GW後半、雲仙と軍艦島に一泊旅行に行ってきました。
夫婦とも、軍艦島は初めて、雲仙は、以前福岡で勤務している時に、島原や普賢岳の災害保存施設などを訪れたことはありますが、雲仙の地獄と温泉は初めてです。
今回の行程はざっとこんな感じ。
朝9時前に福岡を出発、渋滞もなくスムースに長崎道の大村湾PAに到着、休憩です。
目の前にパノラマで絶景が広がります。
11時頃に諫早を通過するので、昼食は「うなぎにしようか。」ということで、諫早ICで降りて、名店「北御門」へ。
(2017年10月の竹崎蟹を食べよう旅行の時以来の再訪です。)
妻は、1日限定10食の「鰻福丼」(まんぷくどん)を。
(極厚だし巻き、絶品です。)
私は、天ぷら・刺身の付いた御膳を。
「北御門」と言えば、この楽焼の特製器。
熱々の蓋を取ると、うなぎ。
(右上の❝口❞に熱湯を入れ熱々キープと最後のひと蒸し。)
夫婦の大好物のうなぎで満腹、大満足で、旅は絶好のスタートとなりました。
このまま雲仙に行っても良いのですが、「ちょっと島原に寄ってみようか。」ということで出発。
ナビが偶然、「諫早湾干拓堤防道路」のコースを選択。
この堤防道路、「雲仙多良シーライン」、走ってみたかったので、これはラッキー。
この歩道橋の上から、諫早方面を眺めて、、、
反対側の、雲仙方面を眺める。
(普賢岳を遠望できます。)
まっすぐな道路を、両側に海を見ながら、快走、、、というわけにはいかず、雲仙方面に向かって左側の土手が高くて、走りながら海は見えません。(笑)
妻がスマホで、「島原に霊丘(れいきゅう)神社という徳川家康を祀った神社があるよ。」と見つけてくれたので、お参りを。
霊丘神社は、島原の乱の後、民心鎮定祈願のために、1664年、家康公を祀る東照宮を謹請したのが始まりだそうです。
自然豊かな公園の中にある神社です。
(というか、神社を中心に後に公園が整備されたのですね。)
お参りして、御朱印をいただきました。
私たち以外は誰もいませんが、拝殿では神事が執り行われていました。
おみくじを。
夫婦ともに良い結果で何よりでした。
ここから島原城まではすぐ。
(駐車場から見える天守閣が新緑とのコラボで素敵。)
北村西望さんの彫刻が数多くありますが、西望さん、長崎のご出身なんですね。
(中央:天草四郎、右:若き日の信長、という作品。)
本日快晴なり、島原城の天守閣が青空に映えます。
(写真左下に小さく小さく、島原城のゆるキャラ「しまばらん」がいます。)
天守閣前の広場では、天草四郎の衣装でしょうか、当時の装束を着た方が横笛を吹いたり、記念写真を撮ってくれたりします。
私たちは、「しまばらん」と記念写真を撮ってもらいました。(笑)
雲仙に向かって出発。
ほどなく島原駅を発見。
(城郭風の立派な駅です。)
島原から雲仙へは軽い山越えですが、1時間とかからなかったのではないでしょうか。
「雲仙地獄」のある中心地は、ざっとこんな感じでコンパクト。
(満明寺の境内より撮影。)
駐車場に入れて、さっそく雲仙観光へ。
「温泉神社」。
(駐車場の目の前です。)
「温泉」と書いて、「うんぜん」と読むようです。
境内です。
(しっかりとお参りさせていただきました。)
見たかった、ミヤマキリシマが満開!
(きれいでしたぁ。)
境内に「夫婦柿」があります。
(杉でもイチョウでもなく、柿というのが珍しいですね。)
樹齢200年以上とのことです。
(柿で200年ってすごいかも。)
夫婦柿のお参りの作法は、両手で2本の幹をさすってお願いをし、すぐ横にある「ご神水」(湧き水?)を榊を使って体にパパっと浴びる、です。
絵馬が柿の実なのはこの夫婦柿にあやかってなのですね。
御朱印をいただきます。
こちらで「温泉神社」、「普賢神社」、「妙見神社」の3社の御朱印をいただけます。
せっかくなので、3社の御朱印を。
メインの「雲仙地獄」めぐり。
別府の地獄めぐりとは全然違うテイストです、、、硫黄臭、くっさ。(笑)
120℃ぐらいだとか。
(とにかく臭い。)
このあたり一帯が雲仙地獄で、遊歩道が整備されています。
遊歩道を歩いていると、エリアによっては全く噴気活動をしておらず、乾いている所もありますが、どうやら活動エリアは長い時間をかけて移動しているらしいです。
殉教キリシタンの碑があります。
私たち夫婦世代でも知識でしかしらない、「君の名は」のロケ地を記念した「真知子岩」。
一番広いエリアを一望できる東屋へ登りつきました。
「大叫喚」という地獄へはここからもう少し奥へ。
ここが「大叫喚」です。
(臭さに鼻がすっかり慣れました。(笑))
ここから「お糸地獄」の売店の方へ戻ります。
名物、「温泉たまご」と「温泉レモネード」を。
(左の黄点線枠内で猫が爆睡しています。)
雲仙地獄はメインの車道をはさんでもう1ヶ所ありますが、どうやら同じのようですので、地獄めぐりはこのあたりで。
歩いていると、中心地近くに閉館した大きなホテルがありました。
100年を超える歴史を誇る老舗旅館の「雲仙富貴屋」さん、昨年の5月6日に閉館したそうです。
さて、金箔をまとった大仏様が鎮座するという、「満明寺」へお参りを。
誰もいない境内。
ご本堂には自由に入れますので、大仏様にお参り。
(金! 確か奈良の大仏様も元々はこのように金箔だったとか。)
ミヤマキリシマでしょうか、ツツジが満開。
社務所がご自宅のようになっていて恐縮しましたが、呼び鈴を押すと、とてもご丁寧に対応していただき、御朱印をいただきました。
(「純金箔」という文字が燦然と輝いています。)
雲仙観光はこんな感じでした。
本日の宿へ。
「国民宿舎 青雲荘」です。
フルネームだと、「雲仙国立公園 小地獄温泉 国民宿舎 青雲荘」のようです。
温泉は、内湯の大浴場と露天風呂。
さっそく露天風呂へ。
(「行政の指導で露天風呂は別館にせよとのことですので、ご理解ください。」という趣旨の貼り紙がありました。)
露天風呂、雰囲気、泉質など、素晴らしいです。
(翌朝撮影。誰もいませんでした。)
広々とした露天風呂には白濁した素晴らしい泉質の温泉が掛け流し。
ずっと入っていてものぼせない、まさに適温。
風呂上りは休憩所でクールダウン。
(誰もいない。)
妻が、昨年の宮崎旅行で買った馬油のシャンプーなどがとても具合がいいとのことで、また買いたいと言っていましたが、さすが九州、ここにも同じものがありました。
(右下は、スプーン1杯で味噌汁&凍豆腐、私の食事用のお土産です。(笑))
いやぁ~、温泉が良かった、素晴らしい温泉でした。
さて、翌朝、本日も快晴です。
(青雲荘の駐車場にて。)
今回の旅行のメイン、「軍艦島上陸・周遊クルーズ」のために長崎港へ。
軍艦島クルーズは13時出航で30分前には必ず到着していないといけませんが、のんびりしていたので、思っていた以上に時間的に余裕がなかったです。
が、道中、「千々石展望台」に一瞬立ち寄り。(笑)
眺めがいいというので、是非立ち寄ってみたかった展望台です。
途中諫早周辺で渋滞もありハラハラしましたが、結局、無事到着、しかも最寄りの県営駐車場に入れることができました。
(長崎港ターミナル。)
予約していましたので、さっそくチェックインを。
乗船用と上陸用のチケット。
これで一安心、そんなに時間はありませんが、ターミナルで簡単に昼食を。
妻は「ごぼ天うどん」、私は「角煮カツ定食」。
(角煮カツ定食がちょっと重たかった、、、。)
さて、乗船時刻となりました。
今回は「やまさ海運株式会社」の「マルベージャ」という船です。
上陸後は、3つの団体に分かれてボランティアの方から島の説明を聞きますので、チーム分けのストラップをもらいます。
軍艦島までは約40分のクルーズ、道中船内で軍艦島の説明ビデオと船窓の景色のガイドがあります。
軍艦島は、元は岩山の隆起しただけの普通の島でしたが、6回の埋め立てを経て現在のように変貌を重ねてきたそうです。
(左:元々の島。)
長崎の教会群のひとつ、「神ノ島教会」。
(海上からの眺めは貴重かも。)
こちらは、伊王島の「馬込教会」。
(こちらも海上からの眺めは貴重。)
高島をかわす頃には軍艦島(端島)の全貌が見えてきます。
完全に外海ですので、海が荒れると上陸できません。
上陸率は年間70%だそうです。
今日はベタなぎ。
スムースに上陸です。
いただいたパンフレットから、軍艦島の全体図です。
大きくは住居エリアと工場エリアに分かれますが、外海の荒波にさらされるのは住居エリアで、日本最古の鉄筋コンクリートの7階建てアパートの「30号棟」をはじめ、高層建物が建てられ、工場エリアの防波堤の役割を担っていたそうです。(=それほど石炭が貴重だったということですね。)
見学は、「第1見学広場」、「第2見学広場」、「第3見学広場」に分かれます。
私たちは「第1見学広場」から。
写真中央の高台のアパートは、当時の三菱石炭鉱業㈱の幹部の住居で、島で唯一世帯ごとに風呂があったそうです。
ちなみに、台風の時などは、この高台を越えて波が来るそうです、こわっ。
一番奥(右奥)が「端島小中学校」で、ここの校庭が島で唯一の砂地だったそうです。
鉱員の生活は豊かで、熱帯魚を飼っている世帯が多かったらしく、水槽用の砂として校庭の砂がどんどんなくなっていったそうです。(その都度、本島から砂を補充していたとか。)
その横のやや黒っぽい建物は鉱員の社宅ですが、屋上は幼稚園。
この幼稚園には滑り台がそのまま残っているそうですが、「進撃の巨人」劇場版のロケ地でもあり、❝聖地巡礼❞に来る観光客も多いとか。
こちらは「第2見学広場」への移動途中。
(あまりのピーカンに、船内で貸してくれる麦わら帽子を夫婦で着用しています。(笑))
「第2見学広場」。
このレンガの建物は、「総合事務所」で、鉱山の中枢。
また、この棟の中には共同風呂がありましたが、石炭の粉塵にまみれた、3交替勤務の鉱員が入浴するため、浴槽はいつも真っ黒だったそうです。
「第3見学広場」。
ここからは住居エリアを見ることができます。
過酷な労働環境だっため、独身者はすぐに辞めていったそうで、家族優遇政策を採って世帯持ちの労働者が中心だったそうです。
もっとも、社宅にはライフラインも完備、当時は贅沢品だった家電の3種の神器もほとんどの家庭が有し、給料もかなりの高給、映画も長崎よりも先に封切りされるなど、暮らしのレベルは当時ではかなり高かったそうです。
そんな端島も、エネルギー革命で石油中心となり石炭の採算が合わなくなった1974年に閉山。
1月に閉山し4月には無人島になったそうで、たった3ヶ月で全島民が島を出たそうです。(なので、部屋にはまだ家電や食器などもそのままだとか。)
約40分の上陸、そろそろ船に戻ります。
以前は、島にはお寺と神社がひとつずつあったそうで、木造のお寺(泉福寺)は既に崩壊しましたが、神社(端島神社)は祠だけがまだ残っています。
軍艦島は当時は夜でもこの明るさだったとか。
(パンフレットより。)
無人島になってからは真っ暗で船の航行上危険なので、閉山の翌年に灯台を建築したそうですが、鉄製の灯台はすぐに腐食するため、現在は、強化プラスチック製の灯台が海の安全を守っています。
(もちろん無人、電気は太陽電池による自給だそうです。)
離岸後は、ゆっくりと軍艦島の周囲をクルーズします。
軍艦島の名の由来は、軍艦島のこの角度の姿が、当時三菱のドックで建造されていた軍艦土佐に似ていたからだとか。
軍艦土佐。
(ネットより拝借。)
快晴の中、厳しい日差しを日焼け止めと、借りた麦わら帽子(上陸中は日傘禁止)でしのいで、とても有意義な軍艦島上陸となりました。
軍艦島の建造物は保存が不可能とのことで、年々、台風や劣化で崩壊していっているそうです。
ガイドの方も、「写真をたくさん撮って帰ってください。特に住居エリアは次に来られる時はもう今日の姿はないかもしれませんので。」とおっしゃっていました。
長崎港への帰りの道中は、すっかり爆睡してしまいました。
帰港し下船すると、「軍艦島上陸証明書」をいただきました。
天気に恵まれた今回の旅行、1泊2日の小旅行でしたが、充実の2日間でした。
帰りの高速道路もほとんど渋滞することなく、18時には福岡に帰着。
テレビの「秘密のケンミンSHOW」で放映されたらしい、「ウエスト」の居酒屋バージョンで夕食を。
せっかくなので、名物の、かき揚げ、かしわ飯を妻に食べてもらいました。
そして、今年のGWで私は3店舗目(妻は4店舗目)となる「もつ鍋」をウエストでも注文。(笑)
夕食、めちゃ安。(笑)
かくして、2019年のGWもいよいよ終了。
長いようであっという間、というのが私たち夫婦の感想です。
みなさんはどんなGWを過ごされたのでしょう。
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