復帰の日に考える 沖縄を返せ、沖縄へ返せ
「東京新聞社説 2025年5月15日
♪固き土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ…
年配の方なら一度は耳にしたことがある歌かもしれません。「沖縄を返せ 沖縄を返せ」と繰り返される訴えが印象的です。
反米軍基地運動などで今も歌い継がれる「沖縄を返せ」は、沖縄県がまだ米軍の施政権下にあった1956(昭和31)年、福岡県で生まれました。
当時、福岡高等裁判所の労働組合「全司法福岡高裁支部」のつくった詞に、三井三池炭鉱で働き、多くの労働歌を作った荒木栄さんが曲をつけたものです。
サンフランシスコ平和条約が発効した52(同27)年4月28日、日本は連合国軍による占領を終えて独立を果たしましたが、沖縄は日本本土と引き続き切り離され、米軍の施政権下におかれました。
米軍統治下の沖縄では住民の土地は強制収用され、米軍基地に姿を変えました。人々は自由も自治も許されず、人権も無視された、過酷な日々を強いられます。
当時の沖縄の人々にとって祖国日本への復帰は、米軍統治から、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を明記した日本国憲法への復帰でもありました。
「沖縄を返せ」の歌は、祖国復帰を望む沖縄の人々に本土側からの連帯を示すものでした。57(同32)年に本土で始まった沖縄返還国民大行進の際に歌われて全国に広まり、その後、沖縄でも歌われるようになったといいます。
◆「基地のない島」は遠く
27年間にわたり本土と切り離された沖縄の施政権は、72(同47)年の5月15日、日本側に返還されました。それは、県民が願い続けた「基地のない平和な島」が実現する機会だったはずです。
しかし、米軍基地はそのまま残り、基地に起因する騒音や環境被害、米兵らによる事件・事故など深刻な被害は変わりません。
復帰当時、在日米軍専用施設の所在比率は本土と沖縄で4対6でしたが、今では3対7に拡大。名護市辺野古沿岸部では多くの県民が反対する中、政府は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の代替施設建設を強行しています。日本全体の安全保障のための基地負担を、沖縄に一層押し付ける構図です。
近年では、台湾や尖閣諸島を巡る緊張を背景に米軍に加えて自衛隊も増強されています。基地が攻撃対象となり、地上戦で多くの県民が犠牲を強いられた大戦末期の沖縄戦のように再び戦場になるのでは、との懸念が高まります。
さらに、沖縄戦の史実をねじ曲げ、県民を愚弄(ぐろう)する心無い政治家の発言も相次ぎます。
沖縄の土地や施政権は日本側に返還されたはずなのに、県民の手に返ったとは言えないのではないか。沖縄の現状を直視すれば、そんな思いが募るのも当然です。
◆平和への祈りの歌に
復帰運動のシンボル的な存在だった「沖縄を返せ」は復帰後、その役目を終えたように歌われなくなりました。歌の存在を知らない若い世代が、沖縄でも増えていたといいます。
その歌に再び命を吹き込んだのが、八重山民謡歌手の大工哲弘(だいくてつひろ)さん(76)です=写真、東京・新大久保の沖縄島唄カーニバルで。
大工さんは「沖縄を返せ」を94年にリリースしたCDに収録したり、集会などに呼ばれた際に歌ってはいましたが「沖縄を返すと言っても、どこへ返せばいいのか、分からない」と、違和感を感じていたそうです。
転機は95年9月に起きた米兵による少女暴行事件でした。「沖縄を返せ」と2度繰り返す後半部分を「沖縄へ返せ」に変えて歌ったところ多くの人が共感し、全国各地の集会などに呼ばれるようになったそうです。今では自身のライブでも定番曲です。
「沖縄は今も、安全保障の捨て石にされている。女性への暴行事件があっても、辺野古への基地建設で沖縄の豊かな自然が壊されても、本土の人は知らんぷり。これは民主主義ではない。沖縄を、沖縄の人に返してほしい」
大工さんは静かに語ります。
「でも本当は、歌わなくてもいい平和な日がくればいいと思う。叫びではなく、ジョン・レノンの『イマジン』のように、静かに祈る。祈れば、きっとかなう」
♪沖縄を返せ 沖縄へ返せ
大工さんは祈りを込めて歌い続けます。沖縄が本当の意味で、沖縄の人々に返る日まで。
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戦争のための基地うんざり
沖縄施政権返還53年 連帯行動
「しんぶん赤旗」2025年5月16日
東京・有楽町
沖縄県の施政権が日本に返還されて53年の15日、日本平和委員会と「基地のない平和な沖縄をめざす会」は、東京・有楽町マリオン前で、沖縄・辺野古の米軍新基地建設反対、普天間基地の無条件撤去を求める沖縄連帯行動をしました。沖縄戦の史実をゆがめる自民党の西田昌司参院議員の暴言に抗議しました。
トランペットで演奏した山内金久さんは、二度と戦争しないと誓った憲法を持つ日本へ53年前に返った沖縄で今、軍事要塞(ようさい)化が進んでいると告発。「沖縄の地上戦・被爆・戦後80年の今年、世界から戦争、核兵器をなくし、辺野古新基地建設を止めよう」と呼びかけました。
沖縄で生まれ育った「めざす会」の長谷部洋子共同代表は、戦争体験者から聞いた「日本軍を友軍だと呼んでいたけど決して自分たちを助けてくれなかった」との発言を紹介し「ひめゆり学徒隊は苦しい思いをしながら証言してきた。『歴史の書き換え』は西田氏をはじめ自民党政治の方だ」と指摘しました。
署名に応じた東京都練馬区の60代女性は「戦争犠牲者の遺骨も遺族のもとに返っていない人がいるのに戦争するための基地建設なんてうんざり。政治を変えないと同じことを繰り返す」と話しました。同北区の女性(73)は「沖縄のきれいな海に新基地をつくるなんて。沖縄戦で苦しい思いをしたにもかかわらず沖縄に痛みが押しつけられている」とペンをとりました。
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隊員の流血想定 陸自 葬祭業界団体と協定
井上正信弁護士に聞く
「しんぶん赤旗」2025年5月16日
戦傷に備え輸血戦略
南西諸島を戦域とした「台湾有事」のような米軍が関わる戦争に自衛隊の参戦を想定したのでしょうか―。陸上自衛隊は全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)との協力協定締結だけでなく、自衛隊員の戦傷、戦死という“戦争のリアル”に備えを始めていることが分かりました。安保法制に詳しい井上正信弁護士に聞きました。
自衛隊がイラク戦争後にPKO(国連平和維持活動)でイラクのサマワに派遣された際、遺体袋を持っていったことは知られています。今回、全葬連と協定を結んだことは自衛隊内で対応できないほどの戦死者が出ることをすでに想定しているということを示しています。
“歩く血液銀行”
2022年12月に岸田文雄内閣が閣議決定した安保3文書には、さまざまな強化方針が出てきます。この中で私が生々しさを感じてギョッとしたのが、「衛生機能の変革」という文言です。
「自衛隊において血液製剤を自律的に確保・備蓄する態勢の構築」とか「戦傷医療能力向上」といった言葉が出てきます。
「戦傷医療」に対応した動きはすでに始まっています。防衛省・自衛隊は「戦傷医療における輸血に関する有識者検討会議」を設置し、24年2月に提言を出しました。米軍の分析では、病院到着後に戦傷死した兵士の死因の80%が失血死です。兵士の損耗を防ぐためには、前線に輸血用の血液を集めなければなりません。戦争では輸血戦略が必要です。
血液型には四つあり、他の血液型の人に輸血しても不適合輸血が起きにくいO型、中でも抗体の値が低い「低力価O型」に「提言」は着目。米軍がすでに始めている「血小板温存の低力価O型全血輸血を採用し、第一線近くから運用できることが必要である」と提言しています。
検討会の資料には、「WBB(ウオーキングブラッドバンク=歩く血液銀行)」という外国軍の手法を紹介しています。これは、低力価O型の自衛隊員を「あなたは輸血要員だよ」といって前線に連れていき、輸血用血液を確保する方法です。
「提言」は自衛隊でのWBBを想定しています。そこには「前線近くで戦闘等に参加する可能性のある隊員から、輸血が必要な場合も考えられ、供血者の安全を確保することは重要である」「戦闘参加の24時間前までの隊員を供血の対象者とすることが望ましい」と、踏み込んだ内容です。
「3文書」知る時
安保3文書が打ち出した防衛政策にどんな意味合いがあるのか、できるだけ多くの人に知ってもらわなければなりません。
3文書には、どこにも市民の犠牲、被害について書いておらず、“抑止力を高めれば安心ですよ”と言わんばかりの内容です。私たちは幸いにして戦後、直接の戦争行為に関わることはありませんでした。戦争に加担する、殺し殺される、ケガをすることが一体どういうものか、考えるべき時だと思います。
驚きです。
「戦争への道」より「憲法の道」を!
憲法を守って暮らしを豊かに!
菜の花情報
今朝の咲き具合ですが、帰るころにはかなり綺麗に咲いていました。
それにしても車が停まりそうなところにはコーンを置いて邪魔をしています。
畑の取り付き部分にも・・・
誰しも往来の邪魔にならないよう車を寄せて写真撮影など楽しみたいもの。
開花時期に畑に入る農家もいないはず。
あまりにも観光客に冷たい感じがしてしまう。
対立ではなく、ギブアンドテイクで乗り切れないものか。
お互いがあってこそです。