奈良公園を歩き始めて
「この椿でね、不思議なところ自分の目でアレッと思うところ探してみて・・・」とH先生が・・・
「この枯れかかった椿ですか?」
「おかしいな?と思うところですよ」
「え~?どこかなぁ?うん?この椿病気なんかなぁ??」
「あれ?ほらほらヤドリギ、ヤドリギとちゃう?」
ヒノキバヤドリギ(檜葉宿主木)ヤドリギ科
宿主は椿
ヒノキの葉っぱに似てるところからヒノキバヤドリギといいます
フツーのヤドリギは鳥が種を食べてネチョーとしたウンコをして樹につくのに、コレは実が生ると熟した時に実がはじけて飛び種が枝にひっつくという戦略、そのため種はネバネバ。
根っこを椿の枝に突っ込んで水も養分も奪う、奪われた椿は枯れてしまう、栄養をもらってる宿主(椿)が枯れてしまえば自分(ヒノキバヤドリギ)もアカンやろに・・・
ヒノキバヤドリギの実(節のところの小さなプチッとしたモノ
オオバヤドリギ(大葉寄生木)ヤドリギ科
秋から冬にかけて赤褐色の花が咲き、春に1cmに満たない実を付けます(と、ネット検索の結果)
秋に花が咲く?もうそろそろやね、見なくっちゃね。
春に実をつける?見なくっちゃね・・・
写真のオオバヤドリギの宿主はモミジ
オオバヤドリギという名前がついてるのもナルホド・・・です。
葉っぱが大きいです。
葉っぱの表は濃い緑、葉っぱの裏はオレンジ色です
マツグミ(松茱萸)ヤドリギ科
松に寄生していました。
よく見るヤドリギのようなこぶ状にはなってませんね、枝が垂れ下がってるように見えました。
お花は夏に咲き、翌春に実(グミに似ている)が生るという、場所も覚えたしぃ、見に行かなくっちゃね・・・
ヤドリギの仲間って、お花が咲いて?実が生る?
知りませんでした、宿主を枯らしてまで・・・というところがスゴイなと思うわんちゃんです。
でも、その辺が植物やなぁとも思うわんちゃんです。
ヤドリギの仲間のほかにも樹木にくっついてるモンが・・・
ビロウドシダ:ウラボシ科
クスノキに付いてました。
ちょっと分厚く毛だらけで、ふわふわっとしていました。
「コレッて絶滅危惧種の筈ですよ」
「えっ?えぇ~~」
ノキシノブ(軒忍)ウラボシ科
ノキシノブは環境指標植物と呼ばれています
コレがたくさん付いているところは、空気のきれいなところ、奈良公園一帯はこのノキシノブがいっぱいついてますね。
この日は樹木が主で上ばっかり見て、ちょっこし首がだるくなったのはわんちゃんだけではなかったみたいです。
若草山から下りるとき
こんな可愛いお花に出合ったんですよ
ヒナギキョウ(雛桔梗) キキョウ科
花の大きさは1~1.5cmほど、背丈は10~25cmほどのひょろっとした姿のお花です。
【おまけ】
奈良公園の鹿
奈良公園の鹿にまつわるお話の中で、語り継がれているモノがあります。
「春日大社の神様が初めて御蓋山(みかさやま)に降りられたとき、白い神の鹿に乗って、鹿島神宮から来られた」ということで春日大社では鹿をとても大事にされてます」
江戸時代には鹿を殺したら死刑にされたと・・・
● 十三鐘の石子詰
ある日、興福寺の小僧さん達が大勢この堂で習字の勉強をしていた処、一匹の鹿が庭へ入り、小僧さん達の書いた紙をくわえたところ、その小僧の一人三作が習字中に使用していたけさん(文鎮)を鹿に向かって投げました。
ところが、この一投の文鎮は鹿の急所に命中し、鹿はその場にて倒死しました。
当時、春日大社の鹿は神鹿とされ、
「鹿を殺した者には、石詰の刑に処す」との掟があった為、鹿を殺した三作小僧は、子供と云えども許されることなく、
三作小僧の年、13歳にちなんだ一丈三尺の井戸を掘り、三作と死んだ鹿を抱かせて、井戸のうちに入れ、石と瓦で生き埋めになりました。
三作は早くに父親に死別し、母一人子一人のあいだがら。
この日より母「おみよ」さんは、三作の霊をとむらう為、明けの7つ(午前4時)暮れの6つ(午後6時)に鐘をついて供養に努めましたところ、49日目にお墓の上に、観音様がお立ちになられました。
その観音様は、現在大御堂内に、稚児観世音として安置されています。
子を思う母の一念、せめて私が生きている間は、線香の一本も供えることが出来るが、私がこの世を去れば三作は鹿殺しの罪人として誰一人香華を供えて下さる方はないと思い、おみよさんは紅葉の木を植えました。
当世いづこの地へいっても鹿に紅葉の絵がありますのも、石子詰の悲しくも美しい親子愛が、この地より発せられたものであります。
同境内地の石亀がありますのは、三作の生前は余りにも短命で可愛そうであった。
次に生まれる時には、亀のように長生きできるように、との願いにより、その上に五重の供養搭を建てられたものであります。
何時の世にも、親の思う心は一つ、こうして三作石子詰の話が、今もこのお寺に伝わっているのです。
菩提院大御堂門前の解説板は末尾にて、“これはあくまで「伝説」であり「伝承」であるが・・・
と、記されている
又奈良の早起きは昔から有名で、自分の家の所で鹿が死んでおれば、前述のようなことになるので競争したといわれています。
今でも早起きの習慣が残っています。
「この椿でね、不思議なところ自分の目でアレッと思うところ探してみて・・・」とH先生が・・・
「この枯れかかった椿ですか?」
「おかしいな?と思うところですよ」
「え~?どこかなぁ?うん?この椿病気なんかなぁ??」
「あれ?ほらほらヤドリギ、ヤドリギとちゃう?」
ヒノキバヤドリギ(檜葉宿主木)ヤドリギ科
宿主は椿
ヒノキの葉っぱに似てるところからヒノキバヤドリギといいます
フツーのヤドリギは鳥が種を食べてネチョーとしたウンコをして樹につくのに、コレは実が生ると熟した時に実がはじけて飛び種が枝にひっつくという戦略、そのため種はネバネバ。
根っこを椿の枝に突っ込んで水も養分も奪う、奪われた椿は枯れてしまう、栄養をもらってる宿主(椿)が枯れてしまえば自分(ヒノキバヤドリギ)もアカンやろに・・・
ヒノキバヤドリギの実(節のところの小さなプチッとしたモノ
オオバヤドリギ(大葉寄生木)ヤドリギ科
秋から冬にかけて赤褐色の花が咲き、春に1cmに満たない実を付けます(と、ネット検索の結果)
秋に花が咲く?もうそろそろやね、見なくっちゃね。
春に実をつける?見なくっちゃね・・・
写真のオオバヤドリギの宿主はモミジ
オオバヤドリギという名前がついてるのもナルホド・・・です。
葉っぱが大きいです。
葉っぱの表は濃い緑、葉っぱの裏はオレンジ色です
マツグミ(松茱萸)ヤドリギ科
松に寄生していました。
よく見るヤドリギのようなこぶ状にはなってませんね、枝が垂れ下がってるように見えました。
お花は夏に咲き、翌春に実(グミに似ている)が生るという、場所も覚えたしぃ、見に行かなくっちゃね・・・
ヤドリギの仲間って、お花が咲いて?実が生る?
知りませんでした、宿主を枯らしてまで・・・というところがスゴイなと思うわんちゃんです。
でも、その辺が植物やなぁとも思うわんちゃんです。
ヤドリギの仲間のほかにも樹木にくっついてるモンが・・・
ビロウドシダ:ウラボシ科
クスノキに付いてました。
ちょっと分厚く毛だらけで、ふわふわっとしていました。
「コレッて絶滅危惧種の筈ですよ」
「えっ?えぇ~~」
ノキシノブ(軒忍)ウラボシ科
ノキシノブは環境指標植物と呼ばれています
コレがたくさん付いているところは、空気のきれいなところ、奈良公園一帯はこのノキシノブがいっぱいついてますね。
この日は樹木が主で上ばっかり見て、ちょっこし首がだるくなったのはわんちゃんだけではなかったみたいです。
若草山から下りるとき
こんな可愛いお花に出合ったんですよ
ヒナギキョウ(雛桔梗) キキョウ科
花の大きさは1~1.5cmほど、背丈は10~25cmほどのひょろっとした姿のお花です。
【おまけ】
奈良公園の鹿
奈良公園の鹿にまつわるお話の中で、語り継がれているモノがあります。
「春日大社の神様が初めて御蓋山(みかさやま)に降りられたとき、白い神の鹿に乗って、鹿島神宮から来られた」ということで春日大社では鹿をとても大事にされてます」
江戸時代には鹿を殺したら死刑にされたと・・・
● 十三鐘の石子詰
ある日、興福寺の小僧さん達が大勢この堂で習字の勉強をしていた処、一匹の鹿が庭へ入り、小僧さん達の書いた紙をくわえたところ、その小僧の一人三作が習字中に使用していたけさん(文鎮)を鹿に向かって投げました。
ところが、この一投の文鎮は鹿の急所に命中し、鹿はその場にて倒死しました。
当時、春日大社の鹿は神鹿とされ、
「鹿を殺した者には、石詰の刑に処す」との掟があった為、鹿を殺した三作小僧は、子供と云えども許されることなく、
三作小僧の年、13歳にちなんだ一丈三尺の井戸を掘り、三作と死んだ鹿を抱かせて、井戸のうちに入れ、石と瓦で生き埋めになりました。
三作は早くに父親に死別し、母一人子一人のあいだがら。
この日より母「おみよ」さんは、三作の霊をとむらう為、明けの7つ(午前4時)暮れの6つ(午後6時)に鐘をついて供養に努めましたところ、49日目にお墓の上に、観音様がお立ちになられました。
その観音様は、現在大御堂内に、稚児観世音として安置されています。
子を思う母の一念、せめて私が生きている間は、線香の一本も供えることが出来るが、私がこの世を去れば三作は鹿殺しの罪人として誰一人香華を供えて下さる方はないと思い、おみよさんは紅葉の木を植えました。
当世いづこの地へいっても鹿に紅葉の絵がありますのも、石子詰の悲しくも美しい親子愛が、この地より発せられたものであります。
同境内地の石亀がありますのは、三作の生前は余りにも短命で可愛そうであった。
次に生まれる時には、亀のように長生きできるように、との願いにより、その上に五重の供養搭を建てられたものであります。
何時の世にも、親の思う心は一つ、こうして三作石子詰の話が、今もこのお寺に伝わっているのです。
菩提院大御堂門前の解説板は末尾にて、“これはあくまで「伝説」であり「伝承」であるが・・・
と、記されている
又奈良の早起きは昔から有名で、自分の家の所で鹿が死んでおれば、前述のようなことになるので競争したといわれています。
今でも早起きの習慣が残っています。
こうして、写真を並べて説明して頂きますと、随分様々な宿主木があるのだ、と改めて感嘆しております。
それにしましても、軒忍が環境浄化に関係があるとは知りませんでした。植物は正直なのですねぇ。これからは注意して見ることにします。
「やどりぎ」 ロングフェロー
高く聳ゆる樫の木の
梢にかかる檞生木は
昔行脚のひじりどち
黄金の斧もて切りしてふ
事ほこりかに見ゆるかな
ヤドリギの仲間は落葉樹に寄生するのが多いそうです
宿主が落葉して寒々としているのに、ヤドリギの仲間の多くは常緑樹で青々としているところが不思議やなぁと思います。
それに花が咲いて実の生るヤドリギの仲間もアリとか・・・
そんなに栄養を摂られた元の木は
たまったモンじゃないですよね。