54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

11/9日記“ベルリンの壁崩壊から25年”

2014-11-09 19:34:51 | 欧州旅 思い出…

産経新聞引用:1989年11月9日「ベルリンの壁崩壊」その日メルケル首相はサウナにいた 帰宅して
人の流れについてベルリンに入り西側のビールを体験したが「缶ビールで馴染みのないものだった」と
当時のコール首相はワルシャワにいて翌日ベルリン入りした 旧東独側の「国境開放」発表は突然だった
東独のホーネッカー社会主義統一党書記長はこの89年1月に「壁はまだ50年も100年も残る」と強調
敗戦後米英仏とソ連に分割統治されソ連は48年米英仏が占領の西ベルリンへの通路を封鎖
1年で解かれたが東西ドイツが建国され1961年8月にベルリンの壁が建設された

東西ドイツは翌1990年10月統一を実現した
壁の崩壊はゴルバチョフ氏の登場なければありえず 冷戦終結の決定的な引き金となった
崩壊後長い経済不振に陥ったドイツは「欧州の病人」とも称されたが2000年代後半の構造改革を
経て息を吹き返した あれから25年今年7月サッカーW杯ブラジル大会優勝は統一後初めてのこと
ドイツの復興をイギリスやフランスが懸念する中「欧州の盟主」と称されるようになりまた多くの課題山積
ガウク大統領、メルケル首相は共に東独出身 ドイツは生真面目な国民性で政治経済は堅実“出る杭”に
ならぬよう細心の注意を払っているが今後も欧州の中心に座らざるを得ない大国だろう と記事に
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新聞を読んで1987年初めてツァーでヨーロッパへ1990年初めての1人旅挑戦 当時が蘇った
ドイツ事情を殆ど把握せずの旅だったがその空気が思い出され投稿済みをリンクしたくなった
1987年7.30-8.10リンク→初めて飛行機に乗ったツァー旅はソ連上空を飛べずアンカッレッジ経由
初めての1人旅1990年5.23-6.9リンク→ 6.25フランクフルト マンハイム  5.26ボン ケルン マインツ 6.27ライン下り  
5.28‐30シュトットガルト チュービンゲン ミュンヘン ハノーバー ツェレ 5.30リューネブリク リューベック ハンブルク
2回目の1人旅1991年5.28-6.13リンク→ 6.5-6.9バンベルク パッサウ バイロイト  6.9ライプツィヒ G.パルテン.キルヘン
91年バンベルクからライプツィヒへの途中ホームで乗車させてもらえず泣き崩れていた女性の印象が残る
ライプツィッヒは小さな車トラバント 壊れた建物だらけだった 94年に行ったワイマールは今年2014年再訪したが
以前のイメージは全くなかった 98年のドレスデン2泊も壊れた建物の印象が残る ( ユーロ導入1999年1月)
ベルリンは01年2泊 03年1泊したが大きな建物が並び歩き疲れた思い出 01年のライプツィッヒ2泊は大満足



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