っていく過程が重要となる。このように主権者教育の目指すところは、新学習指導要領が見据えた2030年の未来社会を生きる子供たちに必要な資質・能力の育成とも重なるといえよう。

その際、主権者教育の充実の観点からは、政治的中立性の確保の観点も含めた有益 適切な教材を開発することも重要である。主権者教育推進会議の議論では、諸外国の取組としてドイツの「連邦政治教育センター」における取組が紹介された。具体的には同センターにおいて、政治に関する情報・分析とその普及、政治教育のための教材の編集・発行、政治教育活動、各地の政治的教育機関(NPO等)の支援を行っていることなどが紹介された。 現実の政治的な事象を扱った有益適切な教材の活用を外部団体との連携により推進することは極めて重要であり、我が国においても、第三者的な立場にあるNPOやシンクタンク等の外部団体において、例えば、政党の選挙公約等の政策を比較可能な形でまとめて学校での主権者教育の実施に資する取組を行うなど、学校に対してデータに基づく客観的な政策評価や社会的課題に関する情報の提供を進めている取組もある。こうした外部団体の取組は、学校の授業において、現実の具体的な政治的事象を取り扱うに当たり、配慮のなされた教材を提供する上で有効であると考えられる。このような観点から、学校、教育委員会における外部機関との連携による適切な教材活用の取組を支援することが求められる。

その際、特に、児童生徒にとって身近な社会である学校生活の充実と向上を図ることを目指す児童会活動、生徒会活動やボランティア活動などの活動は主権者としての意識を涵養する上で大変重要であり、これらの活動の充実を図ることが求められる。

(主権者教育の)取組の内容を見ると、平成27年通知で示した「現実の政治的事象についての話し合い活動」に取り組んだ割合が3割強(34.4%)であることや、指導に当たって関係機関と「連携していない」と回答した割合が5割弱(48.2%)あることなどが明らかとなった。1(1)で述べたように、昭和44年通知以来、半世紀ぶりに見直した平成27年通知では、政治的教養に関する教育の取扱いを充実し、政治的中立性を確保しつつ、現実の具体的な政治的事象を扱うことを積極的に行うことを明確化したところである。こうした経緯を踏まえれば、これらの調査結果は、主権者教育を推進する上での重要な課題を示すものであるといえよう。

このような課題を乗り越え、各学校において、現実の具体的な政治的事象を扱った授業の展開を推進するため、国において以下の観点から取組を推進することが求められる。

ア.ともすれば政治的中立性を過度に意識するあまり教師が指導に躊躇する現状を乗り越え、学校における指導を実際に充実する観点から、各学校や教育委員会に対し、平成27年通知や「私たちが拓く日本の未来(活用のための指導資料)」に示した考え方の一層の積極的な周知や、これらを踏まえた具体的な実践事例の収集・開発、横展開が求められる。その際、小・中学校向けの取組の充実も求められる。

イ.教師は生徒に対し常に「正解」を伝えるものという、いわゆる「正解主義」を乗り越えて、「学びの主体」である児童生徒自身の力量形成に向けた授業改善を推進するため、国による副教材や教師用指導資料の開発、学校・教育委員会とNPO・シンクタンク等とが連携した取組の推進が求められる

ウ.現実の具体的な政治的事象を扱った授業の実施には、家庭や地域の理解が重要であり、主権者教育の重要性についての家庭への周知が求められる。

NPOやシンクタンク等の提供可能な教育プログラムの情報などをデータベースに登録し、学校や教育委員会等が活用できるよう支援する。

中間報告から加筆された部分を、一言でまとめると、より積極的に、具体的な政治的事象を取り扱うよう促すために、政治的中立性の考え方に関して改めて周知し、具体的な実践事例を広めていくこと、論争的な授業内容にしていくために、NPO・シンクタンク等との連携を促進していく、ということである。

「投票」以外の政治参加手段

一方、この最終報告案の課題としては、大きく3つ上げられる。

一つ目は、児童会活動、生徒会活動やボランティア活動などの活動の充実に関してである。

もちろん「児童生徒にとって身近な社会である学校生活の充実と向上を図ることを目指す児童会活動、生徒会活動やボランティア活動などの活動は主権者としての意識を涵養する上で大変重要であり、これらの活動の充実を図ることが求められる」と明記されたことは非常に重要であり、高く評価できる点である。

ただ、日本においては自治的な生徒会活動を行っている例は非常に少なく、各教員が理想的な生徒会活動や、生徒の学校運営への参加を思い描けている可能性は少ない(そもそも生徒全員が関わるべきであり、「生徒会活動」に限定されるべきでもない)。

そのため、校則見直し過程において児童・生徒の声を聞くこと、など、具体例を加えないと、なかなか真意が伝わらないのでは、と懸念される。

二つ目は、政治的中立性に関してである。

上記のように、これまでより、具体的な政治的事象を取り扱うよう促すのは高く評価できる点ではある。

ただ、これまで平成27年通知が出された後にも、教育委員会や政治家が学校現場に介入し、なるべく具体的な政治的事象を取り扱わないよう圧力をかけてきた経緯を踏まえると、もう少し踏み込んだ形で、『ボイテルスバッハ・コンセンサス』の日本版の作成、もしくは、平成27年通知の見直しが必要ではないだろうか。

たとえば、平成27年通知では、「指導に当たっては、教員は個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること。」とされているが、個人的な主義主張を述べることと、個人的な主義主張を生徒に押し付けることは別であり、ここの部分が教員の萎縮を招く一因にもなっている。

そのため、「教員は個人的な主義主張を述べることは避け」の箇所を「教員は個人的な主義主張を生徒に押し付けることは避け」に見直すことなどは十分に考えられるだろう。

最後は、これまで度々指摘している、政治参加には、「投票」以外の手段もある点である。

最終報告案では、「主権者教育をめぐる課題」として、投票率の低下のみに触れられているが、「選挙」に限っても、若者の候補者が少ないことは大きな課題であり、選挙以外でも、請願や陳情、デモ活動など、政治参加には多様な手段が存在する。

実際、日本では、投票以外の政治参加も低水準となっており、若者の投票率が80%を超えるスウェーデン(瑞)が他の手法においても、高水準であることは一つの示唆になり得るのではないだろうか。

特に、近年SNSの発達により、オンライン署名活動が活発化しているように、投票以外の政治参加の手法で現実社会を変えた事例も増えてきており、初等中等教育課程においても、実践的に教えていくべきだろう。

例:小学校・中学校、高等学校での取組の充実について、「地方自治体・地方議会への請願や陳情の方法、出馬する際のルールを教えるなど」、と追加

「中間報告」に比べれば、大幅に改善されたものの、実際の教育現場が変わるよう、もう少し踏み込んだ形での「最終報告」を期待したい。

 

室橋祐貴

1988年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、慶應義塾大学政策・メディア研究科修士2年。若者の声を政策に反映させる「日本若者協議会」代表理事。専門・関心領域は政策決定過程、社会保障、財政、労働政策、若者の政治参画など。


今日は薄曇り。少しでも日が差せば雪が解けてくる。それでも真冬日の氷点下。ブログでは、梅が咲いた、桜が咲いたと羨ましい限りである。ここはまだまだ土さえも見えない。


内田樹の研究室 コロナが学校教育に問いかけたこと

2021年02月21日 | 教育・学校

2021-02-21 dimanche

 感染がまだ収束していない段階で、「ポストコロナ期に社会はどう変わるか」を問うのはいささか前のめりの気もする。でも、そういう未来予測を行うことはたいせつなことだと私は思っている。いまの時点で「予兆」として見えて来たもののうちいくつかはのちに現実化し、いくつかはそのまま立ち消えになる。何かは実現し、何かは実現しない。「起きてもよいはずのこと」のうちいくつかは起こらない。なぜ「起きてもよいこと」は起こらなかったのか、それを思量することは私たちの社会の基盤をかたちづくっている「不可視の構造」を手探りするためには有効な作業だと私は思う。

 歴史家は「起きたこと」について「それはなぜ起きたか」を説明してくれるが、「起きてもよかったのに起きなかったこと」については何も教えてくれない。歴史家の仕事ではないからよいのだが、私は気になる。いまコロナ感染爆発の渦中にあって、いくつかの社会的変化の予兆が見えている。よい予兆もあるし、悪い予兆もある。ここでそれがどうなるか予測してみたい。だから、私がこれから書く文章はできたらコロナ収束後、あと一年か二年あとに読んだ方が面白いかも知れない。

 よい予兆はいくつかの制度が「弱者ベース」で設計され直され始めたということである。きっかけは大学の授業が2020年の4月からオンライン化されたことだった。

 ほとんどの大学はオンライン授業の経験がなかった。だから、準備はたいへんだったと思う。少なからぬ教員は「大学の授業は対面で行うべきものだ。『師の謦咳に接する』ことなしに教育が成り立つのか」という深い疑念を抱いていた。それでも、なんとか4月から授業が手探りで始まった。最初はサーバーが落ちたり、音声が消えたり、テクニカルな失敗があったが、数週間でそういうトラブルはだいたい収まった。そして二月ほど経ったところで教員たちはある変化に気がついた。それは脱落する学生が少ないということである。

 これまでだと5月の連休明けくらいで、授業についていけない、授業に興味がもてないという学生が脱落する。科目によっては履修者の30%が姿を消す。それがオンライン授業では激減した。それについて大学教員たちから興味深い話を聴いた。

 これまで大学というのは「学生が主体的に学ぶ場」だとされてきた。事実はどうあれ、建前はそうだった。だから、積極的に学ぶ意志を持たない学生に、教員側が「手を差し伸べる」ということはしなかった。不登校や学業不振の学生をケアするのは「学生相談室」とか「心理相談室」の仕事であって、教員が何十人、何百人いる履修者の出欠を気にすることはなかった。ところがオンラインになると、欠席者に配布物を送ったり、来週までの課題を伝えることができるようになった。「質問があればメールでどうぞ」というメッセージを送ることができるようになった。すると、欠席者が次の週には来るようになった。それで分かったのだが、彼らが授業を聴く意欲を失ったのは、「教員に個体識別されていない」ということが一因だったのである。自分が教室にいてもいなくても、それによって何も変わらない。その存在感の希薄さ、自己評価の低さが彼らの学習意欲を殺いでいたのである。だから、教員から(オンラインであれ)固有名で名前を呼びかけられたことで、ささやかながら社会的承認を得て、少しだけ救われたのである。その結果、前期が終わった時点で、定期試験を受けたり、課題を提出したりした学生の数は前年度を上回ることになり、平均点も上がったと聞いた。

 オンライン授業がこんなふうに成功するとは思わなかったという驚きの声を聴いて、私はむしろこれまで私たち大学教員がどれほど学生たちに対して「無慈悲」に接してきたのかを思い知ることになった。たしかに大教室の授業の場合、教員は学生を固有名で認知していないし、よほど積極的な学生でない限り、廊下で教員に声をかけたり、オフィスアワーに研究室のドアを叩いて質問に来るというようなことはしない。だから、ある程度基礎学力があり、授業にそれなりに興味もありながら、いま一つ意欲が足りないという学生はわずかなきっかけで授業に来なくなるのだが、そういう学生を授業に「呼び戻す」ための装置を大学は持っていなかったのである。

 大学は「学習強者ベース」で制度設計されていた。「学習強者」は自分の興味に従って科目を選び、研究室を訪ねて質問をし、大学が無償で提供しているさまざまな教育資源を活用できる。もちろん、それが高等教育ということなのだ。だが、自信のなさやわずかな気後れで、「そういうこと」がどうしてもできない「学習弱者」である学生もいる。そして、その方が多数派なのである。私たちは彼らのことを大学のフルメンバーとして遇してはこなかったのである。

 学校には「学習弱者」のための学習トラックも必要だ。そのことを感染症に強制されたオンライン授業で多くの大学教員が気づいた。もちろん、これまで通り「学習強者」がアカデミアを最大限に活用できる仕組みは変わらないにしても、「学習弱者」を「呼び戻す」仕組みを標準装備することに多くの大学はこれから取り組むだろう。対面授業ができず、友だちができず、クラブ活動も休止を余儀なくされて、大学教育はこの1年間で大きな痛手を負ったけれど、そこから学んだこともあった。

 その一方で高校生は自殺が増えた。そうかも知れないと思う。コロナのせいで、高校生にとっての「楽しいこと」は全部なくなった。修学旅行も文化祭も運動会も部活もなくなった。さらに全国一斉休校の余波で、彼らはその後「詰め込み授業」を強いられている。7限まで授業をしないと学習指導要領の要求を満たせない。生徒たちが授業内容を理解しているかどうかよりも終わらせることの方が優先する。授業が理解できない生徒たちを個別的にケアするだけの余力は疲れ切った教員たちにもない。そうやって落ちこぼれた生徒たちは教室にいる理由を見失う。それが自殺が増えたことの一因ではないかという話を高校の現場の教員から聴いた。厚労省は高校生の自殺増加の主因を「進路の悩み・学業不振」としているが、それではあまりに説明が足りないのではないか。

 高校と大学で事態が逆転しているように私には見える。学校にとって、学校に通う子どもたちにとって何が一番たいせつなのか。それはそこにいるだけで、社会から認知され、必要とされているということを実感できるという経験ではないのか。自分はこの集団のフルメンバーであるという自尊感情を抱けるということではないのか。

 コロナを奇貨として学校教育についてもう一度根源的に考え直すことを私たちは求められていると思う。

(2021-02-21 09:10)


 昼前に少しの晴れ間もあったが、ほぼ雪の一日。気温も上がらず真冬日だ。今週の天気を見ると晴れマークはない。しかもすべて真冬日。最低気温も-10℃超えが続く。まだまだ春は遠い感じだ。


不登校も自殺も増えているが、問題は学校が「子どもたちの居場所」になっていないことかもしれない

2021年02月20日 | 教育・学校

前屋毅 | フリージャーナリスト

YAHOOニュース(個人)2/18(木)

 児童生徒の自殺が、2020年には年間479人と前年より140人も増えて過去最多となったことを、2月15日の自殺予防の有識者会議で文科省が明らかにした。内訳は小学生が14人(前年比8人増)、中学生13人(同40人増)、高校生329人(同92人増)となっている。

 不登校も増えている。昨年10月に文科省が公表した調査結果によれば、2019年度の不登校が高校では減っているものの5万人を超えており、小中学校では18万1272人と、前年度より1万6744人も増えている。

 自分の「居場所」を失っている子どもたちが増えているのだ。なぜ、学校は子どもたちの居場所になっていないのだろうか。

■子どもの「居場所」ではなくなってる学校

「NPO法人ピアサポートしぶや」は、1999年に創設した中高生の居場所「渋谷ファンイン」の運営をはじめ、不登校をはじめ困難を抱える子どもや若者の自立をサポートする活動を続けている。その理事長を務める相川良子さんは、校長まで務めた元中学校教員である。彼女が言った。

「学校が子どもたちの居場所になっていません」

 彼女が不登校を意識しはじめたのは、教員をやっていた1980年代のことだった。「学力偏差値を重視するようになって、偏差値を上げるために学校では子どもたちを抑えつける傾向が強くなり、それが校内暴力や不登校などにつながっていきました」と、相川さんは言う。学校がどんどんテストの点数一点張りになっていくなかで、学校は子どもたちにとって「自分の居場所」ではなくなっていったからだ。

「学力偏差値によって輪切りにされて受験校が決まり、子どもたちは将来を決められていく。そういう教育と学校の管理に、違和感を強くもっていました」

 彼女が担任したクラスにも不登校の子がいた。「教員ですからね。『学校に来なくていい』とは言えなくて、『登校しなさい』って言いました」と相川さん。

 強制的に来させたわけではない。そして登校するようになったら、「それでお終い」になったわけでもなかった。相川さんが続ける。

「『楽しいクラスにするから学校においで』って約束したんです。楽しい授業を心がけたし、行事はクラス全体で楽しめるように盛り上げました。その不登校だった子がギターが趣味だって知って、それなら『文化祭でバンドを結成しよう』って提案しました。子どもたちがロックバンドをやりたいというので、やらせた。学校的には禁止されていたので、大顰蹙でしたけどね(笑)」

 そういうなかで、相川さんが意識したのが「子どもの居場所」だった。校長も経験するなかで、居場所を失っている子どもの姿をどんどん意識するようになった。

「教育委員会に異動になったとき、放課後に子どもたちが集まれる『中高生クラブ』というのを提案して実現したんです。区の施設の開いてる部屋を使って、ギターを弾いていてもいいし、寝っ転がっていてもいい。学校に縛られない、自由な子どもの成長の場というコンセプトでした。隣に中学校があったので、放課後になるとたくさん集まってきてたいへんでした」

 それも1年で閉鎖となる。区の施設を使うためには手続きも必要だし、いろいろ取り決めがあったからだ。その後、教員も教育委員会も辞めた後に相川さんが提案してできたのが、「ファイン」だった。中高生クラブは区の組織だったが、こちらは地域が主体になった。

「さまざまな活動を地域の大人とやるんですが、さらに『ユースパートナー』という存在を置いたんです。地元の若い子たちで、中高生の『相手役』です。遊び相手でもあるし、勉強を教えたりもする。その費用は、私が文科省の助成金とかいろいろ集めてきて工面しました」

■家にこもっているより子どもたちは仲間といたい

 そうすると、不登校の子もファインにやってくるようになった。「家にこもっているより、友だちと話もできるし勉強も教えてもらえるというので、やってくる。結局、不登校の子も『居場所』を求めているんです」と、相川さん。もちろん、不登校の子だけでなく、普通に学校に通っている子もファインには集まってくる。誰もが、居場所を求めている。

 このファインは、現在も数カ所で活動を続けている。そして彼女は、さらに深刻な問題を抱える子たちの話相手になり、一緒に考え、一緒に行動するピアサポートという活動を開始する。そうしたピアサポートと時間を共有することも、子どもたちにとっては「居場所」なのだ。

「大人は『将来どうしたいの』と子どもに訊きますよね。『いま勉強しないと明るい将来にならないよ』とかね。私に言わせれば、ありえない。いまを楽しんで生きていたい、遊びたい、それが子どもだとおもうんです。子どもが子どもであることが大事にされていない、だから子どもたちは『居場所』を見つけられないんです。居場所があれば、子どもたちは主体的に動いていきます」

 学校は居場所になれるのか、と相川さんに訊いてみた。

「ダメでしょうね。学校というのは同じ価値観で生きていかなきゃいけない場所ですよ。そういう傾向が強まっています。変わっていかなきゃいけないとおもいますけど、なかなか難しいかもしれません」

 学校が「子どもたちの居場所」になれたとき、学校は子どもたちにとってほんとうに必要な、大切な場所になるのかもしれない。

 

前屋毅 | フリージャーナリスト

1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊は『疑問だらけの幼保無償化』(扶桑社新書)。ほかに、『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他の著書に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『洋上の達人-海上保安庁の研究-』『日本の小さな大企業』などがある


 今日は朝からプラス気温、雨が降っています。今は玄関中で飼っていますが、雨でも外へ出たい柴犬のシバです。少しづつ慣れて来たようですが、まだ怖がっている様子もありです。

 


荻原博子さん語る「高齢者の医療費増」…負担どれほど増える?

2021年02月19日 | 生活

「女性自身」2021/02/19

一定の収入がある75歳以上の人が病院に支払う医療費を2割に引き上げる「医療制度改革関連法案」が2月5日、閣議決定された。2割負担になるのは、単身世帯で年収200万円以上、夫婦ともに75歳以上だと年収合計が320万円以上の人など、後期高齢者の約20%にあたる約370万人だ。そんな高齢者の医療費増について、経済ジャーナリストの荻原博子さんが解説してくれたーー。

■現役世代の負担は依然大きいまま

現在の後期高齢者医療保険では、単身だと383万円を超える現役並みの所得の方は3割負担ですが、それは後期高齢者の約7%。それ以外ほとんどの方が1割負担です。

引上げ対象の方は「1割負担が2割になれば倍増だ」と心配かもしれませんが、緩和措置もあり単純に倍増にはなりません。

まず導入予定は、’22年10月〜’23年3月です。いま閣議決定の段階ですから、今後国会審議を経て法律が制定されます。コロナ禍のいますぐではないのでご安心を。

次に、医療費負担を抑えるためには「高額療養費制度」があります。高額療養費制度は、収入や年齢に応じて、医療費の毎月の自己負担額に上限を設け、上限を超えて払った医療費は申請すれば返金される制度です。2割負担対象の方だと、自己負担の上限は月5万7,600円。夫婦とも75歳以上なら、夫婦の医療費を合算しての上限が5万7,600円です。

たとえば入院などで医療費が月100万円かかると、2割負担なら病院窓口で20万円必要ですが、高額療養費を申請すれば、自己負担は5万7,600円で済み約14万円が返ってきます(事前に申請すれば、窓口での支払いを上限額までにする方法もあります)。

さらに、緩和措置もあります。2割負担導入から3年間は、外来受診による負担増を月3,000円以内に抑える措置が取られます。

現在1割負担の高齢者が病院窓口で支払う医療費は、平均で年約8万3,000円です。これが2割負担になると年約11万7,000円に増えると試算されますが、緩和措置があれば年約10万9,000円に抑えられるといいます。負担は倍増ではないものの、対象者に重くのしかかることには違いありません。

それでも高齢者に負担を強いるのは、団塊の世代が’22年から後期高齢者になりはじめ、医療費がますます逼迫する大問題があるからです。後期高齢者医療保険は、高齢者の窓口負担や保険料と税金に加え、現役世代の健康保険組合からも支援金を拠出しています。その支援金は現役世代1人あたり、’21年度には年約6万4,000円ですが、’25年度には年約8万円と、どんどん重くなっていきます。

しかも、高齢者に2割負担を導入しても、現役世代の’25年度負担は年800円軽減されるだけ。これは改善の糸口にすぎないのです。

“薬漬け”といわれる過剰な医療のムダを見直し、コロナ禍でも安心して、だれもが必要なときに適切な医療を受けられる医療体制と、社会保障制度の抜本的な改革を、政府には望みたいものです。

「女性自身」2021年3月2日号 掲載


 今日は犬をもらいに札幌まで行ってきた。3歳になる柴犬の雌だ。


今、大地が呼吸不全を起こしている。自然の蘇る力を生かした開発への移行 & 高校生のための主権者教育)

2021年02月18日 | 自然・農業・環境問題

甲斐かおり | ライター、地域ジャーナリスト

YAHOOニュース(個人))2/17(水) 

田島山業が被った被害箇所で「大地の再生 結の杜づくり」の矢野さんに師事を仰ぐ様子

あの時、山で何が起こったのか

「1時間に120ミリの雨が降って電気も止まるし、道も全部だめになりました。4ヶ月たっても山に入れない。木が出せないので収入ゼロです。」

田島山業株式会社の田島信太郎社長は、一息にそう話した。

国内屈指の木材の産地、大分県日田市中津江村。田島山業の前身である田島家は、鎌倉時代からこの地で林業を営んできた。市場を通さず独自の販路を開拓するなど新しい林業の方法を模索し続けてきた会社である。

この田島山業の山が、2020年7月の九州豪雨で大きな被害を受けた。自社で整備した林業用の私道だけで、被害は100箇所以上。しかもその崩れ方が尋常ではなかった。水が流れた跡もないのに地面がざざっと下に落ちている。木が立ち木のまま滑り落ちそのままの向きで倒れている。会社には40年以上林業に携わってきた人や、伐採の腕前は誰にも引けを取らない現場派などプロ揃い。そうした面々をしても解明できない現象が多発。いったい山で何が起こったのだろう。

その謎を解明したいと招いたのが、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の矢野智徳(やの・とものり)さんだ。矢野さんはここ約30年の間、荒れた土地や畑、被災地など数々の現場に入り、土地の水脈を整えることで、自然がみずから蘇ろうとする力を生かして環境改善を行ってきた人だ。

紅葉の真紅がまだちらほら目につく11月中旬。矢野さんは5人のチームメンバーとともに田島山業を訪れた。田島山業のオフィスには従業員も含めて15名ほど。私たち取材班もこの貴重な現場に立ち会わせてもらったのだった。

田島山業のオフィスに集まった従業員と矢野チームのメンバー。(撮影:後藤 史成。以下同 )

ダムの話以前に見るべき視点

2020年7月上旬に起きた九州豪雨は熊本県を中心に九州全域に甚大な被害をもたらした。テレビでも大きく報道された球磨川流域ではとくに被害が大きく、10年前に白紙撤回された川辺川ダム建設の話が再び持ち上がったのも「ダムがあれば浸水面積が約6割減だった」という推定値が公表され「どれほどの被害を出さずに済んだか」の議論が再燃したからだ。

当時建設中止を決めた熊本県の蒲島知事本人が「自分の決断を翻すのは容易ではない」としながらも、流水型ダムの建設決定を表明。それがちょうど、この取材を行った2020年11月のことだった。

ところが、こうしたダムの話以前に、見るべき視点があると話すのが、矢野さんである。

矢野さん「ダムそのものが悪いわけじゃないんです。そのつくり方、上流の水をどう対処するか。巨大なコンクリートで垂直に水をせき止めるのではなくて、自然に水の加速を緩めるような角度で受け止め、ほどよい量を流し続けてやる。そういう自然に沿った機能を取り入れることが重要で。現代土木にはその視点が欠けていて災害対策としても生かされていない。これが問題だと私はみています」

初めてお会いした矢野さんは、長く自然に関わる人はこうなのかと思うほど、ただ無心にそこに存在しているような、ゆっくりと穏やかに話す、気配の静かな人だった。

水脈が渋滞を起こす

田島山業の有する1200ヘクタールの山は、九州北部一帯の水資源である筑後川や矢部川などの上流域にあたる。山には公道だけでなく、自社で整備した林業用の私道も35本。いずれも大型の10トントラックが入る4メートル幅の立派な道だが、これらがことごとく被害を受けた。

矢野さんは、田島さんたちの話を一通り聞いた上で山全体の地図を指しながらこう話し始めた。

矢野さん「被害にあった場所の水脈をみると下流にダムがありますよね。大雨が降ると、このダムが水をせき止めてものすごい量の水が溜まるんです。すると本流の水が上流に向かって水はけを悪くして、連なる水脈全部が渋滞するのです。川の合流地点にも次々と水が貯まって大きな岩も持ち上げるような水柱ができ、山がスポンジのように水を吸って。するとどんなに急峻な崖でも、水の抜け場がなくなった土地が下から引っ張られるようにして崩れます」

上から大量の雨水が流れて崩れたのではなく、流域一帯に水が溜まり、山の斜面が水を大量に吸収して耐えきれなくなり崩れ落ちたというのである。この話に、田島山業の人たちは驚きの表情を浮かべていた。

「続きは現地で」ということで、いざ被害現場へ。

水が滞留した痕跡

まず訪れたのは国道442号線沿いの鯛生(たいお)川と支流の合流地点。砂防ダムのすぐ下流で、この日は穏やかに水が流れているが、よく見ると川岸の土が大きくえぐられている。

「豪雨の日、鯛生川は溢れていて、上流からの水は加速する一方で、ここで渦を巻くように水が滞留したんですね。水かさがぐーっとあがって壁面に水がどんどん浸透して土を削った形跡がある」と矢野さん。

水でえぐられた跡。

道なき藪にぐんぐん入っていく。

矢野さんチームは川上に向けて、道なき藪にぐんぐん入っていく。必死でついていくと、砂防ダムを見渡せる場所に。ダムには多くの土砂が詰まっていて、水が十分に流れない状態のまま。

矢野さん 「こうした堰堤(えんてい)や砂防ダムが水の流れを邪魔していることが多いんです。守ってくれるはずのダムもメンテナンスされないと流れの詰まりをつくってしまう。ここも豪雨の時は、相当高い位置まで水がたまっていたはずです。斜面に倒れている木々を見るとぐるぐると水が渦をつくっていたことが、わかりますよね。」

水の流れを妨げる原因になっていた砂防ダム。

 ここで水が渦をつくったことが木々の向きでわかる。

これを改善するには砂防ダムの砂利を取り除き、ダム前を掘って自然の流れがつくり出すような水のたわみをつくってあげるのがいい、と矢野さん。さらに砂防ダムに大量の水が直撃しないよう、手前に川の蛇行に沿って水の速度を落とすような抵抗をつくってやる。コンクリートではなく、その場にある倒れた木々や石を組み込み合わせて自然な抵抗柵をつくるのがいい、という。

こうした水の渋滞はこれまでに他の被災地でも起こっている。それを裏付ける映像がある。2018年7月の西日本豪雨後、広島県呉市安浦町の野呂川ダム入り口から上流にかけてドローンで空撮したもの。

ダムの入り口や支流との合流地点にも、水が運んだ土砂があふれている。

田島山業で見た現場も、この事象と符号するものだった。

水と空気の抜ける道をつくる

しかし山が必要以上に水を溜め込まないために、何ができるのだろう。今ある巨大なダムや砂防ダムを壊すわけにはいかない。

山腹の四ツガイ線と呼ばれる地点で矢野さんたちはそのヒントを見せてくれた。

矢野さん「土地に水や空気の抜ける道をつくってあげればよいのです。」

そう言うと矢野さんは地面に、手持ちのクワで細い道筋をつけ始めた。チームのメンバーが後に続く。足元は工事現場などでよく見るネズミ色のドブのような匂いのする土、グライ土壌(*)。その地表面に、ゆるやかに蛇行した細い道筋をつけると、みるみる筋に水が湧いて、細い流れになって流れ始めた。あたりの淀んでいた空気も、すーっと抜けていくのが感じられる。

みなでグライ土壌に水の道筋をつける。

矢野さん「今は濁っていますが、次第に透明の澄んだ水になって水量も増していきます。土中にヘドロのように停滞していた空気や水が大気圧に押されて動き始めると、グライ土壌も泥水も消えてきれいに澄んでいく。するとこれまでガスと泥あくのせいで発芽し切れなかった草たちがみるみる発芽します。」

地中に詰まった空気が抜けて、水の抜ける道ができれば、空気の通りもよくなって周囲の環境が改善していく。これが矢野さんの大地の再生の基本の考え方である。

どんな土も空気が停滞し水の抜け道がないと、こうしたガスの溜まったグライ土壌になる。そこに空気を抜いて、水の通り道をつくってやると次第に普通の土に戻るという。

ところがこの現場は10トントラックが頻繁に通る場所。細い水筋ではあっという間にまた埋まってしまう。一般的な土木工事ではU字溝をつくってコンクリで蓋をするのが普通だが、とあるスタッフが問うと矢野さんはこう答えた。

矢野さん「U字溝で流れをせき止めるのではなくて、ここにあるもので水の通り道をつくればいい。1メートル幅ほどの溝をほって、木や枝葉を柵(しがら)ませて(*)組み込んで、10トントラックの重圧がかかってもつぶれない水と空気の通り道をつくってやる。その上で雨風の力にならって軽く埋め戻しをすれば、上をトラックが通っても大丈夫です。」

田島山業の人たちはみな信じられないといった顔。木や枝葉で水の道をつくれば腐ってしまうし強度がない。だからコンクリートに頼ろうというのが常識。だが矢野さんの方法では、地中の水や空気の流れが改善する頃には自然とその木々が地に還りながら、同時に新しい生きた周囲の植物の根が育ち、スクラムを組んで重圧を支えていくという。

言葉を失った様子の従業員に感想を問うと「言われとることはわかるけど、これまでの土木や林業の常識では考えられん。やった結果をこの目で見んことには信じられん」。ある方は「やったことないけんねぇ。想像もつかん」と半信半疑の様子。

唖然としながらも真剣に聞き入る田島山業の方々。

たった半日で田んぼに水が戻った

矢野さんはもとは造園家だった。大学で自然地理学を学び、造園業の現場で、土中の空気が動くと水も流れがよくなり、周囲の植生や環境がよくなることに気付く。夜間の大学に通い、元日本地理学会会長の中村和郎教授に師事。1999年に「環境 NPO 杜の会」、3年前に一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」を設立。「水と空気の通り道」を生かした環境改善を進めるために各地の現場に入り、大地の再生講座や改善予防を提案している。

矢野さんを支えるメンバーもみな、矢野さんの手により植物や周囲の環境がよくなる現場を見てきた方たちばかり。その一人、下村京子さんは、2018年の西日本豪雨後に地元の広島県呉市安浦町で、矢野さんが滞った水脈を、見事元に戻した現場にいた。

下村さん「ひと月たっても復旧はいっこうに進んでいなくて、地区には土砂や大木が散乱したまま。田んぼに水が一番必要な時期に、水害の影響で水の道が変わって水が入らなくなっていたんです。役場の人は治せるかどうかもわからないって感じで。地元の人たちにとって田んぼは命より大事なもん。みなさん藁にもすがる思いで矢野さんを呼ばれたんですね。入ってすぐ矢野さんは重機を使って、コンクリートではなく、そこにある流木・土・石を用いて水の道を元に戻しました。そしたらたった半日で、田んぼへの水が戻ったんです」

はじめは泥水だった川が、雨が降るごとに次第に清流になっていったという。田島山業のグライ土壌で見たのと同じ現象だ。

現在、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の活動を中心的なスタッフの一人として支える下村京子さん。

自然の機能を生かすように2〜3割だけ手を入れる

矢野さん「いま全国で起きているのは、大地の呼吸不全です。大地の血管である水脈が、溜池、U字溝などの水路、砂防ダム、大型ダム、コンクリート道などの人工物にふさがれて、土中の水と空気が循環しなくなって土壌が呼吸不全になる。それで泥水や洪水の問題が起きたり、生き物も弱り、木が枯れるなど生態系に異変が起きています。」

近年頻発している自然災害は異常気象ばかりが原因ではなく、現場を検証すると、被害を大きくしている隠れた要因が見えてくると矢野さんは言う。コンクリートで覆われ、水脈機能が低下した大地。

矢野さん「ダムは必要かもしれませんが、自然の機能やシステムを壊さない範囲においての話です。ダム以前に解決する問題が歴然とある。たとえばあの球磨川の災害も、まず川にかかる高速道路の橋脚部分に水が当たって本流に渦流が生じることで水位が上がりました。それが上流に向かって連鎖反応を起こし、すぐ上流の一般道の橋下の水位も上昇して、水の上部を流れる流木が次々に橋桁に引っかかりダム化した。そこから氾濫が生じて、市街地、下流域の集落を襲ったと考察できます。水脈機能の連鎖の問題を改善しないと、二重三重の被害が起こる可能性が十分あります。」

100%人工的に自然を抑え込むのではなく、自然の機能を生かすように人が2〜3割の手を入れてやると、自然はみずからの力で再生していくという。むしろ自然は放っておいても再生の方向へ向かうから、人が手を貸すことでその速度を早めようとする。現代土木の技術やコンクリートで固めること自体が問題ではなく、自然に沿う形で、そうした技術を駆使しようという話である。

田島山業では、まず何から手をつければよいのだろう。

矢野さん「単位を小さくゾーニングして点と線の改善から始めることです。山全体に張り巡らされている点と線の脈機能を活用して水脈改善していけばいい。

田島さんの山は下流域への影響も大きいので、流域全体として考えないといけないと思うんですね。小さくても地域のみんなとスクラムを組んで、互いに助け合う結(ゆい)の作業で山の整備をやっていくこと。そして日々観察することがとにかく大事です」

矢野さんによる見立ての2日目は、山腹の荒れ地を再生する実作業にあてられた。矢野さん自身ユンボに乗り込み、荒れ地の端に幅2メートルほどの溝を掘って水と空気の通り道をつくる。田島山業のスタッフも一緒に、溝に木々や枝葉を組み込むように入れ、弾力のある水脈をつくった。こうして空気と水の流れができれば周囲の植生が回復し、荒れた環境が蘇っていくという。

半年、一年後、数年後と、この場所はどう変わっているだろうか。

現場にある木や落ち葉を使う。

荒れ地脇に掘った穴に、木々を織り込むようにして入れ、上から笹の葉をかぶせる。(この写真のみ、筆者撮影)

自然界は不足を前提に成り立っている

後日、田島社長に今後のことを聞いてみた。

田島さん「普通なら、この道何十年のプロがよそから来た人に違うこと言われたら反発しますよね。でも現場のスタッフみんなが、理屈としては矢野さんの話にものすごく腹落ちしたというわけですよ。私なんかよりずっと山のことわかっとる人たちよ。だから信用するじゃない。

ただ、どうやるかが問題。まずはできるところから、木を伐り出すごとに重機で空気と水の通る点穴を開けてみようとか。ただ復旧作業についてはね、やっぱり県や国に応援してもらって、規準に沿って進めなければいけない。その時、新しくつくった道の脇に穴開けるって言ったら頭おかしいって言われますよ、現代土木の視点では。だから一度道を整備した後の、メンテナンスで道脇に点穴を開けてやるのがいいんじゃないかと今は思っています。」

矢野さん自身、これまでに何度も行政や人々から「数値と理論」を求められてきた。理論体系化され立証されて初めて予算がつく。ようやくここ10年ほどで実績を蓄積し今それをまとめる段階にある。ただ理論や数字を偏重することには危惧もある。

その偏重が人と自然の距離をつくってきたからでもあるだろう。数字より大切なのは五感による感覚測定や感覚学習だと矢野さんは言う。

矢野さん「数字がなくても誰でもできることなんです。目で見てさわって感じて。昔の人たちはクワ一本で見事なほど安定した地形を保っていた。それは自然をよく見て、自然がどう動きたいかを知っていたからです。

僕は、環境学習とは『自然界は不足を前提に成り立っている』と知ることから始まると思っています。水も空気も足りないところに移動しようとする。循環とは、不足を調整するエネルギーが生み出す結果なんです。

食料も経済も、十分に満たされることなんてあり得ない。すべての生き物は毎日必死になって不足を補うように生きている。足りなくて当たり前なんです。生態系の一員である限りこのリスクを受け入れるところから始めるしかない。きれいごとじゃないんです」

人間だけが100%満足するような開発はすでに行き詰まりを見せている。

自然と呼吸を合わせた現代土木や林業の方法が求められているということだろう。毎年のように起こる災害が、今のやり方では限界だと教えてくれている。

(写真:後藤 史成 )

(*)柵(しがら)ませる…一般的には水流をせき止めるために、杭、木の枝や竹などを結びつけることなどを言うが、一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」では、種々のものが同じエネルギーのうねりをもってスクラムを組んでいく自然のありようを指す。ともに空気をつないでいく連携、形だけでなくエネルギーの動きも含むニュアンスをもつ。

※本記事は、まちと森がいかしあう関係が成立した地域社会を目指し、竹中工務店、Deep Japan Labとグリーンズが共同で運営している「キノマチ会議」において作成された。

甲斐かおりライター、地域ジャーナリスト

地域をフィールドにした活動やルポ記事を執筆。Yahoo!ニュースでは移住や空き家、地域コミュニティ、市民自治など、地域課題やその対応策となる事例を中心に。長崎県生まれ。地域のプロジェクトに携わり、移住促進や情報発信、メディアづくりのサポート業務、講演なども行う。移住をテーマにする雑誌『TURNS』やほか雑誌に寄稿。執筆に携わった書籍に『日本をソーシャルデザインする』(朝日出版社)、『「地域人口ビジョン」をつくる』(藤山浩著、農文協)、著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス)『暮らしをつくる』(技術評論社)。


高校生向けですが大人にも十分です。1時間30分ほどの長いものですが細切れになってでもご覧いただければと思います。司会が三浦氏とあってどんな展開になるのだろうと心配しましたが難なくでした。

 初めて聞く「N高」で、何だろうと少し調べてみました。「N」netのことのようです。netを利用した学校ということのようです。既存の「学校」になじめない生徒が集まっているようです。学校紹介や入学式、卒業式の模様など「you tube」にたくさんありましたので、興味のある方はどうぞググってみてください。

【N高政治部】志位和夫 日本共産党委員長 特別講義(高校生のための主権者教育)


コロナ復興で消費税15%?耳を疑う財務省のどさくさ増税計画

2021年02月17日 | 生活

「女性自身」2021年3月2日号 掲載

 

「菅首相は先日の施政演説の最後、自らの初当選時を振り返り、『(政治の師)梶山静六氏から“少子高齢化時代は国民に負担をお願いする政策も必要になる”と言われた』と強調しました。これは支持率が低迷中の菅首相が政権基盤を維持するため、財務省のご機嫌とりに“大増税”の決意を示したものなんです」(政界関係者)

緊急事態宣言下、収入減に悩む国民が多いなか、耳を疑う話が……。

「この1年間、政府は3回の補正予算を組み、コロナ経済対策として投入した総事業費は、300兆円。今年度の新規国債の発行額は過去最高の112.6兆円にまで膨らんでいます。そこで財務省はコロナ収束後に消費税率を15%に引き上げる“コロナ復興税”を検討しているんです」(前出・政界関係者)

経済評論家の森永卓郎さんは、「増税は財務省の病いです」とため息をつき、こう断じる。

「東日本大震災後、復興増税が実施されました。そのお金は“被災地のために使われる”と国民の理解を得て、所得税増税が25年計画で行われています。実はそれだけなら、消費税を1%上げるだけでも計算は合うんですね。なのに今度は『消費税15%』まで上げる必要があると。悪ふざけにもほどがある。もし実現してしまったら、デフレスパイラルが加速し、給料は上がらず、生活レベルが下がる。町はゴーストタウンになってしまいます」

経済ジャーナリストの荻原博子さんも、「新型コロナは世界全土が被災地。世界中見回しても今、増税している国はない」と憤慨する。

■消費税15%は20%への第一歩!

「たとえばドイツは昨年7月から年末まで付加価値税の標準税率を19%から16%に引き下げました。イギリスやオーストリアなども、特定の商品・サービスで引き下げを行っています。言語道断です!」

財務省はこのどさくさに紛れて、消費税以外での増税までもくろんでいる、と荻原さんは続ける。

「’23年10月、財務省はインボイス制度を導入します。これまでは事業収益1千万円以下の小さな事業者は消費税を免除されていましたが、結果、消費税を支払わなければならず、こうした庶民の事業者にとっては実質、増税です。ほかにも出国税や森林環境税などの新しい税金を作り、社会保険料もずっと上がり続けています」

専門家の嘆きとはうらはらに、前出の政界関係者は淡々と言う。

「もともと財務省は将来の社会保障財源確保のため、現在の倍の『消費税20%』が念頭にあります。“コロナ復興”の名目で15%に引き上げるのは、その第一歩なのです」

荻原さんは「消費税がどんどん上がる一方で、なぜか法人税だけは減税されている」とも指摘する。

「『国際競争力をつけるため』が建て前ですが、自民党は票田の経団連の顔色を見ているのでしょう」

一般市民を無視して消費税20%へ突き進むような国に“復興”という言葉はあるのだろうか――。

 

「女性自身」2021年3月2日号 掲載


「国民の命と暮らしを守る」気持などサラサラない!

まだ風、雪ともあるがだんだんと弱まっている。昨夜は腰まである吹き溜まりができて吹雪の中での雪かきも大変でした。地震に見舞われた地方はどうだったのでしょう?


福島県沖地震 二次被害防止に全力を

2021年02月16日 | 生活

朝日新聞(社説)2021年2月16日 

 10年前の東日本大震災を思い起こした人も多いだろう。

 最大震度6強を観測した13日夜の福島県沖地震では、転倒したり落下物が当たったりして、福島、宮城両県で多くのけが人が出た。その後も余震が続き、追い打ちをかけるように強い雨も降った。週半ばには真冬の冷え込みが予想される。

 福島県は被災した市町に災害救助法の適用を決め、支援に乗りだした。東北地方では新型コロナウイルスの感染拡大は比較的抑えられているとはいえ、油断は禁物だ。感染症の予防にも十分気を配りながら、行政は二次被害の防止と生活の再建に力を尽くしてもらいたい。

 強く揺れた地域には複数の原子力施設がある。目立った異常がなかったのは何よりだが、やはり気になるのは東京電力福島第一原発の様子だ。

 1~3号機の原子炉には溶け落ちた燃料デブリがあり、冷却のための注水で高濃度の汚染水がたまり続けている。使用済み燃料プール内にも多くの燃料が残る。廃炉作業が遅れたそんな状態で、この先また大きな地震に見舞われたらどうなるか。

 東電はいま一度細部まで点検し、汚染水の流出や放射性物質の飛散といった事態を万が一にも引き起こさぬよう、安全措置を徹底しなければならない。

 気象庁によると、地震は陸側プレートの下に沈み込む太平洋プレートの内部で起きた。震源の深さが55キロと深かったため、海底が変形しにくく、幸い大きな津波は発生しなかった。

 マグニチュード7・3は、阪神淡路大震災や熊本地震と同じ規模だ。今回は短い周期の小刻みな揺れだったため、ブロック塀など小さな構造物は倒壊した一方、大きな構造物の被害は少なかったとみられる。

 3・11から間もなく10年になるが、地球の歴史からみるとあっという間でしかない。いまも余震への警戒を怠ることはできず、実際、気象庁によると、地震の発生回数は東日本大震災が起きる前よりもなお多い状態だという。一帯の地震活動は引き続き活発だという認識を新たにして、「震度6強」を、備えを再点検する機会にしたい。

 中でも電力や交通など、社会生活に欠かせないインフラ機能を担う企業の責務は大きい。

 今回の地震で送電線を支える柱が折れた東北新幹線は、全線の運転再開まで10日前後かかる見込みだという。首都圏各地で大規模な停電も一時発生し、東北地方の火力発電所に多くを頼っている電力供給の実態と弱点を改めて思い知らされた。

 見落としている脆弱(ぜいじゃく)さや対策の不備はないか。検証を急ぎ、今後に生かしてほしい。


 やはり気になるのは東京電力福島第一原発だ。溜まり溜まった「処理水」、そして未回収の「デブリ」だ。こうなる前にすべての「原発」の中止を求めたい。

 天気はますますひどくなってきている。猛吹雪だ。


朝鮮人差別デ福島県沖地震でまたデマが 差別批判や通報の動きに「ネタ」「パロディ」と反論する差別加担の動きも

2021年02月15日 | 社会・経済

リテラ 2021.02.14 

『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹/ころから)

 きのう13日夜23時8分ごろ、東北地方で最大震度6強の地震があり、宮城県、福島県、茨城県など100人を超える負傷者が出ている。しばらく、同規模地震が起きる可能性があるとして、気象庁は注意を呼びかけている。地震そのものにも引き続き注意が必要だが、今回の地震をめぐってネットではもうひとつ危険な事態が起きている。

 昨晩の地震発生直後から、SNSでは、引用するのもはばかられるような極めて悪質な差別デマが飛び交っているのだ。

〈朝鮮人が福島の井戸に毒を入れているのを見ました!〉

〈BLMが井戸に毒を投げ込んでる!!!!!〉

〈こういう災害には必ず奴ら(特定アジア)が何かやるんだな。関東大震災以来ずっと…〉

〈バカ朝鮮人どもが喜んでるんやろな〉

〈災害に乗じた空き巣等の犯罪に注意。都心の外国人の多い地域は、特に戸締まり用心、火の用心。〉

 言うまでもないが、これらのツイートはいずれも完全なデマである。2016年の熊本地震、2018年の大阪地震など、近年、災害が起きるたびに、外国人と犯罪を結びつける投稿が多数投稿されるようになっているが、上述したものは一例で今回も数多くの差別デマが投稿されている。

 こうしたツイートには、心ある人々が、差別デマとしてtwitter社に通報しているが、その差別への抗議活動に対しても攻撃が加えられている。通報した人のことを「通報扇動」「通報のほうが差別」と非難したり、「ただのネタなのに」「ジョーク」「ただのパロディ」などと冷笑しながら差別行為を肯定する投稿が多数寄せられているのだ。

 命に関わる状況での醜悪な差別ツイートが、それに対する批判を差別と同列扱いしたり、醜悪な差別を「ネタ」「パロディ」「ジョーク」などと言い張るとは、いったいどういう神経をしているのか。

 だいたい、こうした差別デマが「ネタ」「ジョーク」などですまされないことは、関東大震災発生時のデマが朝鮮人虐殺を引き起こしたことからも、明らかではないか。1923年9月、マグニチュード7.9の大地震発生直後の数日間で、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒をいれた」「放火している」等のデマが広がり、日本人らによる大規模な朝鮮人のジェノサイドがおこなわれた。そうしたことが2度と行われないように、戦後、その反省が語り継がれてきたのではなかったか。

 しかし、考えてみれば、こうした差別デマが跋扈するのはある意味当然の流れともいえる。近年は戦前戦中の日本の悪行をすべてなかったことにする歴史修正主義が跋扈し、関東大震災の朝鮮人虐殺を否定する言説までが大声で語られるようになっている。

 そして、震災のたびに、関東大震災のときとまったく同じ「朝鮮人が毒を入れた」「略奪行為をしている」といった差別デマがばらまかれるようになった。

 今回、差別デマへの注意を呼びかけている津田大介氏が、呼びかけを揶揄する者に応じる形で〈10年前のツイッターはこんなにベタな差別煽動はあふれてなかったので、必要な対応と思ってやっているだけです。〉とツイートしていたが、その通りだろう。

 このような差別デマを放置したら、そのうち、関東大震災のときと同じようなジェノサイドが起きかねない。

 そうした事態を止めるためには、政府やマスコミ、twitter社に対してこうした差別デマを否定する声明を求めていくのはもちろん、いま一度、歴史修正主義によって否定されようとしている関東大震災で起きた朝鮮人虐殺という歴史的事実を振り返る必要があるのではないか。

 たとえば、『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹/ころから)には、震災当時の虐殺を目撃した市井のひとたちの証言や、公式・私的を問わない数多の記録が詳細に取り上げられている。

 この本を紹介したリテラ の記事を以下に再録するので、あらためて、関東大震災と“朝鮮人虐殺”に直面した人たちの声に耳をすませ、史実を直視してほしい。

 (編集部)

以下見出しのみ。閲覧はhttps://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/

目撃された「朝鮮人虐殺」の一部始終 警察の前でトビ口を頭に振り下ろし…

生々しい子どもたちの証言も「朝鮮人の頭だけがころがっていました」

デマは読売新聞社主・正力松太郎が警視庁官房主事時代に広めた 回顧録ではデマと認め…


 先日の地震被害にあわれた方にお見舞い申し上げますとともに、これから予想される「爆弾低気圧」に十分、ご注意いただき、さらなる被害の拡大を止められるよう願うばかりです。

 今日は一日中雨でした。これからだんだんと風雨が強まり、明日朝からは猛吹雪の予報です。こちらも氣を付けます。


やはり変だぞNHKニュース~世論調査の扱いが恣意的!?~

2021年02月14日 | 社会・経済

鈴木祐司 | 次世代メディア研究所代表/メディアアナリスト

   YAHOO!ニュース(個人) 2/11

NHKは10日、新年度の番組キャスターの変更を発表した。

 『クローズアップ現代+』は、武田真一アナウンサーから井上裕貴アナ・保里小百合アナの2人キャスター制となる。『ニュースウオッチ9』は、有馬嘉男キャスターから田中正良記者にバトンタッチされる

これらの中で、有馬キャスターの降板は「官邸の怒りをかった」などの報道が出たが、正籬聡放送総局長は「自主自律は生命線。誰かに何か言われたからということは一切ない」と疑惑を否定した。

人事については、確証で理不尽を証明するのは難しい。

 ただし有馬キャスターを外したNHKのニュースについては、ファクトで偏向ぶりを示すことは可能だ。この半年、世論調査が恣意的に報道されているからだ。

何に納得できないか、明らかにしたい。

内閣支持率の伝えられ方

 NHKが2月5~7日に行った2月の世論調査が、8日の『ニュース7』で放送された。

まずここで注目したいのは、月例の世論調査報道の扱い方。

例えば今回の調査では、内閣支持率は「支持」38%・「不支持」44%だった。1月は「支持」40%・「不支持」41%だったので、国民の菅内閣への不支持ぶりが増したことになる。ところが『ニュース7』では、その扱いがかなり小さくなっていた。

同ニュースはその日の主なニュースを6項目選ぶ。

 オープニングからテロップで表示して、視聴者に目立つよう演出しているのである。ところが2月の世論調査は主要6項目から漏れた。そして内閣支持率が放送されたのは、始まって18分ほど経ってから。「平山郁夫などの偽版画流通」より後回しなので、よほど目立たせたくなかったと見える。

実は内閣支持率の世論調査が、主なニュース6項目から漏れたのは1月調査も同じ。

「支持」40%・「不支持」41%と初めて「支持」を「不支持」が逆転した瞬間だった。ちなみに「支持」が「不支持」を大きく上回っていた時期は、世論調査は大々的に取り上げられていた。

9月のオーダーは台風に次ぎ2番手。

 番組冒頭に示された主要6項目では3番目に置かれていた。10月のオーダー3番手、冒頭テロップでは4番目に示された。そして11月のオーダーが4番手など、12月までは主要ニュースとして扱われていたのである。

 NHK報道のOBは、「世論調査の中でも、最も厳格に取り扱われるべき内閣支持率で、たとえ目立つ・目立たないの演出であっても、編集の中立性が疑われることは避けるべき」と憤りを隠さない。

五輪の調査はより恣意的!?

 今月の世論調査で内閣支持率以上に不可解だったのが、開幕まで半年を切った東京オリンピック・パラリンピックについての調査だ。

「どのような形で開催すべきだと思うか」を聞いたところ、「これまでと同様に行う」が3%、「観客数を制限して行う」29%、「無観客で行う」23%、「中止する」38%となった。

 ちなみに12月調査では、「東京オリンピック・パラリンピックの開催についてどう思うか」と聞き、「開催すべき」が27%、「中止すべき」32%、「さらに延期すべき」31%だった。「中止すべき」が「開催すべき」を上回っていたのである。

 さらに1月調査では、「開催すべき」が11ポイント減り16%、「中止すべき」と「さらに延期すべき」がいずれも7ポイント前後増え、「中止」38%と「延期」39%で77%になった。

 2月の調査は、「開催」の合計が55%で、「中止」の38%を一挙に逆転した。

1か月前とはかけ離れた結果だったが、その謎を解くカギは質問にある。聞き方が全面的に変更されていたのである。

今回2月調査のポイントは3点。

①「IOC=国際オリンピック委員会などは、開催を前提に準備を進めています。どのような形で開催すべきだと思うか?」と開催を前提にした聞き方になっていた。

②「開催」の選択肢を1つから3つに増やした。

③その一方で「さらに延期すべき」を選択肢からはずした。

同一のテーマで国民の意識を継続的に追う世論調査では、正しいデータを得るためにワーディングと言われる聞き方には細心の注意が必要だ。

ましてや聞き方の変更や選択肢の増減はもってのほか。世論調査ではなく、世論操作と疑われても仕方ない。

 実はJOCの2021年カレンダーには、総会が3月10日からギリシャ・アテネで開催が予定となっている。

 菅首相は、東京オリンピック・パラリンピックは「人類が新型コロナに打ち勝った証し」として「世界中に希望と勇気をお届けできる大会を実現するとの決意の下、準備を進める」と施政方針演説で述べている。

開催国の世論が「中止」や「延期」が多数では、開催の障害になりかねないと考えていておかしくない。

ここでもNHK報道のOBは、「NHKは何故質問を大きく変更したのか。“忖度”と言われても仕方ない」と憤りを通り越して、嘆きを吐露していた。

森会長発言問題

 今回2月の世論調査では、気になる点が他にもある。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、大きな反響を呼んでいることについて、世論調査で聞いていないことだ。

 NHKは世論調査について内閣支持や政党支持など、国民の政治意識を調べるとともに、。にもかかわらず、この質問がないのはな社会的に関心の高い時事問題についての人々の考えを毎月定期的に調査していると標榜している。にもかかわらず、この質問がないのはなぜか。

読売新聞が全く同じ時期に行った世論調査では、しっかり質問項目に入れており、「問題がある」91%の回答を報道している。

これまた「忖度」との批判が出ても已むをえまい。

首相発言の「訂正」問題

 最近のNHK報道の不可解な出来事は、世論調査以外にもある。

 2021年1月4日、菅首相はコロナ禍に配慮して、伊勢神宮の参拝を取りやめ、年頭の記者会見を東京で午前11時から行った。記者会見はNHKがテレビ中継し、正午のニュースでも伝えた。

ここまでは、通常の伝え方である。しかし午後0時20分ローカルニュースの後、『うまいっ!絶品!大阪あいがも』という番組を飛ばして全国ニュースを延長した。

しかしニュースの内容は、不可解なことに菅首相年頭記者会見についての繰り返しだった。

この謎は翌日の朝刊で背景が裏付けられる。

菅首相はこの記者会見で、衆議院の解散時期について「秋のどこかで行わなければならない」と述べた。ところが会見終了後、首相官邸報道室を通じて「秋までのどこかで」と訂正が入った。

ほとんどの全国紙は「首相が発言訂正」と報じ、中には「本音が漏れた」と踏み込んだ新聞もあった。

ところが延長したニュースの部分では、元の首相発言の音声を敢えて使わず、初めから「訂正後」の発言が行われたかのようにアナウンサーのコメントで作り上げた。

しかもご丁寧に、官邸報道室が訂正した「秋までに」の文字テロップまで流して、「訂正」の事実を見えなくしたのである。

「事実の軽視であり、信頼を損なうことになりかねない」と、報道OBの絶望は留まるところをしらない。

NHK予算審議の頃

 NHKは21年度予算の国会審議を控えている。

それまで5か月後となった去年11月、総務省の「公共放送の在り方に関する検討分科会」で、受信料の値下げなどNHKの経営改革が議論された。そして武田総務相の強い要請を受けて、1月13日に月額300円ほどに相当する値下げ案を示した。

携帯電話の通話料とNHK受信料の値下げは、菅政権発足後の強い意向だった。

そして議論が佳境に入るタイミングで、NHKの報道が不可解の度合いを深めていった。NHK改革議論での取引材料として、報道が忖度や配慮を重ねたと見られても仕方ない。

これでは公共放送としての「自主自立」「公平公正」もお題目に過ぎない。

しかも迷走を続ける中で、“組織崩壊”が視野に入り始めている。現場は具体的なニュースや番組の中で、本来の姿を堅持すべきだ。

そこを揺るがせ、視聴者の不信を招いている経営トップの責任は重いと言わざるを得ない。

 

鈴木祐司次世代メディア研究所代表/メディアアナリスト

愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。特に既存メディアと新興メディアがどう連携していくのかに関心を持つ。直近の制作番組では、テレビ60周年特集「1000人が考えるテレビ ミライ」、放送記念日特集「テレビ 60年目の問いかけ」(共に2013年)。著作には「放送十五講」(2011年、共著)、「メディアの将来を探る」(2014年、共著)。津田塾大学では計算機科学研究所にて客員研究員を拝命中。


 ただニュースを見ていてもなかなか気付かないことであるだけに、「信頼関係」は重要なことである。

 今日は午前中からプラス気温に。今日も救出作業です。

今日の散歩道(江部乙)。
アスファルト道路の両端は雪解け水が流れています。