朝日新聞の週末beに、「帰ってきた食べテツの女 レルヒさんのノッポカツ JR越後湯沢駅」という記事がありました。
食べテツ評論家の荷宮和子さんが、鉄道の駅でユニークな食べ物を紹介されるコーナーです。
今回は、越後湯沢駅(新潟県)の「レルヒさんのノッポカツ」です。
「レルヒさんのモデルは、日本に本格的なスキーを伝えた実在の外国人だ。」
JR越後湯沢駅の改札を出てすぐにレルヒさんのパネルを見つけたそうです。
エチゴビールやノッポカツに、レルヒさんが使われていて、
新潟県のゆるキャラになっている
とのことです。
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越後湯沢は、先日行ったばかりです。
改札からすぐの「CoCoLo湯沢がんぎどおり」(おみやげ市場のような場所)には、レルヒさんのカレー、ワイン、キーホルダー、手ぬぐいも売っていて印象に残っています。
荷宮さんも行かれたのですね。
そう言えば、スキージャンプ団体で銅メダルを取られた清水礼留飛(しみず れるひ)さんも、このレルヒさんにちなんだとニュースで行っていました。
レルヒさんは、どんな人だったのだろうと「レルヒ」さんで見てみると、
「新潟県のゆるキャラ 日本元祖スキー漢(おとこ)レルヒさん オフィシャルサイト」が最初に、
ウィキペディアが3番目に出てきました。
ウィキペディアによると、
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(Theodor Edler von Lerch)
1869年8月31日にハンガリー王国の軍人の家庭に生まれ、
ウィーンとプラハのギムナジウムでは、生活態度は極めて真面目で、3年間主席を通した
アルペンスキーの創始者マティアス・ツダルスキーに師事し、スキーを研究。軍にもスキー使用を勧めた。
日本陸軍の研究のため、1910年に交換将校として来日。
1911年(明治44年)に歩兵第58連帯の営む庭を利用し鶴見義信大尉ら14名のスキー先週員に技術を伝授したことが、日本での本格的なスキー進む及の第一歩とされている。
と書かれていました。
アルペンスキーの創始者に学び、ヨーロッパの中でもスキーに詳しい軍人さんだったのですね。
その方が、日露戦争でロシアに勝った日本を研究したいと、来日されたというのも初耳でした。
清水礼留飛さんについては、
「スキー一家、21世紀のレルヒ…清水礼留飛選手 : スキー : ソチ五輪2014 ...」という読売新聞の記事がありました。
ユニークな名前は1911年、日本にスキーを伝えた当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐にちなむ。
父の久之さん(53)はノルディックスキー複合の現役選手で、国体に37回連続で出場した。兄の亜久里さん(21)も複合選手で、小学1年からスキーを始めた清水選手も、当初は複合の道に進んだ。
お父さんもお兄さんもスキー選手というスポーツマン一家で育たれたのですね。
レルヒさんも、自分の名前を日本人がつけてくれるとは思われなかったのではないでしょうか。
食べテツ評論家の荷宮和子さんが、鉄道の駅でユニークな食べ物を紹介されるコーナーです。
今回は、越後湯沢駅(新潟県)の「レルヒさんのノッポカツ」です。
「レルヒさんのモデルは、日本に本格的なスキーを伝えた実在の外国人だ。」
JR越後湯沢駅の改札を出てすぐにレルヒさんのパネルを見つけたそうです。
エチゴビールやノッポカツに、レルヒさんが使われていて、
新潟県のゆるキャラになっている
とのことです。
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越後湯沢は、先日行ったばかりです。
改札からすぐの「CoCoLo湯沢がんぎどおり」(おみやげ市場のような場所)には、レルヒさんのカレー、ワイン、キーホルダー、手ぬぐいも売っていて印象に残っています。
荷宮さんも行かれたのですね。
そう言えば、スキージャンプ団体で銅メダルを取られた清水礼留飛(しみず れるひ)さんも、このレルヒさんにちなんだとニュースで行っていました。
レルヒさんは、どんな人だったのだろうと「レルヒ」さんで見てみると、
「新潟県のゆるキャラ 日本元祖スキー漢(おとこ)レルヒさん オフィシャルサイト」が最初に、
ウィキペディアが3番目に出てきました。
ウィキペディアによると、
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(Theodor Edler von Lerch)
1869年8月31日にハンガリー王国の軍人の家庭に生まれ、
ウィーンとプラハのギムナジウムでは、生活態度は極めて真面目で、3年間主席を通した
アルペンスキーの創始者マティアス・ツダルスキーに師事し、スキーを研究。軍にもスキー使用を勧めた。
日本陸軍の研究のため、1910年に交換将校として来日。
1911年(明治44年)に歩兵第58連帯の営む庭を利用し鶴見義信大尉ら14名のスキー先週員に技術を伝授したことが、日本での本格的なスキー進む及の第一歩とされている。
と書かれていました。
アルペンスキーの創始者に学び、ヨーロッパの中でもスキーに詳しい軍人さんだったのですね。
その方が、日露戦争でロシアに勝った日本を研究したいと、来日されたというのも初耳でした。
清水礼留飛さんについては、
「スキー一家、21世紀のレルヒ…清水礼留飛選手 : スキー : ソチ五輪2014 ...」という読売新聞の記事がありました。
ユニークな名前は1911年、日本にスキーを伝えた当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐にちなむ。
父の久之さん(53)はノルディックスキー複合の現役選手で、国体に37回連続で出場した。兄の亜久里さん(21)も複合選手で、小学1年からスキーを始めた清水選手も、当初は複合の道に進んだ。
お父さんもお兄さんもスキー選手というスポーツマン一家で育たれたのですね。
レルヒさんも、自分の名前を日本人がつけてくれるとは思われなかったのではないでしょうか。