里の家ファーム

すべて無農薬・無化学肥料、不耕起栽培の甘いミニトマトがメインです。完熟したミニトマトから作る無添加ジュースは逸品です。

なぜ支持率回復

2018年06月30日 | 社会・経済

なぜ支持率回復…「お上を批判しない」という日本の国民性

  日刊ゲンダイ 2018年6月30日

 

孫崎享 外交評論家

1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。

 

 なぜ支持率回復…「お上を批判しない」という日本の国民性

 

   安倍内閣の支持率が回復している。テレビ東京・日経の世論調査では、支持率(52%)が不支持率(42%)を上回った。

  一方、同じ調査で加計学園獣医学部の設立経緯に対する安倍総理や加計理事長の説明については、「納得できない」(70%)が「納得できる」(20%)を大きく上回った。さらに、拉致問題の解決に期待できるか、については、「期待できる」人が32%だったのに対し、「期待できない」は60%にも達していた。

 世論調査で、安倍首相の政策や行動を評価、支持する声は決して大きくない中で、なぜ、安倍内閣の支持率は回復しているのであろうか。

 毎日新聞の調査では安倍内閣を支持する最大の要因は「安倍さんを評価」(23%)だから、ますます分からなくなる。

 おそらく、これは日本の国民性に由来するのだろう。日本国民には「お上を批判しない」「お上を倒すなんてもってのほか」という思想が先祖代々継承され、体に染みついてしまったのだ。

英国の外交官アーネスト・サトウは幕末期の日本について、こう記述している。

  〈日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する〉

 〈ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しい〉

 〈もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことが出来たら、この国の人民は服従の習慣があるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう〉

 この文章を見た時、第2次大戦後の日本を想起した。私は自著「戦後史の正体」(創元社)で次の部分の引用をした。

 〈トルーマン大統領は次のように書いています。「マサチューセッツ工科大学の総長コンプトン博士は、帰国後ホワイトハウスに来て私に説明した。彼にまとめてもらった覚書は次のとおりである。日本は事実上、軍人をボスとする封建組織のなかの奴隷国であった。そこで一般の人は、一方のボスのもとから他方のボスすなわち現在のわが占領軍のもとに切りかわったわけである。彼ら多くの者(にとって)はこの切りかえは、新しい政権のもとに生計が保たれていければ、別に大したことではないのである」〉

 

  日本国民は「主権は自分にある」という意識が極めて希薄なのだ。

 


 晴れ間の予報はなかったのに、”もうけもん”て感じ。早速ミニトマトの定植作業を始めた。今年はハウスを新たに立て替えただけでもいいと思って仕事をしています。体の調子もあまりよくないものだから、無理をしないよう・・・

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許してはいけない!

2018年06月29日 | 社会・経済

過労死法案採決の狡猾 日本代表の試合の日は気をつけろ!

  日刊ゲンダイ 2018年6月29日

   28日は朝から深夜まで、テレビを中心にサッカーW杯の日本代表戦で一色、決勝トーナメントに進出できるのかどうかで日本中がヤキモキだったが、その裏で国会では、またもや強行採決のデタラメが繰り広げられた。別名“過労死促進法”の「働き方改革法案」が、野党の反対を押し切って参院の厚生労働委員会で採決され、可決されたのだ。これで29日にも、労働者を奴隷化する危険な悪法が成立してしまう。

 28日の厚労委では、法案の採決を阻止するため、立憲民主党、共産党、自由党、社民党の野党4党が厚労委員長の解任決議案を提出。しかし、参院の野党第1党である国民民主党がこれに同調せず、法案採決を認めたため、与党は解任決議案を棚ざらしにして、本会議には上程しなかった。つまり、通常なら先決して最優先に採決される解任決議案を無視するという横暴の末、過労死促進法案は可決されたのだった。

   与党は「審議を尽くした」と主張する。審議時間が衆院33時間30分に対し、参院はそれを上回ったからだというが、問題は時間じゃない。法案の中身がメチャクチャ過ぎるのだ

 

  厚生労働省によるデータの捏造がバレ、裁量労働制の拡大こそ引っ込めたものの、高年収の専門職の残業代をゼロにする「高度プロフェッショナル制度」(高プロ)は残されたままだ。この高プロにしても、データはインチキの極み。必要性を把握するためのヒアリングは法案要綱の作成後に行われた上、たった12人にしか調査していなかったのだから、「労働者のニーズ」なんてウソ八百に決まっている。

  “高年収”というのも口先だけだ。政府は高プロの対象は「年収1075万円以上」と喧伝してきたが、条文にそんな数字はなく、「平均年収の3倍を上回る水準」とあるだけ。前の厚労大臣が「小さく産んで大きく育てる」とホンネを口走ったように、法案さえ成立してしまえば、政府と経済界がタッグを組んで、対象者を広げていくだろうことは目に見えている。

   高プロを提唱した産業競争力会議の委員で、高プロの“旗振り役”でもある人材派遣会社パソナの竹中平蔵会長は、東京新聞のインタビューで高プロの必要性を説きながら、こう言っていた。

 

 「時間内に仕事を終えられない、生産性の低い人に残業代という補助金を出すのも一般論としておかしい」

 

 これには、残業しなければ終わらないほど仕事が多すぎるという発想はない。それだけでも労働者のための法案ではないというのは明白で、廃案にして一からヒアリング調査をやり直し、法案を作り直すのが筋なのである。成立したら、サラリーマンは息の根を止められてしまう。

 

  労働法制に詳しい法大名誉教授の五十嵐仁氏がこう言う。 

 

 「労働法制は人の生き死にがかかる重要な政策です。過労死を容認するような中身で、多くの問題点が明らかになっているのですから、強行して成立させるような法案ではありません。政府も当初こそ『労働者のため』と言っていましたが、ここへきて経営者の利益が優先されていることも見えてきました。正々堂々と議論できないから、『国民がW杯に気を取られているうちに……』『サーカスに惑わされているうちに……』という姑息なやり方で法案を成立させようとするのでしょう」

5年の長期にわたって「ナチスの手口」を実行

   「パンとサーカス」は安倍ペテン政権の常套手段だ。2年前のリオ五輪。国民がメダルラッシュに沸く中、閉会式に安倍首相が「スーパーマリオ」に扮して登場。これだけで世論調査の内閣支持率がハネ上がり、それまで「反対」が多かった「総裁任期の延長」についても「賛成」が増えた。

  安倍は今回のW杯も、トコトン利用する気なのだろう。日本代表がコロンビアと戦った初戦の19日、“腹心の友”がアリバイ作りの記者会見を開いたが、W杯のドサクサに紛れてモリカケ問題の幕引きを狙った官邸との打ち合わせがあっただろうことは想像に難くない。

  日本代表のまさかのコロンビア戦勝利で、日本中がW杯に熱狂し始めると、テレビはどこも、国会のことなんてほとんど報じない。第3戦のポーランド戦があった28日も、現地・ボルゴグラードからの生中継や日本代表のスタメン予想、30度を超える酷暑への不安など一日中、W杯情報にたっぷり時間を割いていた。

こうなれば国民に気づかれないように、安倍政権はやりたい放題を加速させる

  「国会で与党が難しい法案を通そうとする時は、1本でやらないで、いろんな懸案の法案を組み合わせて出して、核心の1本を目立たなくさせるものです。国民の関心がW杯に向かっているところで、働き方法案を成立させようというのも、そうした手法の延長線上にある。W杯によってメディアの国会報道が減るだろうというタイミングを政権は狙ってきているのです。こうした政権の思惑に対し、メディアはきちんと強行採決のことを伝えるのかどうか。メディアが試されています」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

 28日は働き方法案だけでなく、野党の抵抗むなしく、米国を除く「TPP11」関連法案も参院内閣委で可決している。こちらも、29日成立の運びだ。延長した32日間の会期は与党のためだけにあると言わんばかりに、与野党対決法案が次々、ベルトコンベヤーに載せられて自動成立していく。緊張感のない消化試合――。これが今の茶番国会の姿なのである。

■バラバラ野党が政権をツケ上がらせる

  野党もどうしようもない。働き方法案が参院の委員会であっさり可決したのは、国民民主党が野党共闘から離脱して、採決を容認したからである。参院の野党第1党が、厚労委員長の解任決議案に乗らなかったので、与党は平然と決議案を無視する強行に出ることができた。与党の国対筋は「野党間の溝が顕在化して助かる」と漏らしていたという。

  そういえば、国民民主の応援団の連合も27日、事務局長が自民党の岸田政調会長を党本部に訪ね、来年度予算編成に向け、長時間労働是正など重点政策の要望書を渡していた。毎年恒例のことだとはいうが、自分たちが反対する高プロの含まれる働き方法案が成立しそうなタイミングに、なぜわざわざ与党にスリ寄るのか。野党がバラバラ、チグハグで、与党は楽チン。安倍政権をますますツケ上がらせるばかりである。

「支持率1%に低迷したままの国民民主は立憲民主とは違うことをして独自性を示したいのでしょうが、与党を利するだけです。『野党の足並みが乱れている』とメディアに報じられ、有権者にも『党利党略』と思われ、結果的に国民民主にとってプラスにならない。支持率も上がりませんよ。どうしてそういうことが分からないのでしょう」(五十嵐仁氏=前出)

  パンとサーカスを与えることで、民衆を支配するのがうまかったのはヒトラーのナチスだった。安倍政権も5年の長期にわたって、「ナチスの手口」を実行に移してきている。決勝トーナメント進出を決めた日本代表の次の試合は7月2日。狡猾政権は今度は何を仕掛けてくるのか。国民は浮かれていないで、注視しなければならない。


 「野党もどうしようもない」ではないでしょう!支持率1パーセントしかない「国民民主」が「野党」を代表するから問題なのであって、「立憲」と「国民民主」がちょっと前までは「民主党」として同じ釜の飯を食っていたのだから。より勢力分布がはっきりしたのに、彼らまで「野党」として期待できないのはわかりきったことだ。「維新」と同じなのだ。今度の選挙で消滅させなければならん。「進歩的」と言われるメディアでもこれなのだ。

 そもそも「生産手段」を持たぬ労働者、自らの労働能力を売るしかない弱い立場を、団結して権利を守り人間としての生存権を拡張してきた長い長い歴史の上に立つ、働く者の権利である。なん世紀にも及ぶ「資本」と「労働者」の戦いであった。

   許してはいけない!

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家族のかたち

2018年06月28日 | 社会・経済

 

 「沈没家族」で僕は育った。“普通”じゃない家族で育つ子供は、不幸せなのか。

         24年後、息子は映画を撮った。

ハフポスト ライフスタイル

  2018年06月27日 佐々木ののか 

    選択的夫婦別姓や契約結婚のほか、選択的シングルマザーなど、新しい家族のかたちが注目されている。

   多様な家族のありかたへの理解は広まっているが、ひとたび子どもの存在が明らかになると、「一般的な育てられ方をしていない子どもが可哀想」「子どものことを考えているのか」といったネガティブな反応も散見される。

 果たして、一般的でない育てられ方をした子どもは「可哀想」なのだろうか。

   今回取材したのは、加納土(つち)さん(24歳)。婚外子である加納さんは、1歳のころから、母・穂子さんのほか、呼びかけをきっかけに集まった大人たち(保育人)に共同で育てられた。2歳半になってからは東京・東中野にある3階建てのアパート(通称「沈没ハウス」)に母とともに入居し、たくさんの保育人たちと暮らすことになる。

   その後、大学生になった加納さんが自身の生まれ育った沈没ハウスでの生活を振り返るかたちでつくられたドキュメンタリー映画『沈没家族』は、PFFアワード2017で審査員特別賞を受賞。2018年6月末にも東京・ターナーギャラリーにて上映会が予定されている。

   加納さんはどんな環境で育ち、生まれ育った環境に何を思うのか。映画の制作と合わせて、沈没ハウスでの共同保育について話を聞いた。

 母子と独身の若者たちによる共同生活のはじまり

 ――大学の卒業制作で、「沈没家族」を主題にしたドキュメンタリーを制作しようと思ったのはなぜですか?

   2014年、僕の20歳の誕生日に開かれた「沈没同窓会」がきっかけですね。高尾にある合宿所のような場所に30人くらいが10年ぶりくらいに集まって、スライドショーを見たりとか、みんなで酒を呑んで騒いだりしました。

 沈没ハウスのことは覚えていたんですが、顔も名前も知らない人が「土はカボチャが嫌いでさー、食わせるの大変だったよ」などと口々に僕の話をしていることは、何だかとても不思議な感覚で......。

 彼らや自分の育った「沈没」についてもっと知りたいという強い欲求があったので、卒業制作のドキュメンタリーの主題にしようと。

 ――沈没ハウスでは、どんな風に生活や子育てしていたのですか?

  カオスでしたよ(笑)。建物は3階建てで、1階が広いリビングとトイレとお風呂があって、2階に2部屋、3階に3部屋あって、大きさもまちまち。それぞれの部屋に母子で住んだり、独身の男性が住んだり、行く当てがなくて困っている人が居候としてリビングで雑魚寝していたりの共同生活でした。

   子育てに関して言えば、入居している人たちや遊びにくる人たちが、僕や他の子どもたちに関わってくれたのですが、統一したルールは決めていなかったです。

 例えば、朝ごはんと昼ごはんも、一緒に食べる人次第で教えられるテーブルマナーが違うんだけど、どっちが正解なの? とか(笑)。そういう意味で、僕は順応性やたくさんある教えの中から自分に何が必要かを見極める能力は特訓されてきましたね。

 シングルマザーを支援する側と支援される側の関係ではなく、各々が思うように接していいっていうのが特徴だったんじゃないかと思います。

 ――そもそも、沈没ハウスでの共同生活はどういったきっかけで始められたんでしたっけ?

   母は「子どもはたくさんの大人の中で育ったほうがいい」という考えを持っていました。それに彼女自身の感覚として、両親2人だけで子育てするのは無理だと思っていたのもあって、共同で保育をする方向に進んでいったんだと思います。

   最初は山くん(父)も巻き込んで共同保育をするつもりだったみたいなんですが、山くんは乗り気ではなかったし、母が山くんと反りが合わなかったこともあって、離れて住もうということになったみたいです。

 ――その頃はインターネットも今ほど普及していないですし、一緒に子育てする人を集めるのは大変だったんじゃないですか?

   そうですね。当初は鎌倉に住んでいたのですが、まずは東中野にある上野原住宅というアパートに僕と母の2人で住んで、シフト制で共同保育をするところから始めました。

   母は「だめ連」というコミュニティやシェアハウス「ラスタ庵」といった、面白い人たちが集う場所にチラシを配ったり貼ったりして、界隈の人が集まりました。これが映画の冒頭ですね。そこから派生して、だめ連界隈以外の人も多く参加するようになりました。

   ただ、月1回の保育会議のときには20人が狭いアパートに集結するので、近隣問題になってしまって(笑)。そこで、大人数で住める家を探して、見つかったのが3階建ての「沈没ハウス」でした。

 

 「親以外に甘えられる大人がいる環境は、居心地がよかった」

 

――加納さんは1歳の頃から共同保育を受け、2歳半の頃からずっと沈没ハウスで暮らしていますが、物心ついたとき、自分の置かれている環境について、どういう風に感じていましたか?

   沈没ハウスに住んでいたのは小学校2年生の3月までだったんですが、住んでいる間は「これが世の中一般とは異なる家族のかたちである」ことには全く気付いていませんでした。

 運動会に行っても、他の子はお父さんとお母さんくらいしかいないのに、僕のところは10人くらい大人が来ていたんですけど(笑)。でも相対化することもなかったし、人と違うことに対するコンプレックスみたいなものは、少なくとも沈没ハウスに住んでいる間はなかったです。

 むしろ、困ったときに甘えられる親以外の大人がいるのは僕にとっては楽でした。たとえば、母親に怒られても部屋に1人で閉じこもっているんじゃなくて、他の保育人のところに遊びに行けば甘えさせてもらえるじゃないですか。居心地がよかったですね。

なので、母親が「都会に住むのがしんどい」と言って、小学2年生の3月に八丈島に移住したときはすごくつらかったです。学校でいじめにあったことも理由の一つですが、母親が働きに出ている間は家に誰もいないですし、母に叱られても甘えられる人が他にいないので。

 

――映画の中で、1カ月間学校に行けなくなったというシーンもありましたよね。あのときは何かつらいことがあったのでしょうか?

   つらかったわけではないんですけど、学校と沈没ハウスのギャップに適応できなくなったんですよね。小学校2年生の夏休みに母親と2人で東京から沖縄までテント旅をしたんですけれど、自由なヒッピー生活と相変わらずカオスな沈没ハウスは、整然とした学校からあまりに乖離していて、「ちょっと無理だ」って(笑)。

 ただ、それは共同保育がダメだったとか、沈没ハウスがもっとマトモだったらよかったとかそういう話ではないんです。他の子だったら合わなかったかもしれないですけど、僕も入居していた他の女の子もすくすく育っていますし、沈没ハウスにネガティブな気持ちはないですね。

 

映画の制作を通じて変化した、"父"と母との関係

 

――加納さんが映画を制作するモチベーションの1つに「沈没ハウス」の方のことをもっと知りたいという強い欲求があったそうですね。たくさんの登場人物の中でも、加納さんが「山くん」と呼ぶ、お父さんを撮ったシーンが印象的でした。離れて暮らしてきたお父さんとは、どのように関わってきたのでしょうか?

 

   沈没ハウスに住んでいた小学校2年生までは、毎週末会っていました。山くんにとっても、「僕に毎週末会える」っていうのがモチベーションだったみたいで、張り切っていろんなイベントに連れて行ってくれて。5歳のときに浅草で「東宝特撮映画のオールナイト」を観たり、紙飛行機大会に出場したりとか(笑)。本当にいろいろな経験をさせてもらいましたね。

   僕の中で山くんは、「たくさんいる保育人の1人ではあるけど、特別な人」という認識でした。そもそも、父親がどんな存在かもわかっていなかったと思う。当時の保育ノートにも僕が「土にはパパいないよ」と言ったとも書かれていますから。ただ、特別な存在であったことには変わりないですね。

 

――お父さんとは定期的に会われていたんですね。 映画を撮る前と撮り終えた後で、大きな心の変化やギャップはなかったんでしょうか?

 

   これは映画の中では触れていないことなんですが、中学3年生のときに山くんに関して個人的にショックな出来事があって、それ以降、山くんのことを「父として」ではなく、1人の人間としてどう接していいかわからなくなってしまったんですよね。

   高校卒業後に一度東京で会ったのですが、次に会ったのが撮影のときで、そのときにものすごく腹を割って話せたのはよかったと思っています。それまでは楽しいことだけを共有していたかったので、ある意味では本音を隠していた部分もあったんですけど、思っていることを伝えられた。

   今後、山くんとの関係がどうなっていくのかは僕自身もわからないですが、撮影を通して言えなかったことを言えたのはすごくよかったなと思っています。共同保育にモヤモヤしながら、僕との距離をどう取っていくか模索していた山くんに出てもらったからこそ、「楽しかった思い出」に終始せず、映画としての厚みが出たとも思うので。

 ――映画の制作にあたっては、お母さんにも何度も会いに行かれていますよね。環境は変わりながらも、高校卒業までずっと生活をともにしていたお母さんを撮っていく中で、想いや関係に何か変化はありましたか?

   母親はビジョナリーというか、目指すべきものに向かっている人だと思っていたんですが、撮っていく中でサバイブするためにやっていた部分も大きいんだということがわかりました。

   母のスタンスとして「楽しむこと=生き残ること」という感覚があって、その延長線上に共同保育もあったようです。それに、もう少し物理的な意味で言えば、父と離れて暮らすようになって2人きりになったときは本当に貧しかったので、そんな状況で「沈没家族」のチラシを撒いて誰も来なかったら、僕と母はどうなっていたかわからなかったですよね。その事実を知ったら、母にも保育人たちにも感謝の念がますます強くなりました。

   保育人の中にも「どうせ結婚できないしさ」と思っている独身の人とか、精神的に調子の悪い人とかいろんな人がいましたが、沈没ハウスのリビングに集まれば、子どもに会えて、子どもも甘えてくれる。彼らにとっても救われた場所だったと思うし、ほんの一時期だけ成立した奇跡的な場所だったんだなとあらためて思いましたね。

 

「家族」という概念がないのも、新しい家族のかたちの1つ

 

――新しい家族や保育のかたちには「子どもが可哀想だ」という批判が集まることもあります。加納さんはいわば新しい保育のありかたで育てられた当事者だと思うのですが、そういった社会の風潮について、一個人として、どう考えていますか?

 雑な言葉ですけど、気持ち悪いですよね(笑)。

   わかりやすい例だと「選択的夫婦別姓」とかも、どうして人が選ぶものを尊重できないんだろうなって。他人の選択がその人にどんな嫌な影響を及ぼすのかなというのは率直に不思議に思いますけどね。

   当事者として言わせてもらうと、沈没ハウスで育ったらみんながみんな楽しかったと思える保証はないですよ。一方で、核家族的な"普通"の家族のかたちが窮屈になっちゃう人もいっぱいいるので、いろんなやり方があっていいと思うし、それは何か一律に決めつける必要はないと思っています。少なくとも、たくさんの大人に囲まれて育った幼少期は、僕にとっては人生の糧です。

それに、突き詰めれば、どんな子どもも可哀想じゃないですか。たとえば、親がどんな職業だとか、どこに住んでいるだとか、収入とか、どんな料理を作ってくれるだとかの一切を選べない。子どもは親に従わざるを得ないという時点で、デフォルトで"可哀想"なので、保育の仕方だけを切り取って可哀想っていうのはどうなのかなと思いますね。

 

――加納さんが育った「沈没ハウス」の皆さんを一言で言うなら、どんな存在ですか?

 愛すべき変人たちですよね。楽しかった。

 「家族」とか「愛」とかじゃないけど、本当に楽しかったです。保育人の中には、「土を育てることに興味はないけど、楽しいから」という理由で来ている人もたくさんいるんですよ。そういう、愛を前提にしないで楽しさだけを共有している感じが僕は好きでしたね。

   だから、「沈没家族」の映画をつくるときにも「家族愛」とか「家族の絆」とか「母との親子愛」っていうつくりをしないように気を付けていて。だから、すごくモヤモヤしながら土との距離感を模索していた山くんの視点がなければ、映画は完成しなかったと思っています。まぁ映画を観た多くの人からは「土が穂子さん(母)のことをめちゃくちゃ好きなのが伝わってくる」と言われてしまったんですけど(笑)。

 ――あえて聞きたいのですが、加納さんにとって「家族」とは何でしょう?

  「家族」という概念は、僕の中にはないですね。母も、山くんも、沈没ハウスの保育人たちも楽しい思い出を共有できた大切な存在ですが、「この人は僕の家族だ」と思った人は今までの人生で1人もいないかもしれません。

   僕は家族だと思える人がいないままに育ちましたけど、楽しい思い出を糧に生きているので、「家族」ってなくてもいいんじゃないかなと思うんですよね。そろそろ死語になるんじゃないかな(笑)。

   もちろん、家族の絆や「私の家族はこれだ」とはっきり言える人はリスペクトしますけど、そうでないからといって気の毒がられるのは寂しいというか。「家族」という概念がわからないことも、新しい家族のかたちなのかなって思います。

     ***

   一風変わった共同保育によって育てられた加納さん。取材の間、彼が沈没ハウスや共同保育についてネガティブな気持ちを吐露した瞬間は一度もなく、終始楽しそうに思い出を語ってくれた。

 もちろん、すべての人が同じように思えたかはわからない。しかし、すくすくと育った彼を目の前にして、「彼の受けた保育は間違っている」と突きつけられる人はいないだろう。

   そんな加納さんは「今までの人生で一度も「『この人は家族だ』と思ったことがない」と語った。もしかすると、生きていくうえで「家族」は必ずしも必要ないものなのかもしれない。

 

 「かぞくって、なんだろう?展」

 日時 :6/30(土)〜7/7(土) 10:00〜18:30 ※7/1(日)は休館

 場所 :ターナーギャラリー(1階、3階、4階)
         
〒171-0052 東京都豊島区南長崎6-1-3
                 都営大江戸線 落合南長崎駅 徒歩10分/西武池袋線 東長崎駅 徒歩8分

 入場料 :無料

 

【「沈没家族」上映会】

 6/30(土)15:00~16:30(映画72分間+アフタートーク)

  7/3(火)13:00~15:30(映画72分間+アフタートーク)

  7/7(土)15:00〜17:30(映画72分間+アフタートーク)

 イベントページ:https://www.facebook.com/events/186092032227497/ 

 会場に足を運べない方はサイトからも観られます。https://aoyama-theater.jp/pg/2903

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考えてほしい、虐待を生まない社会に向けて。

2018年06月27日 | 教育

今日3本目の記事です。長いですがぜひ読んでほしい記事です。

***

 女児虐待死事件から感じた危険な空気

情報・知識&オピニオンimidas連載コラム >  仁藤夢乃の“ここがおかしい”第26回

2018/06/27 仁藤夢乃  (社会活動家)

(1)子どもたちが助けを求められなくなる

 児童相談所と警察の情報共有に懸念

  2018年3月に東京・目黒で起きた女児虐待死事件。児童相談所が関与していたにも関わらず、5歳の少女の命を守れなかったこの事件を受けて、児童相談所の虐待情報を警察と全件共有することを求める声が大きくなった。しかし、私はそのことに危機感を抱く。例えばハイティーンの子どもたち――特に虐待や困窮から生き延びるために万引きや性売買、犯罪に関わった少年少女は、警察による取り締まりやけん責を恐れて、ますます助けを求められなくなるからだ。

 朝日新聞の報道では「厚生労働省によると、虐待が疑われるとして全国の児相(筆者注 : 児童相談所)が2016年度に対応したのは12万2575件に上る。一方、08~15年度の8年間で心中以外の虐待で亡くなった子は408人。うち約4人に1人は、児相が関わったことがある子どもだった。どの段階で警察へ連絡するかなどの基準は、自治体によってまちまちだ。子どもの支援に関わる自治体職員は『子どもを長い期間見守るためには、親との信頼関係を築くのが一番大切。警察と訪問した途端、態度を硬くする親も多い』と話す」とある(朝日新聞デジタル、18年6月16日)。

 都内のある児童相談所では、親が子どもに会わせることを拒否したため警察に援助要請して住居へ立ち入り、未就学の女児を保護した事例がある。茨城県や愛知県では、今年(18年)から児童相談所が把握した全ての虐待情報を警察と共有している。埼玉県や岐阜県でも、児童相談所と警察間で「情報の全件共有」を行う方針が発表された。

 3日間で8万人以上の署名を集めた「もう、一人も虐待で死なせたくない。総力をあげた児童虐待対策を求めます!」という署名サイト(https://www.change.org)のキャンペーンで掲げられた「児童虐待八策」にも「児相の虐待情報を警察と全件共有をすること」が挙げられている。

 児童虐待については、これまで市民の関心が高まらず、重点政策にならなかった。現場の支援者の多くも、危機的状況にある目の前の子どもたちに関わるのに精一杯で、政策提言には力を入れる余裕なく過ごしてきた。私もその一人だと思う。児童福祉に関わり、現場で悲惨な現実と向き合い続けている人たちが、政治家や市民の意識を喚起するような動きを十分に作れずにきた結果、体制も制度も変わらないまま弱い立場の人にしわ寄せがいってしまっているのも事実だ。

 そんな中、目黒の女児虐待死事件から始まったこの署名サイトのキャンペーンは、影響力のある人々が声を上げ、タレントなど著名人も賛同して注目を浴びている。いち早く立ち上げたことでインパクトもあったろうし、待ったなしの現実がある中で、世間の関心が高まっていることはうれしく思う。「支援に詳しくない自分にもできる」「今すぐにできること」と考えて、賛同した人も多いのではないだろうか。

 キャンペーンに賛同する人にはさまざまな立場や考え方の人がいて、多くが虐待対応の現場を知らない人たちだろう。そうした人たちがまとまり、声を上げ始めたことは確かに喜ばしい。しかし一方で、影響力のある人々が問題の背景などをよく理解しないまま声を上げていることや、署名に賛同する一人ひとりがどこまで問題を理解しようとしているのか、という点に不安も感じている。例えば冒頭に書いたようなことだ。

  今回は現場からの声を聞いてほしくて、その問題について書くことにした。

 警察組織は子どもに寄り添えるか?

 私は日々、虐待などによって家にいられない、もしくは家にいたくなくて街やSNSをさまよううちに犯罪に巻き込まれたり、日銭を得るため性売買や万引き、振り込め詐欺の受け子などに関わったりした少女たちと出会っている。非行や家出に走る子どもたちは指導や矯正の前に、家庭などの背景へと介入し、福祉、医療、教育的なケアにつなげるべきだ。が、そうした子を理解できる大人は少なく、当事者たちは学校でも排除され、児童養護施設や自立援助ホームなどの児童福祉施設などでも「問題行動がある」として受け入れてくれれないことが多い。福祉の現場でさえそんな状況なのだから、警察がケアの視点を持って保護に関わってくれたことはほとんどない。

 警察では、非行に関わった子は取り調べの対象となり、犯罪者扱いされる。少年院に入院する子の多くも家族関係に悩みを抱えているように(家に戻せない、しかし他に受け入れ先がないことから、少年院しか行き場がないという子もいる)、そういう子たちは大人から裏切られたり、「非行」されたりした経験がある子がほとんどだ。しかし、警察に児童相談所の情報が流れるなら、そういう子は家に居場所がなくても、ますます児童相談所には頼れなくなるだろう。

 保護のニーズが高まる夜間や土日祝日、年末年始に駆け込める公的機関は警察だけなので、「長期休暇の時や土日、夜間には『危険を感じたら警察に駆け込むんだよ』と子どもに言うしかない」といった学校教員などの声も聞く。実際には明らかな虐待があり、本人も保護を求めていて、学校から児童相談所に何度も虐待通告しても保護してもらえない中高生のケースはよくあるのだ。しかし警察は福祉施設ではなく、不適切な対応をされることが多い。

 例えば、父親に殴られて交番に駆け込んだ中高生に、警察官が「お巡りさんがお父さんに言ってあげるから」と言って親を呼んで叱り、親子とも家に帰すようなケースに私は何件も関わっている。そのことで虐待が更に悪化し、子どもはそれ以来、他人に相談ができなくなり警察も恐れるようになった。

 虐待を背景に家出や性売買に関わった少女が警察に駆け込み、「家に帰りたくない」「親にも迎えに来てほしくない」ということで私たちが呼ばれて行ったら、「ふらふらしているのが好きな子なんでしょう」「これだけ売春を繰り返しているんだからまずは鑑別所。親にも連絡したけど無関心だったので、その後は少年院しかないでしょうね」なんて軽々しく言われたこともある。彼女は虐待の影響から精神障害も抱え、躁状態になって「親に振り向いてほしい」という気持ちで、この日、衝動的に警察に駆け込んだ。迎えに来てくれると思った親は来てくれず、深夜だったこともあって補導され、取り調べられるうちに性売買に関わっていることが発覚したのだ。

 彼女に弁護士を付けたいと言うと警察はなぜかそれを渋った。他にも18歳未満ではなかったが、性虐待から逃れるため地方から逃げてきた女の子と一緒に警察へ行ったら、事件が起きた場所はここじゃないので、今から新幹線で地元へ帰り、家の近くの警察に相談しなさいと言われたこともある。彼女は地元で頼れる人がいなくて東京の支援団体を頼って逃げて来たのに、警察は「シェルターなら地元にもあるでしょう」などと執拗(しつよう)に諭し、レイプキットによる検査もせず帰そうとした。

 公的機関で唯一、街やSNS上で積極的に家出や性売買に関わる子どもを発見し、つながる活動をしているのも警察だが、それは「補導」という形になる。補導された子は生活態度を注意され、親や学校に連絡され、家に連れ戻され、家庭裁判所によって少年鑑別所や少年院に送られることもある。だから私自身も家を飛び出て繁華街をさまよった中高生時代、「警察は見かけたら逃げるものだ」と思っていた。

 全ての子どもに弁護士を付けたい

 私は女子高校生サポートセンターColabo(コラボ)の活動を行う中で、子どもの気持ちに寄り添おうとする警察関係者とも出会っているが、中には「個人的には『それでいいのか?』と思っていても、警察官として動く以上、警察組織の役割の中で対応をせざるを得ず心苦しいこともある」と話す人もいた。

 また虐待を受けている中高生の中には、家族が犯罪に関わっていることを知っている子もいる。児童相談所に相談して警察から家族に手が伸びてしまうことを嫌う子は、助けを求めることができなくなる。「情報の全件共有」は幼い子にとっては救いになることもあるかもしれないが、思春期以降の子たちにとっては脅威にもなる。虐待を背景に万引きや性売買に関わる、ハイティーンの子どもたちをどう守るかを考えていきたい。

 子どもが児童相談所に保護を求めた際、家を出てギリギリの生活を続ける中で盗みや性売買に関わったことが分かった途端、その子を警察に任せてしまおうとする児童福祉司もいる。その瞬間から、彼女は保護を求める虐待被害者ではなく、取り締まりの対象である非行少女として扱われてしまう。

 あるハイティーンの少女は、虐待によって児童相談所に一時保護されていた時、過去の犯罪行為が発覚して鑑別所へ行くことになった。彼女はその後、少年院に入ったが出院時に家に帰されてしまった。家では虐待が続いたため、彼女には居場所がない。

けれど出院後の保護観察中なので「◯日以上の無断外泊はしない」とか「夜◯時までには家に帰る」といった順守事項が課せられ、それらを守らなかったり、保護観察所が指定した居住地にいなかったりすると少年院に戻される可能性があり、「どうしたらよいか?」とColaboに相談してきた。

 そこで私たちは彼女を保護し、児童相談所と保護観察所の担当者を集めて話し合うことにした。両者はそこで名刺交換を行った後、児相の担当者が「私たちとしては、一時保護の時点で彼女はもう家に返せないと判断していたんです」と切り出した。その後、彼女が安心して暮らせる場所をどう探すかで、児童相談所と保護観察所が互いに押し付け合おうとするようなことが起きた。児童相談所は厚生労働省、保護観察所は法務省と管轄が違うために連携が難しいのだそうだが、彼女のようなケースは本当に多いので、帰住先探しや出院後の支援などでの連携を強く求めたい。

 警察と情報共有をすべきケースについては、各児童相談所の判断に任せるのではなく、過去の事件や今の状況を検証・調査し、よく議論して基準を作ってほしい。また、警察は福祉機関ではないが、現状で児童相談所の閉所時間に頼れる唯一の公的機関なのだから、虐待被害児に対し「取り締まり」ではなく「ケア=保護」の視点を持って関われるよう、全ての警官に継続的な研修を早急に行うべきだ。私は、そういう問題意識もなく「情報の全件共有」を語る人が増えることが怖い。警察には、むしろ補導した子を支援につなぐなど、必要なケアを受けられるよう積極的に動いてほしいと思う。

 児童相談所と警察の情報共有を叫ぶ人たちには、「全ての子どもに弁護士を付ける」ことへの賛同も同時に求めていきたい。虐待されている子どもの中には「親と離れて生活したい」「親と縁を切りたい」と思っている子も、そうでない子もいる。しかし公的機関の対応には、そうした子どもの気持ちや意思が尊重されているとは感じられなかったり、子どもの権利が守られていないと思われたりすることが多々ある。

 大きな権力に自分の人生や生活が左右されてしまうこと、決め付けられてしまうことを子どもたちは恐れている。虐待の事実が発覚したことからそういう経験をしたり、家族とのいい距離感を求めていたのに、介入があだになって関係が悪化したと感じたりした子どもは相談をしなくなる。だから警察と情報共有をするかしないかに関わらず、「子どもの味方」になる人を子どもたち一人ひとりに付けてほしい。「児童相談所の弁護士」ではなくて、「子どもの代理人」として活動できる専門家が必要だろう。

 

(2)短絡的な親批判では何も解決しない!

 

必要なのは児相や保護所の見直し

 目黒の女児虐待死事件について言えば、問題の本質が果たして児童相談所と警察との情報共有ができていなかったことなのだろうか? それよりも虐待防止のためにまず必要なのは、児童相談所の体制を見直すことだと私は思う。

 虐待を受けた子どもはさまざまなトラウマを抱えており、その影響から身を守るために嘘をついたり、甘えたり、大人を試したり、暴力的・反抗的・無関心な態度を取ったりすることがある。それらへの対応には知識と経験が必要だが、児童相談所には事務職として採用された公務員が児童福祉司として働いていることがあり、そういう人はトラウマへの理解やケアの視点を持って関わるための専門性が身に着いていないことがある。

 更に人員不足で職員に余裕がなければ、子どもや他機関支援者との関係作りに時間を掛けることも難しい。知識と経験のある人を児童福祉司として採用し、専門性を磨きながら長く勤務し続けてもらう仕組みや、一つひとつのケースに丁寧に対応し、学校や医療、民間支援団体などとの連携ができる時間的、精神的な余裕を確保することが必要だ。

 現在、1人の児童福祉司が100ケース以上を抱えている児童相談所もあり、そこの職員から「すぐに命に関わる低年齢の子を優先せざるを得ず、中高生は後回しになる」と言われたこともある。私は、今関わっている子どもに適切に対応できるようにするためだけでも職員数は最低5倍、支援を求めながら対応されていない子どもたちのことを考えると10倍以上に増やすべきだと思う。0〜18歳と幅広い年齢の子を同じ児童相談所職員・施設で見るのにも無理がある。乳幼児と中高生では対応の仕方や必要なスキルも違うため、10代の子どもたちに対応する専門チームを作るべきだ。

 現状で児童福祉司は子どもだけでなく、家庭を支援するため親の問題にも関わっている。同じ担当者が子どもと親の両方から話を聞いて関わるので、児童福祉司と親との対立が生じやすく、子どもからの信頼も得にくい。客観的な判断のためにも、親と子で関わる担当者は分けるべきであり、「子どもの話」を子どもの気持ちに寄り添って聞けたり、親を支えられたりする民間支援者などとの役割分担、連携も必要だ。

 そして、子どもの人権が守られない一時保護所の在り方も変えるべきだ。これは憲法学者である木村草太氏の編著『子どもの人権をまもるために』(2018年、晶文社)に共著者の一人として書いたが、ここでも述べておきたい。

 児童相談所に保護されると多くの場合、まずは一時保護所に入所し、その間に家庭の状況の調査をしたり子どもの生活場所を探したりする。一時保護の期間は2週間〜2カ月程度が基本となっているが、次の受け入れ先が見つからないなどの理由から最長1年以上入所していた少女を私は知っている。その間、彼女は何カ月間も学校に通わせてもらえなかった。

 一時保護期間中は学校での授業だけでなく、クラブ活動や定期試験、文化祭、体育祭、卒業式などの行事にもほとんど参加できない。そのため子ども自身が保護を拒み、虐待の事実はなかったと嘘の「撤回」をすることもある。

 また、一時保護期間中は外部との連絡を絶たなければならず、友人や先輩、アルバイト先などに「今から保護されるからしばらく連絡できません」などと知らせることも許されないままに保護され、人間関係が壊れてしまうこともある。外部との接触が断たれ、精神的に追い詰められる子どももいる。多くの場合、教員や民間支援者との連絡や面会も許されず、一時保護所内で不安を感じたり不当な扱いを受けたりした時も、誰かに相談するなど声を上げにくい状況となっている。

 せめて身を隠す必要のない子どもだけでも、通学や外部との連絡は許されるべきだ。一時保護所の中にも、状況に応じて登校や、教員、支援者などとの面会を許可している施設もある。そうした施設を参考に体制の見直しが必要だろう。

 

子どもが安心できる一時保護所を

 

 一時保護所の中では、不可解な禁止事項やルールが存在していることもある。例えば、私語禁止、鉛筆回し禁止、髪の毛の黒染め強要、お絵描きなどで1日に使える紙の枚数が1人1枚までなどと決まっている、貸し出される下着や衣類に番号が付いている、自傷行為の傷跡は包帯を巻いて隠させる、トイレは許可制で職員が付いてくる、歯磨き粉を自分で付けるのはダメ(職員がつける)、兄弟姉妹であっても会話や所内での接見は許されない、など。

 入所時の荷物検査も厳しく、「学校で配布されたプリントやテスト用紙、友人からの手紙などプライバシーに関わる物まで1枚ずつ確認された」と話す高校生がいた。入所中の衣類について「親が持ってきてくれない中高生は、みんな上下黒のスウェットを着させられ、刑務所のようだった」「ピアスの穴が塞がらないように透明のプラスチック製ピアスを付けたかったが許されず、穴が塞がってしまった」と言う子もいた。ある少女からは「居室に行くまでに何重もの鍵付き扉を開けて進まなければならず、脱走できないように窓も開かず、外の空気が吸えない環境の一時保護所もある」という話を聞いた。

 ルールに違反した罰として体育館を100周走らせたり、態度や目付きが悪いなどと職員が怒鳴ったり、虐待のトラウマから男性職員におびえて面接で黙り込んだ少女に「大人との上手な付き合い方」をテーマにした課題図書を読ませて反省文を書かせたり、衝立で仕切った学習机で5時間も漢字の書き取りをさせたり、学習レベルに合わない計算ドリルをひたすら解かせたりなどを「内省」の名目で行ったりする所もあるらしい。

 「自分が悪いことをしたからここに来たわけじゃない。親が暴力を振るったから来たのに囚人になったみたい」「刑務所みたいな場所だった」「虐待があっても家にいたほうがましだと思って、家に帰りたいと言った」「もう二度と行きたくない」と話す子たちと私は出会っている。そうした子どものおびえを知った親や児童養護施設の職員が、「言うことを聞かないとまた保護所に入れる」と、脅し文句として使うこともある。このように、今の一時保護所の在り方は、子どもの学ぶ権利や自由を奪うようなものになっている。

 現在、少年院などでも施設見学ができるが、一時保護所については、特に居住スペースは弁護士や支援者などでも多くの場合見学させてもらえず、中で起きている事は子どもたちから聞いた話でしか分からない。先に挙げたような現状や、保護所ごとのルール(制度化されているものだけでなく、暗黙のうちに「私語禁止」などが慣例になってしまっているものを含めて)を調査し、見直すことが必要だ。

 しかも一時保護所は、年齢や性別(性的マイノリティーの子どもへの配慮も含む)などに応じた個室整備も十分ではなく、スペース不足の問題もある。より家庭的な環境で保護できるよう、児童養護施設を含む開放施設や、里親などの活用を積極的に行ってほしい。それでもキャパシティーが足りないなら、民間支援者を一時保護委託先として認めるなどの運用も必要だ。いずれにせよ、子どもが「脱走したい」と思わないで済むような、「ここに来て良かった」と思えるような場所で一時保護を行えるようになってほしい。

 

自分ごととして考える姿勢を持つ

 もう一つ、今回の目黒女児虐待死事件では5歳の少女が書いた文章がセンセーショナルに報じられ、虐待に関心が向いて親への批判が強まっていることにも危機感を覚える。

  SNS上でも「そんなことする親は許せない!!」「どうして自分の子どもにそんなことができるのか分からない」「人間じゃない!」「そんな親は犯罪者だ」「死刑にしろ」「虐待する親の親権は停止すべき」「これまで同じような事件があるたび悲しむだけで何もできなかったから、その罰として今回の事件が起きた。今回こそ国を動かそう!」などという書き込みが目に付く。が、多くの場合は虐待した親も孤立・困窮していたり、障害や病気、その他の困難を抱えていたりする。

  そのことを一番近くで見ていて感じ取り、理解しているのは子どもたちであり、たとえ自分に暴力を振るう親であっても他人に悪く言われることを嫌がる子も多く、私もその一人だった。親が自分を大切に思っていないわけではないと知って、虐待を受けてもなお「親のことが好き」という子どもも少なくない。容易に親権停止を叫んだり、親を犯罪者扱いしたりすることは当事者を更に孤立させ、追い詰めかねない。

「夫から妻へのDVなどと違い、親からの虐待では小さい子は逆らえないし、逃げる術も知らない」という人もいるが、虐待はDVのある家庭で起きることが多い。DVの被害者も子どもを気にするあまり加害者と別れられなかったり、暴力に支配されて逃げられなかったりすることが多い。より弱い立場にある子どもは絶対的に守られるべき存在ではあるが、他の暴力の被害者が助けを求められない状況があることも自己責任ではないし、ケアから排除する理由にはならない。

 今回の虐待死事件で亡くなった女児の母親についても、行政が若年出産として把握していながら支援の必要性を認識していなかったという報道もある。子どもの親たちにも、ケアが必要だったのではないだろうか?

 これまで虐待問題に関わってこなかった人たちが声を上げ、多くの人に届くことは大切だが、だからこそどんな表現をするかには気を遣い、問題の本質を見失わないよう学んでほしい。この事件を通して感情的になった人々が振りかざす正義によって子どもを虐待する親が責められ、家庭の問題、個人的な問題とされ、自己責任論が助長されないように気を付けたい。これを契機として虐待問題にどう対策していくか、当事者も含めて議論していけたらいいと思うが、正直、今は当事者を追い詰めるような雰囲気になっていると感じる。

 虐待は、「一部の悪人」によって行われるのではない。特別問題を抱えている家庭でのみ起きるのではない。イライラして子どもを怒鳴ったり、言い過ぎてしまったり、叩いてしまったりしたことのある人は多いのではないだろうか。虐待は、私たちの生活と地続きにあるもの、すぐそこにあるものだ。自分もちょっとしたきっかけで加害者になるかもしれない。だからこそ、親も子も孤立せず、疲れた時には弱音を吐いたり、助けを求めたりできる環境が必要だ。それは、制度の中だけで実現することではない。虐待をしそうな、または現にしている親に対してもその気持ちや背景を想像し、理解を示し、励まし、支える雰囲気があることが、必要な時に必要な支援を利用することにつながる。

 虐待のある家庭では、「このことを誰かに言ったら許さない」「人に言えば、お前は家族を壊すことになる」などと親が周りの目を気にして子どもを脅していたり、子どもも「大ごと」になるのを恐れていたりする。今の世間には、いっぱいいっぱいいで悩んでいる親が「子どものこと、イライラして叩いちゃったんだよね」と、友人に相談することもできなくなるような空気が充満していないか。子育てに関する悩みを児童相談所に相談するハードルはそもそも高いのに、全件警察に共有となれば、気軽に相談できなくなる親もいるだろう。

 親を責めることよりも、「子育てや家族との関係は誰しもが悩むもの」という当たり前のことを共有し、「相談していいんだ」と思える雰囲気を作ってほしい。

 子どもが関わる問題は「児童相談所や警察が保護すれば終わり」というものではない。保護された後、子どもたちが何を聞かれ、どんな手続きを踏み、どんな所でどんな生活を送ることになるのか――。先に挙げた一時保護所の実態や、児童福祉施設内での虐待の問題、里親の不足、非行に関わりやすいハイティーンの子どもたち(若年妊娠のリスクも高い)の行き場がないこと、子どもたちが人権や暴力、対等な関係性について学ぶ機会がないことなどにも目を向けるべきではないか。

 問題はあり過ぎるほどに、ある。今回の女児虐待死事件をきっかけに「自分にもできることはないか?」と思った人には、まず知ろうとしてほしい。虐待のある家庭に対する想像力を持つためにも、今後議論されていくであろう虐待対策が、根本的な問題を置き去りにすることのないように、その見極めをするためにも。誰かにとって家庭が安心できる場所でないのだとしても、家庭の他に、地域の中に、いくつも「ホーム」に感じられる場所があったらいいと私は思う。

 どんな立場にある人も、誰もが自分が無知であることや見えていないことがあるかもしれないことを意識し、問題が起きた時に誰かのせいにするのではなく、背景を理解しようとする姿勢と、自分ごととして考える姿勢を持つことが大切だと、自戒を込めて伝えたい。

 

「これだ!」という解決策なんてない。現実に向き合い、考え続けることは時に苦しい。自分の無力さに落胆することもあるかもしれない。だからこそ、さまざまな立場にある人が共に考え、虐待を生まない社会に向けて、家庭を、子どもを孤立させずに地域で支えていくことを始めてほしい。

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まだ、この政権でいいのか!

2018年06月27日 | 社会・経済

ハフポスト 政治  2018年06月27日(一部抜粋)

 

 二階発言「“産まない方が幸せ”は勝手な考え」「食べるのに困る家はない」に怒り広がる

 

  自民党の二階俊博幹事長は6月16日、東京都内での講演後の質疑の際、「このごろ、子どもを産まないほうが幸せに(生活を)送れるんじゃないかと、(一部の人は)勝手なことを自分で考えてね」と述べた。子どもを持たない家庭を批判したとも受け取れ、波紋を呼んでいる。

  TBSラジオによると、二階氏は、講演の参加者から「自民党と政府が一体になって、早く結婚して早く子どもを産むように促進してもらいたい」といわれると、「大変、素晴らしいご提案だと思います」などと以下のように発言したという。

  そのことに尽きると思うんですよね。しかし、戦前の、みんな食うや食わずで、戦中、戦後ね、そういう時代に、「子どもを産んだら大変だから、子どもを産まないようにしよう」といった人はないんだよ。

 この頃はね、「子どもを産まない方が幸せに送れるんじゃないか」と勝手なことを自分で考えてね。国全体が、この国の一員として、この船に乗っているんだからお互いに。

 だから、みんなが幸せになるためには、これは、やっぱり、子どもをたくさんを産んで、そして、国も栄えていくと、発展していくという方向にみんながしようじゃないかと。その方向付けですね。みんなで頑張ろうじゃないですか。

 食べるのに困るような家はないんですよ。実際は。一応はいろんなこと言いますけどね。今「今晩、飯を炊くのにお米が用意できない」という家は日本中にはないんですよ。だから、こんな素晴らしいというか、幸せな国はないんだから。自信持ってねという風にしたいもんですね。

 

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この後、もう1件の記事を掲載します。今日は合計3本です。

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森友不起訴の特捜部長に”ご褒美ー”「反安倍」の民主勢力の結集は急務!

2018年06月27日 | 社会・経済

 日付が変わるころから降り出した雨、きょう一日降り続くようです。
皆さんのブログ拝見している暑さに苦慮しているようですが、こちらは異常に寒いのです。
いまだ、朝晩はストーブをつけています。

 さて、「心温まる」ニュースが転がり込んできました。

安倍政権また忖度に“ご褒美”森友不起訴の特捜部長が栄転

  日刊ゲンダイ 2018626

  露骨な論功行賞だ――。法務省は25日、大阪地検の山本真千子特捜部長(54)の函館地検「検事正」への異動を発表した。山本氏は、森友問題で刑事告発されていた佐川宣寿前理財局長ら38人を全員不起訴にした責任者。地検トップの検事正への異動は栄転だ。森友問題の渦中にあっても国税庁長官に昇格させた佐川氏同様、安倍首相を守り抜いたご褒美である。

  「森友問題が法廷に持ち込まれれば、司法によって断罪される可能性が高まる。裁判所、とりわけ地裁にはマトモな裁判官も多いからです。だから、安倍政権は行政組織である検察で食い止める必要があったのです」(司法担当記者)

 那覇地裁は18日、ゴミ計量票を改ざんして議会に提出した公務員に有罪判決を下した。佐川氏らも起訴なら、有罪も十分ある。安倍政権にとって大阪地検特捜部は頼みの綱だったのだ。

 山本氏は、大阪市立大卒業後、1991年東京地検に着任。神戸、大阪、金沢地検などを経て2015年10月、大阪地検初の女性特捜部長に就いた。金沢地検の次席検事に就任した直後の08年4月、朝日新聞のインタビューで、「モットーは現場主義」と熱く語り、キムタクが検事役で出演したドラマ「HERO」がお気に入りと打ち明けている。

 「マイペースで、自分を貫くタイプです。記者の間では、彼女ならマトモな捜査をやるのではとの見方もありました。森友案件処理後の検事正ポストは既定路線でしたから、政権サイドの顔色をうかがったのでしょう」(前出の司法担当記者)

  9月の自民党総裁選を控え、安倍政権は特捜部長を函館に異動させ、森友問題の幕引きを一気に図る魂胆だ。全員不起訴を不服として、有権者で構成される検察審査会に審査申し立てをしている醍醐聰東大名誉教授が言う。

 「私たちが、大阪の検察審査会に申し立てをしていることもあり、山本氏が大阪地検にいることを避ける意味もあったと思います。泥をかぶった公務員を、追及の手が届かないポジションに栄転させるのは安倍政権のお決まりのパターン。谷査恵子氏の在イタリア日本大使館への赴任、佐川氏の国税庁長官しかりです。これほど重大な問題が、司法にすらはかられないでの幕引きは許されません」

 

  やりたい放題である。

 


 こうなれば、国を相手に訴訟を起こすことが無益になってくる。「三権分立」の完全な崩壊である。
まさに独裁政治だ。
「反安倍」の民主勢力の結集は急務!

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教育に希望を託す 学びの場を若者、子どもたちに

2018年06月26日 | 教育

  ハフポスト 工藤啓  2018年06月26日 

 

病気により死の淵を経験した長岡氏、壮絶な家庭環境の中で生きてきた安田氏

    2018年6月19日、長野県上田市「BOOKS & CAFE NABO」にてトークイベントが開催された。『HOPE ひとりでは割れない殻でもみんなとなら溶かせる』を出版した認定NPO法人侍学園スクオーラ・今人の長岡秀貴理事長(以下、長岡さん)と、『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』を出されたキズキ共育塾の安田祐輔代表(以下、安田さん)が登壇した。

   病気により死の淵を経験した長岡氏、壮絶な家庭環境の中で生きてきた安田氏。年齢も生まれ育った地域も異なる二人は、若者・子どもたちを支援するため「教育」という切り口で起業している。なぜ、二人は教育という道に人生を懸けるのか。その理由と未来について迫った。

 

  筆者(以下、工藤):本日のイベントのコーディネーションをさせていただくにあたり、生死にかかわるような経験をした、年齢も生まれた地域も異なるお二人がたどり着いた場所がなぜ「教育」であったのか、その理由に迫りたいと思いました。まずは、それぞれの現在の活動について教えていただけますか。

 

長岡さん:高校の教員を辞めたのが18年前です。最初は飲食店から独立起業して、15年前に侍学園を設立しました。社会参加不全の若者や子どもたちの包括的な支援を行っています。学園の運営と同時に、合同会社で上田市内に3店舗飲食店を経営しています。そこは若者の就業訓練の場にもなっています。

   私は、ひとの人生が変わるところに関わることをミッションにしており、学園や飲食店はそのためのツールであると考えています。

   特に飲食店は若者支援とは関係のないお客さまが集まります。そのお客さまが、私たちに「何をしているのか、何をしようとしているのか」を聞いてくれるようになります。当初は職員(店員)のファンであったお客さまが、事業のファンとなっていくのです。

   飲食店以外にも美容室を経営したり、音楽活動などもしていますが、若者支援という世界を知らないひとたちが、少しずつ若者支援や侍学園に関心を持つようになっていくことを嬉しく感じています。

安田さん:不登校や中退者専門の塾を起業して7年が経ちました。いまは東京と大阪の5つの教室に300名ほどの生徒が来ています。教室に通えない遠方の学生はLINEを使って授業をしており、オンラインで約40名の生徒を支援しています。

   本当にたくさんの生徒がいるのですが、例えば、高校一年で中退し、3年間ひきこもったとき、「どうしよう」と思われた方がキズキに来られます。働くことを選択される若者もいると思いますが、専門学校や大学に進学したいというニーズがあったとき、ネットで検索してキズキを見つけられる方が多いです。

   不登校や中退者専門の塾以外では、学力が身に付いていないまま高等教育に進学した若者に、大学や専門学校と提携して学習支援をしたり、行政と協働して貧困世帯の子どもたちの学びを支えています。

 (定員をはるかに超える参加者で会場は埋め尽くされた。)

 工藤:長岡さんは生死をさまようほどの病気になり、安田さんはご著書にあるよう壮絶な人生を経て来られました。それはどういうものだったのでしょうか。

長岡さん:16歳、高校生のときに大きな病気をして左半身が動かなくなりICUにいました。30年も前の話でリアルな記憶は残ってないのですが、身体の自由を奪われた事実とともに、自分がやってきたことが病気となって降りかかってきたと思って、反省しかできずにベッドで横たわってました。

   自分の力でトイレもいけない。両親に対する申し訳ない気持ちも含めて、自分が存在している意味がわからなくなり、希望すら失いました。そこには「つらい」や「苦しい」、「悲しい」という感情すらなく、それは絶望と呼ぶべきものだったと思います。

   ひとの迷惑になりたくないから話さない。何かを考えることもしない。身体の自由がないため、自ら命を落とすこともできない。すべてのことができなかったことは人生の「底」という原体験になっています。

 安田さん:私は軽度の発達障害だったことが大人になってわかりました。運動神経が極端に鈍い、体幹がないなどの症状もありました。小学校で鉄棒やマット運動ができないと、いじめられることがあります。まさに私がそうでした。また、過集中によって周囲に気が回らなくなったことが、無視をしたと受け取られてまたいじめられました。

   空気を読むことが苦手で、ちょっとうまくいくと周りに自慢をしてしまう。中学二年になって「自慢をしてはいけないんだ」ということを学びました。幼少期にいい思い出はまったくありません。

   家庭も荒れていて、父親からの暴力がありました。ぼこぼこに殴られて学校に行けないこともありました。父親はほとんど帰宅しませんし、母親がメンタルをやられてしまって、外に恋人を作って、両親がいない家で毎日を過ごしていました。

   家を出たくて全寮制の中学校に行ったのですが、12人部屋の生活でやっぱりいじめられ、寮を出ようとしたら親が引き受けを拒否したため、祖父母の家に住むことになりました。そこでも折り合いが悪くなった中学三年のとき、父親と再婚相手と暮らすことになり、そこで継母にいじめられる。

   どこにも居場所がなくなって、コンビニの前で深夜にたむろする仲間といることが多くなりました。喧嘩も弱く、そこでもいじめられたのですが、少なくとも孤独ではなかったんです。しかし、「来週までに2万円持ってこい」みたいなことが続き、とても払いきれなくなって逃げました。逃げても自宅や学校を囲まれ、自宅も地元も離れたくて大学進学に希望を託すしかありませんでした。

  ( 誰もが耳を覆いたくなる話も、長岡氏と安田氏は笑いを取りながら参加者に言葉を紡いでいった。)

工藤:若者支援分野では「底つき体験」と、もっともつらい状況に陥ったことを表現する言葉がありますが、お二人が人生の「底」から抜け出すきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

 長岡さん:高校の恩師がいつもお見舞いに来てくれました。彼は学級経営に苦しんでいて、その愚痴を毎回聞いてました。いまは違いますが、当時は荒廃校で、一年で100名以上が中退するような学校で、中退理由の大半が暴力事件。先生が苦しむのも仕方のないことです。

   恩師は生徒の相関関係を気にしながら学級経営をします。でも、実際は生徒である自分の方が正しくその関係性を把握しているわけです。私はそれを恩師に伝えました。すると、素行不良の生徒や不登校の生徒が先生とコミュニケーションを取り始めたのです。

   そのとき、恩師である先生から「学校にはお前のような人間が必要なんだ」と言われました。それが自分のセカンドライフのスタートラインとなったんです。自分でも役に立てるのか。この先生のためにも、もう一度社会に、学校に戻ろうと思った。

 安田さん:二年浪人をしてICU(国際基督教大学)に合格しました。そこから海外を回ったりしながら、多くの出会いや支えのなかで持ち直していきました。

 工藤:それぞれが底つき体験から抜け出すきっかけがあったわけですが、なぜお二人は「教育」という切り口でいまの事業を作ってこられたのでしょうか。

 長岡さん:基本的に学校が好きだったからです。素行の悪い子どもでしたが、そうでもしないと、その場にいられなかったのです。両親が共働きで忙しく、基本的に祖父母のもとにいました。土日くらいしか両親との時間が持てませんでした。

   ういうひとりぼっちの環境において、学校にはひとがいて孤立しない。コンタクトし続けていればひとりにならない。そういう意味で学校が好きだった。学校に行けば楽しいことがあると思っていました。

   の言葉もあり、学校の教員という立場で教育をしていたのですが、バリバリ教員やっていたところ、また倒れてしましました。そのとき、「そういえばずっと教員やるんだっけ?」と思うに至りました。不思議なことに教員をしていると気が付かない間に管理をするようになるんです。「本当に若者や子どもたちのための学校を作るんだ、自分の学校を作ろう」と思ったんです。

   私にとって、教科書とは人間です。つらい状況、しんどい経験をした生徒に出会うと、そこには知らなかった人生があり、新しい学びとしての教科書があるということです。それは学校や教育というフィールドがあるからこその出会いなのです。

 安田さん:長岡さんと違って、、私は学校が嫌いでした。だから学校ではなく塾を作りました。学校にはさまざまな問題があるかもしれませんが、7,8割の生徒は楽しんでいます。少なくとも嫌いではない。しかし、残りの1割とか2割は学校がつらいわけです。自分もそうでしたから、その1割とか2割のひとのための居場所が必要だと思っています。

  キズキには元生徒であった講師や、中退や不登校、ひきこもりを経験した講師も3割ほどいます。採用においては過去の経験を加点することも減点することもしません。キズキに通う子どもたちが幸せになれることが大事なので、価値観を押し付けないことができるひとを採用していたら、生徒と同じような経験をしているひとが3割あったんです。

  創業時は巣鴨のアパートを事務所にしていました。私自身、高校三年時に予備校に行ったら入塾を拒否されました。見た目が怖かったのかもしれません。ただ、それは周囲の視線が怖かったからです。体験授業でも、隣のひとがペンを走らせているのが怖い。自分だけが授業についていけてない気がする。すると、本当に勉強したいのに塾や予備校が怖くなります。

  だからキズキは基本的に個別対応にしています。普通の塾や予備校にいったけれどダメだったという生徒も多くいます。ここには不登校やひきこもりに理解のある先生がいる。個別授業で慣れてくると集団授業にもチャレンジしたり、アルバイトをしてみるような生徒もいます。

 私にとって塾とは居場所であり、教育とは支援なんです

 

(長岡氏の『HOPE』、安田氏の『暗闇でも走る』刊行記念のトークイベントは、終了後に多くの参加者が購入に並んだ。)

 工藤:侍学園もキズキも順調に経営運営をされています。独自の支援だけでなく、企業や行政とも連携しながら若者、子どもたちを支えていますが、今後はどのようなビジョンを描かれていますでしょうか。

 長岡さん:私はNPO法人としての事業と、NPO活動を分けて考えています。認定NPO法人侍学園スクオーラ・今人は、上田にある学園に30名の生徒がいます。ここでのサービスでは一番いい生徒数です。彼らが自分の人生を賭して来ているわけですから、私たちも命をかけて寄り添います。

  一方、NPO活動としては支援者を増やしています。私は病院にも勤めています。小さな子どもたちが小児科を選ぶとき、そこに軽いケースはありません。幼少期になんとなく子どもがうまくいかないからといって、すぐに心に問題があるとは思いませんし、思えません。

 だからこそ、病院の先生にも子どもを診るだけでなく、ご家族を支える医療を一緒に創っています。本当は器質疾患や専門医療に従事してほしいです。しかし、小児科医が日本全体で2,000名足りないと言われているなかで、小児科医を選ばれる志高い先生方がいます。そういう先生と組んで一生懸命やっています。

  また、いまは「ライフサジェストスタイリスト(LSS)」となる美容師を育成しています。LSSの講座を受けた美容師が、心に傷を抱えたひとたちの気持ちを受け止められるようになる、専門家の育成です。美容理容は全国に21万店舗以上あります。ここにいるひとびとが若者や子どもたちの支援者になれたら、人生が変わるきっかけが全国のいたるところで生まれるはずです。

  侍学園やキズキ、育て上げネットに行くのはハードルが高くても、もっと自然に行ける場所は社会の中にたくさんあります。美容院もそうですし、飲食店も同じです。侍学園は侍学園としてのことをやり、他方で若者たちの気持ちを受け止められる社会資源を増やしていく。そういう展開をいまは考えています。

安田さん:いま塾が5校ありますが、これを拡大していきたいです。塾を広げることは、自分の価値観を押し付けない支援者を増やしていくことにつながります。ひとの幸せはそれぞれで、幸せの基準は本人が決めるものです。自分の塾を広げていくことが社会のため、子どもたちのためになると信じています。

  この秋を目標に新規事業の準備をしています。うつと発達障害の方に特化したビジネススクールをやりたいと思っています。私自身が大学卒業後、商社に入ってうつになりました。うつで働けない間に周囲は給与があがったり、成長していることを見て、自分は何をしているんだろうと非常につらい思いをしました。

  もちろん、休息が必要な時期ですが、たまに3時間とか調子のよいときがあります。その時間だけでも新しい知識をインプットしたり、マネジメント手法を学んだりできる機会を作りたいと考えています。

 

(当日は定員を大幅に上回る参加者がおり、多数のメディアが取材に駆け付けた。東京や群馬など遠方からの参加者も多く、イベント終了後は書籍販売ブースは行列ができていた。長岡氏、安田氏に我が子の悩みを打ち明けたり、経営相談をする姿が印象的であった。)


 寒い日が続きます。今朝も6度しかありませんでした。明日からは少し気温は上がるようですが、日照があまり望めそうもありません。明日も1日雨の予報です。野菜の生育に問題が出るかも・・・・・

食用ホーズキの花が咲き始めました。苗は背丈が大きくなる種類と地面を這う種類があります。

食用スベリヒユ。この虫の幼虫が結構悪さしています。こちらは、まだ土ができておらず、露地での葉物は難しそうです。



雲南百薬(おかわかめ)、栄養価が高いと注目です。

バジル。

作業机に来たクワガタ。

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教育困難で“社会常識”を身に付けていない子供たちは・・・・

2018年06月25日 | 教育

虐待問題解決の本質とは 黒川祥子さんが取材経験から語る

  日刊ゲンダイ 2018年6月25日

   「もうおねがいゆるして」――。両親による虐待で5歳児が亡くなる痛ましい事件がまた起こった。厚労省の発表によると、2016年度に全国の児童相談所が虐待相談として対応した件数は、過去最多の12万2575件。相談の種別は「心理的虐待」が最も多く、次いで「身体的虐待」となった。第11回開高健ノンフィクション賞受賞作「誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち」(13年刊)以降、虐待や貧困をテーマに取材をし続けているノンフィクション作家はどう見ているのか。

 

■保護だけでは解決につながらない

 

  ――虐待に関心を持つようになったきっかけを教えてください。

 

  09年に橘由歩の筆名で「身内の犯行」というルポルタージュを出版しました。殺人事件のうち、2件に1件が「身内」で起こっている。一つの家庭で殺人者と被害者を出すようになった背景を知りたい。板橋両親殺害爆破、渋谷「セレブ妻」夫バラバラ殺人など10件の身内の犯行を取り上げました。気付いたのが、10件の殺人者全員が性別、年齢関係なく、被虐待者ということ。虐待がいかに大きな傷になるか。虐待から子供たちを救い出す社会を構築する方法はないものかと考えるようになりました。

――「誕生日を知らない女の子」では、愛知県運営の「あいち小児保健医療総合センター」を取材されています。

  それまで私が見ていたのは、虐待で殺された子供たちでした。だから虐待家庭から保護されることが、虐待問題の解決につながると考えていました。しかし「あいち小児保健医療総合センター」を取材し、それが全く甘い考えだと知り、愕然としました。0歳から15歳までが収容されるこの病院に、二重構造の閉鎖病棟があるのはなぜか。子供たちのベッドに「イライラするのが治まらない時の具体的対策」を書いた紙が張られているのはなぜか。“気が済むまで殴っていい”ぬいぐるみをたくさん置いた部屋が設けられているのはなぜか。

 

   ――保護だけでは問題解決にならない?

 

 まさにその通りです。「性化行動」という言葉をご存じでしょうか? 性的虐待を受けていた子供は、未就学児や小学校低学年など小さな子供でも、自分が受けた性的行動を“再現”する。人前でパンツを下ろしたり、性的暴力を他の子供に与えたり。性化行動をどう抑制するかは、児童養護施設の深刻な問題のひとつになっています。厚労省が発表した性的虐待の児童相談所への対応件数(16年度)は虐待相談全体の1・3%ですが、あいち小児保健医療総合センターでは17%(取材した12年当時)。性的虐待が顕在化しづらい現実を示す数字です。

 ――虐待の影響から逃れられる時が子供たちに来るのでしょうか?

  重要なのは、その後、誰と出会えるか。自分を認め、愛を持って受け止めてくれる大人と出会えるか。被害者としての人生では、「不幸なのは親のせい、社会のせい」と何かを恨み続けることになります。虐待のその後を追う取材で、見違えるほど変わった子供たちに何人も出会いました。それをあらためて痛感したのが、ある再チャレンジ高校との出合いです。

“困った生徒”は実は“困っている”生徒

 

  ――近著「県立!再チャレンジ高校」では人生をやり直そうとする高校生とそれを必死で支援する教師が出てきます。

 

  再チャレンジ高校とは、中学までに持てる力を発揮できなかった生徒に対し、再チャレンジの場を与える趣旨の学校で、選抜基準は「関心・意欲・態度」。入試は作文と面接のみで、学力考査は行わず、中学の成績も考慮しない。生徒のプライバシー保護のために仮名で紹介しますが、A県教育委員会が10年、県内に5校つくりました。そのひとつが槇尾高校(仮名)で、偏差値38、A県内の公立高校202校中190番目前後。いわゆる「底辺校」「課題集中校」「教育困難校」と形容される高校です。

 

   ――虐待家庭の子供が多い?

 

  最初からそれが見えていたわけではないのです。“困った生徒”ばかりで問題噴出。1年間で1クラス丸ごと消える高い中退率に、教師の側も「槇尾ではやっていけない」と最短で異動願を出すケースが珍しくなかった。そんな槇尾高校へ再チャレンジ高校づくりのキーマンとなる新校長、新教頭が赴任。有言実行の彼ら管理者と、さまざまなアイデアを出す教師たちによって、生徒たちが抱える問題が浮き彫りになっていく。「大人にとっての“困った生徒”ではない。“困っている生徒”なんだ」と分かってくるのです。

――大きな転換です

 生徒自身が「困った」ことを抱えた「困っている生徒」だと考えれば、その解決を一緒に考えようとするスタンスへと教師や周囲の大人が転換していく。では、生徒たちはどうして困っているのか? ヤングケアラーという一時期盛んに報道された言葉があります。家族のケアを担う18歳未満の子供を指す言葉ですが、槇尾高にはそれが現実のものとしてずっとあった。生徒たちと話していると、「バイト代入ったけど、家賃で全部消えちゃう」と言うんです。親が生活費も置かずに出て行ってしまい、弟や妹の面倒を1人で見ている。100円ショップで買ったカップラーメンやポテトチップス1食が1日の食事という生徒、親の手作り料理を食べたことがなく煮物や野菜料理を見たこともない生徒もいます。

 

   ――ネグレクトです。

 加えて、心理的虐待、身体的虐待、性的虐待もある。生徒たちの遅刻、無断欠席、敬語を使えない、すぐカッとなって暴力を振るう、我慢や努力ができないなどの問題行動の陰には、虐待がある。生活費のためにバイトを掛け持ちして深夜まで働いていれば朝なかなか起きられません。子供は親の言動を見て育つ。酒を飲んで働かない親、すぐに殴る親、子供に無関心な親しか家庭内にいなければ、それしかロールモデルがなく「○○をしたい」という夢を持ちづらい。「いい人生を送るために○○をしよう」という気持ちは湧いてこないでしょう。

■再チャレンジ高校では卒業後も生徒を支える

 

  ――なぜ虐待を受けている子供が「底辺校」に集まるのでしょうか?

 

  槇尾高の教頭(後に校長)が行った調査に、A県のある学区の上位校2校と下位校2校との「授業料免除者数・滞納者数」を比較したものがあります。困窮家庭には、授業料が免除される制度です。91年のデータによると、上位校の免除者数は1人、滞納者数は49人、中途退学者数は6人。ところが下位校の免除者数は88人、滞納者数は507人、中途退学者数は174人。家庭の経済格差と子供の学力格差は見事な相関関係にあったのです。実際、槇尾高には生活保護を受けている家庭も多数あります。親は貧困で生活に疲れきっており、自分が生きるだけで精いっぱい。子供のことまで考える余裕がない。子供は家庭に居場所がなく、勉強に取り組める環境もなく、小中学校では粗暴だ、勉強ができない、などと無視されてきた。

 ――「居場所としての高校をつくらないといけない」「支援教育」という言葉が印象的でした。

  彼らは放っておくと、男子はフリーター、女子はフリーターか風俗、または若年出産に至る未来が目に見えています。社会に出ても、教育困難で“社会常識”を身に付けていない子供たちは、正規の職業に就くのは難しい。不安定な非正規労働の末に行きつくのは、生活保護かもしれない。

 

 ――大きな社会的損失です。

 

 それらのリスクを抱えた生徒たちに対し、再チャレンジ高校では、従来とは違う新たな仕組みによって主体的に行事や部活に取り組めるようにし、生徒たちに自信や経験を身に付けさせ、自分の未来を自分で考え、卒業後も自活していけるようにする。「教育、福祉、労働」の三位一体の実現を目指して、教師だけでなく、児童相談所、地域若者サポートステーション、地域の自営業者など、さまざまな立場の大人を巻き込んで、生徒たちを、卒業後も含めて支えていきます。虐待や貧困のニュースが流れれば注目を集めますが、一方で社会の大半は「子供の貧困なんてあるの?」程度の認識です。しかし、何とか変えていかねばと行動する大人がいることで、“虐待のその後”が変わっていく。槇尾高が確実にひとつの結果を出しました。

(聞き手=和田真知子/日刊ゲンダイ)

 

くろかわ・しょうこ 福島県生まれ。東京女子大学卒業後、弁護士秘書、業界紙記者などを経て、フリーランスに。近著に「県立!再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校」「PTA不要論」「『心の除染』という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか」など。

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沖縄慰霊の日: 「平和とは、あたり前にいきること」(共同)

2018年06月24日 | 社会・経済

 

私は今を、生きていく。【日本ニュース】沖縄慰霊の日: 「平和とは、あたり前にいきること」(共同)

 

普天間の苦悩、辺野古の憤り 戦後73年、沖縄慰霊の日

  朝日新聞デジタル 2018年6月24日

 梅雨明けの青空の下、戦後73年の慰霊の日を迎えた沖縄。米軍普天間飛行場の移設工事は進み、戦争から始まった基地問題は今も島を揺さぶる。平和とは何か。人々は癒えない傷を抱えながら、悩み続けている。

 ■米軍に傷うずく

 米軍普天間飛行場がある宜野湾市。朝、遺族80人を乗せたバスが沖縄本島南ログイン前の続き部へ向けて出発した。糸満市の「平和の礎(いしじ)」や、無名戦没者をまつる「魂魄(こんぱく)の塔」などを巡った。遺族の一人、玉那覇(たまなは)秀子さん(82)は父と兄が現地召集され、沖縄戦で戦死した。自身は右腕のひじから先がない。

 米軍が沖縄本島に上陸した5日後の1945年4月6日、9歳だった玉那覇さんは母に手を引かれ、南へ逃げていた。米軍の艦砲射撃が雨のように降り注ぎ、日本兵は手投げ弾を持って米軍に突っ込んだ。「早く逃げないと」。母の声を聞き遺体を避けて歩いていると右手に激痛が走った。

 手のひらに穴が開き親指がぶらりと垂れていた。泣き叫ぶ母。義姉に背負われたが今度は右足を撃たれ、2人で倒れた。気づいた時は米軍の野戦病院にいた。

 2年後、宜野湾に戻ったが集落はなく米軍機がとまっていた。飛行場周辺の小屋に住み学校に通った。

 右腕に痛みはない。ただ、米軍基地をめぐる事件事故のニュースにふれると、右腕がうずく。21日も名護市の農作業小屋で米軍が使った可能性がある銃弾のようなものが見つかった。「ひどいね。恐ろしいことがまた起きた」。ふるさとは今も普天間飛行場のフェンスの内側にある。

 ■祖母の言葉響く

  宮城なつみさん(30)は、米軍嘉手納基地がある沖縄市から車で糸満市に出かけた。負傷兵の看護のために動員された「瑞泉学徒隊」の慰霊祭に出席するため。ただ、一緒に参列しようと約束していた祖母で元学徒の幸子さんが19日、心筋梗塞(こうそく)で死去。90歳だった。

 友達が死んだのに自分は生き残った罪悪感。故郷の渡嘉敷島の「集団自決」で両親が亡くなった苦しみ。なつみさんは幸子さんから沖縄戦の話を聞いてきた。幸子さんの自宅は宜野湾市。基地と隣り合わせの生活にいら立ちながら、名護市辺野古へ移すことにも憤っていた。「戦争につながる基地には絶対反対。それを誰かに押しつけるのはつらい」

 なつみさんは基地のまちで育ち、基地が近くにある生活に疑問を持つことはなかった。でも、辺野古の埋め立てが動きだして以降、祖母が基地を語り、なつみさんも考えるようになった。沖縄戦があって、米軍の占領があって、いまの基地問題がある。「祖母の言葉を聞いてきた自分に何ができるのか、答えを探していきたい」

 ■首相・知事、会釈のみ

 糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園であった沖縄全戦没者追悼式では、翁長雄志(おながたけし)知事と安倍晋三首相が顔を合わせた。昨年7月の故大田昌秀・元沖縄県知事の県民葬以来11カ月ぶり。首相の到着時と退場時に儀礼的な短い会釈をするのみで、言葉を交わすことはなかった。

 翁長氏は平和宣言で「辺野古に新基地を造らせない」などと政権を批判。安倍首相は「基地負担を減らすため、確実に結果を出していく決意だ」などと淡々とあいさつを終えた。追悼式終了後、首相は辺野古移設について記者団に「最高裁の判決に従って移設を進めていく」と語った。

 ■「生きる」 14歳祈りの詩

 糸満市摩文仁(まぶに)であった追悼式では、浦添(うらそえ)市立港川中学3年の相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が「平和の詩」を朗読した。タイトルは「生きる」。相良さんは式の後、「とても緊張したけど、伝えたいことを一生懸命言えたと思う」と話した。

 〈みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。〉

 6分半にわたり、力強い声で暗唱した詩では「生きる」という言葉が繰り返される。「当たり前に生きる今が、とても貴重なものであることを伝えたかった」と言う。

 詩は94歳になる曽祖母のことを思いながら書いた。沖縄戦で友人を亡くし、収容所に入れられる過程で家族とも離ればなれになったと聞いた。「戦争は人を鬼に変えてしまう。絶対にしてはいけない」と幼い頃から何度も言われた。

 〈壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。〉

 見たことのない戦争の情景や、変わってしまった沖縄の風景を想像した。

 〈小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。/優しく響く三線(さんしん)は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。〉

 詩を作り始めるまで、同級生や友人と戦争の話をしたことはほとんどなかったという。「詩を発表したことで、みんなと話題にできる。戦争や平和について一緒に考えたい」。そんな思いも込めた。

 〈私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想(おも)って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。〉

 

 

沖縄慰霊の日

平和の詩「生きる」全文

  毎日新聞毎日新聞2018年6月23日

 沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

 

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昆虫食

2018年06月23日 | 食・レシピ

EUで昆虫食広がる 栄養豊富で人気に

  時事通信社 - 時事通信 - 2018年6月16日

   コオロギなどの昆虫が食用として欧州でじわりと普及し始めている。粉状にしてパンやクッキーに練り込んだり、素揚げにしたりするなど、食べ方はいろいろ。欧州連合(EU)が1月に一部の昆虫を初めて「食品」に規定、フィンランド、オランダ、英国などで養殖や販売が広がりつつあり、今後流通が拡大する可能性がある。

 「栄養価など含めて、まさにスーパーフード。ますます需要が高まっていくはずだ」。フィンランドでコオロギを使った食品や養殖設備を販売する「エントキューブ」創設者のネムランデル氏は、食用昆虫への期待をこう語る。

 食用とされるのは、コオロギのほか、ミツバチ、バッタなど。タンパク質やビタミンなどが豊富だ。その一方で、飼育に大規模な設備投資は不要。ネムランデル氏によると、わずかな水やバイオ廃棄物を利用した餌で育てられるため、環境負荷が少ないことも評価されている。

 フィンランドでは、環境配慮を売り物にしたレストラン、ウルティマ(ヘルシンキ)がコオロギの素揚げを乗せたタルトを前菜として提供。また、菓子・パン会社のファッツェルは粉末にしたコオロギを練り込んだ「コオロギパン」を販売し、人気を集めている。 

 

      *******

 

昆虫料理研究家が語る、昆虫先進国の日本で「昆虫食」が廃れた理由

  Mugendai   2018.6.14

  2050年、世界の人口は約100億人に迫るといわれている。現在の人口が約75億人であることを考えると、30年あまりで25億人も増加すると予測されているのだ。そんな未来を見据えたときに浮かび上がってくるのが「食糧難問題」である。

   農地拡大に伴う森林伐採や水資源の大量使用により、地球の環境は刻一刻と悪化している。さらには温暖化による気候変動も関係し、急激な人口増加をカバーするだけの食糧生産は困難なものとして見られているのが現実だ。

   こうした背景から、国際連合食糧農業機関(以下、FAO)は2013年、「昆虫が今後の食糧になり得る」というレポートを発表した。しかし、昆虫を人の食料として考える「昆虫食」は、いまだ好奇の目で見られてしまい、多くの人がそこに眠る無限の可能性に気がついていない。

   そんななか、独自に「昆虫食」を研究している人物がいる。昆虫料理の第一人者である内山昭一氏だ。

   1999年より内山氏が代表を務める「昆虫料理研究会」は、定例試食会を開くなどして昆虫食の啓蒙活動に邁進している。はたして、昆虫食は世界を救うカギとなり得るのか、内山氏に話を聞いた。

 

 昆虫食」は地球が抱える問題を解決する糸口になる

 

――内山さんは昆虫料理研究家として知られていますが、初めて昆虫食に触れたのはいつ頃でしょうか?

 内山 私は長野県長野市に生まれました。長野には今でも昆虫を食べる文化が残っていて、幼少期の頃にカイコのサナギを食べたのが、昆虫食との出合いでした。そもそも当時は、川魚やタニシをとって、それが夕食に並ぶことが普通だったんです。なので、それがたとえ昆虫であっても、自然のものをとって食べるということに抵抗はありませんでした。ただ、大人になるにつれて自然と昆虫食から離れていきました。

   あらためて昆虫食に目覚めるきっかけとなったのが、1998年に多摩動物公園内にある昆虫館で開催されていた「昆虫食展」です。アフリカなどではおいしそうに芋虫を食べていて、昆虫の発生時期になると村中で採集され、市場に持っていくこともあるという話を聞きました。そのときに、昆虫食の魅力を実感したように思います。

   その後、昆虫採集が趣味の友人と一緒に、トノサマバッタを捕まえて食べてみました。油で揚げただけでしたが、味も食感もエビに似ているんです。とくにモモ肉とムネ肉が非常に発達していて、その部位が感動するくらいにおいしかった。これだけ身近な昆虫がおいしいのだから、世の中にはもっとおいしいものがあるかもしれないと思い、本格的に昆虫食を研究するようになったんです。

 「バッタのチーズフォンデュ」
バッタは素揚げしただけでもエビの風味がして美味しいのですが、とろとろに溶けたチーズをまとわすことで、バッタとチーズの旨味がミックスしてさらに深みのある美味しさを演出します。口触りもまろやかで、とても食べやすくなります。(内山氏)

――今のお話にあったように、日本の各地域で昆虫を食べる習慣はあったものの、食糧としての意識はそこまで深く根付かなかったように思います。それが、近年になって注目を集め始めた理由をどうお考えですか?

内山 今、地球の人口は爆発的に増加していますが、人間が居住可能な土地には限界があり、やがて食糧難に陥るという懸念があります。畜産業を行うにも、これ以上、森林を伐採して牧場をつくるわけにはいきません。さらに、牛や豚、鶏などの場合、大量に必要とされる家畜の餌をどのように確保するのかも課題となります。そのようなさまざまな問題を全て解決できるのが、昆虫ではないかと考えています。

   実際、食料問題解決の手段として、FAOが2013年に昆虫食のレポートを正式に発表しました。その後、これまでゲテモノ扱いだった昆虫食を真面目に取り上げようとする動きが出てきたように感じています。

   そもそも、昆虫は食糧として最適な食材です。例えば、「飼料効率の良さ」があげられます。コオロギの肉を1kg増やすために必要な餌は約1.7kgですが、鶏の場合は2.5kg、豚は5kg、牛は10kgと、他の家畜と比べ昆虫は圧倒的にコストパフォーマンスが良いんです。また、牛や豚の可食部は40%とされていますが、コオロギは100%と、その全てを食べることができます。また、昆虫は養殖時にメタンガスや二酸化炭素などの温室効果ガスをほとんど出さず、養殖に必要な水や土地も少なくて済みます。なかには、家畜の糞を餌として育てられる種類がいるなど、非常にメリットが多いんです。

――2013年以降、実際に世界各国では昆虫を食糧とみなす動きが盛んになっているのでしょうか?

内山 各国で昆虫食品を扱うベンチャー企業が次々と誕生しています。スイスの大手スーパーマーケットは、ミールワーム(甲虫の幼虫)を使ったハンバーガーとミートボールの販売を開始しました。フィンランドでは、大手食品会社がコオロギ粉を練り込んだパンの販売をスタートしていますし、チェコでもコオロギを使ったプロテインバーを生産しています。

   また、2017年に韓国で開催された「国際昆虫産業シンポジウム」には、カナダ、メキシコ、アメリカ、ポーランド、イスラエル、タイ、韓国の7カ国のスタートアップが参加しました。

   そして、2018年1月には欧州で「EU新食品規定」が施行されました。これは、昆虫を食糧として認めることを明記した法律で、衛生面での審査が通れば、昆虫を食糧として販売できるようになったんです。すでに3社ほどが申請を出しているようですし、今後はもっと増えていくでしょう。

   そもそも、ヨーロッパの多くは寒さの影響で昆虫自体があまり生息せず、昆虫食の伝統もありません。そのため、昆虫に対する偏見もなく、純粋に新時代の食糧として受け入れているかもしれません。また、論理的な考えを持っている国民性もあり、環境問題や食糧難を解決できる存在として見ている傾向もあります。

――日本においては、どのような動きが見られますか?

内山 日本にはたくさん昆虫がいますから、さまざまな先入観を持っている人が多いと思います。また、欧州のように昆虫に限らず、食に対する法整備はありません。保健所の許可さえ降りれば、昆虫だろうがカエルだろうが、企業や飲食店は何を販売・提供しても問題ありません。ただ、FAOの発表があってから、イナゴなどは国内での消費が伸びているようです。最近では、東南アジアからイナゴを輸入しているという話も聞きます。

   とはいえ、爆発的に消費が伸びているわけではありません。その原因として考えられるのが、昆虫食が「高級品である」ということです。ハチノコや水生昆虫の幼虫はとれる数量が少ないため、非常に高価です。市場に出すのであれば価格帯から高級食材となり、常時食べられるものではなくなります。

 ――欧州のように昆虫を食料として生産・販売する企業が現れれば価格帯も下がっていくと思いますが、日本ではどうでしょうか?

内山 海外では昆虫食を扱うスタートアップ企業が増えていますが、国内では昆虫食品を輸入販売するネットショップが2社に留まっています。しかし、少しずつ進歩しているのも事実で、食用コオロギの養殖や養殖魚の飼料としてイエバエの利用が進んでいます。

――ビジネスの観点から見た場合、昆虫の種類によって養殖に向き、不向きなどはあるのでしょうか?

内山 もちろんあります。おいしい昆虫が、必ずしも飼育に適しているわけではありません。コオロギやミールワームは元々ペットの餌として養殖するためのノウハウがありますから、比較的容易だと思います。加えて、ゴキブリも育てやすい昆虫のひとつです。そのため、日本国内で昆虫食が浸透していくのであれば、そうした養殖に向いている昆虫から普及が進むのではないかと考えられます。

「命をいただく」子どもたちへの食育にも

――先程、ヨーロッパでは昆虫食という伝統がなかったというお話がありましたが、アジアは昆虫食について先進国といえますか?

内山 日本は先にお話しした通りですが、アジア諸国、アフリカ、南アメリカなどでは昆虫食が昔から存在していましたし、今でも普通に食べられています。現在、世界を見渡せば約19億人が2000種類もの昆虫を食べているといわれています。日常的に食べられている昆虫を多い順に並べると、カブトムシなどの甲虫、イモムシ、アリ、ハチ、バッタ、イナゴ、コオロギ、セミ、ヨコバイ、ウンカ、カイガラムシ、カメムシ、シロアリ、トンボなど、実に多種多様です。

   ただし、それらの国々が今後、牛や豚、鶏などの肉食が主流になることは十分に考えられます。日本もその道を通りましたが、ますます地球環境が悪化してしまいます。だからこそ、昆虫食は決して野蛮なものではなく、栄養価もあり、環境にもやさしいものなんだということを広めていく必要があると思っています。

 ――日本で昆虫食が根付かなかったのは、欧米化の影響とともに、「不衛生」や「見た目が怖い」という昆虫に対するネガティブなイメージも先行してしまっているように思います。

内山 そもそも、大正時代には55種類程度の昆虫が普通に食べられていたんです。薬用としては123種類が利用されていました。しかし、衛生概念というものが発達してきて、伝染病の媒介となるハエや蚊などが徹底的に駆逐されるようになってきた。そして、ハエや蚊の不衛生な生き物というイメージが、そのまま昆虫全体のイメージにつながってしまった。それで嫌悪感が生まれ、昆虫食が一気に廃れてしまったと考えています。

   また、スーパーマーケットの参入により、スーパーに並ばないものは「一般的なものではない」という認識が広まってしまったことも、昆虫食衰退の一因でしょう。昆虫はとれる季節も限られていますし、価格変動もある。だから、商品としてスーパーでは売りにくいんです。

   このように、昆虫食から離れてしまった現代人の間で、それを一般化させるのは難しいことだと思っています。そのためにすべきことは、やはりできるだけ多くの人に食べてもらうこと以外にありません。実際、私も月2回、昆虫食を楽しむイベントを主催しています。嬉しいことに、イベントの参加者は若い人が大半です。これから父親・母親になる世代の人々が昆虫を食べてくれるようになれば、自然とその子どもたちも食べてくれるのではないかと思っています。

   イベントを開催して分かったことですが、男性よりも女性の方が食べることに関して貪欲で抵抗がないんです。たとえば、ゴキブリ料理を出すと男性は抵抗感を示しますが、女性は面白がって食べてくれる。好奇心が強いんでしょうね。また、将来的には学校給食のメニューとして昆虫が選択肢に入るような状況をつくっていきたいです。イナゴをパンに混ぜたり、パスタに乗せてみたり。子どもに昆虫のおいしさを知ってもらいつつ、実は昆虫の栄養価が高いことも学習してもらえたらと考えています。

 ――昆虫は栄養価が高いんですか?

内山 イナゴで説明すると、非常に高タンパク低脂肪な食材なんです。タンパク質が70%で、脂肪が10%以下。そのため、非常に健康的にダイエットが可能な食材でもあるんです。イナゴダイエットというものを提唱したいくらい体づくりにはもってこいです。

――その他、昆虫ならではのメリットはありますか?

内山 昆虫は緊急時の食糧としても重宝できます。たとえば、災害などで食糧が不足した時、タンパク質が最も不足しがちな栄養素だといいます。そんな状況でも昆虫はあらゆる場所に生息しているため、捕まえて食べることで容易にタンパク質を摂取できます。また、乾かしておけば常温で保存することもできるので、電気の供給がストップしてしまった状況下でも腐らず、安心して保管できます。

   さらに、「食育」という観点でも昆虫は役立ちます。飼育するのに大掛かりな設備は不要ですし、維持費もかかりません。世話も簡単なので子どもでもできる。そのため、子どもに自ら昆虫を育てさせて、最終的にそれを食べることで「命をいただく」ということを教えることができます。食事の際に、どうして「いただきます」というのか、身をもって学ぶことができる教材になるんです。

――では、そんな昆虫食が好奇の目で見られることなく、今後どのようにすれば普及が進むと思われますか?

内山 欧米などで主流となっているカタチをなくす方法があります。昆虫の形状に嫌悪感を抱く人は少なくないですから。あとは、できるだけ目に付きやすくすることです。長野ではスーパーの棚にイナゴの佃煮などの昆虫食品が並んでいます。魚と同じように養殖することで供給量を増やし、価格を下げることも重要です。

   また、昆虫食には単なる食料以外の側面があります。とりわけ四季があり昆虫と親しんできた日本では、山菜やキノコと同様に旬の食材だと思うんです。だから、季節を感じる、旬を楽しむ食材として、カタチを残して食材そのものの味と食感を楽しむ和食的な食べ方も提案しています。サンマをミンチにしてもつまらないですからね(笑)。

   昆虫食はさまざまな観点からアプローチが可能ですが、私個人としては今後も現在のような普及活動を地道に続けていきたいと考えています。

TEXT:五十嵐 大

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日本の林業現場

2018年06月22日 | 野菜・花・植物

高値の木を捨てている…。日本の林業現場の実情

クロガキの茶托。この木目が高値を呼ぶ。(提供・吉井恒仁)

 クロガキという木を知っているだろうか。

 正確にはそんな名の樹木はなく、いわゆる柿の木(カキノキ科カキ)なのだが、木質部に黒色の縞模様や濃淡が入ることが稀にあり、ときに孔雀の羽の模様に似た孔雀杢が現れる。カキの古木の木質部にタンニン(柿渋成分)が沈着したら黒変するのだが、そんな木をクロガキと呼ぶのだ。その出る確率は1万本に1本ともいわれる代物だ。

 銘木として珍重されており、その価格は仰天するほど高値である。もし木目の模様が美しければ、立米100万円近くすることもある。最高級の和家具のほか和室の床柱や内装の造作材、茶道具など工芸品、今風なものとしては高級ゴルフクラブのヘッドとしても用いられる。

クロガキの茶道具・棗。(提供・吉井恒仁)クロガキの茶道具・棗。(提供・吉井恒仁)

 そんなクロガキが、チップ工場に並んでいた、という話を聞いた。気付いた人は、あわてて抜き出して買い取り転売したら数十万円の値がついたそうだ。

 この手の特別な銘木でなくても、広葉樹材の中には高く売れるものが少なくない。広葉樹材は家具や内装用(フローリング、壁材)、あるいはウッドデッキなどに人気だからだ。

 人工植栽されたスギやヒノキ林でも、たまに混ざっているケヤキやミズナラ、ヤマザクラ……など広葉樹の木の方が高く売れた、という話も伝わってくる。実際、スギ材が立米1万円そこそこの時でも、広葉樹材は4万円ぐらいした。

 ただ日本で消費される広葉樹材に国産のものはほとんどなく、供給を輸入に頼っているのが現状だ。東南アジアやアフリカの熱帯雨林から伐り出された広葉樹の大木が出回ることも少なくない。

 しかし資源の枯渇が進み、貴重な原生林の破壊につながると、取引が禁止された樹種もある。広葉樹の植林は難しくてほとんど行われていないからだ。とくに近年は違法伐採に対する眼が厳しく、市場に出てこなくなってきた。

 だから国産広葉樹材への期待が高まっている。日本でも少なくなっているが、樹種によってはまだあるし、大木でなく細い木の材でも十分間に合う用途もある。

 それなのに、広葉樹の大径木が捨て値で売られていたり捨てられるケースも少なくないのだ。最近ではバイオマス発電の燃料に回されるケースも多い。もちろん価格は、1本当たり数百円にもならないだろう。

「(製材所の)倉庫の邪魔になるから赤ケヤキを燃やしたとか、クロガキが薪用に割られていたなんて話も聞きます。一枚板や工芸品に仕立てたら、数十万以上の値打ちが出るのに勿体ないですね」と銘木マイスターの吉井恒仁さんは言う。

  

木材市場の片隅に摘まれた広葉樹材(筆者撮影)木材市場の片隅に摘まれた広葉樹材(筆者撮影)

 なぜ、こんなミスマッチが起きてしまうのか。

 その理由は、まず林業家側が広葉樹材の価値を知らず、十把一絡げに「雑木」扱いするからだ。山で広葉樹を伐っても、出材せずに山に捨てているケースもごく普通にあるだろう。

 さらに木材市場関係者、製材関係者なども広葉樹の価値を見極め仕分ける眼がない。樹の名前を全然知らないから樹種別の仕分けもできず、広葉樹材をすべて「雑」と表示して販売する原木市場もある。通常の木材市場ではスギやヒノキしか扱わないからだ。

 そして、立派な広葉樹の原木でも、それをよい木目が出す木取り(丸太を板や角材に製材する作業)が難しく、乾燥も時間がかかるので敬遠する業者もいる。

 現在、比較的安定的に出せる国産広葉樹材は、東北のクリ材と、せいぜいコナラ材ぐらいだろう。また広葉樹を扱う市場も少ない。出荷先が身近にないと林業家も諦めてしまう。

「ある銘木商は、通常の競りよりも、同業者が廃業した際の整理市の方がまだ期待できると嘆かれてましたよ」(吉井さん)

 家具業界も危機感を持っている。これまでのように外国から広葉樹材が十分に入ってこないからだ。一部は針葉樹材による家具づくりに挑んでいるが、材質が柔らかいため強度を保ちづらくデザインが制約されるうえ、傷がつきやすいからクレームが怖い。

 日本の林業界は、材価の下落に苦しんでいるが、目の前に高く売れる木があっても、それに気付かない、もしくは仕分けなどの手間を面倒がって利益を出すチャンスを失っている。

 広葉樹材だけでなく、スギやヒノキでも出荷先や用途によって価格が大きく変わることもあるのだが、工夫して材価を高める努力が欠かせない。まずは、木の価値に対する意識改革から取り組むべきではなかろうか。


今日は札幌まで行ってきました。先ほど帰ってきたところです。
ようやく夏らしくなってきたかと感じるのは札幌だからでしょうか。
こちらを経つ直前まで曇り空で、またいつ降ってくるかわからないような天気。
ハウスをどれほど開けていくべきか悩みます。

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また起きてしまったか…。(雨宮処凛がゆく!第449回)

2018年06月21日 | 社会・経済

雨宮処凛がゆく!第449回:

漫画喫茶での出産、そして子どもの虐待死事件。
                        
の巻(雨宮処凛)

   マガジン9  2018年6月20日

 

  また起きてしまったか…。

    思わずそう呻きたくなるような事件が立て続けに報道された。

  ひとつめは、6月、25歳の女性が乳児の遺体をコインロッカーに遺棄したとして逮捕された事件。女性は漫画喫茶の個室で出産し、赤ちゃんが声を出したため、周囲にバレると思って殺害したという。

  逮捕された女性は、1年にわたって漫画喫茶で寝泊まりしているという「ホームレス状態」だった。この10年を振り返っても「ネットカフェ・漫画喫茶での孤独な出産」事件は何件も起きていて、乳児が殺害されたケースもあれば、母子ともに無事で保護されたケースもある。

   住む場所もなく、どんどん大きくなっていくお腹を抱え、誰にも相談できずに一人、漫画喫茶の個室で激痛に耐えながら出産した女性の胸の内を思うと、ただただ言葉を失う。彼女を救えていれば、赤ちゃんの命が奪われることはなかった。例えば「飛び込み出産」などでネット検索すれば、母子支援施設や妊娠SOSの相談窓口など、多くの情報がヒットする。女性に情報が届かなかったのか、届いたとしても、どこかに頼ることを渋る何かがあったのか。大きな課題も残った。

もうひとつ、「またか」と呻いた事件は、目黒区の虐待死事件だ。

 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」「これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします」

 5歳の女の子が残したこれらの言葉は、子を持つ親でなくとも胸を掻きむしられるような痛みを呼び起こす。両親は保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕。女の子は十分な食事を与えられず、体重は5歳児の平均を大きく下回る12キロ。自力でトイレに行けないほど衰弱し、おむつをつけ、また、その遺体は免疫にかかわる臓器の重さが同世代の5分の1にも萎縮していたという。

 この家族が香川県にいた頃、女の子は2回、児童相談所に保護されていたこと、しかし、東京に引っ越してからは品川の児童相談所は一度も会えておらず、緊急性も伝わっていなかったことなどから、児童相談所に対する批判の声も上がっている。

 そんな事件を受け、手に取ったのが『ルポ児童相談所』(朝日新書 大久保真紀)だ。この本の帯には、以下のような言葉がある。

 「人手、施設、予算すべてが足りない。東奔西走する児童相談所の職員たち」「年間10万件を超え、急増する『虐待通告』。時に親から包丁を向けられ、児童福祉司は幼い命をどう救い出すか…」

 著者の大久保氏は、朝日新聞の記者として、20年ほど前から虐待問題の取材を続けてきた。

 虐待事件が起きるたび、「なぜ、未然に防げなかったのか」などと非難の矢面に立たされる児童相談所。特にすでに虐待通告があり、児童相談所が介入していたり、また一度は保護されていたにもかかわらず、親元に返した果てに子どもの命が奪われたケースなどではなおさらだ。

 2016年には、神奈川県で児童相談所に通所していた中学生が自殺をはかり、その後、死亡したことが明らかになった。中学生は養父に暴力を受けていることを訴え、「家に帰りたくない」と訴えていたという。しかし、失われてしまった命。やはりこの時にも、「なぜ、命を救えなかったのか」という声が多く上がった。

 しかし、本書を読み進めていくと、圧倒的に人手がない現場の悲鳴が聞こえてくる。

 例えば、本書に登場する中堅ワーカーが担当しているのは一人で約70ケース。担当ケースが一人あたり100を超えることも珍しくないという。その中には、一刻を争う乳幼児への虐待もあれば、対応が難しい親や精神疾患を抱える親が子どもの一時保護を頑なに拒むケースなどもある。というか、そもそもすべてのケースが一筋縄ではいかないというのが児童相談所の特徴だろう。それが100ケース。とても一人で対応できる数ではない。

 だからこそ、現場は職員たちの「犠牲的」とも言える働きでなんとか回っている状態だ。緊急対応に追われ、深夜まで続く仕事。時に親に暴言を吐かれ、包丁を向けられながらも幼い命を守るために奔走する。家庭訪問もあれば、一時保護した子どもとの面接などもある。家庭裁判所に提出する資料も作らなければならない。その間にも、緊急対応が必要な事態が次々と発生する。

 深夜に呼び出されることもたびたびある女性ワーカーは、「ほとんどうちがネグレクトです」と言う。自身も3人の子どもの母親だ。自らの生活や子育てを犠牲にしないと回らない「子どもを守る」ための仕事。

 今回のように虐待事件が大きく報じられると、「なんとかしなければ」という意識は一時的に、高まる。その中には、以前から「虐待では」と気になっていたケースについて通報してみたり、普段から意識して周りの子どもの様子を見るようになった人などもいるだろう。重要なことだと思うが、個人でできることには限界がある。まず前提として知るべきは、子どもを虐待から守るための予算が、この国では圧倒的に不足しているということだ。『ルポ児童相談所』のまえがきには、以下のような記述がある。

 「花園大学の和田一郎准教授は、『日本は他国に比べて子どもの虐待対応にかけるお金が少なすぎる』と指摘している。和田准教授の研究では、日本が児童相談所や児童養護施設などに直接かけている費用は年約1千億円で、人口が日本の2.5倍の米国の30分の1、人口が日本の5分の1の豪州の3分の1という」

 まずもって、予算が圧倒的に足りていないのだ。こうなると、当然人手不足となる。先に、日本でのワーカーの担当数が100を超えることも珍しくないことを書いたが、イギリスやアメリカ、カナダなどでは一人あたりの担当ケースは20件前後だという。日本は一人あたり、その5倍を担当しているのである。「なぜ、虐待死を防げなかったのか」という非難に対する答えははっきりしている。いくら「やる気」や「熱意」があっても、時間や体力には限界があるのだ。

 また、本書のまえがきでは、虐待を社会が放置することによって発生するコストの試算についても触れられている。

 「虐待を受けた子どもは、虐待の影響によって、その後の人生の中で精神疾患にかかったり、自殺したり、学力が低下したりすることも少なくない。その結果、生涯収入の減少や生活保護の受給、医療費なども発生する。また、犯罪など反社会的な行為に及ぶこともあり、それらに対応するコストなどを含めると虐待による社会的損失は年間で1兆5千億円にのぼると試算されている。いまのままでは毎年1兆5千億円の社会的損失を積み重ねていくことになる虐待は、虐待を受けた子ども個人の問題にとどまらず、社会全体に大きく影響する問題であることを私たちは認識しなくてはならない」

 目黒区の事件を受け、東京都は児童相談所に、児童福祉司や児童心理司などを増やし、夜間や休日の相談体制を強化する方針を打ち出した。また、国も職員の増員や専門性強化を「骨太の方針」に盛り込んでいる。

 もちろん、大切なことだが、もっと大胆に予算を増やすなどしないと人手不足は変わらず続くだろう。なぜ、他国と比較してこれほど虐待対応予算が少ないのかと思う時に浮かぶのは、「虐待家庭」や「貧困家庭」に対するうっすらとした差別意識だ。

 例えば国は「子どもの貧困対策法」を成立させながら、しかし同時に生活保護費を削減してきた。その中でもっとも影響を受けるのは子どものいる世帯。一般の貧しい子どもをなんとかしようという姿勢がありながらも、生活保護世帯の子はより貧しくなるような政策が同時に行われているという矛盾。

 一方で、少子化の中「とにかく子どもを産め」というプレッシャーをかけながらも、産まれた子どもを虐待から守り、社会で大切に育てようという気概は今の政治からはなかなか感じられない。そこに「虐待をするような親」への強い偏見がちらつく。「正しい家族像」から漏れるような人々への冷たいまなざし。

 もちろん、私自身も、虐待事件が起きた時、その親への強い怒りを持つ。が、「親へのバッシング」で話が終わってしまっては元も子もない。どうしたらより迅速に子どもの命を守れるのか、まずそこを起点に議論をしたい。同時に、今の制度では、親に子育て支援プログラムを受けてもらう強制力もないのだという。ここも変えなければならないだろう。

 もう二度と、「また起きてしまった…」なんて思いたくない。そのために、できることはたくさんあるのだ。

 

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地球にとって最悪な「人間の食べ物」

2018年06月20日 | 食・レシピ

地球にとって最悪な「人間の食べ物」 英研究者らが解明

  Trevor Nace 2018/06/12

   人類が環境に与えるダメージを減らすうえで、最も有効な行動の一つは肉類と乳製品の消費をやめることだという。肉類と乳製品は人間の摂取カロリーの18%を占めているが、生産するために農地の83%を使っており、温室効果ガス(二酸化炭素)の排出量の60%の原因となっている。

   これは学術誌「サイエンス」に掲載された論文で示されたデータだ。オックスフォード大学とスイスの研究機関LCA Research Groupの研究チームらは、世界の4万近い農場を対象としたデータベースを構築した。調査範囲は119カ国に及び、世界で消費される食料の90%をカバーしているという。

   調査では水の使用量や温室効果ガスの排出量を調べ、大気や水の汚染に農場がどのように関係しているかを調べた。その結果、最も環境に負担を与えているのが肉類と乳製品を生産する過程であることが分かった。

   研究チームは牛肉やチーズなどの食品を100グラム生産するうえで、排出される温室効果ガスの量を割り出した。その結果、牛肉100グラムを生産するために、豆腐の25倍の温室効果ガスが排出されることが分かった。

   各食品を100グラム生産する過程で生じる、温室効果ガスの排出量は下記のようになっている(単位はキログラム)。

牛肉:50

チーズ:11

鶏肉:5.7

豆腐:2

   仮に肉類と乳製品の使用を全てやめれば、世界の75%以上の農場が不要になる。これにより米国や中国、EU、そしてオーストラリアを合わせた面積を自然の環境に戻すことができるという。人間と家畜は陸上の哺乳動物の86%を占めており、地球の生態系に巨大なインパクトを与えてきた。

   「環境を守るうえで最も効果的な手段は、完全なベジタリアンになることだ」と研究チームは述べている。電気自動車を購入したり、エネルギー消費を抑える努力をしても、肉類と乳製品の使用中止に比べればインパクトは低い。しかも、野菜中心の食生活に変えることで、今よりも健康になれる。

   研究チームは肉類と乳製品の全面禁止が現実的とはいえないものの、みんなが少しずつ消費を減らすだけで効果が得られると述べている。小さなことでも多くの人が行なえば、巨大な成果を生めるはずだ。


 ここでは「肉類」と言ってますが、特に牛肉です。牛肉を豚や鶏に置き換えてみても効果ありです。
クワガタ出てきました。

Gアイリス

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「私に罪はない」・・・・・?

2018年06月19日 | 映画

ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ

自己啓発本のような言葉に多くのドイツ人が酔った。

  ハフポスト 石戸 諭  2018年06月16日

 

 

    顔に、手に深く刻まれた皺が激動の半生を物語る。ブルンヒルデ・ポムゼル、103歳。ナチス・ドイツでプロバガンダを管轄した宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスの元秘書である。彼女が自身の半生とナチス時代を証言した映画『ゲッベルスと私』が6月16日より岩波ホールで公開される。来日した監督は言う。「これは過去の映画ではない。現代の映画だ」

 

封切り前なのに満員のトークイベント

 

   2018年5月、新宿・紀伊国屋書店――。クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー両監督とハフポスト日本版・竹下隆一郎編集長らによるトークイベントが開かれた。映画封切り前、同時に刊行される書籍版もまだリリースされていないにも関わらず、会場は満員となり関心の高さをうかがわせた。

 

映画で映し出された「凡庸な女性」

 

   この映画の監督は4人、ドイツ出身の監督とかつてナチスに統治されたオーストリア出身の監督による混合チームだった。彼らは作品の中でポムゼルの言葉に対して、直接の評価をくだしてはいない。

   カメラはおよそ103歳とは思えない明晰な口調、時折クローズアップされる顔に刻まれた深い皺、眼鏡の奥にある鋭い瞳を捉える。作品制作に4年、「過去を語りたくない」と拒否していた本人を説得するのに1年かかっている。

   制作チームはゲッベルスを悪の権化としてではなく、一人の人間として位置付けようとした。彼のそばにいたポムゼルもまた同様である。彼女はそれまで放送局に勤めていた働く普通の女性だった。与えられた仕事をこなし、メディアの世界で友人ーその中にはユダヤ人もいたーより多くの給与を稼ぎ「優秀」と称される。

   30代を迎えた彼女にある転職話が持ちかけられる。得意の速記を見込まれての打診だった。ナチスの宣伝省に入らないか?ーー。給与明細をみると放送局の給与に加えて、いくつもの手当がついている。「これは運命だ」と彼女は思う。やがて、彼女はゲッベルスの秘書として重用されていく。

   あの時代を生きたどこにでもいた「凡庸」な個人としての証言が、逆に時代を超えた「タイムレス」な言葉になる。それが制作チームの狙いだった。

 

「私に罪はない」と彼女は断言した

 

   1年の交渉で取材チームと信頼関係ができたのだろう。彼女はあの時代を淡々と振り返る。ホロコーストについて「最後まで何も知らなかった」と語り、「私に罪はない」と断言した。

   上司だったゲッベルスについても「スーツがよく似合い、自信に満ちていて、洗練されていた」とその魅力を率直に語っている。

   そして彼女は言う。罪があったとするならば、「私」ではなく「ドイツ国民」である。ナチスに政権を取らせたのは、ドイツ国民全員であり、「私」もその1人だったと。

 

本当に罪はないのか?

 

   トークイベントで焦点になったのが、彼女の「私に罪はない」という言葉をどう受け止めればいいのかという話題だった。「彼女が淡々とナチスの時代を振り返る姿勢に、私は逆に恐怖を覚えた。彼女は悪人なのだろうか?」と竹下編集長は問いかける。

クレーネス監督はこう応じる。

 

   《彼女には矛盾した2つの姿がある。実に興味深いことです。彼女は一見すると頭脳明晰で気持ちの良い老婦人であり、素晴らしい語り手です。

 しかし、彼女はゲッベルスがやってきたことについて知りうる立場にあった。彼がやってきたことを近くで見ることができる立場にあったわけです。

その矛盾に彼女の真の姿があるように思えます。最初は気持ちがいい老婦人の独白として受け止める観客も、やがて語られる様々な事象を聞きながら不安に思ったり、恐怖を感じたりするのではないでしょうか。

 彼女自身もまた語ることで、自分の人生に問いを投げかけていたように思うのです。その変化、過程も映画の中で見てほしいですね。》

ヴァイゲンザマー監督もこう話す。

  《彼女と2年近く、濃密な時間を過ごしました。編集作業に関わってもらったこともあります。私自身もジレンマに陥ってしまいそうになる瞬間がありました。

 誰にでも好かれるようなユーモアのある語り手でありながら「私は悪くない」「そういう時代だった」と語る極端な二面性を私も感じていたし、彼女も感じていたように思う。》

 

身近な子供の死、遠くのユダヤ人の死

 

   トークショーを通じて、二面性が一つのキーワードとして浮かび上がる。そこで明かされたのは、冷静沈着に見える彼女の意外な一面だった。

   彼女は多くのユダヤ人の死については「私に罪はない」と静かに語る一方で、ゲッベルス家の子供たちが殺害される場面を証言する際には感情があらわになりかけ、涙を流さないよう自分と戦っていたと監督たちは語った。

   クレーネス監督はさらに踏み込んで、「ナチス抵抗運動」についての証言に注目する。非暴力主義でナチスに対抗しようした白バラ運動、その中心になったショル兄妹らにポムゼルは感情を突き動かされている。

   彼女が感情が向かうのは、あの時代にナチスに抵抗した勇気ではない。若くして亡くなってしまった人たちへのある種の同情だ。

  《彼女はあんな若い人たちが亡くなってしまったということに感情を動かされていた。ナチスに対して「何もしなければよかったのに」「黙っていれば死なずに済んだのに」と語るのです。

   ここに彼女の人生哲学が現れています。彼女は何も言わずに、口を閉ざす。だから彼女はここまで長生きできたのではないかと思うのです。》

 

良心に殉じることよりも、耐え抜くことを選ぶ。

 

   映画のなかで、もう一つ彼女の感情が垣間見えたシーンがあった。今を生きる人たちがあの時代を振り返り、「自分なら抵抗できた」と簡単に言い切ることに言及した場面だ。彼女の口調をやや強めて、カメラの前でこう言い切った。「体制から逃れることなんて絶対にできない」と。

 

転職、キャリアアップという幸せ

 

   彼女が目指したのは、あくまで自分の転職、キャリアアップだった。ゲッベルスの演説には今でもよくあるの言葉が溢れている。「勇気を持って、危険な人生を送れ!」。

   リスクを取って人生を豊かにせよと説く自己啓発本のような言葉に多くのドイツ人が酔った。

   真面目で職務に忠実な彼女が望んだのは自分のささやかな幸せだった。それは疑いようがない。だが、その先は無関心だった。彼女のユダヤ人の友人エヴァがアウシュヴィッツ強制収容所に送られていることを知ったのも、戦争終結から60年以上がすぎてからだった。

   身の回りの幸せを望んだ小さな決断の積み重ねが、大きな時代の流れを加速させる原動力になった。これも一つの二面性だ。

 

ヴァイゲンザマー監督は言う。《ポムゼルの話を聞いていても、過去のものとは思えなかったのです。もちろん時代は違うが、人間には変わらないものがある。》

 

この映画は過去のもの?それとも「今」の時代のもの?

 

   トークショーでは、この映画を今の時代のものとしてどう見たらいいのかという点も議論になった。

   制作チームも語るように、ポムゼルの証言撮影から、2017年の公開までの数年でヨーロッパも世界も大きく動いた。SNSの発展は人々の有機的なネットワークをもたらした一方で、より情報操作がしやすくなる状況、政治家にとって都合のいい情報を発信しやすくなる状況を作り出した。

   技術そのものは中立的であっても、排外主義的なポピュリズムに向かうのか、ナショナリズムの台頭を招くのか、グローバルな運動の広がりに向かうのかは使う人次第である。誰が使っているのか、どのような情報発信をしているのか。見極める重要性は増している。

 

《歴史を振り返るために撮影していたものが、いつの間にか出来上がってみると現代の映画になっていたのです。》(クレーネス監督)

 

目先の幸せを追求した先に......

 

   彼らが映し出したのは、いつの時代であっても自分の目先の幸せを求めてしまう人間の姿だったようにも思える。誰もが幸せになりたい。でも、その思いが誰かの不幸につながってしまうとしたら......。常に想像力を働かせていないと大きな流れに飲み込まれる。

   歴史に証言を残した彼女は、映画の完成を見届けるように息を引き取った。享年106歳。一人で最後を迎えたのは、ミュンヘンの老人ホームだった。彼女は出来上がった「自分」の作品を見て、満足そうな表情を浮かべていたという。

   その表情はなにを意味していたのだろう。「私に罪はない」と自らの正当性を主張できたことの喜びか、彼女が人生で抱え続けた矛盾や苦悩を認められたことに起因するものなのか。あるいはその両方が複雑に入り混じったものなのか。今となっては映画から想像することしかできない。

 

 

 『ゲッベルスと私』

 6月16日(土)より岩波ホールほか全国劇場順次ロードショー

 

監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー

 

オーストリア映画/2016/113分/ドイツ語/16:9/白黒/日本語字幕 吉川美奈子/配給 サニーフィルム

協力:オーストリア大使館|オーストリア文化フォーラム/書籍版:『ゲッベルスと私』紀伊國屋書店出版部

 

公式サイト:www.sunny-film.com/a-german-life © 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

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全体主義の手前にいる段階で僕らが声を上げる必要がある

2018年06月18日 | 社会・経済

 大阪北部での地震被害にあわれた方にお見舞い申し上げますとともに、住まいやインフラ等の早い復旧をお祈りいたします。また引き続く余震にも十分ご注意ください。


 

 

作家・中村文則氏が警鐘 「全体主義に入ったら戻れない」

  日刊ゲンダイ 2018年6月18日

  ウソとデタラメにまみれた安倍政権のもと、この国はどんどん右傾化し、全体主義へ向かおうとしている――。そんな危機感を抱く芥川賞作家、中村文則氏の発言は正鵠を射るものばかりだ。「国家というものが私物化されていく、めったに見られない歴史的現象を目の当たりにしている」「今の日本の状況は、首相主権の国と思えてならない」。批判勢力への圧力をいとわない政権に対し、声を上げ続ける原動力は何なのか、どこから湧き上がるのか。

   ――国会ではモリカケ問題の追及が1年以上も続いています。

 このところの僕の一日は、目を覚ましてから新聞などで内閣が総辞職したかを見るところから始まるんですよね。安倍首相は昨年7月、加計学園の獣医学部新設計画について「今年1月20日に初めて知った」と国会答弁した。国家戦略特区諮問会議で加計学園が事業者に選ばれた時に知ったと。これはもう、首相を辞めるんだと思いました。知らなかったはずがない。誰がどう考えてもおかしい。ついにこの政権が終わるんだと思ったんですけど、そこから長いですね。

――「現憲法の国民主権を、脳内で首相主権に改ざんすれば全て説明がつく」とも指摘されました。

  首相が言うことが絶対で、首相が何かを言えばそれに合わせる。首相答弁や政権の都合に沿って周りが答弁するだけでなく、公文書も改ざんされ、法案の根拠とする立法事実のデータまで捏造してしまうことが分かりました。この国では何かを調べようとすると、公文書や調査データが廃棄されたり、捏造されている可能性がある。何も信用できないですよね。信用できるのはもう、天気予報だけですよ。後から答え合わせができますから。安倍首相の言動とあれば、何でもかんでも肯定する“有識者”といわれる人たちも、いい大人なのにみっともないと思う。

   ――熱烈な支持者ほど、その傾向が強い。

 普通に考えれば、明らかにおかしいことまで擁護する。しかもメチャクチャな論理で。この状況はかなり特殊ですよ。この年まで生きてきて、経験がありません。

■安倍政権が知的エリート集団だったらとっくに全体主義

   ――第2次安倍政権の発足以降、「この数年で日本の未来が決まる」と警鐘を鳴らされていましたね。

 これほどの不条理がまかり通るのであれば、何でも許されてしまう。「ポイント・オブ・ノーリターン」という言葉がありますが、歴史には後戻りができない段階がある。そこを過ぎてしまったら、何が起きても戻れないですよ。今ですら、いろいろ恐れて怖くて政権批判はできないという人がたくさんいるくらいですから、全体主義に入ってしまったら、もう無理です。誰も声を上げられなくなる。だから、始まる手前、予兆の時が大事なんです。

   ――そう考える人は少なくありません。総辞職の山がいくつもあったのに、政権は延命しています。

 安倍政権が知的なエリート集団だったら、とっくに全体主義っぽくなっていたと思うんです。反知性主義だから、ここまで来たともいえますが、さすがにこれ以上の政権継続は無理がある。森友問題にしろ、加計問題にしろ、正直言って、やり方がヘタすぎる。絵を描いた人がヘタクソすぎる。こんなデタラメが通ると思っていたことが稚拙すぎる。根底にはメディアを黙らせればいける、という発想もあったのでしょう。

――メディアへの圧力は政権の常套手段です。

 実際、森友問題は木村真豊中市議が問題視しなかったら誰も知らなかったかもしれないし、昨年6月に(社民党の)福島瑞穂参院議員が安倍首相から「構造改革特区で申請されたことについては承知していた」という答弁を引き出さず、朝日新聞が腹をくくって公文書改ざんなどを報じて局面を突き破らなかったら、ここまで大事になっていなかった。一連の疑惑はきっと、メディアを黙らせればいい、という発想とセットの企画のように思う。本当に頭の良い、悪いヤツだったら、もっとうまくやりますよ。頭脳集団だったら、もっと景色が違ったと思う。

 だいたい、メディアに対する圧力は、権力が一番やってはいけないこと。でも、圧力に日和るメディアって何なんですかね。プライドとかないのでしょうか。政治的公平性を理由にした電波停止が議論になっていますが、止められるものなら、止めてみればいいじゃないですか。国際社会からどう見られるか。先進国としてどうなのか。できるわけがない。

――安倍首相は9月の自民党総裁選で3選を狙っています。

  これで3選なんてことになれば、モリカケ問題は永遠に続くでしょうね。安倍首相がウソをつき続けているのだとしたら、国民は犯人が自白しない二流ミステリーを延々と見せられるようなものですね。

   ――北朝鮮問題で“蚊帳の外”と揶揄される安倍首相は外遊を詰め込み、外交で政権浮揚を狙っているといいます。

 “外交の安倍”って一体なんですか? 誰かが意図的につくった言葉でしょうが、現実と乖離している。安倍首相が生出演したテレビ番組を見てビックリしました。南北首脳会談で日本人拉致問題について北朝鮮の金正恩(朝鮮労働党)委員長が「なぜ日本は直接言ってこないのか」と発言した件をふられると口ごもって、「われわれは北京ルートなどを通じてあらゆる努力をしています」とシドロモドロだった。あれを聞いた時、度肝を抜かれました。この政権には水面下の直接ルートもないのか。国防意識ゼロなんだ、って。

――中国と韓国が北朝鮮とトップ会談し、米朝首脳会談が調整される中、日本は在北京の大使館を通じてアプローチしているだけだった。

 ミサイルを向ける隣国に圧力一辺倒で、あれだけ挑発的に非難していたのに、ちゃんとしたルートもなかったことは恐ろしいですよ。それでミサイル避難訓練をあちこちでやって、国民に頭を抱えてうずくまれって指示していたんですから。安倍首相は北朝鮮の軟化をどうも喜んでいない気がする。拉致問題にしても、アピールだけで、本当に解決したいとは思っていないのではないか、と見えてしまう。拉致問題で何か隠していることがあり、そのフタが開くのが怖いのか。北朝鮮情勢が安定してしまうと、憲法改正が遠のくからか。

 ■萎縮して口をつぐむ作家ほどみっともないものはない

   ――内閣支持率はいまだに3割を維持しています。

 要因のひとつは、安倍首相が長く政権の座にいるからだと思います。あまり変えたくない、変えると怖いなという心理が働いたりして、消極的支持が増えてくる。政権に批判めいた話題をするときに、喫茶店とかで声を小さくする人がいるんですよね。森友学園の籠池(泰典)前理事長の置かれた状況なんかを見て、政権に盾突くと悪いことが起こりそうだ、なんだか怖い……という人もいるのではないでしょうか。マスコミの世論調査のやり方もありますよね。電話での聞き取りが主体でしょう。電話番号を知られているから、何となくイヤな感じがして、ハッキリ答えない、あるいは支持すると言ってしまう。ようやく、不支持率が支持率を上回るようになってきましたが、正味の支持率は今はもう、3~5%ぐらいではないでしょうか。

   ――政権批判に躊躇はありませんか。

 政権批判をして得はありません。ハッキリ言って、ロクなことがない。でも社会に対して、これはおかしいと思うことってありますよね。僕の場合、今の状況で言えば、そのひとつが政権なんです。この国はこのままだとかなりマズイことになると思っている。それなのに、萎縮して口をつぐむのは読者への裏切りだし、萎縮した作家ほどみっともないものはない。

 歴史を振り返れば、満足に表現できない時代もあった。今ですら萎縮が蔓延している状況ですが、後の世代には自分の文学を好きなように書いてもらいたい。それには今、全体主義の手前にいる段階で僕らが声を上げる必要がある。これは作家としての責任であって、おかしいことにおかしいと声を上げるのは、人間としてのプライドでしょう? それに、今の情勢に絶望している人たちが「この人も同じように考えているんだ」と思うだけでも、救いになるかなと思うんです。いろんな立場があるでしょうが、僕は「普通のこと」をしているだけです。(聞き手=本紙・坂本千晶)

 ▽なかむら・ふみのり 1977年、愛知県東海市生まれ。福島大行政社会学部卒業後、フリーターを経て02年、「銃」でデビュー。05年、「土の中の子供」で芥川賞、10年、「掏摸〈スリ〉」で大江健三郎賞。14年、ノワール小説に貢献したとして米国デイビッド・グーディス賞を日本人で初めて受賞。16年、「私の消滅」でドゥマゴ文学賞。近未来の全体主義国家を生々しく描いた近著「R帝国」が「キノベス!2018」で首位。

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