以前、Facebookで心に響いた内容でしたので、保存していました。
最近、日々考える事ですので御紹介させて頂きます。
「心は人欲でこりかたまっているのに、やることだけは天理に合致させようとする。心はねじ曲がっているのに、言うことだけは正しいことを言おうとする。そんなことは、どだい無理な話ではないか。
したがって、人物は、心のありように気をつけるのである。
心が正しければ、正しいことをなし得るが、心が間違っていれば、やることなすことみな間違ってくる。」
以前、Facebookで心に響いた内容でしたので、保存していました。
最近、日々考える事ですので御紹介させて頂きます。
「心は人欲でこりかたまっているのに、やることだけは天理に合致させようとする。心はねじ曲がっているのに、言うことだけは正しいことを言おうとする。そんなことは、どだい無理な話ではないか。
したがって、人物は、心のありように気をつけるのである。
心が正しければ、正しいことをなし得るが、心が間違っていれば、やることなすことみな間違ってくる。」
法は本来、人々がおおよそ認めるであろう道理を基準に作られているはずですが、今は法に偏っています。
仮名遣いが変わってから、過去の書物を読むことも出来なくなり、次第にそこにあった心遣いまでも途絶えて劣化したと思います。
民は本来、道理で物事を考える傾向が強いけども、不完全な新語や横文字の流入、そして昔の考え方を仮名遣いの変更によって捨ててしまった事などから、急激に劣化している。
少なくとも戦前までは、先人を敬う事を基本にしていたのではないでしょうか。
それさえ守られていれば、ここまでの劣化は無かったかと思います。
けど、科学や技術への信仰が続き・・・。
現市政のように先人が積み重ねてきたことを否定し廃止
して、何でも新たな事にすりかえて進めるのではなく、如何に発展していくかを考え無ければ駄目だと思います。
コメント有り難う御座いました。