里の家ファーム

すべて無農薬・無化学肥料、不耕起栽培の甘いミニトマトがメインです。完熟したミニトマトから作る無添加ジュースは逸品です。

映画「こどもしょくどう」

2019年03月25日 | 映画

子ども食堂 新たな絆に 題材の映画 23日から公開

  東京新聞 2019年3月19日

映画「こどもしょくどう」の一場面

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 子どもに無料または低額で食事を提供する子ども食堂をテーマにした映画「こどもしょくどう」が二十三日から、東京都千代田区の岩波ホールで公開される。四月五日まで。「子どもたちに今の社会がどう見えているかを描いた」と語る監督の日向寺(ひゅうがじ)太郎さん(53)。地縁・血縁が薄れる中、孤立する子どもの現状と、子ども食堂に新たな希望を感じさせる内容になっている。 (寺本康弘)

◆日向寺監督「地縁・血縁薄れ救う網ない」

作品について語る日向寺監督=東京都内で

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 物語は、父母が切り盛りする小さな食堂で暮らす小学五年の男児が、橋の下の軽ワゴン車で暮らす姉妹と知り合うことから始まる。社会から孤立する姉妹に、男児は自分の食事を分けてあげたり、姉妹を自宅に招いたりする。父母が子ども食堂を立ち上げるきっかけを描いたフィクションだ。

 映画では、車中生活前の姉妹が、かつて両親と行った旅行の場面など幸せな日常を送っていた過去も描かれる。日向寺さんは「誰もが姉妹のような状況に陥る可能性がある社会に生きていることを知ってほしい」と話す。

 その理由について「今の社会は地縁や血縁が薄くなった」と指摘。加えて「病気になったり、勤める会社が倒産したり、何か一つ大きなことに遭遇したら社会には救う網がない」と説明する。

 日向寺さんは「今の社会をつくったのはわれわれ大人の責任。子どもには責任はない」と話す。「思いを持った人と人が出会うことで人も社会も変わりうる」と映画に込めた思いを紹介した。

 社会の助け合い機能が細る中、日向寺さんは、子どもに食事や居場所を提供する子ども食堂が「地域の共同体となりうる」と期待を寄せる。「全国各地につくられているのは素晴らしい。地縁や血縁などが崩れていく中で新たな動きだ」

 食堂を営む父母役を吉岡秀隆さんと常盤貴子さんが演じる。映画は岩波ホールの他、順次各地で上映される。スケジュールは映画「こどもしょくどう」のホームページで。

◆厳しい現実物資・人足りず善意が支え

 必要性が認識され、全国的な広がりを見せる子ども食堂。支援する企業も出てきたこともあり、昨年の市民団体の調査では、全国に約2300カ所あるとされる。しかし運営を継続していくための支援体制は十分ではない。

 豊島区で2月10日に開かれた子ども食堂の運営者やスタッフ、支援者が集う「こども食堂サミット2019」でも、持続可能な仕組みにするための課題が話し合われた。

 全般的に「ヒト・モノ・カネ」が足りず、食材の調達から調理、場所の提供まで、多くが関係者の善意に支えられている。

 サミットの出席者からは「コメや野菜を提供してくれるところもあるが、(体を作るのに必要な)肉や魚の入手が難しい」や「スタッフが足りない」との切実な声が相次いだ。資金不足も課題。行政に補助を依頼しても「子ども食堂だけを特別扱いできない」と断られることもある。


 ブログの機能、表示が新しくなり少し戸惑いつつ慣れていくしかないでしょう。動画を貼り付けようとしましたが、うまくいきません。映画「こどもしょくどう」の予告編
オフィシャルサイト https://kodomoshokudo.pal-ep.com/
でご覧ください。

 今日は、ようやくプラス気温となり、雨も少し降りました。でも、そんな雪が解けるような状況ではありません。


コメント

たかが漫画、されど漫画

2018年08月23日 | 映画

『名探偵コナン ゼロの執行人』の公安礼賛がヒドい! 元公安担当記者・青木理が大ブレイクの“安室透”に絶句

  リテラ 2018.08.22

 

  「安室透ブーム」なるものをご存知だろうか。アニメ化もされている人気マンガ『名探偵コナン』(青山剛昌/小学館)のキャラクター・安室透。その人気が最近ブレイクし、一種の社会現象となっているのだ。

 『名探偵コナン』シリーズといえば、主に小中学生を中心とした子ども向けマンガではあるが、安室透なるキャラは大人の女性にも絶大な人気を博している。8月9日発売の『女性セブン』(小学館)合併号では、巻頭でキムタクと並んで安室特集が組まれ、安室を主人公にしたスピンオフマンガ『ゼロの日常』(新井隆広/小学館)は発売から1週間足らずで60万部を突破。作者の地元である鳥取の空港には安室のオブジェまで立てられたという。少し前には、『ゼロの日常』の作者がイラストをツイッターに投稿したところ、そのイラストに安室と女性が一緒に収まっていたことを理由に「女性とのツーショット画像が流出」と騒ぎになって謝罪に追い込まれるという、どうでもよすぎる“炎上騒動”まで起きている。

 そして安室をフィーチャーした映画『名探偵コナン ゼロの執行人』も4月の公開以来大ヒット。いまなおロングラン上映が続きシリーズ最大のヒット、7月はじめには興行収入85億円を突破し上半期映画興行収入第1位となり、シリーズ初の「邦画年間第1位」まで視野に入っている。

 その安室なるキャラ、普段はコナンが居候する毛利小五郎の弟子の私立探偵であり、喫茶店ポアロの店員として生活しているが、実は警察庁警備局の秘密組織“ゼロ”に所属する「降谷零」が正体だという設定。ようは公安警察なのだが、これに女性ファンが熱狂しているのだ。

 ●「安室の女」「執行女子」と呼ばれるファン、応援上映の熱狂

 彼女たちは「安室の女」と呼ばれ、映画のヒットも牽引。安室を「100億の男」にする(=興行収入100億円を突破させる)ために繰り返し映画を鑑賞し、そうしたリピーターは「執行女子」とも呼ばれているらしい。

  なかでも彼女たちの心をつかんでいるのが、安室が映画終盤に口にするこんなセリフだという。「僕の恋人は、この国さ」――。

 このセリフを聞くだけでも、背中がぞわぞわしてくるが、いったいどんな映画なのか、都内で「応援上映」なるものがあるというので覗いてみた。上映中にペンライトを振ったり、掛け声をかけることができるというイベントで、すでに公開から数カ月経つというのに館内はほぼ満席。大半は女性だが、コスプレ姿のいかにも濃いファンから制服姿の女子高生、さらには20代、30代の仕事帰りと思しき女性まで幅広い層が訪れている。

 映画のストーリーは「東京サミット」を目前に控え、東京湾岸の埋立地に新しく完成したIR(カジノも備えた統合型リゾート)で原因不明の爆発が起きるものの、最終的にはコナンと安室が協力して真犯人を解明し、大規模テロも未然に防いで一件落着という、単純なもの。しかし、すごいのは、観客の熱気だ。

 観客の大半がリピーター=「執行女子」なのか、人気キャラが登場するたびに「コナン君っ!」「小五郎っ!」などと声援があがり、機動隊の装甲車が登場した際は「機動隊っ!」という意味不明の掛け声までが飛び交う。

 なかでも安室人気は確かに凄まじく、安室と思しき人物の足元が映っただけで「キャーーッ!」と大歓声。なかでもひときわ激しい歓声があがったのは、安室が「俺の、恋人は……この国さ」とタメにタメて例の決めゼリフを放ったときだった。安室のカラーだという黄色いペンライトが劇場中で振られ、まるでアイドルのコンサート……。

 いや、でもちょっと待ってほしい。アニメとはいえ安室の正体は公安。アイドルのように歓声を浴びせ、手放しでヒーロー視するような対象なのか。そもそも実際の公安は、こんなカッコいい代物ではなく、むしろ様々な危険性や問題点を指摘されている組織だ。それをここまで礼賛、するというのは、いくらなんでもやばいんじゃないのか。

青木理に『名探偵コナン』“安室透”を無理やり観させたら…

 そこで今回、本サイトは元共同通信の公安担当記者でジャーナリストの青木理氏に、嫌がるのを説得して無理やり『ゼロの執行人』を観てもらった。ちなみに、青木氏の著書『日本の公安警察』(講談社現代新書)は、安室透の公式ファンブックで参考文献にも挙げられている。

  鑑賞後、さっそく青木氏に話を聞くと、困惑しきった表情でこう口を開いた。

 子ども向けのアニメにいちいち目くじら立てたくないけど、あまりの公安礼賛に正直絶句しました(笑)。安室透だっけ? たしかに警察庁警備局には“ゼロ”のような秘密組織はありますが、中途半端にリアルっぽく見せているだけで、現実とはまったく違います。僕の本も含め、公安本や小説などを読み漁って、つぎはぎしたのでしょうが、根本的なことがわかっていない。まず、細かいことで言えば、サミット警備の現場を担うのは地元の都道府県警であって、都内なら警視庁の公安部や警備部。安室が所属するという警察庁はキャリア官僚ばかりですから、現場で捜査や警備に当たることはありません」

 映画では、その安室が縦横無尽に活躍し、人工衛星を警察庁に墜落させるというテロを間一髪のところで防ぐ筋立てになっている。実際の公安もこんなふうにテロを未然に防いだりしているのか。巷では「無用の長物」「金食い虫」「予算の無駄遣い」という悪口しか聞かないが……。

 「実際に公安警察がテロを防いでいるかどうかはわかりません。彼ら自身、『未然に防いだテロは永遠に知られない』なんて自画自賛してるくらいですから(笑)。でも、現実にはほとんどないんじゃないですか。公安警察が大金星的にテロ集団を摘発した例として有名なのは、1970年代に連続企業爆破を起こした東アジア反日武装戦線ぐらい。一方、オウム真理教の一連の事件はまったくノーマークで防げなかった。1995年のオウム事件当時、僕は警視庁記者クラブで公安警察を担当していましたが、オウムについて公安警察は事前にまったく動いていませんでしたから

 

 では、いったい公安は具体的に何をしてきたのか。映画の中では安室も盛んに「国のため」と言っていたが……。

 

「公安警察は、戦前・戦中の特高警察の流れを組む思想警察の性格が強い組織です。戦後は、長く続いた東西冷戦体制を背景とし、“反共”を最大の存在意義にして予算や組織を膨張させてきた。ようは共産党や新左翼セクトの監視活動に膨大な人と金を注ぎ込んできたわけです。対象組織の内部に『協力者』と呼ばれるスパイを作ったり、果ては組織ぐるみの違法盗聴や爆破工作にまで手を染めたこともあったほど。ところが、冷戦終結後も同じような活動を延々と続け、警察内でも公安警察の存在意義に疑問の声が出はじめた。もともと警察内で公安部門はエリート意識が強く、けた外れの人員と予算を独占していましたから」

 しかもオウム事件で無能ぶりをさらしたことで、「多額の予算を消費するだけで何の役にも立たない」という公安への風当たりはさらに強まった。存在理由を失った公安が膨大な予算と人員を死守するため、新たに目をつけたのが「テロ対策」だという。

 「米国で起きた2001年の9.11事件に便乗し、翌年には国際テロ対策と称して警視庁公安部に外事3課を新設しました。鳴り物入りで200人以上の捜査員を配置しましたが、現実にはモスク(イスラム寺院)に出入りしているムスリム(イスラム教徒)をかたっぱしから追い回すだけ。挙句の果てには彼ら、彼女らの個人情報を満載した捜査資料をネット上に流出させる大失態を犯しています。ようするにこの十数年の公安警察は、組織と予算、権益を守るのに汲々としてきたのが実情でしょう」

 公安・安室透を英雄視する『ゼロの執行人』に欠けている視点

 ようは公安が「国のため」「国を守る」などと言っているのは大嘘で、その実態は自分たち組織の予算や権益を守っているだけということなのだ。

 そう考えると、今回の『名探偵コナン ゼロの執行人』は、公安にとって「組織維持と拡大」の格好の宣伝映画になったともいえるだろう。安室の女性ファン=「安室の女」は興行収入を上げるために映画を観に行くことを、安室が公務員であることにちなんで「納税する」と言っているらしいが、ある意味、的を射た表現なのかもしれない。

 もうひとつ、安室は、作品中でも証拠の捏造、盗聴、でっち上げ逮捕……等々、違法捜査のオンパレードで“事件解決”にこぎつけるのだが、いささかの逡巡もなく「自ら行った違法作業のカタは自らつける」などと見得を切る。再び青木氏が苦笑して言う。

 「ああいう違法捜査の描き方だけは実態に近いかも(笑)。警察官の手を払っただけで逮捕っていう場面が映画にも出てきたでしょう。実際に『転び公妨』って呼ばれる公安のお家芸があって、狙った人物を公安警察官が取り囲み、1人か2人がいきなり転んで『公務執行妨害だ!』といって逮捕してしまう。ただ、これも非常に気になったのは、映画の登場人物が『公安お得意の違法捜査』を半ば自慢げに語り、作品全体を通じても肯定的に描かれていたこと。ああいう違法捜査も『国を守るためならアリ』というニュアンスがプンプンと漂っていた」

  こうした描き方に、青木氏は大きな問題を感じたという。

 「公安警察が仮に治安維持の任務に当たっているとしても、行き過ぎれば重大な人権侵害を引き起こす。テロは確かに怖いかもしれないけれど、国家の治安機関の暴走はテロよりはるかに怖い。実際に戦前・戦中の日本はそうだったし、今だって北朝鮮や中国を見れば分かるように、治安機関の力が強大な社会はロクなもんじゃない。いわば諸刃の剣である治安組織が内包する危険性、負の側面に触れないのは、いくら子ども向けのアニメとはいえ、表現作品としてどうなんだろうと思ってしまいますね」

 青木氏が言う通り、公安をここまで礼賛する映画も珍しい。そもそも日本には警察をヒーロー視するドラマや映画があふれかえっているとはいえ、たとえば『相棒』(テレビ朝日)などは公安の暗部をそれなりに描いてきた。『外事警察』(NHK)や『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』(フジテレビ系)といった公安を主役にしたドラマでも、「自分たちが守っているのは何か」「本当に国民を守っているのか」といった逡巡が多少なりとも描かれた。

 「アニメや特撮ものだってそうでしょう。かつての『ウルトラマン』や『ゴジラ』にしても、最近では宮崎駿監督の一連の作品も、作中には反戦や人権、環境保護といった人類共通のヒューマニズム的な要素が通奏低音のように流れていた。だから世界的にも高く評価されたのでしょう。でも、今回のコナン映画の通奏低音は何ですか。国を守る? 愛国? 少し前に賛否両論を巻き起こした『シン・ゴジラ』だって、左右どちらの解釈もできるような多層性があり、これほど単純じゃなかった」(青木氏)

 安倍応援団?『コナン』のカジノ推しとセガサミーの協力

 しかも『名探偵コナン』がここまで公安礼賛になっているのは、たまたま、安室という公安捜査官のキャラを出したらヒットしたから悪乗りした、というだけでもなさそうだ。

 『名探偵コナン』シリーズのアニメ映画をみていると、どうも政権や権力機関のPRのにおいがちらつくのだ。たとえば、2013年に公開された映画『名探偵コナン 絶海の探偵』も防衛省と海上自衛隊が全面協力し、自衛隊の最新鋭イージス艦を登場させていた。

 そして、今回の『ゼロの執行人』も、物語で重要な舞台となっていたのは「東京サミットの会場」であるIR(統合型リゾート施設)、あのカジノ法で設置が認められたカジノ施設なのだ。物語の後半では、テロの危機から逃れる人びとをわざわざカジノに避難させ、クライマックスの舞台となるのもカジノ。

 この映画が公開されたのは4月半ばで、カジノ法は、成立どころか国会での審議入りすらしておらず、むしろ国民から厳しい批判を浴びていた。ところが、作品中ではすでにカジノが日本に存在するのを当たり前であるかのように華やかに描かれている。

 しかも、エンドロールでは、撮影協力者としてセガサミーの社名まで刻まれている。ご存知の通り、同社は安倍首相とは蜜月の関係にあり、政権がカジノ法をごり押し成立させたことを受け、その運営者になることも有力視されている。これははたして、たまたまなのだろうか。

 これまで述べてきた公安礼賛もそうだ。安倍政権は特定秘密保護法や盗聴法、共謀罪といった強力無比な“武器”を公安に次々投げ与え、その“恩”に報いるかのように公安は首相の政敵や政権批判者を監視する謀略機関化の色彩を強めている。そんななかで、いくらキャラクターが当たったからといって、ここまで露骨な公安礼賛の映画をつくるというのは、製作者側にそういう権力礼賛、安倍応援団的な志向があるとしか思えない。

 しかも、それ以上に気になるのは、こうした公安プロパガンダ・アニメが邦画興行収入1位を独走し、「僕の恋人は、この国さ」という決め台詞を口にする公安捜査官が社会現象まで引き起こすほど人気を博しているという事態だ。このバーチャルな熱狂が、現実の政治、警察国家化に反映されないという保証はどこにもない。(編集部)


 こんなものに熱狂する心理がわからない。でも昨日紹介した「沖縄スパイ戦史」も「万引き家族」も大いに奮闘している。まだ希望はある。

 トウキビに実が入りだし、害獣対策しなければと思っていたが1日遅かった。昨日30本ほどもやられてしまった。

今年は、あまり生育が良くなく、まともなのが少ない中、まともなやつばかりやられてしまった。

しかし、これほどきれいに食べるやつもめったにいない。
今日、網を張って、トランジスターラジオをONにして置いてきた。

 

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ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」

2018年08月22日 | 映画

 

【三上智恵×倉田真由美】 ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」 しゃべれない沖縄

 

大矢英代さんに聞いた:

  戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある

   By マガジン9編集部   2018年8月8日

    現在、全国で公開中の映画『沖縄スパイ戦史』。住民を動員して行われた「スパイ戦」、強制移住によって多くの住民が犠牲になった「戦争マラリア」など、これまでほとんど知られていなかった沖縄戦の側面を、多くの人たちの証言で描き出すドキュメンタリーです。この映画を、マガ9でもおなじみのジャーナリスト・三上智恵さんとともに監督したのは、三上さんの琉球朝日放送での後輩でもある大矢英代さん。弱冠31歳という若い世代の彼女が、なぜ今「沖縄戦」を取り上げたのか。沖縄との出会い、取材の中で感じたことなど、お話をうかがいました。

 責任感と悔しさ。留学先のアメリカで出会った「沖縄」

 ──三上智恵さんと共同監督された、沖縄戦がテーマの映画『沖縄スパイ戦史』が公開中です。大矢さんはもともと千葉のご出身ですが、沖縄とのかかわりはどこから始まったのですか。

 大矢 大学3年生のとき、アメリカのカリフォルニア大学に留学したんです。そこで、アメリカ人外交官が特別講師を務めるあるワークショップに参加したのがきっかけでした。彼は対日政策を専門にしている外交官だったのですが、私を見て「今日は日本人留学生がいるから」といって、沖縄にある米軍基地についての話を始めたんですね。

 それまで私は沖縄に行ったこともなかったし、正直なところ基地の問題にもそれほど関心があったわけではありません。国連職員や難民キャンプでのボランティアにあこがれたりと、国内よりも海外にばかり目が向いていた時期でした。それでも、その外交官の話には、「おかしい」と感じることがたくさんあったんです。

 ──どんなことですか?

 大矢 「米軍基地があることで、沖縄は経済的に助けられている」とか「米軍は沖縄の人々とフレンドリーな関係を築いていて、住民はみんな米軍に対してウェルカムだ」とか……。沖縄で米兵による事件が多発していることや、基地建設に反対する県民大会が開かれていることは知っていましたから、それはおかしいんじゃないかと思って、授業が終わった後に講師のところへ行ってそう伝えたんです。

  そうしたら、彼は鼻で笑って「いいかい、沖縄に米軍基地があることはグッド・ディール(いい取引)なんだよ」。北朝鮮や中国のような「クレイジーなやつら」が攻めてきたときに、日本人のかわりに米兵が死んでくれるんだから、というんです。

  それに対して、私はうまく言い返すことができませんでした。

 ──おかしい、とは思っても……。

 大矢 そうです。沖縄に行ったこともなければ、そこに住む人たちの声を自分の耳で聞いたこともない。地元の人たちの抱える不条理を、自分の言葉で伝えることができなかった。そのことがとても悔しかったんです。

  同時に、「ボランティアに行って戦争で傷ついた人を助けたい」と思っていながら、紛争地に爆弾を落としている軍隊の飛行機が自分の国にある基地から飛び立っているという事実についてはまったく意識していなかったことにも気付かされました。海外で人を助ける前に、まず自分の国のことと向き合わないといけないんじゃないか、と感じましたね。そういう責任感と、うまく言い返せなかった悔しさと、二つの思いを抱えたまま留学生活を終えることになりました。

「戦争マラリア」って何? 「知りたい」思いに突き動かされて

 ──初めて沖縄に行かれたのは、その後ですか。

 大矢 大学院に進学してからです。留学からの帰国後、どうしたら私は一番人の役に立てるだろうと考えた末に、もともと話したり書いたりするのが好きだったこともあって、ジャーナリストを目指そうと思うようになりました。それで、まずはスキルを身に付けるために東京の大学院に進学して。もちろん、ずっと「沖縄」は頭の中にあったので、1年生の夏のインターンシップ先に八重山毎日新聞を選んだんです。

 ──石垣島に本社のある地域新聞社ですね。

 大矢 そうなんです。実は私、本当に沖縄のことを知らなくて……最初に社に行ったときに、「どんな記事を書きたいですか」と聞かれたので、「米軍基地の取材がしたいです」と答えてしまって。周りの方たちに大笑いされました(笑)。

 ──そうですよね。石垣島には、というか八重山諸島には米軍基地が……

 大矢 そう、ないんです(笑)。「何しに来たの」、って笑われるところからインターンシップがスタートしました。

 ──でも、そこで「戦争マラリア」の問題に出会われた。

 大矢 ちょうど、8月15日を向こうで迎えたのですが、朝刊の一面を見てびっくりしたんです。千葉で生まれ育った私にしてみれば、8月15日といえば、結びつくワードは「終戦」、そしてヒロシマ・ナガサキです。でも、石垣島の一面トップは「戦争マラリアの犠牲者に黙祷を捧げる」というものでした。

  「戦争マラリアって何?」と思って読んでみると、沖縄戦のとき八重山諸島では地上戦がなかったのに、軍の命令で「強制疎開」させられた結果、風土病のマラリアで3600人もの人が亡くなった、と書いてあった。まったく知らない話でした。そもそもなぜ米軍が上陸しなかった島々で「強制疎開」なのか。住民たちがどんな体験をしたのか。記事を読んで「もっと知りたい」と思って。そこから、戦争マラリアの体験者を訪ね歩く取材を始めたんです。

 ──いかがでしたか。

 大矢 お会いすることはできても、なかなか話していただけないことが多かったです。「もう終わったことだから」「なんでいまさら話さなきゃいけないの」という感じで。それでも何人もお話をお聞きすることはできたし、「疎開」先の土地にいっしょに行かせてもらったりもしました。でも、それぞれの人の人生そのものに迫るといったような、深い取材ができたわけではなかった。

  それもあって、インターンシップが終わって東京に帰ってからも「戦争マラリア」のことはずっと心に引っかかっていました。「インターンシップどうだった?」と誰かに聞かれて「戦争マラリアの取材をね……」という話をしても、「何それ?」となってしまう。

  あれだけたくさんの人たちが亡くなった、八重山の人たちにとってものすごく大きな出来事だったのに、東京ではまったく知られていない。考えてみれば1カ月前までの私もそうだった。この、「見えない壁」みたいなものはなんだろうと思いました。単なる私たちの無知なのか、それとも誰かが意図的に「知らさない」ようにしてきた結果なのか……。

  そういうことをずっと考えた末に、この「戦争マラリア」を私の大学院生活のテーマにしよう、そのドキュメンタリー映像を卒業制作にしよう、と決めたんです。

 ──そのときには、文章ではなくて映像をやりたい、と思われていたのですか。

 大矢 3週間新聞記者をやってみて文才の無さに気が付いたというのもありますが(笑)、これからいついなくなってしまうか分からない戦争体験者の肉声を伝え残すには、映像という手段が一番いいと思いました。

  それに、映像って、作り手自身の姿もそこに投影されると思っていて。私は、戦争マラリアの問題を見つめる23歳の自分自身を問う手段として、映像を選んだということだと思います。

波照間で見えた「ジャーナリストとしての原点」

 ──それで、また沖縄に行って取材を?

 大矢 もっと取材をしよう、と思ったときに考えたのが、東京と沖縄を行ったり来たりする形ではやれないな、ということでした。私自身がもし体験者だったら、遠くから突然来た人に自分の傷口を開いて話をしたのに、その人はすぐ帰ってしまってその後自分が話したことがどうなったのかもわからない……というのはつらいだろうな、と思ったんです。

  それで、ちょうど学生で時間もあったし、1年間休学して、現地に住み込んでしっかり人間関係をつくりながら取材しよう、と決めたんです。それで、向かった先が波照間島でした。

 ──石垣島からも高速船で約1時間の、「日本最南端の有人島」ですね。インターンシップ先は石垣島だったのに、どうしてまた波照間へ?

 大矢 戦争マラリアの被害が一番大きかった島だというのが一つ。そして、こちらが本当の理由なんですが、インターンシップ中に波照間に遊びに行ったときに出会った、あるおばあちゃんに惚れ込んでしまったんです。

  たまたま島を散策していたときに知り合って、家におじゃまして夕飯をごちそうになったりしたんですが、実はそのおばあちゃんもまた戦争マラリアの被害者だったんですね。家族11人のうち、彼女と妹を除く9人が犠牲になったという人でした。

 ──『沖縄スパイ戦史』にも証言者の一人として登場されていますね。

 大矢 そうです。浦仲のおばあというんですが、彼女の話を聞いているうちに、顔に刻まれた皺とか、澄んだ瞳とか、その何もかもにすっかり惚れてしまって。彼女のいる波照間に住みたい、と思ったんですね。

  それで、事前におばあに手紙を出して「家に泊まらせてもらえないか」とお願いしたら、浦仲のおじいのほうから「いいよ、おいで」という返事が来たので、意気揚々と向かいました。でも、浦仲の家の門を開けて「来たよー」と声をかけたら、出てきたおばあが私を見て言った言葉は「あんた誰ねー」でした……。

 ──え?

 大矢 夏に会ったことも、一緒に夕食を食べたことも、もう完全に忘れ去られていて。じゃあ、おじいの手紙は? と聞いたら「誰か分からなかったけど、どこかの子どもが波照間に来たいっていうから、いいよって書いたんだよー。ああ、あれがあんたねー」……。改めて「はじめまして」から始めて、無事に泊まらせてもらいました(笑)。

 ──大変な出だしですね(笑)。じゃあ、その浦仲家に泊めてもらいながら取材を?

 大矢 そうです。でも行ったのが12月だったので、最初の3〜4カ月は毎日サトウキビ刈りを手伝っていました。1日8時間、ひたすら体を動かすんですけど、すっごくつらかったです(笑)。

  ただ、そうやって浦仲のおじいおばあや島の人たちと一緒に働いて、話をする中で、見えてきたことがあります。戦争マラリアって、蔓延したのは1945年の3月から夏にかけてなんですが、それで「終わった」わけではないんですよね。マラリアで家族を亡くしたために学校に行かずに働かなくてはならなくなったとか、目指していた夢が叶わなかったとか、一人ひとりの人生に後々まで影響しているんです。

 ──「戦争マラリア」があったことによって、命が助かった人たちのその後の人生もまた大きく変わってしまったわけですね。

 大矢 そうです。島に行く前は、戦争マラリアばかりを見ていたんですが、1年間島で過ごしたことで、そこから続いてきた人々の人生が見えるようになったというか。単に「戦争体験者」という枠でくくるのでなく、まずは島に生きてきた一人の人間としての人生を描きたい、と思うようになりました。その分、撮った映像も豊かになった気がしています。

 ──波照間の言葉も学ばれたとか。

 大矢 波照間のじいちゃんばあちゃん世代は、普段「ベスマムニ(“私たちの島の言葉”という意味)」という波照間島でのみ話されている言葉で会話しています。いわゆる「日本語」は日常会話ではほとんど使わない。同時に、学校で「方言札」(※)を掛けられ、苦しみながら「日本語」を習得してきた人たちです。さらに戦争マラリアのために、学校で学ぶ機会すら奪われてしまった。

  浦仲のおばあも「私は日本語がうまくできない」って今でも悲しそうに言います。最初にインタビューしたときも、一生懸命「日本語」で話そうとしてくれるんですけど、何度も「ああ、これはヤマトの言葉で何て言ったかー?」みたいになって、どうにも苦しそうなんですね。言葉に感情や記憶が乗ってこないんです。私は大学で第二外国語として韓国語を選択したのですが、もし「自分の思いを韓国語で答えろ」と言われ続けたらすごく苦しいな、それを私はおじいおばあたちに強いているんだな、と思いました。

  そのことに気付いてからは、「じゃあ、私が波照間の言葉を覚えればいいや」と思って、ばあちゃんたちの会話をひたすら聞いて、書き取って勉強しました。あと、三線と一緒に民謡を習って、歌いながら覚えたり。そういうことも、私にとって人間関係構築のための大事な時間でした。

 ※方言札…いわゆる「標準語」の使用を徹底させるため、学校で方言を使った生徒に罰として首から掛けさせた札のこと。東北、北海道などでも用いられたが、沖縄では特に厳しく、明治時代終わりから第二次世界大戦後まで使われていた。

──サトウキビ刈りといい、まさに生活の中で取材をした、という感じですね。話し手との距離感も違ってくるような。

 大矢 そうですね。最初は、浦仲のおばあにも戦争マラリアのことは「話したくない」と言われました。「自分の家族があれだけ亡くなったのに、誰がそんなことしゃべりたいか」と。

  私自身も、そうやってつらい記憶を語ってもらうという、その人のかさぶたをはがしていくような──もしかしたら、まだかさぶたにさえなっていないのかもしれない傷口をこじ開けるような作業を、何のためにやらなきゃいけないんだろうと、ずっと悩みながらの取材でした。

  ただ、おばあや島の人たちと一緒に時間を過ごす中で、話を聞いたからには伝えるんだ、一緒にこの傷を背負って、二度と同じことが起きないための教訓にしていくんだ、と感じるようになりました。その意味で、自分のドキュメンタリストとして、ジャーナリストとしての原点をつくってくれたのは波照間島だと思っています。

 つくられた「分断」を目にして、涙が止まらなかった

 ──その後、東京に戻られてからは?

 大矢 しばらくは、ずっと編集作業をしていました。修士論文と一緒に、卒業制作として作品を出さなくてはならなかったので。周囲では就職活動の話も聞こえてきましたが、私にとっては編集作業のほうが重要だったし、「卒業してから考えればいいか」と。無事に作品は完成して卒業できたものの、進路は何も決まらないままでした(笑)。

 ──それが、三上智恵さんのいらした琉球朝日放送(QAB)で、記者として働くことになるわけですが……。

 大矢 卒業が決まった後、ひとまず波照間の人たちに「無事に卒業できました」と報告に行こうと思って、沖縄に向かったんです。それで、那覇の空港で乗り継ぎ待ちをしていたときに、「仕事どうしようかなあ」と思いながら、スマホをいじっていて。ドキュメンタリーを、それも沖縄でつくりたいという思いはずっとあったので、「沖縄 映像 仕事」で検索してみたら、琉球朝日放送の「契約記者募集」が出てきたんですよ。三上さんとは以前、あるイベントでお会いしていましたし、「あ、これ三上さんのところだ!」と。しかも、条件が「すぐ来れる人」だったので、「これ私のことじゃん!」と思いましたね(笑)。

   それで、波照間に着いてからすぐ履歴書を出しました。ちなみに、原稿用紙2枚の作文を書かなきゃいけなかったんですが、波照間島には原稿用紙を売っているところがなくて。浦仲のおじいが出してきてくれた、古くて黄色くなったぼろぼろの原稿用紙に、「2枚しかないんだから失敗するなよ」って言われながら書いて、出しました(笑)。

  面接のときも波照間からそのまま行きましたから、背中にリュック背負って……でしたし、落とされてもしょうがないと思うんですが、無事に入社が決まったんです。QABの懐の深さには本当に、感謝ですね。

 ──QABでの5年間で、特に印象に残っている取材はありますか。

 大矢 たくさんありますが、中でも忘れられないのは、2012年の7月19日、三上さんと一緒に行った高江取材です。その日、ヘリパッド建設に反対する人たちが座り込みを続ける中で、工事資材の搬入が強行されて。私はまだ入社して2カ月で、基地がつくられようとしている現場に立つのは初めてのことでした。

  撮影していて何より悔しかったのは、資材を搬入している業者も、それを身を挺してでも止めようとする人たちも、沖縄県民同士だということです。抗議する人が「あんたもウチナンチューなのに、なんで戦争のための基地をつくるのに協力するの」と言えば、業者は「俺たちも仕事だから」という。でも、やりとりを続けるうちに、互いの言葉のイントネーションから「あれ、あんた宮古島の出身なの、俺もだよ」みたいな話も出てきたりする。基地さえなければ、分断されなくて済んだ人たちなんですよね。

  それを見ながら、なぜ同じ県民同士が、日本とアメリカという二つの政府の取り決めで沖縄に集中的につくられた米軍基地の存在によってこんなふうに分断され、踏みつけられて傷つかなくてはならないのかと、悔しくてなりませんでした。しかも、刃を振るってその「分断」を生み出しているはずの当事者たちは、誰もその現場にはいないわけで。そういう状況を初めて目の当たりにして、泣けて仕方ありませんでした。

 今だからこそ、戦争体験から学ばなくてはならない

 ──昨年春には、QABを退社してフリーになられました。

 大矢 ハードな仕事で肉体的に疲れていたというのもあるんですが……ローカル放送であるQABにいて、年々悔しさが増していたということもありました。人々が分断されているこんなひどい状況を生んでいるのは「沖縄県民」ではなくて「国民」なのに、沖縄で起こっていることを知らなくてはならないのは「沖縄県民」よりも「国民」のほうなのに、という葛藤をずっと抱いていたんです。沖縄の報道現場で学んだ者として、沖縄を離れて、より多くの無関心な人たちに伝える仕事をしなければ、という思いがありました。

 ──そして今回の『沖縄スパイ戦史』につながるわけですね。

 大矢 もともとは三上さんに、「テレビで沖縄戦の番組をやろう」と誘っていただいたんです。ただ、結局その企画は通らなかったので、せっかくだから映画としてつくろうということになって。最初は「予算もあまりかけず、1時間くらいの短いドキュメンタリーに」と言っていたはずが、結果的にはその倍の長さになってしまいましたが(笑)。

 ──共同監督という形ですが、取材や編集はどのように進めたのですか。

 大矢 沖縄本島の取材は主に三上さんが、波照間のほか与那国島、石垣島、あとアメリカの取材は私が担当しました。取材中はLINEなどで時々報告し合って、それぞれの自分の撮影分を粗編集したものを持ち寄ってつなげる、という形で。最初につなげてみたときは5時間くらいあったので、それを少しずつ削って今の形にしていきました。

 ──完成・公開した今、どんな気持ちでいますか。

 大矢 波照間にいたときから「やらなきゃいけない」と思いながらもやりきれなかったことが、やっとできたという思いですね。八重山での強制移住の真相や、その背景にあった陸軍中野学校卒業生たちによる作戦、そこから見えてくる沖縄戦の知られざる秘密戦の実態……。それも自分だけの力ではなくて、誘ってくださった三上さん、製作費カンパに協力してくださった方々はじめ、いろんなご縁が積み重なってできたものだと感じています。

   そう考えると、今これをつくりなさい、と誰かに言われてできたような映画のような気がします。戦後73年経って、なんでいまさら沖縄戦の話なの、と言う人もいるでしょうが、73年経ったからこそ伝えなきゃいけないんだ、という思いをこの映画に込めたつもりです。

──73年経ったからこそ体験を話せるという方もいるでしょうし、私たちにとっても、戦争体験についての証言を直接聞ける、本当に最後の機会にもなりつつあります。

 大矢 私たちは、過去の歴史からしか学べません。その歴史を語れる人がいなくなりつつある中で、私たちが何を学ぶのかが今、問われていると思います。

   「戦争体験者がいなくなる」というニュースを時々見かけますが、私はそれ自体は社会現象ではあってもニュースではないと思っています。本当に「ニュース」にすべき問題は、私たちがたくさんの人たちが語ってくれた戦争体験を、ただの「かわいそうな、つらかった記憶」にしてしまって、民衆がどんなふうに国家に利用され、捨てられてしまったのかという大事なところを学び取ってこなかったこと。だからこそ、安保法制が成立したり、沖縄に新しい基地がつくられるような、そんな状況になってしまっているのではないでしょうか。73年目を生きる私たちは、もしかしたらもう「戦前●年」を生きているかもしれない。今こそあの戦争から学ばなくてはいけないんだと思います。

 ──今後、取材したいテーマなどはありますか。

 大矢 今年の秋からアメリカに行く予定で、最低1年は滞在したいと思っています。QAB記者時代に『テロリストは僕だった』という、イラク戦争で戦い、沖縄での基地反対運動に身を投じた元米兵を追ったドキュメンタリーをつくったので、その取材を続けたい。経済的理由から入隊した若者、ホームレス生活になってしまったり、PTSDで苦しんだりしている元兵士、軍で性暴力を受けた女性兵士……そうした人たちを、もっと丁寧に取材してきたいと思っています。

 ──『沖縄スパイ戦史』もそうですが、「軍隊」というものの本質が見えてくる内容になりそうですね。

 大矢 そうですね。軍隊というものが「国防」の名の下にいかに兵士の人間性を破壊して機械化していくか、かかわった民衆を利用して捨てていくか、それはおそらくどこの国でも同じで。その部分を、もっと追及したいと思っています。

   波照間にいたとき、浦仲のおじい──昨年に亡くなられたのですが──にこんなことを言われたことがあります。「英代には、『学んだ者』としての責任があるんだ」。おじいやおばあの世代は、学校に行きたくても行けなかったし、行っても「国のために死ね」という軍国主義教育しか受けられなかった。本当の教育というものを自由に受けられなかった悔しさを、今も背負って生きているんだ、と。

   それに対して、私たちの世代は「自由に学ぶ」ことができる。その中で、沖縄戦を、戦争マラリアを学ぶということを決めたからには、ただ興味本位の学びで終わらせるのではなくて、「学んだ者」の責任を果たせるようにしっかりやりなさい、と言ってくれたんです。『沖縄スパイ戦史』をつくっている間、いつも心に抱いていた言葉ですが、これからもずっと心にあり続けると思います。

 

(構成/仲藤里美・写真/マガジン9)

(おおや・はなよ) 1987年生まれ、千葉県出身。ジャーナリスト、ドキュメンタリスト、早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。2012年、琉球朝日放送入社。2016年に制作した「この道の先に〜元日本兵と沖縄戦を知らない私たちを繋ぐもの〜」でPROGRESS賞優秀賞、同年制作「テロリストは僕だった〜沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち〜」でテレメンタリー年間優秀賞などを受賞。2017年にフリー転身後は、「戦争・軍隊と人間」「米兵のPTSD」「沖縄と戦争」「国家と暴力」をテーマに取材活動を続ける。共著に『市民とつくる調査報道ジャーナリズム』(彩流社)。『沖縄スパイ戦史』が初映画監督作品。

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「私に罪はない」・・・・・?

2018年06月19日 | 映画

ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ

自己啓発本のような言葉に多くのドイツ人が酔った。

  ハフポスト 石戸 諭  2018年06月16日

 

 

    顔に、手に深く刻まれた皺が激動の半生を物語る。ブルンヒルデ・ポムゼル、103歳。ナチス・ドイツでプロバガンダを管轄した宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスの元秘書である。彼女が自身の半生とナチス時代を証言した映画『ゲッベルスと私』が6月16日より岩波ホールで公開される。来日した監督は言う。「これは過去の映画ではない。現代の映画だ」

 

封切り前なのに満員のトークイベント

 

   2018年5月、新宿・紀伊国屋書店――。クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー両監督とハフポスト日本版・竹下隆一郎編集長らによるトークイベントが開かれた。映画封切り前、同時に刊行される書籍版もまだリリースされていないにも関わらず、会場は満員となり関心の高さをうかがわせた。

 

映画で映し出された「凡庸な女性」

 

   この映画の監督は4人、ドイツ出身の監督とかつてナチスに統治されたオーストリア出身の監督による混合チームだった。彼らは作品の中でポムゼルの言葉に対して、直接の評価をくだしてはいない。

   カメラはおよそ103歳とは思えない明晰な口調、時折クローズアップされる顔に刻まれた深い皺、眼鏡の奥にある鋭い瞳を捉える。作品制作に4年、「過去を語りたくない」と拒否していた本人を説得するのに1年かかっている。

   制作チームはゲッベルスを悪の権化としてではなく、一人の人間として位置付けようとした。彼のそばにいたポムゼルもまた同様である。彼女はそれまで放送局に勤めていた働く普通の女性だった。与えられた仕事をこなし、メディアの世界で友人ーその中にはユダヤ人もいたーより多くの給与を稼ぎ「優秀」と称される。

   30代を迎えた彼女にある転職話が持ちかけられる。得意の速記を見込まれての打診だった。ナチスの宣伝省に入らないか?ーー。給与明細をみると放送局の給与に加えて、いくつもの手当がついている。「これは運命だ」と彼女は思う。やがて、彼女はゲッベルスの秘書として重用されていく。

   あの時代を生きたどこにでもいた「凡庸」な個人としての証言が、逆に時代を超えた「タイムレス」な言葉になる。それが制作チームの狙いだった。

 

「私に罪はない」と彼女は断言した

 

   1年の交渉で取材チームと信頼関係ができたのだろう。彼女はあの時代を淡々と振り返る。ホロコーストについて「最後まで何も知らなかった」と語り、「私に罪はない」と断言した。

   上司だったゲッベルスについても「スーツがよく似合い、自信に満ちていて、洗練されていた」とその魅力を率直に語っている。

   そして彼女は言う。罪があったとするならば、「私」ではなく「ドイツ国民」である。ナチスに政権を取らせたのは、ドイツ国民全員であり、「私」もその1人だったと。

 

本当に罪はないのか?

 

   トークイベントで焦点になったのが、彼女の「私に罪はない」という言葉をどう受け止めればいいのかという話題だった。「彼女が淡々とナチスの時代を振り返る姿勢に、私は逆に恐怖を覚えた。彼女は悪人なのだろうか?」と竹下編集長は問いかける。

クレーネス監督はこう応じる。

 

   《彼女には矛盾した2つの姿がある。実に興味深いことです。彼女は一見すると頭脳明晰で気持ちの良い老婦人であり、素晴らしい語り手です。

 しかし、彼女はゲッベルスがやってきたことについて知りうる立場にあった。彼がやってきたことを近くで見ることができる立場にあったわけです。

その矛盾に彼女の真の姿があるように思えます。最初は気持ちがいい老婦人の独白として受け止める観客も、やがて語られる様々な事象を聞きながら不安に思ったり、恐怖を感じたりするのではないでしょうか。

 彼女自身もまた語ることで、自分の人生に問いを投げかけていたように思うのです。その変化、過程も映画の中で見てほしいですね。》

ヴァイゲンザマー監督もこう話す。

  《彼女と2年近く、濃密な時間を過ごしました。編集作業に関わってもらったこともあります。私自身もジレンマに陥ってしまいそうになる瞬間がありました。

 誰にでも好かれるようなユーモアのある語り手でありながら「私は悪くない」「そういう時代だった」と語る極端な二面性を私も感じていたし、彼女も感じていたように思う。》

 

身近な子供の死、遠くのユダヤ人の死

 

   トークショーを通じて、二面性が一つのキーワードとして浮かび上がる。そこで明かされたのは、冷静沈着に見える彼女の意外な一面だった。

   彼女は多くのユダヤ人の死については「私に罪はない」と静かに語る一方で、ゲッベルス家の子供たちが殺害される場面を証言する際には感情があらわになりかけ、涙を流さないよう自分と戦っていたと監督たちは語った。

   クレーネス監督はさらに踏み込んで、「ナチス抵抗運動」についての証言に注目する。非暴力主義でナチスに対抗しようした白バラ運動、その中心になったショル兄妹らにポムゼルは感情を突き動かされている。

   彼女が感情が向かうのは、あの時代にナチスに抵抗した勇気ではない。若くして亡くなってしまった人たちへのある種の同情だ。

  《彼女はあんな若い人たちが亡くなってしまったということに感情を動かされていた。ナチスに対して「何もしなければよかったのに」「黙っていれば死なずに済んだのに」と語るのです。

   ここに彼女の人生哲学が現れています。彼女は何も言わずに、口を閉ざす。だから彼女はここまで長生きできたのではないかと思うのです。》

 

良心に殉じることよりも、耐え抜くことを選ぶ。

 

   映画のなかで、もう一つ彼女の感情が垣間見えたシーンがあった。今を生きる人たちがあの時代を振り返り、「自分なら抵抗できた」と簡単に言い切ることに言及した場面だ。彼女の口調をやや強めて、カメラの前でこう言い切った。「体制から逃れることなんて絶対にできない」と。

 

転職、キャリアアップという幸せ

 

   彼女が目指したのは、あくまで自分の転職、キャリアアップだった。ゲッベルスの演説には今でもよくあるの言葉が溢れている。「勇気を持って、危険な人生を送れ!」。

   リスクを取って人生を豊かにせよと説く自己啓発本のような言葉に多くのドイツ人が酔った。

   真面目で職務に忠実な彼女が望んだのは自分のささやかな幸せだった。それは疑いようがない。だが、その先は無関心だった。彼女のユダヤ人の友人エヴァがアウシュヴィッツ強制収容所に送られていることを知ったのも、戦争終結から60年以上がすぎてからだった。

   身の回りの幸せを望んだ小さな決断の積み重ねが、大きな時代の流れを加速させる原動力になった。これも一つの二面性だ。

 

ヴァイゲンザマー監督は言う。《ポムゼルの話を聞いていても、過去のものとは思えなかったのです。もちろん時代は違うが、人間には変わらないものがある。》

 

この映画は過去のもの?それとも「今」の時代のもの?

 

   トークショーでは、この映画を今の時代のものとしてどう見たらいいのかという点も議論になった。

   制作チームも語るように、ポムゼルの証言撮影から、2017年の公開までの数年でヨーロッパも世界も大きく動いた。SNSの発展は人々の有機的なネットワークをもたらした一方で、より情報操作がしやすくなる状況、政治家にとって都合のいい情報を発信しやすくなる状況を作り出した。

   技術そのものは中立的であっても、排外主義的なポピュリズムに向かうのか、ナショナリズムの台頭を招くのか、グローバルな運動の広がりに向かうのかは使う人次第である。誰が使っているのか、どのような情報発信をしているのか。見極める重要性は増している。

 

《歴史を振り返るために撮影していたものが、いつの間にか出来上がってみると現代の映画になっていたのです。》(クレーネス監督)

 

目先の幸せを追求した先に......

 

   彼らが映し出したのは、いつの時代であっても自分の目先の幸せを求めてしまう人間の姿だったようにも思える。誰もが幸せになりたい。でも、その思いが誰かの不幸につながってしまうとしたら......。常に想像力を働かせていないと大きな流れに飲み込まれる。

   歴史に証言を残した彼女は、映画の完成を見届けるように息を引き取った。享年106歳。一人で最後を迎えたのは、ミュンヘンの老人ホームだった。彼女は出来上がった「自分」の作品を見て、満足そうな表情を浮かべていたという。

   その表情はなにを意味していたのだろう。「私に罪はない」と自らの正当性を主張できたことの喜びか、彼女が人生で抱え続けた矛盾や苦悩を認められたことに起因するものなのか。あるいはその両方が複雑に入り混じったものなのか。今となっては映画から想像することしかできない。

 

 

 『ゲッベルスと私』

 6月16日(土)より岩波ホールほか全国劇場順次ロードショー

 

監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー

 

オーストリア映画/2016/113分/ドイツ語/16:9/白黒/日本語字幕 吉川美奈子/配給 サニーフィルム

協力:オーストリア大使館|オーストリア文化フォーラム/書籍版:『ゲッベルスと私』紀伊國屋書店出版部

 

公式サイト:www.sunny-film.com/a-german-life © 2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH

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カンヌ受賞作『万引き家族』

2018年05月22日 | 映画

リテラ 2018.05.21.

是枝裕和のカンヌ受賞作『万引き家族』は“貧困叩き”への違和感から生まれた! 安倍政権と国粋主義批判も語った監督の問題意識

   第71回カンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の『万引き家族』が最高賞であるパルム・ドールを受賞した。

 日本人監督がパルムドールに輝いたのは、『地獄門』の衣笠貞之助監督、『影武者』の黒沢明監督、『楢山節考』『うなぎ』で2回受賞した今村昌平監督に続く4人めということで、マスコミはこぞって「快挙」と大きく取り上げた。

  ただ、今回、その一方でほとんどふれられていないのが、是枝監督がこの作品を撮った背景だ。

 「数年前に、日本では亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」

  是枝監督は、カンヌ公式上映後に韓国紙・中央日報のインタビューに応じて、『万引き家族』を制作したきっかけについてこう明かしていた(5月17日付)。

 2010年、足立区で111歳とされていた男性が白骨化して発見され、実は30年以上前に死亡していたことが発覚。死亡届を出さずに年金をもらい続けていたとして、家族は後に詐欺で逮捕される。この足立区の事件を皮切りに全国で相次いで類似の事件が発覚し、“消えた高齢者”として社会問題化。年金詐欺として大きなバッシングを浴びた。

 このバッシングは、数年後に盛り上がった生活保護バッシングにも通じるものだが、是枝監督はこの事件をきっかけに、“社会から排斥される存在”として年金と万引きで生計をたてている一家の物語を着想したようだ。前掲インタビューで、是枝監督は、『万引き家族』の主人公一家が現在の日本で決して特殊な存在でないと強調している。

  「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」

是枝監督が語った“家族の絆”ブームへの違和感、歴史修正主義への批判

 しかし、いまの日本社会ではこうした失敗者は存在しないものとして無視され、浅薄な“家族愛”ばかりがやたら喧伝されるようになった。是枝監督はこうした“家族礼賛”の空気に対しても違和感を表明している。

 「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている。特に、2011年大地震以降、このような家族の絆を大げさに強調する雰囲気について疑問を感じていた」(前出・中央日報)

 そういう意味では、『万引き家族』には、是枝監督がいま、日本社会にたいして感じている違和感、問題意識が凝縮されているとも言えるだろう。近年の新自由主義政策によってもたらされた格差の激化、共同体や家族の崩壊、機能しないセーフティネットによる貧困層の増大、疎外される貧困層や弱者、自己責任論による弱者バッシングの高まり……そういったものが、一人一人の人間に、家族になにをもたらしているのか。今回のカンヌ受賞作はその本質的な問いを私たちに突きつけるものだ。

 しかし残念なことに、メディアでは日本人によるカンヌ最高賞受賞という快挙を大々的に報じているが、こうした作品の背景にまで踏み込んだ報道はほとんど見られない。

  一方、日本人の世界的活躍にいつもはあれだけ「日本スゴイ」と大騒ぎするネトウヨたちは今回の『万引き家族』受賞に「こんな映画絶対に見ない」「万引きをテーマにするなんて世界に恥をさらす行為だ」などと、ディスりまくっている。

 両者は真逆のように見えて、根っこは同じだ。賞を獲ったというだけで「日本スゴイ」と賞賛、マイナス面を真正面から見据えるという行為については、無視するか、「恥さらし」「反日」と非難する。これは、現在の日本に蔓延る、偏狭な愛国主義や歴史修正主義にも通じるものだろう。

 実は是枝監督自身、先のインタビューでこうした日本に蔓延する国粋主義と歴史修正主義についても指摘している。

 「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」

安倍政権のテレビに対する圧力にNOを突きつけた是枝監督

 まさに正論と言うほかはないが、是枝監督のこのインタビューは前述した『万引き家族』同様、ネトウヨから激しい攻撃を受けている。

 しかし、是枝監督はこれからも、日本社会の本質に目を向ける姿勢を曲げることはないだろう。実際、是枝監督は、安倍政権の圧力に対して、はっきりとNOの姿勢を示してきた。

 たとえば、是枝監督はBPOの委員をつとめているが、安倍政権のテレビへの圧力とも完全と闘ってきた。たとえば、2015年、『クローズアップ現代』(NHK)のやらせ問題と『報道ステーション』(テレビ朝日)での元経産官僚・古賀茂明氏の安倍首相批判を問題視した自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の幹部を事情聴取、両局に高市早苗総務大臣が「厳重注意」した際、BPOが〈今回の事態は、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである〉と毅然とした意見書を出したが、この原動力になったのも、是枝監督だった。

 是枝監督はブログでも、〈安易な介入はむしろ公権力自身が放送法に違反していると考えられます〉〈BPOは政治家たちの駆け込み寺ではありません〉と批判。「週刊プレイボーイ」(集英社)2015年12月14日号での古賀茂明氏との対談でも「安倍政権は放送法4条だけを言い立てて、「公平にやれ」と、しきりにテレビ局を恫喝しますが、それって実は放送法を正しく理解していない証拠なんですよ」「公権力が4条の「公平」という部分だけを局所的に解釈して、介入を繰り返すというのであれば、それこそ放送法違反だといってもいい」と繰り返し強調していた。

安倍政権による映画の政治利用も危惧していた是枝監督

   また、安倍政権は明治期の国づくりなどを題材とした映画やテレビ番組の制作を支援する方針を打ち出しているが、こうした安倍政権の映画の政治利用の姿勢に対してもはっきりと異議を唱えてきた。

  「補助金もあるけれど、出してもらうと口も出すからね。映画のために何ができるか考える前に、映画が国に何をしてくれるのか、という発想なんだと思いますよ。それはむしろ映画文化を壊すことにしかならないんです。

 たとえば、東京オリンピック招致のキャッチコピーに『今この国にはオリンピックの力が必要だ』っていうのがありましたけど、私は五輪はスポーツの祭典の場であって、国威発揚の場ではないということがとても大切な価値観だと思っています。安倍首相は東京国際映画祭のオープニングでも挨拶したけれど、映画が日本のアピールのために利用されているようにも思える。なのでサポートして欲しい、ということも個人的には言いにくいわけです」(ウェブサイト「Forbes JAPAN」16年12月9日付)

 「たとえばですが「国威発揚の映画だったら助成する」というようなことにでもなったら、映画の多様性は一気に失われてしまう。国は、基本的には後方支援とサイドからのサポートで、内容にはタッチしないというのが美しいですよね。短絡的な国益重視にされないように国との距離を上手に取りながら、映画という世界全体をどのように豊かにしていくか、もっと考えていかなければいけないなと思います」(「日経トレンディネット」16年9月1日付)

 そう考えると、是枝監督がカンヌを受賞したことは閉塞する日本の言論状況のなかで「大きな希望」といえるかもしれない。「表現の自由の侵害」や「国家権力による芸術やスポーツの利用」にこうした危機感をきちんともっている映画作家が国際的な評価を得たことで、その作品やメッセージに耳を傾ける人はこれまで以上に多くの人に届く可能性があるからだ。

 あとは、メディアがどう伝えるか、だ。願わくば、この『万引き家族』について、たんに「日本人がカンヌを獲った」というだけでなく、また特殊な人たちを扱ったセンセーショナルな題材と扱うのでもなく、是枝監督がこの映画をつくった背景や問題意識が広く伝わってくれたらと願う。(編集部)


  薄暗くなるまで江部乙で仕事をしていました。新しい携帯が「万歩計」機能で「新たな記録を更新しました」と表示が出てきました。1万に500程足りない。でも家の中では持ち歩かないので、おそらく超えているだろう。

菜の花がきれいに咲きました。見頃です。

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映画「こどもしょくどう」

2018年04月14日 | 映画

ハフポストBLOG 2018年04月12日

 子ども食堂はなぜ広がったのか? 
背景を描く映画「こどもしょくどう」、「火垂るの墓」の日向寺太郎監督が製作

    1人でご飯を食べたりしている地域の子どもたちのために始まった取り組みが、なぜ今の日本でここまで広がったのか

   いまや全国で2200カ所を超える子ども食堂。家でおなかをすかせていたり、1人でご飯を食べたりしている地域の子どもたちのために始まった取り組みが、なぜ今の日本でここまで広がったのか――その背景を描く映画「こどもしょくどう」が2018年冬の公開に向けて、クラウドファンディングに取り組んでいる。「火垂るの墓」などの作品で知られ、本作の監督を務める日向寺太郎さん(52)に話を聞いた。

 映画「こどもしょくどう」は、ある子ども食堂ができるまでの物語だ。小学生のユウトは、食堂を営む両親、妹の4人で暮らしている。幼なじみのタカシは、親がほとんど家におらず、典型的なネグレクト(育児放棄)の家庭。ユウトの両親はそんなタカシのことを心配し、タカシを食堂に招き夕食を振舞っていた。ある日、ユウトとタカシは、河原で父親と車上生活をしている姉妹に出会う。数日後、姉妹の父親が2人を置いたまま失踪。住まいにしていた車も壊され、行き場を失ってしまう...。

 「実際の子ども食堂はすばらしいと思っています。だけど、劇映画としてはいい人ばかりだと人間の幅が狭くなってしまって、おもしろくない。ある種の教育映画的なものにはしたくなかったんですよね。結果、子ども食堂ができるまでを子どもたち目線で描く映画になりました。取り立てて悪人が出てくるわけではないんですけど、親に捨てられた姉妹が出てくる。その親にも事情はあるんだと思いますが、子どもや観客にとっては『なんて親だ』と思うんじゃないかと」

 プロデューサーから話を持ちかけられたのは2015年ごろ。既に子ども食堂がメディアに採り上げられ始めていた。日向寺さんたちは、子ども食堂の名付け親とされる人が始めた食堂にも足を運び、構想を練った。原作はなく、オリジナルの話だ。

  「提案を受けたとき、初めはドキュメンタリーの企画かと思いました。ドキュメンタリーだった場合、実際の子どもたちの内面に入るのは難しいというか、不可能かもしれない。でも、劇映画だと言われて、『これは面白くできるなあ』と思いました。劇映画となると、発想を自由にして子ども食堂を描ける。もともと子ども食堂のシステムはバラバラです。週1回のところがあれば、隔週のところもある。料金も300円だったり、無料だったり、やっている場所もお店だったり、教会だったりする。でも新しいところを作るとき、みんな子ども食堂という名前をつけている。これが別の名前だったら、やっていることは同じでも広がりは全然違ったと思いますね」

   「今の社会は血縁、地縁といったいろんな共同体が崩れ、関係性が薄れていっている。そういう中で子ども食堂がやろうとしていることは血縁じゃないですよね。地縁ではあるかもしれないけれど、それだけではない新たな関係を作っている。そのきっかけ、萌芽みたいなものをこの映画では描きたい。他人の子どもを育てる、共同保育ができるというのは、人間を人間たらしめている大事な要素の一つだと思うんです。人が人と出会うこと、人が人を思うことによって、人は変わりうるということを一番描きたいと考えました」

   2017年秋に撮影を終え、現在はクラウドファンディングで映画につける音楽を作るための費用を募っている。制作を依頼する「Castle In The Air」は、日向寺さんが監督をした「火垂るの墓」で映画音楽を手掛けた音楽ユニットだ。

「なぜか私は子どもの映画のときにギターがイメージされるんですよ。ピアノも楽器としては好きなんですが、今回の場合はピアノの音じゃ強いなあと思ったんです。映画から音楽を思い浮かべたり、音楽から映画を思い浮かべたりすることがあるでしょう? 例えば、『禁じられた遊び』『ゴッドファーザー』『戦場のメリークリスマス』...今回の映画も、そういう音楽がほしいなあと思っているんです」

   「子ども食堂を一過性のブームで終わらせることなく、子ども食堂が広がっている根本的な問題を考え続けてもらいたいという思いを込めて、この映画の企画を始めました。子どもたちには、今の社会に責任はない。その社会で子どもが追い詰められている。それを作ったのは大人ですから、次世代にどういう社会を残せるか、大人が考えなくちゃいけないことだと思う。今回のクラウドファンディングも含め、いろんな形で、この映画のことを知ってほしい。映画に参加していただいて、よりこの作品に興味を持ってもらいたい。子ども食堂という名前であちこちに広がっていったように、クラウドファンディングに参加した方が、それぞれの思いでこの作品を広げてくださればいいなあと思います」

 映画は2018年冬の公開を目指している。出演は藤本哉汰、鈴木梨央、吉岡秀隆、常盤貴子ら。

 


   雪解けが進まない。昨夜から今朝にかけても氷点下。週間天気予報を見ると最低気温が氷点下以下になる日はなくなった。⛄マークも明日☂マークと並んで出ているが、それ以降は今のところなくなった。融雪が進むのは15℃以上が必要だ。

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ドキュメンタリー映画『いのちのはじまり:子育てが未来をつくる』

2017年06月24日 | 映画

子どもへの投資利益はアメリカ株式市場より高い!
親の貧困問題の現実「いのちのはじまり」

     ウーマンエキサイト - 2017年6月24日

   いま子育て奮闘中の現役父母の現場の声と、乳幼児教育に関する専門家のアドバイスなどが収められているドキュメンタリー映画『いのちのはじまり:子育てが未来をつくる』。

   育児のヒントをくれるテキストとしての役割を持つとともに、重大な未来への提言も行われています。それはこれからの社会の根本に関わること。よりよい平和な社会を築こうと思ったら、きちんと子どもたちの権利を守る社会を作らないといけないということです。

■「将来の夢がない」と答える世界の子どもたちの現実

   映画の後半で、切実に訴えるのは貧困が子どもに及ぼす影響。たとえば、ひとりで幼い妹弟のめんどうをみる小学生の少女に、「“将来の夢”は?」と聞く場面があります。少女の答えはひとこと「夢はない」。

   それを受け、作品はこう続けます。「危険な環境や厳しい状況で生きる子どもたちは、たまに悪い日があるのではなく、年中それが続くと思う。そのような状況下ではポジティブな対話は成立せず、大きなストレスがかかる」と。さらにこうした状況下では、「うつ病や薬物乱用、深刻な精神疾患などになるリスクが高まる」と警鐘を鳴らします。

   こうした調査結果を踏まえた上で、作品が示すメッセージは「これからの未来を築くであろう子どもたちの未来を守ることが、最終的に豊かな社会を築く礎になること」。

   ある人はインタビューで訴えます。「育児をするのは政府でも施設でもない、人間が子どもを育てるのです。大事なのは大人が子どもに必要なものを与えてあげること。ただ、いまの社会は、それを訳あってできない親を処罰することはあっても、助けようとしない」。

さらにこう続けられます。「子どもを助けるには、まず親を助けなくてはならない。育児に仕事に頑張っている人は不平等に思うかもしれない。“それができない人の責任まで負えない”と。ただ、長い目でみたとき、自分の子どもが将来良い人生を送るには、社会に尽くす人間が同世代にどれだけいるかが重要なんです」と。こういわれると思わずだれもが納得するのではないでしょうか。

■子どもへの投資は、アメリカの株式市場よりも高い

   子どもの未来を守ることについて、ユニークな研究報告も。いかにもアメリカらしい研究なのですが、乳幼児に1ドル投資した場合の利益を調べたそう。

すると結果は、1ドル投資すると生涯7ドルが戻る計算になったとのこと。これはアメリカの株式市場よりもずっと高いリターン率だそうです。くわえて、犯罪は減り、社会の不平等も軽減するとの結果も出ているということから、乳幼児の投資はいいことずくめ! 作品では、「子どもへの支援は、よりよい社会への投資」と訴えます。

   こうしたリポートを耳にすると、私たちを取り巻く子どもたちの環境を当てはめて考えずにはいられません。とくに、子育て世代にとっては無視できないのではないでしょうか?

   ひとりの子を持つ親として自分もこれまでの経験を振り返ると、「保育園に入れる」ただこれだけで、どれだけの労力を必要としたことか…。待機児童問題は、相当以前からあるはずなのに、いっこうに解消されていない。最近のニュースを見ても、子どもをめぐる状況はいい方向へ向かっているとはいいがたいのではないだろうか

   日本では、毎日の食べ物がない、戦争により生死があぶない。こういったことはないかもしれません。それでも、所得格差による教育格差問題は、社会問題となっています。

   選挙で子育て支援や教育の充実はよく公約にあがる。でも、本当に実行されているかといったら、正直かなり疑問が残るのが現実ではないでしょうか。

   保育園の増設を訴えて、実際に保育園の開設が予定されても、周辺住民の反対運動が巻き起こって白紙に戻ってしまう。公園で子どもがちょっと大きな声を出しただけで、区役所に苦情が寄せられる。身の危険や周囲の反感を恐れてマタニティマークをつけない妊婦が増えている現状など、日本のあちらこちらで子どもをめぐる“現在”が次々と浮かびあがります。

   もう少しだけ「子どもに理解を示す寛容な社会に日本はなれないのか?」と、考えずにはいられないのは自分だけではないはずです。この作品が子どもの未来について考えるきっかけになってくれることを切に願います。

 『いのちのはじまり:子育てが未来をつくる』

2017年6月24日(土)アップリンク渋谷、ユジク阿佐ヶ谷、7月1日(土)よりCINEMA Chupki TABATA、横浜シネマリン他にて全国順次公開

公開記念トークショー(6月24日~7月1日)開催

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/hajimari/(http://www.uplink.co.jp/hajimari/)


 

 人間は一人一人異なった個性を持っています。能力もまたさまざまです。こうした人間の不平等を「平等」と認識できるためには何が必要でしょう?格差のない社会で、競争より共同が基本となるような経済的に充足されていること。でしょうか!

 

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原節子さん死去:「…騒がないでと」

2015年11月26日 | 映画

   ご冥福をお祈りいたします

「わが青春に悔いなし」より。YouTubeなどでまだ多くの作品を見ることができます。

毎日新聞 2015年11月26日 00時49分(最終更新 11月26日 01時18分)

 小津安二郎監督の「麦秋」「東京物語」、成瀬巳喜男監督の「めし」など名作映画に数多く出演し、神秘的な美しさと気高さで日本を代表する女優として活躍した原節子(はら・せつこ、本名・会田昌江=あいだ・まさえ)さんが、9月5日肺炎のため死去していたことが25日分かった。95歳。

 神奈川県鎌倉市の原さんの自宅には多くの報道陣が詰めかけた。インターホンを通して取材に応じたおいの熊谷久昭さん(75)は、心境を問われると「95歳ですからね……。でも亡くなる前日まで意識ははっきりしていました」と名残惜しそうに語った。8月中旬まで熊谷さん方の敷地内にある別宅に住んでいたが、容体が急変して横浜市内の病院に入院し、9月5日に亡くなったという。また、3カ月間公表しなかったことについて、熊谷さんは「『騒がないようにしてくれ』と本人に頼まれていた」と説明した。葬儀は済ませ、東京都内に埋葬したという。【因幡健悦】

 ◇映画監督の山田洋次さんの話

 原節子さんが亡くなったなどという知らせを聞きたくありません。原節子さんは美しいままに永遠に生きている人です。半分は神様と思って手を合わせます。


 

 その美しさから映画ファンに鮮明な記憶を刻んだ原節子さんが亡くなった。42歳で映画界から引退した後はマスコミを一切シャットアウト、一市井人として過ごした後半生だった。 

 原さんの女優としての魅力を最大限に引き出したのが、小津安二郎監督(1903〜63年)だった。出演した小津映画は6本。いずれも数々の映画賞に輝いた作品だが、原さんはその中で「もう一人の女性」を鮮やかに生きてみせた。

 小津監督が原さんを初めて起用したのは「晩春」(49年)。「原さんを見たとたん、ボーッと小津さんの頬が赤く染まった。『節ちゃんて美人だなア』。小津さんはあとでそういった」(「小津安二郎−−人と仕事」より製作の山本武さんの証言)。原さんは当時29歳。美しさの絶頂期だった。小津監督は「彼女のように理解が深くてうまい演技をする女優は珍しい」と演技力も高く評価した。

 「晩春」から「麦秋」(51年)へと、原さんは「紀子」という役名で、嫁いでいく女性を演じた。彼女の結婚話を巡って、家族の亀裂が徐々に明らかになっていく筋立てだった。「麦秋」で映画賞を総なめした51年11月、小津監督は日記に次のように記した。「このところ原節子との結婚の噂(うわさ)しきりなり」。しかし、うわさだけ。2人とも最後まで独身を貫いた。

 小津映画の3本目が、最高傑作の定評がある「東京物語」(53年)だ。原さんは、同じ「紀子」ながら、戦争で夫を亡くした若い女性にふんした。亡き夫の父周吉の役が、笠智衆さん(93年死去)。上京してきた周吉夫婦が、実の子供たちに冷たくされる中で、血のつながりのない紀子だけが温かく義父母に接する。原さんは輝くような美しさだった。

 「紀子」時代は3本で終わり、「東京暮色」(57年)を経て、「秋日和」(60年)と「小早川家の秋」(61年)では、「秋子」に役名が変わった。両作品とも、秋子は随分前に夫を失い、再婚話が持ち上がるけれど、最後に1人で暮らすことを選んでいる。

 東宝専属の原さんを松竹映画に起用するのは、5社協定のある当時は大変だったが、小津監督はそれを実現させた。映画の中で原さんに1人で生きることを選ばせたのは、監督の思いからだったのかもしれない。

 原さんは引退後、鎌倉の自宅に引きこもったが、小津監督の墓参は続けた。写真週刊誌やテレビのワイドショーで隠し撮りされてから、ますます人目を避けるようになり、庭にも出なくなった。しかし、「永遠のマドンナ」を懐かしむ映画ファンは多く、86年には引退後24年ぶりに写真集が発行され、好評だった。

 ともあれ、原さんの優れた個性と魅力は、これからも小津フィルムなどの中で生き続ける。(客員編集委員・高橋豊)

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こちらもご覧ください。

2013年11月21日 | 映画

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 もしも、受付で何か聞かれましたら温泉にあったチラシを見て来たといってください。

この街でも・・・・・・・・・
JAがねぇ・・・・・・・・・・・・・・

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映画「ひまわり」を観た。

2013年05月01日 | 映画

 長塚京三の渾身の演技が光ってた。さすが名優である。能年玲奈さんの

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熱演も良かった。沖縄言葉から東北訛りへと大変であったろう。彼

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氏役の須賀健太、ようやく思い出した。「ALWAYS三丁目の夕

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日」で茶川さんの「養子」役の子どもだった。もうこんな大きくな

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ったのかとびっくり。いい映画でした。全編に流れる

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音楽も素晴らしかった。沖縄民謡からロックまでもっと聴いていた

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いと思った。エンディング曲はロック調で足がリズムをとってい

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た。若者が「ひまわり」のバトンを受け継いだ。

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映画「ひまわり」上映会のお知らせ。

2013年04月19日 | 映画

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 NHK朝ドラに主演出演している能年玲奈さんも出演しています。企画・製作は「アンダンテ~稲の旋律~」の桂壮三郎さん。

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映画『ワーカーズ』

2013年02月04日 | 映画

映画紹介

みんなで働くみんなで生きる
~あたらしい 働
き方 のはなし~
  「小さな共生社会」をつくる新しい働き方
              スカイツリーの下で繰り広げられる 
               まちの人々とワーカーズコープの物語
成果主義・効率優先・格差・貧困が
すすむなか、働くことに生きがいを
持てない時代。
 それでも国は経済成長を最優先
課題として拡大再生産を繰り返し
、グローバル化に突き進んでいき
ます。 働く場を求めても他人と比べられ、選別され、未来への希
望が見出せなくなっている若者たち。いつどうなるかもわからない
非正規雇用の蔓延。
そして居場所さえ失う人たちと、
大きな不安が私たちを覆って
います。
 このような時代、私たちは何
を求め、未来をみつめていく
のでしょう。
世の中のめまぐるしい変化の中で、あらためて人と人、地域、
社会との結びつきを再生することが求められています。
自分たちの明日を自分た
ちで耕しはじめている人々
がいます。
ワーカーズコープ=労働者、
使用者という区別はなく、経
営方針から具体的な仕事ま
で、一つ一つをみんなで決めていく…ちょっと面倒臭い、けど、
てんてこ舞いしながら話し合いを繰り返すなかで、「イキガイ」
や「キズナ」が育まれます。
 どこかにある桃源郷ではなく、
いまいるところで、地域の人と
支え、支えられ、未来を耕し、
培うもの…地域の中に溶け
込んで、こころを合わせ、力
を合わせ、助け合って働いて
いく。そこには新しい時代にむけてのかすかな光への芽生
えがありました。
【ワーカーズコープとは…?】
一人一人が出資し、平等な立場
で事業、経営に参加できる働く
者の協同組合。つまり各々が
経営者であり労働者。地域に
必要とされている仕事を協同の
力でおこし、必要な資金も自らで集め、事業計画、報酬等全て
を合議制で決め、全員が経営にも責任を持つ。協同組合の理
念・原則のもとで社会連帯を求める「協同労働の協同組合」で
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かすかな光へ

2012年03月08日 | 映画

 教育研究者 大田堯(おおた・たかし)氏(東京大学名誉教授・日本子どもを守る会会長・日本教育学会会長など歴任。93歳)の映画『かすかな光へ』の上映会と、お話を聞ける機会が今日ですが、ありますのでご案内いたします。

 新日本婦人の会滝川支部主催の今年の国際女性デーの取り組みとして開催されます。

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     内発的な遊び。よろこびによる遊び。これには自然が必要。人間が生るための、大きな役割を、自然が果たす。

 自らの力で変わっていく。これが生きものの力。生きものはみな変化する。

自然ほど優れた教師はいない。 
自然がなくなり&テレビや映像、標本、絵本などで情報が頭に入っているため、人は「驚き心(センスオブワンダー)=探求欲、感じたがる、知りたがる」が育ちにくくなった。

 「いちりん」の会員には是非参加していただきたい企画です。

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わが青春に悔いなし

2012年01月06日 | 映画

 「目のさめるような若葉の京都吉田山野毛、糸川達大学生七人組とその師八木原教授とその奥さん、そして一人娘の幸枝などにとって今日は楽しいピクニックであったのだが、折からの陸軍演習の機銃音にその自由の夢も奪い去られた。時、昭和八年、満州事変を契機に軍閥の帝國主義的侵略の野望強行のため、この自由学園京都帝国大学も、ファッショの強圧に敗れなければならなかった。八木原教授は象牙の塔を追放され、常識家の糸川は残留、野毛は大学を去って左翼運動へいつしか踏み込んでいた。幸枝は、秀才型で社交家の糸川より、熱烈な行動派の野毛に対して何かギラギラ眼の眩むような生活があるような気がしていたのであったが、刑を終えて出獄した野毛の転向ぶりには落胆せざるを得ない彼女だった。昭和十六年、学園を追われた八木原は今では民間無料法律事務所を開設していた。幸枝は東京に自活の道を求めて上京したが、計らずも今は検事となった糸川に逢い、野毛の出京していることを知らされた。野毛は中国研究に名を借りて反戦運動に没頭していた。自己の信念に悔いなしと改めて野毛に面会した幸枝はお互いに信じ合う仲となり楽しかるべき同棲も束の間、野毛は国際スパイの汚名のもと検挙された。幸枝も毒いちごと称する特高警察のあらゆる屈辱に堪え愛人野毛のために戦った。ある日、上京した八木原は野毛のために弁護人に立つことを請願したが野毛事件の担任検事糸川の口より野毛の獄死したことをもたらされ愕然とする。野毛は未決にあるうちスパイの汚名のもとに病死したのだ。この嘆きを包みかくして幸枝は良人亡きあと田舎で百姓をしている野毛の両親の下に走った。そこで目撃したものは何か?「スパイの家」と村民の罵倒と、迫害のなかに蹶つ気力もなく呻吟している野毛両親一家であった。それでも彼女は戦った。雨の日も大風の日も老母と共に野良に出て馴れぬ鍬を握った。が、無法な村の人は彼女等が折角植え終わった苗をむしり撤いた。それでも彼女は全身を只一つ野毛に対する誠のため打ち続けた。そして彼女は野毛の墓参りに尋ねに来た糸川を追い返す強さの女となっていた。そして、自由甦る日、昭和二十年の終戦となった。八木原教授は京大拍手のうちに、再び自由の学園に復帰した。この喜びに京都へ帰って来た幸枝は、父に、母に理解を求め地に足のついた野毛の農村へ未来を求めて再び去って行く。思い出の吉田山を通り過ぎた。野毛の真価も一般に認められて来た。現在、幸枝は数々の思い出を顧みつ我が青春に悔いなしと叫びたい気持ちでいつまでも思い出の吉田山に佇んでいた。」

  皆さんはご覧になったことありますか?黒澤明監督、原節子主演の昔の映画です。私はこの原節子さんに魅了されました。すごい女優さんだと思いました。額に汗して鍬を振る。その汗を泥だらけの手でぬぐうシーンがアップされます。圧巻です。とても美しいのです。今年もまたレンタルしてきました。


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映画「アンダンテ~稲の旋律~」上映会を終えて。

2011年10月28日 | 映画

 皆さんありがとうございました。3回の上映でしたが、2回目3回目は定員数を超える盛況振りでした。定時制の高校生も見てくれました。羽幌、札幌からも来て下さいました。当事者青年も母親と来てくれました。本当にありがとうございました。
 私は試写会に次ぐ2回目の鑑賞でした。1回目には感じなかったものがこみ上げてきました。上映会に取り組んでよかったと思います。スタッフの皆さんごくろうさまでした。
 券を買ってくれたのに見にこれなかった人がたくさんいます。残念です。
 映画の感想など是非書き込みしてください。よろしくお願いします。

主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=4B6_roiJxtc

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