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2021.03.20 私の老後に、光を与えてくれて、ありがとう。

昨日、インターホンが鳴ったので、出てみると、一階下のHさんだった。
「いかなごの釘煮が、友人から送られて来たので、ほんの少しだけだけど、
お裾分けに持って来ました。」と言った。

彼女は、「届け物が届いたときは、いつも必ず、最初に貴女に持って来る
ことにしてるのよ。」と言われた。
確かに、その様にして下さっていることを感じる。
彼女の持って来てくれる物は、全て上質なもので、どれも美味しい。
上質のかまぼこを1本、持ってきて貰ったことがあるが、子供の頃に食べた
あのプリプリした上質のかまぼこの味わいを思い出して、感動した。
秋刀魚の干したもの3本も凄かったし、最近では、小蕪の漬け物の美味しかった
こと。懐かしい鄙びた食べ物が多かった。

私がいつも思うことは、この方は、多分真剣に人と付き合っていて、郷里の人達
との絆が続いているのだろうと思っていた。
すっかり感心した私は、「貴女は、随分人のお世話をして来た方なのでしょ?
でないと、そんなにして貰えるはずないもの。」と言った。
すると「いえいえ、それはお互い様。お互い様。」と言われた。
お互い様?そうか、やっぱり、そうなのね?

そこで、つくづく思ったことは、この方との関係は、Bちゃんのマスクから、
始まったこと。
この方に差し上げたBちゃんのマスクが、彼女が大好きで、Bちゃんから送って
来る度に、何度も差し上げた。
それを大喜びされて、その御礼に、私へのいろんなお裾分けが始まった。
同じマンションに住んでいても、お顔さえ知らなかったのに、お互いに仲良く
なれた。
マンションの若いお母さん達とも、子供用マスクを差し上げて以来、知り合い
になって、良くして頂いている。

これは、本当に,何と言っても、Bチャンのお陰だ!
このHさん始め、マンションの方々に仲良くして頂けるのは、何と言っても
Bちゃんのお陰。
その上、毎日、ブログを書く度に、Bちゃんに電話して、見て貰っているが、
その時の応答に、心がパッと明るくなる。
毎日全く変わらない明るい応答。
何度電話しても、全然変わらず、全く恩に着せる感が無い。
つまり、やって上げている感が全く無い。

これは、言うは易いが、なかなか無いのではないかと思う。
あの、のばらさんと全く同じだ。
(普通は、だんだん上から目線になって来るものではないか?)

のばらさんとは、60年の付き合いだったが、5年前に亡くなった。
まるで、のばらさんと入れ替わってくれたみたい。
私が、「あの私の観音様ののばらさんを失って、その後、Bちゃんが現れて
くれた。私は、本当に幸せ者やわ。」と言ったら、Bちゃんは、大笑い。
「現れたって…、私は、最初から居るよ。」と言った。
そうそう、そうやね。Bちゃんと知り合ってから、もう40年経つよね。
確かに、ずっと前から居るよね。

「私、いつも感謝しているよ。私の老後に、光を与えてくれて本当にありがとう!」
と、私は、Bちゃんに、心の底から御礼を言った。

このブログを読んだBちゃんから、下記の様なメールが来た。
「読ませて頂きました!
私のマスク作りが、大島さんのマンション生活、楽しくなったと知ったことが、最高の喜びやわ!
それにしても、一階下のひとから、たくさんいろんなもん、もらってんじゃん!」

いえいえ、Bちゃんが、どうしてくれたこうしてくれたではないのよ。
マスクもあるけど、そんなことよりも、Bちゃんの存在そのものが、私にとって、光なのだからね。本当に感謝です。




Hさんから頂いた「いかなごの釘煮」
ほんの少しだけと言われたけれど、なかなか多い。
明日のお昼、これで、お茶漬けをしたい。
美味しいべったら漬けもあることだし。

なお、このお箸は、私の自慢のチタンの無垢のお箸と箸置きです。
中は、空洞ではなく、全部が無垢のチタンです。
私は、これをネットで処分品となっていた、最後の1個を手に入れた。
これについては、また後日、項を改めて書きたいと思います。




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