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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

旅、再び

2020年09月17日 | 旅行

旅、再び。

そんな言葉がぴったりの、素敵なプレゼントをいただきました。

時間を見つけては夫婦で九州各地を巡っていますが、豊かな旅を思い出させてくれる、素敵なものです。

 

唐津焼の「赤水窯」のスープ用のマグ。

(この独特の釉薬模様は「斑唐津」(まだらからつ)という、釉薬を塗り重ねて景色を作る技法とのことです。)

唐津焼は、7月に東松浦半島に一泊旅行に行った時、旅のプランには入れていたのですが、時間の都合で、地元のお店や窯元に立ち寄れませんでした。

こんな素敵な焼物なんですね。

(中の景色も最高です。)

マグの裏(底)には釉薬は塗られておらず、土の顔が見えますが、これがまた素敵です。

 

小石原焼の「鶴見窯」のマグカップ。

(鶴見窯は若い陶工さんが作陶されているようです。)

小石原焼は、8月と9月にまたがって、黒川温泉と奥日田温泉に2泊旅行をした時の3日目、兄弟窯の小鹿田(おんた)焼の里は散策したのですが、お隣の小石原地区までは行けず、「道の駅小石原」で作品を見るのにとどまりました。

小鹿田焼のマグカップをお土産に1つ買ったので、この飛び鉋が素敵な小石原焼のマグカップで、兄弟窯のマグカップがそろいました。

(大ぶりのマグカップですが、軽い!)

小鹿田焼と小石原焼がそろう、、、何だかワクワクします。

 

鹿島酒蔵ツーリズム」の舞台、竹崎蟹でも有名な鹿島の酒蔵「矢野酒造」の「権右衛門」。(ツーリズムには2018年、2019年と2年連続で行きました。2020年はコロナの影響で中止。)

(ピントが、、、。)

「矢野酒造」のフラッグシリーズ「肥前蔵心」の純米大吟醸の最上位銘柄。

このお酒を飲んだ瞬間に「(身の味が濃い)竹崎蟹にも合う、しっかりした味わい。」と感じました、、、何となく記憶があったので、ブログを振り返って見ると、3年前(2017年)に鹿島のお隣の太良町の「蟹御殿」に1泊旅行に行った時、夕食で竹崎蟹のフルコースを食べながら「肥前蔵心」を飲んでました。(笑)

そして、サプライズは、こちらの2本。

モザイクをかけているのが本当に申し訳ないのですが、私の名前がラベルになっています。

本物のラベルにしか見えない❝技術力❞、、、すごい。

ベースですが、左側は、令和2年7月豪雨で甚大な被害が出た球磨川流域の「大石酒造場」の米焼酎「大石」、右側はチリワインです。(ワインの銘柄を控えてくるのを失念しましたが、すごく美味しい白ワインでした。)

サプライズ、ありがとうございました!

それにしても、「大石」、有名な「鳥飼」にも負けない上質の米焼酎ですね。熊本県南の米焼酎のレベルの高さは脅威です。ロックでいただくのが断然おススメ。

 

九州を巡る旅は心を豊かにしてくれますが、そんな旅を思い出させていただきました。

旅、再び。

みなさん、ありがとうございます!


「琉球八社」参拝コンプリート

2020年06月25日 | 旅行

約一年前(ちょうどこの時期)、「琉球八社」への参拝を計画しましたが、結果的に3つのお宮へお参りすることができませんでした。

「いつか機会があれば」と思っていましたが、今回、ありがたいことにお参りすることができました。

「琉球八社」参拝コンプリートの顛末です。

 

今回の那覇へのフライトは羽田空港から。

6月19日の「移動自粛」解除後初の週末ですが、搭乗口はこの混雑。

ANAは特に座席の空席は作らず、満席の状態。

もっとも、満席でも全員マスクをしていますし、飛行機内の空気は3分に1回入れ替わるそうなので、それは気になりませんが、CAさんがずっと同じ手袋をして業務に当たっていたことは、「う~ん」です。

 

那覇空港到着後は、「ゆいレール」でホテルの最寄り駅へ。

(「日本最西端の駅」、佐世保駅もそんなキャッチフレーズを使っていますが。(笑))

今年3月からようやく各社の交通系ICカードが使用可となり、現金で切符を買う必要がなくなったので、より便利になりました。

結構この景色が好きです。

(午後6時半頃。沖縄はまだまだ明るいです。)

旭橋駅で降ります。

いつも「ゆいレールの旭橋駅近くで便利だから」という機能的な理由で使っているホテルですが、実は、ここに、戦前の大正3年に開通した、「沖縄県営鉄道」の「転車台」の遺構があることを今回知りました。

平成27年に旭橋の再開発工事を開始したところ、遺構が発見されたそうです。

当時の路線図が説明板に記されています。

(北に走るルートは、ほぼ現在の国道58号線沿いというところでしょうか。)

線路幅は76.2cmとミニサイズで、「軽便鉄道」(けいべんてつどう)、愛称「ケービン鉄道」と言われていたそうです。

「沖縄には鉄道はない」という既成概念を改める史実でした。

 

さて、翌朝月曜日、曇天です。

(ギリギリ雨は降っていません。)

コロナ感染予防のため各ホテルは工夫を凝らしていますが、こちらのホテルでは、朝食会場を15分刻みの予約制にし(5組のみ)、ブッフェ方式ではなく3種類(和食、洋食、サンドイッチ)からオーダーするスタイル。

(サンドイッチにしました。)

ちなみに、フルーツやサラダもプラコップに個別に入れられていて、それを取ります。

 

今回の仕事でご一緒する方と合流し、オフィスへ。

沖縄へ赴任する方には必須の三線、代々受け継いでいく一品として今回特注したという三線を見せてもらいました。

(三線の名人も注文するという名工の作。)

三線の下に見えるCDのジャケットに写る方は、比嘉康春氏。

琉球古典音楽野村流保存会師範、国指定組踊技能保持者、沖縄県指定伝統舞踊地謡技能保持者という、とにかくすごい方にして、現在の沖縄県立芸術大学学長(第7代、平成26年より)。

木の板に毛筆で書かれた一節は、「三線の綾音に踊羽乗せて遊び戯れる事の嬉しや」。

 

午前中の仕事を終えて、この後の仕事まで時間がありましたので、いよいよ、琉球八社のうち、まだお参りしていない3つのお宮をめぐります。

①「末吉宮」。

(別名「社壇」と言うそうです。)

末吉公園内にあることから、参拝ルートはいくつかあるようですが、最短距離でお参りできる、住宅街にある「大名口参道」から進みます。

この現代的とも思える入口を入ってすぐ鳥居がありますが、突然鬱蒼と茂る樹々に包まれます。

急階段を下りて行くと、、、

斎場御嶽」を思い出す、神聖な雰囲気が漂う場所があります。

ここを過ぎると、次は、城(ぐすく)の石垣を思わせる遺構が出現。

ここをくぐると、拝殿に続く石段が。

拝殿です。

ご利益としては出世や商売繁盛とのことですが、願うのは、やはり今シーズンのよろず安全。

この立ち位置から左にパーンすると、眺望が開けます。

社務所もあります。

今日はどなたもいらっしゃらないようです。

社務所の対面の雑木に渡された紐に絵馬が結ばれていました。

末吉宮、想像を超えたパワースポットでした。

ちなみに、御朱印は、今回お参りする、末吉宮、安里八幡宮、天久宮は、波之上宮でいただくことができます。

 

ここで昼食です。

昼食は、沖縄そばの名店「しむじょう」。

昔ながらの琉球家屋、石垣、樹齢100年以上の木々が生い茂る庭、素晴らしい雰囲気です。

そう言えば、昨年も「月桃」の花が咲いていましたが、今年も同じ時期、ここに限らず、那覇市内のそこかしこで見かけました。

(葉は食べ物を包むのに使われます。とてもいい香りがします。)

「セットメニュー」を注文しました。

三枚肉そば(中)、日替わり小鉢2品、季節のジューシー、手作りじーまーみ豆腐。

お客さんがひっきりなしに来る名店の味、全品とても美味しかったです。

 

琉球八社へのお参り再開です。

②「安里八幡宮」。

(昨年巡った時もここまではたどり着いたのですが、駐車できず、お参りできませんでした。)

住宅街にある安里八幡宮、背景の高層マンションと重なる景色を見ると時代感覚がマヒしそうですが、実は、琉球八社の中で最も古いお宮だそうです。

(お隣が保育園で、印象としては、保育園の敷地内に建っている感じ。もちろん、お宮の方が古いです。)

その成り立ちが他の七社とは少し違うようで(熊野権現信仰ではない)、「琉球時代、尚徳王が、喜界島遠征のため、軍を率いて安里を通りかかった時、鳥が飛び立つのを見て『一矢で飛ぶ鳥を射落としたなら島の平定を叶えさせ給え』と祈願し、王が矢を放つと見事に射落とした。島へ向け出港し、船を進めていると海中に鐘が漂っていて軍船の側から離れなかった。これを見た尚徳王は『鐘を手に入れれば戦勝は間違いない。帰国後は八幡宮を崇め奉る』と誓い、鐘を船に乗せて戦に臨んだ。島を平定し凱旋した尚徳王は八幡大菩薩に感謝し、鳥が落ちた地に誓願通り宮を建立した。」という縁起のようです。

 

③「天久宮」。

(鳥居をくぐると駐車場。(笑))

何となく鳥居を車でくぐるのがはばかられたので、右脇から駐車場に入ります。

車から降りると、「んっ?お宮へはどこから行くの?」と一瞬戸惑いますが、鳥居の左脇、阿吽のシーサーがいる階段を下りて行きます。

(ここから。)

お宮です。

天久宮では熊野三所権現(熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)、事解之男神(ことさかのをのかみ))をお祀りしています。

集会所のような印象のお宮ですが、先程の階段はまだ下に続いていて、最後まで下ると、祈りの場だと思われる神聖な雰囲気のある自然の巨岩があります。

私の推測ですが、お宮の建物はお祈りの場を囲うように後日作られたものだと思います。

社務所があるので、神職の方がいれば、ここで御朱印をいただけますが、今日はご不在のようです。

こちらでのお参りを最後に、末吉宮、安里八幡宮、天久宮へ無事お参りをすることができました。

昨年お参りした、波之上宮、沖宮、識名宮、普天満宮、金武宮(金武観音寺)と合わせて、「琉球八社」への参拝コンプリートです。

達成感と、根拠レスな「何だかご利益がありそう」という安堵感を体いっぱいに感じました。(笑)

 

「波之上宮」へ移動し、今日お参りした3つのお宮の御朱印をいただくことに。

昨年ここに来た時は、アジアからのインバウンドと国内の観光客で大混雑していましたが、今日はほとんど人がいません。

人気のない境内、波之上宮の魅力を満喫することができ、ちょっと感激です。

御朱印をいただく前に、波之上宮にもお参りを。

今回、沖縄の方と波之上宮にお参りして確認することができた貴重な情報、狛犬シーサーが、壺屋の名工の「島常賀」(しまじょうが)さんの作であること。

そして、場所は離れて、沖縄のオフィスの敷地にあるシーサーも、同じく島常賀さんの作品。

オフィスのシーサーは、現在なぜか一頭だけで、対のもう一頭の行方がまだ判明していないそうです。

もう数十年も経っているとのことですので、探索は困難を極めているようですが、再びペアになることを心から祈っています。

波之上宮の境内の見事なシーサーも堪能し、御朱印をいただきました。

(波之上宮の御朱印も再びいただきました。ホテルにて撮影。)

今は感染予防のため、御朱印帳への記帳はされておらず、紙での授与となっています。

福岡の単身住まいに帰宅後、昨年のお参りの時に買った波之上宮の御朱印帳に丁寧に貼らせていただきました。

 

まだ時間がありましたので、昨年12月に「斎場御嶽」を訪れた後、那覇散策で行ってみたかったけど、時間と体力の限界で断念した、壺屋焼の窯元や販売店の連なる通り、「壺屋やちむん通り」へ。

会社関係でお世話になっている窯元「壺屋焼 小橋川清正 陶器工場」さんのお店を訪ねました。

小橋川清正さんは壺屋焼の名工で、2000年の沖縄サミットの晩餐会で、その作品が「位置皿」として使われたそうです。

その皿がこちら。

小橋川清正さんの作品の最大の特徴は「赤」色だそうです。

店内の作品を、許可をいただき、写真を撮らせていただきました。

見ていると赤色の魅力にすっかり心を奪われ、カップ&ソーサーを購入。

(単身住まいにて撮影。)

お皿の模様も魚です。

素晴らしい作品で、大分の竹田の髙木逸夫さんの作品のカップと併用して毎朝コーヒーを飲んでいます。(インスタントコーヒーも一味違って豊かな気持ちでいただけます。)

 

次は、火災跡も一定の整備がされ、見学することができるようになった「首里城」へ向かいますが、道中、名物の饅頭屋さんに立ち寄ります。

「山城(やまぐすく)まんじゅう」。

(月桃の葉に包まれています。)

いつも売り切れている人気の饅頭だそうですが、偶然にも(ラッキーにも)ちょうど蒸し上がった、出来立てを買うことができました。

沖縄のKJさん曰く、「琉球八社をコンプリートしたので、次は『那覇三大まんじゅう』をコンプリートしてください。」、、、那覇三大まんじゅう、気になります。(笑)

調べてみると、「のまんじゅう」、「山城まんじゅう」、「天妃前(てんぴぬめー)まんじゅう」が三大まんじゅう。

のまんじゅう」は以前オフィスでいただきましたので、「天妃前まんじゅう」でコンプリートですね。(笑)

 

「首里城」です。

今回は守礼の門から入城します。

「歓会門」をくぐって「瑞泉門」へと登っていくルートは前回と同じです。

そして、昨年12月に来た時には、この「奉神門」前の広場から先は立入禁止でしたが、現在は一定の整備がされ、再建工事の現場を見学することができます。(入場料発生。)

(真新しい木材で階段とスロープが設置されています。)

正殿前の「御庭」(うなー)。

「大龍柱」は養生され、焦げた所を取り除き再生中のようです。

正殿の装飾で焼け残った部分が見学できるように並べられています。

焼失した正殿跡に発見された謎の遺構も見学できるようになっています。

(1985年の発掘調査の際、埋め戻されていなかった未公開の石組みの地下遺構の露出部だそうです。)

順路に沿って進みます。

こちらも焼失した部分を並べたものです。

雨がパラパラ降っていますが、雨よりも、沖縄の方も辟易するほどの湿気(蒸し暑さ)。

傘をさすと自然とソーシャルディスタンスが保たれるので、たまらずマスクは外します。

ここも初めて登る高台です。

左手の景色を見ると、泡盛を王宮に納めていた「瑞泉」の泡盛蔵があります。

これぞ沖縄という湿気に大汗を流しながら車に戻り、お世話になっているという「瑞泉」さんを訪問。

(雰囲気たっぷりの入口。)

消毒はアルコール度数78度の泡盛!

ニュースで、酒蔵が消毒液として使えるアルコール度数の高いお酒を造っているということは知っていましたが、使うのは初めて。

これが何と、泡盛の香りが立ちます。

お酒好きのTYMさんが何度も消毒していましたが、もはや消毒ではなく、❝掌で一杯やっている❞感じでした。(笑)

限られた時間なのでショートバージョンで、泡盛造りの工程を工場とビデオで見学させていただきました。

「造り手の思いを知って 味ひとしお」。

ありがとうございました!

 

この後、仕事をしっかりとやって、夜は、感染予防対策をしての少人数での懇親会。

(市内の高台にあるBBQのお店です。)

19時半にしてこの明るさ。

(大型のしっかりとしたタープを張ってあるので、雨天でもOKです。)

道具から食材まで本格的なBBQです。

(鶏丸ごと一羽の次は、大きな肉の塊を焼きます。)

お店の人がサポートに付いてくれますが、ホットドッグのサルサソース作りや、焼けた丸鶏の解体、肉のスライスなどは「みなさんでやってください!」とのこと。

(すみません、食べる専門に徹してしまいました。(笑))

見事に解体された丸鶏。

(激ウマ。)

ホットドッグ、サルサソースがけ。

(激ウマ。)

焼けた肉の塊をカット中。

盛り付けて、ニンニクチップを散らしたら完成!

(激ウマ。)

とにかく料理が本格的。

この他に、ダッチオーブンで作ったスープや蒸し野菜も出てきます。

ドリンクは、オリオンはじめビール各種の小瓶をラッパ飲み。(もちろん、泡盛もあります。)

雨もすっかり上がり、陽も暮れて、タープに吊るした照明を落とすと、ランタンが置かれます。

(ムード満点です。)

BBQ、感染予防対策バッチリ、料理は激ウマ、開放的な景色とランタンの醸し出す雰囲気、素晴らしい趣向でした。

ごちそうさまでした!

この後、ホテルへ。

翌朝は、那覇空港を早朝7時に発つ飛行機で福岡に戻りますので、5時には起床です。

 

寝過ごすこともなく、無事起床。

(外は真っ暗。)

旭橋駅の始発のゆいレールで那覇空港へ。

早朝の那覇空港、ガラガラのように見えますが、搭乗する便はそこそこ混んでいました。

朝食よりも早くチェックアウトするので、ホテルが簡単な❝朝食BOX❞を用意してくれました。

パン各種とミニトマト、ピクルス、パイナップル、おーいお茶、十分な朝食です。

向かい風で定刻よりも少々遅れるというアナウンスがありましたが、結局ほぼ定刻で福岡空港に到着。

福岡に降り立っての最初の感想は、「爽やかぁ~」。

那覇の湿気を体験したせいか、この後しばらくは、ずっと爽やかさを感じながら過ごしました。

ひょっとして、サウナで「ととのう」とはこんな感覚なのでしょうか。(笑)

 

琉球八社への参拝のコンプリート。

まさかこんなに早く達成できると望外の喜びです。

沖縄のみなさん、お世話になりました、ありがとうございました!


宇土半島一周

2019年09月23日 | 旅行

台風17号が北部九州を通過した三連休最終日、熊本の宇土半島を一周してきました。

夏休みに産山村から天草に行く道中、いくつかのスポットに立ち寄りましたが、もう少しマイナーな所も見てみたいと思ったのと、ちょっと用事もあったので。

 

松橋(まつばせ)ICで降りて時計回りに一周。

まずは「道の駅不知火」。

不知火海の絶景を望むことができます。

不知火はデコポンの発祥の地だそうです。

柑橘系の栽培に適した風土らしく、旬な柑橘が次々に道の駅に並ぶようです。

今は、早生のみかん。

(「潮風みかん」と書かれていました。)

まだまだ青いみかんではなく、柿を買いました。

たまたまだと思いますが、2個入りで、(帰宅後開けてみると)1個は超完熟、1個は若い、好対照。

完熟の方を夕食後に食べましたが、半分に割ってスプーンですくって食べるほどの完熟ぶり。

とても美味しかったので、「太秋柿」ってどんな柿なのかを調べてみると、数種類の甘柿をかけ合わせて作られた高級柿だそうです。

 

次は「松合土蔵白壁群」。

松合地区は家々が密集しているがゆえに江戸時代から度々火事に見舞われたので、防火対策として白壁土蔵造りにされたとか。

観光ルートは、生活路地を徒歩でてくてく、という感じ。

駐車場が見当たらなかったので、このあたりに車を停めて、「さぁ歩くか。」と思いましたが、あまりに道が狭く、民家の中に入ってくような感覚で、この坂を登ったあたりで引き返しました。

ちなみに、松合は、2018年に公開された劇場版「夏目友人帳」の舞台地のひとつと言われているそうです。

 

半島の突端、三角港にある「海のピラミッド」。

一体これは何?

答えは、三角港フェリーターミナルだそうです。

中は空洞ですが。(笑)

ピラミッドと言うよりは巻貝のような建物は、ぐるぐると上れます。

眺望良し。三角駅方面の広場。

三角駅をズームで撮ってみましたが、なかなか雰囲気のある駅です。

熊本と三角を結ぶ特急「A列車で行こう」の終始発駅ですね。(偶然、この後の道中で「A列車で行こう」を見ました!)

ピラミッドの❝頂点❞に到着。

日差しはそこそこ強烈ですが、風は秋の風、しばし眺望を楽しみました。

 

「三角西港」を再訪。

夏休みの時はいなかったと思いますが、今日は魚釣りをしている人がずらり。

(竿をしならせている人もいましたので、どうやらいい釣りスポットのようです。)

ラウンドした石垣越しの天草へ渡る橋。

ここのお土産物屋さん「ムルドハウス」で、妻からの依頼の品はゲットできたのですが、自分の目当ての品が買い切れず、お腹もかなり空いたので、ちょっと天草に入ってみます。

(並行して架かる橋。)

宇土半島から天草へのボトルネックとなる一本道(橋は2本ですが(笑))、夏休みは少し混んでいましたが、今日はガラガラ。

 

夏休みにはスルーした、「道の駅 上天草 さんぱーる」にあっという間に到着。

数々のリアルオブジェがありますが、車エビと、、、

(すごいリアル感。)

天草大王が秀逸なり。

(幻の鶏、天草大王。)

無事、目的の買い物を終え、昼食を。

三連休最終日ですがお昼時に並ぶこともなくレストランに入店できました、、、やはり台風の影響でしょうか。

「これを食べなくてどうする!」と言わんがばかりの「限定20食」。

もちろん、「さんぱーる丼」を注文。

(あおさの味噌汁も絶品。)

さすが天草、ネタ(玉子、イクラも含めて全部で10種類だと思います)が新鮮で美味しい!

当店特製タレを多めにかけていただきましたが、寿司飯の美味しさも印象的でした。

道路向かいには「天草四郎ミュージアム」があります。

夏休みではスルーしましたが、今回もスルー。

 

宇土半島一周の旅に復帰する前に、これまた夏休みにスルーして気になっていた「あまくさ村」に寄ってみました。

(ちくわ、逆光。)

「あまくさ村」のシンボル、「日本一の天草四郎像」。

多分、大きさが日本一なんでしょうね。

店内も回ってみましたが、いわゆるお土産物屋さんですね。

もちろん、入口に巨大ちくわがあるだけあって、ちくわのお土産が充実していました。

ここにも天草砥石がありました。

(「ムルドハウス」や「さんぱーる」よりもちょっと高めかな。)

 

さて、宇土半島に戻って来ました。

「道の駅 宇土マリーナおこしき館」。

(天気晴朗なれど波高し、で船は出ていません。)

賞味期限1日の宇土名物「小袖餅」が気になりましたが、食べ切れそうにないので断念。

ここから少し走ると、「御輿来海岸」ですが、国道57号線沿いは車2台も停められないようなスペースがあるだけ、、、ですが、誰も立ち寄らないので大丈夫。

(満潮でしょうか、景勝の干潟は海の中。)

名前の由来は、4世紀中頃、景行天皇が九州遠征の際、洗濯岩と干潟模様の美しさに見とれて、しばらくの間、御輿を停めて休まれたことによるそうです。

この付近にある「大榮稲荷神社」にお参りしようと思い、ナビでははっきりしないところ、運よく案内板を見付けたので、その通り走って行くと、車1台ギリギリの道を登り切って、ここに出ました。

御輿来海岸を望むことができる展望所です。

(駐車場横の展望デッキになぜか鐘。)

絶景です。

(沖に張り出している波止に電柱が並ぶ。)

景色を満喫して、あやうくお参りを忘れるところでした。

「大榮稲荷神社」。

お参りして、下山。

ちなみに、干潮とタイミングが合えば、御輿来海岸はこんな景色になるそうです。

(展望所の説明板の写真を抜粋。)

出発しようとすると、バッタがフロントガラスに。

(バッタがたくさんいる藪道を車で抜けてきました。)

 

下山後、しばらく走ると、「長部田海床路」(ながべたかいしょうろ)があります。

海床路とは、満潮時に海の中に沈む道のこと。

干満の差が激しい有明海での海苔の養殖や採貝のために、沖合1kmまで電柱を立てる必要があり築かれた道路。

確か、大分麦焼酎「二階堂」のCMで有名になった場所。

ちょっと物悲しさを感じる不思議な景色でした。

 

半島の付け根の内陸あたり、「轟水源」。

普通の街の中にあります。

日中、暑さも増してきたので、足を浸けている人がいました。

真夏には水遊びをする子どもたちで大賑わいだそうです。

 

と、これにて宇土半島一周の旅は終了ですが、佐賀市諸富町の「筑後川昇開橋」を見てみたくて、帰りに寄ってみることに。

九州道に乗って、北熊本SAで休憩。

名物「いきなり団子」をいただきます。

美味しかったぁ。

レシートを見ると、「ROYAL」とありましたので、店内のレストランやカレーパン屋だけでなく、この団子屋さんもやっているのですね。

 

八女ICで降りてしばし走ると、「筑後川昇開橋」に到着。

河川敷に下りて見た景色がこれです。

雄大な筑後川にかかる、福岡の大川市と佐賀の諸富町をつなぐ昇降式の橋。

昔は国鉄の列車が走っていたそうですが、今は歩道橋となっているそうです。

 

道路に案内板が出ていた「三重津海軍所跡」が近いようですので、ついでに立ち寄り。

こんな感じです。

はい、当時の建造物はなく、説明板が点々とあるだけ、、、ではなく、資料館でVR用のヘッドセットを借りれば、当時の景色が再現されるそうです。

残念ながら、私は時間が遅かったので体験できませんでしたが。

 

これにて全行程終了、福岡に18時には戻りました。

気が付けば9月もあと一週間かぁ、早いなぁ、、、。


熊本パワースポット巡り

2019年08月05日 | 旅行

今年の夏休みのプランに先立って、妻が来福する前に、❝趣味の一人旅❞(日帰り)をしてきました。

訪れたエリアは、熊本県の、小国、阿蘇、南阿蘇、高森、山都、美里、です。

まずは、小国の情報収集のための2階フロアがある「道の駅小国ゆうステーション」へ。

(後ろの、ウルトラマンの「科学特捜隊」の基地みたいなのが道の駅。)

事前に調べた情報以上のものはなかったので、サクッと出発。

 

小国の「小国両神社」が最初の訪問スポットです。

小国郷を開拓した高橋宮(高橋大神)と火宮(火宮大神)、その母神である雨宮(雨宮媛命)を主祭神とし、「両神社」の名前の由来は、高橋宮と火宮の二柱を祀っているから、とのこと。

(楼門が素晴らしい。)

拝殿。

威風堂々の「三神杉」。

(兄神:高橋大神、母神:雨宮大神、弟神:火宮大神。)

説明板には、「三本にわかれたそれぞれの木に主祭神のご神霊が鎮まります。」と書かれています。

ネットで見た両神社の御朱印帳が素敵なので買おうと思っていたのですが、平日月曜日、社務所は「本日不在」との札が出ていました。

(引き戸の一番左側の貼り紙に本日不在の旨が、、、残念。)

御朱印帳と御朱印は、夏休みの妻との旅行の時にいただこうと思います。

今日是非トライしたいと思っていたのが、「福運三社めぐり」。

三つの開運スポット、「小国両神社」、「けやき水源の水神様」、「鏡ヶ池の恵比寿様」をお参りしてスタンプを集めると、福運三社の祈願を込めた「福銭」と交換してもらえる、というもの。

由来です。↓

三社めぐりの始まりは江戸時代。ある商人が不思議な夢を見たので、吉兆だと思い「富くじ」を買ってみたところ、「一番くじ」が当たった。商人にご利益があったのは、『けやき水源の水神様』の湧水で毎朝身体を清め、『両神社』で商売繁盛を祈り、夕刻にその日の売上報告を『鏡ヶ池の恵比寿様』にするという生活を毎日行っていたからだと言うものだから、たちまち「小国の福運三社めぐり」をする人々が増え、当たりくじを引き当てたという人が次々に現れた、、、。(ネットよりほぼ拝借。)

こちらが「けやき水源の水神様」。

川の方を見ると、こんなに清々しく美しい景色。

(張り出している枝は、この大けやきの枝。)

スタンプをいただきます。

続いて、「鏡ヶ池の恵比須様」。

これで3つのスポットのスタンプがそろいました。

この3つのスポット、徒歩5分圏内にありますので、手軽に回れますが、なかなか見応えのあるスポットでした。

「福銭交換店」のステッカーが貼られているお店で「福銭」を❝お借り❞します。

お店の方に「いいことがあったらお返しに来てください。」と教えてもらいました。

(福銭奉納箱。)

いいことがありますように。

ということで、両神社は、江戸時代の富くじのストーリーから、両神社に祀られる高橋宮と火宮の二祭神は「千両・万両の神様」と呼ばれ、今や宝くじのパワースポットとなっているそうです。

 

次は、阿蘇の「国造(こくぞう)神社」と「阿蘇神社」をめざします。

道中、あまりに阿蘇の山並みの景色が良かったので、写真スポットに立ち寄ってみました。

(「山田パーキング」と書かれていました。)

景色の説明がありました、ざっと趣旨はこうです。

根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳を全体的に眺めていると、仏様の寝ている姿に似ていることから、ここから見る景色を「阿蘇の涅槃像」と言う。根子岳が「顔」、高岳が「胸」、中岳が「へそ」、杵島岳と烏帽子岳が「膝」。

 

「国造神社」に到着。

(左側に駐車場がありますが、私だけのようです。)

「延喜式神名帳」に肥後国は四座(健磐龍命神社(阿蘇神社)、阿蘇比咩神社(阿蘇神社)、国造神社、疋野神社(玉名に鎮座))が記されており、国造神社は、その四座のうちの一座、すなわち、熊本県内において、最も古い神社の一社。

肥後国誌によれば、崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、景行天皇18年に、国造神社を修造し祭典を整えたとある、そうです。

(ピンとした空気が流れます。)

父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命とともに阿蘇の地を開拓し、農耕、植林などを指導したとされる速瓶玉命(はやみかたまのみこと)を主祭神とし、御妃、御子息の合わせて4柱の神をお祀りしているそうです。

由来の通り、阿蘇の農耕祭事が、ここ国造神社と阿蘇神社で毎年行われているそうです。

(写真は「御田祭」。阿蘇神社にも同じ説明写真がありました。)

御神域に渡る橋の下には清らかな川が速く流れています。

拝殿脇に御朱印のスタンプが置かれていますので、お参りの後、押させていただきました。

(日付を書くようにボールペンが置かれていましたが、さすがにボールペンでは、、、帰ってから筆ペンで書くことにします。)

広い境内の一画に、速瓶玉命お手植えと伝わる「手野のスギ」があります。

(ものすごい巨木です。)

樹齢1000年とも2000年とも言われ、天然記念物に指定されていたが、平成3年の台風19号によって高さ11mの所で折れ、その後、枯死したため、平成12年9月6日で天然記念物の指定を解除された、とのことです。

 

さて、現在時刻は11時40分、お腹が空きました。

阿蘇神社にお参りする前に、昼食を。

タイミングが合えばここにしようと思っていた、JR九州の情報誌、「旅のライブ情報誌 プリーズ」7月号で紹介されているここ。

「阿蘇はなびし」で「牛カツ重」!

名産「あか牛」の牛カツは、東京新橋の「おか田」と同じく超レアですが、あっさりしていて美味しい!

お値段はちょっと高めの約2300円ですが、おススメです。

もし、再訪の機会があれば、「牛カツカレー」か「煮込みハンバーグ」を食べようと思います、もちろん「あか牛」です。

お店のすぐ脇には湧水が勢いよく出ています。

阿蘇神社の参道の地下には水脈が通っており、昔ここに神殿ができたのも豊富な湧水があったから、だそうです。

門前町ではこの湧き水を「神乃泉」と呼んでいるそうですが、門前町の道の左右で「水基」が点々とあり、それぞれで味が違うらしいです。(残念ながら、後で知ったことなので、飲み比べはしていません。)

ふと山の方を見ると、中岳でしょうか、噴煙を上げています。

気象庁のサイトによると、「噴火警戒レベル2、火口周辺規制」。

 

いよいよ「阿蘇神社」へお参り。

熊本地震によって倒壊、損傷した建築の復元工事の真っ最中のようです。

よって、お参りもここからこのようにします。

お参りの後は、御朱印をいただきますが、阿蘇神社の御朱印帳が素敵なので買いました。

御朱印です。

事前にネットで知ったのですが、阿蘇神社で国造神社の御朱印もいただけるとのこと。

(いただきました。)

帰宅後、スタンプと並べてみましたが、不思議なもので、同じようにありがたさを感じます。

ありがとうございました。

 

気温は福岡市街よりも数度低い31度くらいですが、やはり暑いので、「道の駅阿蘇」でソフトクリームを食べることに。

ソフトクリームが3種類ある!

直感で「竹原牧場」にしました。

妻が一緒なら「阿部牧場」も買って食べ比べられたのですが、、、ちょっと残念。

トウモロコシが旬なようです。

トウモロコシが大好きなので、単身赴任じゃなかったら即購入ですが、ここはグッと我慢しました。

ここでも噴煙がはっきり見えました。

お盆休みにはお客さんで賑わうのでしょうから、これ以上噴火警戒レベルが上がらなければ良いのですが。

 

次は、南阿蘇から高森、山都へと向かうのですが、スルーしようと思っていた、「阿蘇白水龍神權現(白蛇神社)」に通りかかったので、立ち寄ってみました。

かなり近代的で、境内にある水場に若い女性数人が神職の説明を聞いていました。

多分、有料の白蛇関係のサービスを受けているのだろうと思いましたが、ちょっと空気感がしっくりこなかったので、山門前で一礼して離れました。

 

高森の道中にあった「高森阿蘇神社」、ここも偶然の立ち寄りです。

神職が常駐していない神社のようですが、ピーンとした空気感、お参りさせていただきました。

ただならぬ雰囲気に、帰宅後由来を調べてみました。

高森阿蘇神社は、昔「矢村社」と言ったそうです。御祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)が住む土地を思案していたところ、「矢が当たった所に住もう。」と考え、阿蘇山上から放った卜矢(占う矢)が当たった場所にした、という神話の中、1本の矢は、北側の矢村神社に当たり、その一帯が阿蘇神社となり、もう1本は、南側のこの地の岩に当たったので、ここが矢村社となった、とのことです。

だから、高森阿蘇神社と言うのですね、、、ただならぬ雰囲気も納得です。

 

トイレ休憩に「道の駅そよ風パーク」に立ち寄りました。

(本日のレンタカーは、まだ300kmしか走っていない、借りる人2人目の、ほぼ新車のフィット。)

宿泊棟など様々な施設がある、道の駅とは言え、複合施設でした。

 

次は、同じく高森の、知る人ぞ知るパワースポット「上色見熊野座(かみしきみくまのいます)神社」。

延々と(ちょっと大げさか、、、10分ぐらい)階段を登って行きます。

(「熊野」と言うだけあって、熊野古道のような趣。)

やっと登り切りました。

神秘的な雰囲気の中、お参り。

お守りを授与していただけますが、❝セルフ❞。

熊本随一とも噂されるパワースポットの雰囲気を満々に感じて、お守りをいただきました。

(裏は「上色見熊野座神社」と刺繍されています。)

ここで❝下山❞せず、更に急坂を5分強登ると、神秘的なエリアに着きます。

(巨大岩が出現します。)

この巨大岩は穿戸岩(うげといわ)と言い、巨大な岩に穴が空いていることから、どんな困難な目標も達成できることの象徴、とのことで、それゆえ、この岩に触れると受験合格や必勝のご利益を授かることができるパワースポットとして多くの人が訪れているそうです。

(穿戸岩を真下から見上げます。)

この穴は、阿蘇神社の御祭神の健磐龍命の従者であった鬼八(きはち)法師が蹴破ったという伝説が残されているそうです。

この穴に立つと、涼やかな風が吹き抜けますが、風水で言う龍脈のような感覚でした。

 

最後のパワースポット、「幣立(へいたて)神宮」をめざします。

道中、絶景の温泉地「月廻り温泉公園」を通りました。

(ライブで見ると、パノラマ感がすごいです。)

時刻は16時半、「幣立神宮」に到着。

「石」ではなく「木」というところに感じるものがあります。

(石灯籠ではなく灯籠も木。)

幣立神宮の歴史は古く、15000年(!)も昔からあるらしいです。

神武天皇の孫である健磐龍命がこの地で幣を立て宇宙から降臨された神々を祀ったことが始まり、とのこと。

拝殿では神事の真っ最中でしたので、静かにお参りさせていただきました。

主祭神は、神漏岐命(かむろぎのみこと)と神漏美命(かむろみのみこと)。この二柱は、古代人々が互いに争うことを天の神が心配して地上に遣わしたとされ、火の玉に乗り、幣立神宮の檜に降臨したそうです。

その他の御祭神は、天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)、天照大神、、、天地開闢に関わる神々がずらり。

幣立神宮、「隠れ宮」と言われるそうですが、すごいパワースポットでした。

パワースポットめぐりはこれで終わり。

 

時刻は間もなく17時です。

帰路にもなりますので、「通潤橋」に立ち寄ろうと思います。

まずは、その関連で、「通潤用水」として「小笹」地区にある「円形分水」(通潤用水小笹円形分水)に行ってみます。

奇しくも、この「通行止め」から160mの所。

(もちろん、熊本地震の影響です。)

この円形分水で、農地面積の比率によって7:3の割合で2つの方向に分けられています。

7割は通潤橋の通潤用水へ水を運び、もう一方の3割は野尻・笹原地区へ送水しているそうです。

昭和31年のこの円形分水の完成によって、それまで絶えなかった水争いが解消されたそうです。

 

ここから「通潤橋」までは30分とかかりません。

通潤橋は修復中で、立入禁止です。

現在の通潤橋です。

「五老ヶ滝」のつり橋には行けるようです。

(駐車場から10分弱下って行くと、このつり橋があります。)

つり橋の上から滝を見ます。

落差50mの大迫力です。

地震の前は滝壺近くまで行けたそうですが、現在は立入禁止とのことです。

 

駐車場に戻って、最後に「道の駅通潤橋」に行ってみました。

17時を過ぎていましたので、閉店状態でした。(笑)

駐車場から通潤橋を見ることができますので、あの放水の勇姿が戻ってきたら、絶好の撮影スポットです。

誰もいない夕暮れの駐車場だと、こちらもちょっと怖い。

山都町三大祭(火伏地蔵祭・八朔祭・清和文楽の里まつり)のひとつ「八朔祭」は、江戸中期から約260年の歴史を持つ、豊作祈願と商売繁盛を願う祭で、祭の目玉が「大造り物」の引き廻しだそうです。

この人形(?)はその「大造り物」のようです。

 

最後の最後は、ここ「霊台橋」(れいだいきょう)。

「霊台橋」は、江戸時代の「石造単一アーチ橋」。

矢部地区に至る難所「船津峡」は交通の要衝で江戸中期より木橋が架けられたが、いずれも流失したため、石橋架橋が計画され、弘化3(1846)年から弘化4(1847)年にかけて工事が行われ完成、昭和41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用されたそうです。

(橋の上、歩けます。)

やや遠く上流を見るとダムがありますが、「船津ダム」です。

霊台橋、なかなかの威容でした。

 

これにて本日の行程は全て終了。

レンタカーの営業所に返却がちょっと遅れる旨の連絡を入れて、帰路へ。

九州道の御船ICから乗って、北熊本SAで夕食。

「熊本ラーメン、餃子セット」にしました。

久々のラーメンでしたが、おいしゅうございました。

ちなみに、昨年の夏休みの旅行の帰路、妻が買った「いきなり団子」のお店は閉まってました。

ラーメンを食べながら観ていたニュースで明日九州に上陸するであろう台風8号関係を報じていました。

(今日訪れたエリアの名前がずらり。)

そう言えば、車の運転中、何度かエリアメールがけたたましく鳴っていました。

今晩から危険が発生するかもしれないので、今のうちに避難せよ、ということですね。

 

北熊本SAから見た夕焼け。

パワースポット巡りの余韻を味わいつつ、明日に備えることとします。


沖縄小旅行(琉球八社と城跡めぐり)

2019年06月03日 | 旅行

初めての石垣島から沖縄本島への出張、土曜日は福岡に戻るだけなので、フライトを夜にして、レンタカーで回ってみました。

テーマは、「琉球八社」へのお参りと、「城跡」の散策、です。

行程はこんな感じです。

 

琉球八社とは、琉球王国において「官社の制」により王府から特別の扱いを受けた8つの神社のこと。

ちなみに、時間の関係で、今回泣く泣くプランから外した名所。

 ・北部の「今帰仁城(なきじんぐすく)城跡」:空港まで3時間弱、フライトに乗り遅れるおそれあり。
 ・南城市の「斎場御嶽」(せーふぁーうたき):1時間はかけてじっくり見学したい(時間が厳しい)。
 ・首里城近くの「玉陵」(たまうどぅん):中心地なので次の機会に徒歩で散策を。

琉球八社で那覇周辺にある六社の位置関係はこんな感じ。

那覇周辺のお宮は入り組んだ住宅街の中にあって車を停めることができず、お参りできなかったお宮もあります。

 ・お参りできたお宮:波之上宮、沖宮、識名宮、普天満宮、金武宮(金武観音寺)
 ・お参りできなかったお宮:安里八幡宮、天久宮、末吉宮

それでも最後までお天気に恵まれ、充実した小旅行となりました。

 

 土曜日朝、雲が多いですが、雨は降っていません。

朝食は7時からなので、まずは朝風呂を。

沖縄では数少ない天然温泉「三重城温泉」が湧出していますので、昨晩は大浴場を楽しみましたが、同じ温泉が部屋でも出ますので、今朝はそちらを楽しみます。

(地下800mからの40.9℃の食塩泉(約800万年前の化石海水)で、なめるとしょっぱい。)

浴室から窓の外の景色を見ながら、起き抜けから贅沢をさせてもらいました。

朝食はブッフェスタイルですが、混雑もなく快適、沖縄料理をはじめ地元の食材を使った美味しいものばかり。

(不思議なことに自然とバランスの取れた食事となりました。)

 

8時半にはチェックアウトして、ホテル内のレンタカーカウンターへ。

「車はホテルから出て海沿いの駐車場のココにありますのでお客様ご自身でお願いします。」とのこと、スピーディーで楽です。

駐車場への道は、何やら石垣が。

このあたりは、「三重城」(みーぐすく)という城跡のようで、遡ること約500年、琉球王朝時代の那覇港の沖合500mに築城された、倭寇や中国の海賊に対する防衛の要塞だったそうです。(だから「三重城温泉」なんですね。)

 

無事、自分でレンタカーをピックアップして、さっそく、ホテルに最寄りの琉球八社、沖縄総鎮守の「波之上宮」へ。

(真っ黒な鳥居が渋い。)

インバウンドの観光客で大賑わいなのにはちょっとびっくり。

白い法被を着たおじさんに駐車場のことを聞いたら、「30分以内でね!」と言われました。

軽の「ムーヴ」だったことが幸いして、空いていた軽自動車専用の駐車場に入れました。

さっそくお参りを。

(快晴だったら映えるでしょうねぇ。)

今回の琉球八社めぐり用に買おうと思っていた御朱印帳を買って、、、

御朱印をいただきました。

「波之上」というぐらいですから、海際の断崖絶壁の上に御鎮座されています。

(境内から砂浜に下りて撮影。この崖の上です。)

御朱印帳の裏の模様がこの景色です。

(海の上から見た景色ですね。)

波之上宮の御由緒はなかなか難しく、うまく略記できないので、一番分かりやすかったものを引用しますと、、、

「当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。」とのことです。

 

波之上宮のお隣に、「護国寺」があります。

観光客でにぎわう波之上宮とは逆にひっそりとしています。

(誰もいません。)

護国寺は、沖縄に現存する一番古い寺院と言われており、1368年に真言宗の布教のために創建されたそうです。

お参りさせていただき、御朱印をいただきました。

人には出会いませんでしたが、猫が2匹、私に関心を持って見つめていました。

 

何とか30分以内で車に戻って、次の八社へ。

「安里八幡宮」をカーナビにセットして出発、10分ぐらいで、車のすれ違いが難しい入り組んだ住宅街でお宮を見つけましたが、どうにも車を停めることができず、断念。

幸いにもモノレールと徒歩でも来れそうな感じでしたので、またの機会にすることにします。

さらに15分ほど走って「識名宮」に到着、今度は駐車場がありました。

(駐車場は裏です。)

識名宮は、熊野三所権現を祀る琉球八社の一つで、「八社縁起由来」によれば、洞穴に光り輝く賓頭蘆(びんずる)があり、霊験あらたかだったため祀っていたところ、1680年、洞穴の外にお宮を遷した、とあります。

何と、毎月1日と15日は本殿の後ろにある洞穴の門が開門される、と後で知り(今日は6月1日!)、残念。

境内から道路側を見ると、こんな景色。

お天気は曇から晴へと好転のもよう。

お参りさせていただき、社務所へ御朱印をいただきに行きましたが、電気は点いているものの、どなたもおらず、鍵も締まっています。

「時間があったら帰りに来よう。」と思って、お宮を出ました。

お宮近くに文化財の説明板がありました。

このあたり繁多川(はんたがわ)は水が豊かな地域で、昔から集落があり、神聖な場所とされてきたようです。

「メーミチー」という石畳敷があったそうですが、ごく一部だけで、「これがそうかな?」と想像する感じです。

 

ここで、ちょっと方針転換して、遠くの目的地をまずは巡ることにしました。

普天にある「普天宮」。

境内では、ちょうど神前式の結婚式を終えた新郎新婦とご親族でしょうか、写真を撮っていました。

ここでようやく気付いたのですが、地元の方は、お線香をあげて正座して長く長くお参りをされます。

お宮が本当に神聖な信仰の場なんだなぁ、と感じました。

「普天満宮」にも洞穴があります。

普天満宮の創建は、その昔、普天満の洞穴に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の頃(1450~60年)に、熊野権現を合祀した、とのことです。

申し出れば、その洞穴を巫女さんが案内してくれるそうです。(記帳は必須ですが、無料とのことです。)

(ネットより拝借。)

ちなみに、洞穴内は写真撮影禁止とのことです。

御朱印をいただきに、近代的な社務所へ。

打ち合わせをするような小さな控室で待ちます。

(オリジナル御朱印帳の宣伝あり。)

御朱印です。

ありがとうございました。

 

今回の小旅行では、昨年11月に麓から見た「勝連城城跡」が素晴らしかったので、他の城跡も見てみたくなり、まずは普天満宮近くの「中城(なかぐすく)城跡」へ。

入口はほとんどノーアピールというか自然体。

(通りの奥が入口。)

見学料400円。(駐車場はもちろん無料。)

中城は山の尾根に細長く築かれています。

(順路通りに散策した最後にあるジオラマです。)

「正門」まではかなり登るので、カートで連れて行ってくれます。

(カートで連れて行ってもらわなければたいへんです。)

ここからは「順路」に沿って散策して行きます。

少し登ると、いきなり視界に飛び込んでくる❝廃墟❞。

(何の説明板もありません。)

福岡に帰ってからネットで調べてみました。

沖縄の復帰前後に開業が計画されたが、1975年の沖縄国際海洋博覧会を前に建設途中で営業を停止した「中城高原ホテル」が40年以上にわたって廃虚と化してきたものだそうです。(今後、県が撤去を予定していて、何らかの施設として整備されるそうです。)

「正門」は人が2人並んでちょうど通れるぐらいの幅で、各「郭」(石垣に囲まれた各エリア)の間には、このような門があります。

この門をくぐると、こんな景色。

城壁の上に立つことができますが、さすが城です、眺望が抜群。

「郭」を隔てる石垣の美しさも鳥瞰できます。

(美しい。)

壮大な建造物です。

石積みの技術も進化していたそうで、この美しい曲線の「三の郭」は「新城」(みーぐすく)と呼ばれる最新の石積み技術で築かれたそうです。

時の流れを感じさせる、美しい緑の合間から見上げる、石垣と青空。

城のことも城攻めのことも私は分かりませんが、難攻不落の城じゃないかと思ってしまいます。

とにかく石垣に変化があって、かつ、それぞれに違った美しさです。

そろそろ最後の方です。

世界遺産の記念碑で終わりです。

40分ぐらいは散策していたでしょうか、カートで出発した入口に戻ってきました。

中城城跡、見応え十分、おススメです。

ただし、日差しを遮るものは何もありませんので、夏場は厳しいかも。(汗だくになりました。)

 

中城城跡散策の充実感と冷房MAXの車内で気持ちよくドライブ。

かなり北上して金武町の「金武観音寺」(金武宮)をめざします。

(すっかり快晴になりました。)

金武観音寺もひっそりとしています。

参道は樹の生い茂る涼しげな木陰。

金武町指定文化財の「金武観音寺のフクギ」(樹齢推定350年)があります。

フクギは常緑の高木で、風や潮害に強く、沖縄各地で屋敷林として植えられているそうです。

今帰仁城城跡を勧めてくれたANDさんが、その近くのフクギ並木が素晴らしいと合わせて勧めてくれましたが、フクギの木を見ることができて良かったです。次は今帰仁に足を延ばしたいと思います。

境内です。

(いい雰囲気です。)

金武観音寺にも「日秀洞」と呼ばれる洞穴があり、観音寺鎮守「金武権現(熊野三所権現)」と「水天」が祀られています。

金武観音寺は、16世紀に西方浄土をめざして和歌山県から金武湾にたどり着いた日秀上人によって開かれたことに由来します。

洞穴入口、かなり怖いです。

おそるおそる、しかし、神聖な場所なので失礼のないように階段を下りました。

権現様と水天様にお参りさせていただきました。

この後、社務所で御朱印をいただきました。

(かわいい❝しおり❞をいただきました。)

ありがとうございました。

 

一番遠方の「金武観音寺」からは、那覇に戻っていくイメージとなります。

南下しながら島を東から西に横切るように、「座喜味城城跡」へ向かいます。

米軍基地「キャンプ・ハンセン」がありました。

「座喜味城城跡」に到着、この時点で午後2時前。

案内板で全景を見てみると、中城城跡よりも円形を帯びています。

座喜味城城跡は公園のようになっていて、入場無料です。

城という機能を忘れてしまう、この美しさ。

散策できるエリアは中城城跡よりもかなり小ぢんまりしているので、短時間で観ることができます。

(城壁に立つこともできます。)

中城とは違う築城思想のように感じますが、築城の名人と評された「護佐丸」(中城城主でもある)によって築かれたそうです。

街を鳥瞰できるという眺望は中城城跡と同じです。

(標高120mの丘陵地に立地。読谷村を一望。)

重厚で美しい曲線を生かし、芸能やイベントが催されるなど、天然の劇場として活用されるほか、サイトでは、ここで結婚式もできる、と紹介されています。

(ネットより拝借。)

「世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム」が併設されています。

(ちょうどこの時、スコールのように雨が降ってきました。)

夕方にかけて渋滞が発生するとレンタカーの受付の方にアドバイスを受けていましたので、資料館はカットしました。

 

次は座喜味城城跡のすぐ近く、焼き物の里、「やちむんの里」へ。

やちむんの里は、それぞれ独立して営業している、19の工房が集まる地域のこと。

いろいろと勉強してから訪問すれば入って行けるのでしょうけど、商店というよりは完全に工房ですので、入りづらい感じはあります。

(ここに入って行って、作品(商品)を見せてもらうのは、ちょっとハードルありです。)

前回(今年4月)沖縄に来た時に空港で買った本、「壺屋焼入門」で紹介されている、「金城次郎」さんトレードマークの魚の絵を使った金城さんのお店もあります。

急な雨上がりの後の強烈な日差しで、道路から湯気が立ち昇るという初めて見る景色の中、ぶらぶらしていると、見やすいお店発見。

単身住まいに妻が来ると、いつもご飯茶碗がなくて不便をしているので、こちらをお土産に買いました。

(なかなか素朴で味があると思いますが。)

ほとんど散策している人はいませんが、ゼロではありません。のんびりと雰囲気を味わうことができました。

「月桃」の花は今がシーズンなんだなぁ、と発見した散策でもあります。

 

遠方の目的地としては、やちむんの里で最後です。

琉球八社で今回お参りしようと思うのは、残すは「沖宮」のみ。

沖宮は「奥武山(おうのやま)総合運動場」の中にあり、午前中にトライした時は、運動イベントの参加者と観客の車の待ち行列で入れずスルーしていました。

まずは、社務所にどなたもいなかった「識名宮」にもう一度行ってみます。

(もう一度お参りさせていただきました。午前中よりも快晴で映えます。)

今度はいらっしゃいましたので、御朱印をお願いしました。

オリジナル御朱印帳があります。

(写真だけ撮らせていただきました。)

御朱印です。

ありがとうございました。

 

続いて、「奥武山総合運動場」へ。

夕刻近く、駐車場も空いてきましたので、すんなり入れました。

(巨人軍のキャンプ球場。)

運動公園内を少々歩くと、沖宮の入口があります。

階段を登ると、、、

(「お笑い神事」?)

養生中でした。

(ひょっとして養生じゃなくて、これが常設?)

お参りしました。

すぐ隣のテント下が臨時の(?)社務所になっているので、御朱印をお願いすると、「他にもお参りする所があるので、御朱印を書いている間にどうぞ。」とのこと。

こんなにあると、夏本番のような暑さの中どうなるかと思いましたが、結構近場ばかりで助かりました。

「八坂神社」にお参りして、天照大神が祀られているという「天燈山御嶽」へ。

沖宮の主神である天受久女龍宮王御神(天照大御神)が御鎮座されている、と神示があった場所は「黄金森」(くがにむい)とも呼ばれ、このお宮の中でも最大のパワースポット、とのことです。

街を一望できます。

お隣のプールでは水泳の大会が繰り広げられていました。

(競技のアナウンスがガンガン流れていました。(笑))

「水神」にお参りして、その先には「権現堂」と「弁財天」があります。

最後に「住吉神社」にお参りしました。

そうそう、沖縄は空手の発祥の地、日本空手の父・近代空手の父とも呼ばれる船越義珍さんの顕彰碑があります。

(「空手に先手なし」。)

沖宮には巨人軍の原監督もお参りされたようです。

沖宮、この「沖宮ニュース」や「お笑い神事」、さらにはなかなかポップなホームページなど、新しいことにどんどん取り組んでおられるようです。

さて、沖宮の令和記念の限定御朱印、青い海と青い空に沖縄の県花デイゴの赤い花が舞い、白龍が飛躍している、特別バージョンのものをいただきました。(帰宅後、御朱印帳に貼りました。)

同じ運動公園内には「護国神社」もありますが、あまりにも近代的ビルなので、お参りはしませんでした。

車に戻りました。

夕刻の渋滞を考えると、余裕を持ってレンタカーを返却した方が良さそうです。

返却場所の横にはエネオスが併設していて、そこでガソリン満タンにすればいいので、楽です。

「那覇空港店」というわりにはちょっと離れていますが、バスで送迎してくれます。

幸い渋滞もなく、空港に到着。

今日は昼食は飛ばすだろうから朝食をしっかり食べておきましたが、さすがにお腹が空きました。

5時半頃ですが、ちょっと早めの夕食を。

「ROYAL」さん、注文はタブレット、会計はQRコードをかざしてセルフ精算、というシステムでした。(もちろん、店員さんにお願いするのも全然OKです。)

「アグー豚のトンカツ定食」でガッツリと。

小鉢などに沖縄の美味しい一品が4種もあって、最後まで楽しませていただきました。

ごちそうさまでした。

 

何となく惹かれたお土産を購入。

沖縄や石垣島では何種類ものパイナップルがあるとか、そのフィナンシェです。

 

そんなこんなで那覇空港で今までで一番いろいろと見て回れました。

フライトも定刻、福岡空港には定刻前に到着というラッキーでした。

地下鉄に乗り、博多駅に着くと、このポスター。

福岡に帰ってきたなぁ、と思うと同時に、いよいよ山笠です。

 

今回の琉球八社やお寺へのお参り、御朱印をこんなにいただきました。

ありがとうございました。

 

こうして、初めての石垣島・竹富島から沖縄小旅行まで、無事に充実した2泊3日となりました。

もちろん、やるべき仕事はしております。(笑)

お世話になったみなさん、ありがとうございました!


2019GW 雲仙・軍艦島小旅行

2019年05月06日 | 旅行

GW後半、雲仙と軍艦島に一泊旅行に行ってきました。

夫婦とも、軍艦島は初めて、雲仙は、以前福岡で勤務している時に、島原や普賢岳の災害保存施設などを訪れたことはありますが、雲仙の地獄と温泉は初めてです。

今回の行程はざっとこんな感じ。

朝9時前に福岡を出発、渋滞もなくスムースに長崎道の大村湾PAに到着、休憩です。

目の前にパノラマで絶景が広がります。

11時頃に諫早を通過するので、昼食は「うなぎにしようか。」ということで、諫早ICで降りて、名店「北御門」へ。

2017年10月の竹崎蟹を食べよう旅行の時以来の再訪です。)

妻は、1日限定10食の「鰻福丼」(まんぷくどん)を。

(極厚だし巻き、絶品です。)

私は、天ぷら・刺身の付いた御膳を。

「北御門」と言えば、この楽焼の特製器。

熱々の蓋を取ると、うなぎ。

(右上の❝口❞に熱湯を入れ熱々キープと最後のひと蒸し。)

夫婦の大好物のうなぎで満腹、大満足で、旅は絶好のスタートとなりました。

 

このまま雲仙に行っても良いのですが、「ちょっと島原に寄ってみようか。」ということで出発。

ナビが偶然、「諫早湾干拓堤防道路」のコースを選択。

この堤防道路、「雲仙多良シーライン」、走ってみたかったので、これはラッキー。

この歩道橋の上から、諫早方面を眺めて、、、

反対側の、雲仙方面を眺める。

(普賢岳を遠望できます。)

まっすぐな道路を、両側に海を見ながら、快走、、、というわけにはいかず、雲仙方面に向かって左側の土手が高くて、走りながら海は見えません。(笑)

 

妻がスマホで、「島原に霊丘(れいきゅう)神社という徳川家康を祀った神社があるよ。」と見つけてくれたので、お参りを。

霊丘神社は、島原の乱の後、民心鎮定祈願のために、1664年、家康公を祀る東照宮を謹請したのが始まりだそうです。

自然豊かな公園の中にある神社です。

(というか、神社を中心に後に公園が整備されたのですね。)

お参りして、御朱印をいただきました。

私たち以外は誰もいませんが、拝殿では神事が執り行われていました。

おみくじを。

夫婦ともに良い結果で何よりでした。

ここから島原城まではすぐ。

(駐車場から見える天守閣が新緑とのコラボで素敵。)

北村西望さんの彫刻が数多くありますが、西望さん、長崎のご出身なんですね。

(中央:天草四郎、右:若き日の信長、という作品。)

本日快晴なり、島原城の天守閣が青空に映えます。

(写真左下に小さく小さく、島原城のゆるキャラ「しまばらん」がいます。)

天守閣前の広場では、天草四郎の衣装でしょうか、当時の装束を着た方が横笛を吹いたり、記念写真を撮ってくれたりします。

私たちは、「しまばらん」と記念写真を撮ってもらいました。(笑)

 

雲仙に向かって出発。

ほどなく島原駅を発見。

(城郭風の立派な駅です。)

島原から雲仙へは軽い山越えですが、1時間とかからなかったのではないでしょうか。

「雲仙地獄」のある中心地は、ざっとこんな感じでコンパクト。

(満明寺の境内より撮影。)

駐車場に入れて、さっそく雲仙観光へ。

「温泉神社」。

(駐車場の目の前です。)

「温泉」と書いて、「うんぜん」と読むようです。

境内です。

(しっかりとお参りさせていただきました。)

見たかった、ミヤマキリシマが満開!

(きれいでしたぁ。)

境内に「夫婦柿」があります。

(杉でもイチョウでもなく、柿というのが珍しいですね。)

樹齢200年以上とのことです。

(柿で200年ってすごいかも。)

夫婦柿のお参りの作法は、両手で2本の幹をさすってお願いをし、すぐ横にある「ご神水」(湧き水?)を榊を使って体にパパっと浴びる、です。

絵馬が柿の実なのはこの夫婦柿にあやかってなのですね。

御朱印をいただきます。

こちらで「温泉神社」、「普賢神社」、「妙見神社」の3社の御朱印をいただけます。

せっかくなので、3社の御朱印を。

メインの「雲仙地獄」めぐり。

別府の地獄めぐりとは全然違うテイストです、、、硫黄臭、くっさ。(笑)

120℃ぐらいだとか。

(とにかく臭い。)

このあたり一帯が雲仙地獄で、遊歩道が整備されています。

遊歩道を歩いていると、エリアによっては全く噴気活動をしておらず、乾いている所もありますが、どうやら活動エリアは長い時間をかけて移動しているらしいです。

殉教キリシタンの碑があります。

私たち夫婦世代でも知識でしかしらない、「君の名は」のロケ地を記念した「真知子岩」。

一番広いエリアを一望できる東屋へ登りつきました。

「大叫喚」という地獄へはここからもう少し奥へ。

ここが「大叫喚」です。

(臭さに鼻がすっかり慣れました。(笑))

ここから「お糸地獄」の売店の方へ戻ります。

名物、「温泉たまご」と「温泉レモネード」を。

(左の黄点線枠内で猫が爆睡しています。)

雲仙地獄はメインの車道をはさんでもう1ヶ所ありますが、どうやら同じのようですので、地獄めぐりはこのあたりで。

歩いていると、中心地近くに閉館した大きなホテルがありました。

100年を超える歴史を誇る老舗旅館の「雲仙富貴屋」さん、昨年の5月6日に閉館したそうです。

さて、金箔をまとった大仏様が鎮座するという、「満明寺」へお参りを。

誰もいない境内。

ご本堂には自由に入れますので、大仏様にお参り。

(金! 確か奈良の大仏様も元々はこのように金箔だったとか。)

ミヤマキリシマでしょうか、ツツジが満開。

社務所がご自宅のようになっていて恐縮しましたが、呼び鈴を押すと、とてもご丁寧に対応していただき、御朱印をいただきました。

(「純金箔」という文字が燦然と輝いています。)

雲仙観光はこんな感じでした。

 

本日の宿へ。

「国民宿舎 青雲荘」です。

 

フルネームだと、「雲仙国立公園 小地獄温泉 国民宿舎 青雲荘」のようです。

温泉は、内湯の大浴場と露天風呂。

さっそく露天風呂へ。

(「行政の指導で露天風呂は別館にせよとのことですので、ご理解ください。」という趣旨の貼り紙がありました。)

露天風呂、雰囲気、泉質など、素晴らしいです。

(翌朝撮影。誰もいませんでした。)

広々とした露天風呂には白濁した素晴らしい泉質の温泉が掛け流し。

ずっと入っていてものぼせない、まさに適温。

風呂上りは休憩所でクールダウン。

(誰もいない。)

妻が、昨年の宮崎旅行で買った馬油のシャンプーなどがとても具合がいいとのことで、また買いたいと言っていましたが、さすが九州、ここにも同じものがありました。

(右下は、スプーン1杯で味噌汁&凍豆腐、私の食事用のお土産です。(笑))

いやぁ~、温泉が良かった、素晴らしい温泉でした。

 

さて、翌朝、本日も快晴です。

(青雲荘の駐車場にて。)

今回の旅行のメイン、「軍艦島上陸・周遊クルーズ」のために長崎港へ。

軍艦島クルーズは13時出航で30分前には必ず到着していないといけませんが、のんびりしていたので、思っていた以上に時間的に余裕がなかったです。

が、道中、「千々石展望台」に一瞬立ち寄り。(笑)

眺めがいいというので、是非立ち寄ってみたかった展望台です。

途中諫早周辺で渋滞もありハラハラしましたが、結局、無事到着、しかも最寄りの県営駐車場に入れることができました。

(長崎港ターミナル。)

予約していましたので、さっそくチェックインを。

乗船用と上陸用のチケット。

これで一安心、そんなに時間はありませんが、ターミナルで簡単に昼食を。

妻は「ごぼ天うどん」、私は「角煮カツ定食」。

(角煮カツ定食がちょっと重たかった、、、。)

さて、乗船時刻となりました。

今回は「やまさ海運株式会社」の「マルベージャ」という船です。

上陸後は、3つの団体に分かれてボランティアの方から島の説明を聞きますので、チーム分けのストラップをもらいます。

軍艦島までは約40分のクルーズ、道中船内で軍艦島の説明ビデオと船窓の景色のガイドがあります。

軍艦島は、元は岩山の隆起しただけの普通の島でしたが、6回の埋め立てを経て現在のように変貌を重ねてきたそうです。

(左:元々の島。)

長崎の教会群のひとつ、「神ノ島教会」。

(海上からの眺めは貴重かも。)

こちらは、伊王島の「馬込教会」。

(こちらも海上からの眺めは貴重。)

高島をかわす頃には軍艦島(端島)の全貌が見えてきます。

完全に外海ですので、海が荒れると上陸できません。

上陸率は年間70%だそうです。

今日はベタなぎ。

スムースに上陸です。

いただいたパンフレットから、軍艦島の全体図です。

大きくは住居エリアと工場エリアに分かれますが、外海の荒波にさらされるのは住居エリアで、日本最古の鉄筋コンクリートの7階建てアパートの「30号棟」をはじめ、高層建物が建てられ、工場エリアの防波堤の役割を担っていたそうです。(=それほど石炭が貴重だったということですね。)

見学は、「第1見学広場」、「第2見学広場」、「第3見学広場」に分かれます。

私たちは「第1見学広場」から。

写真中央の高台のアパートは、当時の三菱石炭鉱業㈱の幹部の住居で、島で唯一世帯ごとに風呂があったそうです。

ちなみに、台風の時などは、この高台を越えて波が来るそうです、こわっ。

一番奥(右奥)が「端島小中学校」で、ここの校庭が島で唯一の砂地だったそうです。

鉱員の生活は豊かで、熱帯魚を飼っている世帯が多かったらしく、水槽用の砂として校庭の砂がどんどんなくなっていったそうです。(その都度、本島から砂を補充していたとか。)

その横のやや黒っぽい建物は鉱員の社宅ですが、屋上は幼稚園。

この幼稚園には滑り台がそのまま残っているそうですが、「進撃の巨人」劇場版のロケ地でもあり、❝聖地巡礼❞に来る観光客も多いとか。

こちらは「第2見学広場」への移動途中。

(あまりのピーカンに、船内で貸してくれる麦わら帽子を夫婦で着用しています。(笑))

「第2見学広場」。

このレンガの建物は、「総合事務所」で、鉱山の中枢。

また、この棟の中には共同風呂がありましたが、石炭の粉塵にまみれた、3交替勤務の鉱員が入浴するため、浴槽はいつも真っ黒だったそうです。

「第3見学広場」。

ここからは住居エリアを見ることができます。

過酷な労働環境だっため、独身者はすぐに辞めていったそうで、家族優遇政策を採って世帯持ちの労働者が中心だったそうです。

もっとも、社宅にはライフラインも完備、当時は贅沢品だった家電の3種の神器もほとんどの家庭が有し、給料もかなりの高給、映画も長崎よりも先に封切りされるなど、暮らしのレベルは当時ではかなり高かったそうです。

そんな端島も、エネルギー革命で石油中心となり石炭の採算が合わなくなった1974年に閉山。

1月に閉山し4月には無人島になったそうで、たった3ヶ月で全島民が島を出たそうです。(なので、部屋にはまだ家電や食器などもそのままだとか。)

 

約40分の上陸、そろそろ船に戻ります。

以前は、島にはお寺と神社がひとつずつあったそうで、木造のお寺(泉福寺)は既に崩壊しましたが、神社(端島神社)は祠だけがまだ残っています。

軍艦島は当時は夜でもこの明るさだったとか。

(パンフレットより。)

無人島になってからは真っ暗で船の航行上危険なので、閉山の翌年に灯台を建築したそうですが、鉄製の灯台はすぐに腐食するため、現在は、強化プラスチック製の灯台が海の安全を守っています。

(もちろん無人、電気は太陽電池による自給だそうです。)

離岸後は、ゆっくりと軍艦島の周囲をクルーズします。

軍艦島の名の由来は、軍艦島のこの角度の姿が、当時三菱のドックで建造されていた軍艦土佐に似ていたからだとか。

軍艦土佐。

(ネットより拝借。)

快晴の中、厳しい日差しを日焼け止めと、借りた麦わら帽子(上陸中は日傘禁止)でしのいで、とても有意義な軍艦島上陸となりました。

軍艦島の建造物は保存が不可能とのことで、年々、台風や劣化で崩壊していっているそうです。

ガイドの方も、「写真をたくさん撮って帰ってください。特に住居エリアは次に来られる時はもう今日の姿はないかもしれませんので。」とおっしゃっていました。

 

長崎港への帰りの道中は、すっかり爆睡してしまいました。

帰港し下船すると、「軍艦島上陸証明書」をいただきました。

天気に恵まれた今回の旅行、1泊2日の小旅行でしたが、充実の2日間でした。

 

帰りの高速道路もほとんど渋滞することなく、18時には福岡に帰着。

テレビの「秘密のケンミンSHOW」で放映されたらしい、「ウエスト」の居酒屋バージョンで夕食を。

せっかくなので、名物の、かき揚げ、かしわ飯を妻に食べてもらいました。

そして、今年のGWで私は3店舗目(妻は4店舗目)となる「もつ鍋」をウエストでも注文。(笑)

夕食、めちゃ安。(笑)

 

かくして、2019年のGWもいよいよ終了。

長いようであっという間、というのが私たち夫婦の感想です。

みなさんはどんなGWを過ごされたのでしょう。


初めての屋久島旅行<第3日目(最終日)>

2019年05月01日 | 旅行

第2日目より。

楽しかった2泊3日も最終日です。

天候はますます荒れているし、大体のスポットを昨日観光しましたので、13:30安房港発を前倒しして、10:45宮之浦港発に変更することにしました。

それまでの本日の行程はこんな感じ。

花屋旅館の朝ご飯は、量と質で評判だとか。

久々に見ました、虫よけの食卓用の傘。

(昔、おばあちゃんが使っていました。)

朝食にしてこの量。

釜炊きの豆ごはん、玉子、魚、魚卵、お芋、ちまき、デザート、、、そしてヤクルト。(笑)

トビウオは、一夜干しを軽く煮付けてあるとお母さんが説明してくれたような記憶があります。

評判通りの美味しさでした。(お腹パンパンになりました。)

迎えに来てくれたMNBさんと合流して、まずは、宮之浦港で便変更をします。

(晴れ間もありますが、、、。)

外海の方向は、この雲行き。

何よりも風が相当強く、朝、漁に出た漁師さんからは「昨日よりもシケている。」との情報。

無事、便変更ができましたので、出港までの時間に、最後の観光を。

人気のトレッキングコース、「白谷雲水峡」の入口まで行ってみることに。

道中、急激に標高が上がります。

(宮之浦の港と、登ってきた、つづら折りの道路が眼下に広がります。)

「白谷雲水峡」の入口に到着です。

橋の上からの景色はこんな感じ。

(ここを登って行くようです。)

ガイドさんが登山客に説明中。

みなさん、本格的な登山装備。

500mほど歩けば「弥生杉」があるそうですが、雨も強いので(もちろん時間もないので)、入口で雰囲気を味わって引き返します。

下山途中、「雲の展望台」で絶景観賞。

道路は垂直に切り立っている感じで、際に立つとお尻がキュンとなります。

(足元は怖くて写せません。)

下山して、最後の最後に、「屋久島環境文化村センター」へ。

昨日行った「屋久杉自然館」が屋久杉の全てを深く勉強できる施設とすれば、こちらは屋久島全般のことを勉強できる施設で、屋久島に来たらまず初めに訪れることをおススメします。

(屋久島のジオラマ。)

屋久島の自然、動物、産業、祭、食などなど、25分の映画を含め、分かりやすく勉強できます。

 

さて、ちょうどいい時刻になりました。

出港1時間前なので、座席指定へ。

何と、行きと同じ「トッピー3」!

機材トラブル、リクライニング故障は大丈夫かな。(笑)

乗船までしばし待ち時間、お土産物屋さんをぶらっと。

乗船開始、行きと違って、満席ではなかったですね。

機材トラブルはなく、荒れている海でも揺れることなく快調に進んだようで、ずっと爆睡していました。

行きの座席にもお客さんが座っていましたが、同じく爆睡されていたようですので、リクライニングの故障も直したのですね。

 

鹿児島も雨。

トッピー船内で係の方が「タクシーの予約が必要な方はどうぞ。」と予約を取ってくれますので、タクシー待ちをすることもなく、鹿児島中央駅に到着。

帰りの新幹線も無事前倒しでき、3時間ほど帰着が早まりました。

来福している妻へのお土産に、安納芋のきんつばを買いました。

さっそくいただきましたが、美味しかったです、しばらくこれに凝ってみようかな。

 

かくして、初めての屋久島旅行は、最高の思い出を残して無事終了しました。

MNBさん、何から何までお世話になり、本当にありがとうございました。

間違いなく再訪したい島になりました。

次こそは、「サバすき」を!


初めての屋久島旅行<第2日目>

2019年05月01日 | 旅行

 

第1日目より。

4月28日、第2日目は、やや曇りからスタート。

本日の行程はこんな感じです。

何といっても、今日のメインイベントは、MNBさんが段取りしてくれた、釣り。

屋久島の「首折れサバ」を実際に釣って、「サバすき」、「サバのしゃぶしゃぶ」を食べようという企画です。

 

朝、田代別館の部屋の窓から宮之浦の港が見えました。

(クルーズ船でしょうか、煙突部分が見えます。)

さすが屋久島の宿です、登山のレンタル物品完備。

さて、MNBさんがロビーに迎えに来てくれましたので、本日の行程スタートです。

まずは、シーサイドホテル屋久島の敷地にある、「ウィルソン株のレプリカ」。

(左端に人がいますので、比較していただくと、その大きさが分かると思います。)

ここからの景色も絶景。

(屋久島環境文化村センター方面。)

こちらは港方面ですが、雲行きが、、、。

ここから屋久島の❝てっぺん❞=北端の漁港「一湊」(いっそう)までは車ですぐです。

(一湊の港。)

内海は穏やかに見えるのですが、、、。

外海は荒れているという情報ですが、「行ってみよう」ということになり、いざ出港!

(赤灯台の外に出ました。)

右半分に薄っすら口永良部島が見えます。

船を進めれば進めるほど、海が荒れてきます。

写真では分かりませんが、白波が立つ海を走ると、揺れが激しく、両手でどこかにつかまっていないとこわい感じでした。

船を停めると、さらに波に揺られ、かなり恐怖を感じます。

ここで船長が帰港の判断、沖からは漁師さんたちの船も戻ってきているようです。

帰る途中、海の神様「八幡神社」にお神酒を捧げます。

(手前の船は、このあたりのサンゴ礁に潜っているダイバーたちの船。)

赤灯台の内側に入ると、もう安心。

この時期短期間で漁師さんたちが忙しくしているのは、「もじゃこ漁」。

この生けすは、「も」(藻)からすくい取った「じゃこ」(大型青魚の幼魚)を選別しているもの。

もじゃこ漁の「も」はこんな感じで海に浮かんでいます。

(東シナ海展望所より撮影。)

無事接岸して、落ち着いて、今日使うはずだった仕掛けを見てみます。

大きな針にサンマの切り身を大胆に付け、コマセの袋とともに、10本ほど海に投入し、このドラムで巻き上げる豪快な釣り。

電動リールの極太仕掛けも併用する予定でした。

いろいろご準備いただいたのにすみませんでした。

それでも、荒れる海に出て、久々にお尻が浮くぐらいの揺れを体験できて、これはこれで貴重な思い出で、屋久島を堪能させていただきました。

ありがとうございました!

 

ということで、すっかり時間ができましたので、観光プランを前倒しすることになりました。

「志戸子(しとこ)ガジュマル園」。

ガジュマルが自生していた所を整備したそうですが、ガジュマルだけでなく、珍しい植物をいろいろと見ることができます。

なかなか趣のある散策道です。

ゆっくり歩いても30分もあれば回れます。

受付と掃き掃除をされている方が「ショウベンノキ」のことを詳しく教えてくださったり、すごく興味深かったです。

思わずスタンプをいただきました。

(「ガジュマル公園」なのか「ガジュマル園」なのか。)

 

ここからは反時計回りに屋久島を一周するプランで進んで行きます。

一湊近くにある、「西郷隆盛上陸の地」。

西郷さんが二度目の島流しの時、徳之島に向かう途中、風待ちのため数日滞在したそうです。

余計な感想ですが、「西郷隆盛公」とか敬称がつかないニュートラルな感じがいいですね。(笑)

 

続いて、「東シナ海展望所」。

昨日のような種子島までくっきりと見える快晴ではないので、口永良部島も硫黄島も薄っすら見える程度でした。

ここは夕日スポットのようです。

今日は夕日は無理でしょうねぇ。

 

ウミガメ産卵地としてラムサール条約にも登録されている、「永田いなか浜」。

ラムサール条約登録記念碑。

既に産卵シーズンに入っているようです。

この産卵場所、現地で見ると、結構波打ち際から距離があります。

(左が既に産卵済みの場所、右の人がいる所は、海岸の清掃ボランティアのみなさんがゴミを集めている所。)

欧米の観光客でしょうか、海辺でレクチャーを受けています。

(遠くに見える島は、口永良部島かな。)

 

永田岬にある「屋久島灯台」。

屋久島灯台はてっぺんの風見鶏が特徴的ですが、日本の灯台ではすっかり減った、人が常駐している灯台とのこと。

灯台の敷地から見た海岸線の景色は荒々しい。

見るからに磯釣りの好スポットっぽいですが、海岸まで下りていく道もあるそうです。

 

その名の通り、屋久島の西側を走る、「西部林道」は世界遺産エリアです。

そして、屋久猿や屋久鹿ががっつり出てくるエリアでもあります。

屋久猿さんたち、特に逃げる様子もなく、毛づくろい継続中。

車で通過する時に真横に停車してパチリ。

雨も降り始め寒くなってきましたので、猿団子。(お騒がせしてごめんなさい。)

 

西部林道を抜けると、「大川の滝」。

「大川」と書いて「おおこ」と読みます。

(落差88m。)

間近で見ることができます。

屋久島の勇壮な滝のすごいところは、山深く入って行かなくても、海岸から数分の所にこの落差の滝があること。

それだけ島全体が急峻ということですね。

 

そろそろお昼時、持たせてもらったお弁当を食べる場所を探しますが、風雨ともに強さを増してきて、なかなか場所が、、、。

栗生という漁港、海水浴場のある街の海岸近くのとある東屋に風よけがあったので、そこでお弁当を開きました。

玉子焼き、焼きサバ、ラッキョウとなまり節の和え物、トビウオのすり身の揚げ物、そして、貝。

初めてこの貝を食べました!

(「タカラガイ」の一種でしょうか。)

子どもの握りこぶし大のこの貝の食べ方は、ドライバーを突っ込んで割る、という豪快なもの。

もちろん、さっぱりやり方が分からず、MNBさんにお任せ。

お弁当、最高でした、ごちそうさまでした!

車に戻って東屋を振り返ると、風雨が激しくなるばかり。

この天候こそ、屋久島ならでは。

 

屋久島の最南端、「平内(ひらうち)海中温泉」。

さすがにこの荒天なので入浴客はいませんので、ちょっと見学させていただきました。

結構早い段階で素っ裸になることを強いられますし、障害物ゼロですので、なかなか度胸のいる秘湯です。

(手を入れてみると、温かったです。塩味せず。)

もちろん、混浴、、、私は無理かな、いや絶対無理。(笑)

 

こちらも素晴らしい滝、「千尋の滝」。

「千尋」と書いて「せんぴろ」と読みます。

駐車場から徒歩3分という便利さ。

滝への道を進むとすぐに「モッチョム岳」(944m)への登山口があります。

屋久島最高峰宮之浦岳1936mに比べると低く思えてしまいますが、モッチョム岳944m。

その隣には、「屋久島岳参り」(たけめ)に関する説明板がありました。

「岳め道」とは、各集落が年に一回、五穀豊穣や大漁祈願などで、山へのお参りをしていたそうですが、その登山道を「岳め道」と言い、人の領域と山の神の領域を区分するところを「お礼所」と言うそうです。

ここ「原(はるお)集落」では、現在でもモッチョム岳はじめ六山にお参りするそうです。

さて、「千尋の滝」です。

何とも雄大で、見える岩は何と一枚岩だとか、想像を絶するスケールです。

水量が増すと、今流れている滝筋だけでなく、左の一枚岩にも滝のように流れ落ちるそうです。

 

安房から少し山側に入った所に「屋久杉自然館」があります。

靴を脱いで素足(靴下)で入館しますが、全面杉の床材で暖かく刺激もある気持ち良さ。

「縄文杉」発見の時の南日本新聞の記事が大きく掲出されています。

(昭和42年(1967)1月1日の記事。)

驚くのは、縄文杉から落ちた枝の巨大さ。

(実物です。)

この枝がここに付いていたというのですから、縄文杉の桁違いの巨大さが想像できます。

(枝の樹齢1000年!)

屋久島は、昔、年貢は米の代わりに杉の平木で納めていたそうですが、米一俵=平木2310枚。

(屋久杉の平木は耐久性のある屋根材として重宝されたとか。)

屋久島は、この島の中に気候帯を複数持ち、樹木の生態系も標高によって特徴があるなど、極めて特殊な島であることが分かります。

定義です。「屋久杉」は樹齢3000年以上のもの、それ未満は「小杉」と言うそうです。

「別館」がありますので、行ってみますが、外はかなり雨が降っています。

別館です。

ここには、1985年の「つくば博」に出展された巨大根株(実物)が展示されています。

(大きい!)

「土埋木」の利用のことなどもパネルで勉強できます。

屋久杉のことを体感しながら勉強できる、かなりすぐれものの施設でした。

おススメです!

 

「屋久杉自然館」を後に、本日の宿へ向かいます。

道中、お土産物屋さんに立ち寄り。

(「武田館」という、店員さんの感じがいいお店。)

「三岳」の特別バージョン「愛子」を東京の三岳ファンの友人に送りました。

こちらはまた違うお土産物屋さんですが、トビウオや亀の手などの冷凍を売っています。

お土産物屋さんもそれぞれ特徴があるようです。

 

さて、屋久島を一周して一湊に戻ってきました。

本日の宿はこの並び、さてどこでしょう。(笑)

(写真の真ん中の建物です。)

「花屋旅館」というこのエリアでは老舗旅館。

襖で仕切られた部屋ですが、広い部屋を一人ずつ使わせていただきました。

お茶うけに置かれていた「屋久島せんべい」が美味しかったです。

今晩は、MNBさん邸で宴会です。

何から何までお世話になります。

素晴らしい客間に通していただきました。

屋久島ならではの海の幸・山の幸を食べ切れないぐらい出していただき、めちゃめちゃ楽しい、美味しい酒席となりました。

最後にいただいた亀の手の味噌汁、これ以上美味しい汁物はないと思います。

(昔々、五島列島の磯で瀬泊まりして以来の、亀の手の味噌汁です。)

みなさまのお人柄に時の経つのも忘れ、わいわいやらせていただきました。

感謝しきれないぐらいのおもてなしをしていただきました、ありがとうございました!

 

屋久島名物の荒天を体験した第2日目、屋久島のみなさんのあったかい人柄に、心身ともにリフレッシュしてエネルギーをいただきました。

明日は最終日、お天気やいかに。


初めての屋久島旅行<第1日目>

2019年04月30日 | 旅行

GWの最初の3日間、念願だった屋久島に旅行に行ってきました。

何から何まで、「㈱トラベルM」こと地元出身のMNBさんのプロデュースでお世話になりました。

2泊3日、屋久島を堪能した3日間でした。(山登りはやっていません。(笑))

 

4月27日、第1日目の行程はこんな感じです。

(黒点線が車で走った所、〇付数字は訪れた順番。)

福岡から屋久島は空路もありますが、便数(座席数)の関係で、今回は往復とも、九州新幹線と高速艇「トッピー」。

鹿児島中央駅、そこそこ混雑していますが、「10連休、各地で混雑、、、」のニュースのようなことはありません。

鹿児島本港のターミナルで、トッピーの座席指定をします。

(座席指定は出港1時間前から窓口でのみ可能。)

お弁当は、「九州駅弁グランプリ準優勝」、「鹿児島中央駅駅弁売上第1位」の「桜島灰干し弁当」。

(メインのお魚が灰干しの一品。)

水は、屋久島の水ではなく、志布志の水にしました。

裏面に「採水地」の住所、ご存知「志布志」の連打です。(笑)

(お水、美味しかったです。)

そろそろ、乗船。

本日快晴で、トッピーと桜島がいい感じです。

鹿児島本港はこんな景色で、とても広々としていて、さすが、九州の貿易、水運の要衝です。

指定券を記念に撮影。

(窓側の席です。)

出港、湾内は❝徐行❞。

港を出て桜島を真横に見るあたりから高速艇が❝浮上❞するはずなのですが、、、

しばらくして、船内アナウンス、「本船は機材に不具合が発見されましたので、鹿児島に戻ります。」、、、えっ。

(出たはずの港に帰ってきました。)

接岸するのかと思ったら、不具合が改善されたので、屋久島に向かいます、という趣旨のアナウンスが。

アナウンスによると、屋久島の宮之浦港への到着は約20分遅れ。

そんなに速度が上がっている様子もなく、妙だなと思っていたら、再び船内アナウンス、「本船は機材を交換する必要があるため、指宿に寄港します。」、、、再び、えっ。

(指宿港。)

何とか、宮之浦港への到着50分遅れの予定ということで、今度は三度目の正直、快調に走り出しました。

大隅半島最南端、佐多岬。

(一番右のポツンと灯台が小さく見えるのが一番の最南端。)

13:50到着予定が、遅れて14:40に到着。

(宮之浦港、建物は、屋久島の情報収集ができる、「屋久島環境文化村センター」。)

実は、到着が遅れただけでなく、私の座った座席のリクライニングが緩くなっていて、もたれると「バ~ン」と後ろに倒れるハプニングもありました。(笑)

(リクライニングの故障は係の方に言っておきました。)

宮之浦港でMNBさんが待っていてくれました。

さっそく、近くの「益救神社」へお参り。

「益救」と書いて「やく」と読みます。

お参りさせていただきました。

さすが屋久島です、おみくじも屋久杉仕様。

御朱印もいただきました。

山鹿・菊池の桜見の時にデビューした御朱印帳にいただきました。

第1日目のメインは「ヤクスギランド」ですが、道中、いろいろと立ち寄ります。

「ふれあいパーク」。

ここだけでも絶景ですが、屋久島はどこに行っても絶景ばかり。

駐車場から海の方を見ると、車海老の養殖場がありました。

(車海老の養殖が盛んなようです。)

お土産物屋さんも各所にありますが、特徴としては、同じ物でも各店で値段が全然違うこと。

よって、地元の人から教えてもらうか、いろいろなお店を回って比較をすることが必要です。(もっとも、気に入ったものがあればそれもご縁なので、そこで買えばよいのですが。)

「杉匠」というお店に立ち寄ってみました。

屋久杉のテーブルや衝立、おぼんなど、大体の値段が分かりましたが、屋久杉(樹齢3000年以上)は超高級品ですね。

「ヤクスギランド」に向かいます。

安房(あんぼう)という宮之浦港に次ぐ港のある所あたりから山側に入って行きます。

道中、屋久猿に出会うことができます。

ニホンザルよりもかなり小柄で、あまり攻撃性を感じさせない、おとなしい印象のかわいい猿です。

「ヤクスギランド」の入口向かいにある、休憩施設「森泉」。

入口に石碑。

トイレは協力金100円を払って使います。

お土産物も売っていますが、人気のお箸は、ここが一番お買い得とのことで、お土産に買いました。

大きな杉を使った公衆電話BOXがあります。

(現用です。)

時間的に、まずは「ヤクスギランド」の更に奥にある「紀元杉」を見た方が良いとのことで、そちらへ。

車で10分ぐらいでしょうか、こちらが「紀元杉」。

(ここは標高1230m。)

樹齢約3000年、樹高19.5m、胸高周囲8.1m、紀元杉に着生している植物は15種類以上。

紀元杉の周りを散策できるようにちょっとした散策道が整備されています。

散策道から見た紀元杉。

屋久島で初めて見る、樹齢3000年以上の屋久杉、スケールが大き過ぎて、写真では迫力、感動を収めきれません。

「ヤクスギランド」に戻ってきました。

ここから入場します。

散策コースには、30分、50分、80分、150分の各コースがあります。

私たちは30分コースを。(笑)

(橋の上から。)

遊歩道が整備されています。

(30分コースなら全行程遊歩道で歩けますが、それ以上のコースになると、いわゆる山道が出現するらしいです。)

悠久の時を過ごしてきた森が持つ幻想的な景色、雰囲気、そして、ひんやりしていて、空気も一層美味しく感じます。

様々な説明板があり、散策しながら勉強することができます。

昔の伐採場。

「土埋木」。

屋久杉は樹脂を非常に多く含んでいるので、放置された樹は200~300年経った今でも腐ることなく残っていて、屋久杉の工芸品はこの土埋木から作られています。

(土埋木はセリにかけられ、約30万円/㎥を超える値が付くそうです。)

「千年杉」。

1000年だとこの森ではまだまだ❝若い❞のかもしれません。

屋久島では、海から蒸発した水蒸気が雲になり山に当たって雨になり川となって海に帰る、という循環をしているので、水に困ることはないそうです。

(散策道中、つり橋の上から。)

30分コースをやや早めに完歩し、「ヤクスギランド」を後にしました。

 

帰りの道中は、標高1230mからの❝下山❞ですから、これまた絶景。

安房の港・街でしょうか。

安房に下りてきて北上して本日の宿に向かいますが、途中、有名な焼酎の「三岳」の工場がありました。

「三岳」を福岡に買って帰ろうとみんなで言っていましたので、ここに立ち寄ってみました、「ドラッグストア・モリ」。

まさかの安売りで、大体のお土産物屋さんが千数百円のところ、ここは870円!

おひとり様2本までですので、私も2本買いました、、、全員で8本購入し、三岳の棚は空っぽになりました。(笑)

 

本日の宿は、「田代別館」。

すっきりした和室が快適です。

大浴場で汗を流して、夜の宴会までしばし休憩。

(大浴場。ネットより拝借。)

トッピーの遅着で行程が後ろ倒しになったため、宴会のスタートは20時前。

場所は、「若大将」。

シケが続いてなかなか上がらない「首折れサバ」、ラッキーにも刺身で出ました!

(これが関サバを凌ぐ日本一のサバ、屋久島の首折れサバ。)

「サバの白子」、初めて食べました!

トビウオのから揚げ。

(❝羽❞もいただけます。)

キントキダイの塩焼き。

(鱗付きのままの塩焼き。身だけをいただきます。)

今が旬の「コサン竹」の天ぷら。

(ゴマダレでいただきますが、このコサン竹の天ぷら、絶品です!)

九州の人なら良く知っている、「亀の手」。

(簡単に割れます。中の貝の身をいただきます。)

トビウオのすり身100%の揚げ物。

(さつま揚げとは異なる食べ物。これまた絶品。)

今日の道中、屋久猿とともに出会った屋久鹿の刺身。

(猿と同じく、屋久鹿もかなり小柄です。)

地の魚(名前を教えてもらいましたが書き留め忘れました)のお寿司。

(福岡では食べたことのないネタ。)

〆は、魚貝のだし茶漬け。

(あらゆる具材からダシが出ていてうまい!)

お酒の方は、屋久島の焼酎、「水の森」、「三岳」、「太古屋久の島」の3種類を飲み比べました。

個人の好みですが、私は「三岳」かな。

 

ということで、屋久島ではかなり珍しい超快晴の第1日目は、景色、自然、食べ物、全てに感動して終わりました。

第2日目は、今回のメインイベント、「首折れサバ」を釣る!


2019夏休みの旅プラン(検討中)

2019年04月16日 | 旅行

GWもまだなのに、「今年の夏休み、どこに行こう?」と検討しています。

十数年前の福岡勤務時代と今回、夫婦で九州をかなりめぐりましたが、まだまだ行っていないエリアは数多く。

昨年行った、日南&大隅半島に続き、今年はこのあたりかなぁ、と漠然と思っています。

熊本県を斜めに旅するプラン。

「アクロス福岡」に熊本県の福岡事務所が入っていますので、情報収集してきました。

(とにかく、くまモンです。(笑))

親切な担当の方がたくさんパンフを見つくろってくれました。(そして、くまモンの袋に入れてくれました。)

県全体の情報。

(右の「湯美人」には県の温泉が網羅されているそうです。)

一番行ってみたい産山村の情報は少なし。

阿蘇の情報は予想通り結構ある。

天草エリアの情報が一番多かったのはちょっと意外。

パンフ、ありがとうございました。

 

どこに何泊するか、どこをめぐるか、何を食べるか、などなど、楽しくプランニングすることにします。