【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

武庫川渓谷・生瀬⇒武田尾:2015.8.07~シルバー健康ウォーキングの会~

2015-08-13 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
「旧福知山線廃線跡を散策するのでトンネルを通ります、トンネル内は真っ暗です、懐中電灯を持参してください。青春18切符を使います、希望者は00まで申し込んでください」との、FAXが届きました。
わんちゃんだけJR下狛駅から乗車、みなさんはJR木津駅からとか、JR祝園駅からとか、車内で「お久しぶりで~~」から始まって・・・

JR宝塚駅を通過しJR生瀬駅で降りてスタートです。


武庫川渓谷の美しい眺めを楽しみ「それにしても暑いなぁ」とか言いながら、しかし時々の、さぁ~っと吹き抜けるそよ風に癒されながら・・・

前方に見えるのは「北山第1トンネル(全長318m)」

早速、懐中電灯スイッチ・オン。

トンネルの中は冷や~~っと弱冷蔵庫のカンジ。中はカーブになってて向こうの明かりが全然見えないんで真っ暗・・・懐中電灯を頼りに慎重に歩きます

トンネルを抜けると右手には武庫川渓谷のいろんなカタチの岩々(奇岩、巨岩の数々)の景色・・・


線路の枕木が雑草に覆われてず~っと続いてたり、


ところどころ枕木が露出してたり、


要はけつまづかないように細心の注意を払って歩くわんちゃんでした。
北山第2トンネル、横溝尾トンネルと進むと鉄橋(第2武庫川橋梁)がありました、



けど鉄橋は渡れません、脇の側道を歩くことになります。

長尾山第1トンネル、長尾山第2トンネル、そして最後の長尾山第3トンネルを抜けると武庫川は左手になってました。

こんな看板が


左前方に赤い吊り橋が見え、最終地点のJR武田尾駅。


すぐ近くに武田尾温泉があります、ゆっくりと温泉に浸かって帰るのもいいかな?また今度・・・
コースの中に、自ら「桜男、桜癖」と称した笹部新太郎さんの演習林だった「亦楽(えきらく)山荘」の看板が目につきました、ここはず~っと前からいっぺん行ってみたいと、思ってるわんちゃんなんです。
【おまけ】
「相楽健康ウォーキングの会」最後のウォークの日 こちら
「これで、この会が解散してしまうなんて惜しいなぁ、なんらかのカタチで残してくださいよ~」っとわんちゃん、だけでなく皆さんの希望大やったそうです。4月から再出発の案内があり、5月、6月、っとお誘いがあったんですがわんちゃん的には参加できてなかったんです、7月は雨で中止。それで、今回、リニューアルでは初参加となりました。これから月1回ウォーキング開催予定っというか、もう来年の3月までバッチリ予定が決まってるんですよ。「相楽健康ウォーキングの会」の資料からピックアップされたみたいです。今回の資料も平成18年12月1日【武庫川渓谷(旧福知山線を歩く(10km)】の資料でした。

歩きながら撮ったお花たち
オニグルミ(実)    イヌトウバナ
 

キンミズヒキ                        ダイコンソウ
 

キツネノカミソリ




武田尾駅のトイレの窓に:ヤモリ


西宮市マンホールの蓋

甲子園球場、酒蔵・酒樽、桜(西宮市の花)

  

嵯峨野路を歩く:2015.3.22~相楽健康ウォーキングの会~

2015-03-22 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

いよいよ「相楽健康ウォーキングの会」最後のウォークとなりました。

JR太秦駅で降りて


広隆寺(弥勒菩薩坐像で有名)で集合・受付・ストレッチ体操後出発です(参加者60名余)

↑ wikipedia
境内でのアセビ(馬酔木)が可愛く咲いてて思わずパチリ!!


今回は嵐山周辺、ここはいつ来ても観光客でいっぱい、中国語、韓国語が飛び交ってました。嵯峨野方面は有名な神社仏閣がいっぱい、けどウォ-キングですから拝観はスルー・・・

広隆寺を出て大映通り商店街を歩きます。

すぐ近くには太秦映画村がありますよね。

 車折(くるまざき)神社




境内に「芸能神社」があり、芸能や芸術に関わる人達に崇められています。いわば芸能人にとってのパワースポットとして、近年特に話題になっています。境内を埋め尽くす玉垣には時代劇俳優からアイドルまで、名立たる芸能人達の名前が多数!五木ひろしさんのも・・・

 鹿王(ろくおう)院の総門

切妻造、本瓦葺き。室町時代初期の建築。山号の「覚雄山」の額が掲げられていました。

渡月橋を渡り、中之島公園で早めのお弁当タイム。
昼食後は、再び渡月橋を渡り、嵯峨野へと戻ります。
大河内伝次郎の別荘だった大河内山荘前に伸びる、嵯峨野の竹林の中の散策路。
すぐ近くにわんちゃんちのお墓があります。
トロッコ嵐山駅を過ぎて、常寂光寺。
常寂光寺と言えば? ⇒こちら

落柿舎(らくししゃ)のそばまで来ました。

若い頃嵯峨野散策の折、入ったことがありました、確か向井去来(芭蕉の弟子)のお墓があったように記憶してます。

二尊院の前でちょっと休憩。


化野(あだしの)念仏寺へ・・・化野念仏寺の門前で折り返しました。
また若い頃のお話ですが、この念仏寺は拝観料が無料でした、その次に来た時は垣根をこしらえてはりました、次に来た時は拝観料が有料(50円だったかな?)になってました。40年以上も前のこと・・・

清涼寺(釈迦堂)に到着





清涼寺(釈迦堂)山門
ここで自由解散となりました。

清涼寺(釈迦堂)本堂のすぐ隣に嵯峨薬師寺があります。






大覚寺に向かう方もおられました、わんちゃん的にはここまでで精一杯。釈迦堂の山門を出てすぐ左の森嘉(もりか)に立ち寄って豆腐や飛竜頭(ひろうず)をお土産に買いました。ここは新幹線で買いに来られる、お得意先には京都駅まで配達っと聞いたことがあります。
コース(11Km)
JR太秦駅⇒広隆寺(受付・ストレッチ体操)⇒車折神社⇒渡月橋⇒嵐山公園(昼食)
⇒落柿舎⇒化野念仏寺⇒清涼寺(釈迦堂)⇒JR嵯峨嵐山駅
JR嵯峨嵐山駅から京都駅へと。

「ねぇねぇ、月一にウォーキングしてきたやんか、これからも月一、有志でウォーキングせえへん?」と、いうことで盛り上がり早速お誘いがありましたが、生憎と予定が入ってまして参加できなかったわんちゃんでした「次回、きっと誘ってね」「うん、いいよ声かけるね」

北山之辺の道:帯解⇒天理2015.2.06~相楽健康ウォーキングの会~

2015-02-21 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
「山の辺の道」は三輪(桜井)から奈良へ通じる古道です。歴史に登場する道路のうちで最古の古道と呼ばれ、延長26kmになります。(大部分が東海自然歩道に指定されています)

今回は、帯解~山の辺の道~天理コースをウォーキングです
クリックで拡大します



JR帯解駅集合・受付、ストレッチ体操後出発です。


帯解寺


帯解寺縁起
当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。
そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。
帯解の名称はここから始まりました。⇒帯解寺HPより

帯解寺から東に向かい歩き始めて、左前方には若草山が・・・山焼きの跡が見えてました。


真っ直ぐ方面は正暦寺、右は弘仁寺っという分岐点に、ここは柳茶屋です。御大典記念の時計台前で小休憩。時計台は地元の青年団が建てたそうです。



弘仁寺




弘仁寺は「十三まいり」で有名です。ご本尊虚空蔵菩薩は、虚空の如く広大無辺の知恵と福徳を持ち、現在・未来の利益を授けるとされています。13歳になる男女が、その知恵と福徳をさずかるために参詣します。大般若経の転読に続き、虚空蔵法の祈祷があり、本堂前で護摩が焚かれます。

立派なグランドで何やら高校生が部活の最中、ユニホームで天理高校の野球部と判明。練習風景見ながら・・・

和爾小倉谷(わにおぐらだに)古墳群




古墳時代後期に周辺に住んでいた豪族によりつくられた古墳と見られています。
1991年白川ダム建設にともなう発掘調査で3基の古墳から横穴式石室が見つかりました。
ここにある横穴式石室は、もとの地点から北西へ約120mの現在の位置に移築復元されて古墳公園として整備されました。
古墳公園すぐそばの白川ダムでお弁当タイムとなりました。

白河ダム








石上町に所在する全長107メートルの前方後円墳で、古墳の周囲には周濠をめぐらしています。巨石を用いた全長9~10メートル程の横穴式石室が築かれていたものと推測されていますが、現在は破壊されています。6世紀前半に築造された古墳時代後期の古墳です。⇒天理市HP
落葉で石室内も埋もれていました。

石上神宮(いそのかみじんぐう)に到着



トイレ休憩となりました。

いろんな鶏が飼育されてます(烏骨鶏も居ました)






天理教教会本部の建物の前で解散

誰ともなく「お茶しません?」

天理本通り商店街のカフェで電車の時刻表に合わせてコーヒーブレイク

今までの相楽健康ウォーキングの会のコースの話など盛り上がりましたね。
天理駅はJRと近鉄線が隣同士になってます。

それぞれが選んだ電車の方へ行きながら・・・
「ごきげんよう~さようなら、又来月ね・・・」

1997年4月からこの会はスタートしました。わんちゃんは2009年10月三上山(木津川市)に初めて参加してます。
相楽健康ウォーキングの会では行程が10~14㌔、あんまり高低差も無く参加しやすかったです、今年度3月でこの会が解散されると聞きスッゴク残念です。

橿原神宮から飛鳥散策・初詣ウォーキング:2015.1.09~相楽健康ウォーキングの会~

2015-01-22 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
相楽健康ウォーキングの会では毎年1月は初詣ウォークです。
わんちゃんが過去に参加してるのでは
2014年:北野天満宮 ⇒こちら
2013年:住吉大社 ⇒こちら
2011年:大神神社 ⇒こちら

今年は橿原神宮から初詣ウォーキング
集合場所は近鉄・橿原神宮前駅。


相楽健康ウォーキングの会会長さんからご挨拶で「長い間(十数年)続けてきた当会も今年の3月をもって終了することに決定しました」っとのお話が正式にありました。噂では聞いてたんですけど・・・
役員の皆さんたち、参加者たちもだんだんと高齢になり後継者困難問題が浮上・・・となり、いよいよ今回を含めて3回だけになってしまう・・・っと伺うとなんだか寂しいなぁ。

橿原神宮の一ノ鳥居、祭神は神武天皇です。






橿原神宮は、御祭神・神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址に、明治23年に創建された。
第一代の天皇であり我が国建国の始祖となられた神武天皇と、 (ひめたたらいすずひめ)皇后が祀られている。 神武天皇は、皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降られた日向(ひゅうが)国高千穂の宮におられたが、天下の政治(まつりごと)を行うべくはるばる東遷の途に立たれた。途中幾多の困難に遭われたが、ついに大和の国を中心とした中つ国を平定され、畝傍(うねび)の橿原の宮において即位の礼をあげて、国の基をたてられた。⇒橿原神宮HPより

広い境内を自由散策、


深田池ではヒドリガモがゆったりくつろいでるふうでした。

左:雄 右:雌

橿原市から明日香村へと・・・

飛鳥水落遺跡

飛鳥水落遺跡とは ⇒こちら

見学後飛鳥寺へ途中に蘇我入鹿の首塚がありました、その向こうに見える丘は甘樫丘


飛鳥寺(あすかでら)

日本最古の寺院、蘇我氏の氏寺、6世紀末から7世紀初頭にかけて建立された。
本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。

万葉文化館の傍を通り過ぎ、酒船石(さかふねいし)に立ち寄りました。




板蓋宮(いたぶきのみや)跡




642年皇極(こうぎょく)天皇元年1月、皇極天皇は夫である舒明(じょめい)天皇の崩御により即位し、同年9月19日(10月17日)、大臣である蘇我蝦夷(そがのえみし)へ新宮殿を12月までに建設するよう命じた。これにより完成したのが板蓋宮である。643年(皇極天皇2年)4月のこと。
板蓋宮は、645年7月10日(皇極天皇4年6月12日)に発生したクーデター(乙巳の変=いっしのへん)の舞台となった。この日、皇極天皇の眼前で大臣の次期後継者である蘇我入鹿が暗殺されるという凶行がなされた(この時、討たれた入鹿の首がさっきの首塚まで飛んでいったと伝えられています。)これにより皇極天皇は同月12日(14日)に退位し、事件の真の首謀者と目される孝徳天皇は、難波長柄豊碕(なにわのながらのとよさき)に宮を置いた。
孝徳天皇は中大兄皇子を皇太子にし、中大兄皇子は、天皇中心の中央集権国家を再構築するため、「大化の改新」と呼ばれる大改革を断行したのです。654年(白雉5年)10月、孝徳天皇が難波宮で崩御すると翌年の初めに皇極上皇は板蓋宮において再度即位(重祚)し、斉明天皇となった。この年の末に板蓋宮は火災に遭い、焼失した。板蓋宮って小さな宮殿のようでしたが、日本の歴史を大きく変えた舞台だったんですね。

石舞台古墳のそばの芝生広場でお弁当タイム。

午後はまず橘寺から・・・

橘寺は聖徳太子が生まれた寺です。

天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守(たじまもり=菓子の神としても崇敬される)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。

亀石を見て・・・




鬼の俎(おにのまないた)


鬼の雪隠(おにのせっちん)

花崗岩で作られた遺構。


畑の中を通る遊歩道の脇の高台には「鬼の俎」が、遊歩道を挟んだ高台の麓に「鬼の雪隠」がある。両者は直線距離にして数十メートル離れているが、元は1つの古墳の石室だったものが、盛土が無くなったうえ、二つに分かれてしまったものである。元々は、くり抜かれた横口式石槨の石室(鬼の雪隠)とその底石(鬼の俎)であった。

飛鳥歴史館の展示室を見学し近鉄・飛鳥駅でゴールとなりました。


コース:行程13km
橿原神宮前駅⇒橿原神宮(初詣)⇒駅前:受付⇒飛鳥水落遺跡⇒飛鳥寺⇒酒船石⇒飛鳥板蓋宮跡⇒石舞台古墳芝生広場(昼食)⇒橘寺⇒亀石⇒鬼の俎・雪隠⇒飛鳥歴史館⇒近鉄飛鳥駅

【おまけ】
明日香村:マンホール

中央の明日香村章を村の花タチバナと村の木、ツキ:槻 (けやき)で囲むデザイン。

日本の国歌にも謳われている細石(さざれいし)




細かい小さな石が、悠久の年月をかけて巌(いわお)となり、さらにそこに苔が生すまで・・・
気の遠くなるような時間経過。
橿原神宮拝殿の手前、参拝客の目に留まりやすい場所に鎮座してます。


東高野街道・道明寺天満宮~富田林(10km)2014.10.17

2014-12-14 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

東高野街道とは、かつて京都(京都府石清水八幡宮)から高野山(和歌山県)への参詣道として用いられた街道。大阪府内では現在の国道170号線の沿線が、それに相当します。今回はタイトル(東高野街道)通りじゃなくって藤井寺市から富田林市まで街道に並行して流れる大和川の支流である石川の河川敷を歩きました。

近鉄・道明寺駅に集合、すぐ近くの道明寺天満宮の境内で受付、ストレッチ体操後出発です。道明寺天満宮は梅の名所で、祭神は藤原道真。この地には覚寿尼(かくじゅに)と云う道真の叔母が住んでいて、道真自身もここに来ており、第二の故郷だったようです。

道明寺天満宮

吽                    阿
 

撫で牛


 一級河川・石川の河川敷を歩きます、サイクリングロードが有り四季折々の、お花も楽しめるようです。
大阪府営石川河川公園は、金剛山系と泉北の丘陵地に挟まれた南河内エリアを流れる石川の河川敷に作られた細長い公園で、1町4市にまたがる公園面積は170.6haという広大な公園です。 ⇒大阪府公園協会HP



高速道路の下を横切り、河川敷から壷井八幡宮へと向かいました。
鎌倉幕府の創始者源頼朝が、八幡太郎源義家公の4代の孫であり、室町将軍家足利氏、さらに徳川将軍家も義家公の流れである。
この義家公の祖父頼信公が壺井に館を構えたのが寛仁4年(1020)のことで、河内源氏の祖となる。
源氏とは東国のイメージがありますが、そもそもは河内源氏からなんですね ⇒壺井八幡宮HP

壺井八幡宮


吽                    阿
 



境内には、樹齢1,000年になる天然記念物の楠がそびえている
ここで、お弁当タイムとなりました。 

壷井八幡宮の近くにある通法寺跡に寄りました。
今は山門と梵鐘のない鐘楼だけしか残っていません。
通法寺跡の境内にある二代目・源頼義の墓です。


石川に戻り富田林駅まで・・・
二上山が見えてました。


金剛山(右)と葛城山(左)も正面に見えてました。


石川に架かる金剛大橋を渡れば、富田林市街です。

ここら辺りからはどこからでも「PLの塔」が見えるようです。

富田林市・寺内(じない)町は、江戸時代のお寺と商家の町並み。建築年代が江戸時代中期から昭和の始めまで少しずつ異なり、それぞれの町家は個性的な表情を今に伝えています。「旧家の生きた博物館」 です・・・っと。



「後の雛まつり(のちのひなまつり)」
~古い町並みを彩る菊花とお雛さま~

江戸時代、関西を中心に重陽の節句(旧暦9月9日)に行われたと伝わる「後の雛まつり」。
菊花とお雛様を飾ったことから、別名「菊雛」とも言うこの行事を江戸時代からの古い商家・民家が残る富田林寺内町界隈にて開催いたします。
こんなチラシを見かけました



秋のお雛様は春の雛と違って親王様だけを飾り、菊を添えて雛遊びを楽しみます。前夜に菊の花に真綿を置いておき、その真綿に菊の花におりた露を染ませて肌をぬぐうと美しさと健やかさを得られるとも伝えられているそうで、この「被せ綿(きせわた)」も各所で体験できるそうです。
わんちゃんたちが散策した寺内(じない)町の一箇所で「後の雛まつり」の名残を楽しみました。

藤井寺市マンホール




中心に市章を、その周囲に市の木である「梅」を配置し、更にその外側に市内に点在している「古墳(前方後円墳)」を配置したデザインです

富田林市マンホール




市域を貫流する石川の源流、金剛・葛城山系を背景として、富田林発祥の地に現存する「重要文化財 旧杉山家住宅」、市の木「くすの木」、市の花「つつじ」をあしらい、市民の協力と連帯のもと、伸び行く富田林を象徴したものです。

コース:近鉄・道明寺駅→道明寺天満宮(集合・ストレッチ体操・スタート)→石川河川敷公園→おおさと歩道橋→壷井八幡宮(昼食)→通法寺跡(源頼義の墓)→河南橋→石川サイクル橋→金剛大橋→寺内町交流館→近鉄・富田林駅(ゴール)


鞍馬~大原の里(相楽健康ウォーキングの会):2014.12.05

2014-12-08 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

叡山電鉄鞍馬駅で降りて駅前広場で、受付、ストレッチ体操後出発です。


駅出たらすぐのところに・・・


鞍馬寺(くらまでら)


開基(創立者)は鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされている。宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
もともと天台宗の寺院でしたが1949年以降は独立して鞍馬弘教の総本山になっています。牛若丸(源義経)が修行をした地としても有名です。また、鉄道事業者としてケーブルカーを運営する唯一の宗教法人でもあります。
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。能の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国十九番札所である。
wikipediaより
・・・っという鞍馬寺を横目でチラッと見ながら、サッと撮りながら・・・



鞍馬川を渡ってしばらく歩き薬王坂(やっこうざか)への山道に入った。(「やくおうざか」っと読んでたわんちゃん)落ち葉でふわふわの山道、足には優しいのですが、小さな岩の上になんか積もってると滑りそうになったりしながら・・・



大きな木の根っこに巻かれてしまってる石仏に出会いました。





こんな山道歩きながら静原方面へ・・・
途中!熊出没注意!の立札が・・・イノシシも出るようです、それでこんなに柵が。


静原神社の境内でお弁当タイムでした
参道の鳥居、拝殿、奥に本殿あり。


名残の紅葉を・・・




午後は江文峠(そんなに険しかったという記憶なかったです)から江文神社(えぶみじんじゃ)へ





その日の終点は寂光院、わんちゃん的には「もみじと桜のコラボ」っとの実行院に行きたかった(もう紅葉は終わってしもてるやろなァ・・・とか思いながらも)
皆さんは大原のバス停で京都駅方面に。「ほんなら、わんちゃん気ぃつけて行きな、さいなら」

実行院は確か三千院のちょっと向こう側っとの記憶がありました








                    ムベの実          
 

何年か前にまだ冬に咲く桜が珍しかった頃、三千院も寂光院も行かずに実行院の不断桜に会いに行ったことがありました。冬の寒い時に咲く桜、華やかさは無いけど、静かに咲いてるその姿になんとなく、なんとなく惹かれるものを感じて・・・






不断桜
初秋から咲きはじめ、紅葉と共に満開になり、寒中もチラホラ咲き続け、春また満開になります。

底冷えがする京都、途中初雪に出会いました、とにかく寒かったでした。



葛城古道:相楽健康ウォーキングの会  2014.11.07

2014-11-13 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
 ≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫



近鉄吉野線薬水駅を降りたところで、ストレッチ体操後出発です。
「ハイ 皆さんオハヨーございます、今日歩くコースはちょっとの間シンドイところがあります、山に入る手前は住宅街の中を坂道歩いてもらいます、この坂道はちょっと長く続きます、先日、Sさんと二人で下見したときはフツーに歩いて夕方5時前に最終地点の近鉄御所駅につきました、それじゃ帰りが暗くなってしまうので今日は少しピッチを上げて歩いてもらいます、それで一つ提案します、山の中歩いていく途中に国道24号線に下りる道が何箇所かあります、国道24号線にはバス停があるんで、そっからバスに乗って帰れます、どちらを選ぶかはそれぞれみなさんの体力に合わせて選んでください。」その日の先頭リーダーDさんが説明されてました。

葛城の道、のどかな里山風景が続きます


「あらぁ!農家人がお仕事してはる?」っと、近づいてよくよく見れば「なんと!」案山子さんたち・・・




歩いていく足元には可愛いお花たちも・・・
わんちゃん的にはやっぱりお花撮りたい、けど、その日はウォーキングの会、ちょっと止まって撮ってると遥か先の方へ行ってしまわれます、そんなんの繰り返しで・・・
どうにか皆さんに追いついてウォーキングです。

「風の森」を歩き「高鴨神社」

高鴨神社 ⇒こちらへ参拝し


吽                   阿
 
 
高天原を廻り高天彦神社 ⇒こちらに参拝、

極楽寺




参拝したあと「ここをこっち方面に行くとバス停(小殿バス停)に出ます」っとDさんが・・・
「じゃあ、二手に分かれてこのまま歩かれる方は続いて、バス組はこちらへ・・・」っと、45人中16人がバス組のリーダーKさんに続きます、ところがそのバスは1時間に一本のダイヤ「次のバス停(寺田橋バス停)まで歩いても大丈夫ですね、どうされますか?」ここら辺りのバス停間って結構な距離がありました。

道の脇にブロック塀に囲まれた狭い神域に大きな萱の木が立ち、傍らに祠(ほこら)が祀られています。

「かやの木淡島神社」っと石碑もあり・・・

間近に金剛山かな?葛城山かな?連なって大きく見えてました。


Re:そよかぜさん
左が金剛山、右が大和葛城山です。
金剛山で少し高く見えているのは、金剛山の尾根伝いに行ける所で、白雲岳という名前がついています。

歩き組の方たちはどうだったんでしょう?皆さん健脚揃いだし・・・
二手に分かれた極楽寺から歩き組の方たちは一言主神社~九品寺~鴨山口神社~近鉄御所駅とJR御所駅に分かれて帰路に・・・っというルートで・・・。


出会ったお花たち
ヤクシソウ
 

ムラサキシキブ


ヨシノアザミ                    マムシグサの仲間
 

ホシアサガオ               ハキダメギク
 

トキワハゼ               チヂミザサ
 

サクラタデ               ゲンノショウコ
 

アカバナユウゲショウ
 

アキノノゲシ               コシロノセンダングサ
 

ゴンズイ


シシウド                 パンパス
   
                 




               


河内から大和の稜線を歩く~相楽健康ウォーキングの会:2014.9.19~

2014-09-25 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

JR高井田駅9:00集合

JR高井田駅まで下狛⇒木津⇒奈良⇒王寺⇒高井田っとJR線を乗り継いで・・・
白坂神社の境内で受付、


道路脇に立つ案内板には、
白坂神社
祭神:宿奈彦根命(スクナヒコネ) 高皇産霊命(タカミムスヒ)  科戸辺命(シナトベ)
日本最古の社の一つで、正しくは宿奈川田神社(すくなかわたじんじゃ)と申し、御神木は桃の木です・・・っと、ありました。

ストレッチ体操後歩き始めます。

国豊橋を渡りながら「あらぁ グラウンドゴルフやってはるぅ」

「ところで、この川は?」「大和川ですよ」
(大和川ですか?子供の頃、大和川でシジミいっぱい獲ったことや、ハゼ釣りなど父との思い出が・・・)

住宅街を歩き抜けて明神山山頂目指します
眺望良好地点

あべのハルカスが・・・

稜線を歩きます、「標高275mっと言うわりにはあなどれませんねぇ」とか言い合いながら結構キツかったです、けど、落ち葉の多い道で足には優しかったです、前方にボロボロの旗が見えて関屋地蔵尊と・・・





十三重の塔を過ぎてからはアップダウンの山らしい道になって、しばらく歩くと「明神山→」と小さな札が木の股にかけてありました。





明神山(別名は西山)は、 大阪府と奈良県の境、和泉金剛葛城山地最北端の標高275m
頂上には立派な展望台が三箇所ありました、
北に信貴山・生駒山、


南は直ぐ目の前に二上山越しに葛城・金剛山


西に大阪を望み・・・あべのハルカスが・・・


この会ではいつも、お弁当タイムのあとは野外カフェでコーヒーブレイク
マスターはYさんです


ホシアサガオ          ヒヨドリジョウゴ
  

ヒヨドリバナ


ハギ


ヌルデ


カクミノスノキの実


ツユクサ          スズメウリ
 


山道を歩きながら、道端のお花を撮ったり、おしゃべりしたりしながら、はるか先頭集団から離れてしまいながら追いついた王寺駅で解散でした。
”雪丸”は聖徳太子の愛犬、わんちゃんたちが歩いた道はその昔聖徳太子が歩かれた道だそうです。





流れ橋から石清水八幡宮

2014-06-25 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
 ≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
相楽健康ウォーキングの会の例会は毎月第1金曜日ですが、6月は雨でした、そういう時は第3金曜日になります。
流れ橋から石清水八幡宮(上津屋橋からサイクリングロードを歩き・・・)13kmを歩きます。
集合はJR奈良線:新田(しんでん)駅:宇治市
駅前に大きなイチョウの木がド~~ンと・・・





JR新田駅から宇治市街を歩き
宇治市マンホール


宇治橋と市の木イロハモミジのデザイン。
ちなみに橋のせり出た部分(三の間)から、豊臣秀吉がお茶の水を汲ませたと言われていて、現在もこの場所で宇治茶まつりの「名水汲み上げの儀」が行われているそうです。

城陽市も通り抜け
城陽市マンホール

市章を取り囲み外側に向かって市の花ハナショウブと市の木ウメが描かれている

国道24号を横切り、木津川の堤防に出て流れ橋を渡りました、
流れ橋
木津川に架かる木橋では日本最長といわれ大水のたびに流れるところに特徴がある、そのことから流れ橋と呼ばれている。
橋名   上津屋橋(通称流れ橋)
橋長   355、9m
幅員   3,0m





流れ橋の構造
増水と橋桁まで水が達すると全長を八分割してワイヤーで連結された橋床が流れる。橋床は橋脚に片方がつながっているため流失することはない、減水後復元することができる。
ということで、わんちゃん的にはホッと一安心、流れ橋って呼ばれているんやから、増水のたんびに橋が流されて橋を新調せなアカンとばっかり思っていたから・・・

自転車道を歩きます(クリックで拡大します。)



息子たちが子供だった頃ウチのそばの自転車道から嵐山の終点まで約35kmサイクリングしたことがありました、もちろん子供たちだけでですよ。

「お弁当の場所なんですが、カンカン照りで日陰もないし橋の下で・・・」


セッカツメクサ 別名:シロバナアカツメグサ
 
サイクリング道路を歩いていてふと目にとまりました。

自転車道から外れて飛行神社にちょっと寄り道




飛行機の神饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と航空事故の犠牲者などを祀る。ギリシャ風の拝殿を持っている。日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が創建した。
二宮忠八は1891年(明治24年)に日本で初めて動力つき模型飛行実験に成功したものの、人を乗せることができる飛行機をライト兄弟が実現したことを知り、飛行機開発から離れる。しかし、飛行機発明以来、航空事故が多発するようになったことに心を痛めた忠八は、事故犠牲者の慰霊が飛行機開発に携わった者としての責任だと感じ、私財を投じて犠牲者の霊を祀る神社を1915年(大正4年)に創建した。(wikipedia参照)

 民家の庭にツキヌキニンドウ



石清水八幡宮へはケーブルカーか歩いてか。わんちゃん的にはケーブルカーに乗りたかったんですが、歩く会です、みなさん歩かれます、皆さんの後ろに付いて歩きました。

石清水八幡宮(クリックで拡大します)





茅(ち)の輪くぐり


6月の夏越大祓(水無月大祓)は「茅の輪くぐり」ともいわれ、南総門前の参道に大きな「茅の輪」を設置します。
(設置期間6月中旬~6月30日)
設置期間中、ご参拝の方は
「水無月(みなつき)の夏越(なごし)の祓(はら)えする人は 千歳(ちとせ)の命 延(の)ぶというなり」と唱えながら、左・右・左と3回くぐってからご参拝ください。

『八幡市に 桜の名所背割堤⇒こちら があります、男山からその全貌が望める』っと、桜の季節に新聞記事で読んだことがありました、その場所は以前、木々が邪魔になり見通しが悪かったのを地元の方々が整備されて、男山から背割堤の桜並木をはるかに鑑賞することができるそうです。
桜の頃にぜひともその場所に行ってみたいと思うわんちゃんです。


葛城山~つつじが綺麗かな?~

2014-05-11 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
相楽健康ウォーキングの会は4月が年度初めでその年度の計画表が出来上がってます。
先月の琵琶湖海津大崎ウォーキングの時に2014年度の計画表をいただきました。

5月は葛城山

はしゃいで、笑って、また歩いて。
一日中、ずっと見とれていたい、つつじです。

「あのぉ ウォーキングの会ですからロープウエイには乗りませんよね?」
「そうやなぁ」
「う~ん そしたら欠席します」
「別に、欠席せんでもロープウエイ利用する人もいはるみたいやし、ええんちゃうか」

何故かと言いますと、以前ツツジが満開の時、友人のOさんと行ったことあるんです、ロープウエイで登り、向かいの山がツツジ満開にカンゲキしながらおにぎり食べたこと・・・
下りはロープウエイを利用しないで、っと、コースを選んだらスゴイしんどかった、そんなこと思い出してそこを山登りは絶対アカンやろなぁっと思ったんです。
フタを開けてみますと、参加40人中ロープウエイ利用組は5人、流石ウォー-キングの会だけありますなぁ・・・
登りは早い人で1時間半、フツーで2時間、ロープウエイは6分


ロープウエイの中から、シャクナゲがキレイ!!

ロープウエイ降りて「とにかく葛城山の頂上へ行きまひょか?」

大和三山が見える?

靄(もや)がかかってて、らしきモンが見えてるかな?
空気が透き通ってる日なら若草山までも・・・
そうそう金剛山がすぐ近くに見えてましたね、

葛城山よりも高いんですよ、5~6年前には金剛山に歩いて登ってます。

「ちょっと早いけどお弁当タイムやなぁ」
山登り組はまだまだ。

「ツツジがいっぱいの向こう側のあの辺りまで行ってみよか?せっかくなんやし」
とか言いながら下りて行きました。


満開には、ちょっと早いかな?


「あんまり下まで行かんとこよ、下りたら上がらなアカンやんか」とかなんとか言いながらも、どんどん下りてくと「アレ!この花は?」「えっ!コレってカタクリやんか」「カタクリ?初めて見るわ」「この葛城山でカタクリが群生してるとこってロープがしてあって、こんなに近寄って写真なんか、なかなか撮れへんよ、ラッキーやんかコレって」っと、ワクワクドキドキ、カメラを地べたに置いたりしながら一生懸命・・・





「あ~ぁ マクロのついたん持ってきたらよかった」っと悔しい反省。
考えたらロープウエイで登ったから・・・カタクリにこんなに近くで出会ったんだわ。
山登り組はカタクリには出会わなかったみたい。


チゴユリ  ムラサキケマン

カンアオイ


ギフチョウかな?



クサノオウ   ハルジオン

ツクバキンモウソウ


そんなンしてるうちに山登り組はお弁当終わって頂上に集合、わんちゃんたちも合流して記念写真撮影。
下りは全員歩きで、北尾根コース。

フジがきれいかった




キリ


マムシグサの仲間


しかし、葛城山の下り、わんちゃんにはなかなかのモンでした「あ~ぁ 下りしなもロープウエイにすればよかった」っと後悔しきり(心の中で)
やっと、バス停に「私、べべたですかぁ?」「いいや、まだ下りてきてない人居るよ」
「わんちゃん、こけたん?」「うん、そうやねん、ずるずる~っと滑ってシリモチついてん」「リュックが埃だらけになってるやん」
両脚ヘナヘナに震えるカンジ・・・
後遺症が、土曜日、日曜日通り越してこれじゃぁ月曜日になってもスゴイ筋肉痛やろなぁ・・・
あとで聞いたんやけど、その日のうちに水で冷やす?っと良いらしかった。
アンメルツを塗りたくったんだけど・・・効き目はユルイなぁ・・・
金剛山に登った時はこんな後遺症は無かったなぁ僅か5~6年の間に体力減退を身に染みたわんちゃんです。
この日「明後日、山の会の人たちと金剛山登るねんよ、ニリンソウが見れるって、私、ニリンソウ見たことないねん」「今の金剛山が一年中で一番美しい時やって教えてもらったことあってね、行ったことあるねんよ、それでニリンソウに初めて会ってきた」 金剛山のニリンソウ➱こちら
葛城山で初めてカタクリに会ったのは ➱こちら

伊賀市の歴史街道(和銅の道~岩倉峡):13㎞

2014-02-12 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
JR伊賀上野駅からスタートです
『和銅の道』を歩き岩倉峡公園から『やぶっちゃの湯』で解散でした。

和銅の道とは?


和銅三年(710)、藤原京から平城遷都に伴い、東海道に対する官用の通信連絡のため、岡田駅(今の京都府相楽郡加茂町舟屋あたり)から、笠置町、南山城村押原を経て島ヶ原奥村、大道、中矢、伊賀市西山、新家駅(にいのみのうまや)(今の伊賀市東高倉字官者付近)に至る道路が開設され、「和銅の道」と称される。
旧上野市はは昭和54年にJR伊賀上野駅から滋賀県御斎峠(おとぎとうげ)までのハイキングコースとして設定し、多くの市民に親しまれてます。

のどかな田園風景の中を歩いて行きます。
遠くに上野城が見えてました


火の見やぐらのてっぺんにぶら下がった半鐘を見かけました


佛土寺(ぶっとじ)ではロウバイの良い匂いが・・・




高倉神社


本殿、八幡社、春日社は、三棟とも彩色され、蟇股(かえるまた)内の彫刻等桃山時代の特色をよく示している。国の重要文化財に指定されている。

高倉神社の境内で『天然記念物アヤマスズ自生地』っという石碑を見かけました

アヤマスズってどんなお花なんやろ?っとちょっと気になりました。➱こちら

町石(ちょうせき)


建長年間(1251~1255)に、補陀落寺(ふだらくじ)から奈良街道とよばれる旧街道に向かって1町ごとに建てられた石碑。今は廃補陀落寺(はいふだらくじ)となっている。

お昼は吊り橋の下で・・・(岩倉峡公園)

おにぎりをほうばりながらも上の吊り橋が気になるわんちゃん
「吊り橋渡りに行く人、行きますよ~」
「は~い」



この辺りは春は桜、秋は紅葉・・・が最高のようです


つり橋から真下を見ると




岩倉水力発電所跡


明治37年開業当時は、巌倉水電株式会社、三重県のみならず他近府県の水力発電のさきがけとなった、しかし、昭和28年8月15日の台風水害で壊滅的な被害により閉鎖された。

マンホールの蓋
旧島ヶ原村(三重県 現・伊賀市)

村の花のミヤマツツジと村の鳥のキジをデザイン

旧上野市(三重県 現・伊賀市)

農業集落排水のマンホールで、
市の木カシ(樫)、市の花ハギ(萩)、市の鳥シラサギ、
市内を流れる木津川のアマゴをデザイン

2004年(平成16年)11月1日
上野市・阿山郡伊賀町・島ヶ原村・阿山町・大山田村・名賀郡青山町が合併して伊賀市が発足。

しぐるるや田のあらかぶの黒む程


元禄三年(1690年)芭蕉、四十七歳の作である
故郷へと向う田圃路にかかると、折しもばらばらと時雨が降ってきた。見ると稲を刈ったあとに生えた新しい株も今は黒ずんで見える。そこへまた一しきり時雨がやってきた。

月ぞしるべこなたへいらせ旅の宿

寛文三年(1663年)芭蕉、二十歳の作である

折から照っているこの月がよい道案内です。さあお宿をいたしましょうからお入り下さい
この句は初期の貞門俳諧の影響が大きく、この頃流行した謡曲をもとにした句の代表的なものと思われる。謡曲鞍馬天狗」には「夕を残す花のあたり、鐘は聞えて夜ぞ遅き、奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる、こなたへ入らせ給へや」の「花」を「月」に置き換え、「入らせ給へ」の「給へ=給べ」に旅を掛けた技巧がある。また謡曲では「牛若丸」に呼びかけているが、ここは「旅人」として指している

五月雨も 瀬ぶみ尋ねぬ 見馴川

寛文10年、芭蕉、27歳の作。伊賀上野時代の作。

五月雨で増水した水馴川は、どこが瀬だか岸だか分からない。よく見れば当の五月雨の雨も瀬踏みをしながら降っているようだ。水馴川には見慣れた川の意をこめ、五月雨を擬人化したもの。水馴川は奈良にある川。

「伊賀って芭蕉の生誕地なんですね、あっちこっちに句碑がありました。」
「芭蕉が諸国に出かけたのは、俳諧を隠れ蓑にしてその地の状況をしらべるため、という『芭蕉忍者説』もあるんですよ。」って、おっしゃる方もおられて「えっ!??」っというカンジで ⇒こちら

ウォーキングの最終地点は、島ヶ原温泉「やぶっちゃの湯」➱こちら
「ここで、温泉に入る人は?」う・う~ん湯冷めが心配なんでパスかな?の人ばっかりで
みんなでJR島ヶ原駅まで歩くことに・・・。



時刻表をよくよく見ると、なんと1時間に一本、ICカード使えません。
運よく10分も待たないうちに加茂行きの列車はやってまいりました。見ると1両編成のディーゼルカーでした。
そして、ワンマンカー。

京都で八十八ケ所めぐり

2014-01-19 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

JR京都駅で山陰線に乗り換えJR円町駅で下車、ここからスタートです
駅前からちょっと西へ進み妙心寺の境内を経て仁和寺へ、

御室仁和寺の二王門(重文)です。


仁王門を入った辺りでウォークの受付とストレッチ体操です
仁和寺は「御室桜」で有名です、ふっくらとした八重桜、まだまだ蕾固しのようす。
御室八十八ケ所めぐりは、この仁和寺の裏山、成就山(じょうじゅさん)の山ン中を歩きます。
以下は御室仁和寺HPより
御室八十八ヶ所霊場と呼ばれる巡拝コースで、文政10年(1827)当時は本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であった為、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりです。
約3kmにわたる山道に、お堂(札所)が点在し、それぞれのご本尊・弘法大師をお祀りしております。
参拝道は自然があふれ、小鳥のさえずりや、四季の草花を楽しむことが出来ます。また途中、眼下に広がる京都市内の眺めは素晴らしく、晴れた日には遠く伏見まで望むことができます。
約2時間あれば十分参拝出来る手頃なコースとなっていますが、所々足場が悪い所もございますので、くれぐれも無理のない巡拝をお願い致します。

第1番札所・霊山寺


わんちゃん的には小さな祠が点在してるんかな?っと想像してました、ところがですよ、結構なお堂が一番札所から順番に八十八ありました、是より阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国っと石碑があったり、お祀りしてある仏様のお名前もありました。





うん?ひょっとして四国八十八ケ所霊場のそのまんま?っとナットク。
二十三番辺りでお弁当タイム、食後はYさんがマスターの森のカフェで美味しいコーヒーを・・・



アップダウンの繰り返しで、成就山の山頂(236m)に到着。

「三角点は?無い?タッチは?」っとか言いながら・・・





成就山の中を矢印札を見ながら歩きます、ややこしいところにはリーダーが立っておられ「こっち、こっち~~」
山の中を歩く霊場巡りですが、京都市内がよく見渡せる展望台がありました。


すぐのところに仁和寺、右の小山が双ケ丘(ならびがおか)、
左端向こうに京都タワーがかすか~に見えています(?)

岩だらけの所を鎖を頼りに登ったところもアリ・・・

キツイ!っと思ったところもアリ、
ぐる~っと山を回ったようなカンジで最後の第八十八番札所に着きました。


再び仁和寺に戻ってきて、霊場めぐりは終了。
「きぬかけの道」を東へと歩きます。石庭で有名な龍安寺の前~立命館大学衣笠校舎のそば~平野神社の前~最後の北野天満宮に到着。



北野天満宮は菅原道真を祀った神社で、北野の天神さんとして知られています。
北野の天神さんには牛がいっぱいでした。








天神さんと云えば「牛」が有名なんだけど、なんで?牛なん?

天神信仰と牛
菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている⇒wikipediaより

天神さんと云えば梅の花、まだまだ蕾で気が付かなかったなぁ・・・
北野天満宮で解散、京都駅行のバスを待つ人もおられました、わんちゃんたちは西大路を徒歩で下りJR円町駅からJR京都駅へ。

「お正月におじいちゃんとこに行った時、おじいちゃんと一緒に何回か御室八十八ケ所、行ったことあるでぇ、おじいちゃんとこから歩いて行けるやん」っと息子たちが言うてます。

スタートはJR円町駅→妙心寺→仁和寺(受付・ストレッチ体操)→御室八十八ケ所めぐり→仁和寺→きぬかけの道→龍安寺前→立命館大学前→平野神社前→北野天満宮(解散)→西大路通→JR円町駅 行程約10㎞

【おまけ】


妙心寺の境内には多くの塔頭があります、なかでも退蔵院(鶯神楽)東林院(沙羅の花を愛でる会)はちょこっと気になるお寺です、あらためて訪れてみようかな?っと。

正暦寺への道

2013-12-08 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
興福寺~白毫寺~正暦寺~円照寺(北、山の辺の道の一部分)

わんちゃん的には相楽健康ウォーキングの会は実に8ケ月ぶりの参加でした。

相楽健康ウォーキング 2013年度計画表をいただいた時、
行先⇒乗車駅・時間・集合場所・乗換⇒距離(㎞)⇒ポイント(見どころ、歩きどころ等)⇒コース
この表を見て、この月は参加しようかな?とか決めてます
集合時間があんまり早くなくって、距離があんまり長くなくって夕方あんまり遅くならないところっと・・・
12月は興福寺五重塔前8:45集合 円照寺15:00解散 距離10㌔ ちょうど良いじゃない?

興福寺

「中金堂平成再建工事」のために囲いが・・・

参加人数50人、ストレッチ体操後、春日大社の二の鳥居から新薬師寺へ向かう、門前で「拝観は次の機会にどうぞ」っと。

 新薬師寺



本堂(国宝・天平時代)は建立当時の食堂と言われ、その清楚なたたずまいは観光大寺とはひと味違う印象。堂内は薬師如来(国宝)を守るように十二神将(国宝11体)が円陣を組んで鎮座。中でもバサラ大将は人気の主役。

白毫寺の傍も通りました、“白毫”とは御釈迦様のおでこの皺っと、教えていただいたことがあったんですが、今、調べてみると「寺名になっている『白毫』というのは仏の眉間にあって光明を発したとされる白い毛のことを指す」らしいっと解りました。
ココも拝観は次の機会に・・・
白毫寺
椿や萩などの花の寺として有名、シーズンには天然記念物・五色椿が見事。参道の荒壁やひっそりした境内に心の安らぎを求めるファンも。奈良市街から遠く生駒・金剛山まで大眺望。

「ここが高円山大文字の火床への登山口ですよ、この会で2月でしたね」
こちら
そうでした×2


八阪神社

小さな鳥居、京都の”やさかさん”は八坂神社、奈良のここは八阪神社

「はぁ~い ここから単調な上り坂が続きまぁ~す20分くらいです」
アスファルトの上り坂なんですが、ずぅ~っと続いてるんです、ちょっとシンドかったですね



「ここから下りになりますが、ゴッツイ石がゴロゴロしてますんで、ねん挫とかには気をつけてくださいよ~」足元きっちり踏みしめながら下りましたね。





正暦寺への道はやがて、フワフワ落葉の歩きやすい道へと・・・

正暦寺境内






ちょっと時期的には遅かったかな?っというカンジでしたが、まぁまぁまぁ・・・
正暦寺の境内の広場でお弁当タイム、
すると、赤い実がいっぱい生ってる大きな樹が見えました
みんなでお弁当しながら「あの樹は何やろ?」




大きな葉っぱ、裏返して見るとなんだか見覚えアリ
「タラヨウかな?」尖った小枝で字を書いてみると確かに・・・


正暦寺の境内にこんなに大きいタラヨウの樹が・・・ナルホドっと思いました。
タラヨウについて詳しくは ➱こちら

お弁当タイムの後にはYさんがマスターのフォレストカフェで熱いコーヒーをいただいて元気百倍。
Yさんはいつも大きなリュックに2㍑の水を2本と山でお湯を沸かすときに使うコンロとクッカーを用意されてます。ちょっと順番待ちで大人気です。

全員集合の記念写真も撮って、円照寺へ向かいます。
「たったの15分ほど気ぃ抜かんと歩いて下さいよ、少~しキツイですけどぉ~」
ちょっとキツイ登り道でしたが円照寺が見えたころにはホッとしたモンでした。
ここは普段から拝観はアカンそうです。

 円照寺



円照寺で解散
バス組(円照寺バス停)とJR組(JR桜井線:帯解駅)に分かれました
バスは近鉄奈良駅まで20分、JRは帯解駅まで15分徒歩でJR帯解駅から電車に乗ると15分くらい
しかしこの路線は30分に一本程度
わんちゃんたちはバス組に参加、バスに乗って近鉄奈良駅に向かいました。

この日の距離は年度計画表では10㌔となってましたが実際は14㌔歩いたそうです。
好天気に恵まれ、歩きながらのいろんなおしゃべりもアリで楽しかったです。

この日の先頭リーダーはDさんでした、何でもお一人で下見に同じコースを歩かれたそうです。

【おまけ】
近鉄奈良駅前 行基さんの前



高円山(奈良大文字山:432,2m)2013-2-01

2013-02-07 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

京都の大文字の送り火は「五山送り火(ござんのおくりび)」と呼ばれ8月16日に行われる。
奈良にも大文字の送り火があるよと知ったのは6年前の事
聞いた途端、行ってきました(ここは8月15日です) ➱こちら

飛火野から見た大文字は雄大でした、その火床に登るのが今回のウォーキングです。
集合地は興福寺五重塔前
春日大社の一の鳥居横の浅茅が原を通り浮御堂、高畑界隈(志賀直哉旧居=入らず、新薬師寺の看板を横目で見て・・・)、ちょっとだけ柳生街道・滝坂の道を歩き、
白毫寺の裏手、奈良市寺山霊苑(公営)を南へちょっと歩いたところに高円山登山口がありました。
しゅっと左へ入るのですが細い山道なんで見逃してしまいそう
その登山口には大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の万葉歌碑が建っています。
”ますらをの 高円山に迫(せ)めたれば 里に下(お)り来る むささびぞこれ”
立派な男が高円山に追い詰めたので、里に下りてきたむささびでございます、これは。

高円山は低い山ですが意外や意外、キツイところが何ケ所かありました。
落葉がフワフワと足には優しいのですが、落葉の塊の上に足が乗ると滑りやすいので慎重に歩きます。

大文字の火床に到着すると奈良市街の眺望がグー




体力的にラクラクの方たちは火床に荷物を置かれて更に上の三角地点へ。
「荷物見ときますよう~」ってわんちゃんたち・・・
難なく三角地点から帰られてお昼タイム
「三角地点はどうでしたか?」「タッチしてきたけど、眺望は全然ダメここの方が百倍良いよ」
「アレが生駒山~~」右手すぐには御蓋山(三笠山)、若草山。
左手には金剛山・葛城山・二上山と・・・遠くに霞んで。
「帰りはまず、紅葉橋方向へ下りまぁす」
何の変哲もない橋でした
「この川は?」
「能登川ですよ、春日山原始林から流れてましてね」



春日大社を通って若草山の麓、若草山は先月26日の山焼き➱こちらの直後なんで山肌が黒く焼け焦げていました。


鹿さんたちがノ~ンビリ

東大寺・二月堂の舞台にも上がって遥か生駒山までの眺望を楽しみました。



大仏殿の裏手を通って奈良県庁の前で解散


奈良の事務所に車で通勤してた頃通った道もその日は歩いたり、とても懐かしかったです。
行程は
興福寺・五重塔前(集合)→浅茅が原→浮御堂→高畑界隈→寺山霊苑→高円山登山口→火床→『高円山三角点→火床』→紅葉橋(滝坂の道)→春日大社→東大寺・二月堂→奈良県庁(解散)
10㎞弱
【感想】
高円山(奈良大文字山)は、眺望バツグン、若草山に比べて人が少ない。入山無料、鹿が少ない分芝に座るのに糞が気にならない。穴場的オススメ・スポットですよ。

マンホール:堺市

2013-01-19 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

相楽健康ウォーキングの会初詣ウォーキングでは住吉大社(大阪市住吉区)から大和橋(大和川)を渡り堺市大仙公園(仁徳天皇陵のそば)が終点でした ⇒こちら
大和川の大和橋を渡る時、ちょうど50数年前かな?毎年夏には大和川に父と弟がハゼ釣りに行ったことや、わんちゃんや妹も一緒にシジミ採り(バケツにいっぱい)に行ったことなど懐かしかったのですが、この景色ではねぇ・・・



堺の街をウォーキングしてていろんな模様のマンホールをパチリ!!



平成元年に市制100周年を記念して作られたマンホール。
「旧堺燈台」と、貿易船、市章が描かれている。
「旧堺燈台」は現存する日本最古の木製洋式灯台の一つとして国の史跡に指定されている、明治10年に初点灯。
堺港は、南蛮(ポルトガルやスペイン)貿易、朱印船貿易で栄えたことから、描かれている船は南蛮船と思われるが、南蛮船は平戸や長崎に入港し堺へはほとんど入港せず、堺商人は長崎まで出向き、南蛮人が持ってきた品と銀とを交換し堺に持ち帰ったそうです。


堺市にある日本最古の木造灯台をデザインしている


市の花:ハナショウブ
市の花木:ツツジ
市の鳥:モズ



ごく普通の亀甲模様、中央にあるマークは市章です。


政令指定都市移行記念のマンホール。
貿易船と市章
市の花・ハナショウブ、
市の花木・ツツジ


真ん中のマークは市章、レンガ模様のようなカンジ・・・

マンホールの下にきこえてゐる音の誰にも見えずゆく水の音-吉野昌太
↑ 道草さんからいただきました。

わんちゃんが珍しいな?と思った風景
フェニックス通り


日本の道100選に選ばれた道です。戦後復興のシンボルとして植えられました。
大浜北町交差点と一条通交差点を結ぶ全長約1.6km、片側3車線の道路で、安井町交差点以西は国道26号、以東は国道310号のそれぞれ一部区間、また、重複して全線大阪府道2号大阪中央環状線の一部区間である。



 民家の軒先にあったアロエ(もう蕾が・・・) 見上げるとフウかな?実がぶら下がってました。

来月の相楽健康ウォーキングの会は
奈良市高円山(大文字山)登山と奈良公園散策
(大文字火床から奈良市街が一望できます)