NHK放送 100年 → 以前の映像を映し出している(ただし、画質は悪い)。

今日は、S44年の第20回紅白歌合戦を約3時間放送。
この時の総合司会は宮田輝、紅組=伊東ゆかり、白組=坂本九。

それまでは大晦日の夜は 欠かさず紅白歌合戦を見ていた。でもこれは見ていない。
この年は社会人になったばかりで、銀行は大晦日まで年末業務に追われていた。

当時は名古屋支店で勤務していた。夜9時過ぎに全員(100名ほどいた)営業室に集まって、支店長から労いの言葉を聞いて軽く一杯飲んで正月休暇に。

スキー客用の臨時電車に乗って高山線→富山→高岡へと乗り換え、自宅に着いた時 は空が白んでいた。
名古屋を出るときはスキー客でいっぱいで若い男女が楽し気に語り合っていたが、こちらは立ったままで飛騨古川だったかでどっとスキー客が下りたら、客車に残っていたのは3~4名だけ。

島倉千代子の か細い歌声が好きだった。
お千代さん「人生いろいろ よ」
Tommy「今、歌わせてもらってます」

内山田洋とクールファイブは紅白初出場。
この年の夏、寮生でどこか遊びに行った帰りに名古屋駅前のビルの屋上のビアガーデンに行った。
その時、彼らが<長崎は・・・>のキャンペーンで歌っていた。
Tommy「なんだ、調子の狂った歌い方だなぁ~~」とビールを。
CAROL「個性ある歌手を見る目がないのね」

あの頃は、グループで歌う時は、センターマイクを囲んで歌ってた。
CAROL「今なら、一人ひとり マイクを持ってミキシングで調整してるわね」

ピンキーとキラーズは2回目の出場。インパクトがあった。

オオトリは 美空ひばり。

ザピーナッツは、ウ教室 富山の若豊が好んで歌っている。
この時は <ウナセラディ東京>。そう言えば、東京の歌は多い。

若かりし頃の サブちゃん。この時は 紙ふぶきはない。
以前、金沢に勤務して転勤になった送別会で「加賀の女」を歌った。
I 親睦会会長「よし、それだけ歌えば、金沢を卒業させてやる」