54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

欧一人旅「16回目」 写真3

2012-10-16 10:52:24 | 欧一人旅1~18回 写真
7/19(土) 続き シュトゥラールズンド07:03→ 08:22ノイブランデンブルク09:26→ 
11:22ベルリン12:16→ 13:28ヴィッテンベルク(ルターシュタット) Hアクロン泊

ノイブランデンブルク 左:シュターガーダー門(9人の女が天に手を差し伸べている) 
右2番目:マリエンキルヘ ベルリン乗り換え時間50分 メモに人混み、景色飽きたとあるが思い出さない

左:ヴィッテンベルク(ルターシュタット)駅 駅前は原っぱ 一番先にあったHアクロン46€気に入った どんな町かな~?「地球の歩き方」があるので安心 右2枚:こじんまりした町の入口に「ルターの家」はあった 

左:ルターの家入館料5€ 当時のまま保存された書斎、この階段をルターが…と思うと胸がつまる
右:すぐそばのメランヒトンの家 彼はルターと共に宗教改革運動をした 
ルター:1483.11.10はアイスルーベン生まれ、1546.2.18アイスルーベン死去
1508年初めてヴィッテンベルクを訪れたとき大学兼修道院として建てられたこの館の
屋根裏部屋の僧房に住んだ 宗教改革後、館ごと譲り受け妻と6人の子供と共に住んだ
1525.6月41歳で15歳年下の元修道女のカタリナと結婚 家庭円満であった
郷里のアイスルーベンに貴族たちの紛争和解のため赴き同地で病を得て死去63歳

 
メランヒトンの家(1497~1560住んだ)像はルターとメランヒトン 中庭から家を撮る(中央写真) この町で
唯一16世紀から保存されている  右2枚:市庁舎正面と市庁舎前マルクト広場の聖マリエン市教会

ヴィッテンベルクマルクト広場斜め前に画家ルーカス・クラナハが1505-1547住んだ家 クラナハは市長も勤め薬局のオーナーでもあった 先に進むと左にルターが「95ヶ条の論題」を貼った城内教会p扉がある 当時は木製だったが七年戦争で1760年消失、現在の扉は1858年にブロンズで再現された

左:マルクト通りつきあたりのシュロスプラッツ 城は度重なる戦災で破壊され残る部分は自然・
民族博物館とユースホステルに利用されている (ここでしばしの時を過ごし同じ道を戻る)
右:聖マリエン市教会のクラナハ祭壇画 この町最古の建物 ルターが説教をしクラナハと親しかった

7/20(日) ヴィッテンベルク08:04→ 08:40デッサウ10:07→ 10:30ケーテン10:48→ 
11:18ハレ13:35→ 14:20ライプツィヒ14:39→ 15:47ドレスデン泊 

ヴィッテンベルクHアクロン朝食 右:駅前、全く人がいない 列車に乗るのも私だけ 続く
追記:20.7.7文修正

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