今年の夏休みのプランに先立って、妻が来福する前に、❝趣味の一人旅❞(日帰り)をしてきました。
訪れたエリアは、熊本県の、小国、阿蘇、南阿蘇、高森、山都、美里、です。
まずは、小国の情報収集のための2階フロアがある「道の駅小国ゆうステーション」へ。
(後ろの、ウルトラマンの「科学特捜隊」の基地みたいなのが道の駅。)
事前に調べた情報以上のものはなかったので、サクッと出発。
小国の「小国両神社」が最初の訪問スポットです。
小国郷を開拓した高橋宮(高橋大神)と火宮(火宮大神)、その母神である雨宮(雨宮媛命)を主祭神とし、「両神社」の名前の由来は、高橋宮と火宮の二柱を祀っているから、とのこと。
(楼門が素晴らしい。)
拝殿。
威風堂々の「三神杉」。
(兄神:高橋大神、母神:雨宮大神、弟神:火宮大神。)
説明板には、「三本にわかれたそれぞれの木に主祭神のご神霊が鎮まります。」と書かれています。
ネットで見た両神社の御朱印帳が素敵なので買おうと思っていたのですが、平日月曜日、社務所は「本日不在」との札が出ていました。
(引き戸の一番左側の貼り紙に本日不在の旨が、、、残念。)
御朱印帳と御朱印は、夏休みの妻との旅行の時にいただこうと思います。
今日是非トライしたいと思っていたのが、「福運三社めぐり」。
三つの開運スポット、「小国両神社」、「けやき水源の水神様」、「鏡ヶ池の恵比寿様」をお参りしてスタンプを集めると、福運三社の祈願を込めた「福銭」と交換してもらえる、というもの。
由来です。↓
三社めぐりの始まりは江戸時代。ある商人が不思議な夢を見たので、吉兆だと思い「富くじ」を買ってみたところ、「一番くじ」が当たった。商人にご利益があったのは、『けやき水源の水神様』の湧水で毎朝身体を清め、『両神社』で商売繁盛を祈り、夕刻にその日の売上報告を『鏡ヶ池の恵比寿様』にするという生活を毎日行っていたからだと言うものだから、たちまち「小国の福運三社めぐり」をする人々が増え、当たりくじを引き当てたという人が次々に現れた、、、。(ネットよりほぼ拝借。)
こちらが「けやき水源の水神様」。
川の方を見ると、こんなに清々しく美しい景色。
(張り出している枝は、この大けやきの枝。)
スタンプをいただきます。
続いて、「鏡ヶ池の恵比須様」。
これで3つのスポットのスタンプがそろいました。
この3つのスポット、徒歩5分圏内にありますので、手軽に回れますが、なかなか見応えのあるスポットでした。
「福銭交換店」のステッカーが貼られているお店で「福銭」を❝お借り❞します。
お店の方に「いいことがあったらお返しに来てください。」と教えてもらいました。
(福銭奉納箱。)
いいことがありますように。
ということで、両神社は、江戸時代の富くじのストーリーから、両神社に祀られる高橋宮と火宮の二祭神は「千両・万両の神様」と呼ばれ、今や宝くじのパワースポットとなっているそうです。
次は、阿蘇の「国造(こくぞう)神社」と「阿蘇神社」をめざします。
道中、あまりに阿蘇の山並みの景色が良かったので、写真スポットに立ち寄ってみました。
(「山田パーキング」と書かれていました。)
景色の説明がありました、ざっと趣旨はこうです。
根子岳、高岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳を全体的に眺めていると、仏様の寝ている姿に似ていることから、ここから見る景色を「阿蘇の涅槃像」と言う。根子岳が「顔」、高岳が「胸」、中岳が「へそ」、杵島岳と烏帽子岳が「膝」。
「国造神社」に到着。
(左側に駐車場がありますが、私だけのようです。)
「延喜式神名帳」に肥後国は四座(健磐龍命神社(阿蘇神社)、阿蘇比咩神社(阿蘇神社)、国造神社、疋野神社(玉名に鎮座))が記されており、国造神社は、その四座のうちの一座、すなわち、熊本県内において、最も古い神社の一社。
肥後国誌によれば、崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、景行天皇18年に、国造神社を修造し祭典を整えたとある、そうです。
(ピンとした空気が流れます。)
父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命とともに阿蘇の地を開拓し、農耕、植林などを指導したとされる速瓶玉命(はやみかたまのみこと)を主祭神とし、御妃、御子息の合わせて4柱の神をお祀りしているそうです。
由来の通り、阿蘇の農耕祭事が、ここ国造神社と阿蘇神社で毎年行われているそうです。
(写真は「御田祭」。阿蘇神社にも同じ説明写真がありました。)
御神域に渡る橋の下には清らかな川が速く流れています。
拝殿脇に御朱印のスタンプが置かれていますので、お参りの後、押させていただきました。
(日付を書くようにボールペンが置かれていましたが、さすがにボールペンでは、、、帰ってから筆ペンで書くことにします。)
広い境内の一画に、速瓶玉命お手植えと伝わる「手野のスギ」があります。
(ものすごい巨木です。)
樹齢1000年とも2000年とも言われ、天然記念物に指定されていたが、平成3年の台風19号によって高さ11mの所で折れ、その後、枯死したため、平成12年9月6日で天然記念物の指定を解除された、とのことです。
さて、現在時刻は11時40分、お腹が空きました。
阿蘇神社にお参りする前に、昼食を。
タイミングが合えばここにしようと思っていた、JR九州の情報誌、「旅のライブ情報誌 プリーズ」7月号で紹介されているここ。
「阿蘇はなびし」で「牛カツ重」!
名産「あか牛」の牛カツは、東京新橋の「おか田」と同じく超レアですが、あっさりしていて美味しい!
お値段はちょっと高めの約2300円ですが、おススメです。
もし、再訪の機会があれば、「牛カツカレー」か「煮込みハンバーグ」を食べようと思います、もちろん「あか牛」です。
お店のすぐ脇には湧水が勢いよく出ています。
阿蘇神社の参道の地下には水脈が通っており、昔ここに神殿ができたのも豊富な湧水があったから、だそうです。
門前町ではこの湧き水を「神乃泉」と呼んでいるそうですが、門前町の道の左右で「水基」が点々とあり、それぞれで味が違うらしいです。(残念ながら、後で知ったことなので、飲み比べはしていません。)
ふと山の方を見ると、中岳でしょうか、噴煙を上げています。
気象庁のサイトによると、「噴火警戒レベル2、火口周辺規制」。
いよいよ「阿蘇神社」へお参り。
熊本地震によって倒壊、損傷した建築の復元工事の真っ最中のようです。
よって、お参りもここからこのようにします。
お参りの後は、御朱印をいただきますが、阿蘇神社の御朱印帳が素敵なので買いました。
御朱印です。
事前にネットで知ったのですが、阿蘇神社で国造神社の御朱印もいただけるとのこと。
(いただきました。)
帰宅後、スタンプと並べてみましたが、不思議なもので、同じようにありがたさを感じます。
ありがとうございました。
気温は福岡市街よりも数度低い31度くらいですが、やはり暑いので、「道の駅阿蘇」でソフトクリームを食べることに。
ソフトクリームが3種類ある!
直感で「竹原牧場」にしました。
妻が一緒なら「阿部牧場」も買って食べ比べられたのですが、、、ちょっと残念。
トウモロコシが旬なようです。
トウモロコシが大好きなので、単身赴任じゃなかったら即購入ですが、ここはグッと我慢しました。
ここでも噴煙がはっきり見えました。
お盆休みにはお客さんで賑わうのでしょうから、これ以上噴火警戒レベルが上がらなければ良いのですが。
次は、南阿蘇から高森、山都へと向かうのですが、スルーしようと思っていた、「阿蘇白水龍神權現(白蛇神社)」に通りかかったので、立ち寄ってみました。
かなり近代的で、境内にある水場に若い女性数人が神職の説明を聞いていました。
多分、有料の白蛇関係のサービスを受けているのだろうと思いましたが、ちょっと空気感がしっくりこなかったので、山門前で一礼して離れました。
高森の道中にあった「高森阿蘇神社」、ここも偶然の立ち寄りです。
神職が常駐していない神社のようですが、ピーンとした空気感、お参りさせていただきました。
ただならぬ雰囲気に、帰宅後由来を調べてみました。
高森阿蘇神社は、昔「矢村社」と言ったそうです。御祭神の健磐龍命(たけいわたつのみこと)が住む土地を思案していたところ、「矢が当たった所に住もう。」と考え、阿蘇山上から放った卜矢(占う矢)が当たった場所にした、という神話の中、1本の矢は、北側の矢村神社に当たり、その一帯が阿蘇神社となり、もう1本は、南側のこの地の岩に当たったので、ここが矢村社となった、とのことです。
だから、高森阿蘇神社と言うのですね、、、ただならぬ雰囲気も納得です。
トイレ休憩に「道の駅そよ風パーク」に立ち寄りました。
(本日のレンタカーは、まだ300kmしか走っていない、借りる人2人目の、ほぼ新車のフィット。)
宿泊棟など様々な施設がある、道の駅とは言え、複合施設でした。
次は、同じく高森の、知る人ぞ知るパワースポット「上色見熊野座(かみしきみくまのいます)神社」。
延々と(ちょっと大げさか、、、10分ぐらい)階段を登って行きます。
(「熊野」と言うだけあって、熊野古道のような趣。)
やっと登り切りました。
神秘的な雰囲気の中、お参り。
お守りを授与していただけますが、❝セルフ❞。
熊本随一とも噂されるパワースポットの雰囲気を満々に感じて、お守りをいただきました。
(裏は「上色見熊野座神社」と刺繍されています。)
ここで❝下山❞せず、更に急坂を5分強登ると、神秘的なエリアに着きます。
(巨大岩が出現します。)
この巨大岩は穿戸岩(うげといわ)と言い、巨大な岩に穴が空いていることから、どんな困難な目標も達成できることの象徴、とのことで、それゆえ、この岩に触れると受験合格や必勝のご利益を授かることができるパワースポットとして多くの人が訪れているそうです。
(穿戸岩を真下から見上げます。)
この穴は、阿蘇神社の御祭神の健磐龍命の従者であった鬼八(きはち)法師が蹴破ったという伝説が残されているそうです。
この穴に立つと、涼やかな風が吹き抜けますが、風水で言う龍脈のような感覚でした。
最後のパワースポット、「幣立(へいたて)神宮」をめざします。
道中、絶景の温泉地「月廻り温泉公園」を通りました。
(ライブで見ると、パノラマ感がすごいです。)
時刻は16時半、「幣立神宮」に到着。
「石」ではなく「木」というところに感じるものがあります。
(石灯籠ではなく灯籠も木。)
幣立神宮の歴史は古く、15000年(!)も昔からあるらしいです。
神武天皇の孫である健磐龍命がこの地で幣を立て宇宙から降臨された神々を祀ったことが始まり、とのこと。
拝殿では神事の真っ最中でしたので、静かにお参りさせていただきました。
主祭神は、神漏岐命(かむろぎのみこと)と神漏美命(かむろみのみこと)。この二柱は、古代人々が互いに争うことを天の神が心配して地上に遣わしたとされ、火の玉に乗り、幣立神宮の檜に降臨したそうです。
その他の御祭神は、天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)、天照大神、、、天地開闢に関わる神々がずらり。
幣立神宮、「隠れ宮」と言われるそうですが、すごいパワースポットでした。
パワースポットめぐりはこれで終わり。
時刻は間もなく17時です。
帰路にもなりますので、「通潤橋」に立ち寄ろうと思います。
まずは、その関連で、「通潤用水」として「小笹」地区にある「円形分水」(通潤用水小笹円形分水)に行ってみます。
奇しくも、この「通行止め」から160mの所。
(もちろん、熊本地震の影響です。)
この円形分水で、農地面積の比率によって7:3の割合で2つの方向に分けられています。
7割は通潤橋の通潤用水へ水を運び、もう一方の3割は野尻・笹原地区へ送水しているそうです。
昭和31年のこの円形分水の完成によって、それまで絶えなかった水争いが解消されたそうです。
ここから「通潤橋」までは30分とかかりません。
通潤橋は修復中で、立入禁止です。
現在の通潤橋です。
「五老ヶ滝」のつり橋には行けるようです。
(駐車場から10分弱下って行くと、このつり橋があります。)
つり橋の上から滝を見ます。
落差50mの大迫力です。
地震の前は滝壺近くまで行けたそうですが、現在は立入禁止とのことです。
駐車場に戻って、最後に「道の駅通潤橋」に行ってみました。
17時を過ぎていましたので、閉店状態でした。(笑)
駐車場から通潤橋を見ることができますので、あの放水の勇姿が戻ってきたら、絶好の撮影スポットです。
誰もいない夕暮れの駐車場だと、こちらもちょっと怖い。
山都町三大祭(火伏地蔵祭・八朔祭・清和文楽の里まつり)のひとつ「八朔祭」は、江戸中期から約260年の歴史を持つ、豊作祈願と商売繁盛を願う祭で、祭の目玉が「大造り物」の引き廻しだそうです。
この人形(?)はその「大造り物」のようです。
最後の最後は、ここ「霊台橋」(れいだいきょう)。
「霊台橋」は、江戸時代の「石造単一アーチ橋」。
矢部地区に至る難所「船津峡」は交通の要衝で江戸中期より木橋が架けられたが、いずれも流失したため、石橋架橋が計画され、弘化3(1846)年から弘化4(1847)年にかけて工事が行われ完成、昭和41(1966)年に上流に鉄橋が架かるまで道路橋として使用されたそうです。
(橋の上、歩けます。)
やや遠く上流を見るとダムがありますが、「船津ダム」です。
霊台橋、なかなかの威容でした。
これにて本日の行程は全て終了。
レンタカーの営業所に返却がちょっと遅れる旨の連絡を入れて、帰路へ。
九州道の御船ICから乗って、北熊本SAで夕食。
「熊本ラーメン、餃子セット」にしました。
久々のラーメンでしたが、おいしゅうございました。
ちなみに、昨年の夏休みの旅行の帰路、妻が買った「いきなり団子」のお店は閉まってました。
ラーメンを食べながら観ていたニュースで明日九州に上陸するであろう台風8号関係を報じていました。
(今日訪れたエリアの名前がずらり。)
そう言えば、車の運転中、何度かエリアメールがけたたましく鳴っていました。
今晩から危険が発生するかもしれないので、今のうちに避難せよ、ということですね。
北熊本SAから見た夕焼け。
パワースポット巡りの余韻を味わいつつ、明日に備えることとします。
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