2020.9.30 .#朝日新聞出版の本#読書
コロナ・パンデミックは、「医療は商品である」という原理の無効性を可視化させた。そう語るのは、思想家の内田樹さんと医師の岩田健太郎さんだ。二人の対談が収められた『コロナと生きる』(朝日新書)から、なぜアメリカのパンデミックは収束しないのか、その背景について紹介する。
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■コロナが晒した新自由主義の限界
内田:医療費の増加は、ここ20年ぐらい日本が抱える財政上の最大の問題とされてきました。国家財政を逼迫させているのは医療費である、だから医療費削減を達成することが焦眉の課題なんだと、政府も経済評論家も口を揃えて言い続けてきた。その結果、病床数を減らし、保健所を減らし、医薬品や医療器材の備蓄を減らすことになった。そうやって医療体制が十分に脆弱になったところに、今回のコロナのパンデミックが到来した。どう考えても医療費を削減させながら感染症に対応することはできません。
岩田:そうですね。
内田:国民の健康という点では何のプラスももたらさないはずの医療費削減政策がさしたる国民的な抵抗もなしにこれまですらすらと通って来たのは、新自由主義的な「医療とは商品である」という発想が国民の間に浸み込んでいたからなんじゃないかと僕は思います。医療は市場で金を出して買う商品である。だから、金があれば良質の医療を受けることができるけれど、金がなければ身の丈にあった医療しか受けることができない。不動産や自動車と同じで。そういうふうに考える人がいつの間にか多数派を占めるようになった。だから、「すべての国民が等しく良質の医療を受ける権利がある」と考える人は、今はむしろ少数派になったんじゃないでしょうか。
金のある人、あるいは社会的有用性の高い人、生産性の高い人は医療を受ける権利があるが、そうでない人の治療のために公金を投じるべきではない。ちゃんとした治療を受けられないのは当人の自己責任だ、という冷たい考え方をする人がほんとうに増えた。一般の疾病でしたら、そういう理屈も通るかもしれませんけれど、感染症にはこれを適用することができない。医療を受けられない人たちが感染源となっていつまでも社会のなかにとどまる限り、感染症は永遠に制御不能だからです。
新しいウイルスによる感染症はこれからも数年おきに必ず起こります。ウイルスから社会を守ろうと思ったら、「医療は商品ではない。すべての人は等しく良質の医療を受ける権利がある」という原理を「世界の常識」として採択するしかない。アメリカの現状を見れば、誰でもそう考えるはずです。
■強硬トランプ、切実ジョンソン
岩田:基本的に僕も内田先生と同じ考えですが、アメリカはトランプ大統領が「失敗してない」って言い張ってますからね(笑)。これで一気に変わるかどうかは、わからないのが正直なところです。
内田:僕はアメリカの医療現場のことは知らないんですけれど、3千万人近い無保険者の人たちというのは、病気になったときにどうしているんですか? まったく受けられないということはないですよね?
岩田:いやもうあの国は、保険がなければ救急車すら呼べないですからね。救急車呼ぶのに無保険だと、日本円に換算して数十万も請求されるんです。実際にコロナに罹った人が街で倒れたのに救急車が呼べず、放置されて感染を広げてしまったケースもありました。
結局コロナに関しては議会で問題になって、無保険の人たちもちゃんと助けてあげようって話になりました。でも制度が決まったときにはもう時すでに遅しで、感染が蔓延してしまったんです。内田先生がおっしゃるように「貧乏人はほっとけばいい」という姿勢を国が続けると、感染症が起こったときに国民みんなが倒れちゃうんですね。
アメリカ型の新自由主義に基づく医療と、感染症のパンデミックは、非常に相性が悪いことが今回世界中の人に思い知らされたのは確かです。イタリアもコロナでとても痛い目に遭ってますが、やはりその背景には近年の同国における医療の効率化がありました。おそらく今後、ヨーロッパでは多くの国が医療制度について再考を始めるはずです。
内田:実際にイギリスでは、コロナに感染して入院していたボリス・ジョンソン首相が退院した後に、国民健康保険であるNHS(National Health Service)の効用をほめたたえていましたね。
岩田:はい。あれにはかなり驚きました(笑)。
内田:サッチャーの時代から、イギリス保守党はNHSを目の敵にして、ずっと潰しにかかってきましたからね。ところがジョンソン首相は、自分がコロナに罹ってお世話になったら、急に手のひらを返したように、「NHSのおかげです」と言い始めた(笑)。
岩田:いや~、あれを見て僕は、「日本の政治家も一回はコロナに罹ったほうがいいんじゃないか」とか一瞬考えかけて、慌てて否定しました(笑)。ボリス・ジョンソンを見ていて、やっぱり病気は身を以て体験すると、考えが変わるんだなとつくづくわかりましたね。
内田:僕はボリス・ジョンソンの「変節」は評価しますよ。「君子豹変す」ですから、いいんです。あれで医療政策についての流れが変わると思います。
岩田:国民皆保険が定着している日本の場合は、アメリカと逆の問題があるんですよね。お金を払わないと救急車が呼べないのがアメリカの病理だとすると、「ちょっとお腹が痛いから、救急車でも呼ぼうか」みたいなモラルハザードが起きているのが日本の難点です。国民皆保険による安くてアクセスしやすい医療が、一部の国民の食い物にされている状況があるんです。
高級スーパーで買い物すると、会計を終えた商品を店員さんが過剰なまでに包装してくれますよね。患者さんのなかには医療も同じように考えている人がいて、「もっとちゃんと包んでくれ」みたいな過剰な要求を医療者にしてくるんです。これまで日本の医療サービスは、水道の蛇口をひねると水が出てくるように、「受けられて当たり前」と思っている人がほとんどでした。でも本当は、そんなに無尽蔵にリソースがあるわけじゃなく、使い倒せばなくなってしまうことを、国民みんなで認識してほしい。医療に関しては日米ともに極端な方向に行き過ぎてしまったので、将来的に変えていく必要があるでしょうね。
■内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。著書に『私家版・ユダヤ文化論』、『日本辺境論』、『日本習合論』、街場シリーズなど多数。
■岩田健太郎(いわた・けんたろう)
1971年島根県生まれ。神戸大学大学院医学研究科教授。島根医科大学(現・島根大学)卒業。ニューヨーク、北京で医療勤務後、2004年帰国。08年より神戸大学。著書に『新型コロナウイルスの真実』『感染症は実在しない』など多数。
庭の花