minoaka Tommy の わらぶき小屋

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   <’11・11・1 OPEN>

<S40年度> 青雲寮

2012年02月08日 21時14分35秒 | バンド・出演歴
青雲寮は片山建設の社員寮であったが、大学のすぐ横にあったので、学生が占領してた。南こうせつの「神田川」は3畳だが、青雲寮は押入れ・洗面所付きの5畳で20室ほどあり、家賃は1ヶ月4千円だった。
山形・長野・静岡・島根等、薬学部生が多かった。県外生とは、夜遅くまで行き来し、色々な面白い話が聞けて楽しかった。


青雲寮に入寮。後の額は松村謙三代議士の書:青雲。
松村先生は農林大臣・文相等を務め、農地改革・日中友好に尽力した清廉な政治家として砺波地方では絶大な人望があった。


中勝君はサイドギター兼ボーカルで4年間一緒した仲間。
サラリーマン時代、退職したらまた一緒にハワイアンをやろうと約束してたが、15年前、ガンで亡くなり、<もうハワイアンバンドはやれない>と思った。


1年生の夏休みに自宅に楽器を持ち帰り、家族に披露。
スチールはティスコ製の6本弦、スタンドに固定するタイプだった。

当時、MMSにはお二人のスチールの先輩がおられた。
☆4年・岩沢先輩:ペタルスチールを駆使し、コード重視の甘い演奏。
☆3年・平賀先輩:テンポのある曲の、歯切れの良いピッキングが得意。
Tommyはお二人に比べ、スチール演奏に自信がなかったので、ボーカル陣(後に女性Voが入る)に頑張ってもらった。

S40年の暮れに学生会館が完成し、練習場所が黒田講堂から学館に移る。
黒田講堂ではギターマンドリンやフィルハーモニーと部活動が一緒だったが、ドラムを叩くだけで他サークルからは練習ができないと、MMSは嫌われ者だった。
合田部長が、完成前から学生課に学生会館へ移る点を直訴していた。
合田先輩は、強引だが、決断と実行力がある<田中角栄型>の人だった。

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2 コメント

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青雲寮 (song1234)
2012-02-08 21:45:30
一カ月4000円とは、当時にしても安い方でしょうね.自宅でスチール弾いている写真は、実に若い、、高校生位に見えます.伴奏はどうしたんですか?今みたいに、コンピュータでバッキング等できなかったわけですからね.
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当時は体重 52~53キロ (Tommy)
2012-02-09 12:07:00
スチールGは、どんな楽器かを見せた程度で、練習とまでいかず
 →家族の反応も、初めて見る珍品といった所でした。やはり、1オクターブのスライド・アップは好評でしたね。
青雲寮は、ただの部屋借りで、食事はなし。
あの時代は、どんな食事してたんだろう?
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