大学時代、沢山のアルバイトをやった。ジャズが聴きたくて初めて雇ってもらったお店、千駄ヶ谷の「ピーター・キャット」は駅から5分なのに閑静な佇まい、階段をトントンとあがった2階にあったジャズ喫茶。焦げ茶色の木の床の中央に大きなテーブル、周囲が見渡せる曇りガラスの全面窓でマスターのセンスのよさが伺える清潔感溢れる素敵な店だった。月に一度だけライブをやっていて、大学の先輩が「アルバイトを募集していたよ、やってみない?」というので見学がてら覗きに行ったのが「植松孝夫tsグループ」。間近で植松さんの豪快なテナーの音に圧倒され、生音のライブに感動したのを覚えている。そのとき「ここでライブも聴けてレコードも沢山聴けるならぜひアルバイトさせてほしい!」とお願いしたのでした。
近田春夫似の温和なマスターと美しく頭のよさそうな奥様、アルバイトは1人くらいでローテーションだったと思う。早稲田出身の文学青年と文学少女という知的なご夫婦で客層も雑誌、出版関係の人が多かった。私が大学のジャズ研でサックスを吹いているという事でマスターはいろいろなレコードを聴かせてくれた。特にマスターのご推薦はスタン・ゲッツtsで何枚もレコードを貸して下さった。やっと30歳を過ぎてわかるようになったのだけど、当時の私にはゲッツの良さは本当には解りませんでした。それでも沢山のレコードを親切に聴かせて下さって・・・今でも感謝してます。
それにしても、ずいぶんといい加減なアルバイトをよく辛抱して使ってくれたと思う。好きなときに休みをとらせてもらい、最後は無断で休んでしまい、行きづらくなってそのままお給料を取りにも行けず、ずるずると遠ざかってしまったのだが、2ヶ月くらいしたら郵便でお給料の明細&お手紙とともにお金を送って下さった。コピーライターの書くようなきれいな見やすい字で「お元気ですか。お給料の未払いを送ります。」勝手に辞めてしまった私を非難もせずに・・・。私においしいチーズケーキの作り方やロールキャベツまで教えてくれたマスターに、本当にあわせる顔がない・・・と思いつつ20年の歳月は流れたのでした。
この優しいマスターはちょうど私がバイトを始めた頃に「群像」で賞をとり、あれよあれよという間に有名な作家になっていったのだけれど、私にとっては未だに甘酸っぱい青春の1ページに登場する「文学青年」のままひっそりと心に焼き付いています。彼の書く文章はご本人そのもの。やさしくって温かくてもの静かな人柄がそのままでているようです。今頃になって「海辺のカフカ」を読んで、春樹さんの事を思い出したのでちょっと書いてみました。
近田春夫似の温和なマスターと美しく頭のよさそうな奥様、アルバイトは1人くらいでローテーションだったと思う。早稲田出身の文学青年と文学少女という知的なご夫婦で客層も雑誌、出版関係の人が多かった。私が大学のジャズ研でサックスを吹いているという事でマスターはいろいろなレコードを聴かせてくれた。特にマスターのご推薦はスタン・ゲッツtsで何枚もレコードを貸して下さった。やっと30歳を過ぎてわかるようになったのだけど、当時の私にはゲッツの良さは本当には解りませんでした。それでも沢山のレコードを親切に聴かせて下さって・・・今でも感謝してます。
それにしても、ずいぶんといい加減なアルバイトをよく辛抱して使ってくれたと思う。好きなときに休みをとらせてもらい、最後は無断で休んでしまい、行きづらくなってそのままお給料を取りにも行けず、ずるずると遠ざかってしまったのだが、2ヶ月くらいしたら郵便でお給料の明細&お手紙とともにお金を送って下さった。コピーライターの書くようなきれいな見やすい字で「お元気ですか。お給料の未払いを送ります。」勝手に辞めてしまった私を非難もせずに・・・。私においしいチーズケーキの作り方やロールキャベツまで教えてくれたマスターに、本当にあわせる顔がない・・・と思いつつ20年の歳月は流れたのでした。
この優しいマスターはちょうど私がバイトを始めた頃に「群像」で賞をとり、あれよあれよという間に有名な作家になっていったのだけれど、私にとっては未だに甘酸っぱい青春の1ページに登場する「文学青年」のままひっそりと心に焼き付いています。彼の書く文章はご本人そのもの。やさしくって温かくてもの静かな人柄がそのままでているようです。今頃になって「海辺のカフカ」を読んで、春樹さんの事を思い出したのでちょっと書いてみました。