mo-diary

酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

青森県4泊周遊旅行②〔2日目観光(下北半島)編〕

2024年08月31日 | 旅行記

2日目の今日は下北半島を巡ります。下北半島と言えば、恐山、大間(マグロ)、仏ヶ浦ですが、更に加えて、本州最北東端の岬「尻屋崎(尻屋埼灯台)」を訪れます。

(2日目の予定。ご覧の通り、下北半島はその形から❝鉞(まさかり)❞に例えられます。そもそも遠い上に、❝鉞❞の頭の部分も広大なので最も旅程を立てづらいエリアです。)

(参考)鉞(まさかり)

(ネットより拝借。下北半島の形そのもの。(笑))

ドーミーイン青森の温泉大浴場は朝5時からやっていますので、まずは起き抜けの温泉から。

(昨晩浸かりましたが、ツルツル・ヌルヌルの私の好みの泉質。)

ご当地らしい演出も旅を盛り上げてくれます。

(この絵を描いた絵師の名前が紹介されていましたが、控えるのを失念しました。)

男湯の暖簾をくぐると、金魚たちがお出迎え。

(「金魚ねぶた」。県内各地の祭りで使われるようです。)

旅の間に知ったことですが、「金魚ねぶた」は津軽の祭りに欠かすことのできない夏の風物詩だそうで、その由来は、江戸時代、金魚は一部の上流階級の間でしか飼うことができない高級魚だったので、庶民は金魚をねぶたにして祭りの時に子どもたちが提灯のように持って歩いた、とのこと。その後、「金魚」の名の通り金運をもたらす幸福の縁起物として工芸品になったようです。

湯上りに無料サービスのヤクルトを飲んで一休み。

(失礼して部屋に1本持ち帰りさせていただきました。(笑))

湯上り処からの景色。

(青森港。「アスパム」が目立ちますね。)

右手、下北半島の方向を見ると、遠くに幻想的な景色が広がっていました。

(ここからだと、下北半島ではなく、その手前の、浅虫温泉のある半島的な陸地が見えているのかもしれません。)

早朝6時半、立体駐車場から車を出庫してもらって出発です。

(朝6時半から駐車場の係の人が常駐。それより早い時刻ならホテルのフロントの人が対応してくれます。)

出発して30分くらいでしょうか、下北半島に入って行く前に、「藩境塚」という史跡に立ち寄ります。

(かなりマイナースポットで一度通り過ぎてしまいました。)

藩境塚はその名の通り、津軽藩と南部藩の境界に設けられた関所のような所。

(ネットより拝借。ちなみに、当時、津軽藩の中心地は弘前、南部藩は八戸。青森(市)は元々は善知鳥(うとう)村という漁村でした。)

当時は、藩をまたぐ移動が厳しく取り締まられていた時代。津軽藩と南部藩の❝出入口❞はここ野辺地の藩境塚一箇所だったということからも往時のたいへんさを偲ぶことができます。

(藩境塚にある番所「馬門御番所」。実は、この御番所、公衆トイレです。(笑) 実際に馬門御番所があったのはここから1km程離れた所で、この建物は御番所風に復元されたトイレ。また、大きな看板に書かれている通り、野辺地は北前船の寄港地で栄えていたということです。)

建物の横に当時の「高札」を復元したものもありました。

(薄れて読み取りづらいですが、武具類、紅花、蝋漆油、綿麻、銀鉛硫黄、男女・牛馬、という文字がかろうじて分かります。ネットで調べてみると、この覚書には「手形が無い者は武具や火薬、人、染料などの持ち出しを堅く禁じる」という趣旨のことが書かれているそうです。)

藩境塚を出発して約2時間、陸奥湾に沿って北へ北へ走り、❝鉞❞の頭の上に突き抜けて、大間町に入りました。

(本日の昼食は大間のマグロの予定。)

一旦大間町は通過して、まずは仏ヶ浦観光に向かいます。

(仏ヶ浦のサイトより。「船で行ける極楽浄土」。昔々から訪れてみたいと頭の片隅にあった仏ヶ浦ですが、とにかくアクセスしづらいスポットで半ば諦めていました。)

仏ヶ浦は❝鉞❞の刃の真ん中あたり。陸路でも行くことはできますが、駐車場から急坂を40分は歩くというほぼ登山らしく、様々な観光サイトでは遊覧船によるアクセスを推奨しています。ということで、私たちも「仏ヶ浦遊覧船」に乗ることに。発着は大間町を通過した佐井村の佐井漁港です。「佐井村立 津軽海峡文化館アルサス」の駐車場に車を停めます。

(漁港に面しています。)

仏ヶ浦遊覧船は、運航期間4月~10月、1日2便(10:30と13:00)で、仏ヶ浦まで片道30分、上陸して散策30分、佐井港への帰路30分という1時間半の仏ヶ浦ツアーです。今日の観光プランをあれこれ考えて、私たちは10:30の便を予約。これに間に合うために今朝は6時半にドーミーイン青森を出発しました。

(「予約者専用キップ売場」とありますが、予約しなくても余裕で乗船できると思います。(笑))

遊覧船運航会社が毎朝当日の運航状況をサイトにアップしてくれていますが、本日は無事通常運航です。

(サイトは結構しっかりした作りですが、現場はアナログ感満載です。(笑))

遊覧船料金は1人3000円。そこそこの値段ですが、最初で最後でしょうから全然OKです。

(キップ、1人に1枚出すのではなく、「×2」とか「大2」と手書き。(笑) パンフレットは人数分いただけます。)

かなり余裕をもってホテルを出発したつもりですが、藩境塚に立ち寄ったりしていたので、30分前到着というところ。下北半島の広大さを実感しました。乗船開始まで20分程ありますので、「アルサス」の2階「展望室」に行ってみました。

(普通の2階でした。テラスなどはなく、外に出ることはできません。)

ちょっとだけ景色が良かった。

(桟橋に縦列で停泊しているのが、ニューしもきた1号・2号。)

1階にはお土産物売り場もあって、大間のマグロコーナーが一番大きかったです。

(仏ヶ浦観光の後、ご当地大間の港の寿司屋で「大間まぐろ」を堪能しますので、ここではチラ見のみ。)

各地の産業・文化に触れるのも旅の醍醐味ですが、「仏ヶ浦裂き織り」とは何でしょう。

(「仏ヶ浦裂き織り」、「南部裂織」とありますので、ご当地の織物だと思います。)

ネットで調べてみると、「裂き織り」とは、古い布を裂いて横糸に使う織物で、綿が貴重だった江戸時代、南部藩の各地で受け継がれてきた、古い布を再利用する庶民の織物のようです。

さて、乗船時刻となりました。ニューしもきた1号に向かいます。

(あまり「ニュー」という感じではありませんが。(笑))

事前リサーチによると、遊覧船は行きは左側の席がおススメとのこと。海岸線の景色がずっと左側に展開するから。その通り左側の席に座ることができましたが、前方数列は立入禁止でした。

(内装もかなり年季が入っています。安全性に問題はないと信じたいと思いますが、なぜ立入禁止なのか、、、。)

出航して20分を過ぎる頃から奇岩の海岸線が現れます。

(船は更に進んで、間もなく仏ヶ浦の桟橋に到着します。)

素人でも分かる接岸の操船の上手さ。北の海の船頭さんの技術の高さでしょうか。

(それでは散策に行って来ます。)

コンクリートで広々と整備された桟橋だったのがちょっと意外。

(桟橋の足元に見える海は透明度抜群で、小魚がわんさかいます。)

散策路も途中まではこんな感じで整備されています。

(歩きやすくて助かります。自販機などはありませんが、トイレはあります。)

造られた散策路も途切れて、いよいよ本格的に仏ヶ浦を歩きます。

(中央に見える祠へ続く階段から断崖の上に向かって道があるようで、おそらくそれを登り続けると陸路の駐車場に出るのだと思います。ここから見ただけでもまさに断崖の急坂。)

歩き始めると、極楽浄土かどうかは別として、非日常の景色の中に没入しますので、巨岩のサイズ感も相俟って不思議な感覚を覚えるのは確かです。ちなみに、パンフレットによると、巨岩には全て名前が付いています。

(右の巨岩は「屏風岩」。)

(「天龍岩」。手前を人が2人歩いていますが、岩の麓に行くと、天龍岩のとんでもないサイズ感が実感できます。)

(天龍岩の背面と、手前は「香爐岩」、右に見切れているのは「双鶏門」。)

巨岩の間を縫うように歩くことができ、結構奥まで進むことができますが、上陸時間は30分ですので、適当な所で引き返す必要があります。私たちも足元が悪くなった所で折り返して桟橋に戻って来ました。

(海面に美しく逆さに映る「岩龍岩」。実際に見ると、もっとスケールが大きく美しいです。)

足元の海中を見ると、アオリイカの子どもたちが群れていました。

(捕食されないように黒く保護色になっているのでしょうか。)

30分はあっという間でした。一度は訪れてみたかった仏ヶ浦、素晴らしかったです。

(名残の1枚。(笑))

帰路は船内ではなく、後部の船外席に座りました。出航すると、散策ではたどり着けなかった❝奥地❞の巨岩方向の景色を望むことができました。

(大きな双子のような巨岩が緑を挟んでそびえていますが、左が「帆掛岩」、右が「蓬莱山」だと思います。その前に広がる砂浜が「極楽浜」ですが、ここからだと良く分からないですね。)

仏ヶ浦を出て15分以上経っていると思いますが、往路に船内放送で説明のあった「願掛岩」、復路で写メを撮ることができました。

(角度的に分かりづらいですが、2つの巨岩から成っています。左が「女岩」、右が「男岩」。荒海に出ていく漁師はこの願掛岩に漁の安全を祈ったそうです。)

佐井港に戻って来ました。時刻はちょうど12時。ここから大間港までは20分というところ。事前リサーチしておいた大間の寿司屋へ向かいます。

(目の前が大間港という「浜寿司」が本日の昼食場所です。)

「浜寿司」は地元でも人気のようで、昼食時ですので混んでいないかと心配したのですが、、、。

(店頭に置かれている順番待ちの帳面は全て消し込み済み。ちょうど別のご夫婦が出て来られて満面の笑顔で「美味しかったですよぉ~。」と教えてくれました。これは期待できます。)

で、お店の方は空いていました。(笑)

(お店の人のやり取りを聞いていると、お昼のピークは終わったようです。)

お値段はもちろん安くはないですが、大間のマグロを大間で食べる、一生に一度の経験ですので、ここは好きなものをいただきます。

(メニューの表・裏。東京で食べることを思えば、激安だと思います。)

私は「特上丼」。

(大トロ、中トロ、赤身が盛り合わされています。隙間なく大間マグロ。)

妻は「本鮪握り盛り合わせ」。

(大トロ、中トロ、赤身の握りと鉄火巻き。)

地元の寿司屋で食べているというシチュエーションもありますが、言葉で表せない美味しさです。これまでの旅で食べた食事の中で、「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」の「鮨 双忘」とともに、思い出に残るトップ5に入るのではないでしょうか。夫婦ともに大満足の大間のマグロ食べ尽くしの昼食でした。

昼食後は大間崎の観光です。「大間崎」、「大間埼灯台」、「ここ本州最北端の地碑」などを見学します。

(この1枚に、シンボル4点が映っています。写真左奥に小さく「大間埼灯台」、手前に「大間崎」の標、「まぐろ一本釣の町」のオブジェ、右奥に「こゝ本州最北端の地」の石碑。無理やり入れてみました。(笑))

大間崎の少し沖にある弁天島に建つ「大間埼灯台」。

(向こうに薄っすら見えるのは北海道の大地、函館あたりか。何とも言えない雰囲気のある灯台ですが、危険と隣り合わせの荒れる津軽海峡を航行する船の安全を守っています。)

「こゝ本州最北端の地」の石碑。

(本州最北端に立ちました!)

この石碑近くの地面に、各地の「最〇端」を紹介する日本列島が描かれています。

(鹿児島の大隅半島には何度か行っていますが、訪れた南限としては「雄川の滝」まで。ということで「本土最南端 佐多岬」は未踏ですが、この地図に書かれているその他の「最〇端」はいずれも訪問済みです。「本州最西端 毘沙ノ鼻」には九州勤務時代、一人旅で、「四国最南端 足摺岬」と「本州最南端 潮岬」にはブログを始める前に家族旅行で、それぞれ旅の途中に訪れたことがあります。結構行ってるなぁ、、、。(笑))

で、実際に見てみたかったオブジェ「まぐろ一本釣の町 おおま」。

(荒れる津軽海峡、命がけのマグロ漁という厳しさを感じさせない、どこなくユーモラスなオブジェは実際にはどんなものなのか見てみたかったので。で、実際に見た感想は、見たまんまちょっとほんわかしていました。(笑))

大間崎はこんな感じで整備されていますが、陸地の方を見ると、お土産物屋さんがあるものの、ちょっと寂しい感じがします。

(基本的には北の漁師町という一本芯が通った雰囲気も感じます。この奥に大きな駐車場があります。)

公衆トイレも含めて、町はマグロ推しです。(笑)

(マグロのシルエットが妙にシブい。(笑))

大間を出発して次は一路、本州最北東端の岬「尻屋埼灯台」をめざします。❝鉞❞の上部を端から端へ走ります。

(大間を出発して少し行くと、「下風呂温泉郷」があります。今回の旅を計画している中で、この温泉地のひなびた民宿に泊まることも案として検討しました。)

❝鉞❞の頭の端から端までの所要時間は約1時間。尻屋崎は住所としては下北郡東通村(ひがしどおり)。灯台への最後のアプローチにはゲートがあります。

(ゲートには通行可能期間があって、4/1~4/30は8:00~15:45、5/1~11/30は7:00~16:45、12/1~3/31は閉鎖となります。派手な「クマ出没 注意!」の看板がありますが、今回の旅では高速道を含め、ツキノワグマとの遭遇注意が至る所で喚起されていました。)

ゲートを通過して数分走ると、灯台が見えてきました。

(最果ての地の風情を感じます。)

駐車場から灯台までは少し歩きますが、訪れる人もほとんどいない寂寥感たっぷりです。

(仏ヶ浦や大間、恐山までは旅行社もカバーしていますが、尻屋埼灯台をツアーに入れている旅行社はほとんどないのでは。)

本州最北東端の岬に建つ「尻屋埼灯台」です。

(この看板の裏に灯台カードのQRコードがないかと探しましたが、ありませんでした。残念。1876年(明治9)完成。高さ33mはレンガ造りの灯台としては日本一。)

尻屋埼灯台から左の方向に岬の突端がありますが、そこに「お地蔵さま」がいらっしゃいます。

(強風が吹いていますので注意して進みます。)

黒い墓石のように見えるのは、船が遭難して亡くなった方々の慰霊碑。尻屋崎沖は津軽海峡と太平洋が交わる要衝であり豊かな漁場ですが、ご当地特有の濃霧が発生することや、岩礁が広がることから、別名「難破岬」と呼ばれるほど遭難の多い所だったそうです。明治に入り各国との貿易が盛んになったこともあり、船の往来の安全を守るために尻屋埼灯台が建築されたそうです。お地蔵さまはそんな厳しい海に出る漁師やここを通る船の安全を見守るように佇んでいます。

(合掌。)

湿気はありますが強風のせいか少々肌寒さも感じますので、早々に車に戻ります。実は、尻屋崎を訪れたかったのは、ここに放牧されている「寒立馬」(かんだちめ)と出会いたかったから。

(寒立馬の越冬放牧地のエリアは「アタカ」という地名のようです。)

いつでも馬に会えるわけではないようですが、今日は、、、いました!

(この景色を見たかったので、ここまで来た甲斐がありました。寒立馬は元々は農耕馬でしたが、頭数が激減し現在は保護され、30頭くらいにまで回復しているそうです。)

道路を挟んで2つの放牧場に寒立馬がいました。

(もう一方の放牧場。こっちに近寄って来てくれないかなぁとしばらく見ていましたが、ずっと草を食べていました。(笑))

ビジターハウスと呼ぶにはミニサイズの小屋があって、その中に寒立馬のポスターが何種類も貼られていました。

(こんな景色が実際にあるのかというベストショット。(笑))

ご当地馬を見るのは、宮崎の都井岬の「御崎馬」以来でしたが、馬のいる景色は何度見てもいいですね。大満足です。さて、次は下北半島と言えばの名所「霊場恐山 菩提寺」に向かいます。ここから恐山までは1時間弱です。まずは菩提寺の少し手前にある「三途の川」で車を停めて見学します。

(三途の川に架かる「恐山 太鼓橋」。ここにも「熊出没注意!」の看板。)

三途の川というよりは太鼓橋の写メになりますが、「三途川」の石碑が雰囲気を盛り上げています。

(太鼓橋的な朱塗りの橋が架かる景色は各地にもあると思いますが、雰囲気と言うか空気と言うか、このあたりの気配、ちょっと違います。)

脇には「奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)」がいます。

(左:奪衣婆、右:懸衣翁、夫婦です。奪衣婆はアニメ「鬼灯の冷徹」を観たことがある方ならご存知かと。(笑) 私は鬼灯の冷徹に登場する奪衣婆の強烈なキャラのことしか知らないので、この石板の説明で改めて勉強すると、奪衣婆は三途の川で死者の衣服を剥ぎ取る鬼婆で、懸衣翁は奪衣婆が剝ぎ取った死者の衣服を衣領樹の枝に掛けて重さを測る=生前の罪の重さを計る番人、とのことです。)

それでは三途の川を(車で)渡って、「霊場恐山 菩提寺」へ入山します。

(総門。恐山は比叡山高野山とともに「日本三大霊山」と言われています。今回恐山を訪れたことで、日本三大霊山、コンプリート。)

恐山菩提寺は862年創建。慈覚大師円仁さんが夢のお告げに導かれ、諸国に教えを説いて回った旅の果てに、この下北の地に「恐山菩提寺」を開山したと伝わる、とのことです。

(表紙なので円仁さんかと思ったら、八葉地蔵菩薩でした。パンフを開くと載っていました。)

山門。

(周囲の景色の中で威風堂々の山門です。)

山門をくぐると境内。硫黄臭がします。

(恐山は活火山(休火山かも)で、霊場が面している湖はカルデラ湖の「宇曽利湖」。霊場内に温泉が湧いていて、この中央の参道の両サイドに見える小屋は共同浴場(左・女湯、右:男湯)。入山者は自由に温泉に浸かることができます。)

まずはお参りさせていただきます。

(現在時刻は16時過ぎ。菩提寺は18時に門が閉められます。)

お参りが済んだら、霊場内を順路に沿って散策します。

(ネットより拝借。今お参りした本堂の左脇から散策順路がスタートします。)

太鼓橋(三途の川)に「a」、山門「b」とありますが、「c」から順に巡って行きます。順路表示がありますので、そんなに迷うことはありません。

(こんな感じの荒涼とした景色の中の散策です。)

ここは「無間地獄」。

(至る所に積まれた石やかざ車があります。聞こえるのは、風に回るかざ車のカサカサという乾いた音だけ。硫黄臭はずっとしています。)

「永代無縁碑」と「大平和観音」。

(宇曽利湖が見えてきました。)

「賽の河原」にあった石碑。

(石に埋もれ気味で一部見えませんが、「人はみな それぞれ 悲しき 過去持ちて 賽の河原に 小石積みたり」と刻まれています。)

それにしても硫黄臭がすごいです。こんな注意書きの看板がありました。

(「硫化水素が噴出しているため」火に引火する恐れがあるそうで、所定の場所以外では火気厳禁。引火よりも人体に影響はないのか。(笑))

賽の河原を過ぎると宇曽利湖はすぐそこ。

(湖畔も独特の景色です。遠くに見える像は「東日本大震災供養塔」です。)

湖畔は「極楽浜」。

(峻烈な地獄めぐりから穏やかな景色に変わったという意味では極楽なのかもしれませんが、寂寥感の方が先に立ちます。)

極楽浜と宇曽利湖のパノラマを1枚。

(極楽感はないですね。(笑))

湖に流れ込む小川が硫黄で黄色。

(もっと真っ黄色の所もありました。)

ガスが最も噴出していた所。

(ここには長く居てはいけないと思いますが、注意書きなどはありません。)

順路から外れたかと思いましたが、再び順路看板がありました。

(最後の見所「五智山展望台」へ。)

少し登ると「五智如来」がいらっしゃる展望台に出ます。

(手拭いでほっかむりされています。硫黄ガスが雨に溶けて強い酸性雨になるからでしょうかね。)

展望台からの景色です。

(宇曽利湖の方を望みます。)

ここからは菩提寺の境内もよく見えます。

(散策路を一巡りして来たようです。)

境内に戻って御朱印をいただきに寺務所に向かいます。ここは「無漏館」という入山者が写経などをする建物のようです。

(「イタコの口寄せ」もここで行われるようです。覗いたわけではありませんが、今日は誰もいないような。)

御朱印をいただきました。

(合掌。)

御朱印を書いてくれたお坊さんが「境内の真ん中にいるお地蔵さんに願い事をして、お地蔵さんの頭を優しく押すと、『うんうん』と頷いてくれるのでやってみてください。」と教えてくれました。

(最初にお参りした時には気付かなかったお地蔵さん「お願い地蔵尊」。教えてもらった通りやってみると、石像なのにお地蔵さんの頭が前後にゆっくりと揺れて、「願いを聞き届けたぞ」と頷いているように見えます。もちろん、お地蔵さんの頭は固定ではなく首振り人形のように組まれています。)

「霊場恐山 菩提寺」、ついに訪れることができました。恐山は全国的に有名でテレビなどでも観ることはありますが、この雰囲気は実際に来てみないと味わえないものだと思いました。

さて、時刻は17時を少し過ぎたところ。「釜臥山展望台」という陸奥湾を一望できる展望所へ立ち寄るオプションを用意していましたが、日暮れが近いこととお天気も小雨模様なのでカットすることにします。ここから青森への帰路は2時間半のロングドライブとなりますので、ちょっと早いですが、恐山を下山してむつ市で夕食にします。事前リサーチしておいた、下北半島の郷土料理「みそ貝焼き」のお店「なか川」へ。

(17時開店。)

開店して30分というところですが、既にお客さんが来ています。

(自宅兼お店という店構え。)

店内は最近改装したかのように真新しいです。

(私たちが入店してしばらくすると、ほぼ満席になりました。)

注文は「みそ貝焼き定食」一択でいきます。

(大きなホタテ貝の貝殻が鍋になっています。添えられているのは立派なみょうがの煮付け。)

みそ貝焼きの作り方がパウチにしてテーブルに置かれています。

(とにかく混ぜればいいようです。(笑))

で、こんな感じで完成。

(この後、豆腐も崩して混ぜて完成。)

食べた感想ですが、鍋替わりがホタテ貝なので、具材のメインがホタテ貝の身だと思い込んでいましたが、ホタテ貝はほんの少しで、野菜・山菜やエビなどの具材が中心。味の方もてっきり濃い味噌味だと思っていたら、意外なほどあっさり味。要は、素朴な地元の味、って感じでした。昔は漁師がホタテ貝の貝殻を鍋替わりに魚の切り身などを入れて自家製の味噌を溶き、粟飯や稗飯と一緒に食べていたという由来を聞くと得心します。いずれにしても事前リサーチで興味を持った下北半島の郷土料理を食べることができていい経験になりました。

「なか川」を18時頃に出発、途中、幹線道路なのに出会う車もなくて久々にハイビームをバンバン使いましたが、無事青森市内に帰って来ました。ホテルに戻る前に青森港にちょっと寄り道します。青森港に係留されている「青函連絡船 メモリアルシップ 八甲田丸」のライトアップです。

(妻撮影。)

青函連絡船「八甲田丸」は1964年(昭和39)就航。1988年(昭和63)に運航終了となり、現在は観光施設としてここに係留されています。そして、ここでもうひとつ見たかったのが「津軽海峡冬景色歌謡碑」青森港バージョン。(笑)

(昨日見た龍飛岬の歌謡碑よりも質素な感じですが、石碑の下部に例の赤いボタンが付いています。これまた「押せ」と言われているようですが、時刻は20時半、さすがに大音量の津軽海峡冬景色を鳴らすのはどうかと思い、押さず。(笑))

朝6時半にホテルを出発、帰着が20時半。長い一日でしたが、念願の下北半島を巡ることができ、1日目に続き、充実の2日目でした。ホテルに戻った後は、21時半から始まる「夜泣きそば」をいただきました。

(連夜の「夜泣きそば」。食べ飽きることがない美味しさ。「みそ貝焼き定食」が量的にちょっと物足りなかったので、小腹を満たすいい仕上げとなりました。(笑))

この後、温泉「淡雪の湯」にゆっくり浸かり(湯上りのアイスも食べて(笑))、今日の疲れを癒して就寝。明日3日目は「界 津軽」へ移動、それまでの時間、青森市内と弘前市を観光します。

 

・・・・・青森県4泊周遊旅行③〔3日目観光(青森市、弘前市)編〕へ続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青森県4泊周遊旅行①〔到着~1日目観光(龍飛岬・津軽半島~五所川原)編〕

2024年08月30日 | 旅行記

2024年の夏休みの旅行は青森県周遊。東北はブログを始める前に何度か巡ったことはありますが、秋田・岩手・宮城・山形まで。(福島には秘湯めぐりで結構通っていました。)

(200X年代の頃、まだブログを始めていなかったので、旅に行くとこんな感じでフォトアルバムを作っていました。これはこれでとても良くて、今も折に触れて見ています。妻も私も若い。(笑))

ということで、今年の夏休みは私たち夫婦にとってほぼ未踏の地、青森県を旅することに。旅の準備(計画)は巡りたいスポットをリサーチしてGoogleマップに落とし込むことから。今回の主な旅程をプロットするとこんな感じになります。

(Googleマップ、ほんと便利です。いちいちカーナビにセットしなくても良いので旅の効率が格段にアップしました。ただし、Googleさんが時々不安になるような道を案内するのでドキドキしますが。(笑))

これをもとに日々のプランを立てるためにパワポに落とし込むのが私のやり方。今回の主な訪問地はこんな感じです。

(本当は青森県の西部・南西部、鰺ヶ沢や深浦といった、日本海沿いを走る人気の鉄道五能線のエリアも訪ねてみたかったのですが、日数が足りず今回は組み込めず。機会があれば「五能線の旅」として企画したいものです。)

今回の旅は、青森市内のホテルに2泊、弘前の南東部にある大鰐温泉郷エリアの「界 津軽」に2泊の計4泊5日の旅。長丁場ですが、2ヶ所での連泊なので、宿を渡り歩くしんどさはありません。楽しかった充実の旅を全6編で書いてみたいと思います。

 ① 到着~1日目観光(龍飛岬・津軽半島~五所川原)編
 ② 2日目観光(下北半島)編
 ③ 3日目観光(青森市、弘前市)編
 ④ 「界 津軽」編
 ⑤ 「界 津軽」連泊中日、4日目プチ観光(田舎館村、黒石)編
 ⑥ 5日目観光(大鰐温泉~十和田湖・奥入瀬~八戸)編

❝現地❞までは往復ともに空路利用で、羽田空港/三沢空港の往復。夏休み期間中の予約激戦期の羽田空港駐車場を今回も苦労して何とか確保できました。

(P2の予約車専用フロア。まだ朝の6時台だというのになかなかの混雑っぷりです。)

マイナー路線なのか、三沢空港行きのJALはバス利用でした。

(搭乗口からバスに乗車。「どこまで走るの?」というくらい走って駐機場に到着。毎度思うことですが、事前改札や優先搭乗の方ほどバスの奥にいるので、結局飛行機に乗り込むのは後回しになるというおかしな事象。JALもANAもなぜ改善しないのでしょうね。)

羽田空港7時50分発の朝一便で三沢空港へ。途中、鳥海山(多分)が眼下に見えました。

(以前東北を旅した時に雪の残る鳥海山に車で(途中まで)登ったことがあります。)

定刻通り三沢空港に到着。

(ねぶた風のこけしがお出迎え。右のこけしが米国の国旗のデザインになっているのは、ご当地が米軍三沢基地・航空自衛隊三沢基地でもあるからだと思います。半分とは言いませんが、結構な割合で米軍関係者らしき人が到着口から出てきて、その人たちを自衛隊の人が出迎えていました。)

レンタカーもスムースにピックアップでき、いよいよ1日目の旅に出発です。今日の旅程はこんな感じで、いきなり三沢空港から龍飛岬までのロングドライブから。

(三沢空港から龍飛岬までは約3時間のロングドライブ。ちょっと非効率にも思えますが、明日からの旅程を考えて初日に津軽半島を巡ることにしました。)

ロングドライブに備えて持参した「Bang & Olufsen」のスピーカーから、事前にAmazonミュージックで編集した昭和世代が盛り上がる(笑)音楽を流しながら快適に走っていると、ようやく標識に「龍飛」の文字が現れました。

(ご想像の通り、車が混むということは全くなく、お天気にも恵まれ、ドライブは快適そのもの。)

ほぼ龍飛岬に近付いてきました。

(最初「これは何だ?」と思いましたが、風力発電の風車の羽根ですね。)

最初の目的地は「青函トンネル記念館」。

(めちゃめちゃ広い駐車場に車が数台。)

記念館はその名の通り青函トンネル(海底240m、総延長53.85km)の資料館です。ロケーションとしては、津軽海峡の海底を貫く青函トンネルの本州側の基地がある所となります。

(「青函トンネル本州方基地龍飛」とあります。)

こちらが記念館の入り口。

(このローカル感、いい感じです。(笑))

よく分かりませんが、道の駅も兼ねているようで、スタンプ台がありました。

(「道の駅みんまや龍飛岬」。デザインは龍飛埼灯台とこれから乗車する体験坑道ツアーの「もぐら号」。)

ここのウリは何と言っても、海面下140mの世界を体験できる「体験坑道ツアー」で、入館券売り場の方が「次は12:20の発車となります。」と案内してくれました。ちょうどいいタイミングで来館したようです。展示室の見学の前になりますが、さっそくケーブルカー乗り場へ。

(私たち夫婦は坑道の体験ものが好きで(笑)、長崎県の「軍艦島」は上陸見学でしたが、同県の「池島」は実際に稼働していた坑道に入って行くことができるエキサイティングな「池島炭鉱坑内体験ツアー」で、両方ともに体験済み。)

富山の黒部ダムと同様、青函トンネルも映画化されていました。

(まぁ映画化されているとは思いましたが、高倉健さんと吉永小百合さんとは第一級作品ですね。)

体験坑道ツアーは「青函トンネル竜飛斜坑線 もぐら号」(通称:もぐら号)に乗って行きます。

(クラウドファンディングで改修されたそうです。)

坑道への出入口には「風門」があって、それが開くと潜行開始です。

(安全に関わるような突風が吹くってことでしょうか。)

潜行中。

(もぐら号は小ぢんまりとしています。20人も乗ったら満員かも。特等席は先頭のようで、ずっと動画を撮っている人がいました。景色は全く変わらないのですが。(笑))

斜度14度の斜坑を降りて行くこと7分、「体験坑道駅」に到着です。

(津軽半島は地上でも30度に達しない気温でしたが、ここはもっと涼しいです、、、が、超多湿です。(笑))

体験坑道ツアーは、現物の展示を見たり説明を聴きながら体験用の坑道をぐるっと一周して、もぐら号で地上に戻るコース。まずは一周するスタート地点まで移動します。

(海水が染み出ているのだと思いますが、とにかく濡れています。)

(こちら方面はツアーでは行きません。レールが敷かれていて今も稼働中かと思うリアル感があります。)

スタート地点に到着しました。

現物展示や放送設備による音声説明は、構想から42年という年月を経て完成した青函トンネルの第一歩、事前の地質調査の状況から始まり、実際の工事の工程ごとに少しずつ移動しながら続きますが、過酷な状況で困難な局面に陥るたびに、突破するための新しい技術や工法を生み出し進めて行ったという説明には驚きました。

(左手前の人は人形です。リアル過ぎて一瞬ビビりました。(笑))

(実際に使われた掘削機械。)

(掘削したら壁面を固めるために特殊なコンクリート?を吹き付けるのですが、その様子。)

(海水の噴出などの困難もありましたが、説明の最後は「貫通」のパネル。本州側と北海道側のトンネルが開通し、風が吹き抜けたとあります。ちなみに、本州側と北海道側の工事JVが上手に別のゼネコンが担当しているところに大人の事情を感じます。(笑))

ゴール地点にあるこの柵の向こうは実際の青函トンネルだそうです。

(もちろん立入禁止ですが、何かゾワッとするものを感じます。)

すぐそこの青函トンネル内を撮った、2014年3月14日で廃止されたJR北海道の「竜飛海底駅」の写真がありました。

(北海道新幹線の工事のための駅だったとのことですが、なぜここに駅が設けられていたのかはよく分かりません。今は青函トンネル内の保守・避難施設になっているようです。)

もぐら号で地上に戻って、これで体験坑道ツアーは終了です。終わると「体験証明書」がもらえます。

(と言っても、「体験坑道乗車券」を買った時に折り返された裏面に予め付いているものですが。(笑))

3時間弱のロングドライブと40分の体験坑道ツアーで時刻は13時となりました。ちょっと遅めの昼食を。記念館内にあるレストラン「紫陽花」です。

(事前リサーチ済みです。)

各種メニューがありますので、選択肢は多い。

(青森ではラーメンも名物のようで、煮干し系の特徴的なものから、醤油・味噌という王道まで。)

私たちはこちら「龍飛岬マツカワ定食」にしました。

(「本日10食です」との限定表示がありますが、余裕で2食OKでした。(笑) 「マツカワ」とは、青函トンネルから染み出る深層海洋水(とてもきれいな海水だそうです)で養殖されたカレイで、ご当地の外ヶ浜町の名物としてPR中のようです。)

こちらがマツカワカレイの刺身とフライのセット「マツカワ定食」です。

(結構肉厚。お味の方はちょっと淡泊かな。今回の旅では地元の名産を食するのも楽しみのひとつですので、さっそく思い出の一食となりました。)

関係ないですが、新紙幣が発行されても全然出会わなかったのですが、ここでようやく出会いました。(笑)

(梅子さん。この旅で柴三郎さんの1000円札にも出会いましたが、栄一さんの万札とはまだ出会っていません。(笑))

順番が最後になりましたが、記念館の展示ホールを見学します。

(入ってみると、体験坑道ツアーで説明のあった情報がそのまま展示されている感じで、ツアーに行く時間のない人向けかもしれません。)

ということで、展示ホールはサクッと見終えて次のスポットへ。記念館からは眺望も良いのですが、ちょうど次の次のスポットが見えました。

(豆粒ほどにしか見えませんが、左下にある「津軽海峡冬景色歌謡碑」と、真ん中下あたりの「階段国道」(国道339号線)の看板。)

次のスポットは「龍飛埼灯台」。青函トンネル記念館から車で3分とかかりません。

(ちょっと日差しが暑くなってきましたが、吹き渡る風のおかげで汗はそんなに出ません。)

こちらが「龍飛埼灯台」。

この看板の裏にQRコードがあって、読み込むと灯台カードが表示されます。

高松に出張した時の朝の散歩で「高松港玉藻防波堤灯台」で知って以来、灯台を訪れるとQRコードを探します。)

定番の景色を1枚。

(人生初の龍飛埼。頭の中で石川さゆりさんが歌っています。(笑))

ここからの景色はまさに絶景。

(どこを見ても絶景ですが、下北半島方面を望むと、明日訪れる「仏ヶ浦」の奇岩群らしきものが白く見えます。)

龍飛埼灯台・龍飛岬まで来たという達成感というか充実感というか、そういう感覚を覚えながら次のスポットへ。車で1分?すぐそこにある「津軽海峡冬景色歌謡碑」です。

(歌われている季節の寒風と雪が吹きすさぶ冬にはとてもたどり着けませんので、夏の青空の下ですが、是非とも来てみたかった所です。)

こちらが「津軽海峡冬景色歌謡碑」。

(名曲です。)

小さくて見づらいですが、石碑のフロント部分の波を表わす石の真ん中に赤い小さなボタンがあります。「押せ」と言わんばかりですので(笑)、押してみると、大音量で石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」が流れます。津軽海峡の龍飛岬で聴く「津軽海峡冬景色」、最高です。夏ですけど。(笑) この後、Amazonミュージックで同曲をDL、この後のドライブで車内で流していました。

次は歌謡碑と同じ所にある「階段国道」です。

(上に灯台が見えます。)

ここは国道なのに階段という、日本で唯一の「車が走ることができない国道」です。

(「階段国道」の「上」です。ここから階段を下ると「下」に出ます。)

案内板を見ると位置関係が良く分かります。

(国道339号線をショートカットするように階段があるようです。なぜここが国道になったのかは諸説あるそうですが、一説には国道建設のために用地買収をしたが高低差70mと民家との折衝という難題に当たって放置されたとか。今や観光名所ですが。(笑))

さて、龍飛エリアの観光はこれで終了。ここからは五所川原市に向かって津軽半島を南下して行きます。道中まず立ち寄るのは「眺瞰台」。展望所です。

(逆光ですが、石碑に「眺瞰台」と刻まれています。)

この石碑の所からも絶景を望めますが、更に上に展望台があります。

(「眺瞰台展望入口」。ご丁寧に階段数「117段」と表示あり。「一番いい景色を見ないと。」という強迫観念で117段を上りました。(笑))

360度の眺望です。先程の石碑がこんなに小さくなりました。

龍飛埼灯台も望むことができます。

(陸地の先端にある横広の白い建物が灯台。)

今日の津軽半島、翌日の下北半島など、青森県内を走っていると、とにかく風力発電のあの白い風車をやたらと目にします。調べてみると、青森県は全国でも有数の「強風エリア」で、特に冬期に大陸から津軽海峡を通って太平洋へ吹き抜ける季節風のおかげで、風力発電による発電量が日本一だそうです。

せっかくなので、南方向を向いた景色も。

(海は日本海です。張り出しているのは半島とかではなく、入り組んだ海岸線。)

眺瞰台を出発してしばらくすると、海岸線を走る道路沿いに突然滝が現れました。

(「七つ滝」。事前リサーチから漏れていましたが、ちょっと車を停めて写メ。周りに人工物がないのでとても映えます。)

ここの海側の景色もなかなかのものです。

(夏の日本海。)

更に小一時間走り、道路はすっかり内陸部。途中しじみが名産の「十三湖」を通りましたが(十三湖の「しじみラーメン」、食べてみたかったですが)、立ち寄りはなしでそのままドライブ。その後、五所川原もそう遠くない所まで来ると、名峰「岩木山」を常に望むことができます。

(稲穂はかなり実りつつあります。岩木山を背景に様々な景色をドライブの間見続けることができます。岩木山は、標高1625m、青森県の最高峰。日本百名山・新日本百名山選定。別名「津軽富士」。)

津軽三味線のライブ演奏の時刻に間に合えば立ち寄ろうと思っていた、五所川原市の北部にある「津軽三味線会館」ですが、本日のライブの最終の15時には間に合いそうにもありませんのでスルーして、五所川原市の中心地にある「立佞武多の館」へ直行します。

(到着しました。)

今回の旅では、県内各地の「ねぶた」・「ねぷた」のことも勉強しようと思っています。まずは五所川原の「立佞武多」(たちねぷた)です。

こちらから入館します。

展示室に入るといきなり度肝を抜かれます。何と高さ20m超、重さ約20tの巨大な立佞武多が目の前に。

(2021年制作の「暫」。立佞武多は制作すると3年間使うそうです。全てのねぶたの台部分に「漢雲」と書かれていますが、正式には右読みで「雲漢」(うんかん)。中国語で「天の川」の意味。ねぷた祭りが「七夕祭り」から発展したことからこう書かれるようになったという説もあるそうです。)

毎年1体の大型立佞武多がここ「立佞武多の館」内の制作所で祭りに合わせて作られ「立佞武多展示室」に加わります。ここは五所川原のねぷた祭りの❝基地❞みたいなもの。展示室は4階建て相当で螺旋スロープを歩き下りながら様々な高さから立佞武多を鑑賞できるようになっています。最上階の4階から「暫」を見るとこんな感じです。

(説明によると、大型立佞武多は下から見上げるように作られているそうで、上からだと迫力も半減という感じです。)

五所川原立佞武多祭りのポスター。

(今年の祭りは既に終わっています。)

今ここには3体の大型立佞武多が展示されています。「暫」(2021年制作)の他、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」(2023年制作)、「閻魔」(2024年制作)。

(2022年が飛んでいるのはコロナ禍の影響があるようです。)

ちなみに、展示室のスロープや建物の外壁の一部は可動式になっていて、祭りの時にはスロープが跳ね上がり、外壁(大扉)が開き、大型立佞武多が出陣して行きます。

(スロープのここが跳ね上がる所。各階の全てが跳ね上がります。)

立佞武多の館を外から見るとこんな感じで高層の建物です。

(外壁(大扉)が開いて大型立佞武多が出ていく様は迫力満点でしょうね。)

ところで、大型だからと言って作りが大味かと言うと全然そんなことはなく、とにかく絵が繊細。

(ここだけ切り取っても芸術作品そのもの。見応えありです。)

「立佞武多の館」で知ったことがいくつかあります。「ねぶた」・「ねぷた」祭りは青森や弘前だけでなく、大小含めれば県内各地にたくさんある。

(めちゃめちゃあります。びっくり。)

代表的なものは、弘前ねぷた、青森ねぶた、五所川原立佞武多あたりですが、大きさや形の特徴を一見して理解できるミニチュアがありました。

(手前から奥へ、弘前ねぷた=扇形、青森ねぶた=面的に広い、五所川原立佞武多=最も大型・高層。実際に来てみないと分からないことをたくさん勉強できます。なお、「ねぶた」か「ねぷた」かの違いはさほど深い意味はないのか、特に説明では触れられていませんでした。)

展示室では壁を大型スクリーンとして、立佞武多の制作から祭りの様子までを上映しています。

(観たのは確かラストの回だったかな。写メはうまく撮れませんでしたのでありませんが、すごく良かったです。)

そして、五所川原の著名人にして立佞武多のアンバサダー的な人が吉幾三さん。

(福岡県で言えば、福岡県立博物館の山笠の展示室の小松政夫さんのような感じ。(笑))

「立佞武多の館」、超おススメです。充実の見学の後はホールでの物産販売を見てみました。こちらにそそられました。

(津軽と言えばりんごジュース。もうちょっとで買って自宅に送ろうかと思いましたが、「ふるさと納税で五所川原市の返礼品にあるのでは?」と気付いてストップ。後で調べてみると、やっぱりありました。で、申し込んでおきました。(笑))

次はテレビで観て実際に見てみたいと思っていた、五能線の「木造駅」(きづくり)の「しゃこちゃん」を訪ねます。

(最後の角を曲がるといきなり見えてきました。移動の車中、私が「しゃこちゃん」のことを言葉で説明してもイメージできなかった妻も実際にこの景色が目に飛び込んで来てびっくり。)

こちらが「しゃこちゃん」。念のため申し上げますが、駅舎(木造駅)です。(笑)

(ちなみに、列車が到着すると目が光るというギミック付きです。(笑))

なぜ「しゃこちゃん」か、ちゃんと説明書きがありました。

(亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶がモデルなので「遮光器」→「しゃこ」。(笑) 「遮光器土偶」の名は、土偶の目が北方民族のイヌイットなどが雪中の光除けに着用した遮光器(サングラス)に似ていることから名付けられた、と書かれています。)

駅の中に入ってみると、待合室の壁にもしゃこちゃん。

(面白過ぎます。)

列車が到着すると目が光ると書きましたが、時刻表はこちら。

(超❝疎❞。目が光るところに出会うのはレア中のレアのようです。)

さて、時刻は17時頃。今日の最後の立ち寄りスポットに向かいます。木造の美しい橋「鶴の舞橋」です。木造駅からそんなに離れていませんが、到着した時には鶴の舞橋が架かる貯水池「廻堰大溜池」(別名「津軽富士見湖」)にいい感じに陽が落ちていくところでした。

(湖面に映る光の道もばっちり。)

鶴の舞橋の情報です。所在地は、北津軽郡鶴田町、全長300mの木造橋、木造橋としては日本最長、1994年7月開通(着工は1991年)。さっそく渡ってみます。

(渡って実感しましたが、300mは結構長いです。「長い木の橋」=「長生きの橋」とかけて開運長寿のパワースポットだそうです。ほんまかいな。(笑))

鶴田町の推しは「鶴」。鶴の舞橋は鶴が舞う姿をイメージしているそうです。そして、鶴の舞橋を訪れてみたかったのは、この景色を見たかったから。

(鶴の舞橋と岩木山がコラボした景色。ベスポジではないかもしれませんが、夕暮れのこの景色、最高でした。)

少し移動すると、「逆さ富士」ならぬ「逆さ津軽富士」を見ることができました。

(かなり微妙ですが。(笑))

説明板にベスポジ&ベストシーズンの写真が載っていましたので、せっかくなのでアップしておきます。

(桜の季節、まだ頂に雪を冠する岩木山と鶴の舞橋。でも、この視線の位置、どこか高い所からでないと撮れない一枚だと思いますが、どこから撮っているのか。)

なお、鶴の舞橋はメンテナンス工事に入るようで、月末で通行禁止になるようです。

(来年の3月末までって、結構長い期間渡れない。いい時に訪れました。)

これで今日の観光は終了。あとは青森市内のホテルにチェックインして夕食です。青森港のランドマーク「青森県観光物産館アスパム」が見える頃にはすっかり日が暮れました。

(正面の三角の建物が「アスパム」。この交差点を曲がればホテルまではすぐ。)

本日から連泊するのは「天然温泉 淡雪の湯 ドーミーイン青森」です。

(19時到着。立体駐車場完備(一泊1000円)。)

荷物を部屋に置いて、そのまま夕食へ。ちょうどホテルの道路向かいの街中華が美味しいと評判でしたので、事前リサーチ通りそこへ。「広東料理 東田」。

(ザ・街中華。)

何が美味しいかまではリサーチしていませんが、こちらの「夜限定 660円メニュー」が良さそうです。

(店内は中華料理のあの匂い、床は程良くヌルっとしています。(笑))

660円メニュー2品と、餃子、炒飯を注文して妻とシェア。

(ボリュームよし、味よし。おいしゅうございました。)

今日は「東田」にすんなり入店できましたが、翌日の夜、もう少し遅くにホテルに戻りましたが、その時にはお客さんが並んでいました。どうやら地元の人気店のようです。

この後、明日の朝ご飯を買いにコンビニに行きましたが、何気に見た月が大きい!

(今晩、青森はスーパームーンだったようです。実際にはもっと大きさを感じました。)

お腹もほどほどに膨れてホテルに戻ります。ドーミーインと言えば「夜泣きそば」(無料)。夕食をセーブして夜泣きそばに備え済み。(笑) その他にも無料サービスあり。

(エレベーター内に貼られた無料サービス一覧。)

少し部屋で休んでからレストランへ。

(これです、これ。(笑))

それではいただきます!

(期待を裏切らない美味しさ。スルスルッと完食です。スープは魚介ベースの醤油かな。)

レストランを出ると、りんごジュースのサーバーがありましたので部屋にお持ち帰り。

(津軽のりんごジュースはほんとに美味しい。)

ドーミーイン青森は朝食も魅力的です。

(地元飯を出しているようです。)

ですが、私たちは明朝は6時半にホテルを出発、一路下北半島をめざしますので、朝食はコンビニで買ったおにぎりを車中で。この後、これまたドーミーイン名物の温泉にゆっくり浸かって(湯上りのアイスを食べて(笑))就寝。龍飛岬・津軽半島から五所川原へと巡った1日目はこうして終わりました。

 

・・・・・青森県4泊周遊旅行②〔2日目観光(下北半島)編〕へ続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「MOTTAINAI ZOPF」

2024年08月28日 | 通販・買い物

「MOTTAINAI ZOPF」。ローマ字読みの通り「もったいない」+「ZOPF」(ツオップ)。お店自慢のパンを閉店までお客さんに買ってもらいたいので焼き続けるコンセプトのベーカリー「Zopf」。閉店後にどうしてもパンが売れ残ってしまうところ、フードロスをなくす取り組みとして、冷凍して詰め合わせ販売する仕組みです。

妻の友人に教えてもらったので買ってみました。申し込んでから約1ヶ月、冷凍宅急便が届きました。

(椅子にのせて写メ。これくらいのサイズ感です。)

オンラインでの販売は「在庫」が整い次第の不定期。「次回販売日」はSNS上で周知されます。(確かFacebookだったかな。)私が申し込んだ時は、午前11時前から販売開始になって、13時頃には売り切れていたような記憶があります。

で、箱を開けてみると美味しそうなパンがギッシリ!

(ボリュームのイメージですが、見えているパンを「1段(1層)目」とすると、これが3段(3層)(いや3.5段かな)入っている感じです。)

お値段の方は3700円。ただ冷凍クール宅急便代が1000円以上かかるのと、代引き限定ですので手数料200円ものってきます。よって、5000円超の買い物となりますので、これをお得と見るかどうかはそれぞれですね。

中身は、甘いパン、調理パン、バゲット系、食パンなどがとてもバランスよく入っている印象で、食べ飽きることはないと思います。さっそく翌朝の朝食で食べてみました。

(同梱のしおりに冷凍パンの食べ方が書かれています。自然解凍の上、トースターで焼く(温める)と店頭に並んだパンと同じように美味しくいただけます。)

適当に2種類を冷凍庫から出しましたが、カレーパンとクルミ&さつま芋パンで、いい感じの2種類となりました。(クルミ&さつま芋パンの方は多分そうだろうという私の感覚です。(笑)) 食べた感想は、とても美味しいパンで、他のパンも楽しみになりました。人気があるのも納得です。

MOTTAINAI ZOPF、今冷凍庫にあるパンがなくなったら、時々買ってみようかと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024シャインマスカット<その1>(甲府市産)

2024年08月27日 | スイーツ

ふるさと納税の返礼品で取り寄せている、毎年恒例のシャインマスカット。ずっと甲州市産でしたが、今回は甲府市産を予約。同じフルーツ王国山梨県のシャインマスカットなので品質を信頼して。

で、先日届きました。毎年到着時期を備忘録していますが、2024年は8月下旬到着となりました。

(2房、1kg以上というサイトの記載でした。)

シャインマスカットはデパ地下やスーパーでよく見かけますので、それらと比べると何の問題もありませんが、昨年のシャインマスカットよりも粒が気持ち小ぶりのような気がします。

(粒付きの密度、色艶ともに申し分なし。ちょっと小ぶりに感じるのは気のせいかもしれません。)

さっそく食べてみましたが、美味しい! 甲府市産もイケます。(笑) 実は昨年申し込む時に、シャインマスカットも食べ比べてみたいということで、岡山県井原市の返礼品のシャインマスカットも先行予約で申し込んでいます。地理的に近いと差が分からないかもしれないので、西のフルーツ王国岡山県のシャインマスカットにしました。到着はもう少し先とのご案内ですので、「2024シャインマスカット<その2>」を楽しみに待ちたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「正三角関係」(東京芸術劇場)

2024年08月20日 | アート・文化

NODA・MAP第27回公演「正三角関係」を妻と観てきました。

NODA・MAPは劇作家・演出家・俳優の野田秀樹さんの主宰。日本語で「野田地図」とも言われています、、、とえらそうに書いていますが、野田地図のことを今回初めて知りました。とにかく野田地図の公演は人気でチケット発売即完売。この舞台も発売日の定刻に妻とそれぞれPC前でスタンバってトライしましたがあえなく撃沈。追加販売の告知があったのでダメもとで再トライすると、何と私がゲットできてしまいました。(笑)

ということで、お盆のある日、池袋の「東京芸術劇場」へ。

(池袋駅と地下道で直結。)

開場後のロビーにて。

(チケットが取れたことで安心してしまって、あらすじの予習をすっかり忘れていました。後で知りましたが、野田地図では当該公演の初演日まではあらすじなどの情報はオープンにしないとか。)

会場内は撮影禁止ですので文字だけの情報となりますが、少々書き留めておきます。

「とある時代の話」という設定ですがが、演者のセリフからすると、第二次世界大戦でまさにソ連が不可侵条約を破棄して日本に宣戦布告をする前夜、更に時計は進んで、長崎に原爆が投下される(された)場面からエンディングへ、、、という感じ。長崎の花火師、唐松兵頭の3人の息子たちを主役に物語は展開します。

舞台中気付いたこと。

 ・長澤まさみは男性役(始まってすぐ気付く(笑))
 ・「正三角関係」はダブルミーニング
 ・ストーリーの土台はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」(公式サイトに書かれていることに後で気付いた(笑))

ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟をベースにしているだけあって、役どころの名前が面白い。

 ・父親(花火師) 竹中直人:唐松兵頭(ヒョードル)
 ・長男(花火師) 松本潤: 富太郎(ドミートリー)
 ・次男(物理学者) 永山瑛太:威蕃(イワン)
 ・三男(聖職者?教会の料理係) 長澤まさみ:在良(ありよし)(アレクセイ)

唐松家は舞台では何度も「唐松族」(からまつぞく≒カラマーゾフ(笑))と呼ばれます。ダブルミーニングの件ですが、ひとつはこの三兄弟のこと(3人の兄弟というだけでなく、それぞれの職業がテーマの暗喩になっているのかも)、もうひとつは二役を務める長澤まさみのもう一人の人物「グルーシェニカ」を巡る兵頭、富太郎、ソ連将校の三角関係。

富太郎の父親殺し(カラマーゾフの兄弟と同じ)の裁判のシーンを中心に展開しますが、実は舞台に込められたメッセージは(長崎への)原爆投下への痛烈な批判と感じました。この演劇、カーテンコールも普通に複数回ありますが、扱っているテーマがテーマだけに演者は一切笑顔なし。ちょっとしんどかったです。「正三角関係」はロンドンでも公演されるそうなので、このテーマに対する海外での反応に興味があります。

と、まぁ今回の舞台を観た私の理解はこんな感じですが、野田地図の作品を初めて観た私の正直な感想は、「富太郎の父親殺しの容疑は白か黒か、その線のままのどんでん返しの劇だったらなぁ。このエンディングは難しい、、、。」です。

(ポスター、横バージョン。超難解な小説「カラマーゾフの兄弟」をベースにしたことでえらい難しい舞台になっています。)

観劇の後、新宿で早めの夕食にしました。京王百貨店のレストラン街の中華料理屋へ。以前食べた餃子がすごく美味しかったので、私からのリクエストです。

(まだ陽のあるうちに、ビールセットで。)

来ました、餃子。

(これこれ、結構おおぶりな餃子。)

期待感MAXで食べましたが、ちょっと以前の味とは違うような。そもそも包み方が甘い。残念ながら普通の餃子になっていました。妻も同じ感想で、「シェフが替わったのか、お盆休みで代役がやっているのかも。」ということで、そのうち気が向いたらまた味の確認に来ることにします。来ないかもしれませんが。(笑)

新宿、小田急百貨店が解体され、街の動線がかなり変わっているようです。

(小田急百貨店の解体現場はここではありませんが。中華料理屋で座った窓際の席からの景色。)

本日の気温、多分35度を超えていたと思います。水筒持参の外出でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「市川のなし」

2024年08月19日 | スイーツ

梨をいただきました。千葉県市川市の「市川のなし」。

(立派な梨がいっぱい! 品種は旬の「幸水」です。)

フルーツと言えば福島県や山梨県をイメージしますが、全国の梨生産高の第一位は千葉県で、市町村別では市川市は全国トップクラスの一大生産地だそうです。初めて知りました。(という話を妻にしたら、「だから『ふなっしー』がいるんじゃないの。船橋市だけど。」とのコメント。なるほどと納得。(笑))

宅配便で届いた箱には「到着後即開封」と目立つシールが貼ってあり、慌ててダンボールを開けると、次は「すぐに冷蔵庫に入れてください!」と書かれたパンフが入っていて、再び慌てて冷蔵庫へ。(笑) こちらの梨園では樹で完熟させて収穫・出荷しているので、室温だと追熟が進み過ぎるため。つまり到着即食べ頃ということですね。

さっそくいただきました。

(みずみずしい果物は美しい。)

最高ですね。暑い日の一日の始まりに食べると体が喜んでいるような気がします。「市川のなし」、おススメです。ご注文の際は確実に受け取れるようご注意を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室温計

2024年08月18日 | 日記

夏のある日のお昼時。メインテラスのシェードを出して日陰でまったり過ごします、、、なんてことは絶対にできない暑さ。

(酷暑で庭に出るだけで汗が出ますので、このところずっとシェードを使う機会もなかったところ、ちょっと開閉が硬くなっているような気がしたので、一日一回は開閉するようにしています。)

家の中にいてもエアコンなしでは過ごせない日々です。普段は使わない部屋はもちろんエアコンオフですが、時々入ってみると「いったい何度あるのだろう?」と命の危険を感じる暑さ。エアコンを使わずに家の中で熱中症になるニュースをよく観ますが、それを実感する暑さです。ということで、百均買ってきた室温計を部屋に置いてみました。

(100円ですので、温度は目安ですね。)

朝昼夕とたまにその暑い部屋の温度を確認して分かったこと。

 ・~30度=暑さはさほど感じない。
 ・30~34度=暑いけどエアコンなしでもギリギリがまんできそう。
 ・35度~=灼熱。ヤバい暑さ。

晴れた日の日中、レースのカーテン越しに陽の光が入っている状態で見てみると、36度くらいまで上がります。この室温は熱中症レベル。ということで、35度以上が危険ゾーンと分かりました。

あまりの暑さに妙な可視化実験をした夏休みのとある日でした。(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「深大寺天然温泉 湯守の里」

2024年08月16日 | 旅行記

お盆ど真ん中のある日、車で外出です。といっても、妻の所用と姪っ子夫婦に出産祝いをプレゼントするため。まずは妻を目的地で降ろして、所用が終わるまで私はフリー。「さて、ひとりで数時間をどう過ごすか?」、前日リサーチしたところ、近くに穴場と言われる温泉があるとのことで行ってみました。

「深大寺天然温泉 湯守の里」。いわゆるスーパー銭湯ではなく、敷地内に源泉を持つ本物の素朴な温泉。しかも、一度浸かってみたかった「黒湯」です。

(蕎麦で有名な深大寺(じんだいじ)にほど近い、でもひっそりとした場所に駐車場があります。)

駐車場から「湯守の里」までは100mちょっと。前をゆっくり歩く近所のおばさまらしきお二人を抜いて到着。

(観光向け温泉施設というよりは地元の銭湯という趣き。)

「化石温泉」というのぼりが出ています。ここが玄関前です。

(「地下1500m湧出 化石温泉」というキーワードのみの思わせぶりなのぼり。(笑))

「湯守の里」の玄関です。

(なかなかいい感じの建物です。)

昔々からあるような印象ですが、「湯守の里」の開業は2000年に入ってから。この風格は、武蔵野の古民家をそのまま利用して湯処としたので、緑いっぱいの静かな環境に馴染む秘湯の雰囲気を醸し出しているためと思います。

入館したら下駄箱に靴を入れて、その鍵をフロントに預けると、バーコードの付いたロッカーキーを渡されます。館内施設を利用した料金は全てこの鍵にツケられ、出る時に一括精算というシステム。(これが地味に便利です。) フロントから温泉場へ向かう廊下。

(廊下の床が拭き込まれていて好印象。館内では裸足。気持ちいいです。)

この廊下の横に休憩処のひとつがあります。

(焼きそば系の軽食の他、ソフトクリーム、かき氷、飲み物を提供しています。が、みなさん2階の休憩処や食事処を利用するようで、店員さんは不在。フロントの方が兼ねていて、ベルを鳴らして呼ぶとフロントから走って来ます。)

そしてここには「湯守の里」の人気者、うさぎの「茶々」が放し飼いされています。

(ケージはフルオープン。(笑) ですが、茶々はこの中でエサを食べたり水を飲んだりして過ごしていました。(出てくることもあるそうです。) 写メを撮り損ねましたが、左の水飲みノズルから水を飲む姿が激カワでした。)

廊下には「茶々写真展」としてブロマイド並みの写真が飾られています。

(ただただカワイイ。茶々は2018年11月生まれのミニレッキスだそうです。御年5歳、初老というところでしょうか。茶々の元気な姿を見に来るお客さんも多いとか。)

近接の写メも全然平気みたいですので、1枚撮らせてもらいました。

(とても美しい毛並みでした。いつまでもお元気で。)

さて、「湯守の里」の温泉について説明書きがあります。

(「当施設の温泉は地下1500mから湧出した100%天然の温泉を使用しております。この温泉は数百万年前の大陸移動による地殻変動によって地中にとじこめられた海で、化石海水とも呼ばれています。その化石海水が地熱によって温められ、当施設の温泉となっております。・・・黒い色は、海水中の海藻類が微生物により分解されてできた『フミン酸』によるもので、・・・」。先程ののぼりのキーワードの意味が分かりました。(笑))

以前は源泉の場所も見学できたようですが、現在は立入禁止。

(入浴後に休んでいたソファーから偶然「ここが源泉です」を見付けました。源泉湧出量は161ℓ/分。毎晩温泉を抜いて毎朝新しい温泉を入れているそうです。)

「黒湯」と言うと、私の記憶にあるのは銭湯「新宿十二社温泉」。一度浸かってみたいと思っていましたが、確か随分と前に閉業したはずです。黒湯は珍しい温泉なのかと思ったら、関東南部ではあちこちで湧出しているとか。ただ、❝黒の濃さ❞には程度があるようです。「湯守の里」はどうでしょう。こちらが内湯です。

(ネットより拝借。)

「湯守の里」の黒湯、漆黒レベルです。真っ黒。水面から数cm下の手のひらも見えないくらいの濃さです。屋外には自然の雑木林を巧みに生かした複数の露天風呂などが配されていて、かなりいい感じです。

(ネットより拝借。手前は電気風呂・洞窟風呂。奥には「ぬる湯」があって、私はそこが気に入りました。ちなみに、ぬる湯好きの私のおススメは、九州では「有田ヌルヌル温泉」、「熊ノ川温泉」(&お隣の「古湯温泉」)(全て佐賀県)のぬる湯・冷泉がおススメです。)

露天のぬる湯に浸かること30分、まだまだ浸かり続けられそうな快適さでしたが、温泉ですので後で反動が来てもこの後の行程に差し支えますので上がりました。後で知ったことですが、「湯守の里」の黒湯は身体の塩分濃度とほぼ同じ濃さなので長く浸かっていても体への負担が少ないそうです。どうりで上がった後も眠くなるとかだるいとかの❝変調❞は皆無でした。

ここで妻と連絡を取り合いましたが、まだ時間がかかるようなので、私は先に食事を済ますことに。2階の食事処へ。

(揚げたての季節の天ぷらと蕎麦。見た瞬間にこれ一択で決定。(笑))

お昼時ど真ん中でしたので入れるか心配でしたが、すんなり入れました。今日はお盆の特別期間なので、いつもなら食事処だけの利用も可能なところ、温泉利用客限定になっているのも幸いしているようです。で、揚げたての天ぷらと、深大寺名物の蕎麦の天ざる登場。

(蕎麦の大盛り無料。大盛りでお願いしました。これで1400円。都内とは思えないお得感。)

天ぷらも最高でしたが、蕎麦がうまい。深大寺の門前町の蕎麦屋で並ばなくても、ここの蕎麦で大満足だと思います。お会計はロッカーキーを見せて完了。この後も茶々のいる休憩処や、館内のそこここにあるソファーでまったり休憩してちょうどいい時間となりました。

最後に精算。お盆なので温泉利用料は通常より100円アップの1280円、食事が1400円+税、計2820円。良質な黒湯、お得で美味しい料理、混雑もしておらず都内で秘湯感を味わえる雰囲気、まさに穴場。おススメです。

さて、この後妻と合流して、姪っ子夫婦たちと「ベビーザらス」で合流。初めて「ベビーザらス」に入りましたが、じぃじやはぁばに金を使わせるトラップ満載。(笑)

(出産祝いに抱っこ紐などをプレゼント。)

首も座らないジュニアをまた抱かせてもらいましたが、前回よりも重くなっている印象。この後、大音量とともにウ〇チしましたが、新生児なのにスッキリした顔に見えたのは気のせいか。(笑) 元気にすくすく、何よりです。

姪っ子たちを無事に家まで送り届けて、本日のイベントは終了。さすがにお腹が空きましたので、帰宅途中に「味の民芸」で夕食。

(私、牛タンともち麦・とろろ、味の民芸渾身のうどんのセット「牛タン民芸定食」。妻は鍋焼きうどん。おいしゅうございました。)

それぞれが盛りだくさんな一日でしたが、夏休みの楽しい一日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今更ですが「モンハン2G」

2024年08月15日 | アニメ・コミック・ゲーム

夏休みはいろいろな本を読んで自己啓発、、、は一切やらずに、今更ですが「モンハン2G」をプレイしています。

(家の荷物整理をしていたら、懐かしのPSPを発見。)

なぜ今更モンハン(しかも2G)をプレイしているかと言うと、YouTubeに今もモンハン2Gをプレイしていてアップしている人が結構いて、中には、モンハン史上最高傑作と言われる2Gを発売以来15年以上やり続けている、すごい技(洗練の極致)を見せてくれる人がいて、その2分程度の数々の動画にハマってしまったから。

私が最後にモンハン2Gをプレイしたのはブログによると2012年2月らしい。最難関クエもクリアして全てのクエをクリアしたのが2011年6月、当時コレクションアイテムと言われていた、作るのが(作るための素材集めが)最難度の太刀「天上天下天地無双刀」を完成させたのが2012年2月、ここで終わっているようです。

モンハン2Gのプレイヤーは「剣士」か「ガンナー」かのどちらかを極めていきますが、私は当時剣士でやっていました。剣士が使う武器は8種類ありますが、私は「大剣」と「太刀」。

(ネットより拝借。大剣最強、いや剣士最強の通称「抜刀アーティー」装備。立ち回りさえうまければチートと言われていました。太刀なら「カイザミ」に「ゴゴゴ」を担ぐのが最強。)

YouTubeの❝妙技❞を見ているうちに、「ガンナー」が使う武器にもチート級の装備があることを知りました。それが「ラオート」装備。ガンナーが使う武器は3種類。その中の「ヘビィボウガン」の「老山龍砲・極」を担ぐ装備です。ということで、再開した今回は心機一転(?)「ガンナー」を極めていくことにします。(「老山龍」は古龍「ラオシャンロン」。この古龍からの素材を中心に生産する「老山龍砲」の最高火力のヘビィボウガン。これに「自動装填」というおそるべき便利スキルを付与するので「ラオート」。)

極めていくと言っても、10年前にやっていた時にゲットしまくった「素材」がたっぷりありますので、「老山龍砲・極」を生産するのに必要な素材はほぼ収集済み。足りない素材を抜刀アーティー装備で狩りに出て集めます。で、「老山龍砲・極」完成。

(画像が荒すぎますね。「老山龍砲・極」を担いでいます。)

ところが、この「老山龍砲・極」の性能をチート級にするためには装備(防具と装飾品)のスキルが必須で、その装備の素材ゲットのためには大剣・太刀では難関クエとなるモンスターを何度も狩る必要があることに気付きます。「キリン」という雷獣で、私の久々の剣士テクでは倒せません。「どうしたものか?」とネットを見ていると、このキリンを狩るためにあるようなヘビィボウガン「龍木ノ古砲【荒神】」の存在を発見。

(大剣を担いで何度か狩りに出て、足りない素材を集めて完成。「龍木ノ古砲【荒神】」を担いでいます。キリンとの相性最高のセット。)

ちょっと慣れが必要でしたが、慣れるとキリンもサクサク狩れます。これで「装備も完成か?」と思ったら、次に装備にセットする「装飾品」の生産に足りない素材があることに気付きます。(笑) これまた素材集めのためのクエの難易度が、、、。とはいえ、❝次善の❞装備で「老山龍砲・極」を担いで素材集めのために古龍の一種で難敵の「ミラボレアス」を狩りに行くと、これが結構やれます。

(ミラボレアスを討伐した瞬間に表示される「目的を達成しました」と倒れたミラボレアスの画面を撮りたかったのですが、「剥ぎ取り」優先で間に合わずこの画面となりました。大剣・太刀であれだけ苦労した(ような記憶が薄っすらある)ミラボレアスもノーダメで狩れます。)

「老山龍砲・極」を手にしたガンナーの強さを実感。「これが『ラオート』がチート級と言われる所以(の一端)か。」と思いました。ということで、素材集めは続きますが、ガンナーに生まれ変わったロートルプレイヤー、十数年ぶりのモンハン2Gです。(笑)

十数年ぶりに電源を入れたPSP、ちょっと挙動が怪しいですが、ちゃんと動くしセーブにも問題ありません。(相変わらずアナログパッドは時々暴走しますが。(笑)) ソニーのゲーム機って優秀。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「熟成酒 拾伍歩」

2024年08月14日 | お酒と美味しいもの

いただいた米焼酎「山ほたる」も(その美味しさに)あっという間に飲み切って、忘れるくらい以前からパントリーにあった「獺祭」の一升瓶も半月くらいで飲み干して、「次はどうしようか。」とちょっとだけ考えて(笑)、パントリーの奥にあった芋焼酎を開栓することにしました。

宮崎県串間市の「寿海酒造」の「熟成酒 拾伍歩」。

(「拾伍歩」は「じゅうごねんのあゆみ」と読みます。寿海酒造さんの創立15周年記念に造られました。)

宮崎の焼酎を開栓する時の注意、まずは度数を確認すべし。(笑) ということで、老眼鏡でもかろうじて見えるラベルに書かれた度数は36度。サイトで改めて確認すると、「芋力全開!赤芋黒麹仕込みの本格芋焼酎、原酒に近い36度の高濃度のまま封緘しています。」とのこと。

まずはそのままロックでいただくと、とろりとした粘度と、芋焼酎とは思えないいい香りと口当たりの良さを感じます。「これは危ないヤツだ。」と冷静な判断で(笑)、少々冷水を加えていただきました。

ふと思って、サイトで確認すると、寿海酒造さんの創立は1985年(昭和60)。15周年記念ということは2000年に出されたものかも(限定2000本だし)。失礼にもどなたにいただいたか記憶が消えていますが、2000年のことかどうかは別にしても、うちのパントリーに20年くらい眠っていたのだろうか。時の流れにしか出せないと思えるまろやかさにそんなことを感じた、とある日の晩酌でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする