里の家ファーム

すべて無農薬・無化学肥料、不耕起栽培の甘いミニトマトがメインです。完熟したミニトマトから作る無添加ジュースは逸品です。

雨宮処凛がゆく! 第501回:障害があっても働きたい〜れいわ新選組、二人の議員の院内集会〜の巻

2019年10月31日 | 社会・経済

  マガジン9  https://maga9.jp/191030-2/

 2019年10月30日

    「介助者がいなければ、国会に登院できないという事実を記者会見で公表し、皆さんに重度障害者の実態が広まりました。その時の私は、国会議員になって少しでも障害者の皆さんのために活動したいと思っていました。が、いざなってみると、議員になったら介護制度が打ち切られて生活ができなくなるという恐怖でメディアに訴えました」

 10月10日、参議院議員会館・講堂に集まった超満員の人々を前に、木村英子議員は述べた。この日開催されたのは、「介助をつけての社会参加を実現するための院内集会〜障害者の完全参加と平等にむけて〜」。主催したのは、れいわ新選組の舩後靖彦議員と木村議員の二人だ。重度障害のある二人が呼びかけた集会には、全国から様々な障害者団体や当事者たちが押し寄せた。しかも、前方に準備された「議員席」には国会議員がずらりと並んでいる。その数、実に22人。活動歴13年の私だが、こんなに多くの議員が参加している院内集会は初めてだ。中には公明党の高木みちよ議員の姿もある。与党でただ一人、参加していた。

 舩後議員、木村議員の冒頭挨拶のあと、来賓としてスピーチしたのは元参議院議員の堀利和氏。視覚障害がある掘氏は、「憲政史上初めて、視覚障害を持つ議員」として活躍してきた人である。

 堀氏は、1989年の当選を振り返りながらスピーチした。当時、議員会館前の歩道には点字ブロックがあったものの、敷地に一歩入ると何もなかったという。が、堀氏が当選したことにより、敷地の門から玄関、そこから続く7〜8段の階段、そしてエレベーターまで点字ブロックが敷かれた。また、エレベーターの中にも点字表示のシールが貼られ、議員会館のすべての部屋の前にも部屋番号と議員の名前の点字シールが貼られたそうだ。

 この夏、れいわ二人の議員の当選を受けて国会では急ピッチでバリアフリー化が進み、初の車椅子議員の八代英太氏も注目を浴びたものの、89年にはこうして視覚障害がある議員のため、やはり急ピッチで対応がなされていたのだ。

 そんな堀氏の挨拶のあとには、八代英太氏からの連帯メッセージが読み上げられた。

 そこから様々な障害者団体からの発言が続いたのだが、多くの人が言及したのがやはり「重度訪問介護」についてだった。

 重度訪問介護。重い障害がある人の生活になくてはならない制度だ。が、仕事中、通勤中には使えない。この「制度の穴」が広く知られたきっかけは、舩後議員、木村議員の当選である。

 「障害者は働くなってこと?」「障害者の社会参加を阻害している」。制度の穴に対し、世間からも批判の声が上がったが、この日の集会では「ずっと訴えてきたことがようやくこうしてクローズアップされた」と、やっと注目されたことを歓迎する声も聞かれた。

 そうして次々と、重度訪問介護の「制度の穴」が明らかにされていく。

 日本ALS協会からの参加者は、ALS患者が講演をする際、「講演料をもらえるなら経済活動になり、重度訪問介護は使えない」と言われたケースを紹介した。24時間介護が必要な人が多いALS患者が介護を受けられないとなると、それは即、命に直結する。

 高校時代に難病となり、大学生の頃から呼吸器をつけているという女性は、就活をしたくてもこの制度が壁となり、就活すらできず、働く権利を奪われたと訴えた。

 重度訪問介護は、通勤中だけでなく、通学中も使えない。「介護保障がなされないことは、学習権が保障されないことも意味します」と訴えたのは、選挙中、舩後議員、木村議員の応援に駆けつけてくれた筋ジストロフィーの梶山紘平さんだ。

 学習機会が奪われると、当然、就職にも不利になる。特に重度障害がある場合、肉体労働は選択肢から外れて頭脳労働一択になる。だからこそ専門学校に行くなど専門知識をつける学習が必要なのに、通学中に重度訪問介護は使えない。また、年金や手当だけで暮らしていると学費を捻出するのも難しい。梶山さんは「重度障害者向けの奨学金の充実が必要」と訴えた。初めて聞く要求に、目を開かれる思いだった。

 全国医療的ケア児者支援協議会の人も通学について訴えた。呼吸器をつけている子どもだと、通学に親の付き添いが求められる。それができない場合、代理で看護師が付き添うものの、そのための制度はないので費用は全額自己負担になる。これでは相当の富裕層しか通学させられないだろう。よって、泣く泣く通学を諦め、自宅で訪問授業を受けている子どもたちがたくさんいるのだという。

 また、筋ジストロフィーの男性は、「20歳になったら働くことが当たり前だと考えてきた」と述べた。そのため、在学中から一般就労を目指していたものの断念せざるを得ず、作業所に通うことになったという。が、週に5日、10時から17時まで働いても月給はなんと5000円。時給にするとわずか39円。最低賃金法には、「精神又は身体の障害により著しく労働能力の低い方」に関して減額の特例が認められているからだ。しかし、「著しく労働能力が低い」とはどういうことだろう?

 例えば舩後議員は、国会議員になる前、全身麻痺ながら訪問介護・訪問看護事業所の副社長として活躍してきたのだ。そしてALS患者にはそのような「社長モデル」と呼ばれる人が多くいる。わずかに動く指先や歯でパソコンを操り、頭脳で働いている人たちだ。テクノロジーによって今、「障害者は働けない」という言説は過去のものになりつつある。実際、この10月には、大手町のカフェで身体が不自由な人たちがカフェ店員として働いていた。遠隔操作できる分身ロボット「OriHime」で接客の仕事をしていたのだ。

 さて、集会では働いている間に使えない重度訪問介護の欠陥が問題となったのだが、その欠陥の中でも問題なのは、それでも働きたい場合、その間の介護費用は事業主か本人が負担するしかない現状があることだ。

 この日参加していた「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」の人は、あるケースを紹介した。重度の障害がありながら月曜から金曜までNPOで働いているものの、通勤、勤務中の介護費用はすべてNPOが負担しているのだという。また、この日参加していた福島みずほ議員もあるケースを紹介した。脳性麻痺のある学校の先生のケースだが、通勤のためのタクシー代が10万円ほどかかってしまう。それが払えず、校長、教頭に送り迎えしてもらっているということだった。

 「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」の人は、「障害者には働く資格がない」とでもいうようなこの制度について、「どうしてこんな馬鹿げたことが起きているのか」と述べ、集まった国会議員たちに怒りを込めて、言った。

 「先ほどから国会議員の先生たちの話を聞いてますが、こんな馬鹿なことを放置してきた国会の責任をもう少し考えてもらいたい。これを一過性のものにしないために、ただちに国会でこの告示を改めるための国会議員懇談会、議員連盟を作ってください。明日からこの告示を改めるための活動をやって、少なくとも半年以内にこうした制度を改めるようにして頂きたい」

 男性のこの発言には、会場から大きな拍手の音が響いた。

 この日、気づいたのは、「重度訪問介護」という制度について、「自分たちが勝ち取ったものだ」という意識を障害者の人々は強烈に共有していることだ。

 「私たちが、命がけで闘って勝ち取ってきたこの制度」

 この日の集会では、幾人もがそう口にした。欠陥はあれど、障害者の暮らしを守るため、命を守るため、障害者運動が勝ち取ってきたのが重度訪問介護なのだ。だからこそ、それをよりよいものにしていきたいという思いが迸っていた。

 自身の妻がALS歴34年だという男性は、山梨から「ふなご応援団」というプラカードを携えてやってきた。聴覚障害がある人は、昨年からやっと国会の本会議に生字幕がつくようになったものの、委員会ではまだついていないと訴えた。そんなこと、まったく知らなかった。また、さいたま市では、全国に先駆けて在宅就労中は重度訪問介護を使えるように制度化されたことを話した人もいた。これも全く知らなかった。が、制度化を大変評価するとしつつも、「在宅就労」に限られているのことだった。集会には厚労省の職員も参加していて、最後に課長が挨拶した。このような展開も、二人が議員にならなければあり得ないものだっただろう。

 そうしてこの院内集会から5日後の10月15日、「重度障害者、就労中も支援へ」というニュースが飛び込んできた。

 厚労省は職場での時間や通勤中の介護も公的支援の対象とする制度改正を行う予定、という内容だ。

 当選から、3ヶ月。れいわ新選組の二人の議員は、長らく動かなかった現実を今、どんどん変えている。働きたい障害者が、どんどん活躍できる社会。それは必ずや社会全体を活気づけていくはずだ。

 この日、元参議院議員の堀氏が言った言葉がずっと残っている。

 「ある社会がその構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それはもろく弱い社会である」

 「生きる工夫」に満ちている障害者運動は、いつも私にいろんなことを教えてくれる。

 


ベランダから望む庭。

春、植菌したヒラタケが・・・

コメント (2)

ただじゃ済まない萩生田発言 安倍政権を倒すのは受験生

2019年10月30日 | 教育

  日刊ゲンダイDIGITAL 2019/10/30

 発言を撤回すれば「なかったこと」になると思っているのか。

 2020年度から始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間試験には批判が根強い。経済状況や住む地域によって受験機会に不公平が生じかねないからだ。

 この懸念に対し、萩生田文科相は24日のBSフジの番組で「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』と言うのと同じ」と牽強付会に強弁し、「裕福な家庭の子どもが回数を受けてウオーミングアップできるというようなことがあるかもしれないが、自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで頑張ってもらえれば」などと発言した。

「身の丈に合わせて」という言葉には、侮蔑的なニュアンスを感じずにいられない。「身の程をわきまえて」「分相応に」――。そんな上から目線である。弱者を切り捨てる冷酷政権のホンネに怒りの炎は燃え広がる一方だ。

経済格差による教育の格差を容認しているとの批判を受け、萩生田は28日、「不安や不快な思いを与える説明不足な発言だった」と謝罪。それでも批判はやまず、29日の閣議後会見で、改めて発言を撤回、謝罪したが、それも形だけだ。こう言っていた。

「どのような環境下にいる受験生においても、自分の力を最大限発揮できるよう自分の都合に合わせて、適切な機会を捉えて2回の試験を全力で頑張ってもらいたいとの思いで発言をしたものです。国民の皆さま、特に受験生の皆さんに不安や不快な思いを与えかねない説明不足の発言であったと考えておりまして、改めてこの場を借りておわび申し上げたいと思います」

 ■貧しい家庭は教育を諦めろという暴論

これのどこが謝罪なのか。「身の丈」を「自分の都合」と言い換えただけで、結局、経済格差や居住地による不公平を是正する気はまるでないことが分かる。撤回するのは発言よりも、問題だらけの英語民間試験の方だろう。

それに、「不快な思い」と言うが、そういう感情論の問題ではない。教育基本法には「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」と書かれている。これは、憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と、同26条「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」を具現化したものだ。

「萩生田文科相の“身の丈発言”は、憲法の理念に反するだけでなく、若者の未来を奪う許しがたいものです。生まれた家が裕福ではなく、奨学金をもらって学費を工面した若者が、何百万円という借金を背負って社会に出ていく。それで正社員になれればまだいいが、安倍政権は非正規社員を増やし、大学を出ても困窮にあえぐ若者たちがいる。こういう現状があるのに、さらに入り口で貧しい人を切り捨てようというのです。本来は、そういう格差を是正するのが政治の役割なのに、教育行政が格差を是認し、加速させようとしている。軍事費にはカネをつぎ込むけれど、教育にはカネをかけたくないのが安倍政権のホンネで、貧しい人は教育を諦めろと言っているに等しい。親の力で自動的に将来が決まる封建的な社会を是認するようなものです」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)

格差を固定化し若者の夢を奪う政治でいいいのか

 親の経済力による教育格差が歴然としてあるのは事実だ。幼少期からの塾通いなどで、難関大学ほど富裕層の子弟は多い。東京大学の「学生生活実態調査」によれば、東大生の親の62・7%が年収950万円以上だという。地方や離島に住んでいれば、試験を受けに行くのにも飛行機代や宿泊費がかかり、諦めざるを得ないこともある。

 だが、教育行政をつかさどる文科相が、それを是認するような発言をしてはダメだ。若者の夢を奪う政治ではいけない。

「資源がなく、成長の伸びしろが見込めない国では、教育が唯一の資源と言ってもいい。それなのに、国民に格差の容認を迫り、富裕層の子弟だけが満足な教育を受けられる社会でいいと考えているような政権には国の実態が見えていないし、見る気もないのでしょう。安倍1強体制の長期政権が続いた歪みもあるし、これだけ世襲が増えると、支配層が格差の固定化に疑問を持たなくなってくる。周囲がみんな富裕層で、そのための政治をするようになってしまいます。叩き上げの苦労人を売りにしていた萩生田氏も、勝者の側に立つようになった。英語民間試験の導入にしても、教育関係の企業を儲けさせるためだとしか思えません。受験生や、その親のことはまったく考えていないのです」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)

身の丈に合わせた教育とは、格差の固定化に他ならない。安倍首相ら世襲政治家すべてがそうだとは言わないが、富裕層の子弟は裏口入学もでき、まともに授業を受けなくても卒業できる階級社会でいいのか。かつては「立身出世」という言葉もあったが、教育の機会均等をなくせば国力は下がる。貧乏人の子どもは高等教育を受ける必要はないというのであれば、安倍一味が憧憬する明治を通り越して、江戸時代の「士農工商」の世界である。

■連中の奴隷が私兵にされてしまう

 ジャーナリストの斎藤貴男氏も日刊ゲンダイ連載でこう断罪していた。

<警鐘を乱打し続けてきた優生学的教育制度の不安は、完全な現実となった。“グローバル人材”の育成と愛国心の涵養を両輪とする教育改革の狙いは自明だ。彼らにとって下々の人生など、ただ己に奉仕させる道具以上でも以下でもないのである><こんな手合いを放置していたら、権力に近くない家庭の子どもは、みんなあの連中の奴隷か私兵にされてしまう>

萩生田発言に象徴される選民思想、エリート意識は、同じく謝罪に追い込まれた河野防衛相の発言にも見てとれる。28日夜に開かれた自らのパーティーで、「私はよく地元で“雨男”と言われました。私が防衛大臣になってから、すでに台風が3つ」と言い、会場の笑いを誘った。災害派遣にあたっている自衛隊員をねぎらう話の流れとはいえ、災害をネタにして笑いを取る必要がどこにあるのか。今なお苦しんでいる被災者がたくさんいるのに、あまりに無神経だ。被災状況を「まずまず」と言った二階幹事長と同じで、国民に寄り添う気持ちがまったく感じられない。

 そもそも、大臣規範で閣僚は政治資金パーティーの自粛が規定されている。

 よりによって防衛相が、列島が立て続けに災害に襲われ、甚大な被害が出ているタイミングで政治資金パーティーを開催している場合なのか。

「新自由主義に染まり、被災者に対しても自己責任を押し付けるのが安倍政権です。すべての分野で弱者を切り捨て、病人やLGBTは生産性が低いからと切り捨てにかかる。優生思想が浸透して、本来は弱者に回すべきカネを軍拡と大企業につぎ込んでいるのです。揚げ句に未来を担う子どもたちを育てるはずの教育行政にまで新自由主義を持ち込み、生まれながらの格差を拡大することもいとわない。その先には経済的徴兵制があるのでしょう。貧しい家の子は勉学などしなくていいから兵隊になって戦争に行けということです。萩生田氏の発言は、そういう安倍政権のホンネが有権者に垣間見えたわけで、若者に重いテーマを突きつけた。受験生とその保護者が立ち上がり、倒閣運動が広がる可能性が出てきました」(金子勝氏=前出)

  香港のように立ち上がらなければ、日本の若者たちにも未来はない。


シャコバサボテンの花が咲いた。

コメント

香山リカ「常識を疑え!」5Gの普及が推し進める「日本人・総受け身化」の予感

2019年10月29日 | 社会・経済

   2019/10/28 香山リカ (精神科医・立教大学現代心理学部教授)

   先日、中国のIT企業ByteDance(バイトダンス)社(北京字節跳動科技)で働く、若い中国人女性のトークイベントに出かけた。日本で大学を出て商社で働いた経験もある彼女のSNSでの発信に、以前から注目していたからだ。

 そこで話された「中国のハイテク産業のいまとこれから」については近々、書籍化されるそうなのでまた改めて取り上げるとして、彼女の言葉で印象に残ったものをひとつだけ記しておこう。

「中国のいまを見ると、日本の1年後、1年半後がわかると思いますよ!」

 つまり、中国はハイテク技術やその普及においては、日本の1年先、1年半先を行っている、という意味だ。これはどういうことなのか。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 その話の前に、彼女が働く中国の企業ByteDance社について、簡単に説明しておこう。ByteDance社は、日本ではTikTok(ティックトック)という名で知られる短尺の動画投稿アプリを提供している会社だ。TikTokには世界版(日本版もこれに含まれる)と中国国内版があるが、世界版はアプリ頒布のアップルストアでダウンロード数1位を記録するなど、メジャーなサービスになりつつある。

 しかし何といってもすさまじいのは中国国内版で、毎日必ずアクセスするデイリーアクティブユーザーは2.5億人超え、その1日の利用時間の平均は40分だという。つまり、日本の人口の2倍以上の数の人びとが、来る日も来る日も40分ずつ、一般人や企業が投稿した短い動画を見ているのだ。

 では、その内容はどんなものなのか。中国版アプリをダウンロードしてのぞいてみると、まず目につくのが一般の人たちが投稿した“おもしろ動画”だ。赤ちゃんとネコがたわむれていたり、お年寄りがちょっとしたイタズラをしたり、言葉なしでもクスッと笑ってしまうような動画があふれている。ほかには簡単な料理の作り方やスニーカーの汚れを取る方法など、生活に役立つ豆知識も多い。かと思うと、中国共産党青年団が勇壮なマーチを演奏する動画や小学生のための漢詩の朗読といったまじめなコンテンツもある。

 TikTokの特徴は、AIが徹底的にユーザーの嗜好性を分析し、次々におすすめ動画を流してくることだ。こちらから見たい動画の種類を検索ウィンドウに打ち込むこともほとんどなく、「そうそう、こういうのがもっと見たかったの。どうしてわかるの?」というような動画が勝手に流れる。中には「これは違うな」というものもあるので、その場合はスキップする。するとますます自分の嗜好性が正確にデータ化されることになる。

 そうやって流れてくる動画を見ていると、たしかにあっという間に10分、20分と時間が経過する。たとえば漢詩の朗読動画を見ていて「この言葉の意味、もっと深く知りたいな」と思っても、次に屋台ですごいスピードでシュウマイを作るおばあさんの動画が始まれば、それに目が釘付けになる。それがどこの地域のどういう特徴を持つシュウマイなのか、そのおばあさんはどんな人生を歩んできたのかは、30秒ほどの動画ではまったくわからない。ただ「うわ、すごい。1分に20個はシュウマイ作ってるよ」と、目の前の“できごと”に驚くだけなのだ。

 画像として目に飛び込んでくる“いまのできごと”が、関心のすべてになる。そのうち「この人のこれまで」とか「このことの背景」に対する興味が、どんどん薄れてくるのを感じる。この感覚は、TikTokを毎日使う2.5億人以上の中国の人にも広がっているだろう。

 中国はいま、国をあげて5G(第5世代移動通信システム)の普及に取り組んでおり、かなり多くの人たちがスマホを5G対応機に替えているという。そうなると人びとはさらに気軽に、動画を見たり発信したりできるようになっていくのは間違いない。

 日本では、NTTドコモなどが2020年中の国内の5Gサービス開始を目指している。対応機種が売り出され、一般のユーザーが使い出すのはさらに後。そうなると、中国ですでに始まっている5G時代、動画中心時代が日本にやってくるのは、たしかにこれから1年後か1年半後、場合によってはもっと後になるだろう。

これが冒頭で紹介した中国人女性の言葉の意味である。

 そしてそれは、システムだけではなく人びとの意識も現在の中国と同じようになることを意味しているのかもしれない。つまり、日本でも「やり取りの基本は動画」になり、画面に映る「いま起きているできごと」に人びとの関心が集中し、一方でそこに至る経緯、背景などへの関心がどんどん希薄になる可能性がある、ということである。さらに、TikTokのようなAIによるリコメンド機能がいま以上に普及すれば、ユーザーは何かを自分で探すことさえしなくなり、自分の嗜好性を分析して送られてくるコンテンツをひたすら受け入れるだけになるのではないか、とも予測できる。

 しかし、そういった中国の現状を知った日本の人たちが、「それは問題だ。文字の文化は守らなければならないし、“いまここでのできごと”を語る上でも、経緯や文脈や背景、ひとことでいえば『歴史』を忘れることがあってはならない」といくら警鐘を鳴らしたところで、「では、日本では5Gを導入し、普及させるのはやめましょう」という選択がなされることはないだろう。中国に1年半遅れながら、日本でも爆発的な「動画化」、「脱文字化」、「受け身化」が起きることは、もう不可避だと言ってもよい。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 いや、すでにその動きは始まっているのかもしれない。日本ははっきりと変化しつつあるのだ。

 この夏はそのことを考えさせられた。

 直接のきっかけはふたつある。ひとつは社会的なことで、もうひとつは個人的なことだ。「社会的なこと」とは、3年に1度の国際芸術祭、あいちトリエンナーレの企画展のひとつである「表現の不自由展・その後」が、81日の開幕からわずか3日で脅迫を含めた抗議の殺到により展示中止に追い込まれたことだった。展示は108日に再開されたが、75日間の会期中、展示が行われたのはわずか10日間という異例の事態となった。

 この問題は多くのメディアで取り上げられてきたのでここでは詳述しないが、展示中止を余儀なくされるほどの脅迫、抗議が集中した作品のひとつは、韓国で「平和の少女像」と呼ばれる、チマチョゴリ姿で肩に小鳥をとめた少女がベンチに腰かけている彫像だ。もともとこの像は、韓国・ソウルで毎週、行われている、旧日本軍による従軍慰安婦問題の解決を訴える集会が1000回を迎えたのを記念して作られたものだが、その後、世界の都市で同じ姿の像を設置する動きが広まった。

日本政府は、韓国が朴槿恵政権時代にあった201512月に日韓合意に至り、従軍慰安婦の問題に関しては「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したという立場だ。しかしこの合意についてはその後、「元慰安婦の声が反映されていない」など韓国国内から不満の声が上がり、両国間の関係に影を落としている。

 また、もし政治問題として「最終解決」がすんだとしても、旧日本軍が戦時性暴力を働いたという歴史的事実が消えてなくなるわけではない。将来的にこのような悲惨な事態の再発を防ぐためにも、「語り継いでいく」という営みは必要だろう。もちろん、それは日本にとっては耳の痛い話ではあるが、加害側が“見ない、聞かない”という態度でいっさいを“なかったこと”にするわけにはいかないのだ。

「表現の不自由展・その後」では、その「平和の少女像」の展示とともに、たとえば「元慰安婦の方々によるスピーチ」といった、より政治的なアクションが行われる予定はなかった。あくまで、ひとつの芸術作品として作られた少女の彫像が、過剰な政治的意味の中に置かれてさまざまに解釈されてしまうことじたいを鑑賞者に考えさせる、というのが展示の目的であったと思われる。

しかし、ふたを開ければその展示そのものがあまりにも過剰な反応を呼び起こし、「ガソリン携行缶持って館にお邪魔する」といった脅迫までが主催者サイドに押し寄せることになったのであった。そこで示されたのは、「いささかでも負の歴史にかかわるものはいっさい見たくない、知りたくない」という強い「歴史の拒否」の意思であるように思った。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 この「歴史の拒否」の流れの源流にはもうひとつ、いわゆる「徴用工問題」がある。これがふたつめのきっかけである、「個人的なこと」と関係している。

 20181030日、韓国の最高裁にあたる大法院が、現在の新日鉄住金に対して、元徴用工の原告4人にひとりあたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じる判決を下した。

 戦時中、当時、植民地支配をしていた朝鮮半島から強制連行してきた人たちを重労働に従事させた徴用工問題についても、先の従軍慰安婦問題同様、日本政府は1965年の日韓請求権協定で「解決済み」としている。しかし、国家間の協定とは別に元徴用工個人の請求権は残っているという考え方があり、この訴訟でもそれが問われたのだ。

 韓国・大法院の判決に日本政府は異議を申し立てたが、韓国政府は三権分立の原則に基づき「司法の判断には介入できない」との立場を主張し続けた。その後、日本政府は20195月から韓国に「第三国を含めた仲裁委員会を開催するように」と求めているが、韓国側は受け入れなかった。それを受けて経済産業省は同年71日に「大韓民国向け輸出管理の運用の見直しについて」という文章を発表し、「日韓間の信頼関係が著しく損なわれたと言わざるを得ない状況」とし、これまで輸出管理上の「ホワイト国」として韓国に適用してきた優遇措置を取りやめる、といった強硬手段に出ることにした。それが閣議決定されたのが、あいちトリエンナーレ開幕翌日の82日だったのだ。「少女像は韓国が日本を非難するためのものだ」と恫喝や脅迫の電話が押し寄せた背景には、これら一連の事態による日韓関係の悪化も大きく影響しているだろう。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 そのあと徴用工問題についてもSNSでは引き続き、激しく意見が交わされた。私は小説家の故・渡辺淳一氏が「幼い頃、北海道では強制連行されてきて重労働を強いられていた朝鮮人がひどい扱いを受けていた」といった内容をエッセイなどで繰り返し書いていたことに触れながら、渡辺氏と同世代の亡父も似たような話をしていたことを96日にツイッターで紹介した。全文を紹介しよう。

「釧路で育った私の亡き父もです。子どもながら、徴用工が虐待されるところを見て『なぜあんな目にあわされてるのか』とショックだったと。晩年までずっと『あの人たちが怒るのは無理もない。到底許すことなんてできないだろう』と言ってました。」(1

 ツイッターの140文字という字数制限もあり、細かいところまではもちろん述べることはできなかった。ただ、昭和のはじめ、北海道のいくつかの町で子ども時代をすごして最終的には釧路市に落ち着いた父親が、建設工事に携わっていた朝鮮人が食べるものも満足に与えられずやせ細っているのを見た、と何度か語っていたのは事実だ。「徴用工という人たちが」と言っていたが、昭和3年生まれの父親が少年だった当時から「戦時徴用」「徴用工」という言い方で朝鮮人労働者のことを理解していたのか、あとになってからその単語を知ったのかはわからない。

 私のそのツイートにはすぐに「それは本当なのか」「徴用工は高給取りだったはず」といったリプライがついたのだが、ツイートの2日後、98日から非難、攻撃のリプライの数はケタ違いに増えた。

「なにが起きたのか」とちょっと調べてみると、その日、前掲した私のツイートをウェブ版の「デイリースポーツ」が取り上げ、記事にしていることがわかった。私には取材依頼もなかった。

 それじたいは、「香山リカ氏 亡き父が徴用工の虐待現場を目撃」というタイトルで、私のツイートの内容をそのまま伝えるだけで、それ以上、何の情報もつけ加えられていない記事であった。記者の主観めいたものも加えられておらず、一見すると「なぜいまこれを記事にする価値があるのか」と不思議に思うようなものであった。

 しかし、この記事は多くの人が目にする「ヤフーニュース」に転載された。そしてその直後からコメント欄が荒れはじめ、「ウソはやめろ」「死人に口なし」「親子そろってウソつき」「今ごろ言い出すあと出しジャンケン」といった言葉が、私が見た時点で5000件以上、並んでいた。ツイッターへのリプライは、その一部であったのだ。

 ひとつひとつ言い返してもキリがないが、繰り返すように父の発言はウソではない。父はとても寡黙な人であったが、このことは何度か口にしていた。そして私は、実はこの話題を数年前にエッセイに書いたこともあり、決して「あと出しジャンケン」などではない。

 そのうち、ツイッターでは「香山父子のウソ」の“証拠”として、こういうことを言い出す人が現れた。

「ソレに加えて香山りか父がいた釧路だが、釧路の炭鉱に徴用工がいるはず無いんだなぁ 徴用が始まる19449月以前の、19448月には釧路周辺の炭鉱は、休山、休絋してるんだな」(2

 徴用工や「戦時徴用」が正式に始まる前にもほとんど徴用という形で日本に連れてこられた中国人、朝鮮人が働かされていたのは、炭鉱とは限らない。たとえば「散歩の変人」というブログでも、釧路近郊の門静(もんしず)というところで彼らが石切り作業に強制的に従事させられ、命を落とした人も少なくないことが資料をもとに述べられている(https://sabasaba13.exblog.jp/23969008/)。これはツイッターである人が教えてくれたものだ。

また、作家の中沢けいさんは、99日にツイッターの連続投稿で私を擁護してくれ、さらにいま起きている「記憶の消滅」という事態の深刻さを次のように憂えた。ひとつにまとめる形で紹介させてもらおう。

「たいへんありふれた話で、香山さんくらいの年代より上なら聞いたことがある人は大勢いるはずの話だ。それがなんで『作り話』だの『医者にみてもらえ』だのって騒動になるなんて。ネトウヨってそういうもんだと知ってはいても唖然とする。

 赤坂真理さんと話をする機会があった。80年代に記憶が消えているという話。80年代後半、昭和から平成へ移るバブルの頃、もう昔の話はしてくれるなという社会的な雰囲気が濃厚だったことを記憶している。悲惨な話や苦労話は聞きたくないという雰囲気。

85年に母が亡くなった。亡くなったあとの葬式などで、自然と古い話が出そうなものだけど、それが忌避されているのをひしひしと感じたから鮮明な記憶になっている。『もう時代が違うから』という理由で。そのあたりの断絶が現在の奇怪な風景を生み出しているのかしら。」(3)(4)(5

 しかしその後も、「ウソつき」といった非難は止まず、私は「これは父の独白だけにとどまる話ではない」と示すために、910日に次のようなツイートをした。

「朝鮮人徴用工は、炭鉱以外でも港湾、軍需工場、土木や発電関連などさまざまな現場で過酷な労働に従事してきました。

北海道各地(炭鉱以外)には強制連行された朝鮮人労働者の慰霊碑もあります。

私や私の父はウソつきだ!と言うなら、せめてこのどちらかを読んでからにしてもらえませんかね…」(6

 そこで書影を貼って紹介したのは、外村大(とのむら・まさる)東京大学教授の『朝鮮人強制連行』(岩波新書、2012)と山田昭次・立教大学名誉教授らの『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店、2005)である。いずれも現存する資料や生存者の証言に基づく、むしろ中立的な論集である。

 その2冊を紹介すると、次のような肯定的なリプライも寄せられた。

「本当そうですよね。香山リカさんの言う通りだと思います。自分の実家も朱鞠内が近いから徴用工の悲惨な話をよく聞いております。あと沼田町の通称明日萌駅こと恵比島駅からまっすぐ北上したダムに沈んだ昔の炭鉱跡も徴用工の悲惨な話を聞いております。」(7

 しかし、それらよりも私の目を強くひいたのは、次のリプライだった。

「書籍って証拠としては弱いんだよね(-.-)

ある意味Twitterと同じで、書きたいこと書けるし捏造も簡単だからね。

『当時の物証』が効果的なんだけどな…」(8

 もちろん、岩波書店の本だから正しい、東大教授などの肩書きがある人の本だから間違いない、と言うつもりはない。しかし、この3行の中にある「書籍は証拠として弱い」「ツイッターと同じで捏造も簡単」「物証のほうが効果的」という主張に、これまで自分が学生時代から、医師になった後もずっと学んできたこと、大学教員として教えてきたこと、書き手として書いてきたこと、すべてが無意味だと言われたような気がして、文字通り頭が真っ白になった。

 私が茫然として言葉を失っていると、別の人が問いかけてくれた。

「で、キミは読んだんか?」(9

 すると、その善意ある人の問いに対する答えが、さらに私への打撃のダメ押しとなったのであった。

「時間は有意義に使う主義」(10

 ほかに、書籍を紹介したことで激しく怒り出す人もいた。

「そこまで言うなら口だけじゃなく証拠を見せろ。自分で全容は不明と書いておきながら、あたかも真実のように公言するって事は自分で言った事に対する証拠を持っていて言っているんだろ?何もないのに『ありました』、そんな寝言をどこの誰が信用するんだ?『ひどい扱い』とやらの証拠を見せなさい。」(11

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 歴史や記憶の消却や忘却。書籍など文字への圧倒的な不信感。

 なにも5Gの普及を待たなくても、日本ではすでに「目に見えるできごとにしか興味がない。歴史なんてウソかもしれない。文章、本、文字なんて読みたくもないし信じられない」という変化が起きているのではないか。いや、起きているというより、一部ではもうすっかり定着してしまったのではないだろうか。

 そしてこういう状況の中で、さらに「動画化」、「脱文字化」が進み、主体的に何かを調べようとはせずに、AIが勧めるものだけをひたすら受け入れる「受け身化」が進んだら、どんなことが起きるのか。

 せめて5Gが普及するまでのあいだに、正しい歴史教育の必要性や文字による知識の重要性を訴えるなど、「今だからまだできること」をしておいた方がよいのか。それとももう遅いのか。

 しかし、冒頭で紹介した中国人女性の言葉が本当なら、日本にはまだ「1年半の猶予」があるらしい。だとしたら、それをどう使うか。そこに日本のすべての命運がかかっていると思う。


  恐ろしい時代になったものだ。
北海道では、戦前・戦中「タコ部屋」「タコ労働」が存在したことは事実である。「徴用工」などときれいな言葉ではなく、「タコ」だったのだ。今も遺骨の発掘、調査などが行われている。

コメント

「人助けランキング、日本は世界最下位」英機関

2019年10月28日 | 社会・経済

日本は冷たい国なのか ホームレス受け入れ拒否問題 

Yahoo News 10/17(木)  飯塚真紀子  | 在米ジャーナリスト

とても悲しい。

 それが、ホームレスが避難所に入ることを拒否されたという日本のニュースを目にした時に感じた思いだ。そして、そんなニュースに寄せられたコメントを見て、もっと悲しくなった。ホームレスは“受け入れ拒否されて当然”と考えているようなコメントが散見されたからだ。

 “助けを必要としているホームレスを受け入れなかった行政“、そして、“行政が受け入れなかったことに賛同している人々が少なからずいること”は、10月に発表されたある調査の結果を裏づけているかのようだ。それは、イギリスのチャリティー機関「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(CAF)」が世界の国々を対象に、人々のGiving(他者に与えること、寛容度、人助け度)の状況を調査して発表している”World Giving Index”(世界人助け指数)の結果だ。

 2009年から毎年行われているこの調査では、「この1ヶ月の間に、見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」、「この1ヶ月の間に寄付をしたか」、「この1ヶ月の間にボランティアをしたか」という3つの観点から各国の人々にインタビューを行い、各国の寛容度を採点している。

 CAFは、2009年から2018年まで10年間に渡り、125カ国以上の国々を対象に、130万人以上の人々にインタビューを行った。そして、このほど、この10年間の調査データを集計して出した”World Giving Index 10th edition”を発表、10年間の総合ランキングを紹介している。

人助けでは世界最下位の日本

 日本の結果は惨憺たるものだ。総合順位は126カ国中107位と先進国の中では最下位だ。

 ちなみに、1位はアメリカで、2位ミヤンマー、3位ニュージーランド、4位オーストラリア、5位アイルランド、6位カナダ、7位イギリス、8位オランダ、9位スリランカ、10位インドネシアと続いている。

 トップ10の中では、インドネシアがここ数年、順位を上げて評価されている。また、ニュージーランドは、この10年、3つの観点すべてでトップ10入り。反対に、中国は、3つの観点すべてでボトム10入りしており、総合順位は世界最下位である。

*表は左から、赤が総合ランキング、緑が人助けランキング、紫が寄付ランキング、黒がボランティアランキング。出典:World Giving Index 10th edition

 注目すべきは、調査した3つの観点の中でも、「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という観点で、日本は125位と世界最下位であることだ。この観点でボトム10の国々は下記の表にある通り。その顔ぶれを見ると、ほとんどが、現在またはかつての共産主義国だ。そんな国々よりも日本はランキングが低く、世界最下位なのである。

 この結果をどうみたらいいのか? データが全てとは言えないが、このデータだけに従えば、日本は世界でも最も人助けをしない国ということになりはしないか? 今回の行政のホームレス受け入れ拒否やそれに賛同している人々が少なからずいることを考えると、この結果は日本の冷たさを表しているかのようにも見える。

 ちなみに、日本は、「寄付をしたか」では64位、「ボランティアをしたか」では46位だった。つまり、「見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」で最下位であることが、総合順位を落としているということになる。

*人助けランキングでは125位と世界最下位。出典:World Giving Index 10th edition

 受け入れ拒否に賛同する人々の意見を読むと、ホームレスの人々が税金を払っていないからとか、臭いなど衛生上の問題があるからとか、自己責任の問題だからなどをその主な理由にあげている。しかし、そんなことが理由になっていいのだろうか?

 台風19号は、79人の命を奪い、10人の行方不明者を出し、約4500人の人々に避難生活を強いている(10月16日時点)。たくさんの被災者を出したのだ。誰もが自分の命を守らなければならない非常事態だった。そんな中、助けを求めている人がいたら、その人がどんな人であれ、手を差し伸ばすのが人というものではないか。

ソーシャル・キャピタル低下の表れか

 東日本大震災の時、世界のメディアは、非常事態の下、日本の人々が結束して助け合う姿勢を称賛した。地域社会の人々の結びつきの強さに世界の人々は心を打たれた。

 ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)という言葉がある。ソーシャル・キャピタルとは「社会における人々の結束により得られるもの」のことだ。「人々の絆」や「お互い様の文化」、「地域の結束力」により、人が生活の中で得ているもののことだ。ソーシャル・キャピタルが高い国では、人々が信頼し合い、思いやりをかけあい、人々の結束力があり、地域の人々が協力して助け合う活動が活発に行われている。

 日本は、東日本大震災の時の人々の助け合いの姿勢が示すように、ソーシャル・キャピタルが高い国だと評価されていた。近年、格差の拡大により、日本のソーシャル・キャピタルは減少傾向にあるが、ホームレスの受け入れ拒否やそれに賛同する多々の声は、日本のソーシャル・キャピタルのさらなる低下を表しているような気がしてならない。

アメリカでも起きるホームレス差別

 アメリカもソーシャル・キャピタルの点では問題を抱えている。貧富の差が大きいし、“人種のるつぼ”でもあるため格差が発生しやすいからだ。

 実際、今回、台東区で起きたようなホームレス差別はアメリカでも起きた。2017年9月、ハリケーン・イルマがフロリダ州を襲った時、ホームレスであるという理由からホームレスの人々を受け入れない避難所が現れたり、また、受け入れても、ホームレスの人々に黄色いリストバンドを巻いて差別し、隔離した避難所も現れたりして問題となった。

 また、ホームレスの人々を受け入れても、彼らにブランケットや食べ物や薬やシャワーなどを与えなかった避難所もある。ホームレスがその理由を市の職員にきくと「税金を払っていないからだ」と言われたという。

 ちなみに、アメリカでは、避難所がその人の経済状況を理由に差別すると、連邦法違反になる可能性がある。連邦法は、連邦災害ゾーンに住む人々を保護しなければならないとしているからだ。

 ホームレス差別が起きる地域がある一方、行政が作った「ホームレス避難シェルタープラン」の下、ハリケーンが襲撃する前に、無料バスを出してホームレスの人々をピックアップし、避難所に連れ行った地域もある。ホームレスの中にはアルコール中毒やドラッグ中毒の者もいるため、避難所では、アルコールやドラッグを禁止にするなどのルールも設けている。また、ペット連れのホームレスは、ペット・フレンドリーな避難所に誘導している。身分証明書(ID)を所持していないホームレスは、別の避難所に誘導している地域もある。

 日本も、地域によって、非常時のホームレスの人々に対する対応は異なるだろう。しかし、いかなる理由があったとしても、避難所は彼らの受け入れを拒否してはならない。行政が、ホームレスのための避難プランを作ることも重要だ。

 日本が人助けをする国として評価される日が来ることを願う。

 

飯塚真紀子

大分県生まれ。早稲田大学教育学部英語英文科卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会問題、トレンドなどをテーマに、様々な雑誌に寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲルなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。


 確かに、東日本大震災の時には、まだソーシャル・キャピタルが高い国だった。安倍政権になり、格差は一段と広がった。そして10年にも満たないうちにこの有様である。

コメント (2)

もう一度、グレタ・トゥンベリの声を聴け!

2019年10月27日 | 自然

週のはじめに考える グレタとカッサンドラ

  東京新聞社説 20191027

大通公園を歩きながら、かう考へた。安全を優先すれば理屈が立つ。気温を考へれば頷(うなず)ける。準備の急を思へば心配だ。とかくに酷暑は御しにくい…。

 いや、無理やりな『草枕』冒頭のまねごと、失礼しました。国際オリンピック委員会(IOC)が突如、東京五輪のマラソン、競歩競技の会場変更を打ち出した直後に、たまたま札幌を訪ねる機会があったのです。

 東京都にはなお別案もあるようですが、もし札幌になるなら、コースは例年行われている北海道マラソンのそれが基になるとか、札幌ドームが発着点になるとか、臆測が飛び交っています。

◆夏季五輪→冬季五輪

 北海道マラソンで発着点になるのが大通公園。レースのスタートの際にはカウントダウンが表示されるというテレビ塔を見上げながら、世界のトップランナーが北の大地の冷涼な空気を切って疾駆する様を思い浮かべてみます。確かに東京に比べれば夏は涼しい。選手もずいぶん走りやすかろうとは思いました。

 もっとも実際には既に十月も下旬、もう、上着を着ていても寒いくらいで、あちこちで、初雪の前触れともいわれる雪虫も盛んに飛んでいました。

 寒いのも道理、考えてみれば札幌は一九七二年に「冬季五輪」を開催したところです。今回の一件とは、つまり、「夏季五輪」の競技が「冬季五輪」の地に移動するという話。

 かつてどこかで見た、ある種の列島地図を思い出しました。確か果樹の…。

 後で調べてみて、多分これだと思ったのは、十年以上前に農研機構がまとめた、リンゴとウンシュウミカンの「栽培適地移動予測」でした。

◆リンゴ産地→ミカン産地?

 赤で示されたリンゴの栽培適地(年平均気温が七~一三度)の分布地域は、当時と二〇六〇年代の予測を比べると、かなり北へと移動します。九州など西日本にも大きく広がる現在の適地の赤はすっかり消えうせ、長野県中部辺りが南限に。逆にウンシュウミカンの適地(同一五~一八度)は西日本の太平洋岸など限られたエリアから、ぐんと北へと広がり、新潟や東北にまで及んでいます。

 予測当時から十年以上たち、どこまで進んだのかは分かりませんが、じりじりと移動は続いているでしょう。この五月には、現在の北限より北の福島県で露地ミカンの試作が始まったことなどを、日本農業新聞が「かんきつ産地 北へ」と題した記事で伝えていました。リンゴ農家がミカン農家に変わる-。どこかの時点で、そんなことも起きるのかもしれません。ちょうど、夏季五輪の競技が冬季五輪の地で行われるみたいに。

 移動と言えば、サンマのことも思い浮かびます。今秋ほど、サンマが話柄になった秋はありますまい。「食べた」という者あらば、羨望(せんぼう)とも猜疑(さいぎ)ともつかぬ「え、生ですか?」という反応があったりして、まあ、まるで高級魚の扱いです。

 ご案内の通り、サンマは記録的な不漁なのです。例年の漁場でのあまりの不調に、遠い海域にまで船を出した漁船が転覆、八人の死者・行方不明者が出るという痛ましい事故も起きました。

 北海道東方沖の海水温の上昇でサンマの漁場が移動したことも要因では、といわれています。それだけでなく、マラソン会場の移動も、果樹の適地の移動も、背景にあるのは、やはり例の地球温暖化。甚大な被害をもたらした15号や19号など、昨今の台風の強大化もしかりです。

 わが国の、ほんの最近のことだけでも、かように温暖化の深刻化を示す事態が起きているのです。これは、もう自然のサインなどという言い方では控えめすぎる。警告そのもの、でしょう。

 響いてくるのは、これも最近、国連の気候行動サミットで世界中の大人をしかりつけたスウェーデンの少女グレタさんの声です。「あなた方は、私たちの声を聞いている、緊急性は理解している、と言います。しかし、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに行動を起こしていないのなら、あなた方は邪悪そのものです」

◆少女と王女の抗議

 なぜ警告を信じ、行動しないのかといらだつ彼女に、いささか突飛(とっぴ)ですが、ギリシャ神話に登場するトロイアの王女カッサンドラが重なりました。予言の力を与えられたのに、誰にも信じられないよう呪いをかけられた予言者-。

 あの「木馬」が破滅につながると予言し、罠(わな)だと抗議した王女に誰も耳を貸さなかったトロイアはその後、どうなったか…。私たちはグレタさんをカッサンドラにするわけにはいきません。


環境を破壊するオリンピックは中止を!
そのぐらいの「決意」がいま求められている。

グレタ・トゥンベリ9/23 @国連 気候行動サミット 2019 

コメント

なぜ生活保護は助けない?所持金600円の母子家庭を追い返し、不正受給4万4,466件の闇

2019年10月26日 | 社会・経済

  MONEY VOICE  2019年9月19日

   18日、40歳無職の男がネットカフェに火をつけて逮捕された。「職や住居を転々とする生活に疲れ、人を刺すか火をつけるか考えた」と語っている。ここまで堕ちながら、なぜ生活保護を受けないのか?という疑問が湧く。しかし、生活保護は彼らを助ける仕組みにはなっていない。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。

なぜ救えぬ?今日さえ生き抜けないシングルマザーを追い返す窓口

「職や住居を転々とする生活に疲れた」

2019年9月18日。東京都新宿区新宿3丁目にある『マンボー新宿靖国通り店』で、40代の無職の男がトイレットペーパーや雑誌に火をつけて放火し、その後、近くの交番に出頭して逮捕されている。

「職や住居を転々とする生活に疲れ、人を刺すか火をつけるか考えたが、火をつける方が簡単だと思った」

男はそのように語っている。彼もまた住所を失って、転々としているネットカフェ難民だった。住所を喪失し、あちこちを転々としながら綱渡りのように生活する生き方には限界がある。

なぜ火をつける前に生活保護でも何でも助けを求めない?

日雇いやフリーターや非正規雇用は、その日その日の賃金は得られるかもしれないが、生活は不安定で貯金もできない。いったん歯車が狂うと、カネも住むところもない中で路頭に迷う。

若いうちは耐えられていた「その日暮らし」は、歳を取れば取るほど体力的にも精神的にもキツいものになっていく。彼も、精神的に疲弊し、自暴自棄に陥って判断能力を失っていったというのは、その行動でうかがい知れる。

「そんなに苦しければ、火をつける前に生活保護でも申請すればいいではないか」と考える人もいる。それは、まさに最優先で検討すべき自己救済である。

しかし、生活保護を申請しても、そこでまた茨の道が待っている。

生活保護は申請しても、絶対に受理されるとは限らないのである。

今日さえ生き抜けないシングルマザーを追い返す申請窓口

所持金600円になって、すがる思いで生活保護を申請に行ったが、すげなく追い返されたケースが2012年に京都府舞鶴市であった。33歳の彼女は子供3人を抱えたシングルマザーで、しかも4人目を妊娠中だった。

光熱費や家賃も滞納し、冷蔵庫も洗濯機もなかった。明日どころか今日を生き抜くのも危機にある中で、追い返されてしまっているのだ。

女性は3人の子供の父親とは離婚して別の男性の子供を妊娠したが、その男性とも連絡が取れなくなっていた。しかし、担当職員は「胎児の父親の連絡先が必要」と強硬に言い張った。

彼女ばかりか子供の生命にすらも関わるようなこのようなケースは、迅速に処理されなければならないはずだ。この事例はレア・ケースではなく、生活保護申請の多くの窓口で日常的に起きていることでもある。

「生活保護はどうしても嫌だ」の理由

「申請に行っても厳しい対応をされる」という事実は広く行き渡ったので、もはや路頭に迷う寸前の人でも、「申請しても受理できない」「どうせ断られる」というあきらめが最初にあって申請しないことも多い。

また、中には「生活保護はどうしても嫌だ」という人もいる。私は以前、歌舞伎町のネットカフェに寝泊まりしながら場末の激安デリヘルに勤める20代の女性にインタビューしたことがあるが、彼女もそうだった。

彼女は太っていて外観をあまりうまく飾れない女性だったので、場末のデリヘルに所属していてもほとんど収入にならなかった。そのため、明日にでも生活が破綻してもおかしくないような状態にあった。

どうしても駄目なら生活保護を申請してみてはどうかと言うと、彼女は「一度、相談したことがあるがやめた」と答えた。理由を聞くと、このように答えた。

「生活保護を受けようと思ったら、最初に親や親戚に援助してもらえないか連絡をするって言われた。親や親戚なんかに連絡してもらいたくない。だからやめた」

場末の激安デリヘルに勤めている女性の中には、親と反目に近いほど険悪な関係になっていることが多い。自分の境遇を知られるとか、親に援助の連絡がいくとか、そういうことをされるのなら「死んだ方がマシ」と思う人もいる。

生活保護は、誰でも受け入れられるものではなかったのだ。

「経済的弱者は努力が足りない」は間違った批判だ

日本で経済的弱者が急増している。弱肉強食の資本主義が生み出す格差社会の中で経済環境が悪化し続けているのだから、蹴落とされてしまう人たちが増えているのは避けることができない。

2019年10月1日からは消費税が8%から10%になるのだが、経済苦境にある人々はますます窮地に陥っていく。当然、生きることすらもままならなくなる生活破綻者も増えていく。

特に、貯金も何も持たない高齢者が危機に直面する可能性が高い。そして、その次にシングルマザーの家庭も追い込まれてしまうだろう。

こういった人たちを追い込ませないで、きちんと保護するための制度が「生活保護」である。

生活保護を受けるような人間は努力が足りないと批判する人も多いが、これは明らかに間違いだ。どんなに努力しても、運もなく、環境にも恵まれず、体力や障害や病気や年齢に阻まれて、一定期間、這い上がるのが難しくて絶望に沈む人たちはいる。弱い立場に追い込まれ、餓死寸前にまで追い込まれ、一刻も早く救済しなければならない人たちも少なからずいる。

にも関わらず、一番保護されなければならない本当の弱者が保護されないことが、しばしばある。

いったいなぜ、このようなことになっているのか。

「不正受給」が真面目な日本人を激怒させている

日本人は他人に対して冷徹な民族ではない。本来は弱者をきちんと守ってあげたいと考える民族だ。団結力も強く、困っている人に対する配慮や気遣いは世界でもトップレベルにある。

それなのに、なぜ日本人は生活保護を受けようとする人たちを批判する風潮になっているのか。

それは、「一部の悪人」が生活保護を不正受給して、弱者の最も大切なセーフティーネットを食い物にしているという事実が次から次へと明らかになっているからだ。

働けるのに、わざと働かないで生活保護を不正受給する悪人もいる。本当は仕事をしているのに、仕事をしていないように見せかけて生活保護を不正受給する悪人もいる。

マンションを買うような金があったり、ベンツを買うような金があったりするのに、生活保護を不正受給する悪人もいる。本来は生活保護をもらう立場にない人間が、生活保護を受けながら、のうのうと遊んで暮らしている。

こうした不正が真面目な日本人を激怒させている。

不正受給は4万4,466

良心を持った多くの日本人が、生活保護を申請する人たちに苦々しい思いを持つようになったのは、まさにこのような生活保護を不正受給する詐欺師のような人間が山ほどいるからだ。

厚生労働省は2018年に「2015年度の生活保護費の不正受給数が4万4,466件となり、過去最多を更新した」と発表したことがあった。不正受給の合計額は167億円。不正によって、莫大な税金がむしり取られているのだ。

不正受給が犯罪だとすると、生活保護費の不正受給だけで4万4,466件の犯罪が起きていたということになる。詐欺師がうごめき、生活保護そのものが胡散臭い制度になってしまっている。

この詐取される受給費は私たちの税金である。これでは、普通に税金を納めている人が激怒しても当然だ。

このような不正受給する人間が増えれば増えるほど、生活保護は単に詐欺師を養うためのシステムのように見られる。そして、本当に生活保護を必要とする人たちの手に保護が行き渡らなくなる。

不正受給者を排除する仕組みが必要

生活保護申請が拒絶されたり、批判されたり、不必要なまでに厳しい監視下に置かれたり、減額されたりする大きな理由は、社会システムを詐取しようとする不正受給者が山ほど存在するからでもある。

このままでは、一部の悪人によって生活保護というシステム全体が機能しなくなるようなこともあり得る。

本当に必要としている弱者を守るためにも、生活保護を悪用して不正受給する詐欺師を何とかして排除していく仕組みが必要だ。不正が入り込まないような仕組みを作らなければならない。

収入がきちんと管理できるような仕組みにすることも重要だし、申請者に対するきめ細かいヒアリングも必要になる。このまま放置していると、いずれにしても生活保護無用論のような極論まで出てきてしまう。

まずは不正受給者を徹底排除し、生活保護が本当の意味で弱者の保護になるようにしないと、日本の底辺は大変なことになってしまう。

 


 

    しかし、監視社会を導くようなをことにならないよう注意が必要だ。

いつ、だれの身に「自然災害」が押し寄せてくるかもしれないご時世である。一晩で棲む家をなくしたり、家族を失ったりする可能性も大きい。昨日も書いたが働き盛りの子育て世代がリストラされたらどうなるのか?

最低限のセーフテイーネットを築いておかなければ…

ヤマブドウ

5㎏採れた。

 「ヤマブドウ自然食品研究会」より

 ヤマブドウの成分には、ヒスタミン遊離抑制という機能性があります。花粉症は、抗原の刺激でアレルギー反応がはじまると、免疫系の細胞(肥満細胞)からヒスタミンをはじめとする化学伝達物質が放出されます。そして、ヒスタミンはある種の神経受容体(H1受容体)と結合し、その刺激によりさまざまなアレルギー症状が誘発されるのです。
 ヤマブドウには、このヒスタミンの受容体を遮断する機能があり、遊離を抑制する作用があります。

 少しずつの努力の積み重ねが、病気にならない、老化しない体を作ることができます。AGEを減らすことで、老化予防だけでなく、がんや認知症予防にもなります。
 糖尿病の方は、特にAGEがたまりやすく、老化も通常より10年早く進みますので、AGEを減らすことで、合併症予防にもなります。

  日本人の食生活で、白米が普及するようになったのは、江戸時代後期からですが、白米が普及するようになって「脚気」の病気が蔓延したことは有名ですが、農耕が始まって伝統的な日本食といえば、玄米です。
 玄米には、タンパク質、糖質、食物繊維、ビタミン、ミネラル、カルシウムを豊富に含み、特に胚芽部分には、ビタミンB1、B2、B3、パントテン酸、葉酸などのビタミンB軍が多く含まれます。

  食事制限することでストレスがたまれば、結局同じだとも考えてしまいます。
好きなものをいっぱい食べたい、そんなときには、山葡萄を想いだしてください。山葡萄は、AGE生成を抑制するだけでなく、他にも豊富なミネラル・ビタミンが含まれています。

 少し長くなりますが、山葡萄の成分について簡単にここでご説明します。

 ●酒石酸・・便秘予防、大腸がん抑制、整腸作用、免疫力向上

  腸内で悪玉菌の増殖を抑制し、ビフィズス菌などの善玉菌を増やして、腸内を健康に保ちます。

 ●リンゴ酸・・疲労回復、体内浄化作用、抗酸化・抗アレルギー・抗炎症・抗菌作用

  体の疲労の原因物質である乳酸の分解を促進するため、疲労回復効果や腸の働きを活発にしたり、体内の浄化作用があります。

 ●カテキン・・高脂血症(脂質異常症)、コレステロール抑制、花粉症、抗ガン、痴呆症、歯周病、糖尿病、高血圧予防、殺菌作用、二日酔い予防

  体内の毒素を消したり、細胞や遺伝子の損傷を防いだり、老化抑制、血圧上昇抑制作用、血中コレステロール調節作用、脂肪燃焼による体脂肪低減でのダイエット効果があります。脳の神経細胞を保護する働きがあり、脳の萎縮を抑制してくれます。

 ●クエン酸・・疲労回復、血流改善、ミネラル吸収促進、美肌効果、痛風予防

  運動後やストレスなどで蓄積されていく疲労物質である乳酸を分解して排出する作用があります。血液をサラサラにして血流を改善する効果があり、新陳代謝が促進され、疲労回復に効果があります。クエン酸には、ミネラルの吸収を促進するキレート作用があり、美肌効果をはじめとしたアンチエイジング効果やガン予防、尿酸値を下げる効果から痛風予防に効果があります。

 ●葉酸・・胎児の先天性奇形の予防や心臓病、子宮頸ガン、貧血予防

  葉酸は細胞分裂とDNAの合成に関わり、細胞分裂のキーとなる核酸やチミンの合成に補酵素として働きます。そのため葉酸は新陳代謝や細胞分裂が活発な組織で必要になるビタミンです。爆発的な細胞分裂をして急激に成長していく胎児や消化器官の粘膜、赤血球の製造などで葉酸は必要になります。

 ●鉄分・・貧血防止、動悸・息切れ、めまい、血色不良、疲労回復

  「血のミネラル」とも呼ばれ、健康な血液にし、疲労を回復させ、全身を元気にします。

 ●メラトニン・・ストレス解消効果、強力な抗酸化・抗老化作用、脳の老化防止効果

  メラトニンは、睡眠ホルモンとも呼ばれ、脳の松果体から分泌され、脈拍、体温、血圧を低下させて睡眠と覚醒のリズムを調整し、自然な眠りを誘う作用があります。睡眠を促し、体内時計をリセットする働きのあるメラトニンは、非常に強力な抗酸化・抗老化作用があり、アンチエイジングの薬としてひろく用いられています。腫瘍増殖抑制、血管新生抑制、DNA修復作用など多彩な抗腫瘍効果や免疫賦活作用、血中脂質改善作用や抗がん剤の毒性を減少させ、抗がん剤治療による治療成績の向上にも役立てられています。

 ●ペクチン・・下痢、便秘予防、大腸がん抑制、胃潰瘍予防、血糖・血圧を正常にする

 コレステロールの吸収を抑え、血液中のコレステロールを低下させる働きがあります。腸内の環境を正常に保つ作用もあることから下痢や便秘の予防効果も発揮します。鉛や水銀といった毒性の貴金属の排泄や放射性物質の排泄促進を促す効果があります。

 ●アントシアニン・・視力回復、眼精疲労、抗血栓、ドライアイ、動脈硬化予防

  アントシアニンは、網膜にあるロドプシンという物質の再合成を助け、クリアな視界を保って、眼精疲労を回復させます。

 ●カリウム・・高血圧予防、ストレス軽減効果、糖尿病予防効果

  人体に必須の成分。細胞の浸透圧を維持するという生命の基本的な働きをします。高血圧の原因であるナトリウムの排泄を促し、血圧を正常に保つ作用があり、腎臓で老廃物を排泄させたり、筋肉の収縮を滑らかにする作用があります。気持ちをリラックスさせたり、糖尿病予防の効果もあります。カリウムが不足すると、高血圧、不整脈、心不全などの原因になります。お酒や甘味類などはカリウムを減少させる原因になりますので、お酒を良く飲む人や甘いものが好きな人は、カリウム摂取を怠り無くしてください。

 ●ビタミンB6・・女性は月経前の排卵期になると血中ビタミンB6濃度が著しく低下することから、イライラや吐き気、頭痛やだるさなどの原因になります。ビタミンB6は、女性には必須の成分です。

 山葡萄は、普通の葡萄よりリンゴ酸が5.5倍、ビタミンB6が3倍、鉄分が5倍、カルシウムが4倍、そしてポリフェノールが9倍も含まれております。他にも多くのビタミンやミネラルが豊富に含むことで、現代人には欠かせない美容成分や健康成分が凝縮されていることから、毎日少しずつでもいいから摂取することをオススメします。

  山葡萄は、その希少性から少々値段的には高いと感じるかもしれませんが、AGEをためないための努力を今日から始めましょう!! ヤマブドウの成分には、抗アレルギー作用と抗炎症作用とで花粉症によるアレルギー症状や炎症を抑えてくれる機能がありますので、花粉症でお悩みの方、一度是非お試しあれ!



コメント

40代のリストラ加速

2019年10月25日 | 社会・経済

 復旧がまだ進まない中での雷を伴った非常に激しい大雨が、千葉県や東北地方太平洋側に降り注いでいるようです。再び土砂災害や洪水の危険度が高まっているようですので、当該地域にお住まいの方は厳重に警戒をなさってください。


40代のリストラ加速。人手不足は大嘘で、超低賃金の単純労働者だけを求める日本社会=今市太郎

 MONEY  VOICE 2019年10月15

 40歳からの早期退職が猛烈に加速するご時世を見ていますと、労働力不足は大ウソで、実際には低賃金で長時間働いてくれる人材や建設関係の労働力、介護にかかわる労働力などが圧倒的に不足しているだけであることがわかります。(『今市太郎の戦略的FX投資』今市太郎)

ほかの会社では通用しない。サラリーマンの「一生働く」は困難に

労働市場に嵐が吹き荒れる

大型台風の通過、皆さまの周辺には大きな被害がありませんでしたでしょうか?

昔から台風の被害というものはそれなりに発生する国であったわけですが、世界の気候が大きく変動してこれだけ次から次へと巨大台風が通過して甚大な被害がもたらされる時代が到来するとは夢にも思いませんでした。

しかし、この国の労働市場と労働環境のほうも巨大台風以上に夢にも思わない状況が到来しているようで、この国に暮らしていく我々はここからの人生にこれまでにないような覚悟をもって臨む必要がでてきているようです。

台風一過に読んで楽しいメルマガにはなっていませんが、今回は国内の労働市場の激変についてお送りしてみたいと思います。

とうとう40歳からのリストラも登場

国内企業はこれまで昭和、平成はなんとか終身雇用を維持することができたことから、潜在的に500万人はいるのでは?とされてきた大手企業を中心とした社内失業者たち。

それがいよいよ外部に放逐される時代がやってきたようで、有能な人材以外は会社に残れない時代が鮮明になりつつあります。

東京商工リサーチが大規模な早期退職者募集を行う企業の状況を発表していますが、2019年の上場企業の早期退職や希望退職の対象が9月末時点で既に27社・計1万342人を超えたことを発表しています。

年間1万人を超えたのは6年ぶりということで、リーマン・ショック後の2010年を超える状況となっているようです。

また1,000人規模の早期退職募集を行う企業は今年上半期だけでも3社あり、つい最近ではセブン&アイ・ホールディングスが3,000人規模のリストラを発表しており、雇用情勢はかなり悪化していることがわかります。

いわゆる肩たたきによる退職というものは想像以上に進んでいることを、あらためて実感させられます。

景気の悪い企業では人員削減やむなしという見方も強いわけですが、本邦企業の内部留保額が日本のGDPと同額もしくはそれを上回るほどになっている状況下で、高収益企業でも人員削減が断行されようとしているのは、正直驚き以外の何物でもない状況です。

これまでバブル入社組で過剰に雇用してしまった45歳以上が一斉に人員削減の対象として狙われてきている話は、当メルマガでも何回かご紹介しています。

足元では、とうとう40歳から早期退職のターゲットになりはじめているようで、日本の企業はすでに新卒から20年会社にはいられないところになってきていることがわかります。

すでに雇用した人材を再教育したり配置転換して新たに戦略的に業務につかせることができない企業が続出していることを示唆する状況といえるのでしょう。

これまで企業のリストラや早期退職というのは、それぞれ個別に様々な事情を抱えていたことから一括りのトレンドとして語ることはできなかったわけですが、どうも現実はそうではなくなっている点に非常に危機感を感じます。

企業に足りないケイパビリティは、ジョブローテーションでは補えない時代

これまでの時代はITなどで大きく企業が変化するということになっても、企業内で新たな能力をもった人材を育てるということが多くみられてきました。

しかし、足元の中途採用は、社内に存在しないケイパビリティを補うことが中心になっており、一般企業におけるきわめてコモディティ化している人材のほかの企業への労働移動がかなり難しいことが目立ちはじめています。

たとえば自動車業界であれば、既存の自動車の設計生産の知見をもつ者よりも、IoTやAIといったまったく業界内に存在しなかったようなケイパビリティが求められるわけですから、既存の業界経験というものがほとんど有効に機能しないという現実があるわけです。

またM&Aの加速により同業社に買収されるリスクも非常に高くなってきていますから、これまでのように自社内では際立った知見の存在でも、買収先では必ずしもそうではなくなるという評価激変の可能性が高まりつつあります。

大手企業の40歳からの早期退職などが顕在化するのはこうした企業の環境変化の現れであり、これからはサラリーマンが一生働き続けることがきわめて難しい時代になってきていることを痛感させられます。

これまで正規か非正規かという問題は労働市場でも大きな議論の対象となってきましたが、どうやら問題はそういうレベルではなくなっているようです。

つまり。正規雇用に入ったから一生安心ということは、全くなくなってしまったようです。

私は過去にビジネスコンサルタントをしていた経験から、昨今、クライアントだった方からも転職について相談を受けたり、職務記述書の書き方のアドバイスなどを求められることが多くなっている状況です。

実は、自分のやってきたことを紙にまとめてみますと、本当に特定企業の社内だけで通用することに時間をかけてきた人が多く、転職の難しさというものを感じる次第です。

65才以上でも働きたいと願う国民が多いという、安倍首相の大嘘

安倍首相は「国内の8割が65才を超えて働きたいと願っている」などと、かなり事実を歪めた所信表明演説をしています。

実際の継続労働意向の理由は経済上の理由が6割近くをあげており、決して働きたいから働こうとしているわけではないことが見えてきます。

しかも高齢者が働く場所というのは非常に限られており、仮に労働意欲があったとしても、その意欲に見合う対価が得られ、しかもこれまでの知見が活かせる職業を見つけることは、足元の40代の危機をみても絶望的な状況であることがわかります。

年金受給を遅らせたいがために発言していることはもはや明白ですが、実際の国民は一体ここからどうやって生き延びていくことを考えたらいいのか、途方に暮れる状況です。

結局、低賃金長時間労働力が欠如しているだけで、マクロでの人手不足は大嘘

巷では労働力不足が叫ばれています。

しかし、すでに40歳からの早期退職が猛烈に加速するご時世を見ていますと、人手不足がかなりウソであり、実際には低賃金で長時間、大した保険にも加入しないなかで働いてくれるような人材や、建設関係の労働力、介護にかかわる労働力などが圧倒的に不足しているだけであることがわかります。

そして、サラリーマン経験しかないようなごく一般の人たちが社会に出て働き、それなりの報酬を安定的に確保できる状況はまったく実現できていないことを痛感させられます。

こうした雇用の深刻度については、当時者として直面されている方がもっとも強く感じていることと思いますが、人によってはもはや絶望的な気分になっている方も多いのではないでしょうか。

巷では業務委託契約のUber Eatsが国内でも登場していますが、ややもすれば高齢者が背負子(しょいこ)に店屋物を届ける時代がもうほんのすぐそこまでやってきているようで、Uber Eatsではなく老婆イーツだったなどというシャレにならない光景を目にするのも時間の問題のようです。

そのくらい年金を受給できない高齢者が働く場所というのは見当たらない状況で、やがてコンビニも70才以上のアルバイト従業員が店頭を支えるようになるのも夢ではなさそうです。

FXを事業として成立させる方法はあるのか

このメルマガは社会の歪みを訴えるのが目的ではありませんので、あくまでFXという領域で何か収入の手助けになることができないかと考え始めています。

別にサロンを始めようとも思いませんし、具体的な売買法をシグナルにして配信しようとも思っているわけではありませんが、なんとか食べていかれるようにするにはどうしたらいいのかについては積極的な材料にすべきだと思い始めています。

今のところはサラリーマンの副業的な存在で利益を獲得されることを目指す方でも、将来的にはこれだけで食べていかれないかを真剣に考える方が今後ますます増えていくのではないかと思います。

さすがに億トレーダー養成講座とはいかないと思いますが、サラリーマンと同等もしくはそれよりも多少収入が増えるような取引の考え方といったものについても、これからは積極的に話題としてご提供していきたいと思っております。


 政府は70,75まで働け言いますが実際はそんな受け皿はないようです。消費税のアップによる不景気で大手企業は内部留保には手を付けず、さらに増加させるため、リストラ、賃下げ、非正規化を一層進めて来るでしょう。

 40代の子育て世代のリストラは、なんとしても喰い止めなければ、「社会」が機能しなくなります。

安倍を降ろすしかないでしょう。

1週間ぶりに江部乙へ

 少しづつ身体を動かそうと今日から出かけました。筋肉はある程度使った方がいいようだし。
 すっかり秋のたたずまい。




コメント

雨宮処凛がゆく! 第500回:なぜ、透析は再開されず、彼女は死んだのか? 〜福生病院透析中止事件〜

2019年10月24日 | 健康・病気

今日2本目の記事になります。前記事もぜひ読んでください。

マガジン9 2019年10月23日  https://maga9.jp/191023-3/

 「とうたすかかか」

 この言葉は、人工透析を中止した女性が夫に送ったメールだ。「とう(父)、たすけて」と打とうとして「たすかかか」となったらしい。メールが打たれたのは2018年8月16日午前7時50分。この約9時間後、女性は死亡している。

 死亡した44歳の女性・Aさんは5年ほど前から人工透析をしていたという。が、死の数日前、福生病院の医者から「透析をやめる選択肢もある」ことを告げられる。女性は透析をやめたものの、亡くなる2日前、苦しくなって入院。「こんなに苦しいなら透析した方がいい、撤回する」と意思表示をしたが、それが聞き入れられることなく死亡した。

 19年3月、このことが報道されて以来、ずっと気になっていた。日が経つにつれ、福生病院の透析中止にまつわる報道は増えていった。彼女のように透析を中止して亡くなった患者が他にもいること、また、最初から透析をしない「非導入」で亡くなった患者が20人いることも報道された。しかし、議論は常に錯綜していた。ただでさえつらい透析治療をしている患者に「透析をやめる」=「死という選択もある」と提案すること自体があり得ない、という意見もあれば、おなじみの「透析には莫大な金がかかっている」というような意見もあった。

 事件が報じられてすぐ、このことについて「問題があるのでは」とある原稿に書いたところ、元透析医から投書が来たこともあった。内容は、末期腎不全の患者が透析を始めて「こんなつらいことは嫌だ」となるケースもあること、また透析患者には様々な生活の制限があるものの、「透析すればいい」とやりたい放題の生活をして緊急搬送されるようなこともあることなどを理由に今回のケースをおおむね妥当とするような内容だったと記憶している。

 が、私の知り合いの医師の中には「あのケースを末期とすること自体、絶対におかしい」と批判する人もいて、医療についての知識がない私はずっともやもやしていた。

 だけど、医療の知識がなくても、誰だって病気になる。医者にはかかる。このケースの背景には、患者と家族、そして医師の間に重大な齟齬が潜んでいる気がして、それはとても人ごとには思えなかった。そんなことを考えていた頃、Aさんの夫と次男が病院を提訴することを知った。10月17日、提訴に合わせて開催された「公立福生病院透析中止事件 提訴報告集会」に参加した。

 「妻が息苦しさから公立福生病院に入院した時、私は亡くなるとは思っていませんでした。入院すれば助けてくれると思っていました。死に方が不自然で腑に落ちません。私が付き添っていた8月14日と15日は何も治療されず、透析離脱を撤回したいと言ったのに聞いてもらえませんでした。本人が苦しんでいるのに治療する気配もなかったのは何故か? 見殺しにされたのではないか? それを知りたいと思い裁判を起こすことを決心しました」

 集会の冒頭、原告である夫のメッセージが代読された。

 ここで、集会で配布された資料をもとに経緯を少し詳しく振り返りたい。

 Aさんが5年ほど前から人工透析を受けていたのは前述した通りだが、8月9日、シャント(針を入れる分路)が閉塞して透析ができなくなったため、普段透析をしていた診療所に福生病院を紹介される。

 そうして訪れた福生病院でAさんは、首にカテーテルを入れて透析を受ける治療法があることとともに、透析そのものをやめる選択肢を提示される。その際、医師は、血液透析は治療ではなく、死期を遠ざけているに過ぎないこと、今後も透析をして延命するのであれば新規アクセスの造設を行うが、透析の継続を望まないのであれば手術は行う必要はなく、その場合、2〜3週間程度の寿命となる、と述べたという。

 Aさんはそれを受け、透析離脱証明書に署名。が、その後、体調は悪化。署名した5日後の14日には福生病院に入院した。この時点で既に「撤回する(できる)ならしたい」と述べ、家族も「本人が苦しいから治療(テシオカテーテル)をやって楽にしてほしい」と訴えている。が、対応されない。

 16日、Aさんは「こんなに苦しいなら透析した方がいい、撤回する」と明確に撤回の意思を告げている。が、医師は長男と次男に対し「意識が混濁している状態ではなく、意識が清明であったときの本人の意思を尊重する」と述べたという。

 この時、予期せぬトラブルが発生していた。夫が胃潰瘍に倒れ、同じ福生病院の救急病棟で緊急手術となったのだ。Aさんに対して「除痛を始める」と告げに来た医師に、夫は「つらいのがとれてまた透析したいと言ったらお願いします」と言ったという。医師はそれに対して、「つらい時は誰でもみんななんでもやりますと言うのが当然です。まずは正常な判断ができるように除痛して、あとは本人と私たちに委ねてください」と言ったそうだ。

 そうして鎮静が開始され、その約5時間後、女性は死亡。

 手術中、私物を病院に預けていた夫は、その翌日に荷物を返してもらい、前日未明から何度もAさんからメッセージが入っていたことに気がついた。「とうたすかかか」というメッセージを見た時、涙が止まらなかったという。

 さて、ここまで読んで、どう思っただろう。「でも、末期だったんでしょ?」「自分でやめるってサインしたんでしょ?」「もうどうにもならないほど病気が悪化してたなら仕方ないのでは?」という意見があるかもしれない。

 が、集会では、多くの問題点が指摘された。

 まずは、透析治療中の患者に「やめる」=「死の提示」がなされたこと。ただでさえつらい透析治療である。落ち込むこともあれば、絶望にとらわれることもあるだろう。が、死に直結する「中止という選択」が提示されたことは、果たして適正だったのか?

 また、離脱証明書に本人は署名しているわけだが、この際、どれほどの苦しみになるかなどの説明はなされていないという。それだけではなく、のちに撤回できるかどうかについても何の説明もない。入院した日、Aさんは「撤回するならしたい」と言っているが、それに続けて「でも無理なのもわかっている」と言っている。この言葉が示すのは、「一度サインしてしまったら絶対に撤回できない」と思い込んでいた可能性があるということだ。

 さて、では夫はなぜ妻の「透析離脱」を止めなかったかという疑問も出てくるが、夫としては「苦しくなったらまた再開するだろう」という思いがあったそうだ。なぜなら、透析を始めたばかりの頃、病院とのトラブルで一ヶ月近く透析に行かなかったことがあったのだ。結局、体調が悪化して透析に行ったという経緯があったことから、今回もそうするだろうと思っていたのである。

 また、医師の説明も、命がかかっていることとは思えないものだったそうだ。夫のメッセージには以下のようにある。

 「今回、先生から『首からカテーテルを入れて透析続けますか、透析をやめますか』と言われて、妻は『やめることもできる』と気づいたのだと思います。私が診察室に呼ばれた時、先生は2つの選択肢を軽い感じで説明しました。妻が『透析やめます』と言ったあと、先生はゆっくり話し合うこともせず、『続けた方がいい』とも言わず、病院で準備された『透析離脱証明書』が出され、それに妻がサインしました。『在宅でお看取りです』と言われたのですが、その時は意味がよくわかりませんでした」

 このやりとりを想像すると、背筋がスッと冷たくなる。「透析やめる選択もあるよ(死ぬけど)」→「やめます」→「在宅でお看取りです」って、なんかものすごく大切な部分を何段階もすっ飛ばしてないか? 夫が「意味がよくわかりませんでした」というのも納得だ。

 そうして透析を中止して5日後の14日、Aさんは入院するわけだが、透析は再開されない。入院当日にも「撤回するならしたい」、そして亡くなる日の朝にも「撤回する」と明確に述べているにもかかわらず。意識が混濁しているから、意識が清明だったときの意思を尊重すると言われて再開されない。が、身体が楽な時に「やめたい」と言っても、苦しくなって「こんなに苦しいなら透析をする」という方が切実な訴えではないか。苦しみにのたうち回って「助けてくれ」と言っているのに、「意識がはっきりしている時の意思を尊重する」として放置されるなんて悪夢である。

 夫も、医師に「また透析したいと言ったらお願いします」と言っている。が、先に書いたように「つらい時は誰でもみんななんでもやりますと言うのが当然です。まずは正常な判断ができるように除痛して、あとは本人と私たちに委ねてください」という答え。が、場所は病院で、再開してほしいと家族が訴え、本人も撤回すると訴えているのだ。透析が再開されるだろうと思うのが当然である。しかし、再開されず、Aさんは激しく苦しみ、鎮静ののち死に至った。

 さて、「でも、末期だったんでしょ?」という人もいるかもしれない。実際、福生病院腎センターの医師らは「透析を必要とする腎不全の状態は終末期。無益な延命治療を受けない権利を患者に認めるべき」と主張しているという。しかし、この日の集会には、透析歴22年の男性も参加。

 男性は「末期というなら、私は22年間、末期なのか」とものすごく本質的な突っ込みをした。確かに「末期が22年間」とか聞いたことないし、なんなら「余命22年」も聞いたことがない。が、福生病院のように透析=末期とする考え方が一部であるようである。

 さて、ではAさんは治療不可能で、透析再開ができないほどの状態だったのか、という疑問も残る。が、この日の集会に参加していた緩和ケア医はAさんのカルテを見て、「どのタイミングでも透析できた」と断言。また、今回、福生病院に行くきっかけはシャントの閉塞だったが、もともと福生病院で首にカテーテルを入れる手術をするはずだったのである。透析歴22年の男性も、「人工血管、それでダメなら別の方法もある」と経験者ならではの発言をした。また、太ももからカテーテルを入れていればよかったとか、腹膜透析は? などなど、多くの専門家が口にする。

 医師の間では、「この人は治療できないほど状態が悪い人だった」として福生病院を問題視しない意見も多いそうだ。また、日本透析医学会は19年5月、福生病院を調査し、「中止の意思尊重は妥当」という見解を出している。この見解が出た時には驚いたが、「日本透析医学会」が「問題なし」としたことによって、報道は急速に下火になった気がする。

 しかし、本当に「問題なし」としてしまっていいのだろうか。

 透析歴22年間の男性は、日本透析医学会の声明にショックを受けたと述べ、これまで、医師や看護師や病院スタッフの誰一人からも「透析をやめる選択もあるよ」などと言われたことがないと言った。医師がすべきは、ただでさえ絶望し、落胆の中にいる患者に「透析しないで死ぬ方法もあるんだよ」と伝えることではなく、生活に制約はあるけれど、透析をしながら仕事をしたり旅行したり、人生をエンジョイしている人がたくさんいることを伝えることでは、と続けた。自身がそうやって励まされたのだという。

 それにしても、一度サインしてしまったら、どれほど苦しみにのたうちまわろうと、撤回したいと主張しようと治療が再開されないということは恐ろしいことである。そしてそれは、「事前指示書」やリビング・ウィルという形で今、医療の世界に広まっている。リビング・ウィルは「尊厳死の宣言書」などと言われ、「延命措置はしないで」という趣旨が書かれるわけだが、一旦サインしてしまったら、どんなに「治療を再開」してほしくても放置される可能性がある。訴訟になるかもしれないからだ。

 Aさんは、おそらく病院に行けば助かると思ったはずだ。もちろん、家族も。離脱証明書にサインはしているけれど、病院は命を救うところである。だから、治療は再開され、生きられると。しかし、苦痛の中、助けを求める声は「意識が混濁している」として正当な訴えととってもらえなかった。

 つらい透析を受けてまで生きたくない。人工呼吸器や胃ろうをつけてまで生きたくない。いろんな声があるはずだ。が、れいわ新選組の舩後議員は人工呼吸器も胃ろうもつけて国会議員をやっている。そんな舩後議員も人工呼吸器をつけることには限界まで抵抗している。胃ろうも嫌だったそうで、餓死寸前のところまで行っている。でも、つけたのだ。つけて今、国会を舞台に活躍しているのだ。元気な時とそうでない時、人の気持ちは変わる。変わっていくから人間なのだ。

 一方、高齢で助かる見込みもないのに全身チューブだらけで延命だけされるのは嫌だ、という気持ちも、もちろんわかる。が、私たちがイメージする「末期」「無駄な延命」と、病院側のそれが一致している保証はどこにもない。もしかしたら、私たちが「無駄な延命」と思う遥か手前で医療がストップされるかもしれないのだ。そして超高齢化社会がこれからどんどん深刻化する今、医療費削減は喫緊の課題とされていることも忘れてはならない。「財源不足」という現実に対しての回答が、安楽死・尊厳死の法制化だとしたら悪夢である。

 福生病院を訴えた裁判は、早ければ年内にも始まるという。

 命の選別が問われる今だからこそ、この裁判を見守っていきたい。

コメント

「即位の礼」の特徴と問題点

2019年10月24日 | 社会・経済

 歴史学者・神奈川大学名誉教授 中島三千男さん

「しんぶん赤旗」2019年10月23日【政治総合】2019焦点・論点 

「天孫降臨神話」の具現化が憲法原理にふさわしいのか

 今回の天皇の「即位の礼」の特徴や問題点について、歴史学者の中島三千男・神奈川大学名誉教授にききました。(聞き手 竹腰将弘)

 今回の「即位礼」の中心的儀式で、国事行為として行われる「即位礼正殿の儀」は、戦前の即位儀礼を定めた登極令(とうきょくれい、1909年・明治42年制定)の「即位礼当日紫宸殿(ししんでん)の儀」の名前を変えたものにすぎません。

 登極令で定められた即位礼は、即位を天照大神(アマテラスオオミカミ)やその他の神々に奉告(ほうこく=神に告げる)する「即位礼当日賢所(かしこどころ)大前の儀」や「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」と一体の、国家神道の教義である天皇制正統神話にもとづく儀式の一環です。

 この性格は、即位礼正殿の儀の中核的な装置である高御座(たかみくら)に象徴的に現れています。政府は、明仁天皇の即位の際と同じく大正、昭和両天皇が使った高御座を今回も使用します。

 高御座は、ニニギノミコトが高天原(たかまがはら)から日向高千穂の嶺に降臨する際、天照大神から三大神勅や三種の神器を授けられたときの神座を模したものとされています。

 まさに戦前の天皇の位置、主権者、神としての地位を象徴するものであり、その地位の源泉が天皇制正統神話、「天孫降臨神話」にあることを具現化したものです。

近代以前に行われていた天皇の即位儀礼は私たちが思い描く純神道式のそれとは大きく異なりました。長く行われてきた中国(唐)風や神仏習合的儀式が、明治に入り、国家神道の核心的教義である天皇制正統神話にもとづくものにとってかえられました。

 明治維新にはじまる日本の近代国家は、国民的統合を神権的天皇の押し出しによって成し遂げようとしました。そのために維新直後から神道中心主義をつくり上げ、一世一元制を定め、さらに後には、教育勅語を中心とする教育政策や国家神道体制の確立など、あらゆる機会をとらえて、神権的天皇像を浸透させようとしました。

 登極令によって近代に創られた「代替わり」儀式も、天皇制正統神話を目に見える形で国民と国際社会にむけてパフォーマンスするものでした。

 1945年の日本の敗戦で、明治以降につくられた主権者・統治権者としての神権的・絶対主義的天皇制と、それを支えた天皇制正統神話、国家神道は否定されました。日本国憲法は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条)と象徴天皇の存在理由を主権者である国民の総意に求め、戦前とははっきり異なることを示しました。

そうであるならば、国民主権のもとで最初であった「平成の代替わり」儀式は、戦前とは異なる形で行われるべきでした。

 しかし、現実には、戦前の登極令に規定された30余の儀式がほぼそのままの形で行われ、今回もその前例が踏襲されています。そこでは、宗教的性格が薄いと強弁できる五つの儀式は「国事行為」として行い、それ以外は「皇室行事」と位置付ける「読み替えのトリック」が使われています。

 完全な宗教的儀式である大嘗祭(だいじょうさい)をはじめ、本来なら内廷費から支出すべき皇室行事に「大礼関係の儀式」という概念をかぶせ、公費である宮廷費を使用することは、重大な政教分離原則違反です。

 天皇制正統神話と決別し、憲法原理にふさわしい即位儀礼なのかどうかということについての検証と議論がなされるべきです。

 春からの一連の代替わり儀式で、多くの報道がされています。

 しかし、儀式の内容は歴史的に変化してきており、現在の多くの儀式は近代以降に新しく創られたものです。その目的は神権的天皇像の創出にあり、そうしてつくられた天皇制国家が日本国民とアジア諸国民に大きな不幸をもたらしました。その国家体制は1945年に破滅し、その反省の上に国民主権や政教分離の原則をうたった現憲法ができました。こうした視点を欠く報道は、結果として戦前の天皇制正統神話を再び国民の間に垂れ流すことになっているのでは、との危惧を抱きます。

 なかじま・みちお 1944年生まれ。歴史学者。神奈川大学元学長。主な著書に『天皇の代替りと国民』(青木書店)、『天皇の「代替わり儀式」と憲法』(日本機関紙出版センター)

 


 快方に向かっていますが、まだ同じ姿勢でいることがつらく、横になっている時間が長いです。

この間、ずっといい天気に恵まれ、残っている作業にも手を付けられず、もどかしい気持ちで過ごしています。

コメント

仁藤夢乃×メヘルダード・オスコウイ「私たち人類はみな同じ痛みを持っている」

2019年10月23日 | 映画

 Imidas連載コラム 2019/10/23 

対談! 10代のあなたへ 第8回

 今回は、イランの少女更生施設を描いた話題のドキュメンタリー映画『少女は夜明けに夢をみる』(2019年11月2日より東京・岩波ホールほか全国で順次公開)を制作した映画監督メヘルダード・オスコウイ氏との対談が実現。日本から遠く離れた中東の国イランの更生施設で、罪に問われた少女たちはどんな気持ちで日々を過ごしているのか? その人生にはどんな悲劇があったのか? 公開に先立って作品を鑑賞し、「すごく感じるところがあった」という仁藤夢乃が、来日中のオスコウイ監督に話を聞いた。

「まさにそのものだな」と感じた

仁藤 私は先日、映画『少女は夜明けに夢をみる』を、女子高生サポートセンターColabo(コラボ)とつながる10代の女の子たちと一緒に観ました。今回お会いできて、とても嬉しいです。

オスコウイ 私も日本を訪れるにあたって仁藤さんのことを聞きました。この映画はイランの更生施設で暮らす少女たちのドキュメンタリーですが、実は3部作になっていて『It’s Always Late for Freedom』(2008年)、『The Last Days of Winter』(11年)という少年更生施設を追った2作に続く最新作なのです。なので、ぜひ前の2作品も観てもらいたい。恐らく興味をそそられると思いますよ。

仁藤 それはぜひ観たいです。その2作品も日本で一般公開されるといいですね。

オスコウイ イランには、例えば刑務所から出た少女たちの人生をサポートしたり、服役している女性の面倒を見たりする支援者がいて、NGOなどに所属して活動しています。そういった活動をされる方が日本にもいらっしゃることを聞いて、本当にお会いできてよかった。私がライフワークとしている映画制作の中で感じたことに、共感していただけると思います。

仁藤 私たちは「支援」というより、虐待や性暴力被害に遭うなどした10代の女の子たちと共に活動することを大切にしています。それでこの映画を観て最初に感じたのは、登場する少女たちの一人ひとりが、実際に私たちが関わっている日本の女の子たちと同じ背景や気持ちを抱えているということ。「まさにそのものだな」という思いでした。

オスコウイ この映画は既に世界の約40の映画祭で上映されて、大勢の人たちに観ていただきました。その中でさまざまな感想も聞いてきたのですが、ポーランド、カナダ、フランス、アメリカなどでも「私の国の少年院の子どもたちとま全く同じだ」「ただ、あなたの映画の中に出てくる女の子はスカーフを被っているだけ」という意見が多かったことに驚かされました。国は違えど、私たち人類は同じ痛みを持っているんです。

仁藤 世界共通で同じような痛みを負わされている子どもたちがいるのに、彼女たちへの支援は不十分で差別や暴力にさらされています。日本は昔から「家族は支え合うもの」という考えが根強く、今でも家族の再統合神話がまかり通っています。児童福祉や少年院の指導でも「虐待などを背景に行き場を無くし、非行に関わった子どもたちも、もう一度家族の中に戻せばうまくいくだろう」というように。そして「あなたは家族に大切にされている」「問題はあなたにあったのだ」という教育によって、自分を責めている子が日本には多いです。この映画のシーンにも、同じような訴えをした少女が出ていましたよね。

オスコウイ その通りです。彼女たちがなぜ更生施設に送られたのかを探っていくと、家族から逃げたかったという子が何人もいました。私自身も15歳の時、父の破産が原因で自殺しかけたことがあります。多くの少年非行の背後には家族の問題があって、全部が彼らのせいではない。だけど仕方なく社会の悪者になってしまった。そういったことも、この映画を観てもらえればお分かりになるでしょう。

仁藤 冒頭のシーンに出てくるハーテレちゃんが「夢は死ぬこと」と答えていましたが、私も女の子から同じことを言われることはよくあります。〈名なし〉のニックネームをもつシャガイエさんが、最初は監督の質問にすごくヘラヘラと笑って答えているんだけど、性虐待の話になると涙が止まらなくなったり……そういう表情の変化も私が日々接してる女の子たちと重なりました。

オスコウイ 仁藤さんのお話をうかがっていて、ちょっと聞いてみたいことがあります。私たちは、日本はとても裕福な国だと思っていました。そういう国では、性虐待されたり暴力を振るわれたりして、生きるために盗みや傷害などの犯罪に手を染めてしまうような子は少ないと考えていました。だけど日本へ来ていろいろ話を聞いてみると、こんな裕福な国にもいじめやDV、虐待があるみたいですね。なぜ日本のような社会でも、そうしたことが多く起きるのでしょうか?

仁藤 日本は10代の自殺がとても多い。世界的に見ても突出していて、若者の死因の第1位です。この問題の裏には、いじめや大人からの暴力を見過ごし、子どもには「あなたのせい」という自己責任論を押し付ける社会構造があると思うんです。日本ではこの映画のように、女の子が自分の性虐待被害や、世間から「非行」と言われるような行いをしたことをカメラに向かって話したら、放送後にネットなどでものすごくバッシングされるでしょう。家出をしたり、体を売ったり、薬物に手を出したりするのは「悪い子だから」と片付けられて、背景にある暴力や社会的な構造に目を向ける大人はあまりいません。そんな社会のゆがみが、イランや他の国の社会と同じように、子どもたちを追いつめているのではないでしょうか。

オスコウイ なるほど、スイスでもそんなことを聞きました。ところでソマイエという少女が映画の中に登場しますよね。実は更生施設の撮影許可を得るうえでいくつか制約があって、撮影終了後に入所者と接触することは許されませんでした。ところがある日、ソーシャルワーカーから電話があって「ソマイエが“メヘルダードおじさん”に助けを求めている」と言うのです。話を聞くと、ソマイエを含む3人の子が大学進学を希望しているので支援してほしいということでした。そこで資金を集めて彼女らを大学に入れました。ソマイエは今、大学2年生です。

仁藤 ソマイエは、家族で共謀して、暴力をふるう父親を殺した罪で収容された子ですね。「ここのみんなは同じような経験をしてる。お互いの痛みを理解し合ってるわ」っていう言葉が印象に残っています。

オスコウイ 私はこの映画を制作した後、制約を破った罪で裁判にかけられました。そうしたらソマイエが「自分が話をします」と言って、法廷で「この映画が作られたことによって私たちの人生が良い方向へ変わった」と証言してくれました。映画の上映会や講演会などでも「いつでも話をする」「何でも協力するよ」と言ってくれているのです。

一人だけでも助けられるなら

オスコウイ 興味本位で作られたドキュメンタリー番組などでは、こうした更生施設の子らはみな汚くて、悪い子で、とても社会復帰は無理というようなネガティブなところしか見せていないんですね。でも、それだと彼らは刑期を終えて施設を出ても社会から疎外され、薬物依存になるかストリートチルドレンになってのたれ死ぬしかない。政府もそうした闇には蓋をしたがります。だから私はその蓋を開けて、一人だけでも助けられるなら助けてあげたい、そういう気持ちがすごくあるんです。

仁藤 イランでも日本でも、社会の多くの人はこうした問題を見て見ぬふりしたいんですね。

オスコウイ この映画では子どもたちだけでなく、親たちも多くを学んだと思います。いつかわが子が同じようになるかもしれない。私はそうした悲劇を繰り返させないために、この映画を撮りました。ことが起きてしまった後では、私たちの映像はもう何の役にも立たないんです。だから、日本で今、自殺する子が多いという話を聞いて、何が彼女らを追い詰めているのか大人たちに考えてもらうきっかけになればありがたいですね。

仁藤 私たちが関わっている女の子たちがこの映画を観た時に、「すごく共感するけど、これが日本でも起きてることだって思う人はどれだけいるんだろう?」と言っていました。この国でも間違いなく同じようなことが起きています。でもそれを知らない多くの日本人は、この映画を観ても「イランは大変な国だな」とか、他人事としてとらえるかもしれません。

オスコウイ 以前、こんなことがありました。フランスを訪れた時に「パリ郊外で『少女は夜明けに夢をみる』を上映するので、ぜひ来てください」と言われて出掛けたところ、そこには少年院に入所している400人の子どもたちが映画を観るために集まっていたんです。

仁藤 すごいですね。

オスコウイ 企画したのはとても著名なソーシャルワーカーと権利擁護団体だったのですが、上映前に「監督、もしこの子たちが映画を観てブーイングをしたり、怒鳴ったり、あなたを罵ったり、席を立ったりしても気にしないで」って言われました。ところが上映が始まっても誰一人動く気配がないし、真っ暗な会場からは鼻をすする音だけが聞こえました。で、上映が終わって明かりが点くと、みな目を真っ赤にしていたんです。映画に共感して、感動してくれたことが嬉しくて、その日私は一晩泣き明かしました。たった一人、または一つの家族でも救うことができたのなら、私は目的を果たしたと思っています。なぜなら私はそのために自殺願望を捨てて、映画監督になったのだから。

仁藤 日本の少年院でも上映できたらいいのに。日本の少年院では自分がやったことに対する反省を徹底されるので、背景にどんな事情があろうとも「私が悪い」「私に原因がある」って思い込まされている子もすごく多い。映画でも法廷で「ごめんなさい」と言うシーンがあったけど、日本では警察に捕まった時なども「とにかく謝っとけ」っていう、あんな感じなんですよ。だけどイランの少女たちは、カメラの前では「本当は私たちは悪くないでしょ?」と自分で言葉にしている。日本ではそういう本音を言える場がないと思います。少年院でそんなことを言ったら外に出られなくなります。「自分が悪い」と思い込まされている子どもたちも、この映画を観れば自分のことを整理できるんじゃないかなって思いました。

オスコウイ おっしゃる通り。この映画の中の彼女たちの多くは、自分では抗いようもない運命の中で犯罪者になってしまった。ただ私が思うのは、起きてしまったことを云々するよりも、親や家族を始め社会の大人たちが、こうした現実に目を向けることで良い方向へ変わってほしいということなんです。

仁藤 私自身はこの映画を観て、収監されている女の子同士の関わりに生じるエンパワーメントみたいなものがすごく描かれていて、いいなと思ったんですよ。それは日本の少年院ではあり得ないことです。日本の少年院では私語は禁止だし、自分のの名前も、どういう罪で入ったかとかも一切話しちゃいけないので……。

オスコウイ そのことについて誰も異議を唱えないのですか? 私は相手が国でも、理屈に合わない、おかしな点があればどんどん質問や抗議をすべきだと考えています。そうでないと権力者たちは保身にとらわれて動こうとしない。

仁藤 そうなんです。まずは声を上げることが大切です。あと、私がこの映画を日本で苦しい状況に置かれている子どもたちにも観てもらいたいと思ったのは、分かろうとしている大人や、同じような経験をしながら生きている子が他にもいることを知ってほしいと思ったからです。とくに日本の一時保護所や少年院の中では誰もが孤独で、一人ぼっちだと感じているから、「そうじゃないよ」ってことが伝えられるんじゃないかなって。それと、私と一緒に観た少年院への入所経験のある女の子が言ったのが、「この施設では痛みを分かち合えるのがすごくうらやましい」ということでした。

オスコウイ もし機会があれば、私もそうした日本で救いを求めている子どもたちに実際に会って話がしたいです。例えば映画を上映してその後で意見交換をするのもいいですね。もしも呼んでいただけたらいつでも行きますよ。

仁藤 女の子たちは、みんな口々に「オスコウイ監督ってどんな人なんだろう?」って話していました。監督はインタビューでも声だけの出演だったから、「すごい気になる」って言ってましたよ。もし本当にそんな機会に恵まれることがあったら、ソマイエも連れてきてくださいね(笑)。

オスコウイ もちろん連れてきますよ(笑)。ただ、ソマイエは渡航ビザをもらえるかどうか……。その時は子どもたちの声を録音して送ってください。彼女たちも顔は出せなくても、音声だけなら大丈夫なのでしょう? そうしたらソマイエに聞かせて、彼女から一人ひとりにメッセージを返してもらいます。インターネットを使ったビデオ通話も考えましたが、ソマイエは恥ずかしくて電話もできないぐらいシャイな子なんです。

大人が変わらなきゃいけない

オスコウイ 現在、私は女性刑務所を題材にした新作映画を制作中なんですが、その本編に登場する女の子もこのほど大学に入りました。その彼女が私に向かって、「へぇ、男にもいい人がいるんだ」って言ったんですよ。男は全て大嫌いだったんですね。

仁藤 すごく分かる。私がとても好きなシーンなんですが、イスラム教の法学者が更生施設を訪れた時、彼女たちが「なんで女と男は平等じゃないの?」という質問をその男の人にぶつけますよね。そうしたカットを同じ男性である監督があえて入れていることにも、「分かってる人なんだ」と思いました。

オスコウイ 「なんで女と男は平等じゃないの?」という質問は、私もその子からされました。一応は自分の考えを話したのですが、彼女は私の目を一切見ようとしなかった。「男はみんな大嫌いだ」「男はただ私をレイプしたいだけだ」とずっと言っていました。当時、彼女は14歳でしたが、男は目を見るのも嫌なほどだったんです。話を聞くと、家出した時に街で親戚の男に偶然会ったので、親と仲直りさせてくれると喜んでいたら家に連れ込まれ、仲間を呼んでレイプされたんだそうです。日本も恐らく、イランのように男社会だと思います。男は権力を握ると、女の子たちを「自分のもの」として見がちです。ですから私たちの社会では共通して、女の子たちはとくに傷付きやすいのでしょう。

仁藤 本当に同じような状況だなと思いますね。だから、監督がこの映画で「大人たちに伝えたい」とおっしゃることもよく分かります。私たちもいつも「これは大人や男性の問題だ」「女の子の問題として片付けて、彼女たちが責められるのはおかしい」って言っています。親だけじゃなくて、その子たちと共にある社会を作っている全ての大人が変わらないといけない。家族が近くにいるとうまくいかないケースだっていっぱいあるから、そういう時は無理やり家に戻すんじゃなくて、家庭に代わる場所が社会の中にたくさん増えることが必要だと思って活動しています。

オスコウイ そうして社会の中で傷付いている子を、見ないふりするようなことも許してはいけません。ドキュメンタリー監督として私がなすべきは、蓋を開けて真実を多くの人の前にさらけ出し、あなた方のように救いの手を差し伸べる人たちにつなぐことです。ポーランドでこの映画が公開された時にはものすごい行列ができました。国じゅうのソーシャルワーカー、裁判官、少年院の担当者たちが集まってきているということでした。私たちはみな同じ痛みを持っている、日常ではそれを他人には見せないだけなんだと、改めて痛感しました。そうしたソーシャルワーカーが声を上げ、社会を変えなければならない。

仁藤 日本では、ソーシャルワーカーや福祉に関わる人が声を上げることはほとんどありません。心の中では「本当は彼女たちのせいじゃない」と分かっていても、沈黙している大人がたくさんいます。監督がこの映画を通してされていることって、この子たちと一緒に社会を変えるということなんじゃないかな。それは私も活動の中ですごく大事にしていることなんです。

 最後に、日本での私たちの活動を紹介しますね。最近はピンク色に塗ったバスを夜の繁華街に出して、10代の子が無料で入れるカフェを開いています。というのも渋谷や新宿では、少女を風俗産業に斡旋(あっせん)するスカウトが毎晩100人ぐらい雇われて、女の子を勧誘しているんです。家に帰りたくなかったり虐待されてたりする子に、「泊まる所あるよ」とか「仕事あるよ」と誘う人がたくさんいます。それに対抗して、私たちとつながった子と一緒に活動を続けているんです。

オスコウイ 私が知っている中では、そんな感じでポルノ映画にスカウトする人たちがたくさん増えているのはインドですね。以前インドを訪れた時、そんな話を聞きました。でも、これはすごい。いい活動をやっていますね。ちなみに一緒に活動している女の子たちはカフェでどんな手伝いをするのですか?

仁藤 夜の街を歩いている女の子に、オリジナルのカードや生活用品といったグッズを配って、「10代の人は無料のカフェがあるよ」って声を掛けているんです。これがその見本品です。

オスコウイ これ1個ください。これは何ですか?

仁藤 いいですよ、新しいのを差し上げます。これはカードミラーです。行政などが配っているのはたいてい「虐待SOS」「相談しよう」などと書いてあるんですが、そんなのを持ち帰って、もしも虐待をしている親に見つかったら怒られたり暴力を振るわれたりするかもしれない。なので私たちが配るものは、普通のカフェのグッズみたいに見えるようにしています。

オスコウイ とても感動しました。先ほども言いましたが、私たちがやっていることで一人だけでも助けられれば、一人だけでも救われれば、すごくいいことですよね。このグッズはイランのソーシャルワーカーへのお土産にしたいと思います(笑)。

仁藤 はい! 実はこのアイデアは、韓国で行われていた活動から学んで真似したんですよ。

オスコウイ 今回、日本へ行ったら何かいいことが起こるような気がしたんですけど、今日、このグッズを見て「これだった!」と思いました。仁藤さん、みなさん、ありがとう。映画制作にまつわる話だけではなくて、私が一番大切に考えていることの話もできたのですごく嬉しいです。

 2017年、この作品が山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された時、たくさんの人が観てくれたのですが賞はもらえませんでした。授賞式の後で女性が何人か来て、「この映画が絶対に賞を取ると思っていたのに……ごめんなさい」と言われたので、「いいえ、今のあなたの言葉こそ、この映画祭で私がいただいた最高の賞です。あなたと通じ合えた心が、私の一つの財産です」と答えました。だから仁藤さんと一緒に映画を観て感動してくれた女の子たちも、私にとって最高の審査員といえます。こういう場をまた持ちましょう。

 ********

大人に伝えたいこと~少女からのメッセージ

少女から大人たちへのメッセージ 第41回

私に努力しろと言うのなら、もっと大人も私を見る努力をして(14歳・Yさん)

2019/10/23

https://imidas.jp/otonani/?article_id=l-72-002-19-10-g559

女子高校生サポートセンターColabo

コメント

東京五輪施設建設の「目に見えない部分」に、21万畳分の熱帯材が使われている!?

2019年10月22日 | 自然

ハーバー・ビジネス・オンライン  2019/10/22

「目に見える部分」には国産材、「目に見えない部分」には熱帯材

 東京五輪開催まで1年を切った。それとともに、大会中の猛暑対策など、さまざまな問題が現実味を帯びてきている。そのような中、東京五輪で使われた木材と、東南アジアの森林破壊とのつながりが問題視され続けている。

「新国立競技場には国産材がたくさん使われているのでは?」と思う人も多いだろう。しかし、47都道府県から提供される国産材は屋根やひさしで使われるだけで、土台のコンクリートを成形する型枠用合板(コンクリートパネル=コンパネ)には、東南アジアからの熱帯材が使われた。

 いわば「目に見えるお化粧部分」には国産材が、「目に見えない」基礎工事には熱帯材が使われたという形だ。しかもコンパネは何度か利用されるが、基本的には使い捨てとなる。

 筆者ら環境NGOの調査では、木材供給のために伐採された森林の中にマレーシア・サラワク州の先住民族の土地や、絶滅が危惧されているボルネオ・オランウータンの生息地も含まれることがわかってい

る。

「持続可能ではない木材が使われている」と「オランウータン」が“通報”

 2017年5月、「熱帯材の使用を直ちに中止してほしい」と声をあげたのが、ボルネオ島の先住民族プナンの人々だった。世界中から14万件以上の賛同署名が集まり、支援団体によってスイスとドイツの日本大使館に届けられた。

 また2018年11月には「オランウータン」が、持続可能ではないインドネシア産の木材が東京五輪施設の建設に使われたことを理由に、大会当局に通報した。

実際に通報したのはオランウータンではなく、筆者の属するNGO「レインフォレスト・アクション・ネットワーク」(RAN)だ。この行動には、「人間と同じように、動物や森林にも反対する権利がある」というメッセージが込められている。

 日本は世界最大の熱帯材合板輸入国で、貴重な熱帯林の破壊によって作られたコンパネも輸入している。東京五輪の「持続可能性に配慮した木材調達基準」は一定の改善があったものの、リスクの高い企業からの調達が防ぎ切れていない。東京五輪開幕まであと数か月、これまでの経緯をまとめた。

五輪施設建設のため、21万畳分のコンパネに熱帯材が使われた

 これまでRANほか環境NGOは、東京五輪施設の建設現場で調査を行ってきた。その結果、インドネシアとマレーシア企業の熱帯材合板が、新国立競技場や有明アリーナなどほぼすべての新施設の建設で使用されていることが判明した。

現地では環境・森林破壊、先住民族や地域コミュニティの権利侵害に加え、企業による木材の伐採や流通での違法行為などの問題も指摘されている。東京五輪は「持続可能な大会」の開催を掲げ、国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)への貢献も約束している。しかし、その約束は守られていない。

 大会組織委員会がNGOの要請で公表した情報によると、インドネシアとマレーシアからのコンパネが21万枚以上も五輪施設建設に使われ、そのうち約12万枚は新国立競技場で使われた(2019年5月時点)。一般的なコンパネの大きさは、畳1畳分に相当する。「21万畳分」と考えると、いかに膨大な量の熱帯材が使われたかがわかるだろう。

 実は、建設工事が本格化する前の2015年から、環境NGOは熱帯材合板が工事に使われることを懸念してきた。2016年6月に木材調達基準が制定されてもNGOの懸念は消えず、同年12月には国内外44団体が国際オリンピック委員会(IOC)に書簡を渡した。そのような中、新国立競技場と有明アリーナで熱帯材のコンパネがNGOの調査で見つかったのだ。

熱帯材伐採が、先住民の生活も破壊している

 2017年4月、新国立競技場の建設現場で、マレーシアの伐採企業シンヤン社製のコンパネが使われていることが明らかになった。同社は以前、サラワク州で違法かつ持続可能でない熱帯林伐採を行い、先住民族の権利侵害に関与したことが発覚している。

 新国立競技場を管轄する日本スポーツ振興センターは「森林認証品であるため問題ない」とした。しかしNGOの調査によると、日本に輸出されているシンヤン社の認証木材(PEFC認証)は現地の労働者虐待と結びついている。

 さらに「ハート・オブ・ボルネオ(ボルネオの心臓)」と呼ばれる、マレーシア、インドネシア、ブルネイが共同で進める森林保全地域での伐採への関与も指摘されている。

冒頭で紹介したプナン族のビロン・オヨイ氏(サラワク州ロング・サイート村の村長)は「サラワクでは私たちの森林は伐採され続け、木はほとんど残っていません。熱帯林に残っている木々を守る私たちを、どうか助けてください」と訴えた。

 ちなみに、マレーシアには「ビッグ6」と呼ばれる木材大手6社がある。シンヤン社もその一つだ。サラワク州の土地面積の半分以上で伐採や大規模農園開発の許可が出されているが、その多くがこの「ビッグ6」に牛耳られている。今年7月にもその一つ、タ・アン社のコンパネが国立代々木競技場の建設現場で使われていたことがNGOの調査でわかった。

森林認証なし、違法に「皆伐」された木材が有明アリーナや新国立競技場建設に使われた!?

2018年5月、今度は有明アリーナでインドネシア・コリンド社のコンパネが見つかった。大会組織委員会が公開した情報によると、この木材は森林認証を取得せず、住友林業によって供給されていた。

 コリンド社はインドネシアで木材、パーム油、紙パルプなどの事業を展開する韓国系複合企業だ。違法伐採に加え、樹木を全て伐採して生態系を破壊する「森林皆伐」、農園開発のための火入れ、人権侵害、脱税への関与が指摘され、東京五輪に供給された木材が違法かつ問題あるものだったリスクが高い。

 RANはインドネシアの現地団体と共同で、コリンド社の木材供給網について調査を行った。その結果、世界で最も豊かな生物多様性を誇る熱帯林で同社が伐採を行ない、地域コミュニティの土地を違法に強奪していたことが明らかになった。

 また、同社がボルネオ島のオランウータンの生息地から木材を調達していたことも突き止めた。インドネシア産コンパネが有明アリーナで約1万枚使われ、新国立競技場では12万枚近くも使われたことを考えると、コリンド社製の森林認証のないコンパネが新国立競技場の建設にも提供された可能性は高い。

2017年の1年間だけで日本の面積の4割に当たる熱帯林が消失

「オランウータン」による通報は、昨年11月の通報から11か月が経過した。しかし、いまだに進展がない。そこでRANは今年7月、国際オリンピック委員会(IOC)に「東京五輪の通報制度が機能しているか調査してほしい」と手紙を送った。

世界では国連「ビジネスと人権に関する指導原則」がスタンダードとなっていて、東京五輪当局の対応には透明性や説明責任などが不足しているという点を指摘した。

 熱帯林には陸上生物の半分が生息し、先住民族や地域住民は食料や水などをそこから得ている。熱帯林は地球の気候と降雨パターンを調節し、炭素を吸収・貯蔵することで気候変動の緩和にも重要な役割を果たしている。

 しかし木材伐採や大規模農園開発のために更地にされ、熱帯林は急速に劣化・破壊されている。森林減少を監視する国際的なプラットフォーム「グローバルフォレストウォッチ」によると、2017年の1年間だけでも日本の面積の4割に相当する熱帯林が失われたという。

 東京五輪関連の建設工事はほぼ終わっている。この五輪で定められた基準や体制は、今後の自治体や企業にとって「モデルケース」となることが期待されている。今は持続可能な社会を次世代に残すために、「ポスト東京2020」に向けて真のレガシーを作っていく過程にあることも忘れてはならない。

<文/関本幸 写真/レインフォレスト・アクション・ネットワーク(RAN)>


 まったくもって、恥ずかしい「環境意識」である。

どうやら、少しは座っていられるようになった。
どうも「ステロイド」による影響と考えるのだが、医者に聞くと「そんな量ではあり得ない」と突っぱねる。

ステロイド筋症(ミオパチー)

ステロイド薬のたんぱく異化作用によって、筋肉の細胞成分が分解され、 筋肉細胞が線維化する病態です。 医学では「ステロイドミオパチー」と呼ばれており、ミオは「筋肉」、 パチーは「病気」という意味です。

腰や脚の筋肉に脱力が起こるようになり、階段の上りがつらくなるといった症状が現れます。 ステロイド筋症は、薬の服用量が減ると消失していきます。

 

 とにかくつらいものだった。大声(絶叫)を出したくなるような痛さ。
今日も鍼灸院で針・灸・電気をしてもらった。おかげでだいぶ調子が良くなった。

 皆様も、「薬害」にはくれぐれもご注意ください。「薬害」と認識されずに体調不良になっている場合もあります。また、日ごろ飲んでいる「薬」がどのようなものか知っておくべきです。

コメント

性犯罪刑法改正に向けて~ あなたが受けたのは「性被害」だと分かる社会にするために

2019年10月18日 | 社会・経済

性暴力サバイバーに聞く、現行刑法の問題点とは?

  imidas時事オピニオン 2019/10/18

 山本 潤 (一般社団法人Spring代表理事)

 (構成・文/松尾亜紀子)

 

   2017年、実に110年ぶりに刑法の性犯罪規定が改正された。「強姦罪」は被害にあたる行為や被害者の範囲を広げた「強制性交等罪」となり、法定刑は懲役3年以上から5年以上に引き上げられた。だが、課題はまだまだ山積みだとされる。

   改正と同じ2017年に設立されたのが、性暴力被害者当事者や支援者がスタッフとなり、刑法の性犯罪改正のアドボカシ―(権利擁護・政策提言)団体として活動する「一般社団法人Spring」だ。代表理事をつとめるのは、山本潤さん。2019年5月に法改正についての要望書を法務大臣に提出したり、「クローズアップ現代+」の性暴力特集回にゲスト出演したり、積極的に活動する姿がメディアでもしばしば取り上げられている。山本さんに、現行刑法の問題点とは何か、改正するためにどのようなビジョンがあるのかをうかがった。(構成・文/松尾亜紀子

性犯罪が繰り返されないために法を変えていく

――Springは、性被害当事者が中心となって、刑法性犯罪改正を目指す一般社団法人とのことですが、具体的にはどのような活動をされているのでしょうか?
山本 私たちは、刑法性犯罪改正についてのみ活動する団体です。活動の中心となるのは、ロビイングです。議員や関係省庁の職員に面談して、性暴力被害が犯罪として認められず被害を訴えづらい現状を伝え、より性暴力の実態に即した法になるよう、刑法性犯罪の改正を求めています。課題解決に向けて、要望書を出したり議員連盟や政党・省庁・自治体開催のヒアリングの場などで発言もしています。
 市民や議員にアピールするために、国会議員会館内でイベントを行うこともありますし、その内容を伝えてもらえるようマスメディアに働きかけています。今は、全国キャンペーンで日本各地を回り、性暴力が正しく裁かれていないという現状を伝え、私たちの活動にコミットしてくれる方を募っています。

――山本さんが活動を始めるきっかけはなんだったのでしょうか?
山本 もともとは、私自身が父親による性暴力被害者だということもあり、2007年頃から性暴力の被害者支援に関わってきました。その過程で、日本が、加害者に対してなんの対処も処罰もできていない現実を突きつけられたんです。一人の性犯罪加害者は生涯380人もの被害者を出す、という試算があります。加害者が治療教育もされず、彼らの性行動に対する「認知と行動」が変わらなければ、性犯罪は繰り返されていくのです。
 それをどう止めればいいのか。性暴力が正しく裁かれていないこの状況を次世代に引き継がせず、安全に健康に暮らせる社会をつくるにはどうすればいいのか。こう考えると、やはり刑法、性犯罪についての法律がきちんと施行されて運用されるしかないと思います。それまでのように被害者支援や、被害当事者として語っていくばかりではなく、刑法の改正を訴えなければいけないと、私自身の意識の変化がありました。

――2017年に刑法が改正されたタイミングでSpringを設立されていますね。
山本 2014年に松島みどり法務大臣が「強盗が懲役5年で、強姦罪の法定刑が懲役3年はおかしい」と、見直しを求める発言をして、同年に法務省で「性犯罪の罰則に関する検討会」が発足しました。翌15年に、この検討会の報告を、院内集会で聞く機会がありました。このときに「親子間でも真摯な同意に基づく性行為がないとはいえない」という議論がなされたことに、ものすごくショックを受けたんです。つまり、親子でも「同意のある性交」がありうる、というわけです。性暴力被害の実態とは、まったくかけ離れた議論がなされていたんですね。委員は刑法の専門家であっても、性暴力の専門家ではなかった。専門家が実態を知らないのであれば、伝えなくてはいけないと、Springの前身団体である「性暴力と刑法を考える当事者の会」を立ち上げました。その後、法改正への要望書を出したり、他団体と組んで「刑法性犯罪改正」キャンペーンを始めました。
 なにせ法律に関しては素人ですから、刑法学者や弁護士に頼んで勉強会を開催し、法律を学びながら、要望書を書きました。ロビイングでは、とにかく議員に会いに行って、私が自分の性暴力被害を書いた書籍『13歳、「私」をなくした私 性暴力と生きることのリアル』(朝日新聞出版)を渡して……。そうしていくうちに、共感してくれた法務委員会の議員たちが協力してくれるようになってきて。


 結果的には2017年の改正で、私たちが要望書に書いたものの中で、「親告罪」(被害者の告訴がない限り、検察が起訴できない犯罪。家族や顔見知りからの被害が多い性犯罪の場合、告訴は被害者にとって特に大きな負担となる)の撤廃や、性器だけでなく、肛門・口腔へのレイプも犯罪に含めるようにとか、前進はありました。

しかし、「性交同意年齢」(同意の有無にかかわらず性行為をしたら犯罪になる年齢)が13歳のままであったり、もともと私たちがいちばんの問題としていた「暴行脅迫要件」(加害者による暴力や脅迫によって、被害者が抵抗できなかったことを立証できなければ罪に問えない)の撤廃などはなされませんでした。ただ、「3年後の見直し」という「附則」をつけてほしいという、私たちの要望はなぜか通ったんです。つまり、刑法では非常に珍しいことなのですが、3年後の2020年にもう一度、刑法改正の内容を見直すかどうか、検討がなされるということです。
 とはいえ、私たちが何もしなかったらこのままになってしまう可能性が非常に高い。これは2020年まで運動しなくてはいけないということで、Springを立ち上げました。

 

 

性暴力の本質は「同意」の問題にある

――なるほど、山本さんたちがどういう活動をされているのかよくわかりました。現状の刑法の問題点を整理させてください。2017年の法改正で積み残された問題はたくさんあると思うのですが、今後、Springが最も力を入れる問題はどこでしょうか。
山本 まず一つ目に、私たちが提案するのは、不同意性交等罪の新設です。現行法の刑法177条は、「13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、5年以上の有期懲役に処する。13歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。」というものです。
 ここの「暴行又は脅迫を用いて~」という箇所を、「同意なく、もしくは明示的な意思に反して~」と変えることを提案しています。その人の同意なく性交してはいけないんだっていうことを、社会のルールにすることが大事だと思います。
 「同意」の問題が、やはりいちばん重要です。性暴力被害者たちは、自分の意思が無視されることによって無力化させられる。これが性暴力の本質です。同意がない性交は、人をとても傷つけ、心身を大きく損ない、さらに、被害者は生涯にわたって影響を受ける。そのことをすべての人が認識してほしいです。
 暴行脅迫要件、つまり「暴行又は脅迫を用いて~」――この部分をなくし、「同意なく、もしくは明示的な意思に反して」と変えた場合、冤罪を生みやすくなるとの指摘もあります。ただ、「同意なく、もしくは明示的な意思に反して」ということを性犯罪の成立要件としている外国では、犯行時および犯行後の被害者・加害者双方の言動だけではなく、犯行に至る過程や、加害者が優位な立場を利用したか等々から、同意か不同意かを見極めています。
 二つ目が、時効の撤廃です。現行法は、強制性交等罪は10年、強制わいせつ罪は7年を過ぎたら加害者に罪を問えないことになっています。しかし、私自身もそうだったのですが、性暴力に対する反応である「解離」(特定の場面や経験から心を防御するために、記憶が消えた状態などになること)のために、被害者は被害を認識するのにとても時間がかかります。記憶が蘇ってからもPTSD症状によって、加害者をすぐには訴えることができず、時効となってしまいます。
 諸外国では未成年時の被害の場合は時効停止とされたり、イギリスでは年齢を問わず性犯罪に時効はありません。殺人罪のように、時間が経ったからといって許される罪ではないことを社会の共通認識にする必要があるのではないでしょうか。被害者に、何年経っても訴えていいのだという選択肢があることが重要です

 

 

被害を被害と、犯罪を犯罪と規定できる社会に

――2019年3月には、性暴力をめぐる無罪判決が立て続けに4件出て、しかも、そのうち名古屋地裁岡崎支部の判決は、実の父親が中学生の頃から長女に性的虐待を続けてきた事実は認めながらも、「被害者が服従・盲従せざるを得ないような強い支配関係にあったとはいえない」として無罪になりました。また、これらの判決をきっかけに全国で、性暴力に抗議する「フラワーデモ」という運動が広がっています。山本さんはこの動きをどうご覧になっていますか。

 

山本 これまでたくさんの同じようなケースを見てきたので、3月はまたこういう判決が出されてしまったのか、という思いでした。その後、フラワーデモの運動を知ったときは、被害者がこんなに声を上げられるようになったのかと、すごいことだと思いました。私の肌感覚でしかないのですが5年前は、被害を受けた人が被害を受けたと言えない社会だったと思います。知人からの被害なんて、到底言い出せない空気があった。
 日本の性暴力被害者への視線というのは、家父長制に支配されてきたんですよね。どうしても、性被害に遭ったかわいそうな人たちを支援する、みたいな感じになってしまう。だから、被害者にも権利があり、その損なわれた人権を回復するという視点になかなか至らなかったのが、ここ数年で大きく変わりましたよね。
 メディアの女性記者たちがニュースとして取り上げてくれるようになったことがとても大きいと思いますし、やはり、#MeToo運動の影響もあったと思います。#MeTooが画期的だったのは、影響力もパワーもあるハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインが実際に起訴されて、失脚したということです。

――実際にワインスタインが起訴されたことが大事だというわけですね。山本さんがさらなる刑法改正を目指すのも、その点と関係しますか?
山本 はい、被害が被害として認められるために、起訴率を上げることは大事だと思います。Springで昨年イギリスに視察に行ったのですが、そのきっかけは、日本の法制審議会の中で、「イギリスは不同意性交を性犯罪にした結果、有罪率が下がった」という報告がされたことです。それで、その事実を確かめに行きました。現地で法務省や内務省の担当者に実際に話を聞いてわかったのは、彼らは性犯罪の通報率を上げ、さらに起訴率を上げることを目的としている。なぜならば、やはりイギリスでも性暴力、性犯罪は被害者が声を上げづらく、把握されない被害件数がとても多いからです。
 そして、被害者は大きなダメージを受けているので、支援を受けないと訴えられないと明確に認識していました。様々な被害者支援もした結果、イギリスではこの8年間で性犯罪の通報率が上がり続けており、先ほど言った通り時効もないので、30年以上も前の被害も通報される。そうすると、起訴された件数の中で、結果的に有罪となる率は30~40%くらいなんだそうです。でも、大事なのは有罪率よりも、起訴すること自体なんだと。そうやって司法の中で、罪を罪として、性暴力被害を被害として扱っていくこと、そして被害者が支援されること、その中で被害者が回復していくことが非常に大切だという、そういう方針でしたね。

――なるほど。起訴数という分母が広がったから、その分有罪率は下がると。でも、肝心なのは、性犯罪が犯罪だと規定されることなんですね?
山本 そうです。私は日本の2017年の法改正で、「監護者性交等罪」「監護者わいせつ罪」(18歳未満の子どもを監護する親や児童擁護施設職員など、その影響力に乗じて性交・わいせつ行為をした者が処罰される)ができてよかったと思っています。もし、30年前にこの法律があったら、私は自分が父から受けた被害を、これは性犯罪なんだと結びつけることができたかもしれません。
 特に家庭内の性虐待は、生活の延長線上で起きるわけです。しかも長期間、虐待が及ぶことが多い。しかし、それを「家庭内の性虐待」という福祉のくくりでなくて、犯罪として類型化することが必要です。私がこの活動を始めるときに気づいた通り、犯罪にならないと加害者を処罰できず、加害者を処罰できないと加害者は性犯罪を繰り返します。この流れを止めるには、やはり刑法改正を進めるしかないと思っています。
 私の活動の原点には、自分が13歳のときの体験があります。自分を愛し、守ってくれるはずの人が性加害をしてきたらどうすればいいのか。養ってくれる人に抵抗することはとても難しい。そのときに性暴力は許されない犯罪であると認識され、誰かが助けてくれる。そういう社会であってほしいのです。今も、被害を受けた人のうち、警察に相談できた人は3.7%(内閣府男女共同参画局「男女間における暴力に関する調査 報告書」2018年3月)です。被害者が訴えなければ加害者は捕まらず、さらなる加害を繰り返すでしょう。ですから、次の刑法改正までは活動を続けたいと思っています。

 


 今朝起きると左足に異常な痛みを感じる。夕方予約の「整体」を朝一に変更してもらい、江部乙に向かったが痛みは取れない。我慢できなくて以前通った鍼灸院に電話。夕方、針と灸をしてもらう。だいたい1発で痛みは取れるはずが今回はダメだった。明日もおいでと、本来休みで午前中は出かけるが昼過ぎには戻るので、とわたしのために時間を指定してくれた。

 そんなわけでPCに向かって長時間座っていられないのです。今夜は訪問できませんが、お許しください。

 


 

 

コメント

雨宮処凛がゆく第499回:台東区が避難所にホームレス受け入れ拒否。の巻

2019年10月17日 | 社会・経済
 
 「地球史上最大規模」とも言われた台風19号が関東に迫る中、信じられないことが起きた。

 関東が暴風雨と大雨に晒されていた10月12日、東京都・台東区の避難所で、ホームレスの人が受け入れを断られたのだ。ホームレス支援をしている一般社団法人あじいるがその件をネットで発信すると、瞬く間に拡散された。受け入れ拒否の理由は区民が優先、住所がないから、など。あじいるのtweetにはこうある。

 「台東区長が本部長の台東区災害対策本部に問い合わせると、『今後避難準備・避難勧告が出る可能性があるが、ホームレス(住所不定者)については、避難所は利用できないことを対策本部で決定済み』と言われました。事実上、台東区の災害対策は、ホームレスを排除しています」

 台風接近を受けて、ここ数日ずっと「命を守る行動を」という言葉を耳にしてきた。「とにかく命が最優先」「危険を感じた場合はすぐに避難すること」「安全な場所に身を置くこと」。

 ホームレスの人たちは、その「安全な場所」をもっとも確保しづらい人たちだ。今回の台風到来を受け、多くの人が窓ガラスに養生テーブを貼るなどして補強したが、彼らにはまず家がない。行きつけのネットカフェだって閉まっているかもしれないし、ダンボールハウスなどがあったとしても台風ではひとたまりもないだろう。だからこそ、「命を大切に」して避難所に行ったのである。しかし、彼らはそもそも「命」にカウントされていなかった――。結局は、そういうことではないだろうか。避難所に断られた人は、建物の下でビニール傘を広げて一晩を過ごしたという。

 愕然としながらも、この国の「変わらなさ」に遠い目になった。

 思い出したのは、10年くらい前の出来事だ。2007年の台風だったろうか、やはり川が氾濫し、川沿いに住んでいたホームレスの人々の小屋が流され、何人かが遺体で発見されるという痛ましいことがあった。私はそのことをワイドショーで知ったのだが、絶句したのは、小屋ごと流されるホームレスの人々の映像を見て、出演者たちが笑っていたことだった。「やれやれ、困ったもんだな」というような、呆れた笑い方。しかし、画面に映し出されているのは、命の危機が迫っている状況である。しかも死者が出ていて、必死に小屋にしがみついているその人は、死者となった一人かもしれないのだ。

 それにもかかわらず彼らは笑っていて、その様子が全国に放送されていた。なんだか見てはいけないものを見た気がした。番組の最後には、そのことに対して謝罪か何かがあるかと思ったら何もなくて、次の日も次の日も、釈明も謝罪も何もなかった。私はだんだん、自分がおかしいのかもしれないという気持ちになってきて、その出来事を忘れようとした。「見なかったこと」にしたかった。だけど、台東区の一件を知って、あのワイドショーで見た光景がまざまざと蘇った。この国の一部の人にとって、ホームレスの死は、笑い事であるらしい。

 そういう状況に対して、どこから何を言えばいいのか、戸惑っている。

 なぜなら、ネット上には、避難所に拒否されたことに関して「台東区、ひどい!」という声もあれば、「納税してないんだから当たり前」という声もあるからだ。

 が、例えば、災害救助法と照らし合わせると、台東区の対応はアウトである。同法では、現在地救助の原則を定めているからで、住所があるかどうかなどは関係ない。災害対策基本法も「人命最優先」を掲げている。憲法に照らしても当然アウトだろう。

 だけど、「ホームレスを避難所に入れないのは正しい」と思う人たちに、そういうことを言っても意味がない気がするのだ。聞く耳を持ってもらえそうな言い方としては、「このような対応は、台東区が世界から批判される大ニュースになる」といったところだろう。だけど、それじゃダメだと思うのだ。「これをやったら自分の立場が危うくなる、批判されるからやらない」というのは、例えばセクハラの何が問題かはまったくわかっていないけれど、とりあえず保身のためにしない、というのと同じである。そのあたりが「はじめの一歩」かもしれないが、このようなことを考えると、「自身の中にある、差別とすら気づいていないほど根深い差別」を自覚することの難しさに頭を抱えたくなってしまう。

 そういえば、年越し派遣村の時にも「ホームレスもいるじゃないか」という批判があった。

 わざわざ正月休みの中、派遣村に寄付金や食料を持参してくれるほどの「善意の人」がそう口にしたのだ。だけど、派遣村に来た人とホームレスの違いはなんだろう? 一言でいえば、家がないという意味では全員がホームレスである。しかし、批判する人は、数日前に職と住む場所を失くした人と、数ヶ月前、数年前に失くした人を分けたがるのである。そして前者は「社会の犠牲者」だが、後者は「好きでやってる」と勝手に決めつけるのである。当人に話を聞きもせずに。

 そうして、失業者とホームレスを線引きする。その線引きは、「助ける価値がある人とない人」という線引きだ。一言でいうと、「命の選別」だ。だけど、当の本人は、自分がそんなに恐ろしいことを口にしている自覚などない。避難所受け入れを拒否した職員だってそうだろう。殺意があるわけでもなく、「死ね」と思っているわけでもない。ただ、面倒だからとにかくいなくなってほしいのだろう。断れば、どこか別の場所に行くと思っているのかもしれない。

 しかし、災害時の避難所は、そこで断られたら命を落とす確率が高い場所だ。台風の中、すでに別の場所に行く時間的猶予などない。そんなこと、少し考えればわかるのだ。わかるけれど、なぜか一部の人に対しては、そういう想像力を働かせなくてもいいことになっている。明文化されていなくても、そういうルールができている。日頃の台東区の職員間のコミュニケーションの中で、そういう空気ができている。そういうことではないだろうか。だからこそ、今回のようなことが起きたのではないだろうか。現場がたまたま避難所で、台風という災害時だったらからこそ、こうやって注目されただけで、このような「命の選別」は、普段から当たり前にあったのではないだろうか。

 非常時には、平時に行われていることが剥き出しになる。今のところ、他の区ではホームレス排除はなかったらしく、そこは胸をなで下ろしている。

 さて、北九州の「抱樸」というNPO法人がある。そこでは奥田知志さんという牧師さんが30年間にわたってホームレス支援をしている。私は奥田さんを心底尊敬しているのだが、そんな奥田さんたちが炊き出しをする時のテントには、大きな字で「おんなじいのち」とひらがなで書かれている。

 なぜ、「おんなじいのち」なのだろう?

 今回のことが起きるまで、ずっとそう思っていた。いや、もちろん意味はわかる。ホームレスだろうがなんだろうが、人はみな「おんなじいのち」と言いたいのだろう。だけど、そんなに大きく書くほどのことなのかな。どこかでそう思っていた。しかし、今回のことを通して、痛感した。「おんなじいのち」と、常に声を大にして、テントにも大きく書いておかないと、そんなことすら理解してもらえない。同じ命という扱いを受けられない。それが、この国のホームレスを巡る実態なのだ。

 ヘイトスピーチやLGBT差別に対して、私たちの意識はこの数年で大きく変わった。少なくとも、差別や偏見に敏感でいなければいけないという意識は共有された。だけど、ホームレスをめぐる視線はどうだろう。私はちっとも変わっていないと思うのだ。17年には、TBSの番組で、あるホームレス男性が「人間の皮をかぶった化け物」などと名付けられて報じられ、大きな問題となった。その後、番組は倫理違反があったとして謝罪した。

 台風が来る前の10月10日、れいわ新選組の木村英子議員と舩後靖彦議員が主催した院内集会に行った。

 この集会には、憲政史上初めて視覚障害を持つ国会議員となった堀利和氏が参加していて、堀氏はある言葉を紹介した。

 「ある社会がその構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それは、もろく弱い社会である」

 障害者をめぐる運動の中で出てきた言葉らしいが、これは障害者に限らず多くの人にあてはまるだろう。

 そんな台風が関東に大打撃を与える中、安倍政権はびっくりするほど何もせず、13日にやっと対策本部を立ち上げた。が、被害はますます拡大し、いまだ死者・行方不明は増え続けている状態だ。

 台風報道を見ていて驚いたのは、ずーっと以前、もう10年以上前から指摘されている「避難所のプライバシー問題」と「ペット同伴問題」がまったくと言っていいほど改善されていないことだ。

 これこそ政治が率先して取り組むべきことだと思うのだが、「国民の命」は、この国において、随分軽いようである。


 札幌から友人2人が遊びに来てくれた。BBQをやろうと前から言っていたのだが、さすがに寒い。でも、やっぱり決行。厚着をして来い、風を通さないものを着てこいと。
づうっとここでBBQやりたかったんだ。ようやく実現した。やってる間、いろんな鳥たちがやってきた。友は、こんな近くで長い間アカゲラを見たのは初めてと喜んでいた。湧き水で入れるドリップコーヒーもまた格別だった。

氣が付けば写真はこれ1枚だけだった。(字の色がまたおかしい)

コメント

香港の占拠現場で見た街の表情〜4カ月にわたる抗議行動で「開花」する最先端の人間関係

2019年10月16日 | 社会・経済

imidas時事オピニオン 2019/10/15

  by 李真煕 ( ジャーナリスト)

香港は2019年6月から長いトンネルの中にいる。

 香港各地で抗議行動が続いている。中国建国70周年祝賀行事への対抗行動(10月1日)を経て、一連の行動は5カ月目に突入する。警官がデモ鎮圧のために発砲する催涙ガスが街を包み、抵抗する若者の一部は、時に暴力的に反抗する。そんな光景が日常となった。重武装した警官が記者や救急隊員を狙い、負傷させたケースもあった。実弾で撃たれた中高生らもいる。

6月以降、私は数度にわたり香港を訪れデモの現場を目撃し、人びとに話を聞き、記録してきた。特定の主催者がおらず行動の流れは掴みづらいとされてきたが、時間がたつにつれ一定のパターンが見えてきた。また、いくつかの「変化」にも気づいた。

片手にテクノロジーもう片手には、情熱

 抗議行動に参加する人びとは、フルネームの公表や顔写真を撮られることに消極的だ。一方で、思いや考えを英語、日本語を交えて外国メディアに伝えることには情熱を見せながらたくさん話してくれることが多い。別れ際には皆が口を揃えて「気をつけて(Stay safe)」と言ってくれる。

 今起きていることを全世界に知ってほしい。抗議者、市民、記者が信頼関係を保ちながら助け合おう。よい変化は少しずつ生まれるはずだ――。人びとは、強大な中国に対峙する香港という場所で、人間の可能性に懸けて行動を続けているように見える。

9月28日。雨傘運動(2014年)から5周年の節目を記念する抗議行動でのことだった。私は香港島の繁華街・銅鑼湾(Causeway Bay)の現場で地元のメディア関係者と出会い、話をしていた。彼女は私がヘルメットや防毒マスクを持っていないことを心配し、こう言った。「装備が余っているか周りに聞いてみる。あなたにあげられるかもしれない」。私は感謝を伝え、彼女と連絡先を交換して別れた。

 人びとは匿名性が高いメッセージアプリ「テレグラム」を駆使している。テレグラムはロシア人が創設したアプリで「LINE」のように連絡手段として使う。やり取りを暗号化し、秘密を保持できるのが最大の特徴だ。また、グループに登録して情報収集ツールとして活用する人も多い。グループでは管理者がリアルタイムの情報を流し、登録者らと情報共有ができる仕組みだ。香港でのグループの規模は大きいもので登録者数が20万を超える。グループのテーマはさまざまで、報道のまとめ、最前線の動きの他、英語版のグループもある。

 翌朝、テレグラムで匿名の相手からメッセージが届いた。チャットは1時間後にすべての履歴が自動的に消去される「シークレット・チャット」の設定がしてあった。「装備がほしいんだって? 友人から聞いたけど」とのメッセージに私は「もし余っていたらほしい」と返した。すると「今日の午後はどこにいる?」とやり取りが続いた。

 夕方、香港駅の近くでメッセージの送り主と落ち合った。会う直前に「あなたはどんな服装? 一人? それとも誰かと一緒?」とメッセージが来た。相手は女性で、1997年の「香港返還」後に生まれた世代だという。顔全体を覆える強化プラスチック製の防毒マスクと二つのフィルター、そしてヘルメットが入った黒い袋を私は受け取った。マスクは日本では約1万5000円で売られている製品で、香港では在庫が尽きたといわれている型番だった。

 女性は、私が出会ったメディア関係者とは直接の知り合いではないと説明した。別の友人を介して「人に装備を届けてほしい」と言われて出てきたという。「届けるかどうか直前まで迷った。でも私は悪いことをしているわけじゃないから、来た」。話し声は静かだが熱を帯びていた。香港警察はこれまでにも、マスクを持つ市民を逮捕したことがある。会ったことがない人物にマスクを届ける決心は簡単ではないだろうと私は想像した。

 混乱が続くなか、香港では海外移住を考える人が増えている。ここを出ていきたい気持ちがあるかと聞くと、女性は「香港は私が生まれ育った街。どうして私が出ていかないといけないのか」と問い返した。大切な地元をどうにかしたい。そんな純粋な気持ちが人びとの行動を後押ししていると、私は感じた。人びとの強い思いは、高度に発達した交通網や通信環境に支えられ香港中の各地で抗議行動につながっている。

ネット駆使のリアルな強さ

 北京で盛大に祝われた中国「国慶節」の10月1日。これを経て、香港の抗議の声は収まるどころか、さらに強まったように思える。

10月2日、夜10時ごろ。私は湾仔(Wan Chai)で遅めの夕食をとっていた。食堂のテレビは郊外の荃灣(Tsuen Wan)と沙田(Sha Tin)で起きている警官隊とデモ隊の衝突を中継していた。ツイッターを開くと、人びとが湾仔の隣の銅鑼湾でも集まりはじめていることが分かった。私は店を出て銅鑼湾に向かった。

 銅鑼湾のそごう前に人びとが集まり、車道を封鎖しようとしていた。車道は片側3車線で中央にトラムの線路が2本ある。車道に立っている人びとの数は2000〜3000人ほどで、人数は少しずつ増えていった。

 近くにいた若者らに声を掛け、来た理由を尋ねてみた。ある大学生らは「インターネット掲示板『連登』を見て抗議行動に参加しに来た」と話した。また「近くでごはんを食べたついでに寄ってみた」という人びともいた。インターネットでリアルタイムの情報に接し、現場に駆けつけるパターンが定着している。

 抗議を通じて今一番求めていることを聞くと「香港警察の解散だ」と返ってきた。信頼できない「非人道的」な現在の香港警察は一度解体されて再編成されるべきだ、との意見だった。一連の抗議行動について、ある学生は「民主主義のために動いている」と話し、他の学生は「自由のための戦いだ」と表現した。

 私が2日夜に銅鑼湾のそごう前で目撃したのは、今の香港を象徴する典型的な占拠行動の一部始終だ。午後11半時ごろ、抗議者の一部が歩道に設置されていた鉄製の公共のゴミ箱を力づくで引きずりながら車道に移動し、バリケードとして片側の車線を封鎖した。「オキュパイ(Occupy)」の始まりだ。

現場には、沖縄から取材に入った大袈裟太郎氏の姿もあった。彼が2台のスマートフォンを駆使しツイッターとフェイスブックでライブ配信を始めると、多くの人が関心を示して彼の作業を覗き込んでいた。また、日本語ができる若者らは次々に「がんばって」と声を掛け、日本からの注目に感謝を伝えていた。

呼吸する香港、アップデートされる人間関係

 メディアは、デモ隊の一部を占める「勇武派」による激しい行動を大々的に報じることが多い。だが、抗議現場にいる大多数は冷静な市民や「和理非(=和平、理性、非暴力)派」と呼ばれる人びとだ。救急、消防など緊急車両が通るときは抗議を一時やめ、道を譲るなどする行動は象徴的だ。

 銅鑼湾のそごう前でも印象的な行動を見た。車道に集まる人びとが増えて混沌とするなか、バリケードのゴミ箱から出火したときのことだ。私は最初、抗議行動を目立たせるために誰かが放火したのかと思った。だがゴミ箱の近くにいた若者が「水!」と叫び、それを聞いた人びとが次々に「水!」と叫んだのを見て、自分の誤解に気づいた。バックパックからペットボトルを取り出しキャップをひねりながら何人もが各自の飲み水を持ち寄りゴミ箱前に集まった。火はすぐに消され、どこからともなく拍手が起きた。出火原因は、タバコのポイ捨てだったようだ。

 もう一方の車線もいつの間にか封鎖されていた。工事区域で使う柵などを倒し、簡単なバリケードが作られていた。

 バスや車は、バリケード前でUターンを余儀なくされていた。腕を回して誘導する若者の姿があった。不便を強いられて不満を示す車両はほとんどなかった。逆に、リズミカルにクラクションを鳴らして占拠行動を応援する車両を、何度か目にした。

中年の女性が、大声で話しながらオキュパイの現場に現れた。抗議者と野次馬が彼女を囲んで輪となり、耳を傾けていた。女性が訴えたのは「家庭の分断」だった。抗議行動に参加する子のことで自ら命を絶ちたいほどに悩み、苦しんでいる。「抗議をやめてほしい」という内容だった。

 家庭の分断は深刻な状況にある、と抗議者が教えてくれた。親が反対しても抗議行動に参加し続けたい中高生は多い。彼らは安全装備を買う資金がなく、重装備の警官隊を前に現場で危険にさらされる。また、移動や外食の小銭も十分に持たず、家に帰れない若者もいるという。テレグラムには、そんな彼らを資金面でオンラインから支援したいと申し出る「里親」らのグループもあるという。

 新しいテクノロジーと人びとの日常生活が密接に調和している。革新的な人間関係が次々と生まれている。私には香港が呼吸をし、新陳代謝をしているように感じられた。

地元をないがしろにして暴走する権力。連携する人びと

 銅羅湾そごう前で占拠行動の現場を包んでいたのは、休日の歩行者天国のような平和な空気だった。日付が変わり3日の深夜1時すぎになると、数人の若者が車線やトラムの線路をスタートラインに見立てて徒競走や幅跳びをして遊びはじめた。

 晴れていたが、雨傘を持つグループもいた。雨傘を持ち歩く理由は主に二つだ。一つは、警察隊がゴム弾などを発砲してくるときに身を守る盾として使うため。もう一つは、バリケードを作ったりする際に使う。街の監視カメラやメディアに撮られて身元が割れるのを避けるためだ。

 午前1時半ごろ、乗用車がバリケードに横付けして停車した。窓を開け車内から運転者の女性が抗議者らに向けて何かを叫んでいた。内容は「九龍方面に向かいたい人がいれば送っていく」というものだった。メッセージはすぐに共有され、何人かが車に向かった。

 抗議する若者の力になりたいという運転者を、私は別の日にも見た。普段は何をしているのかと聞くと、運転者は「自分は退職者。自主的にこういうことをしている」と言って笑った。実際に車に乗せてもらおうとする若者らに、誘拐などトラブルの心配はないのかと聞いた。彼らは首を横に振った。私が「日本では考えられないことだ」と驚くと、「正直に言うと私も驚いている。こんな連携が生まれるなんて想像していなかった」と返ってきた。

 目まぐるしい速度で続々と何かが起きている。当事者さえもがその変化を整理しきれずにいる。人びとは次々に誕生する新しいコミュニケーションを頭で理解できずとも、身を任せ、楽しんでいる。その根底には、とても大きな信念の共有があるのかもしれないと私は思った。

午前2時前。私は独特の雰囲気を持つ男性二人組に広東語で話し掛けられた。一人は真っ白なワイシャツを身につけ、もう一人はハンチング帽をかぶっていた。広東語ができないと私が言うと、男性らは流暢な英語に切り替た。世間話をしたあとで「所属メディア」を問われた。彼らは私以外にも記者を探し、話し掛けていた。潜入警察官のような言動だった。

 午前2時すぎ。突然、遠くから高いエンジン音が聞こえ、1台のバイクが見えた。衝突しそうなほど猛スピードでバリケードに迫るとあざやかなUターンをして、走り去っていった。運転手のヘルメットには小型カメラが付いていた。

 バイクに続き、隊列を組んだ20台ほどの警察車両がサイレンを鳴らして押し寄せ、100〜200人の武装警察官が一斉に飛び出してきた。警官隊は簡素なバリケードを素早く撤去し、警棒で盾を叩きながら爆音を出して抗議者らを威嚇(いかく)した。抗議者らは一目散に逃げ出し無数にある路地へと姿を消した。

 一瞬で空っぽになった占拠現場には私の他に数組の記者が取り残されてただけだった。抗議者は誰も残っていなかったが、警官隊は夜の闇に向かい何かを大声で叫びながら500メートルほど先の十字路まで一気に駆け抜けた。メディアのカメラに向けて、自らの威圧感を宣伝するための行動にもみえた。

 ゆるやかな始まりからおよそ4時間続いたオキュパイが終わった。

 香港で続く抗議行動は、地元ではなく北京を優先する香港政府と暴走する香港警察に対する民衆の蜂起のように見える。6月に「警察の暴力に関する独立調査委員会の設置」を求めていた抗議は「香港警察の解体」を求める声へと変わっている。

権力と民衆の攻防が猛スピードで展開するなか、若い世代を中心にコミュニケーションのあり方が進化している。抗議行動は、最先端のテクノロジーを生活に活かす工夫と地元を思う強い気持ちにも支えられている。中国とどう向き合うか、また、同じ時代を生きる隣人をいかに信じ、助け合えるか――。香港がそう問いかけているように私は感じた。


もうやめようか?

ミニトマト、赤くならない。
konoburogukaiteiruto nyuuryokugamamanaranai.
このぶろぐかいていると  にゅうりょくがままならない

hiragananinaranai.iromadetuiteiru.
ひらがなにならない

hokano wa-doya ekuserunihamonndainai.
ほかのワードや   エクセルにはもんだいない

jinoookisamadekawatta.[wo]tonyuuryokusitemo[o]toderu.
じのおおきさまでかわった [wo]と入力しても「お」とでる 

iromade kattenikawaru
色まで  勝手に変わる

hen! henda! hendayo! henndesu!

変・・・・・・・・・・・・・・!

オカワカメ(雲南百薬)

おや、なおった!

 

 

 

 

コメント

雨宮処凛「なぜ、弱者を叩く社会になったのか?」相模原事件から考えた、不寛容な時代

2019年10月15日 | 本と雑誌

相模原市の障害者施設で45人を殺傷した植松聖被告。社会は彼に怒りをぶつけたのか。

  ハフポス2019年10月15日 

命の選別――。

映画や小説といったフィクションの世界ではない。

この日本で、リアルにそんな言葉を聞くことになるとは思ってもいなかった。

2016年7月に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された(うち19人が死亡)「相模原事件」によって、この「命の選別」という問題が色濃くなり、恐ろしくなったことをよく覚えている。

先日の台風19号の際にも、ホームレスの人たちが避難所への入所を断られ、この言葉がまた話題になっている。

2020年1月に始まる相模原事件の植松聖被告の裁判を前に、6人の専門家と対話を重ね『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』を出版した雨宮処凛さんにその思いを聞いた。

インターネットなどを通じて、ばらまかれる悪意

――雨宮さんは、ハフポストで掲載しているブログで何度もこの相模原事件について言及をしています。そして、今回は書籍を出版。この事件にとてもこだわりがあるように感じられますが、これほどまでにこの事件が雨宮さんの関心を引き寄せる理由はどこにあるのでしょうか。

そう言われてみると、確かに関心が強いかもしれませんね。

本の中でも言及していますが、例えば2008年に起きた秋葉原通り魔事件の加藤智大は、誤解を恐れずに言えば“わかりやすい”と思うんです。加藤自身がネットの掲示板で犯行に至るまでの思いを書き込んでいたり、動機や本人が身を置いていた環境など「人となり」がつかみやすかった。

でも相模原事件の植松被告は、違います。一見ごく普通の若者ですし、悩みや心の叫びのようなものは聞こえてきません。「死刑になりたかった」「誰でも良かった」という自暴自棄になったうえでの事件とも異なります。だから、この事件、そして植松被告には、なんとも言えない不可解さのようなものを感じていると言えるでしょう。

また今回被害に遭われたのが障害のある方たちということで、遺族も名前や顔を出しにくいという状況のなか、社会の中で忘れ去られるスピードがとても早かったとも感じていました。世の中での忘却のされ方も植松被告の望んだ通りにというか、生産性がない人間を抹殺することができる=殺しても忘れられるという図式になってしまっている気がしてなりません。更に言えば、そういった植松被告に社会がそれほど怒っていない印象すら受けるのです。

 ――今回6人の方と対話をして、雨宮さんの抱えていた植松被告への不可解さは解消されましたか?

本の中で、植松被告と何度か面会をしている、福岡のRKB毎日放送の記者で、現在は東京報道制作部長をしていらっしゃる神戸金史さんとお話ししました。その中で、植松被告はあの事件を起こしたことで「自分は役に立つ側の人間になった」と感じていること、「障害児を育てることに苦しんでいる母親を救いたい」という思いがあったということを聞き、びっくりしました。恐ろしいことにあの事件は彼にとって、「善意」に基づいていることになる訳です。

そして、批評家で元障害者ヘルパーの杉田俊介さんと「べてるの家」の理事・向谷地生良さんが同じ出来事を指摘していたことも驚きでした。その指摘とは、相模原事件が起きたのと同じ年の3月に、マイクロソフトが開発したAI(人工知能)の実験で、インターネットにAIを接続したら勝手に学習して、ユダヤ人のホロコーストを否定したり、ヒトラーを礼賛するような発言をするようになったというニュース。

つまり、植松被告もインターネットなどを通じて世の中に散らばる悪意をフィルタリングすることなく「学習」して、彼自身がその悪意を体現してしまったというか、植松被告がAIやBOTのようなものと近いのではないかとも考えられる指摘です。この視点はこの本を作るまで私の中になかったものなので、とても衝撃でした。

無意識で「選別が始まっているんだな」と感じる

――私はこの本の中で、この相模原事件は入り口でしかないというような指摘があったことに、とても恐怖を感じました。

相模原事件から2ヶ月後、アナウンサーの長谷川豊氏が「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」とブログに書いて起きた大炎上や杉田水脈議員の「生産性発言」などもそうですが、植松被告と同じように、本気で「日本には財源ないから、障害者や高齢者のような役に立たない人の面倒見るなんて無理だよね」という話を善意からしてしまう人が出てくるようになってきていると感じます。「日本はもうある程度パイが限られているから、命の選別をしなくてはいけない」という空気感も相模原事件を機に強まっているのではないでしょうか。

貧困問題にずっと取り組んできた私は、ずっと「人の命を財源の中で語るな」ということを訴えてきました。ですが、2012年の第二次安倍内閣以降、この言葉がどんどん通用しなくなり、鼻で笑われるようになっている感覚がありますね。

――本来であれば財源の有無など国の政策によって生じている問題に関しては、国や政治家に怒りや批判が向くべきものだと思いますが、それが障害者、高齢者、生活保護を受けている人に向かうのが不思議でなりません。しかも、そういった「弱者」とされる人が、他の誰かから見ると「恵まれている」人とされ、敵とみなされる空気感も感じます。

障害者も病気の人も、あるいは生活保護を受けている人なども、好き好んでそうなっているのではないのに、その人自身が悪いかのように言われることってありますよね。

2000年代になって、「公務員バッシング」が起きたのを覚えていますか。公務員は安定した職業で、いい給料をもらっている特権階級だと非難されるようになったわけですが、日本全体の景気が良くて給料の良かったバブルの頃は、誰も公務員が特権階級だなんて思いもしなかったはずです。

格差が広がり、貧困が進んでいくと、こんなことが起きるんだなと公務員バッシングを見て感じていたところ、その後、2010年ごろから「自分はフルタイムで働いているのに、給料は生活保護以下」と生活保護バッシングが起き始めます。低賃金に怒るのではなく、生活保護を利用している人を非難する。鬱で休職した職場の同僚をディスったり、その人が遊んでいないかFacebookを監視したりしているような動きが出てきたのもこの頃だと思います。

それがますます進んで、障害者が「特権」になりつつある。今の世の中、生きづらさを抱えている人やうつなどの精神疾患を患っている人も多いけれど、病名がつかないと、どれほど辛くても、社会福祉などの支援は何も受けられません。でも障害者は障害年金もあるし、様々なフォローがあるから特権だという声すら、最近では聞こえてくる。末期の末期としか言いようがありません。

――そういった空気感の中で、植松被告のような人、相模原事件のような事件は増えていくとお感じになりますか。

相模原事件のようなことが起きて「命の選別」を匂わせるような空気が出てくると、無意識でみんなが「選別が始まっているんだな」と感じるようになるでしょう。そうすると自分は生産性があることを殊更に強調しようとして、そのために人を叩いたり蹴落としたりする人や、勝手に人の価値を決める「選別ポリス」も出てくるでしょうね。そして、生きられる資格がある人の枠がどんどん狭まっていく。植松被告は、その第1発目のヨーイドンをしたわけですよね。だから、相模原事件に似た事件は増えていく可能性はあると思います。

一方で、地味なことですが最近ものすごく怖いと思うのは、駅のホームなどで女性だけを狙ってわざとぶつかってくる男性や、赤ちゃんの抱っこひもの背中についているバックルをはずす人などが話題になっていることです。抱っこ紐を外されて赤ちゃんが落ちたら、命を落とすでしょう。わざとぶつかる男も、状況によってはぶつかられた人は死に直結します。そういう殺意が日常にあって、その殺意の存在をみんなが知っている。そんな異常な社会で生きているということによほど自覚的にならないと、自分もいつ加害側になるかわからないと思います。

来年の1月から始まる裁判で注目していること

――来年の1月から植松被告の裁判が始まります。どんなことに注目していますか?

先ほどもお話しした通り、植松被告は思想も背景も見えない。もしかしたら何かに影響を受けているのかもしれないけれど、それが何かもわからないし、人間性が見えません。裁判を通じて、不可解な彼という「人間」が見えてくるのか気になるところですね。

そして、もう一つ植松被告が裁判で何を語り、それをどこまでマスコミが報道するかも大きな問題だと私は考えています。相模原事件の直後、耳を塞ぎたくなるような植松被告の言葉、例えば「生きる価値がない」というようなものがたくさんマスコミで流れました。それを耳にした当事者はどれほど辛かったことか……。植松被告が法廷で話す言葉は、人をボコボコに殴りつける暴力のような言葉になる可能性があります。マスコミの方にはそういったことも考えて報道して欲しいと思っています。

――『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』を読んでいて、私は「相模原事件」を扱った本というだけではない、もう少し大きなテーマのようなものを感じたのですが。

確かにおっしゃる通りです。

最近だと国連気候行動サミットでスピーチをしたグレタ・トゥーンベリさんをネット上で批判する人を多く見かけました。なぜ、彼女を口汚く罵る人が多くいるのか。なぜ、精神的に追い詰められて休職するひとを笑い者にしたり、休職している人のFacebookを監視したりする人が現れたのか。女性にわざとぶつかる男、抱っこ紐のバックルを外す人はどうして出てきたのか。そういったことを考えていくうえで、私たち一人ひとりが、この10年、20年くらいで自分がどれだけ殺伐として冷酷になったのかを考える必要があると思うんです。その背景には「環境ハラスメント」というか、社会から受けた抑圧のようなもの、例えば常に競争を煽られ、それに負けたら死ぬというような恐怖もそのひとつだと思いますが、そういうものの蓄積があるのではないかということを考え直してもらいたいのです。

世界や日本で起きている出来事に対する自分の感じ方、考え方、そして苛立った時にしている行動が、日本の社会によって作られているんじゃないかということを、この本を読んでもう一度見つめ直していただけたらと思っています。

 

 


 数日前から左足に強いしびれが出て、とても痛い。連休も終わったので、ようやく「整体」へ行ってきた。あと何回か通うことになるだろう。

コメント (1)