友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日は散々な日となった

2024年12月18日 17時06分23秒 | Weblog

 手紙をアメリカに送るだけなのに、大変な時間がかかってしまった。先輩のお姉さんとその次女とダンナが来日した時、我が家の向いの空いている部屋に泊まってもらった。「空き部屋なので、気軽に使って」とカギを渡してそう伝えた。

 その次女夫婦から丁寧な礼文が届いたので、私は日本語でお姉さん宛てに、次女夫婦にありがとうと伝えて欲しいと、手紙を書いた。カミさんにもクリスマスカードに、「またお会いしましょう」と英文で書いてもらった。

 そして、年賀はがきに描き続けて来た「絵」を集めて製本した『はがき絵』も同封することにした。この3点を1つにしてアメリカに送ろうと郵便局へ出かけた。支店よりも本店の方がスムーズにいくだろうと思ったのがいけなかった。

 窓口の女性に、「この3点をアメリカに送りたいので、入る袋はどれでしょうか?」と聞くと、「中身は何か」と言うので、「手紙とカードと本です」と答えると、「書籍は許可が必要です」と言う。えっ、私が作った物なのにと驚いていると、「ちょっと待ってください。上に聞いてきます」と言う。

 そんなやり取りの後、「お手紙ということで大丈夫です」と言うので、「これらを入れるレターパックはどの大きさになりますか?」と尋ねると、「レターパックは外国には使えません」と言う。傍らにあった普通の封筒を買い、あて先を書いて窓口に持って行った。

 ところが、封筒の差出人が日本語で書いてあるのを見て、「これで大丈夫ですか?」と言う。アメリカで行方不明になったら戻って来ないと心配してくれたのだ。もうこれ以上は無理だ。私の後ろには長い列で、待っている人が大勢いる。「その時は諦めます」と笑顔で答えた。

 窓口に並んで、終了するまで30分もかかってしまった。水曜日はデートの日なので、和食の「木曾路」で食事をして、メナード美術館を観て、最期に小牧図書館へ行く予定が狂った。それだけで終わらなかった。「木曾路」は大変混雑していて駐車出来ず、遠い場所に止めざるを得なかった。今日は散々な日となった。

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青春ドラマの行先が気になった

2024年12月17日 17時55分45秒 | Weblog

 今朝のNHKテレビ『おむすび』を観ていたら、橋本環奈の上司にあたる料理人が、尾崎豊の『15の夜』を歌い出した。彼は、この歌を歌うと機嫌が直るらしい。『15の夜』は、「盗んだバイクで走り出す 行先もわからぬまま 暗い夜の帳の中へ 覚えたての煙草をふかし」と、社会への抵抗の歌である。

 この歌を歌うということは、この料理人も強い反抗期があったのだろう。尾崎豊はこの歌のような青春を送ったようだ。尾崎豊が生まれたのは昭和40年、上の兄は優秀だったようだから、幼い時から比較されたコンプレックスが下敷きにあったのか知れない。

 小学校5年の転校を契機に、学校に行くふりをして街を彷徨っていた。今で言う不登校児である。それでも中学校では生徒会副会長を務め、文化祭実行委員長と頑張っている。ところが喫煙がバレて停学処分を受けている。

 高校は青山学院の高等部に進み、剣道部に所属している。けれども、オートバイを乗り回したり、飲酒や喫煙、あげくに大学生のグループと乱闘騒ぎまで起こしている。学校からすれば、手に負えない不良だった。そんな尾崎が、独りぼっちの時によく聞いたのがフォークソングだったようだ。

 そこが違うなと思うけれど、尾崎は高2の時、レコード会社のオーディションを受けて合格すると、自分の人生はこれだと突き進む。尾崎が発表した歌は、社会に嫌気がさしていた若者に支持され、ブームを巻き起こした。

 尾崎豊よりも20歳も上の私も、すごく心に響いて思わずCDを買った。私自身は尾崎が描く青春とは全く異なっていたが、心情はよく分かる。料理人がこの歌を口ずさむのはきっと、思い当たる青春があるのだろう。

 『おむすび』は年寄りの私には面白く無いドラマだが、今朝は昔を思い出させてくれた。橋本環奈に何も魅力を感じないジイジも、ふと、この青春ドラマの行先が気になった。

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自分は成長していないと知る

2024年12月16日 17時58分34秒 | Weblog

 午後4時、西の空が余りにも綺麗だったので、思わずルーフバルコニーに出て写真を撮った(写真の上が南、下が北)。外は寒かった。小学校の運動場で、子どもたちが座り込んで先生の話を聞いている。

 北九州市のマクドナルドで起きた、中学生の男女の殺傷事件を話しているのだろうか。子どもたちは「ハイ」と言って立ち上がり、下校していった。なぜこんな事件が起きたのか分からないが、それだけに恐ろしい事件が続く。

 大阪府の泉大津市の市長選挙は現職が、NHK党の党首の立花氏を破り3選を果たした。立花氏は来月に行われる、兵庫県の南あわじ市の市長選挙にも立候補すると言う。いったい彼は何のために、何がしたいのだろう。

 私の13日のブログに、卒業生の「ヒロヒコ」君からコメントが寄せられていた。高齢の男がまだ性の欲望に取り付かれていることを、面白おかしく書くつもりだったが、かなり苦戦したもので、まさか真面目なコメントが来ると思わなかった。

 「ぬばたまの黒髪変わり白けても 痛き恋には逢う時ありけり」ならセーフ。「ぬばたまのその夜の月夜今日までに 我は忘れず間なくし思えば」となると、セーフでもアウトでも。そして自作の「白妙の我が紐の緒の絶えぬ間に 恋結びせむ逢わん日まで」はアウト?とあった。注:「ぬばたま」は黒を指す枕詞

 在校中の彼は、おとなしくて目立たない生徒だった。しかし、時々くれるコメントは知識が豊富で教えられることが多い。人は変わる。卒業生を見ると、皆ますます大きくなっていて、自分が成長していないと思い知らされる。

 私のブログにコメントをくれるのは卒業生が多いが、制限は無いので、どなたが送ってくれてもいい。コメントをいただくと、自分を顧みることが出来る。ぜひともコメントをください。お願いします。

                               

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もうすぐクリスマスがやって来る

2024年12月15日 17時27分23秒 | Weblog

 あと10日でクリスマス。外に出ないので街の様子は分からないが、新聞記事で各地のイルミネーションが話題になっている。私が子どもの頃、昭和20年代だが、デパートへ行くとジングルベルが聞こえてきて、なぜか華やいだ気持ちになった。

 家の周りの商店街にそんな華やかさは無かったが、何時からだったか、和菓子の店でもこの頃になると、クリスマスケーキが売られていた。父がどこかで買って来たクリスマスケーキを始めて食べた時は、とても嬉しかった。

 「クリスマスだから」と父から聞かされたが、キリストとケーキの関係までは覚えていない。小学校の高学年になり、ラジオでキリストの話を聞き、小学校の図書室にあった『アンクルトムの小屋』を読んで、キリスト教に関心を持った。

 中学校へ入学し、家と学校の途中にあったルーテル教会に通うようになった。「聖書研究会」を立ち上げ、クラスの男子を誘った。クリスマスには讃美歌を歌って、街中を歩いた。キリストの教えを、もっとみんなに知って欲しいと思っていた。

 今朝の朝日新聞に、「恋愛中心のクリスマスに喝!」という見出し記事があった。何事なのかと思って読んでみたが、「恋愛がらみのおしゃれな消費をすることに毒されている」現状を打破する活動らしい。

 クリスマスとバレンタインデーに合わせて、粉砕デモを行っているとある。クリスマスが悪いのではなく、それに便乗した経済活動が許せないと言うことらしいが、主催団体は「革命的非モテ同盟」とあるように、モテないことの恨みが根底にあるようだ。

 人に迷惑をかけなければ、何を訴えようと自由であるが、モテないのは本人の努力不足に原因があるのではと思ってしまう。SNSの出逢い系を活用し、もっと自分を売り込んでみたらと言いたくなる。

 クリスマスに男女が仲良くしている姿が羨ましいのであれば、恋愛を恐れずに相手に飛び込んでみるといい。いつかきっと、クリスマスケーキをふたりで食べられる日がくるだろう。

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無理矢理のオチで申し訳ない

2024年12月14日 18時15分20秒 | Weblog

 土曜日の定番は、吉本新喜劇。およそいつも同じパターンなのに、分かっていても観てしまう。バカバカしさに笑いが止まらない、時には笑いが涙になる。どこへも行かず、家に籠っている年寄りには欠かせない見世物である。

 それでも、時の話題をヒヨッコリと織り込んでいたりして、工夫している。毎週、出し物を考えるのは大変なことだろう。頭が下がる。劇場には子どもたちも来ているようで、子どもの受けにも配慮している。

 カミさんは、年末年始の献立に頭を悩ませている。料理を作る度に、「今日のランチです」「今晩の料理です」と、ラインで写真を送っているからだ。「じゃー、年末年始はお休みしますでいいのでは」と言うと、「あの子たちも楽しみにしているのに」と悩む。

 まあ、カミさんの楽しみでもあるのだから仕方ない。吉本の俳優たちも、楽しんで舞台に立っているのだろう。傍から見ると大変そうでも、本人は楽しいのかも知れない。いや、そうでなければ、仕事なんかやっていられないだろう。

 営業マンだった友だちは、相手方との付き合いもあり、初めは辛く嫌だったようだ。しかし、商談が成立し、会社が彼の働きを認めるようになると、営業が楽しくなり、さらに工夫を重ねて利益を上げるようになっていった。

 バルブの時代で、「一晩に百万近く使った」と先輩も豪語していた。自民党もきっとそんな風に、金を遣って政治を動かしてきたのだろう。政策を論議して決めるというより、飲み食いで決めてきたと橋本徹氏は怒っていた。

 与党が少数になって、野党との協議が必須になった。しかし、協議が公開でなければこれまでと同じだ。国民の目の前で、しっかり話し合って欲しい。どこの町村か知らないが、議員のなり手が無いので報酬を上げるという。

 なり手がいないのであれば、議員を無くして役所だけでやればいい。行政も前例踏襲を止め、税収の範囲でやればいい。それでは住民が困るだろうと言うが、困らなければ何が必要で何が不要か、見極めることなく進められる。

 喜劇にはオチが大切だが、政治にオチは要らない。必要なのはみんなの知恵であり、話し合いである。無理矢理のオチで、申し訳ありません。

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ここで静かに幕が下りる

2024年12月13日 17時48分15秒 | Weblog

 NHK大河ドラマ『光る君へ』が最終回を迎えるらしい。「らしい」と書いてしまったのは、後半になって筋書きがよく分からなくなったからだ。紫式部と道長が幼い頃に出会い、そして恋に発展していく辺りは、さすが大石静さんの脚本だと思って観ていた。

 それが、野球などの中継と重なり、一応カミさんは録画しておいてくれるので、「何も観るものが無いわね」という時に観る。しかし、気が乗らないからか、物語の展開がしっくりこない。道長が権勢を維持するために手を尽くすのが、気に入らなかったのかも知れない。

 道長が栄華を極めた時に歌ったとされる、「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも無しと思へば」を、私は何という傲慢な歌かと思っていたが、愛する紫式部を思う歌という説もあると知り、そんな恋愛の歌だったのかと納得してしまった。

 ドラマは道長の生涯を、紫式部との恋愛を絡めて展開していて面白いと思った。けれど後半になって、どうでもよくなってしまった。平安時代は男性優位の社会だったが、女性たちもそれなりに性を謳歌していたようだ。そんな日本の伝統が崩れたのは、西洋文明を受け入れた明治以降ではないだろうか。

 「あの女なら、やりかねない」という先入観で、マスコミは報道していたが、裁判所は無罪を言い渡した。「紀州のドンファン」を覚せい剤で殺したという裁判で、証拠不十分と審判された。検察はきっと高裁に控訴するだろうから、まだ結審とはならないだろう。

 80歳になった私は、ドンファンの気持ちがよく分かる。せっかく手に入れたいい女なのに、自分の逸物が用をなさない。かなり焦ったことだろう。そこで覚せい剤を使用し、性行為を成し遂げたかったと推測する。ドンファンの最期は男の欲望が招いた、自業自得だったのだ。

 年老いたなら、いくら「いい女」が現れても、決して性行為をしたいなどと思わないことだ。せめて、「何もしないから、抱かせてください」くらいなら言ってもいいかも知れないが、それ以上は望まないことだ。と、ここで、静かに幕が下りる。チャンチャン。

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いつも通りのようでも、いつも通りではない毎日

2024年12月12日 17時59分11秒 | Weblog

 朝、8時5分前になると、名古屋駅前のビルから眩しい光が届く(写真)。太陽の光が建物のガラスに反射した光だ。ビル群を眺めていたら、北川検事正が女性検事を連れ込んだ中之島合同庁舎は、どれくらいの大きさのビルだろうと思った。

 女性検事は酔っていて何も覚えがないようだが、上司の北川検事正は「これでおまえもオレの女だ」と言ったようだから、全く卑劣な男だ。初公判では起訴内容を認め、「争うことは致しません」と述べていた。

 それが今月になって、「同意があると思っていた」として、無罪を主張し始めた。同意があったか否かが重要な決め手だけに、姑息な居直りとしか思えない。北川検事正は大阪検察庁のトップの人、誰もが恐れるエリートである。

 しかもその下の、副検事正の女性が、「女性検事は性交に同意していた」「金目当ての虚偽告訴」と言いふらしているそうだ。そうなると女同士のいがみ合いかとも取れる。しかし告訴した被害者の記者会見を見ると、性被害を訴えることがどんなに苦しいかが分かる。

 警察官や先生や僧侶までが、指導の名の下に性行為に及んでいる。私は、公務員であろうと僧侶であろうと、既婚者であろうと未婚者であろうと、性行為は互いが求め合えば、自由だと思っている。

 地位や権力を笠にきた性行為が楽しいとは思えない。以前、中学のクラス会の時、浮気をしたことがあるかが話題になった。男どもは自慢気に告白していたが、清楚な女性の中にも手を挙げた子もいた。

 秘訣を訊いたら、全員が「絶対にバレないこと」と言う。家庭の崩壊や連れ合いを、悲しませることの無いようにと教えてもらった。意外だったのは友だちで、女性を見るとすぐに口説くのに、「肉体関係は持たない」と言う。

 どんな風に付き合ってもいい。人はそれぞれだ。明日の朝も、南の名古屋駅前のビル群を眺めてみよう。寒さがいっそう厳しくなってきた。世間に吹く風も、いつも通りのようでも、いつも通りではない毎日。

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市民の春は楽しみが増えるだろう

2024年12月11日 18時12分25秒 | Weblog

 隣りの市、『清須市はるひ美術館』で、西枇杷島町南六軒で生まれた画家・太田三郎展を観て来た。「博学多彩の画家」とポスターにあるように、日本画も洋画も描き、挿絵を描き、本も出している。愛知県の文化・芸術活動にも寄与し、愛知文化会館(美術館のこと?)の美術科長を務めている。

 私の好みで言えば、日本画の方が洋画よりもいい絵が多い。1884年生まれだから明治17年という訳だが、相当若い時から活躍しているようだ。印刷技術が進化し、一般の人々も雑誌を買う時代になり、挿絵や解説の絵が求められたのだろう。俳人だった妻のために、挿絵入りの本も出版している。

 はるひ美術館は小さな施設だが、なかなか面白い展覧会を企画するし、解説も丁寧だ。美術館の南は芝生の広場で、子どもたちがサッカーをしたり、レスリングで戯れたりしていた。先生らしい女性が見守っていたから、近くの小学校の出張授業かも知れない。春には桜が咲き、花見に来る人たちで賑わうことだろう。

 水曜日はデートの日、けれど明日は、カミさんが「ゴルフなので、遠くには行きたくない」と言う。それで、この美術館に決めた。デートの日らしく、「帰りにどこかでお茶しよう」と喫茶店に入った。午後の半端な時間だったからか、ひとりで来ている客が多い。私が停めた隣りは、真っ赤な外車だった。

 店を出ていくカップルを見て、カミさんが「あの二人が乗って行くわよ」と囁く。その通りだったので、「どうして分ったの?」と訊くと、「カンね」と答える。最近、カミさんのカンはよく当たる。「ゴルフはどう?」と聴くと、「さっぱりダメ」と言う。「カンでは出来ないのがゴルフなのよ」と。

 はるひ美術館の隣りの、図書館が改修工事を行っていた。いつ完成なのか知らないが、清須市民の春はまた楽しみが増えることだろう。

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フジテレビの小倉智昭さんが逝去

2024年12月10日 17時48分07秒 | Weblog

 朝、フジテレビの『めざまし8』は、小倉智昭さんが9日に亡くなったと報じた。小倉さんはこの時間帯にズーと出ていた司会役だったからか、小倉さんがどういう人だったのか、どういう姿勢で番組を作っていたのか、思い出を振り返りながら報じていた。

 私もこの時間に見ていたから小倉さんは知っているが、人柄や報道姿勢についてまでは関心がなかった。朝の番組だから大変だろうな、そんな気持ちで見ていたと思う。小倉さんがニュースの1つひとつに、どんなコメントを出していたのか全く覚えがない。

 小倉さんは、「政治家に隠すなと言うのに、自分たちは隠すのはどうかと思う」と、私事も隠さなかったと言う。でも、それはちょっと違う気がするが、反面、それも正しいかとも思う。ただ、そんなことをすると、報道にかかわる人は怯えてしまわないかと心配になる。

 真実を追求する人たちが、それが出来ない状態に追いやれれたら、報道の自由は無くなってしまうだろう。私はスマホを使いこなさないから、テレビとパソコンのニュースしか見ないが、今やSNSが巷に溢れているという。

 あんなに短い文面から、何が真実と分かるのだろう。200ページの新刊本でも、読み進めるうちに、アレッ前に述べていることと違うことを言っていると思う時がある。さらに進むと、逆説として持って来ているのかと分かる。

 これからはSNSの時代だそうだけれど、短い言葉に騙されない訓練が必要だと思うのは、私が年寄りだからなのか。今日の昼食は、「フレンチトーストでしょう」とコメントをくれた人がいたのに、どうしても孫娘が連れて行ってくれた店にもう一度行ってみたかった。

 今日は何組か客が来ていた。その中に、男の二人組が居た。話の様子から私と同じ歳のようだったが、耳が遠いのか、認知症なのか、全くかみ合わない。ひとりが「カミさんが認知症で、医者に通っている」と言う。相手が「認知症じゃーどうしようもない」と言うのに、「認知症だから困ったわ」と繰り返していた。

 小倉さんはガンで亡くなった。77歳だった。70年安保の世代だ。

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昼食をどうしようか

2024年12月09日 17時43分13秒 | Weblog

 朝、空を見上げると晴れ渡っていた。伊吹山の頂上が白く輝き、その北側の山々にも白いものが見える。しばらくすると、ピーピーと笛が鳴る音がして、子どもたちが登校して来た。寒いと思ったのに、子どもたちは元気に運動場を走り回っている。

 韓国の戒厳令騒ぎは収まったが、権力が集中する大統領制の危なさが顕著になった。大統領を置く国は、なぜ国王の代わりを求めたのだろう。圧倒的に強い「人」をが必要だったのだろうか。民主主義の手本と言われるアメリカも、なぜ大統領を置いたのだろう。

 運動場で遊ぶ子どもたちを見ていると、「はい、つぎ」と仕切る子がいる。確かにその方がスムーズにいくようだが、大人はそれに欲が加わるから、公平とか平等が無くなってしまう。民主主義の基本原則は、自由・平等・博愛であったはずなのに。

 子どもたちの元気な様子に触発されて、昼の暖かい時間に散歩でも行こうと思った。「そんなに家に閉じ籠っていると、足腰が弱るわよ」とカミさんに注意されているから、「今日は散歩して来た」と自慢するつもりだった。

 外は暖かいだろうとガラス戸を開けて、ルーフバルコニーに出てみた。身体が震えるほど寒い。ダメだ、これではヒートショックで倒れると、勝手な解釈をして外出を取りやめた。いつもなら高齢者が多い公園も、喫茶店やコンビニが並ぶ通りも、人影が無い。

 いよいよ本格的な冬の到来か。小学生の頃、校舎の2階から御岳山が見えた。山頂が白くなるころは冷たい風が吹いて、凍えそうになる。陽が射す教室の南側が取り合いだった。どの子もしもやけとひび割れで、痛々しい手をしていた。

 けれど、白くきれいな手をした女の子がふたりいた。ふたりとも病院の娘で、中学からは名古屋の私学へ行ってしまった。ふたりからよくからかわれたけど、どうしているのだろう。カミさんは明日ゴルフ、昼食をどうしようか。

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