goo

2008.2.29 母の教え…(素材の滋味)

(1)
私が、子供の頃のことです。その頃、九州に住んでいました。
小学校から帰って来ると、母が井戸端で、畑から取ったばかり
のキャベツを洗っていました。

その井戸は、私の祖母の家の台所の広い土間の真中にあり、
見たところ浅くて、澄んだ水の底石が綺麗に見える、清潔な
井戸でした。

私が、ただいまと言って土間に入っていくと、母は笑いながら
「おいでおいで」をしました。
私が側へ行くと、洗い立てのキャベツを少し千切って、ちょっ
と恥ずかしそうに「これを食べて見なさい。」と言いました。
その時の、母の笑顔を、私は今でも鮮明に覚えています。

私はそれを食べて、甘くて美味しいのに、びっくりしました。
「甘いね~。美味しいね~。」と言うと、母は何とも嬉しそう
に、「そうでしょう?甘いでしょう?」と言いました。

この時、大きな教訓を貰ったと、私は、今でも、このことを
感謝しております。
私は、この時、食べ物の素材には、そのものの味があることを、
教えられました。

(2)
そして、今、私はよく、こんなことを思います。

私が、もし料理店のオーナーならば、自分の店に、料理を目指
して修業を始める若者が入って来れば、まず料理を教えるより、
何よりも先に、あるところへ案内することでしょう。

それは、新鮮な野菜が植えられている畑です。
そこへ、彼を連れて行き、大根を抜かせて(叉は、他の野菜)、
鎌でそれを割って、そのまま味わわせることでしょう。

すると、彼は、びっくりするでしょう。
大根は、こんなにも甘く、こんなに美味しい味があったのかと。
素材には、既に味があること、そして新鮮なものならば、それ
自身驚く程旨味があることを、実感するでしょう。
それならば、後は無用な手を加えずに、その持ち味を生かして、
その旨味をさらに引き出すことがいかに大切であるか、それを
彼に最初に知らせることが大事だと思うのです。
料理の第一歩は、これであると私は思います。

(3)
何処かのお店へ食べに行った時、どの料理も強い味付けのもの
が出て来て、閉口することがあります。
案の定、厨房から、肩で風切ってまだ若いシェフが出て来たの
を見るとおそらくインスタント料理漬けの世代か…。
あの塩分や糖分や添加物を加えるだけ加えて、人工的に作り出
された美味しさの経験の中からは、素材の微妙な味を捉え、
それを生かす料理は、望むべくもないと思われます。

そんな時私は、母が幼い私に洗い立てのキャベツを食べさせた
意味を感じて、感謝の思いを深くするのです。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )