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2013.08.31 芙蓉の花

友人から、芙蓉の花の写メールを貰いました。

彼女は通りすがりの美しい花を、いつも写メします。

芙蓉の花は、昔から美しい女性の顔に例えられる花だそうです。

芙蓉はあおい科だそうですが、ほんとに、あおいの花にとても似ていますね。

 

彼女は手先が器用です。

たまたまリサイクルショップで、同じ傘(縦縞、横縞の差はあったそうですが)

を2本買っていて数年使っているうちに1本が壊れたので、その壊れた傘の布

を使って袋を作ったので、傘と手提げがお揃いになったのだそうです。

(なお、念の為もうひとつ買っておくというのは、何と私の真似なんだとか。^^;;)

 

お母さんの介護の合間に、いろいろ楽しんでいる彼女です。

 

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2013.08.29 六月のチタン鍋料理(その2)

 

チタン鍋で、塩鯖を焼きました。他は、茄子とキュウリの塩揉み白ごま掛けなどです。

 

 

茄子の炒め物、茄子とキュウリと青じその和え物、枝豆などです。

 

 

牛肉を焼いて大根おろしで食べました。大好物の大根の皮のきんぴらもあります。

 

チタンのおろし器で大根を下ろすと、大変キメが細かくなります。

 

 

ハム、ズッキー二の炒め物トマトなど野菜添え、ちしゃもみ(ちしゃを

塩でかるく揉んで塩出しし、酢みそで食べます。アメリカンチェリー添え。

 

 

川津エビ(茹でてマヨネーズで)、生椎茸炒め物、ちしゃもみなどです。

 

 

ビーフサラダ(ハム、レタス、トマト、キュウリ、アメリカンチェリー)

ポテトサラダ、生椎茸炒め物など。

 

おかゆ(梅干し)、牛肉ソティー、大根おろし添え、茹でポテト、大根の

皮のきんぴらなどです。

 
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2013.08.27 みどりさんの作品展に行きました。

友人と絵本作家のおのみどりさんの作品展に行きました。

入り口を入って右です。これは、販売品です。

 

奥の展示は、亡きお父上の遺作です。

額は、みどりさんの姉婿さんの手作りです。

台の上は、みどりさんの絵本です。

 

入って左は、父上の作品で葉書絵などの小品類です。

お義兄様制作の額入りです。ほんとにこの額が素晴らしい力作です。

こちらの台の上も、みどりさんの絵本です。今年の新作も追加されていました。

 

みどりさんの作品です。写真が分かりにくくてすみません。

額はお義兄様制作。絵に合わせておしゃれな桜材の額縁です。

 

入り口に作本展のご案内、その横は華やかな花束です。

 

ふとその上を見ると、なんと!素晴らしいお父上の絵です。

お義兄様制作の額との相性が素晴らしいです。見とれました。

 

みどりさんを挟んで、3人で。

 

なお、《 おのみどりさんの作品展 》は、「あしや喜楽苑」にて、

8月31日まで開催中です。

(芦屋市汐見町31-1 ☎0797-34-9287)

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2013.08.24 六月のチタン鍋料理

しばらく前に、ゲストの方から嬉しい書き込みを頂きました。

「又、料理を載せて下さいね。私の唯一の楽しみです。」と…。

私は喜びしました。楽しみにして下さっている方も居るんだ~!

なぜなら、私は自分の料理をUPすることにいつも気兼ねしているからです。

こんな粗食を恥ずかし気もなくUPして良いのかしらといつも思っていました。

ですから、この方の一言がとても励ましになりました。

ただ、日頃忙しすぎて、どうしても料理のUPは遅れ遅れになってしまいます。

今回は、六月のチタン鍋料理をUPします。

 

大好きな豆ご飯を炊きました。炊きあがって昆布だけ除けたところです。

 

 

豆ご飯、頂き物のしらす干しに七味を掛けて、山芋とろろ、青菜のおひたし、もずくです。

 

 

豆ご飯、麻婆豆腐、納豆とオクラを柚子胡椒で、切り干し大根のはりはり、カボチャのスープ

もずくです。

 

豆ご飯、山芋のとろろ、麻婆豆腐、大根の皮のきんぴら、もずくです。

 

牛肉炒め物、大根おろし、大根の皮のきんぴら、トマトとオクラのサラダ、もずくです。

 

自家製一夜干しのえてがれいをチタン鍋で焼きました。

※ご注意 えてがれいは、白身でもチタン鍋で焼くことが出来ましたが、
     一般に白身の油の少ない魚を焼くのには、チタン鍋は適していません。
青魚などはあぶらが多いので、その油で美味しくこんがりと焼くことが出来ます。)

他は空心菜の油炒め、納豆、もずくです。

 

 

チタン鍋で、自家製塩鮭を焼きました。

大根と豚肉の炒め物、頂き物の切り干し大根をみそに漬けたもの、トマト、もずくです。

 

下は、自家製の塩鮭をチタン鍋で焼いた時の写真です。

 
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2013.08.20 ついに巡り会った素晴らしい本(台湾関係の本3冊)

 

前項で、私は「目は使えばよくなる?」という題で文章を書きました。

でも、実のことを言えば、それが私が言いたかったことではなかったのです。

上海旅行以後の読書の話の流れから「目の話」になってしまいましたが、それは私が

本当にお話したかったことの前書きに過ぎなかったのです。

 

2年前に兄妹3名で66年ぶりに上海の生家を訪ねるについて、私は出発前から、上海

関係の本などを読み始め、帰国後は範囲を拡げ、中国、韓国、アジアそして日本を含む

近代アジア関係の本を2年間でおよそ200冊読みましたが、それによりこの2年間は衝撃

とも言える程の大きな発見の日々でした。

私がどうしても書きたかったことは、このことだったのです。

 

特に私が感動したのは、外国人で留学生として日本に来訪し、そのまま日本人になってし

まった執筆家の著作でした。

特に、黄文雄(台湾出身)、呉善花(韓国出身)、石平(中国出身)の諸氏の本は、

対談集、鼎談集を含めてほとんど読みました。

呉さんと石さんは、反日教育の激しい国から来日し、その後、国で教えられたことと日本

での現実との違和感に悩み、あまりの乖離に驚き研究する内に日本と日本人について多く

の気付きがあり、そのまま日本に留まり研究を続け今では日本に帰化された方で、沢山の

著作を出版されており、その卓越した分析力にはただ驚くばかりです。

石さんは、知識人であった父母が農村へ強制労働に行かされ漢方医であった祖父に育てられ、

その祖父は隠れて論語を紙に書いて石平少年に覚えさせ、その紙を回収して台所の流し台で

消却していた。その祖父が伝えたかった儒学が日本で更に研究され、極められていたことに

衝撃、更に中国古来の文化が日本に根付き、さらに昇華された形で残っていることに深く

感動し日本人となられた。又、呉さんの比較文化論は秀逸で、多くのことを教えられました。

又、黄さんの博覧強記には脱帽で、まだまだ日本人とは何ぞやという研究を深め鎌倉室町

時代、更にもっと遡りたいとして調査研究を続けておられる方です。

これらのことは、本来日本人こそ知っているべきことですが、逆に日本人ではなかったか

らこそ、発見し得た日本人論であるかもしれません。

この3人の方々のこれからの研究が本当に楽しみです。

この方々の本は、今では本屋さんで大量に平積みされているので、ぜひ読んで頂きたいと

思います。

 

その他、この2年間に出会って感動した本は枚挙にいとまが無い程で、まさに驚きの連続

でした。

順次お知らせしたいと思いつつ、多忙で果たせずにおります内に、とうとう、私にとって、

これがある意味一つの終着点とも言える、魂を揺さぶられる3册の本と巡り会いました。

 

 

この2年間の集大成と言っても過言ではないその3冊を下に順次ご紹介したいと思います。

 

(1)

まず、李登輝さんの「武士道解題」、これは新渡戸稲造の「武士道」を解説したものです。

李登輝さんと言えば、台湾の総統であった方、日本が敗戦するまで(22歳まで)日本人

であった方です。

武士道というと、封建的なものというイメージしかなかった私は、この台湾の方に武士道

について教えて頂くまでは、それが何なのか知りませんでした。

武士道は日本人の心の規範で、それは一朝一夕に出来たものではなく、民族の長い精神的

土壌から醸し出されたもので、日本の精神文化の集大成であることを知りました。

東日本地震の災害にも、混乱すること無く気丈に立ち向かうことが出来たのは、これらの

長い文化的遺産が我々の心の底に根付いていたからだと思います。

私たちが立派だったと言うより、それは受け継いだ資質だったのです。

 

「武士道」と言う本は英語で出版されましたが、これを読み感激したルーズベルト大統領

がこの本を何十冊も買って自分の5人の子供達全員と知人に配ったそうですが、その他

海外の多くの知識人が驚愕し、絶賛したことは有名です。

「武士道」に関わった3人の大統領 」

 

その割に日本ではあまりこの本は読まれていなかったのではないでしょうか?

五千円札の肖像の人でしょう?と言う知識はあっても、その偉大な功績は(台湾の農業振興

への功績を含め)殆ど知られていないと思います。 実は私自身がそうでした。

奇しくも又、元日本人とは言え、外国(台湾)の方に武士道、そして日本人の心の素晴ら

しさを教えて頂きました。

 

 

 

(2)

そして、私が一番驚きそして感動したのは、何を隠そうこの本です。

「台湾人と日本精神」(日本人よ 胸を張りなさい)蔡焜燦著 小学館文庫

 

この方も、20歳ぐらいまで日本人だった人で、今は台湾の方です。

本の内容は、あの素晴らしい国、日本の人たちが、戦争に負けたことによって自信を

失い自虐的になっていることをどうかやめて欲しいと言うものです。

日本精神を忘れないで欲しいと訴えています。

 

少し抜粋します。

「昨今、日本の警察や医療機関の不祥事、さらには教育現場の荒廃をよく耳にするが、

いったいどうなっているのか。

かっては台湾を近代化に導き、そして人々から尊敬を集めた警官や医師、そして教師達が

なんたるさまか。

かっての日本人は立派だった。

公職に就く者の心構えは民衆の絶大な信用を集め、人の生命を預かる者の使命感に人々は

崇敬の念をいだいたものである。いま一度、故きを温ね日本人が世界に誇った「魂」を学

ぶべきであろう。

どうぞ心に留めて頂きたい。

日本は、あなた方現代の日本人だけのものではない。我々“元日本人“のものでもあることを。」

 

あとがきに、

「祖国•台湾よ永遠なれ」

「かっての祖国•日本よ永遠なれ」

私は“二つの祖国”の弥栄(いやさか)を祈り続ける。

 

…とあります。

 

日本を、そして自国台湾を愛する気持ちが行間から滲み出ています。

遺言と思って書いているとのことで、その心情は気迫に満ちています。

 

私は読みながら泣き続けました。嗚咽がとまりませんでした。涙が吹き上げて来ました。

今、これを書く為に数ページを読み返すだけで、又声を上げて泣いています。

この本の巻末に、私はひとことだけ感想を書いていたのを今発見しました。(下の写真)

<この本に出会えたことに感謝!! 2013.7.12 読了>

その日付は先月で、先の上海旅行から帰って来た日から、2年目の日付でした。

この間に私は200册の本によってどれだけ多くを学ばせて頂いたことでしょう。

そして、丁度2年目に、私はこの本を読了したという偶然にさえ感動を覚えます。

 

 

なお、この本が出版されてから既に13年も経っているのに、私はこの本を知らなかった。

そのことが、本当に残念です。

しかし、もし以前に読んだとしても、自虐史観に染まっていた私のこと、真意を充分に

汲み取れ無かったかもしれません。

約200册のアジア関係の本を読んだ今だからこそ、その集大成として出会えたと思います。

今の今、出会ったことが、私の幸運だったかも知れないと感謝しております。

これから、何度も何度も読み返す積もりです。皆さんも、ぜひ一度読んで下さい。

 

 

 

(3)

日本の文豪 司馬遼太郎の 街道を行くシリーズ 「台湾紀行」

 

上の本は、街道を行くシリーズの中で唯一、政治的な内容に触れた著作だそうです。

この本は台湾の元日本人への力強い支えとなりました。この中に出てくる台湾の歴史は、

大変分かりやすく、又終戦前の台湾人と日本人の心のつながりがよくわかり、それらの

逸話はまるで詩の様で、暖かい涙で心が洗われました。

本当に素晴らしい本でした。この本も、何度も読み返すつもりです。

 

これらの3册の本は、上海旅行後2年間で読んだ本の最後に現れた3冊でした。

そして、私が台湾を扱った本を読んだのはこれらが最初でした。

アジアの他の国を扱った多くの本の最後に、満を持しての台湾の登場でした。

私は無知で、台湾と日本との深いつながりさえ、殆ど理解しておりませんでした。

そして、この3冊に、私は激しく揺さぶられたのです。

自分は、何もわかっていなかった。一体何を考えていたのであろうかと。

 

 

最後に、これらの本と直接関係ないのですが、私が最近気付いた衝撃の事実があります。

戦後、日本を愛さない集団に日本の政治は牛耳られてきました。

何ともったいない68年であったことでしょうか。

自虐病に罹って自信を失っている間に、その集団の主張が罷り通って来ました。

日本の品位を著しく落として来ました。その目的通りに…。

しかし、おとなしく自己主張をしないという日本人の特性は、世界には通用しません。

国の消滅を願うならばいざ知らず、日本を守りたいのであれば、誇りを持った日本人に

なりたいものです。

世界の人々からよく、「日本人だけが、日本の良さを知らない。」と言われます。

もっと知りましょう。自らの国の素晴らしさを!

 

もう、自虐はやめませんか?

誇りを取り戻しませんか?

我々の先達の素晴らしい心の遺産に目を向け感謝しませんか?

その礎の上に、豊かな未来を築いて行きませんか? 日本を愛する仲間達で!

 

そのことを、国の外の方々から教えられたことに、感謝と忸怩たるものを感じながら、

これは、自虐史観の呪縛から偶然にも解き放たれ覚醒した私の大仰に言えば魂の叫びです。

 

          <長文を読んで頂き感謝致します。>

                             ( 完 )

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2013.08.14 目は使えばよくなる?

 (本の山=約3ヶ月分)

(本を、どんどんまとめ買い)

 

2年前の夏、兄妹3人で上海の生家を66年振りに訪ねたことは、このブログに書きました。

私は、その前後から近代アジア史に興味を持ち、この2年間で約200冊のアジア関係の本を読みました。

上の写真は、最近約3カ月ぐらいで読んだ本の山です。(本がたまってたまって困っています。)

 

実は、私が15年前勤めを辞めた理由の1つは、震災後1年半の避難生活とその後の復興作業の過労と

ストレスから、目が使いものにならなくなったことがありました。もちろん一番の原因は老眼です。

職場の端末機の画面を見るだけでウッと吐きそうなり、定年まであと1年と言うところで、職場を断念し

辞めました。

新聞購読も涙がぽろぽろ出て読むことができない為やめたので、身内や友人から叱られたものでした。

その頃、ネットサーフィンという言葉が流行りましたが、私の目にはとても無理でした。

 

そんな目の私がホームページを作る決心をしたのは、ひどく矛盾している感じですが、震災避難の過酷な

不安と過労の中で、もし無事に神戸にも戻ることができたらマッキントッシュを買うと決めていて、それを

目標に頑張った証だと思います。

正気の沙汰とは思えないかもしれませんが、私は本気でした。

目が辛くなれば一眠りして目を回復させられる様に、机の横に簡易ベッドを用意しようと考えていました。

自分がボスになれば、それが出来るのだからと思いました。(でも結局、簡易ベッドを買うどころか、雨戸

の隙間から朝日が射して来るまでパソコンの前に張り付いている日もあり、眠る暇がないほどでした。;;)

 

阪神大震災後1年半の避難生活から神戸に戻ることが出来、目標にしていたマッキントッシュ購入を果たし、

職場を辞め、ホームページ作りを始めたわけですが、その頃は、企業がホームページを作り出した時代で、

個人でしかも女性が作るというので、プロバイダーのサポートセンターの方々が驚いて大変親切にサポート

してくれたことは何度も書きました。

私は、ホームページ作りの手引書2冊を大学ノートに丸写しました。説明図まで全て。(分厚い手引書2冊

が大学ノート1冊に丁度収まったことがびっくりでした。)そうして、それを見て作業を開始しました。

涙がボロボロ出るので、バスタオルで涙を拭き拭き頑張りました。

ドライアイの人は気の毒だな~、私なんて、ありがたいことにこんなに涙が出るのだから、少なくとも

ドライアイではないし…、と思っていました。この涙が出るのがドライアイなのだとは後で知りました。

 

そんな目の状態ですから他人のホームページを見ることが出来ず、自分勝手にイメージして作りました。     

知人の専門家から、いかにもホームページを知らない人の案ですなと言われましたが、挫けませんでした。

そうなんです、知らないのです。でも、ツクルンデス!…と言う感じです。^^;;

出来上がったとき、件の専門家が「恐れ入りました。」と言ったことも、何度も書きました。

(後年ショップを自分で作ると言った時は、絶対出来るはずが無いと迄言われ私はむくれて絶交しました。

ショップが出来た時は、「恐れ入りました。今後は付いて(?)行きます。」と迄言われました。)

 

その頃のパソコンの仕様は、今からは想像できないほど悪く、毎日フリーズ、フリーズの連続で、暗く粗く

小さなディスプレーで細かい作業をするので、頭痛の日々で、ますます目を悪くしました。

無理をして斜視になり、手術もしました。

それから何台ものマックを買い替える度にパソコンの性能は上がり、パワーマックになってからは画期的な

使いやすさに感動の日々で、最近まで10年以上使いましたが、目は過労からドライアイになることが時々

ありました。

 

そんな私に、最近大きな驚きがありました。

一日中パソコンに向かっていた年月に脚の筋肉を落とし身体を傷めたのを反省して、最近では、午前中に

一気に仕事をして、午後は外出すると決めて、喫茶店などでゆっくりと本を読むのが楽しみとなりました。

パソコンの仕事は目ばかり酷使するので、外出して目を休め、歩くことで運動しようという考えでしたが、

外出しても座って本を読むなんて、目を休めるどころか更に目を使うことになり何の因果でと思いました。

しかし最初に書きました様に、2年前の上海旅行を機に近代アジア史に興味を持ち始めてから、自分が

知らなかった様々な驚くようなことを知ることになり、読書にのめり込み気付いたら病院の薄暗い待合室

でも文庫本を読んでいて、廻りの方々に「よく見えますね。」と驚かれることが何度もあり、私ははっと

気付きました。

あの私が本を読んでいる、しかも文庫本など読めなかったのに、気にすることなく何時間も没頭している。

もしかしたら目というものは、使えば良くなるものなのか?

 

そこで、又私は、はっと気付きました。

身体の機能は使わなければ衰える反面、使うことによって強化されて、良くなるものなのではないか?

思い出すのは、昔先輩を見ていて私が不思議に思ったのは、老眼になるのが早い人は目をよく使う人では

なく、反対に読書をほとんどしない人の方が早いのでないか?とずっと昔に感じたことでした。

忘れていたその疑問が、久しぶりによみがえってきました。

テレビでも、細かい手作業を続けている年配の方が、眼鏡をかけていないのをよく見かける様に思います。

私は、家では老眼鏡を、外出先では遠近両用眼鏡をかけて本を読んでいますが…。

 

震災復興の過労で目が悪くなり端末機の画面も見られなくなり、定年まであと1年と言うところで、職場を

断念して辞めたあの私が、こともあろうに定年後の夢をパソコンの世界に掛けてしまった結果、あれほど

悪かった目を散々に酷使せざるを得なくなり、結果的に目が良くなったのでないかと、私は今、真剣にそう

考えています。

 

以前、目医者さんに、目は酷使で悪くなるものではなく、身体の病気でわるくなるのですと聞きましたが、

酷使で悪くならないどころの話ではなくて、良くなることもあるのではないかと、自分の例から私はそう

思っています。 

(※ でも、やっぱり酷使はおすすめいたしません。)

 

__________________________________________________________________________ 

(追伸)

友人のNさんから、「おーちゃんの言うことはよくわかるけれど、でも遠視の人は早く老眼に

なるし、近視の人は遅いよ。おーちゃんは、身体が良くなったから目が良くなったと思うよ。」

とのこと。

彼女の知り合いで医者になるのに、何の医者になるかと考えたとき、目医者を選んだ人が居て、

目を診ると全ての病気が分かるからと言うのがその理由だったとのこと。

(そう!それは、私のいつも言うことと同じです。)

だから、私の身体が元気になったから、目がよくなったと思うとのこと。

 

なるほど、そうかも知れません。

私自身も、書きながら、酷使が目に良いなどとは少し極端過ぎるかなと思わないでもなかった

のですが、実体験なので書きました。

目は使えばよくなると言っても、個人の体質や、もちろん病歴など他の要因との関連があるの

はたしかだろうと思います。

思い込みの激しい私の体験談、どうぞご参考までにということでお願いします。

 

 

 

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2013.08.11 ようやく自分のfacebookを見つけました。

先日、iMacを購入したのでfacebookを設定しようとしましたら迷路に入ってしまって、

設定出来なくなり、私のfacebookが行方不明になったことを書きました。

昨日は、朝からそれ探しをしました。

 

元々このfacebookは自分で設定したのではなく、2年前ネットショップ関係の研修に出かけ

たときに、その主催者がこれを活用すると良いですよということで、親切にも希望者の分の

facebookを無料で設定してくれたのでした。

つまり、箱だけ作ってくれたので、自分でその他の要点を設定して使えば良い訳ですが、

私は使い方が分からず、いつか使うかな?と思いつつ、そのまま2年間放置していました。

 

最近、facebookは便利で楽しいよと誘ってくれる方があり、そうかなということで、とにかく

先月購入したばかりのiPhoneに、facebookを設定しました。(それが良かった。)

そして、今月初めにパソコンを買い替えたので、表示させようとしましたら、迷いに迷って

しまい、見失ってしまった訳です。

 

というのは、最近facebookではなく、Youtubeの設定を少し変えましたが、その時、Youtube

を変えると、gmailの設定まで自動で変わることを知り、びっくりして知人に聞くと、googleが

Youtubeを合併したので今では同じなので、そうなるのだとか、その時の変更の記憶などが頭に

残っていて、又、facebookで設定したメールアドレスが今は解約した古いものなので、それを

その時変更したんだっけ?と分からなくなり、正しいものが何なのか誰か教えて…状態になり、

自分が情けなくて落ち込みました。

最近パソコンの不調で大変だったので、頭の中が混乱しています。モウシラナイ!!(怒!)

 

でもブログに書いたので心配してくれる人達がいるので放置も出来ず、気を取り直してようやく

昨日の朝、重い腰を上げたのでした。

幸いにもiPhoneの方で設定していたので、それを見ると、facebookが勝手に(?)メルアドを

作ってくれています。(…@facebook.comで)

あ、これだと思って、これで探しました。すると出てきました。ようやく辿り着きました。

大喜びで、姪や友人(友人と言ってもfacebookをしている友人は一人だけ)に知らせました。
 

ところが、今度は驚くことがありました。

何も触っていないのに(元々ほとんど初期状態のまま)、自分のプロフィールなどが変更されて

いるのです。 何で~! 信じられない!

慌てて、それの削除に大わらわでした。いくらなんでも、学歴詐称はしたくないですからね。^^

ようやく削除できたものの、今度は自分の分が入れられない…設定ボタンがアクティブになら

ない。…疲れ果てました。又、いつか頭を冷やして考えます。

 

今日はfacebookだけで、深夜まで格闘し疲れました。

こんなとき、自分はアホなんやな~と自信を失います。

しかし、一応facebookは無事に戻ってきましたので、良しとしたいと思っています。(汗;;)

 

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2013.08.08 「平和展」を見にに行きました。

 

 

 

今日は、元職場のお偉さんからのお誘いで、友人を誘って高槻市主催の「平和展」に行ってきました。

非核平和都市宣言30周年記念の催しです。

 

 

 

今まで原爆の写真は衝撃が強すぎて、つい避けてきた私でしたが、今回は見せて頂きました。

その中の1枚! 特にこの写真には泣きました。涙が止まりませんでした。

当然のことながら少年の父母は居ないのですね。

当時のアメリカ海兵隊のカメラマンが撮ったものだそうです。

多分、ここは爆心地の中心ではない様に思われるけれど、裸足で焼け野原を歩く足裏は、

どんなにか熱く、酷い火傷でしょうね。

 

もちろん、すべての被爆者が裸足です。

子供を探しまわり、足裏の火傷の腐肉にウジが沸き収容所で死んで行った母親のことも

書いてありました。どの人も、すべての人が想像を絶する地獄です。

 

絶対に絶対に、あってはいけないことです。原爆も、戦争も…。

今日は、改める考える日となりました。

 

高槻市役所の横の生涯学習センターで、明日9日まで開催されています。

お時間がありましたら、行かれてはいかがでしょうか?  

「高槻市主催 平和展」

 ____________________________________________________________ 

なお、元職場のお偉さんのことは、昨年ブログに書かせて頂きました。

2013.09.29 90代のボーイフレンド(第1話)

2013.10.04 90代のボーイフレンド(第2話)

2013.10.06 90代のボーイフレンド(第3話=衝撃的な話)

2013.10.15 90代のボーイフレンド(第4話)


 

(2013.09.27 追記)

親友ののばらさんからメールがきて、写真撮影者のオダネルさんのことがYouTubeに

纏められていることを知りました。

頭が下がる様な、オダネルさんと息子さん一家の気持ちです。

長い動画ですが、ぜひご覧下さいませ。

 

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2013.08.06 電話回線工事、そして私がマックを変えた本当の理由

                      

                            暑中お見舞い申し上げます。

 

昨日は、朝から電話回線工事でした。

iPhoneを買うについて携帯会社を変えたので、従って回線も変えました。

午後は、ネット接続業者の来訪でした。

 

実は、先日回線工事の打ち合わせの後、ネット接続業者と打ち合わせの時に「マックOSは

何ですか」と聞かれ、「10.4です。」と答えると、「10.4は対象ではありません」

と言われたのです。

なんと偶然にも、午前中マックの不調に手こずっていて、もう買い替えないと無理だなと

思っていた時でしたので、いよいよマックを買い替えるべき時が来たと観念したのでした。

引導を渡されたと思いました。これが、マックを買い替えた本当の理由です。

 

昨日は午前も午後も業者が来たので、一日中家にいた為、待ち時間にパソコンの中の膨大な

数の写真の整理をどんどんしていました。大変捗ったのですが、肩がコリコリになりました。

その前日は、パソコンを買った大阪の電器店へトラックパッドの使い方を聞きに行きました。

毎日、突っ走っている感じです。

私の場合、今のiMacを以前のパワーマックと同様に使いこなさなければ仕事ができません。

 

今日現在iMac切り替え後6日目ですが、もうほとんど支障なく使える様になったと思います。

(ただ、この際、使うソフトを変更したいものがあり、それは今奮闘中です。)

先月始めiPhoneを買い、今月のはじめにiMacを買って、カルチャーショックの1カ月でした。

その両方と、もう親友となりました。^^

二人共(?)、すでに100年も居る様な顔をして、すましております。^^

ちょっと無理をしたのか背中に来ました。走る速度を少し緩めなくては…と思っております。

 
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2013.08.04 日向夏でマーマレード作り

6月下旬のこと、珍しく日向夏を見つけ、喜んで買って帰りました。

皮を刻んでマーマレードにしました。チタン鍋の得意料理です。

皮を1度茹でこぼします。(2~3回茹でこぼすと読んだことがあります

が、めんどくさがり屋の私は1回にしています。)

皮だけでマーマレードを作るときは、水を少し加えます。

最後にレモンを絞り入れます。

 

出来上がりです。

 

翌朝の朝食です。

私は朝食もシンプルで、いつもパン、紅茶、果物、ヨーグルトだけです。

う~ん! 感動の美味しさでした。 これだけあったら、毎朝感動です。^^

 

130623日向夏マーマレード作り

カメラで動画を撮っていましたので、お目に掛けます。

料理をしながら動画を撮るのは、結構難しいですね。^^;; 
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2013.08.03 私のFacebookは何処へ?

             

今日は、フェイスブックをiMacでも表示させようとしますと、なぜかどんどん

深みに嵌って行き、新規の登録をするような作業を続ける形になり、おかしいなと

思いつつ抜け出せず、結局もう一つ新規にIDを取得することになりそうで、さすが

にここで気付き、設定完了ボタン迄は押さず危うく留まったのですが、作業の取り

消しも出来ず、中途半端になっています。

 

念の為、携帯からフェイスブックを開くと以前のものが残っていました。良かった!

 

結局、パソコンからは入れなくなりました。私が変なことをしてしまったので…。

設定は2年前にしていたものの、全く使っていなくて(使い方が分からず)、

先日、友人のお誘いでおそるおそる足を踏み入れたら、とても便利なものだと

分かり、今から楽しみにしていたのに、私のFacebookはどこに行ったのやら?

ま、私の記憶がエエ加減だったので辿り着けないだけなんですが…。

トホホの一日でした。

 
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2013.08.02 iPhoneと、iMacに感動です。


          (上は、サポートセンターの電話番号控です。iPhoneで撮りました。)

 

今日で、iPhoneが来てから丁度1カ月目経ちました、

その間、カルチャーショックの連続でした。

 

実は、私は約2年前にiPadを買ったことがあります。

その頃、私はiPadを持ち運びに便利なくパソコンとしてしか認識していなくて、私が

iPadを買った目的はただ1つ、その頃開店して懸命に充実を図っていた第2ショップ

のデータ入力を外出先でも頑張ろうと思っていて、その目的の為に買ったのです。

しかし、買ってみるとiPadにはプロバイダーの管理画面は表示されないのだと分かり、

全く目的が果たせないことを知った私はひどくがっかりして、そのiPadを友人の娘さん

に譲ってしまったのです。

その時の私にはそれ以外に全く関心がなく、それどころではなかったのです。

 

そして、1カ月前に買ったIPhoneも、ブログへ動画をUPする目的からで、たまたま私の

携帯があまに古すぎてよく通話が切断することから、携帯の買い替えとして決心しました。

 

しかし、単純にも携帯としてしか思っていなかった私にとって、iPhoneは私の思って

いた携帯ではなかったことが分かりました。

凄すぎるツールでした。(iPadも、そうだったんだと今にして気付きました。)

iPhoneは、まさに小さなパソコンで、夢を運んでくる動く玉手箱でした。^^

 

そして、パソコンを超大型27インチのiMacに取り替えてから、今日で2日目です。

これの凄いこと!表現できない程です。(まだよく分かりませんがそう思われます。)^^

でも、そのすごいところを自分ものにするのは、まだまだ今からです。

 

ともあれ、分からないことがあれば、その両方のサポートセンターに電話して教えて

貰っています。

サポートサンターは本当に優しく教えてくれますね。それに又、癒される日々です。

 

以上、初めてのiMacからの投稿でした。(写真はiPhoneからUP)

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2013.08.01 iMacが到着しました。


       (iPhoneで撮ったiMacをお目に掛けます。ややこしいな。^0^)


新しいパソコンを一日掛かりで設置してもらいました。
感激です。素晴らしいです。


しかし、ショックもありました。
古いバージョンで作った私のイラスト類は、読めなくなりました。涙;;

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