
今日のお話は、日本で起こった独自のカルチャーを持つ「暴走族」です。まさに日本で世間のオートバイ意識が「オートバイ=悪」と言った印象を強く表す
一番の要因と考えられますし、他の国では見られない当時の「日本の若者文化」を象徴してるものとも言えます。またこのムーブメントが「最盛期」だったのは、
1970年代の中盤から1980年代初頭までと考えて良いと思います。それ以降に関しても「暴走族」の存在は確かに続くのですが、時代の移り変わりと共に、
警察に強制解散されられたり、少しずつ「衰退」していく様になります。また一番加熱してた1980年代初頭は首都圏を中心に、各地方都市に支部が出来るほど
組織が拡大し、暴力やチーム同士の抗争などが繰り広げられていました。そもそもこの「暴走族」が現れた要因には、日本の道路がどんどん舗装&整備され
走り易くなった事(カミナリ族~)や、単純にオートバイの走りに対するスリル、はたまた「自己主張」の道具として用いられたと考えられます。特に最後の
自己主張は「世間へのアピール」が強く見られる傾向にあり、爆音を轟かせながら蛇行して走る姿は、ある種の「パレード」みたいな感覚を求めていたんじゃ
ないかとも考えられます。いわゆる「みんな俺を見てくれ!」とか、そう言った「目立とう精神」ですね(笑) また暴力に関しては仲間が増える事に対する
自己アピールとも考えられ、誰よりもカッコ良く、誰よりも強く、また日本の教育が「社会主義的」であった事に対する不満の吐口からだとも思われます。具体的
には、学校が面白くないとか、ただ不良してるだけじゃつまらないとか、女にモテたいとか、喧嘩が強くなりたいなど、多分人によって「考え方はまちまち」だった
とも考えられます。またチームに属するとかなり「多くのルール」が課せられ、先輩後輩と言う上下関係も厳しいものだったりします。これは暴力団を真似た行為で、
序列をハッキリさせて「一致団結させた集団行為」を実行するためだったとも言えそうです。ここは、とても日本人らしいですよね(笑) また乗ってる車両は
その影響もあり、上の先輩から「受け続け継ぐ(寄贈される)」傾向にありました。なので、暴走族が始まった1970年代後半~1980年代初頭のオートバイが、
いつまでも主流となってるんですよね。要するに先輩が引退するとそのオートバイは後輩に受け継がれ、またその後輩が先輩になり引退すると、次の後輩に寄贈する
と言った感じです。更に言うとそのほとんどの車両は「盗難車」で、プレートなども付いていませんでした。ボクも1983年からオートバイに乗り出してるので、
まさに全盛期に近い時代だったこともあり、1度だけ盗難にあいました。その時は、多分暴走族に取られたと思って2度と出てこないだろうと思っていましたからね。
また先日お話しした、北アメリカを中心としたハーレーダビットソンに乗る「極悪バイカー」たちや、英国で巻き起こったカフェレーサーからなる「ロッカーズ」など
と、かつて日本で起こった「暴走族」とでは大きく違う部分がある気がしてます。それはまさに行為に対する「動機」です。海外の場合、自身の置かれた環境や社会的
な差別など「明確な要因がある」と言った経緯が見て取れるのですが、日本の場合、高度成長期を過ぎてモノに溢れた豊かな時代に起こったムーブメントであった
って事です。要はボクが思うに「暴走族」を始めるにその「動機が弱い」と言う事です。まさに虐げられ「行き場を失った若者」たちが集まり始まった危機迫るもの
とは多少違い、先にも書きましたが自己アピールがしたかっただけの「目立とう精神」がそうさせてたんじゃないかって思う節もあります。もちろん、そうじゃない
ケースもあると思うのですが、当時の世情的にそう思わざる得ない気もするんですよね。なので、たまにやってる警察24時などのテレビを見てると、捕まるまでは
派手に暴れてた暴走族も、一旦捕まるとすっかりおとなしくなり警察に謝ってたりします。どうしても「ただ目立ちたかっただけ?」って思っちゃいますね(笑)
また、年齢的に20歳以下の未成年がほとんどだった事も、それを裏付けてる気がします。さて、今日は日本で生まれた独自の文化で「オートバイ=悪」を印象付けた
とも言える「暴走族」を取り上げてみましたが、いかがだったでしょう!(笑)
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