温泉が減っている現実――日本の温泉の〈不都合な真実〉にどう向き合うか
「サステナブル・ブランド ジャパン」2020.02.26
※イメージ
山あいの静かな温泉につかり、自然の景色を眺めながらのんびりとくつろぐ……日本人に生まれて良かったと思う瞬間だ。温泉はまさに日本が誇るべき文化の一端であり天然資源だが、実は「これが本当に温泉? 」と言いたくなるような温泉施設がはびこり、一方で旅館の経営不振により年々温泉地が減っていると聞いたら驚くだろうか。知っているようで知らない温泉の“不都合な真実”とは――。 「もっと多くの人が目を向けるべき」という温泉紀行ライターの飯出敏夫氏に、持続可能な温泉のあり方を聞いてみよう。(いからしひろき)
温泉ほど日本人の身近にありながら、その実態が正しく知られていないものもない。その証拠に「温泉とは何か」ということに明確に答えられる人は多くないだろう。
国が定めた「温泉法」によれば、〈源泉温度が25度以上〉か〈19の特定成分のうち1つでも既定値に達している〉ことが温泉の条件だ。ただし、地下増温率により、地中を100メートル掘るごとに地下の温度は2~3度ずつ上昇する。つまり1000メートルも掘れば、そこから湧き出る地下水も大体25度以上になり、単なるぬるま湯でも温泉と認定されてしまうのである。
本来、日本人が文化として育んできた温泉とは、地中から自噴し、その過程で溶け込んだ様々な成分により、入浴するものに多くの健康効果をもたらす「大地の恵み」であることは論を俟たない。
その科学的根拠は分からなくても、経験によって人々は病気の治療や療養などに利用してきた。それが湯治である。
しかし、掘削技術の進歩により、その位置づけが少しずつ変わってきた。この道30年以上で、今も年に100日以上温泉地を取材する温泉紀行ライターの飯出敏夫氏はこう言う。
「はっきり言って、いまの日本には多くの『これは本当に温泉と言えるのか? という温泉』がはびこっています。そのきっかけは、80年代後半から90年代前半にかけてのバブル景気。この時に起きたこと、行われたことによって、日本の温泉は今も『後遺症』に苦しめられているのです」
その原因は、「ふるさと創生事業」と「大型温泉旅館の乱立」だ。
1つ目の「ふるさと創生事業」とは、1988年から1989年にかけて日本の各市町村に対し地域振興の名のもとに国から1億円が交付された政策のこと。多くの自治体が競うように箱モノを作り、何のアイデアも無いところは1億円分の金塊を飾ったりした。
「その1億円で温泉を掘ろうという自治体が雨後の筍のように出ました。当時、温泉井戸を100メートル掘るのに100万円かかる時代。ただし元々温泉地ではないので、無理な掘削です。温泉が出れば良いほうで、出ても湯量はほんの少し。仕方ないから循環ろ過装置で使いまわし、不衛生になったことでレジオネラ菌による死亡事故が起きてしまった。それを最もコストが安い塩素消毒で解決しようとしたのが更なる間違い。おかげで今のほとんどの日帰り入浴施設の温泉は塩素臭漂う湯になってしまいました」
もう一つの「大型温泉旅館の乱立」も、根本は同じだ。
「バブル景気に乗じて、全国の温泉地で大型の旅館が建てられました。巨大展望風呂など大勢の宿泊客が入れる浴場施設も作られたわけで、温泉の量は当然足りなくなります。加水・加温・循環ろ過・塩素消毒が当たり前になり、『この湯船にはどれくらいの温泉が入っているのかわからない』なんていう、笑えない状況の旅館もあるくらいです」
もちろん温泉は限られた資源だから、より多くの人に利用してもらうためには、一定の加水・加温・循環ろ過・塩素消毒が必要な温泉地が出てくるのも仕方がないだろう。飯出氏も「私は源泉かけ流し至上主義者ではありませんが……」と前置きしつつ、こう言う。
「その温泉がどういう状態なのか明らかにされていないことが問題なのです。本来は〈温泉分析書〉という、泉質などを分析した証明書を脱衣所などに掲示しなければならないのですが、いまだ徹底されていません。利用者にとって、その温泉がどんな温泉なのかを知る唯一最低限の情報開示が、この温泉の履歴書ともいうべき温泉分析書なのです。最近は泉質を気にする人が増えましたが、まだまだ“聞いちゃいけない?”という雰囲気があります。利用者は温泉に関する情報開示を求める権利があるし、施設側も開示する義務があるのです」
「温泉分析書」は必ずチェック
いまやどんな事業でも情報開示が企業責任として求められるように、温泉においても情報をオープンにすることは必要最低限な前提だろう。
ただし、「泉質」よりも喫緊に取り組むべき課題があるという。
それは、「温泉旅館経営の維持」だ。
「とにかくいま、地方の温泉旅館は後継者不足、労働者不足が深刻です。休みもなく、朝から晩まで立ち働かなければならない過酷な労働環境の宿が少なくないため、担い手がいないのです。特に過疎地は人集めが大変。優れた自然湧出泉などの温泉地は過疎地に多いので、深刻化に輪をかけています」
実際、旅館を維持できなくて消滅してしまった温泉地もあるという。
例えば、北海道岩内郡の「雷電温泉」。残った一軒の旅館がかろうじて営業していたが、2019年9月についに閉館。温泉地そのものが消滅してしまった。誰も人がいない廃墟の湯船に温泉だけがこんこんと湯気をたてて自噴している……などというのは笑えないブラックユーモアだ。
環境省の調べ(平成29年度「温泉利用状況」)でも、2018年3月末現在の温泉地数(宿泊施設のある場所)は全国で2983カ所となり、前年同月時点と比べ55カ所減っていることが分かっている。これまで日本の温泉地の数について言及する場合は〈3000カ所以上〉が常套句だったが、今後は変えなければならないかもしれない。
飯出氏によれば、そのような“立ち行かなくなった温泉旅館”を買い取り、格安プランが売りの宿にリノベーションするビジネスモデルも増えているそうだ。しかし、〈都心からバスで送り迎え〉〈どんな場所でも一律のサービス〉〈ビュッフェによる効率重視の食事〉などが、果たして日本の誇る温泉文化といえるだろうか。もちろん色々なタイプの温泉施設があってしかるべきだが、価格競争になってしまったら零細な個人経営の旅館は太刀打ちできない。
少子高齢化・人口減少が進む日本にとって、観光は今後の日本経済を支える大きな収入源になると考えられている。そんな中で、どうすれば、古来の温泉文化を守りながら、健全な旅館経営を維持していけるのだろうか。
労働者不足については、「定休日の導入や、外国人・定年後の元気なシニアを活用する方法もある」と飯出氏は提案する。
集客力アップの方法としては、温泉風情や日本的な景観を訴求するのも手だ。例えば兵庫県の「城崎温泉」や山形県の「銀山温泉」などは、そうした方法でインスタグラマーや外国人観光客などの集客に成功している。
環境省は「新・湯治」と銘打って、現代のライフスタイルに合う長期逗留を広めようと啓発活動を行っている。
大正ロマンの雰囲気が人気の銀山温泉
しかしもっと単純で、簡単な方法がある。それは──
「より多くの人が“本物の温泉”に足を運ぶこと、これに尽きます。例えば山形の『肘折温泉』なんて行くと、ひなびた湯治宿が軒を連ね、朝市では地元の食材がずらりと並ぶ……まさに日本の温泉地の原風景ですよ。そこで買ったものを自炊して食べ、そしてのんびり湯につかる。最高ですね」
まずは“真実”に目を向け、“本物”を知ろう。
SDGsの中でも、地方の文化振興・産品販促につながる持続可能な観光業の促進によって持続可能な経済成長を進めていくことが含まれている。
たかが温泉と言うなかれ。失ってからでは遅いのである。
と、いうわけで温泉のすすめではない。今、新型コロナで家にこもっているなら、観光客が来なくなって、営業の危機に瀕している「宿」を支援する意味からも、いってみてはどうだろうか?さらに昨日の記事にあるように新型コロナは湿気に弱いらしい。ということは「風呂」がうってつけではないか。のんびりとストレスを解消し、体を暖めて免疫力を高めるのもいい。そしてうまいものが喰えれば言うことなし。近くの銭湯なら毎日でも子どもを連れていける。わたしも毎日、地元の温泉に浸かっている。
今日のお散歩
ようやく沼の周りの土が出てきてふきのとうも現れました。