54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

不安な日々

2009-09-30 21:30:33 | ブログ開始07.1~2010.12
    
今月2009.9.7 A病院入院中の夫(76歳)が救急車でK大学病院に7回目入院

             {簡単な経過}
   46歳で血圧の降圧剤を飲み始め、64歳からはK大学病院で74歳まで
   10年間定期的に診察を受け普通の生活をしていた 
2007.4.22 突然家で苦しくなり救急車でK大学病院入院
  肺に水が溜まり集中治療室で6日間意識のない日が続いたあと翌月5/15退院
 8/10 K大学病院に2回目の緊急入院 また集中治療室で5日間眠り続ける
  医師から、かなり心臓が悪く手術が必要だが危険率が高いといわれた 考えた末断る
 9/13 K大学病院で人工透析が始まる
 9/27 足が痛いのはなぜ?と訴えながらの退院、近くの病院で人工透析週3回通院開始
10/09 足の痛みはひどくなる一方で、家から歩いて5分でいける病院の透析に行けなくなる
K大学病院の担当医に電話で聞くと近くの整形外科に行くよう言われ、そこで壊疽の怖さを知る  
10/11 病院への紹介状を持ち、痛い足でやっとK大学病院に行ったがエコーでそれほど
心配ないから良く歩くよう言われる  その後食欲もないので点滴に近くの医者に5回行く
11/27 この日まで足の痛みを透析病院で訴えながら送迎バスで家から週3回透析に行く 
 (この間の不安な日々に病院からの納得できる説明はなく嫌な体験をしたが省く)
      2007.11.28から現在まで入院生活がつづく
11/28 やっとA病院に入院できた
11/29 翌日K大学病院に3回目の入院となる 形成外科で高圧酸素治療
12/18 K大学病院退院 A病院へ 壊疽の部分の治療つづく

2008.1.10 K病院4回目の入院
1/31 左足膝下切断(全身麻酔の危険性を承知のうえ本人切断を決意)
3/11 K大学病院退院 A病院へ
5/24 K大学病院5回目入院 A病院から救急車で(切断部の出血)
5/28 左足指5本切断と右切断部の治療
6/14 K大学病院退院 A病院へ
7/27 K大学病院7回目入院 高圧酸素治療緊急性ありで差額ベットに12日間
8/07 K大学病院退院 A病院へ
11/06 N病院で右足用義足型取り 4回歩行練習に行ったが傷口痛み中止

2009.5.21 かゆみ止めの新薬で脳に異常 ことばにならず心配したが新薬中止で1週間位で治る
6/26 K大学病院主治医より退院か手術か?問われる  7/09本人が手術をお願いする
8/28 A病院にてK大学病院主治医より1ヶ月後位に右腿上で切断になる その後1ヶ月位で
 退院になるがA病院には戻れないので他を探しておくよう言われる  3ヶ月位前から元気ない
 いつ行っても寝ているし食欲ない  お腹が張って下剤を使っている 
 手術前だから点滴で栄養を補っていると
9/01 A病院にて5箇所の療養型病院を教えてもらう 私は翌日より電話して見学の予約を要れた
9/05には気に入った所があり、すぐに本人にデジカメを見せて安心させた
9/07 私と娘が予約した病院の見学を終え、それぞれ自転車で帰路にいたとき、娘のケータイに
 A病院から電話が入り 「腸に穴が開いた大至急くるように!」と

9/07 K大学病院6回目転院 A病院から救急車で 12:30 手術14:30~17:30
 医師から助かる可能性は10人に1人もない 腸の手術はその日成功しても直る率は非常に少ない
 人工肛門になる 輸血や人工呼吸器の補助など聞かされ、何枚もの承諾書にサイン
 私はいつ呼ばれるかを覚悟して夜おそく帰宅
9/08 早朝A病院の片付けをしてK大学病院ICUへ 3回目のICU入院だ 
 手術の翌日に言葉を理解するとは思ってもいなかったが、話すことが分かり頷いていた 12:00
 家に戻ると、すぐに病院から「大至急来るように、危険 !」と電話あり、タクシーで向かった 
 お昼の状態とそう違うとは思えないが状況が大きく変化するらしい
 医師に 「会わせたい人には連絡するよう」いわれた 孫がすぐ来た 
 娘と交代し私は一旦帰宅、娘からの連絡を待った 娘も帰れる状態になり1日が過ぎた
9/9, 9/10, 9/11, 9/12, 9/13, 9/14, 9/15, 9/16 毎日ICUに行った 
 顔も手も浮腫んでいる日、胸の鼓動が見える日、手が冷たい日や暖かい日
この10日間、顔の表情は穏やか、動くこともなく寝ていた

9/17 少し口元や目元を動かしている 目覚めた時こちらのことが分かるだろうか?
そんな希望が見えた日だった 医師の説明があるので30分ほど待って、と言われた
大分遅れてきた医師の無神経な、くどい説明に私はもう耐えられなかった
「ドアを開けてください これ以上危険な話はしないでください!危険なことは充分分かっています」と
倒れるように廊下に出た 看護士2人が話を聞いてくれたが、それ以後私は病院に行ってない
張り詰めた毎日が崩れ落ちた 無神経な若い医師にもう会いたくない 
連絡窓口を娘が引き受けてくれた 娘に行ってもらって状況を聞いているがまだICUに入院している
 
 これを投稿するか迷いました でも書かないとブログを再開出来そうもありません 
多くの人が人生終盤いろいろな事態に対処することになるのでしょう
私の体験 (書きたいあれこれは何とか胸に収めて)や、病気の進行状況を書くことで
どなたかの参考になるかとも思い ”コメント拒否”で投稿し区切りにしたいと思います
                                2009.09.30





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