里の家ファーム

すべて無農薬・無化学肥料、不耕起栽培の甘いミニトマトがメインです。完熟したミニトマトから作る無添加ジュースは逸品です。

「新潮45」を休刊に・・・

2018年09月26日 | 本と雑誌

「新潮45」休刊声明の嘘! 杉田水脈擁護、LGBT差別は「編集部」でなく「取締役」がGOを出していた

リテラ2018.09.26.

 

   昨日夕方、新潮社が「新潮45」を休刊にすると発表した。これはもちろん、同誌10月号に掲載された、右派論客らによる杉田水脈衆院議員擁護特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」をめぐって下された決定だ。周知のように、この特集のなかで、安倍首相のブレーンである自称文芸評論家・小川榮太郎が、「LGBTを認めるなら、痴漢の触る権利も保障せよ」というとんでもない差別的文章を掲載し、これについて、各方面から厳しい批判が寄せられていた。

 

 それは、同社と縁の深い作家や書店も例外ではなかった。『俺俺』など何作も同社から出版し新潮新人賞の選考委員を務めたこともある星野智幸は〈社員や書き手や読者が恥ずかしい、関わりたくない、と思わせるような差別の宣伝媒体を、会社として野放しにするべきではない〉と指摘し、「新潮」に掲載された「日蝕」で芥川賞を受賞し、多数の著書を同社から出している平野啓一郎も〈どうしてあんな低劣な差別に荷担するのか〉と批判。そのほかにも複数の作家や翻訳家らから「新潮社の仕事はしない」という表明が相次ぐ事態となっており、同社の書籍の取り扱いを拒否する書店も出ていた。

 そんななか、21日に佐藤隆信社長が声明文を出し、昨日とうとう休刊発表となったわけだ。しかし、これは、新潮社がグロテスクな差別を掲載した自社の責任に向き合った結果ではない。

 実際、新潮社がLGBT差別についてまったく反省していなかったことは、これまでの動きを見れば明らかだ。今回、新潮社は「新潮45」休刊の発表に際して、こんな談話を発表している。

 〈ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについてお詫び致します。

  会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。〉

 

 また、昨日夜の新潮社の広報担当役員の会見でも、該当号が役員らに配布されたのは発売当日朝だったと説明した。

 ようするに、編集部のずさんな体制、不備が招いたものだとすべての責任を編集部に押し付けたわけだが、実際はそうではない。10月号の杉田水脈擁護特集は、編集部レベルの判断でなく、担当取締役がお墨付きを与え、原稿もチェックしていたのだ。新潮社社員がこう証言する。

 「実は、『新潮45』の若杉良作編集長は、もともとオカルト雑誌『ムー』の編集者で、右派思想の持ち主でもなんでもない。押しが強いわけでもなく、上の命令に従順に従うタイプ。最近のネトウヨ路線も、売れ行き不振の挽回策として、担当取締役の酒井逸史氏から命じられていた感じだった。酒井取締役は元『週刊新潮』の編集長でイケイケタイプですからね。10月号の擁護特集も酒井取締役が事前にGOを出している。会社は役員が読んだのは発売当日になってからという意味のことを言っていたが、そんなわけがない。少なくとも酒井取締役は事前にゲラも読んでいると思いますよ。それどころか、『ここで反論すれば売れる』と企画そのものを焚きつけた可能性もある」

  取締役の関与を証言しているのは、この社員だけではない。昨日の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)でも、「新潮社の現役社員」の話として、「編集長、編集部のトップよりもさらに上の担当役員レベルのGOサインがあった」という情報を紹介していた。

   いずれにしても、10月号のグロテスクな差別記事は、「編集部の不備」でもなんでもなく、取締役レベルで決定した確信犯的企画だったということらしい。

新潮社の社長声明はたんに「作家への対応」にすぎなかった

 しかも、「新潮45」10月号が発売され、批判が高まった直後も、上層部はまだ強硬姿勢を崩していなかった。たとえば、新潮社のSNS公式カウントのひとつ「新潮社出版部文芸」が、「新潮45」や新潮社を批判するツイートを次々とリツイートしたことが話題になったが、実は新潮社上層部は当初、これを削除させようとしていた。

  先日、AbemaTV『AbemaPrime』の取材に匿名で応じた新潮社の編集者がこう証言していた。

「朝いちばんに役員が編集部に来て『ツイートをやめさせろ』と言ったのですが、誰がツイートしているのかわからないので、できなかった」

 新潮社は「新潮社出版部文芸」のツイートについて、〈各部署、社員の個人の意見表明に関して言論統制のようなことは従来より一切行っておりません〉などと表明していたが、真っ赤な嘘だったというわけだ。

 では、強硬姿勢を示していた新潮社上層部がなぜ一転して、社長の声明発表、さらには「新潮45」の休刊という対応をとったのか。別の新潮社社員が語る。

 「新潮社の社長が声明を出したのも、休刊の決断をしたのも、作家の執筆拒否の動きが広がるのを恐れたため。それが一番の理由です」

 たしかに、弱者には強く出る新潮社だが、売れっ子作家にはとことん弱い。たとえば、有名なのが、百田尚樹の『カエルの楽園』をめぐるトラブルだ。同社から出版された『カエルの楽園』は、中韓に対するヘイトを織り交ぜながら憲法9条を腐した“寓話”作品だが、百田氏は明らかに村上春樹氏をモデルにしたキャラクターを登場させ揶揄している。ところが、その村上氏のキャラについて、新潮社が百田氏に「(村上氏だとばれないよう)名前を変えてくれ」と求めてきたのである(過去記事参照https://lite-ra.com/2016/05/post-2259.html)。つまり、新潮社は、作中の中韓のヘイト表現はスルーする一方、村上春樹という看板作家を刺激することだけを問題視していたというわけだ。

 今回の対応もこうした同社の体質の延長線上に出てきたものだ。前述した19日の『AbemaPrime』でも「多くの作家がコメントしているので、上の人たちは作家対応をどうするか協議しているようだ」という新潮社社員の証言があったが、騒動直後から作家対策に奔走。社長の声明は『とくダネ!』(フジテレビ)や『5時に夢中!』(MXテレビ)などにも出演している同社の名物編集者・中瀬ゆかり氏らが主導するかたちで、まさに作家対策として行われたのだという。

「最近、中瀬さんは文芸担当取締役に昇進したんですが、社長に『このままだと作家に逃げられてしまう』と声明を出すことを進言したらしい。実際、21日の社長声明については文芸編集者にのみ事前に通達されました。完全に作家対策だったんですよ」(前出・新潮社社員)

 もっとも、これは逆効果になった。なにしろ、その声明というのが〈常識を逸脱した偏見や認識不足に満ちた表現〉があったとしながら、誰に対する、どのような問題があったと考えているのかは一切示さず、謝罪もなし。その上、〈今後とも、差別的な表現には十分に配慮する〉などと、いま現在も差別的表現に配慮しているかのように言い張るという、ひどいシロモノだったからだ。

すべてが「ショーバイ」でしかなかったことを露呈した「新潮45」の騒動

 いずれにしても、佐藤社長が中途半端な声明を出したことで、さらに批判は拡大。それで、今度は一気に休刊という事態に発展していった。

 「休刊については、佐藤社長のツルの一声だったらしい。『新潮45』は部数低迷でいつ休刊になってもおかしくなかった。印刷部数で約1万6千部、実売は1万部を切っていた。おそらく年間数億円の赤字を出していたはずです。そんなところにこの問題が起きて、そのせいで、作家からの批判が殺到した。このままだと、もっと大きな動きになるかもしれない。だったら、いい機会だからすぐに休刊にしてしまおう、ということになったんでしょう」(前出・新潮社社員)

 そう考えると、今回の新潮社の対応は最初から最後まで、「ただのショーバイ」でしかなかったということだろう。雑誌を売るために、安易にネトウヨ、ヘイト路線に飛びついてLGBT差別の扇情的な記事を載せ、それに対して抗議が広がり、作家から執筆拒否をちらつかされたとたん、慌てて雑誌を休刊にしてしまう。「新潮45」の休刊決定をめぐっては、「言論の自由を奪う結果になった」という声が出ているが、そもそも、新潮社の側に「言論」という意識などあったのか。新潮社OBもこうため息をつく。

新潮社は昔から『週刊新潮』などで、差別的、人権を侵害する問題記事を連発していましたが、それでもメディアとしての最低限の矜持があった。でも、いまは、たんにショーバイでやってるだけ。だから、やっていいことと悪いことの区別がつかないし、抗議を受けると、すぐに万歳してしまう。醜悪としか言いようがない」

 実際、新潮社は大きな抗議運動に広がり、作家が声を上げたLGBT差別については対応したが、一方で、中韓や在日、社会的弱者を攻撃するヘイト本や雑誌記事はいまも出版し続けている。

 しかし、これは他の出版社も同様だ。中小出版社だけではなく、小学館や文藝春秋などもヘイト本やヘイト記事を多数出しているし、講談社も、ケント・ギルバートによる中韓ヘイトに満ちた『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』を出版。ベストセラーになったことで、社員を表彰までしている。

 そして、これらの出版社の動機はすべて「ショーバイ」でしかない。出版不況で本が売れないなどという理由で、安易に売れ筋のヘイト本に群がり、その結果、差別や排外主義を蔓延させているのだ。

 

「新潮45」の問題をきっかけに、こうした出版社の姿勢そのものが見直されるべきではないのか。

 

(編集部)

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新潮45:杉田氏擁護特集で社長コメント「常識逸脱した」

2018年09月21日 | 本と雑誌

  毎日新聞 2018/09/21 17:32

   杉田水脈衆院議員の性的少数者への差別的な論文を掲載し、最新号で擁護する特集を組んだ月刊誌「新潮45」について、発行元の新潮社は21日、佐藤隆信社長名で「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」「今後とも差別的な表現には十分配慮する所存です」などとしたコメントを発表した。全文は以下の通り。

 弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました。

 しかし、今回の「新潮45」の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」のある部分に関しては、それらを鑑みても、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。

佐藤隆信社長名で出された「新潮45」の特別企画に関する新潮社のコメント © 毎日新聞 佐藤隆信社長名で出された「新潮45」の特別企画に関する新潮社のコメント

 差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマです。文芸出版社である新潮社122年の歴史はそれらとともに育まれてきたといっても過言ではありません。

 弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です。

 株式会社 新潮社

 代表取締役社長 佐藤隆信

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新潮社の本、書棚から撤去する書店も。「新潮45」の寄稿に怒りの声

 

「あまりに酷い言葉の暴力」「怒りを感じた」

ハフポスト 安藤健二  2018年09月21日

「新潮45」10月号が掲載したLGBT批判の特集記事の内容に反発して、出版元の新潮社の本を書棚から撤去する書店も現れた。

この特集記事には、文芸評論家・小川榮太郎氏は「LGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ」などと書いたことに関して、LGBT当事者らから反発する声が挙がっていた。

なぜ新潮社の本を書棚から撤去したのか。書店の主張を調べた。

■「あまりに酷い言葉の暴力が展開されている」(本屋プラグ)

和歌山市の書店「本屋プラグ」は9月19日、雑誌を含む、新潮社の新刊本の一切の販売を停止。書棚に並んでいる本も全て撤去することを公式サイトで明かした。約20坪の敷地に新刊と古本が混在している小規模な書店だという。

運営スタッフ2人の連名で以下のように訴えている。

『新潮45』において、「LGBTはふざけた概念」として性的マイノリティの方々への侮辱的で、あまりに酷い言葉の暴力が展開されていることは、とうてい看過できません。強い憤りと抗議の声をあげるための決定です。

 

■「怒りを感じた」(東京都文京区の書店)

東京都文京区にある書店。約6坪の敷地に新刊と古本が混在しているが、公式Twitterで19日に「新潮社の新刊については当面仕入れを見合わせる事にしました」と投稿した。

店主の男性は21日、ハフポスト日本版の取材に対して「新潮45の内容を知って、怒りを感じた。今は新潮社の本を置きたくない」と話した。新刊本の棚から、新潮社の本を撤去したという。

 

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“こどもの本”総選挙

2018年05月07日 | 本と雑誌

「ざんねんないきもの事典」好き こどもの本総選挙トップ

  東京新聞 2018年5月6日

   いま子どもたちが一番好きな本は? 全国の小学生の投票による「小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙」の結果発表会が五日、東京都内で開かれ、昨年ベストセラーとなった児童書「ざんねんないきもの事典」(高橋書店)が一位に輝いた。全都道府県の小学生約十三万人が投票したという。

 子どもたちに本を身近に感じてもらおうと、出版社のポプラ社(東京都)が企画。昨年十一月~今年二月、小学校や書店を通じ「一番好きな本」への投票を呼び掛け、計約十二万八千人が参加した。

 動物の進化をユーモラスに紹介した「ざんねんないきもの事典」は、四位に入った続編と合わせ、累計発行部数は約百八十三万部に達している。

 監修した動物学者の今泉忠明さんは「残念な面があっても何とかやっている生き物がいることに、共感が集まったのでは」と語った。

 発表会では、投票した子どもの代表が、トップ10に入った作品の著者らに賞状を授与。ヨシタケシンスケさんの絵本「りゆうがあります」を選んだ神奈川県の小学三年、西城風花さんは「『自分もそうだ』と思うことが、たくさん書いてある。絵が面白い」と話した。

 発表会に参加した芥川賞作家でお笑いタレントの又吉直樹さんは「総選挙をきっかけに、自分が選んだ作品以外の本も読んでみようと思ってほしい」と呼び掛けた。


 GW明け、良い天気に恵まれ、江部乙の桜も満開となった。写真を数枚撮ったところで画面が真っ暗になってうんともすんとも動かない。てなわけで、満開の桜のお披露目は無し。しばらくは写真無しです。
 それにしても寒い。最高気温が12℃だそうで、しばらくこんな寒い日が続きそうです。

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漫画版「君たちはどう生きるか」

2017年11月16日 | 本と雑誌

漫画版「君たちはどう生きるか」大ヒット ハウツー本じゃ足りない

      毎日新聞2017年11月10日

 

 

書店でも目を引く表紙

 1937年に出版されてから「自分の人生の一冊」にしている人が、実は多いのかもしれない。吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」。80年たった今夏、初めて漫画版が出版されると、あっという間に部数を伸ばした。なぜ再び、多くの人の心をつかんだのだろうか。【田村彰子】

 

漠然とした不安、80年前も今も

 大きな瞳の少年が学生服を着て、視線を真っすぐに向けている。「君たち--」の漫画版の表紙。書店ではビジネス関連本などと並んで平積みされ、ひときわ目立つ。マガジンハウスが8月24日に発売して以降、53万部の大ヒットとなっている。同社が同時発売した単行本(新装版)も部数を14万部に伸ばした。最新のオリコンの週間ランキングでは、漫画版が本の総合部門でトップに立つ。

 「ここまで売れるとは正直思いませんでした。読者からは『今の時代にも色あせない作品だ』などの反響が寄せられています」。そう話すのはマガジンハウスの執行役員で、企画・編集を担当した鉄尾周一さん(58)だ。

 3~4年後に完成するとみられる宮崎駿監督の新作長編アニメの題名もずばり「君たちはどう生きるか」。映画は、この本の影響を受けた主人公の物語になると言われている。

 

漫画のワンシーン

 原作者の吉野(1899~1981年)は児童文学者で岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長として知られる。一体、どんな物語なのだろうか。

 「君たち--」は、世界中が戦争一色に染まっていく中、作家の山本有三が「次世代の少年少女のために」と編んだ「日本少国民文庫」(全16巻)の最終巻に収められた。出版された年は日中戦争に突入した時期と重なる。ドイツではヒトラーが、イタリアではムソリーニが政権を取り、ファシズムの嵐が吹き荒れた。

 こんな時代を背景に、15歳の主人公の少年は、旧制中学に通っている。父を亡くし、母と2人暮らしだ。

 近くに住む叔父が、ちょくちょく家に来ては相談に乗ってくれる。叔父はこの少年を「コペル君」と呼ぶ。地動説を唱えたコペルニクスにちなんだあだ名だ。学校を舞台に貧困やいじめ、暴力なども描かれ、本当の勇気とは何か、人間とはどういう存在かを問う。

 コペル君ら下級生をいじめる上級生の姿を、侵略の道を歩む当時の日本と重ねて読む人も多いかもしれない。実際、この本は、軍国主義に抵抗する目を養ってほしいとの目的で書かれたと解説されることもある。吉野は戦後、岩波文庫版などにこう間接的に記している。

 <当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され(中略)山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、一九三五年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたい、と思い立たれました>

 

漫画のワンシーン

 戦前から一貫して反戦・平和主義者だった吉野。児童書の形を取ったこの本は、検閲をくぐり抜けて出版された。戦後は文庫本となって読み継がれ、国語の教科書にも採用された。

 80年の時を超えて、漫画化された名著はどう読まれているのか。小学校の頃にこの本を読んだ脳科学者、茂木健一郎さんはこうみる。

 「刊行当時は戦争に向かい、日本がこれからどうなっていくのか不安を抱える時期だったから、今と重なるところがある。北朝鮮との緊張が高まり、中国の台頭で世界の中の日本の立ち位置も変化している。AI(人工知能)が発達し、生き方や働き方も変わっていくかもしれない。先を見通せない時代だから根本に立ち返り、どう生きるか確かめたいという気持ちが、社会に強くあるのではないか」

 漫画版が出版された当初、これほどヒットするとは思わなかったという。「すぐに役立つ本」「競争社会で成功する方法」などノウハウ的なアプローチの本がもてはやされる昨今、そうした世界とは、無縁な内容だからだ。「グローバル化が進む現代では、功利主義的な身の処し方が正解とされている。でも、実際はそれではどうしても対処できないことが起こることを私たちも肌でわかっている。脳科学者として、若者の相談に乗っているが、みんな漠然とした不安や悩みを抱えている。そういう時代こそ、生きる指針が必要。お手軽な処方箋の本だけではどうにもならないと思っている人は自分で考えるきっかけとして、この本の存在価値を見いだすのではないだろうか」と茂木さん。

 吉野に関する研究もある京都大教授(メディア史)の佐藤卓己さんの見方はこうだ。

 「吉野は戦前の格差社会の中で、自主的に考える個人によってこそ社会革命が可能だと考えて、この本を書いたはずです。一方、現代も格差が拡大し、子どもの貧困も問題となっており、同じような課題は存在しています。しかし、社会構造がより複雑化している今日の方が、どう生きるかははるかに難しい。コペル君の時代の方が単純だから、より多くの人がこの本を読んで共感できるのでしょう」

 

原作者の吉野源三郎=1966年撮影

 佐藤さん自身は中学時代、読もうとしても読めなかったという。「説教臭い」と感じたからだ。また、優等生として描かれているコペル君にもなじめなかった。しかし、研究者として戦中・戦後の世論に向き合ううち、「君たち--」には普遍的なものが書かれていると気付いた。

 「戦前も国家に強制されたというより国民が自主的に戦争に協力した側面は大きい。『自主的に考える』とはどういうことか。その問いがこの本にはある。漫画化の試みはおもしろい。岩波文庫で買ったまま挫折した読者が、再び挑戦するよい機会だと思います」

助言者も成長「説教臭くない」

 マガジンハウスの鉄尾さんによると、祖父母が孫にプレゼントするためだったり、若者がタイトルにひかれて自ら購入したり、幅広い世代に読まれているという。どんなきっかけで漫画化されたのか。

 「だいぶ前ですが、30代の男性社員の机の上に、岩波文庫版が置いてあって、若い人がこんな本を読むのかと驚きました。僕は大学生だった40年近く前、父親に『読め』と言われて反発した。漫画にしたら読んでもらえるのでは、と思い立ったのは5年前のことです」と鉄尾さん。

 知人の編集者のすすめで、まだ無名だった漫画家、羽賀翔一さんに依頼した。

 初めて原作に接した31歳の羽賀さんは、時代を超えてこの物語に共感したという。「僕もコペル君と同じ母子家庭で育ちました。いじめられっ子を救えなかったこともあった。僕の中にある『コペル君的な記憶』を重ね合わせて描きました」。原作と同様、時代背景はなるべく描かないようにした。そして、原作ではメンター(人生の助言者)として存在する叔父さんを、漫画版ではメンターでありながら共に成長していくコペル君のバディー(相棒)だと強調した。「吉野さんは、戦争という大きな流れにのみ込まれていく人々を意識したのかもしれません。でも、何か大きなものに流されてしまうというのは、戦争という特殊な時代だからではなく、いつの時代にもあると思う。きっと誰もがコペル君と同じような経験をして、より成長しようと思って生きています」

 共に成長していく2人の姿は大きな共感を呼んだ。前出の茂木さんは「新しい漫画の形を見せられた」と話す。「漫画化することによって、啓蒙(けいもう)的な原作は、共感できるものへと変わった。今の時代、若い人たちは少しでも『教えてやる』といった啓蒙的要素を感じると、クモの子を散らすように逃げてしまう。原作のメッセージを維持しつつ、この本に触れたことのない層へ届き、その良さが再認識されたことはすばらしいことです」

 名著が新しい形で再び輝き、今を生きる人たちの手に渡る。80年前のメッセージは私たちに確かに響いている。


「コペル君」命名の由来

 主人公の少年は東京・銀座のデパートの屋上から、下の通りを眺め「ほんとうに人間って分子なのかも……」と気づく。<目をこらしても見えないような遠くにいる人たちだって 世の中という大きな流れをつくっている一部なんだ>。そう叔父さんに語ると、大発見をしたコペルニクスにちなんで「コペル君」と名付けられる。

「死にたい」と悩むコペル君

 仲間が上級生からいじめられたら、結束して立ち向かおうと約束しておきながら、コペル君はいざという時にその約束を破ってしまう。そのことを悔い、死にたいとまで思って寝込むコペル君。叔父さんは手書きのノートを渡し「誤りから何を学ぶのか」を教えるのだが……

 

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『食べ物通信』4月号

2017年08月04日 | 本と雑誌

食べ物通信4月号の企画が素晴らしかったので紹介いたします。
特に妊娠初期から育児期間まで、化学物質への警戒が必要です。
年間購読料(税・送料込み)8000円
申し込み ☎03-3518-0623
    Fax03-3518-0622

 

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水野和夫氏-「資本主義が壊れ民主主義も終焉を迎える」

2017年05月29日 | 本と雑誌

       日刊ゲンダイ 2017年5月29日

  近代システムは終わり「閉じた経済圏」の時代へ

  前作「資本主義の終焉と歴史の危機」がベストセラーとなったエコノミストの水野和夫氏が、新著を出版した。「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済」(集英社新書)で描かれる世界経済、世界秩序は衝撃的だ。無限に貪欲な資本主義が行き詰まった先に、ゼロ金利とテロリズムの“常態化”があり、これは「新たなシステムを模索すべき」という警鐘でもあるという。経済の観点で捉える資本主義と民主主義の関係性。資本主義終焉の先にあるものとは――。

 ■無限の要求に応えるのはもう限界

  民主主義とは国民に1人1票の参政権のある政治形態ですが、経済的に言い換えれば「誰もが自分の欲求を追求してよい」という体制です。しかし、人々の欲求は「無限」。「無限」の欲求に応える生産力がなければ、民主主義のもとでの社会秩序は維持できません。

  だからこそ、生産力増強に適した資本主義が、民主主義とともに両輪となって近代システムは続いてきました。生産力を向上させ、所得や消費を増やし、経済を成長させ、民主主義体制のもとで保障された国民の「無限」の欲求に応え、秩序を維持する――。しかし、こうした近代システムそのものが限界に達しているのです。

 なぜなら、フロンティアが消滅し、「資本主義の終焉」を迎えた今、利潤の極大化が不可能となったからです。利潤率の近似値である長期金利が、「ゼロ」になっていることからも、それは明らかです。

  この時代の変化を無視した末路が、東芝であり、オリンパスであり、三菱自動車。経営者が「3日で利益をつくれ」などと命令して、資本を無限に増やそうとした結果、コケてしまった。

   そもそも資本主義は、資源国や途上国の犠牲のもとでしか成立しない「欠陥商品」です。富を「中心」に「蒐集」した結果、「周辺」が犠牲になることへの異議申し立てが、アメリカでの9.11同時多発テロや近年の欧州でのテロなのです。その悲鳴を無視して資本主義を延命させたせいで、テロリズムによって先進国の社会秩序は危機に瀕しています。秩序維持をうたう政府は民主国家を放棄し恐怖をあおって治安を維持する「安全国家」(セキュリティー国家)に変貌し始めました。これぞ、まさに近代システムの終焉です。

■国民国家を超えた単位を構想

 ――英国のEU離脱やトランプ大統領の誕生は、暴走する資本に対して「強い主権国家」を国民が求めた動きだともいえる。だが、水野氏はフロンティアが消滅したポスト近代には「閉じた帝国」がふさわしいと考える。

  トランプ大統領の誕生は国民が「閉じる」選択をしたともいえます。しかし、もはや一国単位では、リーマン・ショックに象徴されるようにグローバル資本の暴走にもテロリズムにも対抗できません。だとしたら、現状の国民国家を超えた単位のシステムを構想していかなければなりません。それが本書で示した「地域帝国」というビジョンです。近代が終わろうとする今、EUのような規模をもった地域帝国が「閉じた経済圏」を構築することが生存のためには必要なのです。

 ――では「閉じた帝国」しか生き残れないとすると、日本はどうしたらいいのか。

 日本は米国ではなくEUと手を結ぶべき

  フロンティアが消滅すれば、経済を「無限」に膨張させていくことは不可能です。それでも利潤を得ようとする資本は、「より速く」、すなわち高速回転で経済活動を行うようになりました。

  しかし、ビッグデータに必要なサーバーが大量の電気を消費するように、経済の高速回転には大量の化石燃料が必要です。

  見落とされているのは化石燃料の採掘にもエネルギーが必要だということ。シェールオイルのような採掘の効率の悪いエネルギーが注目されていること自体、枯渇の一歩手前にいることを示しています。エネルギー不足で「移動」が困難な時代がやってくれば、経済圏が「閉じてゆく」のは必然。エネルギーや食糧を自給しながら、大きく成長しなくても社会を維持できる「閉じた経済圏」を日本は構築しなければなりません。

 ――ところが、日本の近隣のアジア諸国、とりわけ中国は、いまだ貪欲に経済成長を目指している。まさに近代化の途上だ。やはり日本は米国と手を組んで「閉じた経済圏」をつくっていくべきなのか。

 米国は覇権国として、世界中に影響力を発揮してきましたが、その影響下から脱するべく、欧州はEUという「地域帝国」を構築しました。この先、EUは「閉じた経済圏」を完成させ、ロシアや中国のつくるユーラシアの経済圏、トルコが主導する中東の経済圏とゆるやかに連携するでしょう。となれば、英米の「海の国」は今までのような影響力を行使できず、「陸の帝国」の時代に移っていきます。

  だとすれば、日本が手を結ぶべきは「陸の国」EU。幸いEUの盟主・ドイツはゼロ金利国で、経済の成熟段階も、価値観も日本に近い。

■大陸に近い「九州」を将来の首都に

  でも、これは遠くのEUと貿易をせよ、という意味ではありません。「日本も陸の国と同じ方向を目指しています」というメッセージを発せよということです。中国も「陸の国」ですから今後、欧州との関係を強化していくはず。ユーラシア大陸がひとつにまとまってから日本が「陸の国になりたい」と言っても手遅れです。

 将来、日本は首都を九州に移してはどうか。明治維新のときは、「海の時代」だったから、首都は太平洋を向いている東京でよかった。今度は大陸に近い九州に首都を置く。「陸の国になるために遷都しました」と言うと、米国が怒るだろうから、本当のことは言わず「地震のない地域に遷都した」などと説明すればいい。

  日本の政治は、いまだに米国追随のままですが、米国のほうから「もう日本は必要ない」と手を引くシナリオもありえます。

――成長神話に毒された政府の「大学改革」にも疑問を投げかける。

  経済を成長させるためには「人文系の学問はいらない」「大学で手に職をつけさせろ」という議論があります。経営コンサルタントが「G型大学」「L型大学」という区分を文科省の有識者会議で提言したこともありました。しかし、500年ぶりに歴史が大きく動く今、そのような教育は、日本の未来を損なうと思っています。

 ――「G型大学」「L型大学」とは、それぞれグローバル型、ローカル型の大学という意味。トップ大学・学部に限定したG型では、グローバルに通用する高度なプロフェッショナル人材を養成する。その他の大多数の大学・学部のL型は地域経済の生産性向上に資するスキル保持者を育てると言いつつ、実質的に大学を「職業訓練校」にするものだ。

  若者に大学で手に職をつけさせたいという人は、未来がどうなるか確実にわかっていると慢心しているのでしょう。

 歴史の転換期を迎えた現在は、たとえて言えば、この先を進むレールが消えてしまったような時代です。育てなくてはならない人材は、壊れた既存のレールを修復する人たちではなく、どんな新しいレールを引き直すべきなのか、どちらの方向に進むべきなのかを根本から考えられる人たちです。そのためには、既存の仕事を習得させるだけの「手に職」型の大学教育には限界があります。

  今、求められているのは、幅広く、あらゆる学問を一通り学び、総合的に物事を考えるための教養です。アダム・スミスは、倫理学、道徳学、経済学、法学の4つを学んだからこそ、経済学の基礎を形づくることができました。

 ■発想の転換が必要

  「経済成長」至上主義から抜け出せない人たちは、私の主張を「後ろ向き」だと言いますが、歴史の歯車が逆回転した今、これまでの基準で「後ろ向き」の人が「前向き」になるのです。経済も成長を追求することで、後退する「逆説」の時代に突入しています。今まで見たことのない時代がやってくるわけですから、今あるものが「無限」に続くという発想から、転換しなくてはならないのです。

 

みずの・かずお 1953年生まれ。元三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト。博士(経済学)。現在は法政大学教授。「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)など著書多数。


      

 それぞれの課題については共感できるところもあるのですが、肝心なところがぼけている。

 今日、ようやくカッコーがすぐ近くで鳴きました。さぁ、植えつけ時期の到来です。
1日からまたしばらく☂のようで、こりゃ忙しくなりそう。
キューリがよろしいようで…まぁだだよ!
これも古来品種「夏すずみ」「黒サンゴ」なんて問題になりません。

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里山資本主義(角川oneテーマ21)

2013年08月31日 | 本と雑誌

著者、藻谷浩介  NHK広島取材班による事例紹介。

世界を圧巻しているマネー資本主義に抗して、人間として生きる、真に豊かな生活とは何かを提唱する。

3.11以降、これまで我々が享受してきた大量生産、大量消費、大量のゴミ社会への懐疑がより一層強くなった。何が幸せなのか、何が豊かさなのか。あれからまだ2年半、アベノミクスが覆いかぶさっている。またもや経済最優先へと押し戻そうとしている。低賃金、長時間労働、不安定雇用、ブラック企業の横行、心も体も家族も地域も壊されていく。

このマネー資本主義の対にあたるのが里山資本主義である。それは物々交換であり、手間返しである。人と人とがお金を介せずに繋がっている。原価0円からの経済再生、コミュニティー復活を果たす現象」である。使われていなかった山林や空き地、空き家、そして手付かずの自然ではなく、適度に人間の手が加えられた里山、これらへの新たな「価値」を見出す人々が日本国内のみならず、世界の人々に広がりつつある。森林を手入れすることで木材を生産し、間伐材で安定的な燃料を得る。地域の農家から原料を高く購入し、付加価値をつけて売ることで共存共栄を図る。食糧、エネルギー、コミュニティー、そしてお金を自らの地域に再生することができる。

時代の曲がり角に差し掛かっているのではないか?拝金主義から里山資本主義へ。

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つるかめ、カタツムリ。

2013年02月20日 | 本と雑誌

『つるかめ助産院』というTVドラマだある。以前NHKで放映されていたが、仕事の都合で見ることができずにいた。今回BSで再放送されたので見ることができたが、ドラマが終わって、字幕が出ると、作者が小川糸さんであることに気がついた。どうりで!
 かって、『食堂カタツムリ』という本を読んだ。(近年映画化もされたが残念ながら見ていない)主人公、倫子は恋人と家財道具を失くし、声を失ってしまう。どん底の状態で、10年間一度も帰らなかった故郷へ戻り、物置小屋を改修して『食堂カタツムリ』を立ち上げる。そこは音楽もない世界。1日一組のお客様を迎える。メニューはお客さんが来てから決める。この人には、こんなものを食べさせてあげたい、と思う料理を出す。その味に、幸せになり、希望がわいてくる。人生はよい方向へ向かう。美味しいものを食べると幸せな気持ちになる。食べてくれる人のことを考えながら作る料理。好きな人と食べる。知らない人とワイワイガヤガヤと食べる。「食べる」ことの意味を問いかける。
 この2編に共通しているのは、主人公の母親に対する確執、そして「生命」、「食」。
食事って、やっぱり生きるってこと、そのものなのです。

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