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2012.01.29 もずくを茹でる、もずくの思い出

続いて、もずくの話題です。
私は、味付けしていないもずくを長い間探していましたが、ありませんでした。
(昔は袋入りの生もずくを百貨店で売っていたのに、それが無くなって久しい。)
ところが半年ほど前、生のもずくが売られているのを見つけました。
そして、知り合いの私の尊敬する女板前(最近廃業しました)に伝えると、
もずくは全部一度に味付けして置くと良いと教えてくれました。ラッキー!
一度ずつ作らなくても良いのは、めんどくさがり屋には嬉しいことです。




最初の頃は、もずくは洗っただけで味付けしておりましたが、最近茹でた方が
良いと聞いてからは、茹でて使うようになりました。
この茹でることは、大正解でした。
もずくを茹でることにより、生臭い臭いがなくなり、味も上品になります。
又、煮沸消毒されるので、大変衛生的で、長持ちします。
この美味しいこと!爽やかなこと!毎日感動です。

昔は、今の様に高速道路が整備されておらず、新鮮なまま長距離運送が可能な
今とは違ってもずくといえば能登の糸もずくの塩漬けでした。
それを、塩出ししてから使っていました。塩蔵わかめに類します。

私の子供の頃は大人のおつな酒の肴でした。我が家では船乗りだった父が下船
した時、この様な酒の肴が食卓に上るので、私はいつも興味しんしんでした。
子煩悩な父は、嬉しそうな顔をして、いつも私達にも食べさせてくれました。
その食卓の思い出が、その後の私の食に対する嗜好に繋がっていると思います。

その後、それまで殆ど知られていなかったもずくが急に有名になり、沖縄では
沖縄特産の太もずくが大量に養殖されて、味付け加工される様になってしまい、
とうとう味付けしていない物は手に入らなくなって、私はがっかりでした。

ところが、最近生のままのもずくが手に入るようになったのです。
流通の進歩のおかげですね。
といって、何処でもある訳ではなく、今のところあるのは阪神百貨店西宮支店
(エビスタ)ぐらいです。考えてみれば、この頃はネットで購入ができますね。




味は私は酢、砂糖、醤油の三杯酢で、あっさりした薄味に仕上げていましたが、
元女板前は、二杯酢が美味しいよと言っていました。
そうか~、多分母が父の酒の肴として作っていた時も、二杯酢だったはず!
私もそうしよう!そんな訳で、次回は私も二杯酢を試してみるつもりです。

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2012.01.28 足の改善は、もずくのフコイダンのおかげ?

年末に無理ばかりして、新年早々足がぶり返したことを書きました。
その後、辛抱溜まらず正月10日に水を抜きに行き、左155cc右141ccを抜
かれ、しかし、その晩から腫れて痛みで眠れず、辛抱出来ずにたった4日後、
又抜きに行き、2回目は左180cc(増加)右121cc抜かれたことも。
これでは、疼いて眠れなかったはずでした。

「2012.01.14 いたやがい夕食、そして私の足の水抜きのこと。」


しかし、その夜に、不思議なことがありました。
久しぶりに、夜ぐっすり眠れて、夜中なぜか足の付け根が痛み目覚めました。
これは多分、膝の痛みを庇っていたので一時的に痛みが出たのでしょうか?
おそるおそる膝を触ってみると、何と!すっきりとしていて、パンパンではない。
え~嘘でしょう?あの水はどこへ?夢のようです。私は驚きで一杯になりました。
昨夜見たときは、まだ腫れていて(水を抜いても)、少し固かった。
あれらの水は、どこへ行ったか?夜おしっこにも一回も行っていないのに…。

私は、はっとしました。
昨夜食べたもずくのことを思い出したからです。(年初来初めて食べました。)
もずくのフコイダンが水を吸収したのかしら?
そのもずくは、能登の糸もずくで、たしかに吸水力抜群の感じがしました。

そして、又はっとしました。
昨年の春に、もずくの生をトロ箱で売っているのを見つけ、自分で味を付けて
作り置きし毎日食べることを始めた。
丁度、その頃から足が治ったのと一致しているではないか?

たまたま年末直前に食べ終わり、その後、お正月はお正月料理があったので
もずくを食べていなかった。
その日、今年初めてもずく酢を作って、食べたと同時に又治った?偶然?
私は、興奮しました。

ただ、その後どんどん治って行くと期待したのは早とちりで、又少しずつ溜まり
出し、そして痛み出し、まだまだだな~と思い、とうとう辛抱溜まらず14日後に
水を抜きに行きました。でも、3回目は左118ccと右63ccと大幅改善にびっくり。
(但し、これでも横綱級で、こんな人はいません。待合室で知り合った人たちは
4~5ccを毎週抜きにくる人、6ccから7ccとなったと悲観している人などです。)

この改善はもずくのフコイダンによるものか?それとも、この半年間足が治って
いた間に、私なりに筋肉を付ける努力をしていたことの賜か?
リンパ線は血管の様に心臓から押し出されて動くものではなく、自力では動かず、
筋肉の運動によりミルキング効果で動くので、この水を排出をするためには筋肉
を鍛える必要があると思います。
その両方かしら?

今、そんなことを考えながら、まだ、なんとも結果が出たわけではないものの、
どちらにしても、その両方とも悪いはずはないのでこれからも頑張ってゆきたいと
思っているところです。

もちろん、もずくについては、このまま続けて実験するつもりです。
足の水の溜まっている方、試して見てください。
良い結果が出ましたら、お知らせ下さいませ。足の悪い方への朗報となります。
ご協力お願いいたします。


(※その後、どんどん回復し、2012年中は水が溜まらず、快適に過ごしましたこと
をお知らせします。年末に無理をして、年初大変なことになるのが、私の欠点です。)

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2012.01.25 お雑煮のこと、川津海老のこと。

少し前の、正月14日の夕食です。
お正月が大好きな私は、お雑煮も大好きで、いつまでもお雑煮を食べています。
お雑煮は、何と美味しいのでしょうか?出汁の味、餅の味に癒されます。
近所に、1年中毎日お餅を搗いている和菓子屋さんを見つけてから、防腐剤など
を使っていない薬品の臭いのない美味しいお餅が買えるので嬉しいです。
他は、紅白なますと、海老の茹でたものと、もずくの酢の物です。

正月15日の夕食です。
私は川津海老を茹でたものが好物です。
スーパーでは、1パックで400円ほどですから安いです。
1パックで、昨日と今日の2日分あります。

昔、私が尊敬する女板前がこれを出してくれて以来、好物になりました。
その時マヨネーズが添えられていた為、それ以来この食べ方が一番美味しいと
思う様になりました。
食べ物の最初の食べ方が、あとあと迄の嗜好を決定するな~といつも思います。
子供の頃から、我が家では海老はあまり食卓に上った記憶がありません。

その時、とても新鮮なものを出してくれて、外した海老の頭の味噌を吸いなさい
と教えてくれました。その味噌の美味しかったことには、びっくりしました。
(もちろん、その時の川津海老はもっと大きく上物でしたが…。)
でも、この頃は頭の味噌を啜りたいほど、新鮮な海老にはなかなか出会いません。
(新鮮な海老は、茹でようとすると鍋からポンポン飛び出して大変です。)

なお、スーパーで売っているものは一般に小さな川津海老ですが、小さなものは
足が柔らかいので殻と尻尾だけ外して、足は身と一緒に食べます。
大きな川津海老でも殻と固い足(手の部分?)だけ外して、他は一緒に食べます。
私は、この足が大好きなのです。しゃりしゃりとして感動の味です。

それにしても、先日友人から、「この頃貧乏料理出さないね」と言われました。
ブログに料理をしばらく出していないことなのですが、なるほど貧乏料理とは
当たっていますね。笑っちゃいます。^^汗;;

なお、両日とも、もずくの酢の物がありますが、これについて、少し驚くような
発見がありました。
それを次回に書きたいと思います。

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2012.01.23 阪神大震災記念日<その3・完>

<その3>
先日来、私は震災のことを書き始め、今の幸せへの感謝を述べようとして逆に当時の
どうにもならなかった苦しい出来事が次から次へと蘇り、胸が苦しくなり落ち込んで
しまいました。大声で泣きたい衝動に耐える数日でした。
そして、ブログにUPする勇気が萎えてしまいました。

いつものお助けウーマンに相談しようと、電話しました。
彼女は、震災の支援者の一人として、最後まで協力してくれた仲間の一人です。
彼女は、泣きたい気持ちはよく分かると言って呉れました。当然よと。

そして、私はなじみの喫茶店の店長が言う言葉を聞いてはっとしました。
「僕は、思い出したくないので震災のことは書かないのです。」と…。
32才の彼は、当時高校生、まだ働いてはおらず親の庇護の元にいた状態です。
その彼が、思い出したくないから書かないと言うのです。
遠い地に一人で避難し、働きながら復興した私が苦しむのは当たり前だった。

一方、テレビで、当時の被災者達が「おかげで殆ど復興したけれど傷は一生消えない」
と言っていました。幾人もの人が同じことを言っていました。
そうか、傷が消えなくても仕方がないんだ。感謝が足りないと自分を責める必要は無い。

今まで、このブログに震災の復興記録を私は何度も書いてきました。
全部で50話ぐらいあると思います。
しかし、どれも7~8話目に続けられなくなり中断しました。




特に2010/2月~3月に掛けて書き出した「阪神大震災の日 香港にいた私」というシリーズ
では、私が命が助かるに至った経緯、そしてそれにまつわる信じられない不思議な不思議な
巡り合わせを書こうとしました。
9話までUPしたところで、私の小学校時代の同級生の男性が、小冊子にまとめてくれました。
「大事な記憶ですので、しっかり書きとめておいて下さい。続いて全巻書き終わったところ
で完成分を改めて製本しますから。」と言ってくれました。
私は、その後手元で24部まで書き続け、おそらく30部には完結するかなと思っていましたが、
その後はUPすることなく(9話止まりで)、結局そのままになってしまいました。
その間の精神的な落ち込みとそれに伴う体調不良が、それを乗り越える勇気を奪いました。

又、2009/5月には、「感謝の仲間」というシリーズで、復興までの記録を書こうとしました
が、これも最終までは書けなくなり、残念ながら6話目で完結としました。

「思い出したくないから書かない」という選択肢は幸せな選択肢です。
私も、しばらく書くことは封印しようと思いました、
たとえ「今の感謝を伝えたい」のだとしても、体をズタズタにしてまで書くのは時期尚早で、
やはり書くべき時期が来ていないのかも知れないと思いました。
今回は軽い思いで書きましたが、案に相違して長くなりましたので、3部に分けました。
今回も、優しいお助けウーマンに背中を押されて、遅れ遅れでようやくUPしました。

                       < 完 >

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2012.01.20 阪神大震災記念日<その2>

本当は私がブログに書きたいと思ったことは、私を見捨てることなく、私を「神戸に
戻す迄頑張る」という合い言葉で最後迄献身的に支援し続けてくれた友人達への感謝
でした。(私がそれを知ったのは、避難所から神戸に戻った日、全員での引越パーティ
の時でした。これをもう少し早く知っていたら死ぬ程の不安は軽減したことしょう。)

この巡り会いは奇跡としか思えない。亡き父母が頼んで呉れているとしか思えない。
そう思いました。
毎週休日には、大阪駅でボランティアの友人達と待ち合わせて神戸へ向かいましたが、
その時、私はすぐに皆に「ありがとう」と言えませんでした。一瞬遅れました。
何故なら、咄嗟に「お父さんお母さん有難うございます。」と心の中で叫んだからです。
友人達に言いました。「会ってすぐにお礼の言葉を言わなくてごめんなさい。思わず先
に父と母に有難うと言ってしまうからなんよ。」と…。
すると、皆は、「それで良いねん。それで良いねん。」と言ってくれました。

この人達が居なかったら今日の私はありません。再建の夢が叶わなかっただけでなく、
失意の日々を経て、恐らく今私は生きてはいないでしょう。
そんな私が、「もしも神戸の家を再建し戻ることができたら必ずする」と決心していた
こと、それは、この方達へのご恩返しです。
そして、この方達の様に、私も役立ちたい。

その頃、私は「もし神戸に戻れたらマッキントッシュを買おう」と目標にしていました。
そして、神戸に戻って初めて出会ったパソコン(マッキントッシュ)に衝撃を受けた私は、
パソコンは何でもありの世界だ今後の人生はこれに賭けよう、これしかないと思いました。
そして、職場を辞めました。定年1年前のことでした。
それから、苦節10数年、夜を日に継いで頑張りました。寝ない日も多くありました。
グラフィックも、頑張りました。どん欲に挑戦しました。
パソコンに出会って2年目には作品展もしました。
その頃、コンピューターグラフィックでは漫画しか描けないと思われていた時代、私は
描写画を描いて、風穴を開けたと思っております。驚いたプロ達に手法を聞かれました。
力はそこそこ付いたと思われます。
そして、偶然の出会いから、ネットショップを始めました。

…しかし、未だに芽が出ないのは事実です。
もちろん、友人達にもご恩返しは出来ておりません。
しかし、まさかここまで苦戦するとは思いませんでした。
お金を貯めてボランティアをするなんて夢の夢である状態は続いています。
どんな苦難にも耐える力は、震災復興時に与えて頂きました。その点では自信があり
ます。でも、こんなに努力しているのだから必ず実る筈だとは、甘い幻想だったかも
しれないことも知りました。

しかし、あのときのメンバーは、今も変わらずいつも集まり、ほのぼのとした日々を
共有してくれています。これ以上の感謝、これ以上の財産があるでしょうか?
阪神大震災記念日は追悼の日であると共に、私にとって改めて深く感謝を捧げる日です。
父母に、そして私が今あるを支えてくれた友人達に。

                                                                             <その3>へ続く

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2012.01.19 阪神大震災記念日<その1>

一昨日の1月17日は、阪神大震災の記念日でした。
あれから17年経ちました。
私は、住んでいた神戸の家が全壊しましたので、寝屋川市に避難しながら当時勤めて
いた大阪の職場に通勤し、休みの日は支援者と共に大阪から神戸の家の復興へ通う
日々を続けて、1年半後に自宅を再建しました。
全壊とは言え、我が家は幸い梁のゆがみが無かったので(近所の家々はすべて全く
の全壊で、借りに家の形が残っていたとしても、梁が歪んでいて危険で、使いもの
にならない状態で梁が歪まず残ったのは家は我が家だけでした)、壊れた壁を塗り、
全面的な修復を行い、屋根を載せて家を修理しました。

しかし、本当に幸運だった反面、一気にブルドーザーで壊して撤去して貰う場合と
違って、瓦礫の撤去から何からすべて自力で行う必要があった為、会社勤務をしな
がらのその過酷な再建の日々は言葉にするのは難しく、まさに筆舌に尽くし難いと
言うのはこの時の状況のことであったと思います。

震災とは無縁の地に一人避難し、震災の実感のない大阪の地で神戸人はたった一人
という状況で働きながら休日には遠く神戸迄復興に通う日々、不安で眠れない日々、
真夜中に自分が息をしていなかったことを知った瞬間孤独死は明日は我が身だと悟り
ました。
強烈な胃の痛みで眠れず、胃カメラを飲んだ私に(胃の中に鮮血があると言われた)、
あんたが何で胃カメラを飲むの?とどっと笑われても、絶句するしかなく「私が神戸人
で家が全壊したことを本当にご存じですよね?」と問うことも出来なかった自分。
問う努力が足りなかったのか?
黙っていることでようやく自分を支えられた日々だったのでしょう。

大震災記念日を迎え、あの余りにも乖離する人の心に絶句した日々の連続を思い出し、
胸が苦しくなりました。
復興を遂げ幸せに過ごさせて頂いている今を深く感謝しその感謝を述べたいと思って
これを書き始めた私でしたのに、ここ迄書いて逆にその時のことを思い出してしまい、
号泣したい衝動で、眠れなくなりました。
東日本大震災は、あまりにも悲惨で、その状況がつぶさに放映され全国的に知られて
いますが、被災した人達は被災した人でないと分からない苦しみを抱えてじっと生き
ておられることと思います。
                          <その2>へ続く

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2012.01.16 墨入れを花生けに

しばらく前、妹から内祝いに、墨を篭に入れた物を貰っていました。
墨は空気を清浄にし、身体にも良いし、縁起物です。
でも、飾り物としては、どうにも地味過ぎるな~と思っていました。

昨年末、迎春の飾りを買いに行った私は、 松葉などを使った造花を
買ってきました。
花入れも売っていましたし、セットになっているものもありましたが、
家に何か適当な花入れがあるかもしれないと思った私は、造花だけ買
って帰りました。

ところが、家に帰って探してみましたが、ピッタリ来る花入れがなく
困っていました。
すると、横に飾っていた墨の篭に気付き試しに造花を差してみました。
あ~、これは良い、素晴しい! とても気に入りました。

そんなことで、我が家の花生けは、墨の篭です。
墨の地味さを、造花が補って、華やかなものにしてくれます。
季節によって、花を入れ替えると、年中楽しめます。

このアイデアを、ブログでお知らせしようと、私は思いました。
あ、でも、勇み足はいけない。確かめなければ。
こんなことみんなやってるよ~。などと言われるかもしれない。
自分では良いことを言ったつもりでも、誰でも知ってることかも知れない。
そこで、いつものお助けマン(ウーマンですが)の親友に電話しました。
「いや~、始めて聞いたよ。今迄見たこと無いよ。」と彼女に言って貰って
安心してアップ致しました。^^
ご参考迄に…。

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2012.01.15 龍の置物と、龍の爪の数のこと。

初お目見えの「龍の置物」です。
実は、これは特に干支を意識せずに、縁起物として手に入れていたものです。
以前住んでいた神戸の家のすぐ近くに、アジアの装飾品が大好きな女性が
経営しているお店がありました。
彼女は時々お店を閉めて、中国、ベトナム、タイ、マレーシアなど、アジア
各国へ仕入れに出かけていました。
そのお店に、多分中国製のこの龍の置物が沢山置いてありました。
丁度、転居することになっていた私は、新居の縁起物として1つ購入しました。
昨年末掃除をしていた時に見付け、あ、来年の干支だと気付き、飾りました。



ところで、これは、写真に撮り難いですね。
我が家へきた人は、とても美しいと誉めてくれますが写真には撮り難いです。
透明な部分は、ガラスではなく樹脂で出来ていて、尻尾などは金色です。
年末に、金屏風を買って来て撮ってみました。この方が豪華で良いかしら?
毎日毎日撮って100枚以上の中から、ようやく数枚をピックアップしました。
そんな訳で、それが、お目見えが遅れて今日になってしまった理由です。
ま、「大物は最後に登場する!」のですよね。^^

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ところで、龍には爪が何本あるか、ご存じですか?
答えは、日本では3本なんだそうです。

想像の生き物である龍は、中国の皇帝の象徴でした。
それで、中国から本数が決められていたそうです。
世界の中心の大中華帝国皇帝は5本!
中心から外れた小中華の朝鮮や、ベトナムは4本!
もっと外れた野蛮な倭の国は3本!

ということで、日本では龍の爪は3本だということで、3本の爪の龍が当たり
前に描かれ続けているそうです。
私も、最近読んだ本で、偶然知りました。
それで分かりました。
私が、この金色の龍の置物を見た時、確かに日本の龍ではないな、中国のもの
らしいなと思ったのですが、何故そう思ったかが、今にして分かりました。
無意識に爪の数の違いを感じていたのだと思います。雰囲気も違いますね。

ちなみに、今日、近所の絵画教室の生徒さんたちが描いている絵を見てみると、
なるほど、どの龍の絵もすべて爪は3本描かれていました。

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2012.01.14 いたやがい夕食、そして私の足の水抜きのこと。

正月七日は魚屋さんで、茹でたいたやがいを見付けて買ってきました。
私は、これを酢味噌で食べるのが好きです。
でも、酢味噌を作る暇がなかったので、わさびと醤油で食べました。
お正月の酢の物や、ごまめ、菜の花の和え物、お雑煮の夕食です。
それと大好きなお屠蘇もあります。




正月八日も、いたやがいです。(10日迄、生食OKだそうです。)
酢味噌を作る予定でしたが、作るのが面倒くさくなり(汗;;)、
やはり醤油とわさびで食べました。
他は、ごまめ、酢の物2品、お雑煮とお屠蘇です。
お屠蘇は、この日ですっかり無くなりました。
今年は、お屠蘇は300cc程作りました。




足の水抜きは今週火曜日に行きましたので次は1週間後に行くつもりでした。
しかしながら、痛みに耐えられず、来週火曜日まで待てずに今日行きました。
痛くて痛くて、タクシーで行くのさえ難儀しました。
今日の先生は若い先生で、100cc以上の人は見たことがないとのことでした。
痛くて眠れないので、どんな体勢で寝たら良いでしょうか?と聞きましたら、
「これだけ腫れていたら、どんな体勢で寝ても痛いですよ。」とのこと。納得!
今日は、左180cc、右112ccでした。
左は、火曜日に155cc抜き、その後4日間で180cc溜まったとは…。
抜いた当日に、もう以前より固く大きく腫れて、痛みも半端ではなかったので、
前より多いだろうとは思っていました。
180ccと言えば注射器3本分です。(1本50ccですが60ccまで入ります)
針だけ差しておき、そのまま上の注射器だけ差し替えるのですが、それを
看護婦さん達は「お代わり」と言います。
私は、珍しい「お代わり」患者です。それも数回の「お代わり」…。
病院始まって以来の最高記録(210cc)保持者です。

しかし、不思議なことに、私の場合、時々ふっと治ることがあるのです。
この半年間がそうでした。奇跡でした。
嬉しくなった私は、慎重に足の筋肉を強化して行っており、少しずつ歩行距離
を伸ばしていました。改善著しいはずでした。
しかし、新年を迎えるにあたって無理を重ねてしまったことでぶり返しました。
もう一度治したい。謙虚になって…。そう思っています。


 

その後、もう一度水を抜きましたが、それ以降は回復し、全く水を抜くことは
なく、2012年中は、快適に過ごしました。
「2012.01.28 足の改善はもずくのフコイダンのおかげ?」

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2012.01.13 役満しました。そして足の痛み。

正月早々の四日に、お目出度いことがありました。
パソコン麻雀で、役満(四暗刻)をしました。

それも、すごい上がり方です。
リーチして続けていると、ドラ3枚あったところへもう1枚ドラを積もった
のでカンしたら、何と!嶺上開花(リンシャンカイホウ)となったのです。
すごいでしょう?
ですから、本当は役満以外に、加えてドラ4つ+嶺上開花+東=6翻もあった
んですよ。(嶺上開花した牌が、赤牌だったので、それも加えれば7翻です。)
もちろん、役満の場合は役萬止まりですけどサ。でも一応言っとかなくチャ。^^
「役満は、役満じゃ!関係ないんじゃ!」な~んて、冷たいことを言わないでね。^^

この日、リーチを掛けたところで、密かにカメラを手元に準備していました。
上がってからカメラを探していたのでは、間に合いませんので。
でも、今迄カメラを用意していても空振りになることが多かったのですが、
今回は、見事に的中しました。やった~!嬉しいものですね。

 



足の水は3日前に抜いて貰いましたが、もうその夜からパンパンに腫れてしまい
毎晩痛くて眠れない日が続いております。
楽天的な私は、今回は1回抜いて貰ったら、もう治ると思っていました。
(半年間治っていたのですから。その前1年間の外出不能状態から復帰して…。)
しかし、とんでもない間違いで、日に日に腫れて痛くなって来ました。
以前、ひどいときは痛みに耐えかねて、2日に1度抜いて貰っていましたが、
いくら何でも、それは足に悪いだろうと思い、我慢して1週間に1度にしました。
今回もその時の様に抜きに行きたいと思う程です。

先日、再発した私に、先生は「いよいよ、手術ですな~。」と言われたので、私は
思わず「いえいえ、まだ治します。」と答えましたら、先生はへえ~と驚かれました。
帰り際に、「IPS細胞で、いずれ治る日が来るのですか?」と聞きますと、
「あと10年はかかるでしょうね。長生きして下さい。」と言われました。
懲りない私です。

 

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2012.01.12 迎春器自慢と、阪神大震災のこと。

正月四日のお屠蘇の肴です。

正月五日のお屠蘇の肴とお雑煮の夕食です。
肴類は、おちょこに入れています。
私のおちょこは、お酒を飲む為ではなく、お正月の料理を入れる為に集めて
います。


私は阪神大震災の時、神戸に住んでいて家が全壊しました。
でも、その日私は神戸には居らず、香港へ旅行していました。
帰国して家に辿り着くと、家は全壊しており、家具や食器棚も倒れ、食器棚の
中の大切な食器類をすべて失いました。
但し、有難いことに戸棚に入り切れず、箱のまま押し入れの下段に入れていた
食器類の一部は残りました。それらを、今使っています。

しかも、信じられないことがありました。旅行は、1月のことでしたので私は
日本を離れるにあたって、大好きな迎春用品を入れた箱を居間のテーブルの下
に置いて出かけていました。
テーブルの下にあった為、これら迎春用品のほとんどが失われず残ったのです。
こんな幸運があるでしょうか?信じられないと思いました。
その上、長年に亘って蒐集を続けた大型の器類2~30個は低い棚の下に一つ
ずつ新聞紙に包んで入れていて、それらがごろごろと転がり出ていましたが、
すべてが無傷のままでした。すべてを失った私に、迎春用品だけが残りました。

それらを見た時、正月大好きな私は飛び上がりました。「神様!」と叫びました。
「これらが残っているんだ!これらがあるのなら立ち上がれる。この家を再建
しよう。これらがあるんだったらもう一度あのお正月を迎えることができる!
絶対頑張ろう、頑張れる!」その嬉しさは今迄経験したことのないものでした。
「神様ありがとうございます!」震える程の感動と感謝を覚えたことを思い出し
ます。

1年半の避難生活の後、再建出来た家に戻った私は、その家に10年間住み今は
転居しましたが、毎年この迎春用品たち赤いお盆にしろ器にしろ、あの震災を
乗り越えて生き残った物達に囲まれて迎えるお正月の感動を味わっております。

神戸に戻る迄の友人達の献身的な協力への感謝を表したく、その後毎年お正月
におせち料理のご招待を続けました。
(おせち以外のお惣菜料理(=私のお得意の貧乏料理?)のご招待も毎年10回
ほど続けました。神戸にいた10年間で100回程延べ数百人招待したと思います。)
西宮に転居してからも数年続けましたが、最近「ファイナルおせちパーティー」
を盛大に行って終了しました。

震災を経験した方の共通の心理で、私自身も震災後は食器などを買う気持ちが
全く無くなり、百貨店でも瀬戸物売り場に寄り付くこともなくなっていましたが、
その内に変わって来ました。最近では瀬戸物屋さんの店先で、半端になった品を
カゴに入れて格安で売っているものを買うのが楽しみになりました。

上の写真は、最近買った見切り品の器です。
上段の紅葉の形の器と扇子の形の器は、以前からから大好きでした。
それが、たまたま1つずつ残っていて、格安になっていて300円ぐらいでした。

下段の金色の扇の器と八角の小鉢は、料理屋さんで半端になった器をバザーで
手に入れたもので、両方共たったの10円でした。いずれも、私の気に入りです。
こうして、又好きなものが廻りに集まり、お正月が益々好きになって行きます。

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2012.01.11 お正月の飾り、そして足がぶり返した私

昨年と同じですが、自慢の正月ドアー飾りです。
これも、百均の品2つを組み合わせたものです。
同じ階のお宅の中で、玄関にお正月の飾りをしているところは
我が家だけでした。

これも、昨年と同じで代わり映えしませんが、私にとっては
これがあるとないとでは楽しさが全然違います。
門松、羽子板、追い羽根、独楽、扇、笹の葉、梅の花などです。

 



年末の無理のし過ぎで背中を凝らせていまい頭痛まで始まりました。
又、昨年末、せっかく治っていた足がパンパンに腫れて痛くて眠れ
なくなりました。
しかたなく、昨日は整形外科に水を抜きに行きました。
先生は、私の足を見て「ワ~!」とびっくりされました。
左は155cc、右は141cc抜かれました。(普通多くて15ccぐらい
らしくて、殆どは1桁だそうですが、私の場合は3桁です。
お医者さんでも「100cc以上は始めて見た」と言われる方が多いです。)

でも、昨年7月の上海旅行の直前の7月6日に水を抜いてから出かけ
て(この時は118ccと108cc)以降、この6カ月間抜きに行っていま
せんでした。
無事上海旅行に行けただけでなく、それまでは毎週抜いてもらって
いたのに、その後6カ月間はどんどん治っていて、少しづつ歩ける
距離を増やしていた私は、もう回復方向へ向かうのみだと楽観して
いました。
(この奇跡の様な経験を、お知らせしなければと思っていました。)

ところが、年末の無理でぶり返して、歩けなくなってしまいました。
昨日は、たまたま「西宮えびす」の日で交通が混乱し、水を抜いた
後、帰りのタクシーがなくて困りました。

外出しないのは足に良くないのを経験上知っていますので、なるべく
隣のスーパーへは行く様にし、徐々に足を治して行くつもりです。
仕事柄パソコンの前に座り続けになるため、これが良くないので、
積極的に外出して治したのが、前回の改善の原因でしたから…。

 

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2012.01.10 正月三日は仲良しと。

正月三日は、仲良し3人で過ごしました。
以前は、我が家でおせちを準備してご招待しておりました。
数年前に、大々的な「ファイナルおせちパーティー」をしてご招待は
打ち上げにしましたが、それでも、お正月にはいつも会っています。

私が、今年はホテルでランチを予定していると言うと、じゃあ私達も
3日に合流すると言いました。
ホテルオークラのランチブッフェです。
美味しくて、満足しました。


おめでたい金屏風の前で皆さんが記念写真を撮っておられたので、
私達も真似をして撮りました。

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2012.01.09 正月二日の夕食

正月2日の夕食です。
ミニお重の中のミニおせちとお雑煮と三種盛りの肴です。

この頃は、ビールは、135ml(100円)の小型にしています。
ミニ好きだからでもありますが、この量で充分でもあります。

この3つ繋がった器は新顔です。最近買いました。
元々薬味入れでしょうね。

 

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2011.01.06 元日の夜の超ミニおせち

元旦の夜の夕食風景です。
今年は、ある楽しいアイデアがありました。
実は、ミニお屠蘇器の横に飾っている、小さなお重と小さな蓋物2個は
いつもは空のまま飾られているだけでした。

 

でも、今年は違います。
この小さなお重にミニおせちを詰めようと思い付いたのです。

 

じゃ~ん!
素晴しいでしょう?
ミニおせちです。
お重の中は、上の段には三度豆の牛肉巻き、ごまめ、そして下の段には
菜の花の和え物、千枚漬け、いくらが入っています。
その手前の盃の大きさの黒い蓋物には紅白なます、赤い蓋物には黒豆が
入っています。
いずれも、大晦日の夜作りました。
超ミニおせち美味しい~!

 

夕食はお雑煮(お餅2つ)が主食なので、おかずはこのミニおせちで充分です。
そして、お雑煮の美味しいこと!
かつおと昆布の味と香りが大好きな私は、お出汁をたっぷり飲みたいので、
むしろお雑煮の具は少ない方が好きです。醤油味のお澄ましに癒されます。

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