「翁舞」は、翁舞は天和2年(1682)、淡路人形芝居が付知村に興行した時に時の付知村庄屋の田口忠左衛門慶寛がお願いして譲り受け、村内の四社(今は五社)の祭礼に取り込み巡祭させました。
千歳・翁・三番叟の三体の文楽人形が能「翁・三番叟」を新年や五社巡祭には祝事として舞われます。舞いは露払い役の千歳の舞いに始まります。次に、長寿・悪疫退散・天下泰平・五穀豊穣・国土安穏を祈って翁が舞います。最後に三番叟が鈴等の採り物を持って大地を踏み鎮め、種を蒔き、豊作祈願を舞い、そして納めるます。この中で、翁、三番叟は面を付け変身し、悪疫に対して特別な力を持って舞を行った古風な形態を残しています。また、人形が浄瑠璃ではなく、能の曲目で踊る姿にも浄瑠璃伝播以前を感じさせたり、頭は三寸二分の小振りのもので、現在ほかの文楽に使用されているものと比較すると小さく、古い時代のものであると思われます。当時、付知村では寛永19年(1642)の大飢饉により多数の餓死者があった伝えられ、単に娯楽のための人形芝居を行ったとみるより、悪疫退散・死者供養の目的として行ったと考えられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/b6/e9b5cbd0a4816bc7ce0be7e1b9c114b4.jpg)
千歳・翁・三番叟の三体の文楽人形が能「翁・三番叟」を新年や五社巡祭には祝事として舞われます。舞いは露払い役の千歳の舞いに始まります。次に、長寿・悪疫退散・天下泰平・五穀豊穣・国土安穏を祈って翁が舞います。最後に三番叟が鈴等の採り物を持って大地を踏み鎮め、種を蒔き、豊作祈願を舞い、そして納めるます。この中で、翁、三番叟は面を付け変身し、悪疫に対して特別な力を持って舞を行った古風な形態を残しています。また、人形が浄瑠璃ではなく、能の曲目で踊る姿にも浄瑠璃伝播以前を感じさせたり、頭は三寸二分の小振りのもので、現在ほかの文楽に使用されているものと比較すると小さく、古い時代のものであると思われます。当時、付知村では寛永19年(1642)の大飢饉により多数の餓死者があった伝えられ、単に娯楽のための人形芝居を行ったとみるより、悪疫退散・死者供養の目的として行ったと考えられます。
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