友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小学校の卒業文集

2012年05月22日 21時26分10秒 | Weblog

 小学校の卒業文集はガリ版印刷の粗末なものだったと言う。原版はボロボロで、みんなが手に取ればバラバラになってしまうくらい痛んでいたらしい。それを幹事の一人が1枚1枚、文字を判読しながらパソコンで打ち直し、復刻版を作り上げてくれた。長い月日をかけて作業してくれたおかげで懐かしいものを見ることが出来た。本当にありがとう。

 最初に校長と担任からの祝いの言葉があり、続いて女の子と男の子の寄せ書きがあった。きっと向かい合わせの見開きだったのだろう。文集には、「強い心」とか「明るい心」あるいは「誰にも負けない」とか「正しい道」という言葉が目立つ。これは時代の表れだろうし、「勇気」「意志」「努力」「誠実」は卒業文集にはよくある言葉なのかも知れない。

 クラスで成績がトップだった子は、南極観測船「宗谷」の活躍を知っていたようで、「『宗谷』は南極大陸にかがやかしく着岸し 我らの船は 尊き師の手に導かれ 友とはげましあい 卒業の岸にたどりついた ここまで導きくださった 諸先生に 感謝をささげ さあ ゆこう 次の航路に 我が母校よ さらば」と書いていた。クラス会の席でも本人は「こんなによく書けているとは思わなかった」と驚嘆していた。

 地域の歯科医師会の会長を務めた歯医者の息子は、5年生の時にみんなで学校から抜け出したことにも触れていた。「ぼくたちを育ててくれた母校 たのしかった事かなしかった事 いまからおもうととてもおもしろい みんなといっしょに川に遊びにいったこと」とある。男子は砂場でよく相撲をした。「ぼくたちは ほうかごとに すもうをした 今日もやった (略)みんあ元気にすもうをした ころんだりころばしたりする とてもおもしろい 男子ぜんいんといっていいほどだ すもうをする」。

 女の子は詩的な文章を書いている。「おちばがちらちらおちてきて 私のくつの上に落ちてきてごめんなさいといっているようだ 私はおちばの話がわかるようだ」。「にこにこ顔のよい子供 いつもにこにこわらってる うれしい時も悲しい時も いつもわらってすごそうよ にこにこわらってすごそうよ」「つくばの雲は朝をよぶ 光の沼にわれをよぶ はてなく清き空のもと たのしきまどひらく わが母校」。

 私も詩を書いているが極めて観念的だ。「われは 今 いばらの道を進むのだ ああ この永遠に続くいばらの道を われの後にいばらあり われの前にもいばらあり このいばらの道をどこまでも」。文章の方も同じことが見える。

 「私は苦しかった6年間を思い このようなことをなくしたいと思ってこの作文を書いている。あれは4年生の時だった。一度先生に本でなぐられたことがあった。その原因は一人の悪童からだった。彼は嫌がる者でも宿題や図画を書かせたりした。そういう悪童にたいして、当時学級委員であった私は反抗することもできなかったので、先生に本でなぐられたりしたのだ。あー意志の弱かった自分がにくらしい。こういう悪童は何人でもいる。だからこういう者をなくするとどうじに反抗できるつよい意志が必要だ。どんな苦難にも打ち勝つのは強い意志だ。私は意志の弱かったため数多くの苦難に負けてしまいましたが、ただ1回だけクラーク先生の言葉を思い出して、自分の行いを反省してみて、災難に負けずにすみました。なにごとにも強い意志が必要なのです。強い意志をもて 強い意志を 少年よ大志をいだけ」。

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