ここ数日、激しい怒りと悲しみが私の心の中で渦巻いており、下記のようなブログ
になりましたがご理解下さい。
ビジネスと役所
ビジネスでは相互の信頼関係が大前提にありそこに商談の成立が見込めます。
それを放棄した会社に至っては、一時は成長しても後には衰退する運命にあります
。
又、役所も然りで、市民と職員との関係や市民と役所との信頼関係で市民生活(市政運営)が営めています。
しかし、役所が毎回、説明に齟齬がありそれを取り繕う為に詭弁を使うようになってくると、お互いの信頼関係が消滅してしまいます。
ビジネスの場合は相手を見極め変更するなどの新たなチャンスを獲得する手段はありますが、役所の場合には市民は相手を変えることは転出以外に方法はありません。(選挙により変える方法はありますが。)
そして、無くした信頼を取り戻すのに費やす時間と労力は想像を絶するものだと思います。又、人材を人財に変えていくにはテクニックや能力だけではなく魂が響きあわなければなりません。
ここ数年で、人財であった人達の多くが職場を去りました。それを伝える間も無く。
残された人達は受け継ぐ間も無く。
目隠しをされ足には重い足かせをされた様に、大きな力によって自分の意思とは違う方向に歩かされているように見えます。
又、人材として残された人達は何かの不安に脅え、自らの思考を停止させ自己矛盾しながら人々からの信頼を失い続けているように見えます。
そして、幹部達はトップと同じ思考になり破滅の道に向かいます。しかし、彼らは自らに責任が無いように対策はとり続けるでしょう。
醜い世界かも知れません。
私は、そういう多くの人達が健全な世界に少しでも早く戻り過ちを償って頂きたいと思っています。そしてそこを選んだ人財達やそこを信頼いている人達の為に全力を尽くしていかなければならないと思います。
一人々々の人生が特別な生活では無く幸せな生活が営める社会に。
ですから、自分は「怒りの関心を持とう」と言うべきかなと以前は思ってました。
そうしても三木市が良くなる事は無いだろうけど。
関心を持ってくださいってのは、自分たちを褒めてくださいという意味でしかなく、関心を持ったゆえの批判には無視するのではないかと。
だから市政への関心の窓口は、市役所ではなく、居酒屋や神社にでも存在している方が良いと思う。
公務員法などで、違法だとされている事でも、罰則が決まってなくて、実質的に公務員は法に守られている状態です。
法律は既に攻略され、法律の範囲や解釈の拡大でやりたいほうだいなのも現状です。
県内では神戸も宝塚も伊丹も酷い状況のようです。
先日は、沖縄の那覇市役所の前にオスプレイ反対の幟があったり、地方裁判所の廊下に9条の会のチラシが貼ってあったり、違法であってもお咎めなしな所もあります。
そうして、法律を攻略出来た悪い人間ほど出世する。
弱い日本人が、野心を持った悪い日本人の踏み台にされているのが日本全体の現象だと感じてます。
一度解体しないとどうにもならない程に。
同じ公務員でも、海上保安官や自衛隊などの領土領海を守る人達は全く逆です。
ポジティブリストとネガティブリストというものがあって、
ネガティブリストは、やったら駄目な事を記し、それ以外は何をやっても良いというものです。
逆にポジティブリストは、やってもいい事だけを決め、それ以外は全部やってはならない事とされています。
世界ではネガティブリストが常識で、逆に日本はポジティブリストになっています。
けど何故か役所では、いつの間にかネガティブリストになっているのです。
誰が決めたわけでもないとは思うのですが、法の欠陥もあって、不良公務員たちによって攻略されてきたと言った方が良いかと思います。
今でも教員が国旗国歌に対して政治活動をしているのですから。
そう考えると、議会に国旗がないのも、おそらく誰かが勝手にやったことで、その経緯は不明なのではないかと推測します。
神戸市の場合、誰もその経緯を把握してませんでした。
>一時は成長しても後には衰退する運命にあります。
デフレ下で儲けた企業もそうですね。
マネーの虎という番組に出ていた社長たちの会社は、軒並み倒産してるそうです。
少しの関心をもって頂くだけでいいのですが・・・。
ポジティブリストとネガティブリスト、知りませんでした。勉強になりました。
何時もコメントを頂き有り難う御座います。