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2019.09.29 穴子の焼き物の三日間、そして、とうもろこしご飯が美味しい。

(9月20日)

数年前から、近所に小さな魚屋さんが出来たが、行ったことは無かった。

最近知り合った近所の方が、「こちらに転居して来て良かったことの
1つが、この魚屋さんがあったこと。」だと絶賛していた。 
それで、私も行ってみた。 

刺身でも買おうかなと思っていると、店主が「焼きたて!」と言って、
焼き上がったばかりの穴子を持って来たので、それを購入した。 
 

 (第1日目)

 

格別に大きな穴子なので、何日分もあるので、まず1日目はわさび醤油で食べた。
なんとまあ、美味しいこと。びっくりした。絶品だと思った。
伝助穴子というものらしい。
こんなに魚が美味しいと思ったことは、何年(何十年?)振りだろうか? 

             

なお、山葵はチューブではなく、今日からSB缶の粉を練って使った。
多分それもあったと思う。もう、チューブには戻れないと思った。

              

ちなみに、からしも粉を練るのがお薦めです。

 

それと、最近感動していることは、トウモロコシご飯の美味しいこと。
トウモロコシを茹でた時(=電子レンジで5分)、粒を一部除けておいて、
次にご飯を炊く時に加えるだけ。
塩も何も加えない。お米の水加減だけで良い。

 

(第2日目)

冷蔵庫に残っていた薄揚げと、えのきと、生若布を煮た。
冷蔵庫整理料理ではあったが、これの美味しかったこと。
私は、煮物とも汁物とも言えないこんな料理に、癒される。
チタン鍋は、軽くて使い易いし、美味しくなる。
私はチタン鍋以外は使わない。 
 

2日目は、切った穴子を、トースターで焼いてみた。
う〜ん! 昨日は、あんなに美味しかったのに、今日は少し生臭かった。
魚好きな人は、たぶん平気かも知れない。
明日は、残りの分を何とか工夫したい。

なお、この日は、お墓参りだった。
妹から貰ったお供えの黒ビールを飲んで、ご飯の代わりにした。
 
 

(第3日目)

3日目はたまたま青柚子があったので、穴子の焼き物の残りを「柚庵焼き」
にすることにした。
こうすると、香りが付くので、美味しく食べられるのではないかと思った。
青柚子の皮を卸して醬油を加えて、 穴子焼きの切り身を浸してから焼いた。
これは、なかなか美味しかった。 
もちろん、1日目がダントツだった。 

この日は、ご飯を止めて、トウモロコシをご飯の替わりにした。
最近トウモロコシを食べ出して、美味しさに感動している。
でも、もう季節は終わるので淋しい。 10月にはもう無くなるだろう。

(※ なお、便秘気味になったらトウモロコシで解消すると思う。)


 

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2019.09.27 秋のお彼岸の墓参と、美味しい中華料理。

(9月21日)

早朝電話が鳴り、寝ぼけ状態で起きた。
妹からの電話で「明日は台風が来るようだから、お墓参りを1日繰り上げて
今日にしたい。」とのこと。

朝食を済ませ、出掛けようとして思い出した。
めったに会えないので、ジャムとマーマレードを持って行って上げよう。
まだ少し残っていて良かった。残り物だし、少しだけどいいかな?
 

    

と言うことで、小夏のマーマレードと桑の実のジャム。
2つ重ねて包むと素敵なプレゼントとなった。

(後日、妹から美味しかったと連絡があった。)

 

<中華料理店へ>
墓参の後、妹が知っている神戸駅の近くのビルの中華料理店「天安閣」へ行く。 
店に入ったのが2時10分で、お昼の営業終了迄20分しか時間がなかったが、
入れてくれたので、あわてて3品注文して食べた。 

焼きそば、とても美味しかった。
私の好きな味で、しかも大好きな袋茸が、幾つも入っていた。
 

 カニ炒飯。これも美味しかった。カニの身が沢山入っていた。
 

黒い土鍋で麻婆豆腐が出た。これも満足した。

 

   

食後、近くの喫茶店へ。珈琲の美味しかったこと。

 

帰宅した時の、玄関の万年青。
はじけそうな青い実に、いつも癒される。
 


中華料理店が美味しかったので,10月初めにミツバチ会で行くことになった。
父の祥月命日も、そこに決まった。

 


 

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2019.09.25 万両の木にびっくり、ひこばえが生えて来た。

9月10日、起きて植木に水やりした時、びっくりした。 
変化があった。

 

これは、先月8月23日の万両の木。
その時には、木の下には葉も何も無かった。剥き出しの状態だった。
 

ところが、9/10の朝のこと、 え? 何か違う。
何と! 下に葉が生えて来ている?

買った時は、こんもりとした丈の短い鉢植えで、赤い実がびっしりと
生っていたのでお目出度い感じが嬉しくて、お正月の飾りとして、
テレビの前に飾っていた。

その後大きくなったので、ベランダに出したが、どんどん伸びて行き、
しかし、下の幹には葉も何も無くて剥き出しでひょろひょろだった。
これを買った店に聞きに行ったら、万両はそんなもので、上へ伸びて
下の幹は枝が無くなり、剥き出しになると聞いてショックを受けていた。 

でも、今回、下に枝が出て来て、瑞々しい葉が生えて来ている。
目が点になった。これは、嬉しい。

 

      

わ〜!素晴しい。
もしかして、これを「ひこばえ」と言うのでは無かったかなと思って
調べると、まさにそうだった。
ひこばえだ、ラッキー!
 

 

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2019.09.22 マハティール・モハメド著「立ち上がれ日本人」を読んで。

(1)
私は、以前は本をよく読んでいたが、この数年、本を読まなくなっていた。
原因の1つはスマホにあると思う。
電車に乗って、本を取り出すよりも、スマホを取り出して見た方が手っ取り早く、
世間の動きも分かる。 
それで、買っただけで読まない本が積み上がったままとなってしまった。

 

        

ところが、数ヶ月前、来客準備の為に片付けようと思って、本を整理していたら、以前
古本屋で買って来て、たまたまカバーを付けていない本があった。
それが、このマハティール氏の「立ち上がれ日本人」だった。 

私はいつも、新刊書には本屋でカバーを付けてもらうし、古本屋で買ったものは、家に帰
ってから、その為に置いている包み紙などを利用して自分でカバーを付けるが、これは、
たまたまそれをしていなかったので、表題がすぐ分かった。
(カバーをかけていない効用もあると知った。)

この本は15年程前に出版されて、以前から読みたいと思っていたものだったので、古本屋で
見付けた時は喜んで買った。100円だった。
しかし読んでいなかったので、相当遅れてしまったが、この本を読んだ。
読んでみて本当に良かった。衝撃と言っても良かった。

「アジアはいつも日本を仰いでいた」と著者は言う。
しかし、戦いに負けた今はどうか?
いつも、弱者に寄り添い力を尽くしてきた我々の先祖の様に、我々は今も、弱者であるアジア、
アラブ、アフリカの為に、毅然として言うべきことを言っているか? 
心痛む思いであった。

一旦、政界を離れたマハティール氏が、又再び、90才と言う高齢でマレーシアの首相に帰り咲いた。
そのやむにやまれぬ国を愛する気持ちに敬服する。
そして、マハティール氏は、昔から自分の意見を堂々と世界に発信する政治家として一目置かれていた。
日本は、敗戦と言うたった1つの強烈な経験から、その決意が萎えてしまった。

日本が敗戦した時、アジアの知識人達が「日本民族は必ず立ち上がる。100年、又は1000年後には。」
と言ったと言う言葉。
まさかそんな年数が?と思ったものだけれど、実際、敗戦の灰塵から蘇るには100年が必要だったことは、
今の現状が証明している。今まだ、道半ばである。国の誇りを取り戻すには。
そして、国民が国を愛し、毅然として、世界に貢献する日本に立ち戻るまでには。
 
多くの人に、ぜひ読んで欲しいと思った。 

 

         

(2)
(1)の本の興奮覚めやらず、その流れで、本屋で宮田律著「イスラム唯一の希望の国日本」を
見付けた。
これを読んで、胸が詰まる思いがした。

イスラム教のこと、その信者(ムスリム)のことが、ようやく少し分かって来た。
私はイスラム教のことを全く知らなかった。ムスリムの苦悩を全く理解していなかった。
イスラム教は、激しい宗教であるかの様に思われているが、事実は、元々はとても穏やかな宗教
であることも知った。 イスラムは、平和な手段で商業活動を通じて広められた。  
「コーランか剣か」の様な闘うイメージは、ヨーロッパによって作られた歪められたものだとか。

人種と宗教が入り交じっているヨーロッパ大陸では、争いにより絶えず支配する民族が入れ替わる
が、イスラム王朝では、ユダヤ人に対しても差別をしなかった。むしろ彼等を重用したと言う。
支配層であるムスリムが、差別的な言動をクリスチャンに対して行うことは無かったと言う。
ムスリム・アラブ、キリスト教、ユダヤ教徒、3者の平和な共存があった。

しかし、逆に、キリスト教が支配している時は、ムスリムは差別され迫害を受けたと言う。
これが今に続いて来たのであろうか?
十字軍のことには触れられていないが、武力に勝っていたキリスト教にムスリムが苦しんだことは
想像出来る。

「イスラムの人は、日本に絶大な信頼を置いている。」 と著者は力説している。
エジプトのシシ大統領は、日本人のことを「歩くコーラン」と言った。
2014年アルジェリアの大統領選挙の時の選挙公約は、「アルジェリアをアフリカの日本にする。」
だった。 

それで思い出すのは、以前、日本が第二次世界大戦で負けたが、その後、アジアの国々が次々に
独立を果たしたが、その時、当時のエジプトのナセル大統領の言った「アジアには、日本があった。
しかし、アラブには日本がない。」と言う言葉!
その有名な、そして何とも悲痛な言葉に昔、衝撃を受けたことを思い出す。

昔,イスラム文明は中世ヨーロッパの発展に多大な貢献をした。
ギリシャ、ローマの文化の継承者は、アラブのムスリムだった。
数学では、「0」の数字と少数、そしてアラビヤ数字がヨーロッパで用いられる様になった結果、 
数学の解法が容易になった。 
アルコール、アルカリなど、化学用語の多くの言葉はイスラム世界で生まれたことも、昔から有名だ。

そして、「協力」「相互扶助」「献身」等の価値観がムスリムの考えだが、日本と同じ価値観を
持っているムスリムが、日本を近しく感じるのはもっともだと思う。 

この本も、本当に素晴しかった。読んで良かった。

 
 

    

そして、極めつけは、
(3)「天井のない監獄 「ガザの声を聴け!」(清田明宏著)

国連職員で、パレスチナ難民550万人の命を守る日本人医師の日々の活動。
そして、それを通して、日本人に伝えたいこと。
戦争しか知らない子供達のこと。明日への希望の無い若者達の絶望を伝えている。

献身的にパレスチナ難民を守ろうとする一人の日本人医師清田明宏氏と仲間の医師達の努力。
私は、何も知らなかったことを痛感している。
やはり、読書はどんなに大切だったかを、つくづく知った。 

日本人と価値観を共にするアラブの人々のこと、そしてその苦悩を理解し、日本が力になることが
出来たら、どんなにアラブの人々が救われることかと思った。 

上の3冊は、本当にお薦めの本です。ぜひぜひ、お読み頂きたいと思います。

 

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2019.09.20 チタン鍋で、マーマレード作り。

(9月11日)

今月は我が家で麻雀会なので、そろそろ身辺を片付け始めたい。
冷蔵庫の中に数ヶ月入っている、小夏(日向夏とほとんど同じ、小さな柑橘類)を
処分しようと取り出した。

5〜6月頃、百貨店に小夏が出た時、その頃私は、脊柱管狭窄症で腰(左脚)が
痛かったので、買ってもママレード作りをやらないかも知れないので、無駄になる
かなと思いつつ、念の為、買ったおいたもの。

案の定、台所に長く立つのは辛いので、冷蔵庫の中に放置すること3ヵ月以上、
でも、見たところは、黄色の皮はピンと張りつめていて、とても美しい。 
でも、たぶん中を切ってみると、真っ黒だったり、腐っていたりして、捨てないと
いけないだろうと思って、念の為、果実に包丁を入れてみた。
すると、なんとまあ、切り口の美しいこと。果汁もたっぷりで、美味しくて香りも
素晴しい。小夏がこんなに日持ちがする物だとは、始めて知った。

その時、嬉しいと言うよりは逆で、困ったなと思った。
マーマレードは柑橘類の厚皮を全部薄く切るので、長く台所に立って、刻まなければ
ならない。
8月末の来客準備の時に狭窄症がぶり返したので、又、立ち仕事をすると痛むのでは
ないか?

でも、こうなった以上仕方が無い。捨てる訳に行かない。マーマレードを作ろう。
座って作業すれば良いのではないか?
さっそく、居間のテーブルに大きなお盆を持って来て、その上にまな板を乗せて、
椅子に座って皮を刻んで行った。
その上、小夏は、外の皮は柔らかいのでとろける様に煮えるが、中の実を包んでいる
白い薄皮は結構固いので、それを実から外さなければならない。これも結構手間だった。

 

 

小夏や日向夏の皮は苦みが無いので、刻んだ皮は1度茹でこぼすぐらいで充分と思う。
外した実の方は、もちろん茹でない。
茹でこぼした所へ、皮の量の半量ぐらいの砂糖と、外しておいた実を加えて煮る。
(自己流のアバウト料理です。) 

 

大分、煮詰まって来た。
とろみを付けるのに酸味が必要だが、レモンが無かったので、すだちの絞り汁を
入れた。 

 

出来上がり。あ、刻み方が粗いな。ま、いいか?(汗;;)


お世話になった方に、小さな瓶に入れてお渡しした。
その瓶が丸くて可愛いかったのに、写真に撮るのを忘れた。;;

 

まだまだ、こんなに残っている。

ミツバチ会で会いたいと言って来てくれたが、私が空いていないので、来月になる。
来月始めに、2人に少しずつ上げられる。

でも、こんな材料で作ったものを、平気で人に上げるのはどうかな?
もちろん、私には感動する程美味しいのだが。
昨年、普通に作ったマーマレードを上げたら、2人が大喜びしてくれた。
今回は、2人に聞いてみよう。
 

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2019.09.18 桑の実のジャムをチタン鍋で煮る。チタン鍋はジャム作りに最適。

(9月9日)

ネットを見ていると、桑の実を冷凍した物を売っていた。
2年前に10年振りに連絡があった友人と会った時、彼女はその日の朝に、
自宅の庭から摘んで来たと言う桑の実を持って来てくれた。

私は、子供の頃から、桑の実に憧れていた。
子供の頃、山道で桑の実が美味しそうに成っていたが、男の子はもぐもぐと
食べていても、口の中がまっくろになるのが恥ずかしく女の子は食べなかった。
多分、美味しいんだろうな、という憧れがあった。 

友人は、ジャムにすると良いよと言ったのでジャムすると、その美味しさは
格別だった。(「2017.07.01 桑の実のジャムに感動」)

そして、この濃い美味しさは身体に良い筈、ポリフェノールの濃さだと感じた。

 

今回、ネットで購入した桑の実は1キロで、冷凍で届いた。
その半量をチタン鍋で煮た。
チタン鍋は、ジャム作りに最適(チタンゴールドボールも同様)。
焦げないし、本当にうまく出来るので助かる。 

 

<テョコレートのテンパリングのこと>
プロに聞いたが、お菓子作りのテョコレートのテンパリング(つやつや
したデコレーション用の仕上げ用)は、普通は直火は無理で、必ず湯煎で
作るらしいが、チタン鍋なら湯煎の必要がなく直火で出来るので、大変
便利だと言われていた。

私は、テンパリングはしたことが無いが、ジャム作りをしていると、
その方が言われていることがよくわかる。

 

実は、出来上がったところ、ちょっとゆるかったので、 少し砂糖を加え煮詰めたが、
その時、煮詰め過ぎてしまった。
でも、市販品は、もっと甘いだろうから失敗ではない。これはこれで美味しい。

 

    

出来上がり。美しい。
美味しいのなんのって、感動してしまう。
私は、桑の実のジャムが一番好き。
極上の味の「日向夏のマーマレード」とは、まさに双璧というところか?
でも、桑の実の方が、希少価値がある。

 

たまたま、お世話になった方へお礼がしたく思っていたので,思い付いて、
桑の実のジャムを差し上げることにした。
 

こんな感じで包んで、渡した。
美味しかったと、喜んで頂いた。

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2019.09.16 敬老の日、お祝いをする積もりだったが…、前月の美味しかった3品。

(敬老の日、祝日)

朝起きてすぐ、国旗掲揚する。
 

ますます元気に繁茂している、玄関の万年青。
はち切れそうな、青々とした立派な実に見とれる。 

 

夕陽を受けて輝く街と山々。 

 

<自分の敬老の日のお祝いをしなくちゃ!>

親友の20才年下のヤーちゃんから、昨日電話があって、登山家の大御所の
三浦なんとかさんが、今テレビで宣伝している足のマッサージ器を、息子さんと
娘さんが敬老の日のお祝いとして買ってくれるとのこと。

60才の人が敬老の日のお祝いをして貰うのよね。
だったら、私は80才なので、お祝いしてもらわなきゃ。
誰にしてもらうの?
「いつやるの?→今でしょう。」ではないけれど、それは、「自分でしょ!」

…ということで、夕食はどうしようか、鯛など買って来て焼いたら最高なんだけど。
我が家のガスレンジでは、魚のひれとしっぽが黒濃げになるから無理だし、と
考えている内に、そうだ今日の夕食は居酒屋へ行こうと決めて、予約した。
そうなると、日中は家に居てやるべきことを片付けると決める。気が楽だな〜。

 

そして、夕方5時から、近所の居酒屋へ。
上の写真の、突き出しのミニトマトの「アイコとツルムラサキのゼリー掛け」は
美味しかった。

但し、ここで残念なお知らせ。
・焼枝豆……、美味しいけど塩をふり過ぎで、塩辛い。(半分残す)
お薦め盛り合わせ
・フォワグラの味噌漬け……、クラッカーに載せて食べる。超塩辛くて食べられない。
・瓜の酢漬け……、ひどく塩辛い。 

とうとう、辛すぎるのでと大半を残させてもらって、帰って来た。
どうしても、お店ではこんなことがある。
しかも、マスターは「お酒の宛てだから、塩辛くしている」と言うし。
いつもは美味しい時が多く、感動している私だが。 

今日は、残念だった。
魚などが上手に焼ける最新式の電子レンジを買いたいな。
最近、電子レンジは、すごい進化を遂げている。
でも、まだ、我が家の機器は買ってから間がないので、贅沢かな?

 

【追加】

<前月の美味しかった料理>

8月の始め(8/7)に、同じ居酒屋さんで感動した料理3点

(トウモロコシのお浸し)

これが美味しかった。真似したい。
ここの、トウモロコシの天ぷらもおいしい。
お陰で、我が家もトウモロコシを茹でることが多くなり、よく食べる様になった。 


 (揚げ茄子の酢の物)

揚げた茄子は最高。揚げた後で皮を剥くとのこと。その酢の物。


(鯛のあら炊き)

ここのマスターは、魚の目利き。
新鮮な鯛のあらを、煮てくれた。
さすが、美味しかった。

私は、鯛のあら炊きには、ごぼうが必須と思っていたので、これに
ごぼうが加わっていたら、もっと感動したと思われる。

 



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2019.09.14 勢子ガニを茹でる、そして昨夜は仲秋の名月。


昨日、エビスタの魚屋で、勢子ガニが動いていたので、え?思って見ていると、
全部買ってくれるなら(4匹)1000円にしとくよと言うので、つられて買ってしまった。
カニを茹でるのは、始めてなので、やり方を聞いて帰る。
 

4匹茹でた。
その時聞いた茹で方は、水から茹でるとのことだったので、そうした。
あとで、ネットを見ると、少し違った。
お湯から茹でないといけない、水から茹でると足が外れると書いてあった。
どちらが良いのか、研究の要あり。 
 

いっただきま〜す。
2匹を美味しく頂いた。後の2匹は、明日のお楽しみに。

なお、カニの殻は、茹でて出汁を取っておいた。
明日は、その出汁で味噌汁の予定。

 

なお、エビスタで月見団子が売っていて、この日が仲秋の名月だと知る。 
そうだったのか?
月見団子を買う。白い物2個、抹茶の物2個、1個152円とは安い。
安いお団子はあっさりとして食べ易く、反って美味しいと思った。

帰宅後、我が家のテレビ前のステージに、陶器のうさぎとお団子を飾る。



昨日は、いくら待っても月が出ないので、よく見ると雲の中だと分かった。

諦めて、翌日の今日、改めて見てみると素晴らしい月があった。
月も、町の灯りも美しい。
でも、肉眼ではもっと美しい。スマホのカメラではぼやけて良くない。 

上は、iPhone7で10枚以上撮った中でたった1枚だけ、まあまあ綺麗な映像。
iPhone10や、iPhone11なら、凄い写真が撮れるのかしら?

 

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2019.09.11  ”朗報です” アレルギーの方も磁気ネックレスは着けられます。

       
       < 朗報です。 >

肩凝り症だけれど、磁気ネックレスはアレルギーがあるので着けられないと
思っている方へ、朗報です。 

 

      

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2019.09.10 今年も龍美会作品展へ行く。

(8月31日)

摩耶さんの絵の仲間の作品展「龍美会」へ行った。
今年は会場が替わり、新装なった「原田の森ギャラリー」にて。
元町のギャラリーでやっていた頃から会場は4〜5回替わったが、30年以上毎年行っている。
ずっと、のばらさんとさくらさんと3人で行っていたが、今はさくらさんと2人になった。 

 

摩耶さんの作品の前で。
 

ジャ〜ン!
前日、ミエちゃんに会って預かって来た服 に着替えてもらって、写真撮影。
上着に合う様に、白っぽいものを履いて来てねと頼んでおいた。
それで、彼女は白いズボンを履いて来た。
ウ〜ン! 素晴しい! とても似合う。




和服の絽の訪問着の萩の裾模様が、見事に活かされている。
摩耶さん大感激、私も嬉しかった。

 

◎ その場で、すぐミエちゃんに写メを送る。
ミエちゃんから、大変自信になったと、即返事をもらった。 ^^

 


 

<居酒屋・藤原へ>
摩耶さんの作品展の後で、居酒屋「藤原」へ行くのが恒例行事。

まあ! どれも美味しかった。
これは、ぬた。この酢味噌が絶品。感動する。
穴子の肝煮も絶品だった。  

 

 

いつも煮物の盛り合わせを頼むが、その美味しさは格別。
里芋、高野豆腐、ごぼう、椎茸その他、どうしたらこう美味しく出来るのかと思う。 

写真を撮るのを忘れて食べてしまった。

なお、何か忘れているな〜と思っていると、思い出した。
今迄は龍美会の作品展開催は、いつも秋だった。
その時、いつも松茸の土瓶蒸しがあった。 これが大の楽しみだった。

そうか? 今年の作品展は、始めて夏の開催だったので、 松茸は陰も形も無かった。
秋の松茸の頃、又3人で来たいものだと思った。

 

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2019.09.07 ミエちゃんと会う、そして私の服のリフォーム成功例2つ。

(8月30日)

私の大昔の洋服で、大好きで捨てられなかった服を、旧友のミエちゃんにリフォームして貰い、
大喜びしていたが、それを聞いた摩耶さんから、そのミエちゃんを紹介して欲しいと頼まれ、
昨年2人を引き合わせたことがあった。 
2018.09.03 リフォームの件で友人を引き合わせ、そして丼物屋さんで感動の美味しさ。) 

ミエちゃんは長年の間ご主人を介護中なので、急ぐ仕事はできない。
それで、いつも、仕上がりがいつでも良いならばということで預かってくれる。
摩耶さんは和服の生地が大好きで、骨董品屋巡りも好きなので,気に入りのものを見付けたら、
買って来て、自分で解いて洗って、きちんと保管している。

それらの内から、摩耶さんは、昨年2点を持参してリフォームを頼んでいた。

そのことで、先日ミエちゃんから、摩耶さんの2着の内、1着が出来上がったと連絡があった。
そして、ご主人が急遽手術をすることになったので、急いで渡しておきたいとのことだった。
あいにく摩耶さんは絵画仲間との作品展開催中(8/27〜9/1)なので、私が受け取りに行き、
翌日、さくらさんと作品展を見に行くことになっているので、持って行ってあげることにした。


ミエちゃんは、ご主人の介護の手隙の時間を縫って来てくれた。
西宮ガーデンズの丸福珈琲で、ハイシライスとコーヒーでランチしながら、ご主人の病状、
そして近日の入院、手術のことなど、いろいろ聞いた。

 

    


今回完成した分は、和服の「絽」の生地のリフォームで、もともと訪問着だったもの。
色は、小豆色掛かった紫と言うか日本古来の色で素晴しく、萩の模様も格調があった。
絽の生地は、さずがに豪華でしかも上品。

これを頼む時、摩耶さんは、こんな風に仕立てて欲しいと見本として1枚のシャツブラウス
を持って来て預けていた。
普通、和服の洋服への仕立て直しは、ほとんどが袖も襟も直線断ちのものが多いが、摩耶さん
は、たまたま自分の好きなブラウスを持って来ていた。
ミエちゃんは、その通りに仕立てて上げようと思って、苦労したらしい。

訪問着の飛び模様を洋服に仕立てるのは、大変だったらしい。しかも、今回は襟も袖もある。
ミエちゃんは、生地を座敷に拡げて、模様の配分をよくよく眺めてから、どのように仕上げ
たら良いかを、じっくり考えたそうだ。
大成功だった。さすが、プロ中のプロの作る物は、驚く程素晴しい。 

翌日の8月31日に、私はさくらさんと一緒に、摩耶さん達の作品展に行くので、その時に、
持って行って上げる為に、今日会って仕上がりを持ち帰った。(その様子は、次回にUPする。)
 



<私のリフォーム成功例>

なお、私がミエちゃんにリフォームして貰って、大喜びしている洋服2点の自慢をしたい。^^

(1)
まずは、50年程前に購入した、サンローランのフランス直輸入物の,ハイウエストの
「ベルボトムのパンタロン」。

当時、若者達が、街中や旅行などへジーンズを着用し出した時代だった。
私は、彼等よりは少し年上だったが、流行の先を行く私のこと(?)、幾つかのジーンズは
持っていた。
でも、当時のごわごわしたジーンズの生地は(着古して、柔らかく着易くするものだと
言われていたが)、満足できなかった。

たまたま、ある有名なデザイナー(◯シノ ◯ロコさん=その頃から有名だった)のジーンズ
が掛けてあるのを見て(友人の知人だったので触らせてもらった)、少し分厚い上質の生地で、
デニムなのにまるでビロード柔らかさと深い色合いを持っているのを見て、感動して羨ましく
思った。
当時、日本にはそんな物は無かった。フランスかイタリヤで買って来られたものでしょう。

そんな時、梅田の高級ブティックでサンローランの薄地の上質なデニム生地で作られた
「ベルボトムのパンタロン」を見付けた。
ハイウエストで、画期的なことには、脇に縫い目が無かった。
それで、横から見ると、ロングスカートを履いているかの様なドレッシーなシルエットだった。
先年、これをリフォームする時、ミエちゃんは「脇に縫い目が無いのでびっくりしたよ〜!」と
言っていた。そうか?プロをも驚かせる物だったのか?と思った。

さすがサンローラン、若者が飛びついて流行り出したあのジーンズとは、デザインから何から、
一線を画していた。
お店の人は、これを買った私をいつまでも覚えてくれていたので、聞くと「直輸入ものを買われた
お客様でしたから、覚えています。」 とのことだった。

ミエちゃんは、ウエスト63cmを77cmにするのに、ウエストの前面は触らないで、後ろの部分だけ
三角に布地を挟んで拡げ、大変な手間を掛けて仕上げてくれた。
その種明しをすると、よく見ると継ぎ接ぎの部分は分かるのに、逆に皆さんその技術を感心してくれる。

そして、今では、その継ぎ接ぎに対応することの出来る上質なデニムが、日本でも多く作られていて、
もう舶来ものを買わなくても、すっかり追いついた日本の繊維界やデザイン界、その他に思いを馳せて
しまった。
 

 


(アバウトに描いてみた。)


(リフォーム後、他所の更衣室を借りて、自撮りしたもの。)

 

(2)

<ピンクハウスのギャザースカート> 

ピンクハウスのギャザースカート(上下セットだが上着はそのまま着れることが分かった)
写真ではよくわからないが、プリーツが全体に有り、更に前面には細かい縦プリーツが
裾迄びっしり掛かっていて、相当な生地を使っていて重みが有る。
足が悪いときは、まさかこの重いプリーツスカートを再び履けるとは思わなかった。
ただ、捨てることが出来ないので、持っていただけ。
しかし、脚が治ったので、もしやと思ってミエちゃんにリフォームを相談すると、やって
みようと言ってくれた。望外の喜びだった!
ウエスト63センチのものを77センチにする為に、ミエちゃんにこの時も相当苦労を掛けた。

 

 
(これには、運動靴とソックスが必須)

 

※ 以上。沢山自慢して済みません。^^;;

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2019.09.04 温泉での危機一髪、そして思ったこと。

(8月26日)の続き

神戸の温泉に行った日のこと。

露天風呂の場所には、幾つもの大中小のお風呂があった。
大きな岩風呂があり、その一郭にゆっくりと斜めに身体を横たえる場所が2つ並んで
いて、目の下に、まやさんの頭があって彼女はそこでゆっくりお湯に浸かっていた。

上からお湯を透して見るとかまぼこ板の様に斜に切り出されている岩の上に、彼女は
身体を横たえているのだと思った。
彼女の横にもう1つ席があったので、私も隣に寝そべろうと思って、水の中に足を
踏み入れた。そこから、身体を斜めに滑り込ませようと思っていた。

ところが、水の中は私の大きな錯覚だった。石の席は斜めではなかった。
実際は、座り姿勢の形で岩に背中を当てる様になっていて、岩は切り立っていた。

しかし、そこへ足を踏み入れてしまった私は、何もない水の上に乗った形となり、
浮力で勢い余って身体は傾き、横に付いている手すりを越えて、大きな岩で作られて
いる風呂の縁のゴツゴツした岩と手すりの間に頭から落下した。
岩壁との間が少し空いていたことと、ここに水があったことで命が助かった。

仰天した同行の仲間は、私の無事を知って安堵し、私のことを「◯◯さんは、いつも
護られてるね。あの阪神大震災の時も日本に居なかったもんね。」と言っていた。

確かに、もし、岩と手すりの間に隙間が無かったら?  もし、そこに水が無かったら?
それを思うと、ぞっとした。人生何が起こるか分からない。危機一髪だった。
もしこの岩盤にぶち当たっていたら、頭部が大怪我となり、どうなったか分からない。
万一命が助かったとしても、長期入院は必至で自分の名前も分からないかも知れなかった。

一番いけないのは、お風呂に入る為の入り口から入らずに、縁から直接入ろうとしたこと
だった。
 



<良かったこと>

この事件で良かったことは、心配した仲間に、「もう、怖くてお風呂に誘われへんわ。」
と言われたこと。
もちろん冗談だが、私にとっては、この方が都合が良い。
私は自宅のお風呂が好きで、大浴場は苦手だから。
お風呂はパスして、その後の夕食だけは行っても良いし。^^

<悲しかったこと>

この出来事の翌朝のこと。起きた時、左腕に激痛を感じた。
多分、水に落ちる時、無意識に何処かの岩を掴んだものと思われる。 当然そうだろう。

しかし、次の瞬間、急に寂しさが襲って来た。
何故かな?と一瞬思った。
この悲しさは何か、すぐに分かった。
のばらさんが生きていたら、朝一番に「オーちゃん、大丈夫?」と電話をくれた筈だった。
それどころか、当日の帰宅後にも、必ず「大丈夫?どこも、何ともなかった? 」と電話を
くれただろう。

のばらさんは、私が新しい世界へ挑戦して夜も寝なかった最初の10年間(神戸)、そして、
今の住居へ転居して新しい仕事に全力投球して朝迄眠らなかった10年間(西宮)、いつも
朝11時頃に電話をくれた。「オハヨー!オーちゃん、起きてる?」優しい綺麗な声だった。 

その後、私の仕事が一段落して徹夜時代が終わってからは、メールになった。
決まり文句は、「今日は午後空いてるよ。そっちは?」だった。
2人は、どこかで合流して、彼女の車で出掛けたり、街中で会ったりした。
互いに、何もコンタクトを取らない日は無かった。
私が電話すると、ご主人はスマホにしろ、固定電話にしろ、黙って受話器をトイレや、風呂場
に持って行ってくれた。 彼女が「今お風呂よ。」「今トイレよ。」と言うので分かった。
個室での音声は響きが違った。親切なご主人で、私はいつも感謝していた。 

私の寂しさは、これだったのだ。
あの日、私が帰宅後、急変して大変なことになっていたとしても、誰にも分からない。
2〜3日後に発見されるケースもよくある。
これを覚悟しなければならない。一人で生きて行くと言うことはこういうことだ。

のばらさんを失った私は、今更の様に深くこれを自覚した。
私は何ものにも代え難いものを失ったのだ。 これは充分知っていた。
でも、それを改めて身に沁みて感じた瞬間だった。 

そして、思わず「身辺の整理を急がなくては!」と実感した。 
私は、物持ちが良くて、仕事関係の書類もほとんど保管していて、部屋が満杯である。
これではいけないと強く思った。 

有難いことに、右腕の激痛は午前中に治った。
私は護られていると思った。

 

 

 

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2019.09.02 ミツバチまーやで、温泉へ。

(8月26日)

又々、神戸港にある温泉「蓮」へ行く。(2回目)

以前行った時に割引券を貰っていたので、その期限内に行くと言う。
ミツバチ会にまーやさんを会わせたのが自分なので、一応私も行かない
訳にはいかないのかなと思って、(牛に引かれて)行くことにした。 
 

 

前回の時、隣の方々が食べていた少し上等で小鍋も付いていたお膳を
食べたかったそうで、それを申し込んだとか。イヤハヤ、皆さん食欲の鬼!

 

<お風呂上がりの夕食、中華料理店へ行く。>
(前回と同じお店「老房」)



上の茶巾包みの春巻きが、前回は品切れだったので,ヤーチャンは大騒ぎ、
悔しがっていて、ぜひ食べさせたかったらしい。
今回はあった。この形は珍しい。確かに美味しかった。
 



一人ずつ、カニの爪が入っていた。
 

杏仁豆腐も美味。
どの料理も美味しかった。
中華料理は、大勢で行くと大変安く付く。

 

私は家のお風呂が大好きで、とても癒される。銭湯や大浴場は苦手だ。
次回から、私は温泉はパスして、夕食だけ合流するつもり。

 

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