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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

犬山・名古屋2泊旅行④〔「ステーキハウス キッチンリボン」編〕

2022年02月18日 | 旅行記

九州でお世話になった方が「日本で一番美味しいステーキの店は名古屋の『リボン』です。」とおっしゃったことがあります。全国の美味しいものを知り尽くしている方のこの言葉をずっと覚えていました。

ついにその名店を訪れる機会に恵まれました。名古屋市内、地下鉄桜通線の桜山駅から徒歩10分。「ステーキハウス キッチンリボン」。

(ひっそりとした夜の住宅街に溶け込むようにその名店はあります。)

店内は「肉」を楽しむ方々で満席。木製の調度品、壁に掛けられた絵画の数々、落ち着いた雰囲気なのに気取らない、とても感じのいい店内です。ドレスコードはスマートカジュアル。

注文は決めていました。松阪牛ステーキコースの「特選シャトーブリアンステーキ」です。

(このお値段ですが、一番人気のコースだそうです。)

オードブルは3品。

(ステーキコースですが、アヒージョ風になっているこのサザエも名物のようです。)

特選フィレ肉のタタキ。

甘めのタレと卵黄を混ぜて、タタキにたっぷりからめていただきます。

(ワサビ多めでちょうどいい感じになります。)

サラダ。

(野菜がとても美味しい。特にトマトは驚くほど甘かったです。特級品の肉の足を引っ張らないように脇役の食材も特級品を使っているのでしょうね。)

いよいよメインのシャトーブリアンの登場に備えて、白ワインから赤ワインにチェンジ。

来ました! シャトーブリアン❝タワー❞!

(※動画のシュクショのため妻の服の画像が乱れています。)

リボンの松阪牛は信頼のおける三重県の業者から仕入れた最高品質のもの。これを熟練の技でじっくり焼き上げ、最高のタイミングで出してくれます。そして、カットはお客さん自身で、という趣向。

(カップルなら女性の方にカットが任されます。お店のご主人が横に付いてサポートしながら肉の説明もしてくれます。)

リボンのシャトーブリアンは3歳の雌牛のもので、1頭からこの大きさの塊が2個とれるかどうかという希少部位。ナイフを入れた妻が「柔らかい!」と驚きの第一声。

(カット終了。ご主人から「奥さん、切るのがうまい!」と褒められていました。(笑))

そして、いよいよ食べる段になったところで、ご主人から食べ方のアドバイス。「切らずにかぶりついてください。そうすれば肉のいい香りがします。切ってしまうと、もうそれは❝焼肉❞になってしまいますので。」

特製の塩を付けて、おそるおそるかぶりついてみると、「柔らかい!」と感動の瞬間。口の中で消えていく過程で一切ひっかかるものもなく、肉の旨さ・甘さと香りを楽しむことができます。その味わいに再び感動です。

ちなみに、この黄金のプレートは焼き上げられた肉をベストな状態でキープするためにリボン特注のものだそうです。厚い銅板という感じで、持ってみるとかなり重い。

(シャトーブリアンを平らげた後です。)

いやぁ、美味しかったですねぇ。「日本で一番美味しいステーキ」を食べたという充実感も半端ないです。

こちらは途中で出てきた焼き野菜。

(サラダと同じく、この野菜たちも美味しい!)

シャトーブリアンでかなりお腹いっぱいになりましたが、最後にガーリックライスが出てきました。

このガーリックライス、今まで食べた中で一番美味しいガーリックライスです。強めに炒められたと思われるガーリックがいい仕事をしています。お米もすごく美味しいです。まるで別腹のように妻も私もペロッと食べてしまって、結局おかわりしてしまいました。

デザートはメロン祭り。(笑)

このメロン、めちゃウマだと思ったら、マスクメロンの有名な産地、静岡県袋井市が誇る最高級ブランド「クラウンメロン」だそうです。

もうお腹パンパンです。エスプレッソで落ち着きます。

席を立つ時、女性に渡されるバラ一輪。これもリボンの名物です。

(ホテルにて撮影。)

このバラ、荷物の多い中、妻が無事自宅に持ち帰り、リビングで一輪挿しに飾られています。

(妻撮影。)

念願の「リボン」でのディナー、最高でした。名店での松阪牛のシャトーブリアンステーキ、一生の思い出となりました。

 

明日はいよいよ今回の旅の最終日です。明日のスタートは、名古屋名物モーニングからです。

、、、〔名古屋観光編〕(完)へ続く。


犬山・名古屋2泊旅行③〔「博物館 明治村」編〕

2022年02月17日 | 旅行記

旅の中日は「博物館 明治村」に行きます。

明治村はテーマパークではなく、明治建築を保存展示する野外博物館。❝開村❞は昭和40年(1965)、犬山市の郊外、入鹿池に面した丘陵地に造られました。

明治建築は、芸術的にも歴史的にも価値あるものが多くありましたが、戦争や震災、更には戦後の高度成長などによって姿を消していきました。明治建築を文化財として後世に残すため、旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫さん(元名古屋鉄道株式会社会長)が「博物館 明治村」を創設したのが始まりです。

(よって、明治村の建築物は全て本物。村内の「第四高等学校物理化学教室」の一室に土川元夫さんの言葉が掲げられています。)

 

「迎帆楼」の方に犬山駅東口まで送っていただきました。

(犬山遊園駅と違って駅前にはビルやマンションが建っています。)

ここから出る明治村行きのバスに乗ります。

(このジーンズの男性、バスを待っている人たちにチケットを売ろうと声をかけてきました。ダフ屋ですかね。)

犬山駅から明治村(正門)まではバスで約20分。

(正門、なかなかテンションが上がる❝ザ・明治❞という感じです。)

明治村は1丁目から5丁目まであります。広大な敷地に点在する明治建築を約半日で楽しむためには、事前の計画が必須です。

(ネットより拝借。)

1丁目から5丁目に向かって丘陵地が高くなっていますので、この村営バス(乗り放題500円)で正門から一気に5丁目まで行って(登って)、見学しながら下りてくるのがおススメ。

(村内をくねくね巡りながら登って行きます。建築物の説明アナウンスも入りますので、5丁目までの約20分間に村内の情報を一通り知ることができます。)

5丁目に到着しました。5丁目で見学しようと計画しているのはこれらの建物です。

■帝国ホテル中央玄関

入村チケットの写真にもなっている、明治村の代表的建築物。帝国ホテル中央玄関(国登録有形文化財)は、大正12年(1923)築。設計は米国の建築家フランク・ロイド・ライト。帝国ホテルの取り壊しの際、中央玄関部分のみを移築。荘厳にして華麗な外観です。

現役時代の写真が建物内に展示されていました。こんな素敵な建物が日比谷にあったとは、明治のエネルギーを感じます。

メインロビー中央は3階までの吹き抜け構造。

この景色、見覚えがあると思ったら、NHKの朝ドラ「まんぷく」(2018年)のロケ地として登場していました。あまりにも有名な建築物で、「まんぷく」だけでなく、映画にドラマにロケ地になったこと多数。

この柱がとにかく印象的です。常滑市の専用工場「帝国ホテル煉瓦製作所」で焼かれた黄色いスダレ煉瓦(スクラッチタイル)、繊細なテラコッタ、彫刻を施した大谷石で作られた、照明を兼ねた柱(光の籠柱)がロビーを神秘的な空間として演出しています。

(これだけの造作を全ての柱に施した景色は迫力すら感じます。)

「ポーツマス条約の机」が展示されていました。戦後交渉に当たった小村寿太郎(外相)とロシアのウィッテが使った本物です。

(教科書に載っているポーツマス条約調印の写真に登場するテーブル。)

小村さんは宮崎県の飫肥の出身で、2018年の夏休みに地元の記念館を訪問したことを思い出しました。

帝国ホテル中央玄関、テレビで観て一度実際に訪れてみたかったのですが、すごいです。これだけでも明治村に来る価値があると思いました。

帝国ホテル中央玄関前からの眺望です。鉄橋は「隅田川新大橋」、その奥の建物は「川崎銀行本店」。

■明治の洋食屋「浪漫亭」

これは明治建築ではありません。5丁目の食事処です。12時に「迎帆楼」をチェックアウトして明治村に来ましたので、時刻は午後1時を回っています。夜は名古屋市内のステーキハウスを予約していますので、早めにランチを。

店内も明治の雰囲気を作っています。

(実はこのポスターよりも、下の「鶏肉のチョコレートソースかけ」が気になります。(笑))

オムライスが名物のようです。

(左:トマトソース、右:カレーソース。ごちそうさまでした。)

■金沢監獄中央看守所・監房

(金沢監獄の正門から入ります。)

こちらが監獄の建物入口。

八角形の中央看守所の建物を中心に監房棟が放射状に伸びています。

(完全に「ゴールデンカムイ」の世界です。(笑))

監房棟は1棟だけが実物であとは写真となっています。監房の中には囚人(人形)がいて超リアル。

(右奥にトイレ、左の桶は水。囚人の前に並んでいる器は、朝昼夕の食事の器。布団もペラペラで、当然ですが過酷な環境です。)

コロナの感染防止のため現在は中止となっていますが、実際に独房に入ってみる❝監房体験❞もできるようです。

■聖ザビエル天主堂

実際の教会の中は一般的に撮影禁止なので、写メを撮ることができるのは貴重です。

太陽の日差しがステンドグラスを通ってカラフルな光となって壁や柱に投影されていました。

聖ザビエル天主堂を別角度から見ながら4丁目へと入って行きます。

4丁目の見学スポットです。

■呉服座(「ごふくざ」ではなく「くれはざ」と読みます。)

ここも朝ドラのロケ地になったようです。「わろてんか」(2017年)。

■宇治山田郵便局舎(重要文化財)

(宇治山田郵便局舎は現在改修中で、近くだと養生フェンスに囲まれていますので遠景で。)

■六郷川鉄橋、尾西鉄道蒸気機関車1号

(六郷川鉄橋は日本初の複線用鉄橋。当時鉄道の橋は木造が一般的だったそうです。)

尾西鉄道蒸気機関車1号の運転席に入ることができるようです。

■第四高等学校武術道場「無声堂」

(「無声堂」も改修中でした。)

嵐のニノが出た映画「母と暮らせば」のロケ地だそうで、妻が姪っ子に見せようと写メを撮っていました。「るろうに剣心」実写版のロケにも使われたようです。

(道場です。建物外部は改修中ですが、中は見学できます。)

次は3丁目ですが、3丁目は❝バス道❞から外れて「入鹿池」に張り出した半島のようになっています。

(一番下の案内矢印の方に進みます。)

3丁目の見学スポットです。

■品川燈台(重要文化財)

燈台の中には入れませんが、周囲は歩けます。燈台の裏に回ると入鹿池の絶景が広がります。

(入鹿池は国内最大級の貯水量を誇る農業用ため池。ため池とは思えない広大な❝湖❞です。)

たくさんのボートが出ていますが、よく見ると、みなさん釣りをしています。どうやらワカサギのシーズンらしく、貸しボートがあるようです。

明治村で走っている交通機関は、村営バス、京都市電、蒸気機関車。見上げると市電が停まっています。

次の見学スポットに向かうため階段を上ると、そこは京都市電の品川燈台駅でした。

(動きます。1回500円。)

■西園寺公望別邸「坐漁荘」(重要文化財)

元老が余生を過ごした総数寄屋造りの邸宅。静岡県の清水から移築されました。清水では海を望み、ここでは入鹿池を一望するロケーションです。

■幸田露伴住宅「蝸牛庵」

幸田露伴が墨田区の向島で住んでいた借家。数度の引越しをしたことからか、住まいを替えるヤドカリをもじって「蝸牛庵」(カタツムリの家)と名付けたとか。

妻がまたまた随分と写メを撮っていると思ったら、嵐のニノが出たドラマ「坊ちゃん」(2016年)で使われたそうです。家の中に入ることができるので、屋内の和室でも❝丁寧に❞写メしてましたね。(笑)

(私も記念に写メしておきました。(笑))

■北里研究所本館・医学館

中には入りませんでしたが、雰囲気があります。ここも数多くのロケ地に使われたのではないでしょうか。

半島風の3丁目をぐるっと回ってきました。次は2丁目です。見学スポットはそんなにないのですが、、、。

■レンガ通り

写真右手前の「ハイカラ衣装館」では❝ハイカラさんが通る❞の貸衣装を借りることができます。この日は羽織袴ではちょっと寒いせいか、ハイカラさんは数組だけ見かけました。

私が驚いたのは、この等身大パネル。「博物館明治村 第四代村長 阿川佐和子」。

(確かに村だから村長がいてもおかしくないのですが、なぜ阿川さんなのでしょうね。)

レンガ通りのどん突きには、■東山梨郡役所の建物があり、その一室が村長室になっています。

そして、今日最も妻が念入りに写メを撮っていた建物、■「第四高等学校物理化学教室」(国登録有形文化財)。

内部はこんなふうになっています。

(いくつかの教室などに分かれていますが、注目の部屋は左から3つ目、「化学講義室」。)

嵐のニノが出た映画「母と暮らせば」のワンシーンで、ニノがこの階段教室のとある場所に座っていたそうです。

(2組の女性ペアがずっと座っています。)

妻曰く、窓側の上から4番目か5番目の所に座っているシーンがあったらしく、幸いにも空いていたので、そこに妻が座って記念写真を撮らせていただきました。(笑)

建物名が書かれた木製の表札は玄関ではなく、側面の❝勝手口❞のようなドアにかかっていました。

(この表札も写メポイントだそうです。)

第四高等学校物理化学教室で思わぬ滞在時間となりましたが、おかげでこの記事の最初の写真、土川元夫さんの言葉など、明治村の何たるかを勉強できました。

残すところ1丁目だけです。1丁目の見学スポット。

平地だと思っていたら、この1丁目がたいへんでした。「偉人坂」という石段を結構上ります。

■森鴎外・夏目漱石住宅

縁側に座っている猫の前に来るとセンサーが反応して、猫がしゃべり始めます。てっきり「吾輩は猫である」の有名フレーズをしゃべるのかと思ったら、なぜ小説のモデルになったのか、ご主人様との縁を語っていました。

(小説のモデルとなった猫。想像していた毛色とちょっとイメージが違ってました。)

■西郷従道邸(重要文化財)

時間がなかったので外を通過しただけでしたが、こんな立派な洋館に住まわれていたのですね。

■聖ヨハネ教会堂

一番上った遠い所にあります。こちらは中に立ち入ることはできず、入口から覗き込む感じでした。(2階にはひょっとしたら入れたのかもしれません。)

日が傾いてきました。近くの名もない池に映る教会の姿がきれいでした。

坂を一気に下って、一番最初に村営バスに乗った場所近くに戻って来ました。

■大井牛肉店

(既に営業終了。実際に牛鍋を食べることができます。)

ちょうどここで明治村の閉園のアナウンスが流れてきました。てっきり16時半までと思っていたら、16時閉園。ラッキーにも1丁目の最後の見学スポットまで回ることができました。

コインロッカーから荷物を出して、名古屋市内に向かうバスに乗るため、正門前のバス停へ。

名古屋市内への直通バスは40分程来ません。急遽予定変更をして、ちょうど来た犬山駅行きのバスに飛び乗りました。名鉄で犬山駅から名古屋駅へ移動し、地下鉄で本日の宿へ。

(2泊目はビジネスホテル。久屋大通駅徒歩1分の西鉄クルーム。)

「博物館 明治村」、初めての訪問でしたが、お天気にも恵まれ、夫婦ともども想像以上に楽しめました。再訪したいかと問われると微妙ですが、一度は訪れていい所だと思いました。私は帝国ホテル中央玄関の素晴らしさに感動しました。

 

さて、今日のメインイベントは実はこれからです。九州でお世話になった方が「日本一うまいステーキはここ。」とおっしゃっていたことを思い出して、今回の旅のプランに組み込んだ「ステーキハウス キッチン リボン」。ついに念願の「リボン」でのディナーです。

、、、〔「ステーキハウス キッチンリボン」編〕へ続く。


犬山・名古屋2泊旅行②〔犬山温泉「灯屋 迎帆楼」編〕

2022年02月16日 | 旅行記

今回泊まる温泉宿は、犬山温泉「灯屋 迎帆楼」。犬山最古の宿で創業は大正8年。現在の形(全10室、半露天風呂付)にリニューアルして5年とのことです。それまではよくある中型の観光ホテルだったようです。

「灯屋」の由来は、「木曽川沿いに佇む迎帆楼は、船乗りにとって灯台のような存在であったことや、お客様をいつでも暖かくお迎えし、犬山の町や人々を、明るく照らす存在でありたいという想いから」と宿のサイトに紹介されています。

春の夜には針綱神社の犬山祭の「夜車山」(よやま)の提灯、夏には木曽川の鵜飼船の篝火と、「迎帆楼」は灯りが重要なコンセプト。建物に入ってロビーに案内されると、吹き抜けの天井に提灯が揺れる様は何とも言えない旅情を感じます。

(先程見学した犬山城の梁を思い出させる立派な柱です。素敵な提灯たちは、京都の老舗提灯屋「小嶋商店」の作品だそうです。)

チェックインの前にウエルカムドリンクと菓子で休憩です。

(羊羹のように見える菓子は、さすがご当地、ういろうのテイストです。)

部屋には名前が書かれた提灯が掲げられています。

(長い廊下の両サイドに提灯が灯されていて暖かい雰囲気。心が和みます。)

今回泊まる部屋のタイプは「KISOエグゼクティブスイート」で、部屋の名前は「とうしん」。漢字で書けば「灯心」でしょうか。行灯やランプの芯の意味。各部屋には灯りに関わる名前が付けられています。

部屋は、こんな感じで横長で木曽川に面しています。

(右側に2階への階段があります。)

部屋を別角度から見た景色。リビングとベッドエリアが一続きになっていて、開放感抜群。

(写っていませんが、手前ソファの左側は和室となっています。)

洗面所から浴室、半露天風呂が続いています。

(浴室はシャワーのみ。シャンプー、リンス、ボディソープが黒川温泉「月洸樹」と同じシリーズ「TAMANOHADA(玉の肌)」。)

半露天風呂の温泉は24時間流しっ放し。窓は、外から見えないように、でも外の雰囲気が伝わってくるように、板を縦に交互にはめた「無双窓」(動かないので正確には❝無双窓風❞か)。

(泉質は弱アルカリ性単純泉、いわゆるお肌すべすべの美人の湯です。犬山城の異名から「白帝の湯」と言います。源泉は冷泉なので加温あり(と思います)。)

無双窓を開け放つと、木曽川の雄大な景色を見ながらの温泉となります。

(対岸から丸見えと思いそうですが、実際は全く見えません。高性能の双眼鏡を使えば見えるかもしれませんが。(笑))

テラスからは180度の見晴らし。ライン大橋、伊木山の方向の景色。

犬山橋の方向の景色。

日中はずっと無双窓を開け放って温泉に浸かっていました。

2階にも上がってみます。

2階は6畳(だったかな)とテラスという作りで、犬山城を見るためという明確な目的の部屋です。写真に写っているハンモック風のものに座って揺られたり、小さなテーブルに飲み物を持って来て外を眺めると、ちょうど犬山城を見上げることができます。

テラスに出てみると、犬山城がこのアングルで見えます。

ズームにすると、廻縁まではっきり見えます。

(想像以上に部屋(2階)からの犬山城の眺望が良くてラッキーです。)

恒例の部屋の探検はこのくらいにして、チェックインの時に予約しておいた貸切風呂「ひすずし」(灯涼し)に行きます。

(「ひすずし」は俳句では夏の季語。「夏の灯火が涼しげな感じがすることをいう」ということらしい。今はまるっきり季節違いです。(笑))

「ひすずし」は、部屋のメゾネットの2階を別として、平屋作りの「迎帆楼」にあって唯一の2階の施設です。ちょっとした大浴場クラスの大きな湯舟に温泉が流れ込んでいます。

時刻は午後5時前というところ。そろそろ日が傾いてきました。「ひすずし」から見える犬山城には夕陽が当たり始めています。

長居はせず部屋に戻りました。テラスに出てみると、伊木山の向こうに陽が沈んでいくところです。

「この伊木山のシルエットの美しさはなかなかのものだなぁ。」と感心していると、後で知ったことですが、伊木山は別名「夕暮れ富士」と呼ばれているそうです。

部屋の2階のテラスから見える犬山城もライトアップが始まったようで、夕陽と相俟って、夕暮れ時の澄んだ青空に映えています。

(時刻ごとに違う表情を見せる犬山城、見ていて飽きませんね。)

さて、夕食の時刻となりました。鵜飼いの鵜が迎えてくれる「食事処 色葉繧繝」(いろはうげん)へ。

(実物大か。結構な大きさです。)

「色葉繧繝」の由来が面白いです。「いろはうげん」は「迎帆楼(げいはんろう)」を組み合わせて(ひらがなを組み替えて)つくった造語で、食事処のテーマでもある「遊び心」が表現されています、、、とのこと。ちなみに、「色葉」はいろは歌47字の総称で、「繧繝」は層をなすように色の濃淡を繰り返す彩色手法のことだそうです。

本日の献立。

■前菜:豚肉の八幡巻き、山菜の胡麻炒め、こはだの菜飯、セリと笹身の焼きお浸し(左半分に続く。)

(前菜の左半分です。)酢橘釜(蟹、イクラ)、わかさぎ南蛮漬け、平目と伊予柑の昆布和え、春菊と浅利の辛子和え、新筍の含ませ

■椀物:蛤の焼き霜と蓮根餅の潮汁

ここで乾杯のスパークリングワインから日本酒にチェンジします。犬山産米100%使用の純米酒「夢吟香」。

(最初にたくさんの猪口を見せてもらって好きなのを選びますが、何と、その猪口とセットの器で日本酒が出されます。さりげないおもてなしに妻と感動。)

地元の日本酒を選んで正解です。純米酒ならではのしっかりとした味わいが料理と抜群の相性です。

■御造り:金目鯛、鰆、寒ぼら

(寒ぼらには朧昆布がかけられています。食べ方も、醤油だけでなく、塩、❝白いイクラ❞(塩味のある出汁の球体)の3種類で。)

■焼物:糸撚鯛の照り焼き、牛蒡の天婦羅

(手前に見えるのは金柑ではなくトマトです。(笑))

■料理長の逸品:甘鯛の蕪蒸し、あおさ入りなめこ餡

■強肴:牛ロース味噌焼き、冬野菜

(添え野菜は、ロマネスコ、甘いニンジン(品種名を失念しました)、茎ブロッコリー。)

■御飯物:鯛炙りと長芋の炊き込み御飯 ■止椀:赤だし ■香物:自家製漬物

(お米は月替わりで、2月は島根県産「きぬむすめ」。)

3点そろって、こんな感じです。

炊き込み御飯は、初めの一杯はそのままで、二杯目はわさび、あられ、海苔を入れてお茶漬けで。

前菜から御飯物まで、全品最高に美味しかったです。和食はともすれば平坦なコースになりがちですが、見た目も味も変化があって、最後まで楽しく美味しい食事でした。

■水菓子:桝に詰めた抹茶ムースとフルーツ大福

これはテンションが上がります。料理名の通り、この下にムース、更にその下にフルーツ大福が待っています。美味しかったですねぇ。

これでコースは終了です。落ち着いたところで席を立つと、宿の方が夜食を持たせてくれました。

かわいい籠に入っているのは、お稲荷さん。

(小ぶりで夜食にピッタリです。)

料理はもちろんですが、宿の方のお話やおもてなしなど、全てで夕食の時間を豊かにしていただきました。大満足です。

時刻は午後8時を回ったあたり。2階に上がって犬山城のライトアップを。

この後午後9時にはライトアップも終わったようで、月明かりに照らされる犬山城となりました。お腹がこなれてきたところで温泉に浸かって、夜の木曽川を眺めます。さすがに夜の風は冷たく、就寝前の本日最後の温泉は無双窓を閉めて。

ベッドに溶け込むように爆睡となりました。(笑)

 

翌朝。6時過ぎに起きて、温泉よりも先に犬山城を見ます。

テラスから見る朝の木曽川、ライン大橋、伊木山。

凛とした朝とはまさに今のことのように感じます。体が冷えたところで温泉へ。

ライン大橋の向こうの山脈(鈴鹿山脈か?)の雪景色が美しかったので、ズームしてみました。

朝食は8時半から。今朝の献立です。

朝食の席は木曽川を眺めながら妻と隣り合わせです。まずは「目覚めのお飲み物です。」ということで。

(牛乳、グァバ、オレンジの3種類。3種類とも飲んでおきました。(笑))

メインは二段重になっています。

■松華堂一の段:くらげ和え物、里芋の旨煮、金平蓮根 ■松華堂二の段:鮪刺身、梅しらす、もずく酢の物、豆腐の白和え、小松菜のお浸し、めかぶ山葵、白身揚げ煮

■豆腐鍋

■だし巻き卵 ■白身魚の幽庵焼き

この他、サラダ、御飯、味噌汁、香の物、デザート(季節のフルーツ)。

朝食も各品に手間暇がかけられていて、とても美味しかったです。だし巻きや白身魚の焼物も見た目は品のいい普通の一品に見えますが、一味違う美味しさでした。

 

いつも使っている予約サイトの特典で私たちは12時チェックアウトです。朝食後部屋に戻って温泉三昧でのんびり。

今回の滞在中、木曽川が一番の凪状態の時、ライン大橋が水鏡にきれいに映っています。

冷蔵庫の飲み物はフリーです。飲む機会がなかったチューハイですが、犬山ラベルなので、記念に写メ。(笑)

(犬山城の屋根の魔除けの桃かな。)

11時を過ぎた頃の犬山城。昨日初めて見た時と同じ時間帯なので、既視感のある表情です。

犬山温泉「灯屋 迎帆楼」。全てに高いバランスで、とても充実した時間を過ごすことができました。

次回再訪のチャンスがあるのなら、桜の季節、犬山祭の時、鵜飼いの季節のいずれかに来てみたいものです。名古屋と犬山の位置関係や距離感も分かりましたので、また違った旅のイメージが膨らみます。

 

チェックアウト後、宿の車で犬山駅まで送ってもらいました。犬山駅東口からは「明治村」行きのバスが出ています。

、、、〔「博物館 明治村」編〕へ続く。


犬山・名古屋2泊旅行①〔国宝「犬山城」編〕

2022年02月14日 | 旅行記

2月の三連休、東海地域に2泊旅行に行って来ました。(もちろん、密になりそうな所には近付かず、感染予防対策をしっかりして。)

今回の旅で訪れたのは、犬山城、明治村、名古屋城、熱田神宮というところですが、犬山温泉「迎帆楼」、名古屋のステーキハウス「リボン」も旅の主役です。旅の思い出をこんな↓感じでボチボチと書いていきたいと思います。

 ・犬山・名古屋2泊旅行①〔国宝「犬山城」編〕
 ・犬山・名古屋2泊旅行②〔犬山温泉「灯屋 迎帆楼」編〕
 ・犬山・名古屋2泊旅行③〔「博物館 明治村」編〕
 ・犬山・名古屋2泊旅行④〔「ステーキハウス キッチンリボン」編〕
 ・犬山・名古屋2泊旅行⑤(完)〔名古屋観光編〕

妻と新幹線名古屋駅で待ち合わせ。私は大阪から一足先に名古屋に向かいます。

(米原あたりは雪景色でした。)

名古屋駅で妻と合流して、名鉄で犬山へ。乗りなれない名鉄ですので、事前に調べた列車が来るまでホームで何本も見送ります。

(やっと来ました。「快速特急」で犬山遊園駅をめざします。)

ガラガラの車内、乗りなれない=仄かな旅情を感じます。30分弱で犬山遊園駅に到着です。

(残念ながら駅舎は改修中。降りる人はまばらです。)

さっそく旅の見所です。本日の宿はここから歩いて10分ちょっとですが、あえて遠回りして、犬山城の佇まいをいろいろな角度から堪能しようという趣向です。〇付き番号は犬山城「撮影スポット」です。

(たっぷり30分超の散策です。もちろん妻に事前にご賛同を得ております。(笑))

犬山遊園駅からすぐの犬山橋からスタート!

■撮影スポット①<犬山橋の中央あたりから>

(流れる大河は「木曽川」、見える橋は「ライン大橋」、その向こうの均整の取れた山は「伊木山」(標高137m)。)

ここでちょっとズームしてみます。

(奥に見える冠雪している山は鈴鹿山脈の「御在所岳」(標高1212m)。)

■撮影スポット②<犬山橋を渡り切ってすぐの対岸から>

■撮影スポット③<対岸中央過ぎ、犬山城が❝真正面❞に見える所から>

■撮影スポット④<間もなくライン大橋となる対岸から>

(少しさざ波だっていますが、木曽川に犬山城が映っています。私はこのあたりからの景色が一番好きかも。)

ややズーム。

右に写っている横に長い建物が、本日の宿、犬山温泉「灯屋 迎帆楼」です。更にズームしてみます。

(宿の全景はここからしか見えないので、記念に。(笑))

■撮影スポット⑤<ライン大橋の中央よりやや手前から>

(見える橋は、先程渡って来た犬山橋。)

■撮影スポット⑥<間もなくライン大橋を渡り切るという所から>

(「迎帆楼」と犬山城のベストショット。宿のサイトのトップページもこのあたりからの写真だと思います。手前には、シーズンオフのため陸揚げされた鵜飼いの船たち。)

ライン大橋を渡り切ると、宿まではすぐ。快晴で、寒いどころかちょっと暑さを感じる絶好の散策日和。気が付けばたっぷり30分強歩いて宿に到着。

(木曽川に沿って横たわる宿なので、パノラマで撮っても、ここからでは全景は入りません。)

宿に荷物を預けて、犬山城へいざ登城です。

(宿から5分程で❝登城口❞に到着。)

まずは城山の麓に位置する「三光稲荷神社」へのお参りから。

三光稲荷神社は、城山の麓に位置する神社。創建は不明とのことですが、天正14年(1586)という伝承あり。犬山城を築城(移築)した織田信康(信長の叔父)の崇敬厚く、その後城主となった成瀬家歴代の守護神となったとのことです。

三光稲荷神社の御祭神の宇迦御魂大神のほか、猿田彦大神、大宮女大神をお祀りしていて、猿田彦神社にも合わせてお参りしたことになっている(?)気がします。ということで、両神社の御朱印をいただけます。

(巫女さん曰く「セットだと500円になります。(お得です。)」、御朱印も遂にセット割引の時代。(笑))

三光稲荷神社と言えば、「ハート絵馬」が人気とのことで、バレンタインデーには吊るし切れないくらいになるそうです。(笑)

(かわいいピンクのハート絵馬。人気なのも分かります。それにしても、「イケメンで高収入で思いやりのある方と出会えますように」というのは随分と欲張りましたね。(笑))

「犬山城近道」という看板が出ていた方に歩いて行くと、朱塗りの鳥居、、、ちょっと整然とし過ぎていて不自然。(笑)

(でも、映えるのか、若い女性たちが写メし合っていました。)

この後、「針綱神社」の前を通り過ぎると、いよいよ登城道っぽくなってきます。

明日も快晴のようですので、明日行く予定の「明治村」とのセット券を購入。

(2人で500円程お得になります。)

天守に登る前に、「日本100名城」公式スタンプをもらうため、管理事務所へ立ち寄り。

(集め始めたのが最近で、沖縄の城巡りの時にはまだやっていませんでした。残念。)

立派な門をくぐって入城。

❝外❞からの景色を見ていた犬山城、近くで見ても感動の美しさです。

(最後の撮影スポット⑦です。(笑))

犬山城は、天文6年(1537)、織田信長の叔父の織田信康が木之下城の城郭を移築して築城。木曽川に張り出した小高い山の上に建てられた「後堅固の城」。木曽川による交易、政治、経済の要衝として、戦国時代を通じて重要な拠点となりました。その後、池田恒興、豊臣秀吉など、城主は入れ替わり、江戸時代に入り、元和3年(1617)、尾張徳川家の重臣成瀬正成が拝領、幕末まで城主を務めました。

それでは天守に入ります。

入口は石垣の所からですが、ここは城の階層で言うと、地下1階。

(写真以上に階段がめちゃめちゃ急です。)

入ってすぐのこの地下1階から「ほぉーっ」と感心しきり。石垣は自然石をそのまま積んだ「野面積み」という工法ですが、見事なものです。さらに石垣を渡された極太の梁がすごい。

1階は中央部がいくつかの部屋に区画されていて「納戸の間」と言いますが、写メを撮っていないことから普通に通過してしまったようです。

2階は中央部が「武具の間」という武器棚になっています。

(棚には無数の傷らしきものが見られますが、当時の武器によるものでしょうか。)

ここには、国宝の5つの城(松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城)の写真が掲げられています。

3階は「破風の間」。南北には成瀬家時代に改修したと言われる「唐破風」が設けられています。

(中からだと唐破風の美しい形をうまく写メできず。)

そして4階(望楼)は「高欄の間」です。外に出て「廻縁」(まわりふち)をぐるっと一周回って、絶景を堪能できます。

(欄干がそこそこ低いので、結構こわいです。(笑))

ライン大橋、伊木山の方向の絶景。

(眼下には「迎帆楼」が。)

犬山橋、犬山遊園駅の方向の絶景。

(遠く左奥の冠雪した山は「御嶽山」(標高3067m)。)

この360度の絶景は圧巻です。その迫力に廻縁を一周できずに半周で望楼内に戻ってしまう人もちらほら。望楼内にはいろいろな情報が掲示されています。これは、成瀬家までの歴代城主の系譜。

(織田信康から始まります。豊臣秀吉は入城こそしたものの城主にはならなかったようで、名前はありませんね。)

国宝指定書。

(多分本物。ボロボロです。)

昭和10年(1935)、国宝に指定。昭和27年(1952)規則改正に伴い、国宝に再指定。全国唯一の個人所有の城として保存されてきましたが、平成16年(2004)、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有(管理は犬山市)となったそうです。

今度は急階段を下りて、順路に従って城内を見学します。城の窓から屋根瓦を見ると、所々に桃の瓦が付けられています。

(魔除けだそうです。)

別の所にも桃。

(分かりにくいですが、亀の甲羅の上に桃が乗っている形。)

犬山城は別名「白帝城」。これは荻生徂徠が李白の漢詩から名付けたということが書かれています。

城内の見学を終えて出てきました。別角度から天守を見ます。

(望楼の廻縁の下に唐破風が見えます。)

写真右側に見える「付櫓」(つけやぐら)の近く、屋根を付けた切り株が見えますが、「大杉様」と言います。そちらへ行ってみます。

(「大杉様」。枯れてなおこの大きさ。)

大杉様は今は枯れてしまった杉の巨樹で、以前は犬山城天守と同じ高さだったとか。

(落雷で天守の身代わりになったり、台風の風よけになったり、、、。大杉様の巨樹ぶりが偲ばれます。)

犬山城、見応え十分の大満足でした。一度は訪れる価値があると思います。

(桜の季節は最高に美しいでしょうねぇ。素晴らしい天守でした。)

さて、登城の時、通り過ぎた「針綱神社」にお参りして、城下町へ下りて行くことにします。

「尾張五社」とありますので社格が高いのだろうと思います。五社には諸説あるようですが、熱田神宮と針綱神社はどの説にも入っているようです。

後程、城下町の「どんでん館」で勉強した「犬山祭」は、針綱神社の春の例大祭で、ユネスコ無形文化遺産等に登録されています。

桃の絵馬を発見。

(城の屋根に乗っていた桃は魔除けですが、どうやらこちらは縁起物のようです。)

御朱印をいただきました。

石段を下りてきました。こちらの鳥居からが正規の参拝ルートですね。

太宰府天満宮の御分霊が祀られていました。

(受験シーズン真っ只中。よって今ここにいる若者たちは受験生ではないですね。(笑))

城山から完全に下りて来たことになりますが、ここに立って振り返って見ると、三光稲荷神社と針綱神社の位置関係がよく分かります。

(左:三光稲荷神社、右:針綱神社。神社がこんなふうに隣り合っているのは珍しいように思いますが、この位置関係も不思議な景色です。)

城下町のメイン散策路はここから真っすぐ伸びた通りです。なかなか趣のある景色です。

(犬山祭の巡行ルートでもあるようです。)

時刻は12時を回っています。ちょうど蕎麦屋がありましたので、飛び込みます。

(「蕎麦正 まつい」。新しいお店のようです。)

妻も私もざる蕎麦。別注で天ぷらの盛り合わせを。

(天ぷらはその名も「蕎麦屋の天ぷら」。)

何も考えずに飛び込んだお店ですが、蕎麦も天ぷらもなかなかの絶品でした。「蕎麦正 まつい」、おススメです。

食後に城下町の通りをぶらぶら。こちらは事前にチェックしていた「壽俵屋犬山井上邸」。

人気第1位は、名物「守口漬」を使った「醤油おこげ串」。

(「醤油おこげ串」とは、守口漬と焼おにぎりの串もの。少し前にテレビで観て食べてみたいとチェックしていました。)

人気店なのと、注文を受けてから丁寧に一串ずつ焼くので、少々待ちます。こちらは店頭にぶら下げられている、守口漬の材料「守口大根」。

(名前は聞いたことがありますが、実物を見るのは初めて。こんなに長い大根、どうやって栽培するのか。)

焼き上がりました、「醤油おこげ串」(170円)。

(上の守口漬は普通の漬物、下の守口漬は奈良漬風。どちらも焼おにぎりと相性抜群で、美味しかったです。)

この後もぶらぶら。少し歩いてみて気付いたのは、串ものなど、食べ歩きに向いている名物を売っているお店が多いこと。地元の美味しいものを少しずつ食べながら歩くのも楽しいですよね。(街づくりのセンスの良さに妻と感心しきり。)

そろそろ通りも端まで来たかという所に「どんでん館」があります。

(一見して祭の山車を展示していることが分かる外観。)

事前にチェックしていませんでしたが、地元の祭の展示館は結構勉強になることがこれまでの旅での私たち夫婦の経験なので、迷わず入りました。

(入館料200円。)

針綱神社の春の例大祭「犬山祭」の伝承施設です。犬山祭はユネスコの無形文化遺産、国指定重要無形民俗文化財。どんでん館には、祭の曳山13輌のうち4輌を展示しています。

(犬山祭では「ヤマ」は「車山」と書きます。)

2階の展示室では25分という❝長編❞(笑)の犬山祭の紹介ビデオを観ることができます。町の子どもが初めて車山に乗る時(初上がり)はきらびやかな衣装を仕立てるそうで、一着100万円を超えることもあるとか。嫁方の実家が負担する慣習のため、「車山には嫁に出すな」と言われているそうです。そんなこんなで犬山祭の詳細を勉強することができますよ。

車山の巡行の様子を再現した模型もなかなかのクオリティです。

(動きます。)

ちなみに、「どんでん」とは、犬山祭の見所の一つ、車山が城下町の辻で豪快に方向転換する様を「どんでん」と呼ぶことによります。(あと、車山の一番上にからくり人形が仕込まれていて、それも面白かったです。)

「どんでん館」、入って良かったです。犬山祭、機会があれば見てみたいと思いました。

ここで城下町の通りを引き返します。散策の最後は、事前にチェックしておいた「芋カフェ えん」で甘味を。

(さつま芋のスイーツのお店です。)

町屋を改装した作りですね。

(昔❝間口税❞があったのでしょうか、間口の割に奥行きがすごいです。(笑))

14時過ぎなので夕食のことも考えて、2人で1品としました。注文は妻に任せました。確か「焼き芋ハーフ」って言っていたような。

(黒ゴマアイス、あんこ、白玉がトッピングされています。)

さつま芋スイーツにハズレはありませんね。大好きです、この甘味。ただ、ハーフでこのボリュームですので、2人で1品でちょうどです。

 

これにて犬山城、犬山城下町の観光は終了。宿の方から「お時間が早くてもラウンジでおくつろぎいただけますので、どうぞぉ~。」と言われていましたが、チェックインタイム15分前くらいのちょうどいい時刻に宿に戻りました。

さぁ、犬山温泉「灯屋 迎帆楼」で温泉三昧といきましょう。

、、、〔犬山温泉「灯屋 迎帆楼」編〕へ続く。


2022人間ドックからの新年の集い〔博多編〕

2022年01月10日 | 旅行記

人間ドック2日目。ヤマ場は「上部消化管内視鏡検査」(いわゆる胃カメラ)。昨晩の絶食時刻を❝ちょっとだけ❞過ぎて食べた雑炊が胃から消えているか、もしOKなら次回もあのペースで飲食しても大丈夫ということなのですが、残念ながらちょっと残っていました。自業自得ですが、食べ物を動かして胃壁をきちんと診るために、ファイバーを飲んだまま先生の指示で仰向けになったりうつ伏せになったり。

そんな一幕はありましたが、2日目も終わって、1日目同様に楽しみにしていた、お隣のホテルでのランチ。ツイン名物のビーフシチューにするか煮込みハンバーグにするか迷っていたのですが、「本日は和食でございます。」(!)

これで2022人間ドックの全行程が終了。小倉駅に向かいます。

(小倉駅南口。)

九州まで来ましたので、今日は大阪に帰るのではなく博多に行って、気心の知れたメンバーと博多で小ぢんまり新年の集いです。

お昼過ぎに博多駅に到着。集いまでにはまだまだ時間がありますので、ホテルに荷物を預けて、福岡市美術館で開催中の「ゴッホ展」へ。美術館は大濠公園からのアプローチですので、自動的に公園の散策となります。

(イルミネーション、きれいでしょうねぇ。)

今日は日差し燦燦で、ダウンを着ていると暑いです。

大濠公園は、ランニングする人、日向ぼっこする人、家族連れでのんびりしている人など、程良い賑わいを見せています。

(これは無人のボートで羽を休める大量の鳥たち。ちょっと怖いくらいです。)

地下鉄大濠公園駅から徒歩10分ちょっとでしょうか、福岡市美術館に到着。

(絵はゴッホがよく描いた糸杉シリーズの集大成、「夜のプロヴァンスの田舎道」。)

招待券をいただきました。コロナ禍での展覧会ですので、この時点で「多分入館に事前予約が必要だろうなぁ。」と思いつつも、ダメもとで入ってみます。

福岡市美術館、どこを切り撮っても絵になります。

(ガラスの向こうの絵も作品。)

東京や大阪のように人であふれかえることのない福岡ですが、やはりゴッホ展の人気は別格のようで、土日祝は事前予約制だそうです。

(行列ができています。翌日知ったのですが、この行列は入場のためではなく、グッズ販売のお会計待ちでした。)

ということで、ゴッホ展は明日大阪に帰る前にもう一度来るとして、こんなに天気もいいので、のんびり大濠公園周辺を散歩することに。

(美術館前。このオブジェ、前からあったかなぁ。)

大濠公園側を向くとこんな景色です。

(今更ですが、この規模でこんなに素晴らしい公園が福岡市のど真ん中にあるのは感動ものです。)

周回歩道途中で福岡城跡に続く舞鶴公園に逸れます。

舞鶴公園は大きな広場がありますが、大濠公園の賑わいから一転、人もまばらです。冬なのに色とりどりの花が植栽されています。この一画ではスイセンの群生が見頃となっています。

舞鶴公園を抜けて、城のお堀に出ました。6月頃の早朝には一面のハスが咲くお堀も今は冬枯れの様相です。

ホテルに戻ります。帰りはのんびりとバスで。

(博多駅。博多口側。)

ちょうどホテルのチェックイン時刻。部屋に入ってパソコンでゴッホ展の事前予約を完了。

(入場のためにこのQRコードが必要です。)

まだ時間がありますので、今日の陽気でちょっと汗ばんだので大浴場でさっぱり。部屋で一休みして出発。お店へはホテルから徒歩15分という距離です。承天寺通りを進んで、博多千年門。

(「博多千年門」という扁額が陰になって見えません。(笑))

更に進んで、承天寺の門。

(「山笠發祥之地」。今年こそ博多祇園山笠が執り行われますように。)

お店は、呉服町手前の店屋町の「割烹よし田」。定刻でそろって、新年と再会のご挨拶。

これぞ玄界灘という料理が場を盛り上げます。鯛の鱗&皮の唐揚げ。

(「鯛皮チップス」だったかな。)

初めて食べましたが、これはうまい! ビールのおつまみに最高ですね。鱗付きの鯛の皮を揚げればいいという単純なものではないような気がします。(そもそも鯛を鱗ごと皮を引くのは素人には難しいと思います。)

そして、イカの活き造り!

(大きい! 多分40cmはあるのではないでしょうか。)

コリコリとした甘いイカ、何だか久々に食べた気がして、しみじみと「美味しいなぁ~。」と懐かしくなります。

私のリクエストで、博多地鶏の唐揚げ。

(地鶏のせいか(?)、思ったよりも小ぶり。)

これまた私のリクエストで、牡蠣フライ。

(九州と言えば「一粒牡蠣」ですが、こちらは思っていたよりも大ぶりの牡蠣。)

揚げ物連発ですが、唐揚げもフライも美味しい!

〆は「よし田名物 鯛茶」。ここまで結構食べていますので、ハーフサイズを。(ご飯のおかわりはたっぷりあります。)

(まずはそのままご飯とおかずとして。次にご飯に乗せてお茶をかけて。)

私はお茶漬けにする時にゴマダレも全部入れました。美味しかったですねぇ。

昨晩に続き、今日も楽しい時間はあっという間に過ぎて行きます。名残惜しいという気持ちとも少し違う気持ちを感じながら、次の再会を約束して解散となりました。新年しかも連休初日にありがとうございました!

夜の博多駅。

転勤してまだ半年ですが、随分と時間が経ったように感じます。博多には仕事であれプライベートであれ、また訪れたいと思います。

「如水庵」のウィンドウディスプレイが面白かったです。

(いろいろな「〇〇大福」の断面の数々。(笑))

この後、明日の朝食をコンビニで買ってホテルに戻りました。大浴場でゆっくりと体を休めて、部屋でのんびり。人間ドックの検査結果はどうか分かりませんが、今回の小倉と博多での新年の集いで生命エネルギーは充填できたような気がします。

 

翌朝は大浴場で朝風呂からスタート。ゴッホ展の事前予約時刻には早いですが、今日も散歩しようと思い、出発。博多駅のコインロッカーに荷物を預けて、地下鉄で一駅手前の赤坂駅で降りて美術館まで散歩です。

冬枯れのハスでいっぱいのお堀。

(見渡す限りハス。)

鴻臚館跡前の広場。

(写真奥の建物の中に遺構が展示されています。)

福岡城跡の梅園。

後先が逆となりましたが、福岡城跡の登り口。

そして、大濠公園です。

(昨日も不思議に思いましたが、なぜかコスモスが満開。)

福岡市美術館に予約時刻の30分以上前に到着しました。係の人に入場できるか聞いてみると、大丈夫のようですので、QRコードをかざして無事入場。結構な人混みでしたが、十分鑑賞できました。

ゴッホ展とは一転してガラガラのコレクション展示(当美術館所蔵作品を常設的に展示)も観ました。

(昨日ガラス越しに観た作品。)

1階に下りると、これからチケットを買い求める人が並んでいました。こちらはチケットブースの真裏の記念撮影パネル。

(絵は、「夜のプロヴァンスの田舎道」と並ぶ本展覧会の目玉作品「黄色い家(通り)」。)

ゴッホの有名なコレクターの所蔵作品の展覧会なので、❝ゴッホと言えば❞というタッチの作品だけでなく、初期から最期までの画業の変遷を観ることができる、貴重な機会だったと思います。ありがとうございました!

 

さて、これにて今回の人間ドックと、小倉、博多での滞在は終わりました。博多駅の「いっぴん通り」で弁当とスイーツを購入。

美味しそうだったので買った、「エヴァダイニング」というお店の弁当。よく見れば「ヴィーガン」というシールが貼ってありました。

(人間ドックの帰路に健康志向の弁当、いい感じで〆となりました。(笑))

ただ、食後のスイーツを買ってしまいました。「伊都きんぐ」の「どらきんぐ生」。

(断面はパンフの写真をご参考に。大きな「あまおう」が丸ごと入っています。)

新幹線は広島あたりから徐々に乗客が増えてきましたが、小さな子ども連れのお母さんが目立ちましたので、お正月を実家かどこかで過ごして自宅に帰る日なのかもしれません。

 

15時過ぎには帰宅。連休明け、仕事モード全開に備えたいと思います。


2022人間ドックからの新年の集い〔小倉編〕

2022年01月09日 | 旅行記

年始早々の人間ドックです。受検のタイミングとしては、年末年始の不摂生がそのまま数字に出そうでどうかと思いますが、新年に健康チェック(そして自分を戒める(笑))というのはいいかもしれません。

4年間お世話になっていた北九州小倉病院に引き続き診ていただくことにしました。

(入院ドック前日の夜に入ります。)

1日目のヤマ場は「大腸内視鏡検査」(いわゆる大腸ファイバー)。コロナの感染対策をしっかりと考えた動線なので待ち時間はちょっとありますが、快適なうちに各検査を終えました。

前日は朝から食パンとうどん、夜は絶食でしたので、待ち遠しかった昼食です。

(昼食は3種類から選ぶことができます。小倉名物(門司名物かな)焼きカレーにしてみました。アツアツでめちゃウマです。)

さて、午後の検査も終わり、時刻は14時半頃。夜の集いまで部屋でゆっくりするか、出かけるか、、、。病院の食堂から見えるこの景色に、「散策したい!」という気持ちがふつふつと。

(遠くに関門橋が見えます。)

門司港や関門海峡の方面には2018年のドックの時に行って、「和布刈神社」にもお参りしたりしましたので、今回は、❝反対方面❞に行くことに。

目的地は、こういう機会でもないと訪れなさそうな、北九州の八幡さん「篠崎八幡神社」にしました。病院前のバス停から18駅目、約30分が最寄りのバス停です。

(病院の最寄りのバス停。門司と小倉中心地を結ぶ幹線道路なので、結構バスが走っています。)

バスをしばし待つ間、小倉っぽい雰囲気を感じたりします。(笑)

(「無法松の一生」からのネーミングかと。ちょっと客層を狭めているかも。(笑))

篠崎八幡神社の最寄りのバス停に到着。

(ここから徒歩10分弱。全てGoogleマップ任せです。)

駐車場側から入ります。

「随神門」は鮮やかな朱色。「朱門」とも呼ばれるようです。

(逆光で鮮やかな朱色がよく分かりませんが。(笑))

随神門をくぐって境内へ。

三が日や仕事始めの数日間は参拝者でにぎわっていたようですが、平日の夕刻近くということもあってか、参拝者はまばらです。縁起物の「開運」大絵馬がありましのたで、写メを。

(記念撮影している親子がいました。)

神社の建築物以外での境内の見所は、この「蛇の枕石」。

(お隣の社は、蛇の枕石と関係深い「八雲社」(祇園社)。)

「蛇の枕石」は、大蛇と女蛇との恋の神話。説明板をざっくり解釈すると、「仲睦まじく暮らしていた大蛇と女蛇。神様からの急な使いのため女蛇が何も言わずに出て行ってしまったところ、大蛇は石を枕に大泣き。あまりに悲しげに泣くので、八雲の神様が哀れに思い、大蛇を竜神の姿に変えて女蛇の元へと導いてやった。」という感じです。

もう一つの見所は、同じ境内にある「雲龍殿賀茂宮」。

賀茂宮は平成23年(2011)12月に改修された比較的新しいお宮です。雷神をお祀りしていますが、雷神は古来竜神としてイメージされているとご由緒に書かれていました。

ということで、篠崎八幡神社では、御朱印は3種類。まず本宮、次に蛇の枕石、そして大蛇からの竜神ということで、賀茂宮へと、3ヶ所にお参りします。

何と言うか、迫力、見応えのある御朱印です。ほれぼれするような字体もさることながら、鳳凰、大蛇、竜神などスタンプも「おおっ~。」です。

ちなみに、御朱印に書き添えられている「玄監」は、随神門の扁額に掲げられている言葉で、意味は「襟を正し、姿をみさだめ、神域に臨む」。新年に当たり、身の引き締まる思いです。合掌。

凝った御朱印のためか、いただくのに結構時間がかかりました。夕刻の時間が進んだ境内の景色がとても美しかったです。

この後、正面に当たる「鳥居門」から「東石鳥居」に下りてみました。

(歩いて入るならここが正面ですかね。)

この石段をもう一度上って、鳥居門前から景色を見渡してみます。なかなかの景色です。

(両脇の灯籠は「連朱灯籠」と言うそうです。)

夕陽に照らされた高速道路や山並みが美しかったです。

高速道路は上の写真の左手方向のフレーム外に紫川IC・JCTが広がっていて、ダイナミックな景色を望むことができます。ちなみに、道路建設の時に「篠崎古墳群」の発掘調査が行われたようです。

(境内の脇の立入禁止エリアにひっそりと紹介されています。)

さて、いい時刻になってきました。先程のバス停からバスに乗って小倉駅方面に向かいます。目的のお店に最寄りの「紺屋町」で降りると、ちょうど旦過市場がありましたので、覗いてみます。

(夕刻ですのでもう閉店気味ですね。)

少しだけ入ってみます。

(やっぱり閉店モードですね。)

NHKの「ドキュメント72時間」で放送された旦過市場(2021年1月29日放送「北九州 100年続く人情市場で」)。そんな歴史ある地域の台所も老朽化には勝てず、詳しいスケジュールは分かりませんが、いよいよ建て替えが始まるようです。

(市場の裏側。一層老朽化の雰囲気が分かります。)

私も何度か訪れたことがありますが、この姿も見納めかもしれませんので、ちょっと寄り道しました。

お店への道に復帰します。九州勤務時代、ここ小倉で楽しい時間を何度となくご一緒したメンバーと小ぢんまり新年の集いです。お店まで夕暮れ時の古船場をぶらぶら。

こののぼりの雰囲気に引き込まれるように、菅原神社へお参りを。

夕暮れ時の参拝も風情があっていいものです。

(今夜、この界隈で一杯やらせていただくことのご報告と(笑)、みなさんの健康をお願いします。)

小倉名物「かくうち」。

(酒屋さんにある立ち飲みです。既におじ様たちの楽しそうな声が店内から聞こえています。)

お仕事、ご苦労様です!

もうお店はすぐ近く。確か一度来たことがある「縁満 中津口店」。(「旅、再び」の記事の一番最後にご紹介したお酒をいただいたお店。)

玄界灘、響灘の海の幸、最高です。

(ごまカンパチ、サワラの炙り、〇〇カツオ(〇〇、失念しました(笑))、地ダコ。)

当店は鶏もめちゃウマです。鶏のレバ刺し。

地鶏のたたき。

これは再びサワラだったかな。

まぁ何を食べても美味しい。仕事で遅れるメンバーからの差し入れの日本酒とワイン。

(壱岐の「横山五十」、イタリアの「EDDA」。)

明日は人間ドック2日目。「21時以降絶食、22時以降絶飲」。最後の雑炊がちょっとだけ21時を超えましたが、自らの胃の消化力を信じて。(笑)

21時前には5人全員がそろいました。大盛り上がりの楽しい時間はあっという間に過ぎ、私は病院に戻ります。

(九州各地の里山の恵みを活かした特産品を扱う「里山商会」の「八幡ぎょうざのたれ」と「大葉ソース」をいただきました。)

今回も楽しい時間をありがとうございました!

 

事前に申告してあった22時前には帰院。迎え入れてくれた親切な守衛さんに御礼を言って部屋に戻ります。さぁ、明日は人間ドック2日目です。


2021大晦日の東京ディズニーシー

2022年01月03日 | 旅行記

大晦日に東京ディズニーシーに行って来ました。コロナ禍で入園は抽選。まぁ当たらないそうですが、優待チケットがあったのでダメもとで妻が申し込んだところ、まさかの大晦日が当選。

私は人生2度目のシーですが、前回は夫婦で知人のホテルミラコスタでの結婚式に招待された時で、もう10年以上前だと思います。「センター・オブ・ジ・アース」が休止中で乗れなかったことだけは覚えています。

当時とはシステムが大きく変わっていて、①スマホにアプリDL、②予備バッテリー携帯必須、③ほぼ初心者の私たちは予習必須など、とにかく事前準備をしていかないと、あたふたして終わり、ってことになるようです。「夢の国」というよりは気が休まらない一日になりそうな予感が。(笑)

私たちが当たった時間帯は10時半入園。今や人気のアトラクションは「スタンバイパス」という一種の予約制で、入園即アプリで予約という行為が必須らしく、10時半入園組は既に大幅に出遅れていることになるそうです。それでも9時には現地に到着して10時半の列に並びます。

(駐車場とシーを結ぶ連絡橋からの景色。スタンバイパスゲットのバトルが待っています。(笑))

私たちの作戦は、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」か「トイ・ストーリー・マニア!」のどちらかを時間帯関係なくゲットする、でしたが、入園前に並んでいるうちに、ソアリンのスタンバイパスは❝売り切れ❞。

荷物検査、セキュリティチェックを済ませて入園した瞬間にアプリチェック、、、トイマニのスタンバイパスをゲット!

(入園チケットのQRコードをスキャンしてアトラクション検索、スタンバイパス取得という手順が必要です。)

何だか気が急いてしまいますが、とりあえず取れて良かったとホッとします。ようやく景色を楽しむ余裕ができました。(笑)

(とにかくみんなスマホ片手に動いています。ちなみに、数分後にはトイマニのスタンバイパスも❝売り切れ❞とのこと。)

この❝門松❞前での記念撮影が人気でした。

スタンバイパスは一度取得すると、基本2時間経つまで次の取得はできません。(2時間経っていなくても、取得したアトラクションを利用すればその時点で次のスタンバイパスを取得できます。ただし、1時間は経過していないとだめですが。)、、、と予習しました。

ということで、並んで入ることができるアトラクションに行ってみようということで、しばしここで相談。

(ようやく夢の国の雰囲気を少し感じ始めます。(笑))

私の希望で、「タートル・トーク」へ。

お笑い芸人の千原ジュニアが「すべらない話」でタートルトークのことを話して以来(かどうか分かりませんが)、人気のアトラクションで、スタンバイパス対象に切り替わる前に並んで入るのがおススメ。

(ウミガメのクラッシュ(絵画上中央)のトークが最高です。)

会社でタートルトークのことを教えてもらって以来、YouTubeで楽しんでいましたが、ついに❝ライブ❞です。(笑) 残念ながらクラッシュに当ててもらうことはできませんでしたが、大笑いさせてもらいました。

次は、エリア違いで大移動しますが、「マジックランプシアター」へ。紙のマップなんてのはなく、場所は待ち時間も表示されるアプリでチェック。ちょっと迷って、偶然トイマニの場所に出ました。

(夕方に来る時の場所チェックになりました。)

大移動中、センターの海(?)でミッキーたちが水上パレードしていました。

(東京ディズニーシー20周年記念です。)

歩いて歩いて「マジックランプシアター」に到着。

(リアルと3D映像のステージを楽しみます。)

マジックランプシアターの列に並んでいる時に、2時間が経過したので、次のスタンバイパスを狙います。この後のちょうどいい時間帯が空いていた「レイジングスピリッツ」をゲット。

マジックランプシアターは並んだ割には物足りなさを感じつつ(笑)、レイジングスピリッツまでまだ時間がありますので、マジックランプシアター近くの「ジャスミンのフライングカーペット」(待ち時間15分)に乗ります。(遊園地によくある安定のアトラクションで昭和世代には楽しかったです。(笑))

で、ちょうどいい時間になりましたので、レイジングスピリッツへ。スタンバイパスを持っていてもそれなりに(15~30分程度)並びます。

行列の途中でスタンバイパスのQRコードを読み込むチェックポイントがあります。この時点でちょうど1時間経過していたので、スタンバイパス対象アトラクションをチェックすると、「センター・オブ・ジ・アース」に空きが出たようで、即ゲット。

(20:15とかなり遅めですが。)

ソアリン、トイマニに続く人気のセンターオブジアースをゲットできて、あとは夕食のレストランが予約できればと、行列中、妻とあれこれトライしてみますが、一向に予約できず、レイジングスピリッツの乗車へ。

(行列中。レストランの予約に必死で、360度ループコースターへの恐怖心を忘れていました。(笑))

レストラン問題は解決できないままでしたが、ループコースターはやっぱり面白くて存分に楽しみました。

(乗車後出口から出たところ。厳しい寒さのため、この火が暖かくて嬉しい。)

ここでちょっと腹ごしらえです。レストランは相変わらず全然取れないので、「サルタンズ・オアシス」に20分程並んで、ロングナン(ミートソース)とコーヒーで遅めのランチです。この後、結局、何度も東京ディズニーに来ている姪っ子に遠隔でレストラン予約を手伝ってもらって、人気の「マゼランズ」を押さえることができて一安心。

そろそろ日も暮れてきました。この時間帯になると、スタンバイパス対象のアトラクションはほぼ予約終了で、並べるアトラクションに人が集中してきます。

(夢の国の夕暮れ。ゴンドラが行き交う景色が素敵です。)

私たちは、混み合う前に「ヴェネツィアン・ゴンドラ」へ。

(ゴンドラの前後に操船クルーがいて、楽しい話をしてくれます。)

センターの海から見る夕陽がとてもきれいで、いい時間帯にゴンドラを楽しめました。発着場に戻って来る頃にはほぼ日も暮れて、ヴェネツィアの街並み(と思ったらホテルミラコスタでした)には灯りが。

(建物の窓から人が手を振っているのを演出だと思って感心していたら、妻に呆れられました。(笑))

ゴンドラ乗船前と同じ所から見る景色も夜モードになってきました。

さぁ、そろそろトイ・ストーリー・マニア!へ。

(日中とは違う景色に、夢の国の雰囲気MAXです。)

姪っ子や妻の友人からの情報で、2人の対戦ものだと聞いていましたが、思っていた以上に楽しいし燃えます。(笑) 妻への忖度なしの真剣勝負の結果、私の勝利となりました。(笑)

(トータルスコアは私の勝ち、ヒット率は妻の勝ち。当日のハイスコアは確か250000点くらいだったか。まさにマニアがいるのですね。)

トイマニで一気に盛り上がりました。これはまた来たくなるアトラクションですね。

この後、レストラン「マゼランズ」の予約時刻まではまだ時間があるので、「エレクトリックレールウェイ」に乗ってみたり、、、

夜景を楽しんだり、、、

センターオブジアースの場所を確認したり、ぶらぶらしていました。

それにしても寒い。日中も寒波の影響か、快晴でも厳しい寒さでしたが、日が落ちて更に寒さが増しています。そろそろ暖かい場所に入りたいと思っていた頃に、ちょうど時間となりました。

19時、「マゼランズ」に入店。

(フォートレス(要塞)の中央の黄金のドームの中がレストランになっています。)

「うわぁ~。」と思わず言いそうになる店内です。

現在、このエントランスフロアは待合スペースに使っているようで、食事の席は階下。しばし待っていると名前を呼ばれて、席へ案内されます。私たちの席は、ワインの貯蔵倉をイメージしたような別室でした。

メニューも紙ではなくQRコードを読み込みます。お腹も空きましたし、今年最後の日、大晦日ですので、「東京ディズニーシー20周年スペシャルコース」にしました。

(2021年12月26日から2022年3月30日までの限定メニュー。)

暖かい場所で食事ができるありがたさを感じる瞬間です。(それくらい寒かったです。)

キャストの方にセンターオブジアースのスタンバイパスの時刻を言って相談すると、コースを最大限楽しめることを前提にしてサーブのテンポを計ってくれるようで、さすが夢の国と夫婦で感心しました。

話は変わりますが、実は、今日、私は行列に並んでいる間や歩いている間に❝隠れミッキー❞を探していましたが、全然見つけられず、やっと出会ったのが、このパンでした。

(❝隠れミッキー❞ではないですが。(笑))

料理の方は本格的なコースです。

前菜から魚料理、肉料理、デザート、さすが園内最高のレストラン「マゼランズ」、とても美味しかったです。(車のためお酒が飲めないのが残念ですが。(笑))

席の横の装飾には何やら貯蔵瓶が並んでいます。ほこりをかぶっているように見えますが、触ってみると、何とほこりのように見せているものでした。

(これまた、夢の国、隙がないなぁと、夫婦で感心しきり。)

そんなこんなで食事を楽しんでいると、私のアプリに通知が、、、。

(センター・オブ・ジ・アースです。矢印は私が描き込みました。)

「えっ!?」と目を疑う表示、「一時運営中止」。と同時に、センターオブジアースのスタンバイパスがアプリ上から消えて、「マルチエクスペリエンス」パスなるものが表示されました。

施設点検か何か理由は分かりませんが、センターオブジアースは前回に続きまたもや乗れないようです。妻と「センターオブジアースには縁がないねぇ。」と顔を見合わせます。

キャストの方にその旨を伝えて、デザートをゆっくり楽しみました。お腹も満たされ、体も温まり、満足感いっぱいでマゼランズを出ました。

(人気のレストランで大晦日にディナー。2021年の年納めのいい思い出になりました。)

センターオブジアースはマゼランズに近いので、この後一応、見に行ってみました。すると、どうやら運行再開したようですが、キャストの方に聞いてみると、私たちは既に対象外でした。ただ、マルチエクスペリエンスパスを持っているなら、その方がお得という情報も教えてくれました。マルチエクスペリエンスパスは、次回以降、ソアリンやトイマニ、ランドの方の人気アトラクションでも、どれでも待ち行列なしですぐに乗れるワイルドカードだそうです。

センターオブジアース、前回も乗れず、今回も大どんでん返しの展開で乗れず、というオチがついた最後でした。(笑) この後、❝乗り納め❞に「海底2万マイル」(5分待ち)に乗って終了。

ちょうど閉園のアナウンスも流れ、キャストのみなさんから「よいお年を~」という笑顔をいただき、ミラコスタの部屋の窓で宿泊客が振るペンライトの灯りを見ながら、東京ディズニーシーを後にしました。

 

がら空きの首都高を、都心の夜景を見ながら、新しい車で快走。妻と「こんな大晦日もいいね。」と話していました。

(こんな夜景です。新年に偶然妻の知人から送られて来た写メ。大晦日も既に「賀正」のウインドウイルミネーションでした。)

2021年の大晦日、あと2時間で今年(2021年)も終わりです。


2021年末1泊旅行/「ホテルふたり木もれ陽」

2022年01月02日 | 旅行記

温泉の❝浸かり納め❞ということで、2021年末、伊東(網代)「ホテルふたり木もれ陽」を再訪してきました。

基本、ホテルに直行ですが、箱根を通って富士山を拝んで行くことに。立ち寄りスポットは、箱根随一の絶景ポイントと言われる「大観山展望台」(たいかんざん)です。

ターンパイク箱根にある「アネスト岩田スカイラウンジ」の駐車場に入ります。

陸橋を渡ると広場になっていて、ここが大観山展望台です。

標高1011m。寒いです。

(大晦日でもない中途半端な年末で観光客もちらほらくらいです。)

芦ノ湖と富士山のこの絶景。今まで見た富士山で最高です。

(お天気も最高。)

富士山に❝軽めの❞笠雲がかかっています。

(少しズームアップ。)

ずっと見ていられる絶景ですが、風が強く寒さが堪えるので、アネスト岩田スカイラウンジの建物に戻ります。ちょうど地元の野菜の素朴な直売所があったので、お正月用に購入。大きな袋2つにいっぱいの野菜を買って1000円というお得さ。(スーパーの1/3くらいの価格の感じ。)

 

大観山展望台を出発して、芦ノ湖に向かって下りて行きます。夫婦で「箱根神社」に幸先詣です。

(駐車場もそこそこ空いていました。)

この鳥居を背に芦ノ湖の方を見ると、何やら人が大勢います。芦ノ湖に張り出して「平和の鳥居」があり、午前中なら太陽の光を受けながら、映える写真が撮れるという人気スポットだそうです。

(鳥居の下でポーズして写メするのがお約束だとか。)

お参りの列ができていましたので、10分くらい並んだでしょうか。

(御鎮座1250年、関東総鎮守です。開運厄除、心願成就、勝運守護、交通(道中)安全、縁結びにご利益あり。)

一年の感謝+αのお願い事をして、無事、幸先詣となりました。

(御朱印は書き置きのみです。)

ちなみに、セットでお参りする人も多い「九頭龍神社」は縁結びの神様で、ここから歩いて行きます。(私たちは箱根神社だけのお参りです。)

 

ちょっと早いですが、軽めのランチも兼ねて、「箱根芦ノ湖成川美術館」へ。

(箱根神社から5分弱。寒さが更に増しているような気がします。)

成川美術館は、実業家の成川實さんが収集した昭和中期以降の現代日本画のコレクションをもとに1988年に開館。

建物は、新国技館を手がけた建築家の今里隆さんの設計とのことですが、成川美術館と言えば、ロビーからのこの絶景がもう一つの魅力です。

(これ自体が絵画のようです。)

事前にリサーチしていましたが、ここまでの絶景とは望外の喜びです。絵画鑑賞の前に、カフェで腹ごしらえです。(笑)

「ふたり木もれ陽」でオールインクルーシブのルームサービスを楽しむ予定ですので、ランチは軽めにホットサンドを。

(景色代もあるでしょうからもっと高いかと思いましたが、思いのほかリーゾナブルでした。)

カフェの窓は全面ガラス張りで、窓際の席がおススメです。成川美術館を訪れる人はそんなに多くないのか、この絶景を見ながらランチできる席にすんなり座れました。

(席に座ったまま撮った写メ。絶景! 1月2日・3日の箱根駅伝の景色も、この近くに設営される日テレの中継所からのものだそうです。)

芦ノ湖に浮かぶ帆船は元箱根港から出る遊覧船。右から張り出した陸地は箱根神社方面で、先端より手前に小さく見える赤い鳥居は、先程の平和の鳥居です。

ホットサンドを食べながら、遊覧船が発着する様子をボーッと眺めます。(笑)

(遊覧船、わりとお客さんが乗っていました。)

絶景ランチを終えて、今眼下に見えた庭に下りてみます。ここもまたゆったりと箱根の景色を楽しめます。彫刻なども配されていて、こんな写メも撮れます。(笑)

(作品と景色のコラボが楽しくて、作品自体の勉強は疎かになりますね。)

この庭に立つと、芦ノ湖と箱根神社の赤い鳥居の景観を見下ろす高台に建っている、成川美術館の立地を感じることができます。

(写真右の山は、駒ケ岳。標高1356m。ロープーウェーで登ることができます。)

この後、美術館の作品を鑑賞しました。現代日本画の中にはビッグネームもありました。写メは撮りませんでしたが、確か撮影OKだったと思います。絶景、ランチ、芸術作品、成川美術館はちょっと立ち寄るのにおススメだと思います。

 

さて、いい時刻となりました。箱根から伊東(網代)までは約1時間。ナビ任せですが、伊豆スカイラインを通ります。

(先払いの有料道路。「どちらまで?」と聞かれ、「伊東方面に行きたいのですが。」と答えると、「亀石峠で降りてくださいねぇ。」という感じ。)

土日のような混雑もなく、1時間弱でホテルに到着しました。「すみません、ちょっと早く着きました。」と言うと、ホテルの方が快く迎え入れてくれました。

(ウエルカムドリンクとスイーツ。スパークリングワインと柑橘のケーキ。)

チェックインを済ませて、今回の部屋へ。今回は、前回よりも1フロア上の部屋にしました。

(ドアを開けた瞬間のこの絶景。2度目でも感動します。)

前回はあいにくの曇天でしたが、今回は快晴! テラスからの景色、最高です。

(群青色の相模湾と青い空、白い雲。ずっと見ていられます。)

ズームすれば、初島のホテルも見えるくらいです。

軽めのランチでしたので、小腹がすきました。さっそくルームサービスを注文。

(マグロとオリーブの和え物、そうめん、生ハム。ポテチはお土産。カシスオレンジと生ビール。)

「はぁ~、最高~。」なんて言いながら、のんびりします。黒川温泉「月洸樹」とはまた違う泉質だけどお気に入りの温泉です。いつものように温泉三昧タイム。

(源泉かけ流しです。海に近いためか、口に入ると、ちょっと塩味がします。)

夕暮れもいい雰囲気です。

(国道135号(宇佐美・網代バイパス)を行き交う車はライト点灯。)

夕食の時刻となりましたので、レストランへ。本日のコースです。

■小前菜:菊芋とキャビア/ビーツとヨーグルト

■前菜1:シュー生地で揚げたカリフラワーと障泥烏賊(あおりいか)のクリュ ライムの泡

「クリュ」とは「生」という意味のようです。確かにアオリイカは生でした。

■前菜2:〆一の白子と帆立 魚貝のコンソメ・ヘーゼルナッツ

(テーブルでコンソメを注いで仕上げてくれます。)

「〆一」は確か船上で〆て最高の鮮度をキープしたものという意味だったかと。(やや記憶が曖昧ですが。)

■魚料理:伊東沖の寒鰆 シャントレルとヴァシュランモンドール

鰆は春の魚と思っていましたが、この時期も脂がのってとても美味しい旬だそうです。「シャントレル」はキノコ?「ヴァシュランモンドール」って?(チーズだったかな。)

■肉料理:ひらい牧場 伊豆牛 サーロイン

■デザート1:柚子・黒糖・ジャスミン茶

■デザート2:三島・石井農園の苺 ミレジメ2021

難しい用語もたくさんありますが、とにかく全皿美味しい! お酒はワインにしましたが、こちらもオールインクルーシブですので、いろいろな種類のワインを気の向くままにいただきます。

今回も大満足のディナーでした。

部屋に戻って、温泉に何度か浸かって、就寝。熟睡です。

 

翌朝、6時頃でしょうか、水平線が明るくなってきました。

(空には月、水平線には伊豆大島のシルエット。)

初日の出ではありませんが、見事な日の出を拝むことができそうです。

(合掌。)

水平線から少し上まで太陽が昇ると、海には光の道ができ始めます。

日の出を見ながら温泉に浸かる贅沢。

完全に太陽が昇りました。今日も快晴のようです。

(伊豆大島もはっきりと。)

昨日の箱根の寒さが嘘のような暖かさ。伊豆半島の温暖な気候を実感します。

(空調はオフ、窓は開放。ちょうどいい暖かさです。波の音、風の音を聞きながら、朝食前の温泉を楽しみます。)

8時、朝食です。朝食は部屋のインガーデンにセッティングしてくれます。

(朝食は和食と洋食。今回も1つずつにしました。)

朝食が終わる頃には暖かさを通り越して、日差しを受けるとちょっと暑さも感じます。

(ちょうど伊豆大島の上に太陽が来ました。)

朝食後も温泉三昧。暑さを感じるくらいですから、アイスクリームがとても美味しい。

(冬場のアイス、贅沢ですね。(笑))

ここの温泉の色が一番よく分かる時間帯ですので、温泉の浸かり納めの記念に1枚。

(いい温泉です。乾燥した肌もいい感じに回復しました。)

「ホテルふたり木もれ陽」での温泉の浸かり納め、大満足の年末1泊旅行でした。

(チェックアウト時刻が12時というのも嬉しい。)

チェックアウトして、そのまま帰宅。帰省ラッシュが始まっているようですが、高速道路の上りは空いていました。

 

2021年も残すところあと2日、まだまだ年内のイベントは続きます。

追記:「ホテルふたり木もれ陽」からの年賀状です。やはりこの景色ですね。

また行きたくなる宿です。


信貴山朝護孫子寺から「平群の里と歴史探訪の道」(の一部)散策

2021年12月12日 | 旅行記

週末の天気予報、穏やかな晴の予報でしたので、どこかに歩きに行こうと、奈良・大和路の散策本を購入して眺めていました。

(Amazonで翌日に届きました。)

随分と前になりますが、10年ほど前、大阪勤務の時にかなり奈良・大和路を歩いたので、33コースあれば新しい散策プランに出会えるかと思いましたが、結構歩いたことがあるエリアが多かったですね。

ということで、今回は、まだ行ったことがない、信貴山の「朝護孫子寺」と、そこから平群の方へ抜けて、「平群の里と歴史探訪の道」の一部を散策することにしました。

(ルート図。朝護孫子寺には王寺駅からバスで。)

何キロのコースか分かりませんが、約20000歩の散策でした。

 

さて、早朝に出発したいところですが、王寺駅から朝護孫子寺へのバスの始発が、王寺駅9時台ということで、8時半頃のJR大和路快速に乗ります。

9時過ぎに王寺駅に到着。

(右:近鉄電車、左:JR西日本の駅がピッタリお隣どおし。)

散策日和ですし、「寅のお寺」と呼ばれる朝護孫子寺ですので、来年の干支にちなんで、年内に初詣を済ませる「幸先詣」の人で混むかと思ったら、バス、ガラガラでした。(笑)

(王寺駅から10分くらいで到着。)

朝護孫子寺へは、「信貴大橋」で降車。バスを降りるとすぐに参道があります。

いきなり大きな白虎の像が目を引きます。

(「西方守護神白虎」。)

何か朝護孫子寺に関係があるのかと思ったら、「平城遷都1300年祭」(2010年開催)を機会に、四神伝説になぞらえ、信貴山が平城京の西方に当たるとされ、五行説の西方の色(白)である白虎の像が設置されたそうです。

ここは駐車場にして参道のスタート地点です。

(正確には、参道の本当のスタート地点が仁王門のある所だとすると、この写真の鳥居をくぐらず、写真右に進んで行って仁王門から歩き始めるのがいいかも。)

それでは歩き始めます、、、が、「お寺なのに鳥居?」とちょっと不思議にも思いますが、神仏習合の現れと丸呑みしておきます。(もっと深い理由があるのかもしれませんが。)

紅葉が所々でまだ鮮やかな色を保っています。

朝護孫子寺のシンボル的存在「大寅」が見えてきました。

(大寅のお尻が見えます。)

毘沙門天王の総本山、朝護孫子寺の由来です。・・・敏達天皇の時代(582年)、聖徳太子が物部守屋の討伐の際にこの山を訪れて戦勝祈願をすると、毘沙門天王が現れました。その後、見事勝利し、聖徳太子は、自ら毘沙門天王の像を彫り伽藍を建立、「信ずべき貴ぶべき山」として「信貴山」と名付けました。

その後、醍醐天皇の時代(910年)、天皇の病気回復を命蓮上人が毘沙門天王に祈願すると、たちまち全快されたことから、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願所として「朝護孫子寺」と呼ばれるようになりました。

(全体図。ネットより拝借。)

朝護孫子寺が「寅のお寺」というのは、毘沙門天が現れたのが「寅の年、寅の日、寅の刻」であったため、寅の日にお参りするとご利益を授かることができるということで、寅が信仰されるようになった、とのこと。

「世界一福寅」(大寅)です。

(大寅と本堂。朝護孫子寺のベストショットです。)

この巨大な張り子の寅、電動で首がゆっくりと動いています。

(よく見れば割とラフな作りです。(笑))

ちょうど記念写真を撮っている人がいました。大寅の大きさがよく分かります。

(頭が動く様を動画で撮っている人もいましたが、かなりスローな動きなので、動画としては映えないかも。(笑))

大寅のすぐ近くには2頭の「小寅」。

(金運アップの御利益ということか、千両箱を踏んでいます。)

みなさん(私も)、大寅と小寅の所で存分に写メを撮って(笑)、先に進みます。この山門は「赤門」。

(来年は寅年。たくさんの初詣の人が来るのでしょうねぇ。私は幸先詣のつもりですが、早すぎるかな。)

赤門をくぐると、ルートが2つに分かれています。

(右:千手院へ、左:成福院、玉蔵院へ。)

朝護孫子寺は、塔頭方式のお寺で、一つの本堂を多くのお寺(子院)が兼用する寺院形式。(千手院、玉蔵院、成福院もその後に開かれた子院です。)

まずは右の下り坂で、信貴山内最古の塔頭寺院「千手院」へ向かいます。

千手院は、平安期後期に護摩堂が命蓮上人によって開かれました。天正5年(1572)、松永久秀の兵火で信貴山の堂塔六十余宇が炎上した時、本尊の毘沙門天像を守ったのが千手院の快信上人です。その後、快信上人は本堂の焼け跡に仮堂を建てて本尊を安置するとともに、千手院を再建したと伝えられます。

ちなみに、千手院は代々の朝護孫子寺の住職の住坊で、その弟子が玉蔵院、成福院の各塔頭に派遣されていたことから、「信貴山雑記」において「千手院は信貴山の総本家なり」と記されているそうです。

ここを出ると、インパクト十分なこれ、「胎内くぐり」が❝口を開けて❞待っています。

寅(猫バスの猫にしか見えませんが(笑))の口から入って、お尻から出るのかと思ったら、出口も寅の口。後で調べて分かったことですが、ここは、父寅、母寅、子寅が一体となっているトンネルで、出入口が父・母寅、子寅は見逃しましたがトンネルの背中に乗っているようです。

胎内くぐりのトンネルはこの建物に沿ってあります。

(こののぼりと建物の間が寅のトンネル。)

胎内くぐりは、建物に大きく表示されているとおり、ここをくぐれば「三寅の福」を授かることができるというパワースポット。足元は四国八十八ヶ所のお砂踏み、途中には毘沙門天王の如意宝珠が祀られています。

胎内くぐりを出て、厄除観音堂、銭亀堂へ。

(ここも千手院です。)

こちらは「三宝荒神堂」。

(ここも千手院。)

三宝荒神堂の左隣には、金銀の寅が門柱に乗っているお社があります。

(「ご利益は金運アップでっせぇ。」と言っているみたい。)

これで千手院のお参りは終わりです。(お堂や祠がびっしりあるので、いろいろ見逃しているとは思いますが。)

いよいよ本堂へ。

長い階段を上って行きます。

(階段は、行き(参詣道)は左側、帰り(下向道)は右側と決められています。)

本堂は舞台形式になっていて、見晴らし抜群(なのですが、現在改修中で眺望が遮られていました)。まずは外からお参り。

(巨大な扁額。信貴山は毘沙門天王が日本で最初に出現した霊地にして、毘沙門天王信仰の総本山。毘沙門天王は七福神の中でも福徳随一。家内安全・商売繁盛・開運長久・心願成就などのご利益。)

外からお参りした後は、本堂の中に入って、御朱印帳を渡して、靴を脱いでご本尊の毘沙門天王を拝みます。御朱印をいただいたら、有料(200円)となりますが、「戒壇めぐり」へ。

戒壇めぐりは、約900年前、覚鑁上人(新義真言宗の開祖)が当山に籠って修行した時に毘沙門天王より授かった「如意宝珠」を本堂の地下にお祀りしていて、宝珠を納める錠前に触れると心願成就のご利益がある、というものです。(錠前よりも手前にある「干支守りご本尊には日頃の感謝だけを申し上げてください。」とのこと。)

ここから階段を下りて行きますが、そう、戒壇めぐりの廊下は真っ暗です。

干支守りご本尊の祠には灯りがともっているので分かったのですが、錠前を触り忘れてしまい、2周しました。(笑)(2周目には錠前をしっかりと握ってお願いができました。)

これで本堂へのお参りは終了。折しも、御祈祷が始まり、僧侶の読経の太い声や鳴り物の音が大きく響き渡り、ありがたい気持ちになりました。

本堂への階段からの景色。

(遠くに見える銀色の像は、玉蔵院の大地蔵尊です。)

本堂の横には「霊宝館」があります。

国宝信貴山縁起絵巻を展示していると掲示されているので、入館料(300円)を払って入ってみましたが、絵巻は複製で、原本は正倉院で保管されていて非公開だそうです。(霊宝館で展示されている複製の絵巻は、原本からの写しとのことで、複製でも格が高い、ということなのかも。)

入って良かったことは、絵巻をとても分かりやすく説明されているところです。信貴山縁起絵巻のストーリーを初めてきちんと学びました。(ここで「飛倉之巻」を見たことで、この後登った「空鉢護法堂」のことがよく分かりました。)

紅葉の美しさに釣られてこちらにお参り。「虚空蔵堂」。

(左の石碑は、山頂へと続く「空鉢護法参詣道」への道案内。)

このお堂が一番にぎわっていると思ったら、入試合格祈願のお堂でした。そういう季節ですね。ここからの景色もなかなかです。さっき本堂の階段から見えた玉蔵院の大地蔵尊が少し大きく見えます。

この後は、千手院の後に開かれた(復興した)玉蔵院、成福院に行ってみます。途中、寅カラーの郵便ポストがありました。

(なぜここにポスト? オブジェか現用か不明。まぁオブジェでしょうね。)

成福院の「融通尊」。

ここには、後嵯峨天皇が御念持佛としていた、諸々の願いを意のままに叶えていただける「如意宝珠(如意融通宝生尊)」が祀られています。

融通尊の「融通」に反応してしまいますが、その通りで、私たちが日頃「融通がつく」とか「融通がきいた」という語源はこの如意融通宝生尊だそうです。

(万事、融通がききますように。(笑))

ちなみに、毎年4月29日には「七福融通まつり」が開催されるそうですが、「七融通」とは、金運隆昌、勝運勝利、智慧学力、人徳愛嬌、良縁合縁、子宝安産、息災延命を融通してくださるご利益があるとか。万能ぶりがすごいです。

ここには更に欲を刺激するような方もおられます。降りかかる災いを福に転ずると伝えられている「災転招福大黒天」。

大黒様の祠前に置かれている「七福融通小槌」。

(撫でるだけでそう都合良く願いが叶うわけではなく、小槌を撫でながら大黒天のご真言を7回唱え、小槌を撫でた手を頭と胸に当てるという作法が必要です。)

成福院の建物の間の渡り廊下をくぐって玉蔵院へ。

玉蔵院にも融通堂がありますが、屋内に入って行く必要がありそうなので、屋外のこちらだけお参りさせていただきます。間近に見る大地蔵尊。

(シルバーというか、なんかすごいです。)

先程は、本堂や虚空蔵堂からこちらを望みましたが、今度は、こちらから本堂方向を。

(少しズームにしましたが、いい景色でした。)

玉蔵院の大地蔵尊への階段の途中に、寅の石像があります。

(「1億円」の石の札束をくわえています。これはさすがにどうかと思いますが、、、。(笑))

名刹にお参りして清々しい気持ちになりました、というよりは、「金運アップじゃぁ!」みたいな最後で俗っぽい気持ちになってしまいましたが、これで朝護孫子寺のこのエリアの散策は一区切りです。

この後は、ここから信貴山を登って、朝護孫子寺の「空鉢護法堂」をめざします。

ここにはいくつかの道のクロスポイントとなっているようです。近畿自然歩道が通っていて、平群の里と歴史探訪の道につながっていくようです。

(私のコースは、信貴山山頂(空鉢護法堂、信貴山城跡)を経て、「信貴山奥之院」に立ち寄って、「御櫛神社」、竜田川駅(ゴール)へ、という計画です。)

奥之院へ続く道を表す石碑かと思いますが、こんな碑も建っています。

さぁ、登ります。ちなみに、この道標が出ている通り、空鉢護法堂、信貴山城跡だけでなく、松永久秀の屋敷跡にも立ち寄ろうと思います。

(名器「平蜘蛛」とともに爆死した松永久秀がどんな所に屋敷を構えていたのか、実際に行ってみたくて。)

参詣道を登ります。お寺の鳥居もありと思いつつも、朱塗りの鳥居というのも更に不思議な感覚です。

(伏見稲荷大社の鳥居のように寄進で建てられています。)

歩きやすい道が続きますが、急坂も所々にあります。

山頂のお堂までは20分の道のりです。「ようおまいり」の字体のポップさとは不釣り合いなしんどさです。

山頂まではもう少し。

最後の急坂。

しんどいですが、名残の紅葉と眺めの良さがエネルギーになります。

ほぼほぼ到着です。

ここが空鉢護法堂の❝ゲート❞です。

空鉢護法堂は、信貴山縁起絵巻の「飛倉之巻」に描かれている、竜王の力を備えた空鉢に由来します。命蓮上人が貪欲な山崎長者の蔵を空鉢に乗せて飛び去らせ、驚き嘆く長者を諭して福徳を授けたという霊験譚です。

山頂に竜王の祠を建てて以来、多くの参詣者から、「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されています。空鉢は巳の姿で現れると伝えられていることから、白蛇の絵や置物がたくさん見られます。

(6万円と書かれていますので、売り物でした。)

空鉢護法堂。

そして、ここからの眺めはまさに絶景です。

山頂にはいくつもの祠があって、全て竜王をお祀りしているようでした。絶景を望むことができる拝殿前を少し離れた所から見ると、こんな感じです。

(右の朱塗りの手すりのある所が展望デッキのようになっています。)

大きなろうそくの火がぐるりと取り巻いていて、不思議な雰囲気を醸し出しています。

ここでは書き置きのみですが、御朱印もいただけます。

(右:本堂でいただいた御朱印、左:空鉢護法堂の書き置きの御朱印。御朱印帳に直接書いてもらいたい場合は、本堂でお願いすればいいそうです。)

空鉢護法堂とほぼ同じ場所にこの「信貴山城址」の碑があります。

そろそろ昼時なので、このあたりで持参したコンビニおにぎりで昼食にします。ベンチには先客の年配のご夫婦が手作り弁当を広げていたので、私はちょっと離れた、この見晴らしのいい場所で立ってランチです。

いい景色のためか、元々なのか、コンビニおにぎりもとても美味しいです。

ふと気付きましたが、シーチキンマヨのおにぎりは味付け海苔、日高昆布のおにぎりは焼き海苔と、同じおにぎりでも海苔を使い分けていることに妙に感心。(笑)

おにぎりでエネルギー充填も終わり、道標に従って、松永屋敷跡、奥之院方面へ進みます。

久々に誰もいない山道を歩いている気がします。やはりこういう散策は最高です。

名残の紅葉の一方、散った楓の葉が色とりどりで、地面の方は今が紅葉まっさかり。(笑)

案内杭が所々にあるので散策路として歩きやすいです。

「立入屋敷跡」という立て看板がありました。

(松永屋敷跡は近いようです。)

立入屋敷の立入とは、松永家の統治を支えていた家臣団の立入家とのこと。

散策路の景色は杉木立に変化しています。

道標に従って歩いてきたつもりなのですが、近いはずの松永屋敷跡になかなか着きません。京都の鞍馬の「木の根道」のような山道になってきました。

(スマホで誘導してもらおうと思ったら圏外。)

道を間違えたと判断、引き返していくと、途中でこの道標を発見。

10分ちょっとのロスで松永屋敷跡に到着。

屋敷の敷地は今や杉木立となっていますが、往時の姿を何となくイメージできます。

屋敷跡の説明の立て看板です。

(5段の土塁、曲輪の形成、厳重な門跡など、松永久秀の屋敷は大規模で戦略性に富んだものだったようです。)

「まぼろしの天空城 信貴山城」という立て看板もありました。先程山頂で見た「信貴山城址」の石碑の所には久秀の頃には小さいながら天守閣もあったそうで、この一帯を城として整備、大和の支配の拠点としていたそうです。そして、信長に攻められ最後には、久秀は平蜘蛛を粉々に砕き自爆したとのことですが、一帯からは茶器の破片と見られるものも発掘され、久秀と茶道の関係を物語るものとなっています。

やや鬱蒼としたほの暗い松永屋敷跡から出発、信貴山奥之院へのコースを歩きます。

(後方から、オリエンテーリングをしているのか、引率の大人と子どもたちの声が聞こえたので、ちょっとスピードアップ。)

今度は道を間違えることもなく、順調です。

(奥之院、形容の言葉がたくさん付いています。)

大きな道路を横切れば、奥之院はもうすぐです。

信貴山奥之院に到着です。

(もっと奥まった感じの所にひっそりとあるのかと思っていたので、ちょっと意外の感ありです。)

何となく人の家の門をくぐるような気持ちになって、つい「おじゃましま~す。」と小声で言ってしまいます。が、入ると一気に視界が開けます。

(本堂。ご本尊は毘沙門天立像で、「汗かき毘沙門天」と呼ばれています。聖徳太子による物部守屋討伐の際に毘沙門天が太子軍の先頭に立って汗まみれになって戦い、勝利したことに由来します。)

人の気配を感じないので、お参りをして、写真右に見える鳥居の奥に進んでみます。

(奥に向かってかなり広いようです。)

プレハブ小屋のような中に寅を発見。

「奥之院の大寅」と書かれています。「寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天王さまはこの地に出現されました。、、、尊天さまのご真言をお唱えしながら大寅のからだに触れて、お力をお授かりください。」との説明です。ここ奥之院の地が、日本で初めて毘沙門天王が現れた、まさに当地ということです。

更に奥に進むと、立入禁止の一画があります。ここが「焼米の霊地」のようです。

(どのあたりに焼米が出続けているのか、、、。中央の石塔あたりかな。)

聖徳太子の物部守屋征伐の時、毘沙門天から兵糧として米を賜ったが、ありがたくもったいないことから一部を焼米として後世に残すべしとしたところ、どれだけ焼米を拾っても尽きることがない、という、病退散、福寿増長のご利益のある「焼米の霊地」です。

最奥に石像がありますが、こちらも毘沙門天王像でしょうか。

(「四天王」という彫りは見えますが、それ以上の情報がなく、よく分かりません。)

こちらは「多聞天王」とありますので、毘沙門天王の像です。

本堂、焼米の霊地、お隣の不動堂、屋外の石像など、とにかく毘沙門天王がたくさんいらして、相当のパワースポットではないでしょうか。

さて、空鉢護法堂や奥之院へのお参りをもって信貴山朝護孫子寺の散策は終わりです。ここからは、今日の散策は趣きを変えて、「平群の里と歴史探訪の道」へ合流して、ゴールの近鉄竜田川駅まで、のんびり歩いて、いくつかのスポットに立ち寄ります。

山道から一転、見通しのきく道路をてくてくと歩きます。

(車はほとんど通りませんので、静かなものです。)

この道も散策路としてきちんと道標が整備されていますので、安心です。

(ゴールまで2.4km。)

信貴山から下りて来たということだと思いますが、緩い下り坂ですので、見晴らしはずっと良く、気持ちのいい散策が続きます。

(見える町は平群町でしょうか。)

信貴山から2.3kmほど歩いてきたということか。

最初の立ち寄り地、「御櫛(みくし)神社」へ行くため道を逸れます。

この案内杭から数分で到着。御櫛神社です。

(農作のための水の守り神とのことです。)

説明板によると、御櫛神社は、「延喜式神名帳」に記載されていた式内社ということなので、歴史はかなり古いようです。

(写真に小さく写っていますが、狛犬が土製というのも特徴的だそうです。)

奥之院から散策を再開してここまで、まだ誰とも会いません。この景色の中を歩いているのも私一人です。

(静寂と景色を独り占め。これぞ奈良散策の醍醐味です。)

ビニルハウスがそこかしこにありますが、覗いて見ると、どうやらブドウ畑のようです。

そう言えば、生駒山系を隔てて、大阪の河内ではワインの生産も盛んなので、このあたりもそっち系かと思いましたが、どうやら果物としてのブドウの生産が盛んなようです。(平群ブランドもあるようです。)

散策途中、地面に寅を発見。

(まだまだ信貴山の信仰エリアの範囲内ということでしょうね。)

美しく色づいた樹々に思わず立ち止まります。

(実際には周りの広い景色の中でコントラストを作っていますので、もっときれいでした。)

最後の立ち寄りスポットの「烏土塚古墳」の案内が出てきました。

畑の向こうには広大なビニルハウス。多分ブドウ畑でしょうね。

(河内の景色と似ています。)

ブドウのビニルハウスだけでなく、ハボタンの広い畑もありました。

茎をこれだけ伸ばして育てているということは、門松や正月飾り用のハボタンかな。

(ハボタンを見ると「あぁもう正月だなぁ。」と実感。)

烏土塚古墳の近くにまでやってきました。地図によると、釣り堀の近くにあるようです。

(「釣り堀 竜田川」。)

釣り堀って、こんなに広いものなのですね。

(このプールとは別にもう少し小さな釣り堀がお隣にありました。)

烏土塚古墳にほぼ到着です。

(この看板の後ろ、釣り堀では親子連れで来ていた女の子が大きな鮒を釣り上げる寸前でした。釣り堀のおじさんが「ゆっくりゆっくり!」と叫んでいました。)

釣り堀の真隣に古墳に上る階段がありました。

(サイクリングの方の自転車。)

上ってみると、小ぢんまりとした前方後円墳の形をイメージできるような❝地形❞。

(「円」の部分か。お墓の上に立っているようで何だか申し訳ない気になってきます。)

烏土塚古墳、初めて知った古墳ですが、その石室は飛鳥の「石舞台」に次ぐ大きさで、その筋では有名な古墳のようです。

石室への入口は南側にあるらしく、そこへ下りる階段があります。

(本当に民家に囲まれた中に古墳があります。というか古墳の周りに民家ができたのですが。)

階段を下りたいのですが、どうも地元のテレビ局が取材にきているようで、邪魔をしても悪いので10分強待っていたでしょうか。取材を受けていた専門家らしき人たちが戻って来たので、スタッフはいるかもしれませんが、下りて行ってみました。

(ここが石室への入口。中にまだスタッフがいるようです。)

入口にいた女子アナらしき人がスタッフに声をかけてくれて、中を見学することができました。

(広っ!高っ!)

「お仕事の邪魔をしてすみません、すぐに出ますので、ちょっとだけ見学させてください。」と言うと、リーダー格の人が「いやいやこちらこそ。ライトで照らしたるわぁ。」と。

スタッフさんと比べるとこの石室の高さがよく分かります。

この石室、通常は施錠されているので、内部を見学したい場合は、教育委員会に申し出て鍵を借りる必要があるそうです。(鍵は開いているし、ライトまで照らしてもらって、ラッキーでした。)

テレビ局のみなさんに御礼を言って烏土塚古墳をあとにしました。これであとは竜田川駅でゴールです。

(烏土塚古墳から5分くらいでしょうか。)

近鉄竜田川駅。

(無人駅。単線です。)

帰路のルートは2つ。生駒経由か、王寺駅まで戻ってJR大和路快速に乗るか。大和路快速の方が爆睡して帰れそうですので、今日出発した王寺駅へ。

(竜田川駅から3つ目が王寺駅。)

JR大和路快速は15分に1本ありますので、こちらのルートで正解だったようです。予定通り(笑)爆睡して大阪駅へ。

これにて、信貴山朝護孫子寺から「平群の里と歴史探訪の道」(の一部)散策は完全終了です。本日の歩数、約20000歩。毎度のことですが、左足の膝に痛みが出ます。今の自分の限界も知ることができた散策でした。

翌日この記事を書いていますが、左膝の痛みは嘘のようになくなりましたが、両脚の筋肉痛がたいへんです。(笑)

 

いよいよ年末年始。今年のいい歩き納めとなりました。

 


高野山散策

2021年11月07日 | 旅行記

新聞の地方面を読むのが好きです。旅の情報、特に、心惹かれるマイナー情報を見つけたりすると、旅のイメージがふつふつと湧きあがります。ですが、九州と違って、関西の地方面は決定的に旅情報・観光情報が少ないのが残念でなりません。

先週、テレビを観ていると、関西ローカルで「高野山の紅葉が見頃を迎えています。」とのこと。画面を通して赤に黄色に美しく色づく景色を見て、さっそく行ってみることに。

先週比叡山、今週高野山という巡り合わせも結構なモチベーションになります。(笑)

高野山散策に関しても企画切符がいくつか出ていますが、「高野山・世界遺産きっぷ」と「高野山1dayチケット」が便利。大阪メトロを使うなら「高野山1dayチケット」が少しお得。

(大阪メトロ、南海電鉄、南海りんかんバス(山内シャトルバス)、拝観割引などがセットになっています。)

紅葉見頃というテレビ情報で混雑することを見越して、朝6時半の南海電鉄急行に乗車。

(特急(有料)もありますが、さほど時間メリットがないので、急行で。早朝のためかガラガラでした。)

本線の分岐点「橋本駅」で高野線に乗り換えて、電車の終点「極楽橋駅」からケーブルカーで「高野山駅」をめざします。

(7時半ちょっと前に橋本駅到着。南海高野線は2両編成。こちらも空いていました。)

ここからは単線で途中駅で時々電車のすれ違いをします。停車中、駅の看板に地点の標高が書かれていることに気付きました。

(ちょうど中間点の「下古沢駅」。標高177m。)

高野山駅直通の特急には「こうや」と「てんくう」がありますが、高野線に乗っていると、まるで天空を走っているような景色で、特急の名前も納得です。

ケーブルカーへの乗り換えとなる「極楽橋駅」。駅名の由来となった「極楽橋」が駅到着直前に車窓から見えます(質素な朱塗りの橋でした)。到着すると、さっそく見所のひとつ、「はじまりの天井絵巻」の美しさに思わず立ち止まります。

(美しいです。ケーブルカーへの接続が良すぎてじっくり見ていられないのが残念。)

天井絵には極楽鳥や高野山ゆかりの動植物などが描かれていますが、弘法大師の教えを現在の言葉で端的に表わした「生かせいのち」に関連して「いのちのはじまり」をテーマとして描かれたそうです。

ケーブルカーへは改札なしで直結しています。

(通路の天井に続く垂れ幕には「はじまりの聖地、極楽橋。」と書かれています。極楽橋から始まる参詣道(不動坂)を歩いて登る人は少なくなりましたが、現代においては、ここからが高野参りの始まり、ということでしょうか。)

高野山ケーブルカー、想像していた以上に新しくて、ちょっとびっくり。(笑)

(帰りの車内で、地元のおばさまが「このケーブルカー、4代目やねんて。」と言ってました。)

極楽橋駅から高野山駅の間、全長0.8㎞、高低差328mを約5分で登ります。

(中間点あたりですれ違います。比叡山散策で知った「つるべ式」ですね。)

高野山駅に到着。駅の看板のデザインが高野線と同じですし、❝駅ナンバー(NK87)❞も続きですので、ここが高野線の本当の終点ということですね。

(標高は一気に867m。)

高野山駅はケーブルカーが開通した1930年に開業、2015年にリニューアル、開業当時の駅舎外観が復元されたそうです。

(なかなか雰囲気のある駅舎です。)

南海りんかんバスに接続していますが、これまた接続が良すぎて、駅舎をゆっくり鑑賞している時間はありません。(笑)

(ここから高野山中心部までの道路は、比叡山以上にクネクネ。乗り物酔いする人はヤバいかも。)

高野山散策のプランは大きく2つあると思います。正門に当たる「大門」から「奥之院」へのルートと、最初に「奥之院」まで行って「大門」へ戻るルート。後者の方が人気のルートで、私もまずは「奥之院」にお参りします。

(ネットより拝借。マップ右上が「奥之院」、左端が「大門」。)

バス停「一の橋口」で降車。「奥之院」へのお参りは、ここから奥之院参道を2kmほど散策しながらです。

(参道をショートカットする場合は終点「奥之院前」まで乗って、「中の橋案内所」という、駐車場や土産物屋などがある観光センター的場所から奥之院をめざします。)

ここが私が歩き始める、本来の奥之院参道の出発点。

(鉄板の記念撮影スポットです。(笑))

奥之院まで約30分、静寂の中の散策。心穏やか、清々しい気持ちになります。

比叡山と比べるのもどうかと思いますが、歩き始めて感じるのは、比叡山が修行の場であるのに対し、ここは霊廟ということです。企業・団体の慰霊碑もありますが、何と言っても歴史を感じるのは、戦国時代を生き抜いたビッグネームの墓所がたくさんあります。

武田信玄・勝頼父子の墓所。

ここからすぐ近くの所、枝道の方から何となく雰囲気を感じたので、参道から逸れて入ってみます。

(参道からは良く見えませんでしたが、少し上って来ると立派な祠が見えます。)

すると、ここが上杉謙信の廟であることが分かって、戦国のライバルが近くに眠っていることに縁を感じました。

(不思議な雰囲気に導かれるままに、偶然発見。)

時刻はまだ9時前。時々人とすれ違いますが、静寂が続きます。

(犬の散歩をしている人もいました。)

伊達政宗の墓所。

(ひと際大きい。)

石塔は「五輪塔」と言って、(下から)方形「地輪」、円形「水輪」、三角形(笠形、屋根形)「火輪」、半月形「風輪」、宝珠形(団形)「空輪」で構成され、仏教で宇宙の構成要素・元素と考えられている地水火風空の「五大」を表しているそうです。(途中で見かけたプチ団体ツアーのガイドさんが解説していました。)

石田三成の墓所。

(やや小ぶりな印象。)

近くには明智光秀の墓所。

(密集した中、周りの石塔と同じような大きさの石塔。)

中間地点あたりでしょうか。「汗かき地蔵」の祠があります。

(中の橋案内所から歩いてくると、この近くで合流するようです。)

「汗かき地蔵」とは、この祠に祀られている黒い石材のお地蔵さんが「いつも汗をかいている」(濡れている)から。「人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受け、そのため汗を流しておられる。」とのこと。(説明板より。)

そして、この祠の横にあるのが「姿見の井戸」。

この井戸を覗き込んで自分の姿が映らなければ「3年以内に死ぬ」とのことです。もちろん躊躇なく覗き込みましたが、無事映りました。(笑)

姿見の井戸に自分の姿が映って妙な自信を感じながら再び歩き出すと、歩きづらい坂に出会います。

(妙に歩きづらさを感じる石段。)

帰宅して❝復習❞する中で知ったことですが、ここは「覚鑁坂」(かくはんざか)という石段で、3つの言い伝えがあるそうです。①本来42段だったが、「四ニ」が「死に」となるので1段加えて43段になった、②上り切ることができれば、死を乗り越えたことになり、死後は極楽浄土へ行き生まれ変わることができる、③この坂の途中で転んでしまうと3年以内に死ぬ、別名「三年坂」。

この言い伝えを知らなかったので、「歩きづらいなぁ」と思いつつ(転ぶこともなく)上り切りました。連続の「3年以内に死ぬ」スポットをクリアできました。(笑)

「崇源夫人(江姫)五輪石塔(一番石塔)」はこちらという案内杭が出ていたので枝道を上ってみました。

(他とは明らかに違って、大がかりにお祀りされています。)

何が「一番」かと言うと、大きさだそうです。奥之院で最大の五輪塔が、この江姫の石塔。

(総高約5mだとか。)

参道に復帰して歩き始めると、次に登場するのは、豊臣家墓所。

石段を上ると、広々とした場所に出ます。

(写真フレーム外、左右にも石塔があります。)

山がちの当地にあって、この広さには特別なものを感じますが、石塔そのものは小ぢんまりとしていて、先入観に過ぎるかもしれませんが、豊臣家の盛衰と重なります。

ビッグネームの最後は、織田信長の墓所。

(傍らには信長に臣従した筒井順慶の墓所。)

信長は高野山も迫害しましたが、そのためかどうかは分かりませんが、墓所の場所は決して参道の❝一等地❞とは思えない狭い所にありました。

さて、参道の散策はここまで。この「御廟橋」から先は大師御廟への霊域となりますので、撮影禁止、脱帽等。

御廟橋から奥之院「燈籠堂」を望みます。

(この後、一礼して御廟橋を渡ってお参りへ。)

まず、「燈籠堂」でお参りします。千年近く燃え続けている「消えずの火」がどれかは分かりませんでしたが、読経が響く中、充実のお参りです。

燈籠堂を一旦出て、さらに奥に(裏側に)回ると、「弘法大師御廟」があります。外からとなりますが、線香やろうそく(有料)を立ててお参りすることができます。私も線香を立ててお参りさせていただきました。広くはないですが木の長椅子などが置かれていて、数珠を手に熱心にお経を唱えている方もたくさんいらっしゃいました。

合掌。

御廟橋を戻って霊域を出ました。御供所で御朱印をいただきます。

(右側が御供所、大黒堂。比叡山と同じく「縁日」なら大黒天の特別御朱印が授与されますが、本日は縁日にあらず。)

こちらが奥之院の御朱印です。

御廟橋のすぐ近く、玉川を背に立っている「水向地蔵」。

15体の地蔵菩薩、不動明王、観音菩薩が並んでいます。参拝者は柄杓で水をかけながら先祖の供養をするという所です。(私は合掌のみさせていただきました。)

これで奥之院の散策と参拝は終わりです。来た参道を途中まで戻り、汗かき地蔵のあたりで「中の橋案内所」に続く別の参道への合流をめざします。

(浅野内匠頭の墓所もありました。少しだけ周りを見てみましたが、吉良さんの墓所は見当たらず。)

中の橋案内所への参道に入るため、「英霊殿」に通じる広い道に出ました。

(紅葉が美しいです。)

ここから中の橋案内所(バス停「奥之院前」)への参道を歩きます。数分歩くと、参道入口(出口)に到着。

背中側には幹線道路、駐車場、土産物屋などがあって、一気に俗っぽい雰囲気となっています。(笑)

私は、ここからバスに乗って、次の見所のために中心地へと向かいます。バス停「千手院橋」が中心地からの散策の起点となります。

(時刻は10時過ぎ。この頃はまだ人出も少なく、車も流れていました。)

高野山の3大見所は、「奥之院」とともに高野山の「二大聖地」である「壇上伽藍」、そして「金剛峯寺」。この後は、金剛峯寺、壇上伽藍、「霊宝館」、「大門」、「女人堂」の順に巡ります。

(全部歩いて回ることもできる距離感ですが、私はバス乗り放題ですので、タイミングが合えばバスに乗ります。)

まずは、千手院橋から歩いて金剛峯寺へ。

途中紅葉がきれいだった「蓮花院」を道路向かいから写メ。

(宿坊にして、徳川家総菩提所。)

金剛峯寺の入口です。

中心地ではここが一番紅葉が美しかったと思います。

(よって、人が途切れることはなく、人が写り込まない写真を撮るのは難しい。)

山門をくぐり境内から振り返ると、額縁に入ったような紅葉もまた風情あり、です。

(やはり人は写り込みます。(笑))

主殿。東西54m、南北63mの大建築で写メのフレームに収まり切りません。

境内全体を撮ってみますが、やはり収まり切らないですね。

(左側に鐘楼が写っています。)

金剛峯寺の名称はかつては高野山一山の総称でした。この寺は文禄2年(1593)に豊臣秀吉が亡母のために建立、文久3年(1863)に再建されたのが今の建物です。明治2年(1869)に金剛峯寺と改称されるまでは「青巌寺」と呼ばれていました。(パンフより。)

入館料1000円(1dayチケットだと割引で800円)。見所は、まずは襖絵で、「大広間」の狩野探幽の「松に群鶴」、豊臣秀次が自刃したという「柳の間」の狩野探斎の「雪柳白鷲」。(撮影禁止。)

そして、石庭では国内最大の「蟠龍庭」(ばんりゅうてい)。

(2340㎡、、、と言われてもピンときませんが、石庭の中に建物(奥殿)が浮いているという感じの広さです。)

庭の名の由来は、雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っているように表現されていることから。

龍を表す花崗岩は四国産の青みを帯びたもので140個。雲海を表す白砂は京都産だそうです。

順路に沿って進んで行くと、「茶の間」と「囲炉裏の間」に至りますが、ここには現代の画家千住博さんによる、弘法大師の高野山開創1200年を記念して奉納された襖絵「断崖図」と「瀧図」があります。

(「茶の間」の「断崖図」は全長16m。これまた写メに収まり切りません。撮影OKです。)

こちらは茶の間のすぐお隣の「囲炉裏の間」の「瀧図」。

(三方を囲っています。全長25m。音が聞こえてくるような見事な滝です。)

狩野派の襖絵も素晴らしいですが、制作過程をNHKスペシャルで観た「瀧図」を間近に鑑賞することができて良かったです。

順路もそろそろ終わりの所に、こんな解説のワンぺが貼ってありました。

(弘法大師の甥にあたり、高野山第2世として高野山の発展に尽くした真然大徳の「真然廟」あたりで発見。「青巖寺」時代に由来するのですね。)

最後に至るのが「庫裡」(くり)、台所です。行事の際には実際に使われるようで、生きている雰囲気がします。

(奥の障子の間が「茶の間」、柱を挟んで、その左が「囲炉裏の間」。)

板の間はピカピカ、埃ひとつ落ちていないところに厳しい日常を感じました。これで見学は終わりですが、見応え十分でした。

最後に御朱印をいただきました。

帰りは別の山門から出て、正面を通ると、ちょっと人の流れが切れていたので、見事な紅葉の景色をもう一度写メ。

次は、「壇上伽藍」へ向かいます。金剛峯寺から「壇上伽藍」の「東塔」へ続く小径「蛇腹道」(じゃばらみち)を歩きます。

小径の名前の由来は、弘法大師が、壇上伽藍を頭として蓮花院までを龍が臥している形に例えられ、ちょうどこの小径がお腹のあたりになることから。

(名前の由来よりも中心地の随一の紅葉の名所として知られています。)

見事な紅葉が東塔の前まで続きます。

(落ちたモミジを一眼レフで撮るカメラマン。どんな景色が撮れたのか、見てみたいです。)

ここ「壇上伽藍」は、弘法大師が真言密教の根本道場を開くにあたり最初に整備に着手した場所。境内には根本大塔、金堂をはじめ、19の建造物が建ち並びます。

蛇腹道は100mちょっとというところでしょうか、抜けるとそこには東塔があります。

(大治2年(1127)建立、天保14年(1843)焼失の後しばらく再建されず、140年経った昭和59年(1984)再建。)

東塔を背に向かい右手方向には国宝「不動堂」。

(建久8年(1197)建立、14世紀前半に再建。不動堂という名前ですが、元は阿弥陀堂だったとか。内部に安置されていた運慶作の「八大童子像」は「霊宝館」に収蔵されています。)

「根本大塔」や「金堂」が建つ境内はここから石段で数段上にあります。その石段を上った所から東塔の方向を望みます。東塔の隣が「大会堂」(だいえどう)、さらに手前が「愛染堂」(あいぜんどう)。

(大会堂は嘉永元年(1848)再建。愛染堂は建武元年(1334)建立、嘉永元年(1848)再建。)

「御影堂」(みえどう)。

元は弘法大師の持仏堂として建立。後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を収めたことから御影堂と名付けられました。高野山で最重要の聖域で、限られた人しか立ち入ることができなかったところ、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜「御逮夜法会」の後に外陣への一般参拝が許されるようになったそうです。

「根本大塔」。弘法大師、真然大徳の二代を費やして816~887年頃に完成したと伝えられています。

(塔内撮影禁止。)

弘法大師は、この大塔を「法界体性塔」とも呼び、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立したことから、根本大塔と呼ばれるようになりました。多宝塔様式としては日本最初のものと言われ、ご本尊は大日如来、周りには金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅として構成されています。塔内に入ると、まさにこの通りの曼陀羅の世界に没入できます。不思議なのは、難しい教義は知らなくても、その世界観(宇宙観)に触れたような感覚になることです。

「金堂」。

(根本大塔と並ぶ、壇上伽藍の中心的なお堂です。)

弘法大師の手により最初期に建築されたお堂で、以来、高野山の総本堂としての重要な役割を果たしてきました。現在の建物は7度目の再建で昭和7年(1932)に完成。

根本大塔と金堂の御朱印をいただきました。

(大日如来と薬師如来だったと思います。)

境内にある、訪れたかった「三鈷の松」。

(みなさん、三股に分かれている松の葉を探しています。)

弘法大師が、真言密教を広めるにふさわしい場所を求めるため、唐から日本に向けて投げた法具「三鈷杵」が引かかった松が光を放ち、この地こそ密教を広めるにふさわしい土地であると決心した、というエピソードを持つ松。この松は三鈷杵と同じく三葉の松で、「三鈷の松」として祀られるようになった、、、とのことです。

(というエピソードがこの説明板に書かれています。)

私も落ちている松葉で三股のものを探してみました。

ちょっと分かりづらいですが、落ちている松葉のほとんどが三股でした。(笑) 縁起物としてみなさんお守りとして持ち帰るそうですが、私は何となく高野山のものを山外に持ち出すことに抵抗感があり、見つけた事実だけを頂戴することにしました。

ちなみに、境内の他の松「登天の松」(とうてんのまつ)の所で落ち葉を見てみましたが、二股のものしかなく、三股の不思議は十分感じました。

この鐘楼の右奥に「西塔」があります。

(鐘楼の左側は「山王院」。拝殿の位置付けの建物だそうです。)

「西塔」。

高野山第2世真然大徳が建立。弘法大師が描いていた計画、大塔(根本大塔)と西塔を大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔」として二基一対として建立する、その実行が遅れ、大師入定後の仁和2年(886)に完成に至ったもの。

西塔の付近から根本大塔を望む景色も風情があります。

(弘法大師の描いた計画に思いをはせて、、、などという高尚なことは頭に浮かばず、「いい景色だなぁ。」という感動だけです。)

続いて、体験型の塔、「六角経蔵」。

(紅葉越しの景色が美しかったので、まずはやや遠景で。)

六角経蔵は、紺紙金泥一切経を納めるための経蔵。平安時代末期建立、昭和9年(1934)再建。

(どなたかが回しているのを写メ。(笑) 紺紙金泥一切経は現在「霊宝館」に収蔵。)

経蔵の基壇(土台)に把手がついていて回すことができます。押して一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳を得ることができると言われています。

金堂を正面から見た景色です。

(右手奥に根本大塔も見えます。立っている場所は「中門」(ちゅうもん)の石段を少し下りた所。)

その「中門」です。

(壇上伽藍は天保14年(1843)の大火で西塔のみを残して全て焼失。先代の中門もその時に失われましたが、高野山開創1200年を記念して170年ぶりに再建。)

高野山の総門である「大門」に対して、壇上伽藍のこの門を「中門」と呼びます。創建は高野山開創にさかのぼり、当初は結界の意味が強い鳥居状のものでしたが、焼失と再建を繰り返し、今のような五間二階の楼門の形になりました。

持国天像・多聞天像・広目天像・増長天像の四天王が中門表裏の両脇に祀られています。

(持国天像と多聞天像は先代の中門に安置されていた像だそうです。)

壇上伽藍での最後のショットは、先程金堂に上がってお参りした時、金堂から撮った中門です。

壇上伽藍、さすが奥之院とともに高野山二大聖地と言われるだけあって、その威容は重厚で見応え十分でした。

さて、壇上伽藍を出て、国宝、重文をはじめ高野山の貴重な文化財を収蔵している「霊宝館」に向かいます。

(霊宝館はすぐそこ。道路脇の紅葉が美しいです。そして、交通量が増えて渋滞も発生しています。)

「霊宝館」。高野山の貴重な文化遺産を保存・展示する施設として大正10年(1921)に開設。

(この本館は平成10年(1998)に登録有形文化財指定。)

現在、霊宝館開館100周年記念大宝蔵展「高野山の名宝」開催中。

(入館料1300円。1dayチケットだと割引で1100円。館内撮影禁止。)

収蔵する国宝、重要文化財の中から選りすぐりを展示。弘法大師ゆかりの「高野山三大秘宝」の国宝「聾瞽指帰」、国宝「諸尊仏龕」、重要文化財「金銅三鈷杵(飛行三鈷杵)」をはじめ、運慶作国宝「八大童子立像」、快慶作重要文化財「孔雀明王像」などはこの期間限定の公開だそうです。私は運慶作の八大童子立像の美しさに特に感動しました。「なんでも鑑定団」で鑑定士が「本物を見よ」と言っているのが分かる気がする、鳥肌物の凄さです。

霊宝館では本館「紫雲殿」の御朱印をいただけます。

霊宝館の敷地内も紅葉がきれいで、ベンチに座ってくつろいでいる方もいました。私もしばしベンチで紅葉を眺めてから、次の「大門」へと向かいます。

霊宝館を出るとちょうどバスが来ていましたので、歩ける距離ですが飛び乗って移動。既に道路は渋滞ですが、動かないほどではなく、歩くよりは早く目的のバス停に到着。

これが高野山の総門「大門」です。

(高野山開創当時はここより少し下った「九十九折谷」(つづらおりだに)に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。大門は元禄元年(1688)に炎上し、現在の大門は宝永2年(1705)に再建されたもの。高さ25.1m。)

扁額をズームします。

左右には金剛力士像(仁王像)が安置されています。

(この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ巨像で、江戸時代中期の大仏師運長と康意の作だそうです。)

正面の柱に「日々影向文」(にちにちようごうぶん)の一節が掲げられています。

(こちらの柱には「不闕日日之影向」。左のもうひとつの柱には「検知處處之遺跡」の言葉。)

読み方は「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」で、意味は「お大師様は毎日御廟から姿を現され、所々を巡っては私たちをお救いくださっている」。同行二人信仰を表すものとのことです。

紅葉の時期、大門の裏側からの景色が素晴らしいです。

(少し坂を下ったあたりから見上げる景色がいいですね。)

さて、これで中心地の散策は終わりです。あとは高野山駅へ向かう途中の「女人堂」に立ち寄るだけですが、そろそろお昼時。霊宝館から大門へのバスから通り沿いの食事処をチェックしていましたが、行列ができていましたので、お昼ご飯は飛ばして、「女人堂」へ向かいます。

ちょうど、高野山駅行きのバスが来ましたので乗りました。10分くらいでしょうか、中心地から登って行く感じで「女人堂」に到着です。

ここは極楽橋から続く参詣道「不動坂」の途中だと思います。

(「女人道巡り」として道が整備されています。難易度は分かりません。)

高野山は明治5年(1872)に女人禁制が解かれるまで、女性の入山を規制してきました。かつての徒歩による高野山への参詣道は「高野七口」と呼ばれる7つのルートがあり、入山できない女性のために各入口に参籠所として女人堂が建てられたそうです。「高野山女人道」は各女人堂を結ぶ山道で、女性の参拝者は険しい山道を巡ったそうです。

ここは現存する唯一の女人堂「不動坂口女人堂」です。

そして、お堂のすぐ横には、この高野山の❝入口❞があります。

(高野七口のひとつ、不動坂口。女人禁制時代、ここから先に入ることはできなかったということですね。)

女人堂でお参りし、御朱印をいただきました。

(左側が女人堂の御朱印。大日如来です。右は先程の霊宝館の御朱印。)

女人堂のあたりはコウヤマキの純林(一種類だけが群生している森林)だそうで、この規模のコウヤマキの純林は世界でもここだけだそうです。

(後ろの木がコウヤマキかと思ったら、「高野杉」とプレートが付いていました。(笑))

さて、これで今回の高野山散策は一応終わりなのですが、大門から女人堂へのバスの車窓で、見事な紅葉を見せているスポットがあり、後悔しないように行ってみる(引き返す)ことに。

女人堂から坂を下って徒歩10分弱で到着。「波切不動」という宿坊を兼ねているお寺です。

周辺が見事に紅葉しています。

(今日見た中で一番赤かった。)

バスの車窓から見た紅葉はここの景色です。

高野山駅へのバスの時刻をチェックすると15分後くらいで、このあたりをぶらぶらするにはちょうどいい時間。街中でも所々で見かけた「高野まき」と看板を上げいているお店。

奥之院でお供えされている植物がコウヤマキだったようです。参拝の必需品として販売されているのですね。

(これがコウヤマキ。)

近くには「徳川家霊台」という、家康と秀忠を祀った霊廟がありますが、さほど惹かれなかったことと、バスの時間の関係でスルー。

高野山駅行きのバスを待っている時に眺めていた景色。

(紅葉、杉の巨樹、バス。)

ほどなく来たバスに乗って、女人堂を通過して高野山駅に数分で到着。帰りも駅員さんがケーブルカーへの接続を案内してくれていますが、まだ30分近くあったので、小さな売店で食べ物を物色。お昼ご飯代わりになるようなものはなかったのですが、魅力的なご当地甘味を買いました。

(2種類あって、違いは粒あんかこしあんか。(笑) こしあんにしました。)

駅員さん曰く、「下山のお客さんで混みますので、お早めに乗車ください。」とのこと。

(やはりこの傾斜、慣れません。妙に足に力が入ります。)

行きは気付きませんでしたが、車両の天井には、極楽橋駅の「はじまりの天井絵」と対を成す「宝来天井絵」が描かれています。

日照時間の短い高野山では稲作ができず、しめ縄の代わりに「宝来」という切り絵を飾る風習があるそうで、この宝来をモチーフに、極楽鳥や干支など様々な縁起物をかたどった天井絵を描いているそうです。(今通って来た高野山駅の天井にも同じように「宝来天井絵」が描かれていたようですが、気付かず写メなし。)

ケーブルカー、座ることができましたので、「焼きまんじゅう」をさっそく食べました。ボリューム満点のあんこでお腹いっぱい。極楽橋駅でも接続良く高野線に乗って、順調に橋本駅に到着。ちょうど特急「こうや」が出発するところでした。

(「こうや」は昔ながらの特急という感じ。先程高野線ですれ違った「てんくう」はいかにも新型車両でした。)

橋本駅でなんば行きの急行に余裕で座ることができました。歩数をチェックすると、先週の比叡山散策とほぼ同じ、約16000歩。電車で爆睡に落ちましたが、先週と違ってあまり疲れがありません。散策の時のアップダウンがさほどなかったためと思います。

今回の散策でいただいた御朱印は6つ。

今シーズンの紅葉はこれで見納めかもしれませんが、比叡山と高野山での2週連続の散策(両日とも絶好の散策日和!)、思い出に残る2021年秋の散策となりました。